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名古屋城本丸御殿

2018-06-12 | 日記
郡山城跡の石垣を案内したお客様が名古屋の人で、名古屋城本丸御殿の復元が完成して6月8日から公開される事を知った。既に表書院や上洛殿は公開されていたが、この度お湯殿書院の復元工事も終わったらしい。
大志君のピアノ発表会(10日)に出かける予定をしていたので、この機会を逃すわけにはいかなかった。

  6月11日(月)
混雑を懸念して朝一に名古屋城に向かう。名城線地下鉄市役所駅の階段を上がって「金シャチ横丁」の前を通り、東門から入城した。チケット売り場には午前8時45分に到着。9時からの開城に人は5・6名だった。
城内に入ると金のシャチホコが輝く天守閣が目に飛び込んできて「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」の文言が頭をよぎった。(笑)
本丸表二之門から桝形になる本丸表一之門跡を通り抜けると本丸御殿で、天守閣の南側にある。

        (画像はクリックすると拡大する)

史料紹介に依ると、名古屋城は徳川家康が九男である徳川義直を尾張の初代藩主にして徳川家の基盤を造ろうとして建てた城。1612年に天守閣完成、1615年に本丸御殿が完成したという。
本丸御殿は近世城郭御殿の最高傑作として昭和5年に国宝第一号に指定されていたらしい。
1615年(慶長20年)義直が入城し、義直と春姫の住まいであり藩の政庁でもあったのが、二の丸御殿が造られて後は将軍上洛の際の宿舎となり、1634年(寛永11年)徳川三代将軍・家光の時に新たに上洛殿とお湯殿書院が造られたそうである。

本丸御殿の内部はストロボ無しで撮影は許されていたので数枚撮り置き、後は本を買って帰り記憶を辿って楽しむ事にした。

            

                          

将軍様様の立派な素晴らしい御殿も時代は流れ、1945年(昭和20年)、第2次世界大戦(太平洋戦争)の大空襲で惜しくも天守閣諸共に消失。ところが幸いにも、江戸時代の文献や写真、実測図が残されていたので1959年(昭和34年)に天守閣が鉄筋コンクリートで再現されたという。
本丸御殿の方は襖や天井板絵など取り外せるものは全て外して疎開していたので戦禍を免れたという。平成21年(2009年)に本丸御殿の復元工事が始まり、専門家の知識と高度な技量によって修理され再び元の姿を取り戻し、この平成30年6月8日に公開の運びとなったわけである。
そうそう、お湯殿は湯船ではなく、外で湯を沸かし湯気を内部に引き込むサウナ式蒸し風呂いわゆる俗に言う空風呂であった。

        


天守閣は鉄筋コンクリートの寿命が近づき木造での再建準備が始まったばかりのようで、解体準備の足場が設置され初めていた。私にとって現行のお城を見るのは今日が最後なんだとちょっと感傷的になった。完成予定の2022年にまた来るね。木造の天守閣と金のシャチホコを期待して。。。。。
     
  



午前11時、城内は人人人であふれていた。大志君のピアノ演奏もずいぶん上手になって、「子犬のワルツ」は大成功、本丸御殿は空いている間にゆっくり鑑賞できて大満足の2日間であった。
「金シャチ横丁」の"どえりゃあ金箔"ソフトクリームにビックリも満足もし、帰りに利用した近鉄伊勢志摩ライナーの赤色(伊勢志摩の太陽をイメージしたとか)、私は初めて乗ったよ。(笑)

                     おわり
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