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粟津温泉へ

2019-10-01 | 日記

2019年10月1日、今日から消費税が10%に引き上げられた。5%から8%に上がった2014年4月以来17年ぶりだが、この度は「軽減税率」とやらの導入で生活必需品の税率は今までの8%に据え置かれる。
対象となるのは・飲食料品(お酒・外食を除く)・新聞(定期購読契約の週2回以上発行されるもの)だそうだが、ややこしいなぁ~
考えても仕方がない事は考えず、3日前に買った小さい可愛い花でも見て楽しもうかな。蕾いっぱいで嬉しいなぁ。

  2019年9月29日(日)~30日(月)
北陸最古の温泉と言われる粟津温泉「法師」にチェックインしたのは午後2時35分。夕食を6時半に予約して、近辺の散策に出かけた。
玄関を出ると目の前、道路の真ん中に「黄門杉」という名の樹齢約400年の大杉があり、説明板に【 加賀藩三代藩主前田利常(としつね)公が那谷寺(なたでら)参拝の途中、この地に立ち寄られ、お手植えになったもの 】と書かれていた。
豊臣政権の五大老の一人、加賀100万石の大名として前田利家の名は浮かんでも、利常については何も思い出せない私だった。そして黄門とは中納言に使われる言葉だそうで、良く分からないまま私は水戸光圀公の『水戸黄門』のテレビドラマを思い出し、「黄門」を頭の中でひとり探っていた。(苦笑)

        (画像はクリックすると拡大する)

交流広場から石段を上り杉木立の中で不動明王を拝し更に石段を上がると大王寺本堂があった。約1300年前の養老二年(718年)に泰澄大師(たいちょうだいし)によって開かれた「高野山真言宗」の寺院らしい。
ご本尊は 一寸八分の掛仏「薬師瑠璃光如来」で等身大の「聖観世音菩薩」の光背中央に掛けられていて秘仏との事。
お堂の中は薄暗かったが、じっとこちらを見つめていられる大きな薬師如来坐像(桧の木造)を拝することが出来た。
お堂の横には、石碑「粟津温泉の開祖 泰澄大師」が立ち、石段を上がると大師の巨大な石像が有った。

              

そしてその横に白山神社があり、神仏習合時代の風習が今も残る土地柄に何かしら郷愁を感じた。
珠玉を抱えた立派な獅子像を左手に見て更に長い石段を上って行くと、神殿の前に静かに佇む狛犬とほっそりした神馬像そして奉納された石像が数基置かれていた。
祭神は伊弉諾尊(イサナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)、菊理媛命(ククリヒメのミコト)らしい。
菊理媛命は白山信仰の祭神・白山比咩大神(シラヤマヒメノカミ)と同一で日本書紀にも登場する女神様らしい。伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦喧嘩の仲裁をしたという事で、縁結びの神様とされているとか。
それで納得したのが、この後歩いた「祈りの小径」の先には恋人の聖地として「平和の鐘」や湯宿の使用人お末と竹松の恋物語にまつわる「おっしょべ滝」や「おっしょべ公園」などが設えてあった。白山麓になんとまぁ~ほっこりする事よ。(笑)

            

さてさて、私は「祈りの小径」が大変気に入った。西国33ケ所の石仏が配され、所々に白い彼岸花が咲き、小鳥のさえずりが聞こえる林道を木漏れ日を浴びながら歩くのである。
逆方向から一人の女性が来られ聞くと、歩く速さに後れを取って団体さんから取り残されたようだった。私も団体さんだったら同じ様になるだろうなぁ~、林道で年寄り一人は少々寂しいし、2人でゆっくり歩くのがいいんだよな。
街の足湯では地元の人とおしゃべりを楽しみ、この散策にすっかり癒されて旅館に戻り、温泉に浸かり美味しい夕食を頂いて就寝。

          
                    
     

  翌 9月30日(月)
朝食前に少しだけ散策した。お陰でお気に入りの九谷お茶碗が見つかり大満足!私は贅沢を知らず、お茶碗一個、お箸一膳新しいのに出会うと喜ぶお金の掛からない女である。(笑)

旅館の送迎バスで那谷寺まで乗せてもらった。
那谷寺は開創から1300年。717年に泰澄大師によって霊峰白山が開かれ、同時に開創されたお寺だそうだ。山門をくぐって左、金堂華王殿(けおうでん)に入る。平成2年に再建されたその新しい殿には新しい大きな十一面千手観世音菩薩が祀られていた。(撮影禁止)

受付で特別拝観もお願いしていたので、琉美園(りゅうび園)に進んで、「三尊石」(さんぞんせき)を見た。自然石の岩面が3つに別れていることから名づけられたそうだ。
奈良県の宇陀、大野寺の弥勒摩崖仏を思い出した。あちらは造形感性の優れた腕利きの仏師の手によって像高11.5mの弥勒仏立像を線刻したものであるが、遠目には一見よく似ているよな。
利常公が使った書院も特別拝観出来た。
      

岩山を貫く普門閣隧道を抜けて宝物館に入る。利常公の肖像画や平安時代の両界曼陀図(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼陀羅)他いろいろ観た。那谷寺は南北朝の争いで多くを焼失したが利常公によって復興されたそうで、粟津の人達には利常公を敬愛する心がずっと引き継がれているのを感じた。  
                 

木々の茂る参道を進んで行くと、幾つもの洞窟が口を開けている奇岩の不思議な光景が目に飛び込んできた。
それから本堂の大悲閣に向かうと、また驚いた。本堂は岩山につながり、その前面にある拝殿は、京都の清水寺と同じ懸造(かけづくり)になっている。
一昨年2017年に行われた白山開山一千三百年神式大祭では、ご本尊、十一面千手観世音菩薩を安置している岩屋の中の厨子の扉が開かれ、33年に一度のご開帳があったそうだ。

              

本殿入り口で、花山院法王と十一面千手観世音菩薩を祀る洞窟の中を歩く「いわや胎内くぐり」をすると、< ウマレキヨマル >を体感出来るという。《 この世の罪を洗い流し、再び母の胎内より新しい自分に白く清く魂が生まれ変わり、出直すことを祈る 》、そう思って巡ると本当に清められた思いがしたなぁ~・・・・・

次に三重塔(1642年)を観る。比較的小さい塔(塔高11.6m)だが、とても装飾性に富み全体が芸術的だった。外壁には唐獅子や牡丹の浮き彫りが施されていた。中に大日如来様が祀られていた。

赤い「風月橋」を渡り下ると芭蕉の句碑「石山の 石より白し 秋の風」があった。芭蕉は元禄2年(1689)に訪れていたようである。

          

お寺の建物ほとんどが国の重文で鐘楼や護摩堂も観たかったが加賀周遊バスの時刻があり、パスしてお寺を後に「ゆのくにの森」へ行った。
ここは加賀伝統工芸村で、九谷焼の館や金箔の館、輪島塗の館、山中塗の館他色々な伝統工芸の体験が出来る館があった。
そばが美味しいと聞いていたので先ず昼食にした。
一周して印象に残ったのは友禅流しを見た事、友禅の館前に設えた谷から落ちる川に、色鮮やかな五彩の友禅流しが実演されていてとても綺麗だった。
        

「あわづ温泉って湯だけよ。」と、他の楽しみが無いように聞いていたが、私は歴史の重みにすっかり感動して充分満足できた。
2月26~27日の山中温泉から始まって、北陸の温泉旅行にはまりそう・・・(笑)












 
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