OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

予感

2012年03月21日 | 書道・筆文字
三椏紙、雁皮紙、料紙は半懐紙、短冊などを使い、墨も変え、筆も変え、はじめてのかな。
それも高野切や関戸本古今、粘葉本和漢朗詠の王道を中心に、寸松庵色紙や香紙切まで、はじめてのかなにしてはもりだくさんである。
それも変体がなもまともに教えもせずに。

でも、手探り、も悪くない。
自分も反省するのであるが、すぐ直す、のが書の先生だったりする。
丸しかつけない、とは小学校の教師をして三十歳で逝った同級生の徹。
徹になるのは難しい。徹はまあ、直せないからだったが…。

そう、その人の能力をしっかり出させてみると、すごい力があったりする。
字をしっかり学ぶ前に、動きをしっかり感じるのもいい。
動きがいいと、短冊でも半懐紙でも見事な空間把握となる。

筆の持ち方も最終的には自由であるのだろうが、一番理にかなった持ち方を探る、姿勢もそうである。
そういうことは大事なんだろう。

丸一日ワークショップで、遠目には、相当の名品が生まれた。
遊びながらの集中力の力である。

「日本人を感じる」「日本人に生まれてよかった」とは、かな受講の感想。
“古典がなは、読めない”とかで敬遠される向きもあるが、そりゃ短絡的だ。
むしろ今の時代、しなやかに、のびやかに生きるために、かなも悪くない。

最後に、急に手術のためにこれなくなった方に、みんなで、巻紙の寄せ書き便りを書いた。
その便りを受け取ると、すぐ元気になるだろう。
そんな予感がその筆文字にはあった。
コメント
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