OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

ソツイ

2014年08月26日 | 書かない書道!入門
ソツイ、というのが一回性の書にとっての魅力である。そして醍醐味である。
 
ソツイの書は、漢字で書くと、率意。また、卒意と書く方もいる。
私は35,6年前に、「卒意」と習った。評論家の鈴木先生からだったと記憶している。
どうも「率」は円周率などのように、リツという音が頭のどこかから離れられない。

しかし、ソツイは率か卒か悩まなくてはならない時がきた。
15年ほど前かもしれない。
結果は、「率意」が正式には多い。

ただ、いまだに「卒意」をみる。

「率」と「卒」は、字源も違うが、字源の通り、現代まで、言葉が同じ意味を持ってきているわけではない。
ちなみに、『字通』では、「率」は、糸束をしぼる形の象形文字。左右の点々は、絞られた水の形。しぼりつくす、が原義で、したがう、おおむね、などと派生していく。
「卒」は、衣の襟をかさねて、結びとめた形の象形文字。死者の卒衣をいう、と。しぬ、おわる、つきる、が原義で、ついに、にわか、と派生していく。

じゃ、どっちだ。
そのまま『字通』でみていくと、
率意=思いのままに。
とでていて、卒意はなし。

率爾=思いたつまま
卒爾=にわかに

率然=にわかに
卒然=いきなり。だしぬけに。

とある。
そして、率のところでは、「卒」と通じ、にわかに。とある。
卒のところでは、率にも通じるとある。
なおかつ、卒の語彙は、率字条参照とある。
なら、どちらでもよさそうである。

率意、卒意の反対は、作意(着想あり)? 作為(作る)? 刻意(心をくだく) 用意(心を使う)?

3年前に逝去した今井先生は、「率意」と「卒意」について、きちんと整理されている。

 
 よく準備し、時間と手間をかけて完成した書を「用意の書」と呼んでいる。用意の書のことを「作意の書」ともいうが、この場合は、あれこれ考えすぎた、技巧をこらしすぎた、という意味があって、良い意味には使われないようである。
 用意の書に対して、「卒意の書」又は「率意の書」という言葉がある。卒意というのは、草卒に、にわかに、の意であって、用意の書と書写の状況はまさに正反対である。率意の「率」字には、草卒の意味もあって、卒意と意味が通じるが、本来は「したがう」意味である。即ち、習い覚えた書法や自ら尊敬している書、自分の立てた構想、などにとらわれることなく、心のおもむくままに書きあげた書のことである。卒意と率意には、こうした微妙なちがいがあると思う。用意の対語としては卒意がぴったりであるが、良い書の条件としては、率意のほうがふさわしい。
(以下略)

参考になる一文であるが、要は、自然の性情に従うまでの率性が備わっていなければ、もとのもくあみ。
人間の性情が問われる仕事が、書なのだと思う。


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