OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

列子 湯問

2017年12月24日 | 文化・芸術
観音様の本堂には、昭和に納められたであろう四曲屏風があって、草書の作品でまったく読めない、というので、写真に撮って家で解読にかかる。
落款まで気楽に書いて自在な作品であったが、「列子詩」とあって見当がついた。

そこには、琴の名手である伯牙が、高い山へ登ることを考えながら琴をひくと、まるで泰山のように高く険しい思いがし、川の流れを思いながらひくと、揚子江か黄河のような広々とした思いがする、と、鐘子期は、その伯牙の心情まで感じ聴きいったという。
そんな箇所を、桂令さんという名もないようだがいい書を残した書家は書いた。

伯牙と鐘子期の故事のように、音楽に限らず、こういう鑑賞者がいることが、演者や作者を育てるのだろう。




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