お寺さんぽ Ver.03

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闘うお坊さん 「下間頼廉」 後編

2010年07月18日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日も十一世法主「顕如(けんにょ)」率いる「石山本願寺」の執事「下間頼廉(しもつま・らいれん)」です。
「石山合戦」などに参加した多くの僧の中でも、単なる文官にとどまらない優秀な戦術家として活躍するのでした。


法主「顕如」は公家衆に近づく一方で一向宗を組織化し、多大な権力を握っておりました。
戦国大名らも手出しができないほどの勢力を有し、この時の「石山本願寺」は、間違いなく最盛期を迎えていたのです。

永禄十一年(1568)
そうした中、ついに「織田信長」は上洛を果たしました。
畿内掌握を目指して活発な軍事活動を続ける信長との関係は良好には進まず、ついに全面戦争へと突入してしまうのです。

ここ元亀元年(1570)からの争いが、いわゆる「石山合戦」でした。
当時の信長は擁立した将軍「足利義昭」との関係が冷え切っており、義昭は織田勢を排除するべく”信長包囲網”を形成していくのです。
その反対勢力に加わった「顕如」は、上杉氏、武田氏、毛利氏らと同盟を結び、本拠「大坂御坊」に籠城。
徹底抗戦を続けるのです。

この「大坂御坊」は単なる本拠館ではありません。
「蓮如」が隠居先として選んだそちらは、四面を川に囲まれた上に小高い山も多く、地形的にも優れた難攻不落な要塞と言えるものでした。
山科にて攻撃を受けた過去の経験から、しっかり軍備を整えていたんですね。
こうして年々勢力を増していったことで、実際に細川氏の攻撃を寄せ付けなかったほか、織田勢の攻撃にも長年耐え抜いているのです。
その他権力者、大名らも武力を怖れ、手出しできませんでした。
…まぁ、信長が見逃せなかったのも当然ですわね。

今回の主人公「下間頼廉」は、籠城した本願寺では直接の指揮官です。
越前に派遣されていた「下間頼照」が「明智光秀」・「羽柴秀吉」らに翻弄されたのと対照的に、しばしば織田勢の裏をかくなど、僧であったものの優秀な戦術家でもありました。

天正四年(1576)の「天王寺合戦」では、「小早川隆景」の毛利勢と共に木津の砦を守備。
織田勢の将「原田直政」を討ち取るという、大きな手柄を挙げています。
本願寺勢の実質的な大将として織田勢からよく防戦し、毛利氏・雑賀衆との連携によって、七年間という籠城戦を戦い続けるのでした。

雑賀衆の伝説的な武将「鈴木重秀(雑賀孫一)」と共に、
「大坂之左右之大将」
と称されていたそうです。

天正七年(1579)
しかし、「九鬼嘉隆」率いる水軍に「木津川口海戦」で毛利氏が敗れ、補給が断たれたことで法主「顕如」は講和を模索するようになりました。
まだ一年ほど戦う与力はあったとも伝えられていますが、実際のところは微妙であったと思います。

信長包囲網は既に瓦解しており、「顕如」も”援軍なければ当寺は相果てること必定”と、弱気な支援要請をしています。
織田軍の前に、敗色濃厚だったのです。

続く八年の頃になると紀州・加賀も織田勢に制圧されており、ついに「正親町天皇」からの勅命を受けた「顕如」は信長へと屈服。
本願寺を退去することとなりました。
この時は「下間頼龍」や「下間仲孝」らと共に、頼廉も講和条約署名三名の一人となっています。

合戦後は「顕如」に従い、本願寺を退去。
彼と共に各地へ赴き、織田勢に対して抵抗を続ける門徒らの説得に当たっています
その信頼は非常に厚く、署名に加わった先の三名へ当てた書状でも筆頭として名前が書かれており、後の慶長五年「徳川家康」との会見でも随従しているのでした。

天正十七年(1589)
京都へ帰った頼廉は「豊臣秀吉」から七条猪熊に宅地一町を与えられ、「下間仲孝」と共に本願寺町の奉行を命ぜられました。
死去は寛永三年(1626)と、当時としてはなかなかの長命だったようです。


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信長が宿敵 本願寺顕如
鈴木 輝一郎
毎日新聞社

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※なるほど、信長のライバルは本願寺ですかねー。
 政秀寺とかあるんですが。


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