お寺さんぽ Ver.03

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予言的中「安国寺恵瓊」 (中国大返し・山崎合戦)1

2008年10月30日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、「洞ヶ峠の日和見」、「天王山」、「三日天下」…など、現在でも引用されることの多い、それら故事と関わる「山崎合戦」、さらには最も秀吉の真価が発揮された「中国大返し」についてお送りいたします。
時代の覇者「織田信長」の死後に、いったい何があったのでしょう?


「高ころひにあをのけにころはれ候すると見え申候」

天正元年(1573)
こちらは「本能寺の変」から九年前のこと。
毛利家の外交僧「安国寺恵瓊(あんこくじ・えけい)」はそんな言葉を残しています。

”信長の代は数年もち、やがて公家にまで昇進するかもしれないが、やがて滅ぼされるだろう”

だいたいそんな事を予言していたのです。
なお、恵瓊はさらに続けてこうも言っておりました。

「藤吉郎さりとてハの者ニて候」


天正十年(1582) 六月二日 「本能寺の変」
主君「織田信長」は毛利氏と対峙する「羽柴秀吉」救援のため、「本能寺」に宿泊。
この時、護衛は百名にも満たなかったと言います。
援軍を命ぜられていた「明智光秀」は突如中国への軍を返し、本能寺を襲ったのです。
ここで、信長は自害。
享年四十九。

なお、京都「妙覚寺」にあった嫡男「織田信忠」は報を聞いて駆けつけるも間に合わず、続いて襲いかかった明智勢と二条御所に入って戦い、そこで自刃。
こちらは享年二十六。

…その悲報から、十一日後の六月十三日。
当時は信長の一武将に過ぎなかった、後の太閤「羽柴秀吉」は驚異的なスピードで中国路を駆け戻り、巧みな智略によって後継者の座を手に入れるのでした。

その、京都府は乙訓群大山崎町で明智勢に挑んだ合戦こそ、「山崎合戦」なのです。
書かれた日付から分かると思いますが、こちらは日単位にてめまぐるしく事が運ぶという特徴があるのです。
それでは、順に両軍の動向を見てみましょう。


■六月三日 「秀吉、悲報に接する」
過去のブログでも書いておりますが、報が届いたのは夕刻でした。
暗さがため、毛利氏の陣所を目指していた伝令が誤って秀吉の陣中へ入ってしまったのです。
まさに、歴史を揺るがした世紀の大失敗です。
なお、「御運の開ける時がまいりました」とかなんとか、「黒田勘兵衛孝高」が余計な一言を言ったのもこの時。
ひでるさんも余計なひと言が多いですが、気をつけたいものです(笑)

ここで報を受けた秀吉は、信長の訃報を極秘扱いとしました。
その一方で、現在「高松城」を挟んで対峙する毛利氏との早期講和を決意したのです。
さっそく外交僧「安国寺恵瓊」を呼び出し、紆余曲折の末に和睦を結ぶのでした。

その毛利氏。
将軍「足利義昭」が追われ、支援していた本願寺が退去したことで、織田勢の矢面に立っていた毛利氏。
鳥取城が陥落するなど日々不利になる戦局、また難攻不落として知られる高松城が水没させられるという奇想天外な戦術を目の当たりにし、こちらも講和を模索していたのです。
耐え続けていた城将「清水宗治」の切腹だけは避けたかった毛利氏との交渉は難航。
しかし、当人が承諾したため、ここに和議が成立したのでした。


そうとは知らない「明智光秀」は京都「阿弥陀寺」にて、本能寺・二条城にて戦死した霊を弔うべく弔慰法要を行っています。
各寺院に多額の寄進をするなど、余裕のあるところを見せておりました。


さて、何度かこのブログで書いている通り、「本能寺の変」が起こった際には、織田家の重臣らは各地にて戦闘中でした。
筆頭家老「柴田勝家」は北陸らて上杉勢と対戦中。
家老「丹羽長秀」は堺にて「織田信孝」と共に四国攻めの準備中。
関東管領「滝川一益」は上野「厩橋城」にて足場固めの最中。(※当初北条家は協力体制にあった)
信長の盟友「徳川家康」は堺見物中。

そして前述しているように、中国方面司令官「羽柴秀吉」は毛利氏と対戦中でした。
この時点で、光秀の戦略は完璧だったのです。
あとは細川・筒井らの諸将と共に畿内を制圧し、各地の大名らと連携して織田家司令官らを各個撃破して葬る…。
それが短期間で崩されるとは、この時点では夢にも思わなかったことでしょう。

⇒ つづく。
  次回は「家中を抑える小早川隆景」(2/6)


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