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決着!軍神の後継者 (御館の乱)6

2008年10月02日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
こないだより、軍神「上杉謙信」の後継者争いとして有名…なのかな、どうかなという「御館の乱(おたてのらん)」についてお送り致しておりますが、これがラストです。

生涯で妻帯しなかった謙信には、上田長尾氏「長尾政景」からの、上杉・北条の越相同盟の際に本来は人質として送られてきた「北条氏康」の八男という二人の養子がおりました。
利害打算、入り組んだ人間関係がため、それぞれ養子を擁立した二派は国内を真っ二つにして争うこととなってしまったのでした。


天正六年(1578)三月、軍神「上杉謙信」死去。
素早く行動を開始した養子「上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)」は「春日山城」の本丸を占拠。
内外へ”謙信の後継者”であることを宣言し、約三万両といわれる遺産をも手中にしたのです。
一方、養子「上杉景虎(うえすぎ・かげとら)」は前関東管領「上杉憲政」の屋敷「御館」へ向かって対抗。
”血統”を最大限に利用し、武田、蘆名、そして実家である北条家の支援を受けた景虎勢によって、逆に景勝勢は危機に陥ってしまったのです。


切羽詰まった景勝勢。
ここで、武田家の内部事情を察する景勝勢は、誰のアイデアか”一か八か武田勢に和議を申し入れる”こととしたのです。
この和平・買収に活躍したのが、”越後の鍾馗”と呼ばれる武勇の重臣「斎藤朝信」でした。

「赤田城」の朝信は「長尾政景」に次ぐ地位とも言われてる越後国人衆の一人で、早くから景勝を支持しておりました。
「武田勝頼」の陣へと赴き、見事和睦をまとめてくるのです。
その際に提案した条件は、
「一万両と言われる黄金の提供」、さらに「領土の割譲(上野)」でした。

これがよくお話とかにあるそのまま、「直江兼続」の発想だったらスゴイんですけど…当時はまだ景勝の参謀っぽくはなかった様子なので違うかなぁ。

なにはともあれ、度重なる遠征で国力疲弊していた「武田勝頼」にとって、この提案は大変に魅力的でした。
心を動かされた武田勢は八月頃には景勝勢と和議を結び、さらにその異母妹「菊姫」を正室に迎えることを約束したのです。
(※輿入れは十二月のこと)

大金と領土を得たこの判断は、一時的に武田家を潤したかもしれません。
しかし、これで北条家を敵に回してしまった武田勢は、北条・徳川・織田と四方を敵に囲まれることとなり、結果的に滅亡の直接原因となっております。
戦術はともかくとして、どうしても戦略眼には欠ける勝頼なのです。
まぁ、彼も完全に後継者として遇されておりませんので、視野が狭いのは仕方ないことなのかもしれませんが。

ともかく、こうして景勝は武田勢の脅威を除くことに成功したのでした。
続いて冬が近づく九月末になると、「北条氏照」は「北条高広」、その嫡男「北条景広」、「河田重親」ら景虎勢を「樺沢城」などに配置し、あっさり帰国してしまうのです。

じわじわと戦況を覆しつつあった景勝はその隙を逃さず、大軍を率いて反撃に転じ、「御館」を包囲・攻撃。
その総攻撃に一ヶ月間は耐え続けたものの、遂に落城してしまうのでした。
これは、乱の勃発から一年後のこと。

落城からはどうにか逃れた景虎ですが、景虎派であった「堀江宗親」の「鮫ヶ尾城(新井市)」へ立ち寄って謀反に遭い、そこで追い詰められて自害。
享年二十八。


なお、和睦を模索し、景虎の嫡男「道満丸」と共に脱出していた前関東管領「上杉憲政」ですが、その途中「四ツ屋砦(上越市)」にて惨殺されております。

また、影響力のあった一門衆の景信が六月居多浜の合戦にて「村上国清」に討ち取られ、最大の支援者であった「北条景広」も天正七年二月の合戦にて討死するなど、核となる将が次々と脱落していったことが、敗北原因の一つであるかもしれません。

こうして、景虎以下有力者の死によって決着したように見えますが…実は、各地に残っていた景虎勢残党はその死後も抵抗を続けているのです。
交戦を続けていた「本庄秀綱」の「栃尾城」は天正八年四月に敗走。
前述しましたが、「北条城」の北条親子は、天正七年二月の合戦にて嫡男景広が討死、父高広は武田家へ逃亡しております。
(※上野から越後へ入った景広は「上条政繁」の家臣によってあっさり殺害されたという説もありました)
越後旗本衆「神余親綱(かなまり・ちかつな)」も抵抗し続けていたようです。

乱が完全に終結するのは、三年後の天正九年(1581)二月でした。
長きに渡った越後の内乱は景勝勢に勝利をもたらしましたが、同盟者武田氏は追い詰められ、能登・越中の地には「柴田勝家」を総大将とした織田勢北陸方面軍が侵攻。
さらに南からは北条勢というように、各地にて大苦戦を強いられるのでした。
はっきり言って、滅亡の危機を迎えていたのです。
それを救ったのは…………。


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坂上 天陽
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