故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「爽やかな朝」です。
自画像です。欲張りで若めになっています。
いや、6年前はこうだったかもしれない。
体操・全日本選手権で内村航平さんが、鉄棒で素晴らしい演技を見せトップの成績を残した。
内村さんは、32歳である。
東京オリンピックに出ることより、日々できるかなと挑戦することを大事にしたいと言われた
今日のタイトルは、「できるかな」です。
6年前に、この地に移住してきて、まんまの空き家を再生し、付属の荒れた庭と畑を開墾した。
畑に広がる篠竹の根(地下30cm)とセイタカアワダチソウ草の根(地下1m)を掘り起こした。
新しい土地と家を紹介された。畑も山も一緒にお願いされた。
紹介した不動屋さんが言う。
あなたが住んでいる所は、平地でしょう。
あなたが開墾したのは、6年前のことでしょう。
それまで饒舌だった私は、次の言葉を飲み込んだ。
不動産屋さんも私も、「できるかな」と各々想像した。
この辺りの私達世代では、草刈は草刈り機付属タンク一つ分と決まっている。
昨年の晩秋以来草刈をしていなかった。
今年初めて草刈をした。
腿の裏がつって眠れなかった。
妻の勧めで、ストレッチをすることにした。
カフェに枕木や機器(60Kgオーバー)を抱えて設置したのも、6年前のこと。
時は残酷である。
そういえば、子どもの幼稚園の運動会のかけっこで、骨折をした父親がいたな。
防衛大で鍛えた匍匐前進の演技を披露してくれた人だった。
妻が、自分の甥に挨拶をするように勧めた。
素直に従った。
後の飲み会で、友人が妻に苦言した。
私の家が、妻の家より下ということはなかろう。
いやいや、年下の甥に挨拶をしたのは、間違えではなかった。
「できるかな」と悩むより、「できないな」の対策を練るのである。
助けてもらえる人を友達に持つしかあるまい。
それには、「どうしたい」とはっきり言うことである。
お金が助けてくれることもあるだろう。
ほーほけち 竹藪奥で 命がけ
2021年4月20日
絵のタイトルは、「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
過去にとらわれず、しなやかに未来を生きたい。
春一番なのか、雨に続き大風が吹いた。
トタン屋根の一部が、風にあおられカフェの前の道路を転がっていた。
空き家の小屋のトタン屋根と壁を補修した。
隣りの空き家の窓ガラス(一枚戸)が割れ、テレビのアンテナが屋根から落ちた。
どこまでやったら良いのか迷いもあるが、草刈に邪魔だし獣の棲み処になっても困る。
アンテナは細かくして燃えないゴミで出し、ガラスの代わりにべニア板を打ち付けよう。
今日のタイトルは、「捨てる神あれば拾う神あり」です。
もうすぐ移住の準備です。
田舎に住んでいた親の遺産を都会に根を張った息子が継承する。
都会の人が持つ空き家の、何とか住めそうな家と敷地が売れそうである。
買いたい人に、「それでは困る」と、売主は悩みの種である農地と山もつけて売りたいという。
買主は、そんな(負の遺産)のいらない。
話は決裂するかと思いきや、
「いいでしょう。家が気に入っているから畑も山も一緒で買いましょう」
「荒れた畑の維持経費もかかるから、値引きしてほしい」
「助かった。応じましょう」と話は急展開で合意となった。
「待った」と仲介業者(地元の不動産屋さん)が言う。
「あんた(売主)は、畑にある墓(8基)も一緒に売ると言うのか。それはない」と注意する。
墓の持ち主(一部で2基)である、地元に住む遠い親戚に、売主は「墓守」を依頼し、畑を譲渡する。
畑の売買も譲渡も、持ち主が変わる時農業委員会の許可が必要となる。
優遇税制を受ける(20年間だったか)農地転用は、慎重に施行される。
売主が持て余していたやっかいな畑を、買主は買わなくてもよくなった。
売主は、一気に長年の心配事が解決した。
不要物が、我が家にも溢れている。
移住の際、必要なものは限られている。
鍋釜など、毎日使うもの、少なくとも一年以内に使うものだけになる。
あとに続くのは、趣味の一品である。すぐに続けることに限る。
あとは、捨てる。必要とするものがいれば、「使って」とあげることになる。
土地が変われば、その土地に行き求めればよい。
その土地でも不要となり溢れているものが、新しく住む者にとって必要なものである。
子供がいない義兄の持ち物であった、都会の古家を解体する。
墓守がいなくなった都会の墓も継承した。
都会にある私の持ち家は、息子に譲った。
都会にいたら、怖気づき何もできなかっただろう。
まんまの空き家を片づけ、住み、耕作放棄地を耕したから勇気が出たのであろう。
悩むことはない。どうしたいか強い意思で想いを発信すればよい。
歳をとり、虎の子は限られている。
捨てたい人のやっかいものを拾うことになった。
大事に使わなければならない。
友人は、継承した親の財産(家&畑)を、無償で住みたい若者に譲った。
その後を、友人に代わって見届けた。
新しい住人が大事に上手に使いこなしていると、友人に報告した。
友人は、安堵し喜んだ。
息子に事の次第を逐一伝えることにしている。
近い将来、彼が背負うことになるであろう、厄介ごとをKnow-howごと伝えようと思う。
伝えるは 価値と想いで ものならず
2021年4月19日
<<あとがき>>
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、
一方で見捨てる人がいるかと思うと、他方で救ってくれる人がいる。
世間は広く、世の中はさまざまだから、くよくよすることはない。
(広辞苑より)
フリーマーケットなるものがあります。
時々、「こんな値段で売れた」と喜ぶ声を聞きます。
買った者は、永年欲しかった掘り出し物を見つけたよと喜ぶ。
私は、カフェで銘入りの高価な茶碗を使っています。
友人が両親から継承した古家を解体するとき、趣味人の父君が収集した茶碗の処理に困りました。
それを無償で譲り受けました。
もったいないくらい良いものです。ちょっとだけ、デザインが古い。
私は、譲ってくれた友人に、地域で採れたものあるいは私達の手作り品を続けて送っています。
ここでは誰も見向きもしない、山菜、山椒の実、茗荷、筍や柿と自家製野菜です。
都会では売ってないし、売っててもとても高価な代物です。
ここでは広島産の柑橘類が喜ばれ、広島ではこの地で採れたりんごが喜ばれるのと似ています。
(筆者)
別れの宴に友人が集まってくれた。
一年物の梅酒で乾杯し、時短の料理でもてなした。
いつまでも、忘れない。元気でいてね。
1分間で、嘘を見抜くゲームをやっていました。
矢継ぎ早に質問する。嘘をつく相手に考える余裕を与えない。
引き返し、少し角度を変えて同じ質問をする。
結果は、見事に嘘を見抜いていました。
キーワードは、嘘の上塗りはできないこと。
知らないことは、やはり知らない。
曖昧な答えを繰り返す。
今日のタイトルは、「聞く力」です。
世界中のミャンマー人がデジタルレジスタンスを繰り広げています。
SNS上で溢れる動画を時系列ごとに並べ一つの確信を得る。
動画に映っている人に電話をし裏を取る。
軍の政治の嘘を暴き、デジタル通信で世界中に発信する。
ここまでは、当事者の活動です。
投稿を読んで正しく判断できる人がいる。
暴力に屈し、反対意見を封じ込める体制下の国民にできることは限られている。
身近の人に始まり、世界中の人々が同情し、真実を知る。
そこからが問題です。
世界中の人々の「聞く力」が試されます。
民主主義国家が、軍事態勢に協力するものに制裁(資産凍結、渡航禁止など)をする。
世界の声を無視してビジネスを展開することはできない。
私は、国際的な機械メーカーに勤務したことがありました。
次から次に雨後の茸のごとくコピー会社が誕生しました。
開発費のかからぬコピー機は、飛ぶように売れた。
数十年の耐用年数を誇る機械です。
10年後故障し、摩耗部品を交換したい。
茸の会社は、すでにこの世に存在しません。
売り逃げです。
日本の会社(機械を購入する側)の担当者の言葉が沁みた。
「俺が偉くなっても、足を引っ張らない機械を導入したい」
少々高くても本物の会社から買いたい。
デジタル発信が、いじめの温床となる。
誰かの血がにじみ出る努力の結晶を、さも自分の開発品(オリジナリティー、真実など)のごとく発信する。
中国でカルビーがポテトチップスを生産し売り始めた。
コピーメーカーが追随し、少し安い価格で売った。
販売網を独占し、90%のシェアを誇った。
コピーメーカーの社員が、カルビーの製品を食べるにあたり、コピーだがよくできていると言い放った。
どちらが真実で、嘘なのか、人々が判断する。
一発で立ち直ったビール会社がある。
出会うほとんどの人が、俺が貢献者だとひっそりと話してくれた。
「聞く力」が試されています。
「利き酒」のように、本当の力が試されます。
真実を見抜く力です。
私達の良心に問いかけています。
真似許す 学んだあとに 試される
2021年4月17日
絵のタイトルは、「洗い清めて」です。
一人で食べるだけなら、こんなことはしないだろう。
スーパーで出来合いのモノを買えば済むことです。
美味しいものを食べさせたいから、悴む手を浸け洗い清めるのです。
人生は流転のごとし。
転職をし、移住を繰り返してきました。
いつも一緒にいるのは、家族であり友人です。
今日のタイトルは、「変化を楽しむ」です。
会社勤めの頃、転職、転勤の度に別れと出会いを繰り返してきました。
やっと慣れたのに、移らなければならない。
沖縄の亀甲墓は、産まれたところに戻ると伝わり、今のような形をしている。
札幌、福岡は転勤族にとっては、都合の良い場所らしい。
食べるにも、遊ぶにも適当な場所がらである。
何より、人々の懐が深い。
独居の生活も終わり、家族のもとに帰ると言うのに、涙の別れとなる。
一筆書きのような車旅をした。
出会う車もない夜の国道の一本道を駆け抜けた。
これこそ世界遺産と白川郷を俯瞰で見た。
どうしてこうなんと、山を越すごとに右に左に霧の中を進んだ。
ここの人たちは、毎日これを繰り返しているんだと胸が詰まった。
高速道路を使わぬ国道旅は、実に面白い。
些細なことで、妻と諍いを起こす。
普段、話し合いの少ない者にとって、限られた空間の車旅は実に愉快である。
ほんの30時間の車旅は、変化に富んだ人生の縮図でした。
暮らしも旅も、流転のごとし。
別れるのが辛い。
新しい希望があるとは言え、寂しいのである。
草を刈り、耕作放棄地の篠竹を刈り、まんまの空き家を住めるようにした。
汗を流した分、愛着がある。
それでも、「変化を楽しむ」と鼓舞しなければならない。
リウマチになり、癌になり、動けぬ体の屈伸運動を繰り返す人生も一人旅のようなもの。
それでも、生きねばならぬ。
人生は、時間が紡ぐ旅のひとつです。
移住もそんな人生の一コマでしょう。
大切なのは、友情です。
心に残る温かいものです。
「変化を楽しむ」者にとって、どんなに遠くにいても澄ませば聞こえる声が頼りです。
遠くドイツの友人から、移住して5年、カフェを4年もよく続けたねと、
コングラッチュレーションが届きました。
ドイツから見れば、ここも故郷も狭い日本で違いはないことでしょう。
ころころと 光りを映す ガラス玉
2021年4月16日
人々が、「このままここで」(絵のタイトル)と望むものの、
流転の旅は、続く。
空き家問題が、国家の難題になりつつあります。
空き家を見学した。
空き家になるには、理由がある。
古い。不便。その土地に魅力を感じない。付属しているものが好ましくない。
土地(環境)に魅力を持つと、古くても不便でも、余計な付属物があろうと苦にはならない。
例えば、街を歩いていてゴミが落ちていない、人々が親切である。
日当たりが良く、景観が良い。
こんな土地なら、多少の苦労(空き家の補修、草刈など)は気にならない。
今日のタイトルは、「移住の自由(Part3)」です。
移住の自由とは、どんな困難があろうと楽しめることです。
人々は、孤独では生きていけない。
移住者が、孤独を感じない環境があれば、なじんでいけるし、どんな努力だって惜しまない。
孤独を感じない環境とは、地域にウェルカムの雰囲気が溢れていることです。
人々の意識として、街をきれいに保つ、人には親切にする。
そのうえで、「何をしてもいいんだよ」と包み込んでくれる。
私たちが大事にしていることだけを守ってくれる人なら、誰でも歓迎だよという雰囲気です。
それは、一度訪ねたら感じます。どこか違う。
地域を大事にしない場所に移住者を募ったって、誰も来ない。
仲間に入れてくれてありがとう。
移住したその日から、胸を開いて、いっぱい空気を吸える。
民度が高い地域には、次から次に人が集まる。
期待されない不自由なんていつしか忘れて、自由にできることに夢中になる。
面白そうな人が来たと、地域に流れる空気は澱んでいない。
泡沫(うたかた)が 水草からめ とどまらず
2021年4月11日
<<参考>>
2019年3月28日投稿記事「移住の自由」では、
ミシガン大学の山下由紀子教授は、
「米国は決して完璧な国だとは思いませんが、自分が移民になったことはとても良かったと思います。
移民になると言葉も通じないですし、もちろん大変です。
しかし、自分がよそ者になると、ステレオタイプの期待をされなくなります。
私は何も期待されていない、ああしろ、こうしろ誰にも言われない。
ものすごく自由になりました。それが良かったです。」
(記事より抜粋)
と言われています。
2021年1月25日投稿記事「移住の自由(Part2)」では、
それを読んだ私は、
「山下さんが言われる「何も期待されない」孤独感を感じました。
地域おこしは、私にとって実験的なプロジェクトでした。
もっとも難解で、時代があらゆる解を求めていました。
自分に何ができるのか、確かめたくてこの仕事を選びました。」
と書いています。