本文とはまったく関係ない。
絵のタイトルは、「堂々と」です。
そう、堂々と生きておられます。
今日のタイトルは、「孤独」です。
孤独とは、
みなし子と老いて子なき者。
仲間のないこと。ひとりぼっち。
(広辞苑より)
いじめの問題がよく報道される。
加害者の孤独について考えた。
それより前に被害者のことを書こう。
ある時期、突然無視される。話しかけても無視される。
無視され弱っているものにいたずらをする。
反応が薄いとエスカレートする。
被害者は堪らず、誰かに相談する。あるいは、SOSを発信する。
相談した人から我慢しなさいと諭される。
我慢を通り越しているから相談した。
なかったことにする。傷は、一生涯癒えない。
助けてくれなかった人のことも忘れない。
犯罪者の再犯率は高い。
刑務所から出てきてまともになろうと職に就く。
なまった身体はいうことをきいてくれない。
過去について語れない。
刑務所の中の話に、入っていない人は誰も興味を持たない。
話す相手がいないと、人は孤独になる。
共感してくれるのは、昔の仲間である。
刑務所の中の苦労を共に話せる人は少ない。
また元に戻ってしまう。
いじめの加害者には、仲間がいた。
自分が被害者になることを恐れて、仲間となっている。
徒党を組んで、思い通りにふるまう。
徒党もいつしか離れ、一人になる。
誰も被害者になりたくないから、知らぬふりをして近づかない。
誰にも間違いはある。
間違いを、ことさら公にすることも必要ない。
人は、加害者だったことを忘れてしまう。
しかし、被害を受けたものは一生涯忘れない。
誤解であっても、その時受けた心の傷は忘れない。
小さな間違いのうちに、正すことができたら救われる。
自分でも気づかない加害について、正すことはできないものか。
ひょっとしたら、加害者は病気(精神疾患など)かもしれない。
もつれた糸(過去のダメージ)をほぐすことかもしれない。
腹がいっぱいになったら、「悪さをせんのんじゃけえ」と
不良にご飯を食べさせるおばさんがいた。
幾人かの不良は、また悪さをしたかもしれない。
おばさんは、ご飯を食べている時に話を聞いていた。
それはこうじゃないん。と一つずつ答えていた。
あのおばさんに助けてもらったと、一緒になった妻と訪ねて礼を言った。
これも一生涯忘れぬことだろう。
孤独は、なにも解決にはならない。
かと言って、相談したのちの裏切りも怖い。
悪いことも良いことも聞いてくれる人がいるとよい。
会社の愚痴は妻に話す。
私はそうして生き延びてきた。
親身かどうかは、別のこと。
まずは、話してみよう。
自ら解決の糸口とさらに戦う意欲が湧いてくるかもしれない。
そして、私たちはおばさんのようにご飯を食べさせてあげよう。
腹がいっぱいになったら悪さをせんのんじゃけえ。
ありさんに 大変じゃねえと 幼子が
2019年5月29日