故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、寝そべる女です。
今にも、こちらに寝がえりをうちそうな風情です。
それも困るなと、ニヤニヤが止まらない。
絶好調 妻が私の 負担なり
今日のタイトルは、「一時間もうけた」です。
単に、時間を読み違えただけです。
7時には出かけなければならない。
6時だと思ったら、まだ5時だった。
ただ、それだけのことです。
あなたは、一時間あれば何をしますか。
私は、小さな物語を書こうと苦闘することでしょう。
ありそうで無い。
無さそうである。
こんな物語のことです。
備中松山城(天空の山城)の城主さんじゅうろう君(推定三歳の雄猫)のことを
NHKで取材していました。
神官に正式に城主に任命され、城の観光大使として期待されている猫です。
きままな姿で、愛嬌を振りまくこの猫に会いたくて城を訪ねる人がいる。
推定樹齢千年の屋久杉を見たくて飛行機と船を乗り継いで、
険しい山を昇った暁に、その杉は太古の昔からそびえている。
暇があれば、何々がしたいと常日頃想っています。
いつの日か、暇でしょうがないとぼやくようになる。
そんな先輩が、大人の休日俱楽部を利用して、余市に出かけた。
小さなスナックのママを訪ねる旅でした。
これが最後かなと思ったそうです。
認知が少し始まった友人の父君が、座椅子に座ったまま後ろにひっくり返っている。
ええいままよとそのまま仰向けに寝てしまった。
息子が、起き上がれないのかと心配し声をかける。
起きてもやることがないから、このままでいた。
悠然と答えた父君も逝かれた。
一時間もうけた。
そんなこんなで、6時になった。
この一時間は何だったのか、改めて考えてみた。
一時間物思いにふけることができた。
面白いを探す小さな旅ができた。
また、こんな時間を過ごしてみたい。
こうして一日が始まる。
赤々と 燃えるストーブ 湯気昇る
2019年2月12日
(あとがき)
人生に味が出る。
生きていても良いかな。
パイプの紫煙のような時間のことです。
狡猾な 目と唇に 眼鏡かば
無駄な時間が潤いをもたらす。
そんな生き方がしてみたい。
(筆者)
大分県の山間で見た山国川です。
留まらぬ流れでした。
今日のテーマは、「移住」です。
移住とは、
他の土地または国へ移り住むこと。
開拓・征服などの目的で種族・民族などの集団がある土地から他の土地へ移動・定住すること。
(広辞苑より)
この地に来て、空き家を借りて住み始めました。
都会のように、不動産屋さんが介入した物件紹介ではありませんでした。
この家に住む最後の方が亡くなって、5年が過ぎた家でした。
紹介者も家の中を見たことがありません。
仕事で来たと思わない限り、即「ふざけんな」と断ってもよかったのです。
誰かが住んでいたころよりもひどかった。
箪笥や押し入れから物が出されたままでした。
泥棒が家探しをしたのかと思いました。
住んでいた方も捨てきれなかった、ごみを捨て傷んだ個所を治すのに費用がかかりました。
いただくはずの年収の半分が飛びました。
貴重な休日の6か月分を、片づけに使いました。
住み始めた翌日、近所の方が来られ道路に飛び出している垣根の木をすぐに切れと依頼されました。
放置された庭や畑を元の姿にするのに、3年を要しました。
放置した庭の木は、毛虫の巣でした。
家の前の畑は、しの竹とセイタカアワダチソウで覆われていました。
地域の皆(住民)が参加する草刈に参加させてもらえませんでした。
よそ者には関係ないことという理由でした。
土地の有力者に頼んで参加させていただきました。
移住するということは、開墾・開拓だと思いました。
今ではわかります。
移住者は、その地では最下層の住民です。
地縁も血縁もない。
地域のことを何にも知らない。
言ってみれば、食い詰めものです。
会って話をしてくれる人に、何かのお礼をしたいと思いました。
顔を覚える必要もあり、手習いのごとく似顔絵を描き始めました。
一枚描き上げるのに、2時間以上かかりました。
似顔絵を渡す前と後では、表情が変わりました。
私には、金も技術もありませんでした。
移住一年目に描いた似顔絵が、300枚でした。
野菜をいただきました。
お返しは、暗黙の決まり事です。
私たちはパンを焼き、お好み焼きを作り返礼としました。
三世代で暮らす人たちの胃袋を満たす量を作りました。
何をするにも知らぬことばかりでした。
相談しようにも、誰が何を得意にしているのか知りませんでした。
自己流でやっていました。
見かねて、多くの人が助言してくれました。
一人二時間、三人で半日がつぶれました。
野菜づくり以外に多くの情報を得ました。
地域には、見えない勢力図がありました。
何かをやりたくても、誰にも相談できませんでした。
大きな通りから我が家までの道に11軒あり、8軒が空き家でした。
人の家の草や木を刈る人はいません。
どこも、ひどいものでした。
直接、また都会に住む地権者に頼み込んで草を刈る許可をいただきました。
しの竹の林に終日籠り、伐り続けました。
クリーンセンターに切った草木を運ぶために軽トラックを買いました。
6か月も刈り続けた頃、かつては流行っただろうと思われる蔵カフェが姿を現しました。
ジャングルにパゴダを発見した気分でした。
地域の皆さんが、何十年もかけてやったことのおさらいを短期にやっただけでした。
地域おこしは、何なのと聞かれたならば、「住むことだ」と即座に応えます。
住む限り、楽しくなくてはならない。
誰もが思うことです。
それ以上でもそれ以下でもない。
かつては、栄えた通りの両岸の草や木が取り払われました。
散歩道として、使ってくれるようになりました。
まだ、道半ばです。
「移住」を考えてみました。
それは、開拓です。
自然も人も新たに取り組む試練です。
体力も知力も限界まで試される所業なのです。
また、同じテーマで書く機会があるでしょう。
妻と我 キンカン塗って また塗って
2019年2月9日
「去る者は追わず来る者は拒まず」というタイトルです。
朝焼けが、今日も始まったと告げる。
悩んだ夜から続く朝です。
身体も精神も順調な時は、9時に寝て4時に起きる。
あれやこれやと記事やメールを見て過ごすと、2時間はあっという間に経ってしまう。
今日のタイトル、「いつものように、6時になった」となります。
仕事先に出かけるまでの2時間が、自由時間です。
夏なら畑に出かける。
早朝ゴルフに行く。
冬には、洗濯炊事とできることをやる。
そして、ブログで一ひねりです。
人には体内時計というのがあって、時計がなくてもおおよその時刻が推測できる。
腹が減ったな。
喉が渇いたな。
暇だな。
何(ルーチンワーク)の時間だな。
帰る時間かな。ちと、飲みすぎた。
私にとって、この時間(いつものように、6時になった)は頭の整理と体操の時間です。
気にかかることや湧いてくることを、方向性を持った思考(嗜好、試行)に変える時間です。
タイトルを先に決めるのも、雑念を払いその事象に集中するためです。
タイトルに関することだけを書く。
日記と違う所以です。
6時になったからには、食事の支度と摂取、洗濯をし干す。と気がかりも同時に出てきます。
今日やらなければならない心配事も浮かんできます。
ええい、今は考える時間と後回しにします。
鳥のさえずり、ファンヒーターの回る音。
床から膝に忍び寄る底冷え。
空腹が喉まで突き上げる。
硬直した頭皮を和らげる。
タバコをくゆらせる。
どうにもまとまりを失うモードです。
タイトルを間違えたかなと悔やんでも、もう遅い。
描き始めた似顔絵は、最後まで仕上げる。
「いつものように」が曲者です。
ぐずぐずしていた証拠です。
夏休みの終わりに、絵日記をまとめ書きするような気分です。
「6時」は、最後通告のようなリミットの時間です。
寝床から這い出るように考えます。
這ゼミに、蝉になれよと告げる体内時計は何なのでしょう。
桜が咲くのは、三寒四温の季節があるからこそ。
温かくなって、慌てて植えたチューリップはとうとう咲かなかった。
人にも、その時間があるのでしょう。
私にも悶え苦しんだ恋の季節がありました。
そうかと言って、まとめる必要はありません。
結論も不要。
「いつものように、6時になった」とブログを書く。
ヨーグルト まとわりついて りんごジャム
2019年2月8日
短編小説「さなさん」で、さなが未来に向かって坂を走り下るシーンです。
絵のタイトルは、「はばたき」です。
今日のテーマは、「詩を書く」です。
詩とは、
中国の韻文の1体。「漢詩・詩吟」
文学の一部門。風景・人事などの一切の事物について起こった感興や想像などを
一種のリズムをもつ形式によって叙述したもの。押韻・韻律・字数などの律格あるものと、
散文的なものとがあり、また、叙事詩・抒情詩・劇詩などに分ける。ポエトリー。ポエム。
詩経の略。
(広辞苑より)
あれ、困ったことになりました。
確かに、流行歌や念仏にはリズムがあり、字数が極端に限られています。
俳句よりは、緩やかな程度です。
少ない字数のなかで、感興を著し伝えています。
そんなことを踏まえても、「詩を書く」ことをしたい。
小説を書き、挿絵を描く。
詩を書き、絵本にする。
ポエムの印象が強い。
そんなことがしてみたい。
流行歌のように情景が目に浮かぶ詩を書いてみたい。
津軽海峡・冬景色のように五感で感じる詩を書いてみたい。
頭でひねくり回すのではない、
ゴルフで捻転を使ってボールを飛ばすような詩を書いてみたい。
思い切り振り抜くような詩です。
日常を切り取ることができたらよい。
どんな仕草にも意味がある。
女が髪をかき上げる。おでこが出るのか、うなじが出るのか。
前後の詩が補完する。
男が髪に手を当てる。なにげない仕草に意味がある。
もう少し、考えようか。結論を前送りする儀式のようなもの。
そんな仕草を追いかけたい。
うつむくのだって、それぞれです。
素敵なひとを目の前にして、ハッとして、狼狽を隠せずうつむいてしまう。
頭の先に相手の視線を感じながら、顔を上げることができない緊張感を詩にしてみたい。
うなだれて、うつむく。早く小言が終わらないかな。
うつむくことは、視線を外し「無視」の意思表示なのに、わからぬ唐変木め。
一つの言葉が、たくさんの情景を思い出させてくれる。
苦労の汗、感動の涙、歯ぎしりするような悔しさを、一瞬で彷彿させる。
そんな詩を書いてみたい。
ほっこりと、はんなりと、浮き立つような抒情を文字に落としてみたい。
生きてきた感情を、滝のしぶきのように岩を砕き、苔を蒸す静かな鼓動にしてみたい。
そして絵本にしたい。
飛ぶなんて ありえないこと でもあると
2019年2月7日
苺が花をつけた。
タイトルは、「おはよ」です。
毎朝、まっさらな一日が始まる。
今日のタイトルは、「もう少し」です。
先輩と一緒にゴルフができることになりました。
二人だけだと料金が嵩むので、先輩が先輩の友人を誘ってくれました。
先輩を含め、3人ともゴルフ上級者です。
迷惑をかけること必定です。
先輩たちも年配者です。100を切ればなんとかなるでしょう。
年齢との追っかけっこのようなゴルフ上達です。
もう、少しと頑張るしかないでしょう。
もう、少し。
私たちは、そうして頑張ってきました。
もう少しの先は、想像していたものより厳しかった。
もう少しと思ったときは、現状維持で生活できると考えたものです。
現状維持なんてとんでもない。
体力、知力はもとより精神力の減退が著しい。
一時期、年金をもらいながら給料もいただく。
年金分は、貯金しよう。
ところができない。
永年の不摂生が祟り、身体中故障だらけです。
メンテナンスにかかる費用は、想像を超えるものでした。
もう少しと、思わないことにしました。
延長戦もない。
頑張るのをやめました。
なるようになるさ。
今日は今日、明日は明日のこと。
悔いを残さぬよう、今日できることをやるだけ。
明日もあるさと疑いもしなかった。
だから、もう少しと頑張れた。
今の「もう、少し」は、残ったものがもう少しあるだけ。
特効薬なんてありはしない。
もう少しがないと気づいてから、日々の張り合いについて考えた。
どこまで行っても、無いものねだりが続きます。
そんなのつまらない。
あるものを数えました。
結構あるもんです。
歌だってうまくなった。下手は下手なりに歌えばよい。
歌詞が理解できるだけましになった。
演ずることだって、恥ずかしくない。
ゴルフもやってる数だけ上達した。
たまたま、うまくいかなかっただけと思えるようになった。
人に頭を下げることができるようになった。
これは、大進歩です。
若い人に教えてもらうことを厭わなくなった。
だから、コンピューターもスマホも使えるようになった。
絵手紙も必要に迫られて始めました。
今では、カフェの色取りになっている。
線探し、色探しをしているだけの絵手紙です。
「もう少し」なんて、なんにもならない。
何事も終わりにして、また始めたらよい。
もう少しに未来はないのだから。
もう少し 続く明日こそ 未経験
2019年2月6日