故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

移住

2019-02-09 05:35:22 | よもやま話

大分県の山間で見た山国川です。
留まらぬ流れでした。


今日のテーマは、「移住」です。
移住とは、
他の土地または国へ移り住むこと。
開拓・征服などの目的で種族・民族などの集団がある土地から他の土地へ移動・定住すること。
(広辞苑より)
この地に来て、空き家を借りて住み始めました。
都会のように、不動産屋さんが介入した物件紹介ではありませんでした。
この家に住む最後の方が亡くなって、5年が過ぎた家でした。
紹介者も家の中を見たことがありません。
仕事で来たと思わない限り、即「ふざけんな」と断ってもよかったのです。
誰かが住んでいたころよりもひどかった。
箪笥や押し入れから物が出されたままでした。
泥棒が家探しをしたのかと思いました。
住んでいた方も捨てきれなかった、ごみを捨て傷んだ個所を治すのに費用がかかりました。
いただくはずの年収の半分が飛びました。
貴重な休日の6か月分を、片づけに使いました。

住み始めた翌日、近所の方が来られ道路に飛び出している垣根の木をすぐに切れと依頼されました。
放置された庭や畑を元の姿にするのに、3年を要しました。
放置した庭の木は、毛虫の巣でした。
家の前の畑は、しの竹とセイタカアワダチソウで覆われていました。
地域の皆(住民)が参加する草刈に参加させてもらえませんでした。
よそ者には関係ないことという理由でした。
土地の有力者に頼んで参加させていただきました。

移住するということは、開墾・開拓だと思いました。
今ではわかります。
移住者は、その地では最下層の住民です。
地縁も血縁もない。
地域のことを何にも知らない。
言ってみれば、食い詰めものです。

会って話をしてくれる人に、何かのお礼をしたいと思いました。
顔を覚える必要もあり、手習いのごとく似顔絵を描き始めました。
一枚描き上げるのに、2時間以上かかりました。
似顔絵を渡す前と後では、表情が変わりました。
私には、金も技術もありませんでした。
移住一年目に描いた似顔絵が、300枚でした。
野菜をいただきました。
お返しは、暗黙の決まり事です。
私たちはパンを焼き、お好み焼きを作り返礼としました。
三世代で暮らす人たちの胃袋を満たす量を作りました。

何をするにも知らぬことばかりでした。
相談しようにも、誰が何を得意にしているのか知りませんでした。
自己流でやっていました。
見かねて、多くの人が助言してくれました。
一人二時間、三人で半日がつぶれました。
野菜づくり以外に多くの情報を得ました。

地域には、見えない勢力図がありました。
何かをやりたくても、誰にも相談できませんでした。
大きな通りから我が家までの道に11軒あり、8軒が空き家でした。
人の家の草や木を刈る人はいません。
どこも、ひどいものでした。
直接、また都会に住む地権者に頼み込んで草を刈る許可をいただきました。
しの竹の林に終日籠り、伐り続けました。
クリーンセンターに切った草木を運ぶために軽トラックを買いました。
6か月も刈り続けた頃、かつては流行っただろうと思われる蔵カフェが姿を現しました。
ジャングルにパゴダを発見した気分でした。

地域の皆さんが、何十年もかけてやったことのおさらいを短期にやっただけでした。
地域おこしは、何なのと聞かれたならば、「住むことだ」と即座に応えます。
住む限り、楽しくなくてはならない。
誰もが思うことです。
それ以上でもそれ以下でもない。
かつては、栄えた通りの両岸の草や木が取り払われました。
散歩道として、使ってくれるようになりました。
まだ、道半ばです。

「移住」を考えてみました。
それは、開拓です。
自然も人も新たに取り組む試練です。
体力も知力も限界まで試される所業なのです。
また、同じテーマで書く機会があるでしょう。

妻と我 キンカン塗って また塗って

2019年2月9日
コメント
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