絵のタイトルは、「めんそーれ」です。
屋根の上や門の上で、来るもの去る者に幸あれと願ってくれてるようです。
今日のタイトルは、「わかってもらえぬか」です。
繰り言は、年寄の専売特許かと思いきや、
若いものも同じじゃった。
世間を知らぬばかりに、若者の悩みは深く漠然としている。
想いのはけ口を弱いものへぶつける。
友達だったり、母親だったりする。
あなたのことを一番心配している人に拗ねて見せる。
世間の荒波に揉まれるうちに、悩んでいるのは自分だけじゃなかったと気づく。
できたと思った友達の幾人かに裏切られる。
いわば弱肉強食。負けてられるかと頑張る。
食わなきゃ生きていけないから、歯を食いしばる。
そんな風にみんなが生きてきました。
「わかってもらえぬか」と、悔しくて目が覚める。
地域おこしの仕事について三年が過ぎようとしてる。
地域の問題点は、コミュニケーション不足にあるんじゃないかとこの頃思う。
どこやらの成功例をコピーしようとしてもうまくいかない。
安直で簡単な解決方法などない。
「見て聴いて話す」はずなのに、
都合の悪いことには、目をつぶり耳を塞ぐ。
言いたいことを堂々と言わない。また言えない。
退職したい人の手助けをする業者がいるという。
勤めている会社に、理由を言って辞めることが煩わしいのである。
「外側目線で、内から発信」などと、地域の問題点をよそ者に依頼する。
国の税金を使って地域おこしをしてきました。
私は、評価される立場です。
税金の無駄遣いだった。
いや、それなりによくやった。
税金は、無駄ではなかった。
地域に波紋のようなカフェを開店した。
点から点の生活をする人たちの立ち寄り場所になったでしょうか。
任期三年が過ぎようとしている。
どうするのかと聞かれる。
もう、三年はカフェを続けると答える。
赤字(投資分)のままでは終われない。
結果(利益)を出さなければ、後のものにも引き継がれない。
コミュニケーションは、人が集うことで始まる。
人を訪ねることで磨かれる。
皆が、生活のために仕事を持っている。
そんな中でも無償で地域の草刈をする。
あぜ道のような道を整備する。
私は、似顔絵を描いてきた。
人々の美しいところを見つけようと描いてきた。
思わぬ笑顔に描いてもらったものが喜んだ。
その似顔絵を額に入れて、身近に置いてくれている。
それこそ、私の望むところです。
コミュニケーションは、息をするようなもの。
笑って泣いて癒されて、そんな場所があったらよい。
きっと、足りなかった何かに気づき、何かが始まると信じている。
「わかってもらえぬか」でした。
嘆くより、一人でも新しい友達ができたことを喜んでいる。
時期が来て 芽を出し萌えて 花となる
2019年2月26日