故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

わかってもらえぬか

2019-02-26 04:52:17 | よもやま話

絵のタイトルは、「めんそーれ」です。
屋根の上や門の上で、来るもの去る者に幸あれと願ってくれてるようです。


今日のタイトルは、「わかってもらえぬか」です。
繰り言は、年寄の専売特許かと思いきや、
若いものも同じじゃった。
世間を知らぬばかりに、若者の悩みは深く漠然としている。
想いのはけ口を弱いものへぶつける。
友達だったり、母親だったりする。
あなたのことを一番心配している人に拗ねて見せる。

世間の荒波に揉まれるうちに、悩んでいるのは自分だけじゃなかったと気づく。
できたと思った友達の幾人かに裏切られる。
いわば弱肉強食。負けてられるかと頑張る。
食わなきゃ生きていけないから、歯を食いしばる。
そんな風にみんなが生きてきました。

「わかってもらえぬか」と、悔しくて目が覚める。
地域おこしの仕事について三年が過ぎようとしてる。
地域の問題点は、コミュニケーション不足にあるんじゃないかとこの頃思う。
どこやらの成功例をコピーしようとしてもうまくいかない。
安直で簡単な解決方法などない。
「見て聴いて話す」はずなのに、
都合の悪いことには、目をつぶり耳を塞ぐ。
言いたいことを堂々と言わない。また言えない。
退職したい人の手助けをする業者がいるという。
勤めている会社に、理由を言って辞めることが煩わしいのである。
「外側目線で、内から発信」などと、地域の問題点をよそ者に依頼する。

国の税金を使って地域おこしをしてきました。
私は、評価される立場です。
税金の無駄遣いだった。
いや、それなりによくやった。
税金は、無駄ではなかった。

地域に波紋のようなカフェを開店した。
点から点の生活をする人たちの立ち寄り場所になったでしょうか。
任期三年が過ぎようとしている。
どうするのかと聞かれる。
もう、三年はカフェを続けると答える。
赤字(投資分)のままでは終われない。
結果(利益)を出さなければ、後のものにも引き継がれない。

コミュニケーションは、人が集うことで始まる。
人を訪ねることで磨かれる。
皆が、生活のために仕事を持っている。
そんな中でも無償で地域の草刈をする。
あぜ道のような道を整備する。

私は、似顔絵を描いてきた。
人々の美しいところを見つけようと描いてきた。
思わぬ笑顔に描いてもらったものが喜んだ。
その似顔絵を額に入れて、身近に置いてくれている。
それこそ、私の望むところです。

コミュニケーションは、息をするようなもの。
笑って泣いて癒されて、そんな場所があったらよい。
きっと、足りなかった何かに気づき、何かが始まると信じている。

「わかってもらえぬか」でした。
嘆くより、一人でも新しい友達ができたことを喜んでいる。

時期が来て 芽を出し萌えて 花となる

2019年2月26日
コメント
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