故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

空き家の片づけ

2018-09-15 05:26:42 | よもやま話

墓地の隅にあった小堂です。
タイトルは、やることがいっぱい。
そう言われているような気がしたものです。


今日のタイトルは、「空き家の片づけ」です。

表通りから、狭い路地を入ってくるとカフェがあり自宅があります。
通り沿いに13軒あり、そのうち8軒が空き家でした。
空き家だったカフェと自宅を再生しました。
住むため、開店のためとはいえ、なかなかの作業でした。
あれ、こんなところにカフェがある。と皆さん訪ねてくれます。
通りの景観を維持するために草刈りをしています。その数5軒。
自分が決めたことと頑張っています。

今日から川崎に行き、義兄が住んでいた空き家の片づけです。
気が重いのですが、これも自分が決めたことです。
カフェは約10日間のお休みをいただきました。
その間、義兄の納骨もします。

空き家の片づけは、不要なものとそうでないものの区分けをします。
ほとんどが不要なものです。
ごみ収集の曜日に合わせ、指定の袋に入れて捨てていきます。
残るのは、仏壇、大きな家具と家電製品です。
日を改めて、業者に引き取っていただきます。
思い出の品は、ほんの少しです。しかし、一番手間取るでしょう。
何が出てくるのか、不安と少しの楽しみです。

生きているうちにできないものかと、誰もが思うことでしょう。
まだ出来ると、もう出来ないの境が判りません。
人が生活しているから、他人が勝手なこともできません。
必要最低限の空間だけで暮らすようになると、他の空間は手つかずです。
自分のテリトリーで不要なものは、
捨てることをしないで、手つかずの空間に移動させることになります。
なるべくしてゴミの山です。
このメカニズム(生活サイクル)が判ると、その家の不要物の判断も容易です。
一年間使ってないものは、不要物なのです。
二度と使う気もないから、あることさえ忘れてしまう。
空き家の片づけは、その不要物の山を丹念に崩すことなのです。

このブログも少しの間お休みです。

家がある 灯消えて 声もせず

2018年9月15日
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コーディネート

2018-09-14 07:31:16 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「肝っ玉かあちゃん」です。
単身チュニジアから来て、チュニジアと日本の文化交流に尽力されています。


今日のタイトルは、「コーディネート」です。
地域おこしの仕事にインバウンドがあります。
地域外の方達に来ていただいて、地域の魅力を知っていただく。
地域外の良さを地域の方たちに知っていただき交流を深める。

二年連続で、中学生に「チュニジア国際交流授業」を開きました。
チュニジア人の先生が地域の中学を訪問し、アラビア語の授業をします。
英語でチュニジアを紹介する。中学の英語の先生が通訳をする。
中学生は、簡単な英語は理解する。

中学生は、アラビア語の法則を学び自分の名前を書く。
それを、チュニジア人の先生がその日のうちに添削して返す。
アラビア語の勉強の後は、チュニジア音楽にあわせてチュニジアダンスを踊る。
中学生も見よう見まねで音楽に合わせて踊り出す。
エキゾチックな踊りに、男子学生は興奮する。
興奮は女子学生にも移り、皆が興味津々で楽しんでいます。

中学生へのお礼として、私は彼ら全員の似顔絵を描く。
約70名の似顔絵を終業式にプレゼントする。

国際交流授業は良いことです。
外国の文化に触れる絶好の機会です。
チュニジアの先生も自国の文化を伝えられ、楽しそうです。
双方が楽しんでいます。

私がこの企画を考案し、神奈川県に住むチュニジア人の先生に相談しました。
チュニジア人の先生を紹介してくださったのは、
故郷会副会長であり、地域の商工会の会長です。
二人の故郷を想う気持ちは熱いのです。
しかし、二人が企画を実行するとなると厄介なことです。

地域おこし協力隊員である私が、自ら企画し担当となりました。
中学校に出向き、主旨を説明する。
中学は、職員会議で授業の内容を説明し話し合い、賛同を得た。
授業の枠(曜日、時間、参加人数、会場)にあわせて、
チュニジア人の先生と授業内容を相談する。
授業の初めに、チュニジアのお茶(ミント茶)とお菓子を参加する中学生に配る。
お菓子は、最初の年はチュニジアから輸入した。
二年目は、カフェで妻が焼きました。
チュニジアの先生の送迎も私達の役割です。
チュニジアの先生の食事と宿泊は、初めの年は地域の公民館で、
二年目はカフェでし、我が家に泊まっていただきました。

いつも心を痛めるのは、チュニジア人の先生の交通費などの経費です。
チュニジアの先生は、ボランティアで来てくださいます。
地域からも教育員会からも経費は出ません。
企画を担当した地域おこし協力隊員の負担となります。
最初の年は、まあ面白そうだから試しにやってみるかという雰囲気でした。
二年目は、昨年参加した中学生の反応は上々だったから今年も是非にとなりました。
三年目の今年も悩んでいます。

続けることが大切です。
誰かがコーディネートしなければなりません。
しかし、一人で悩むわけにはいかない。前に進まないからです。
まずは、中学校に出向いて意思確認をしなければならないでしょう。
チュニジアの先生の都合を確認しなければならない。
コーディネートはこんなことから始まります。

種を撒き 土持ち上げて 芽が伸びる

2018年9月14日
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あちらを立てればこちらが立たず

2018-09-13 07:16:02 | よもやま話

「挑戦は美しい」というタイトルの絵です。
果肉の鮮やかな色がゼリー越しに見えました。
なんとか表現したいと挑戦しました。
挑戦も良いが、やけどをしないようにと願い、載せました。


今日のタイトルは、「あちらを立てればこちらが立たず」です。
あちらを立てればこちらが立たずとは、
両方が納得するような、また喜ぶようなことをするのは難しいということのたとえ。
(故事ことわざ辞典より)

2017年12月16日投稿記事「部分修正」の中で、

プレゼンテーションの原稿を見せろと、
二人の上司から別々に言われました。
社内で事あるごとにぶつかる二人でした。
真逆の指摘がありました。
どちらをとるか悩みました。
辞める覚悟で、私の考えと異なる上司に説明しました。
口をついて出てきた返事は、「ああ、そうか。いいよ」でした。
彼は忘れていたのか、
ぶつかることだけが大切だったのか判断に迷いました。
(記事より抜粋)

この件を再考してみました。
私は、自分の保身を考えて悩みました。
悩んだ末、保身を捨てて自らの考えを説明しました。
説明を聞いた上司は、正しく判断してくれました。
「ぶつかる」ことが目的だったのではないかと思います。

「あちらを立てればこちらが立たず」
国会でも、同じ親から産まれた兄弟間でもあります。
考え方の相違以前に、常に敵対する勢力図に埋もれてしまう。
嫁と姑の間柄がそうです。
こちらは、国会のように多数決とはいかない。

自分のことを例にとると、
私達は再婚です。
初めは、それぞれの過去のパートナーの話はしないようにしてきました。
どうしようもない嫉妬心に悩まされたからです。
過去のパートナーと一緒に生きてきた時間を、
空白にはできないことに、お互い気づきました。
パートナーとのやりとりも含めなんでも話すようになりました。
傷に触れないとする無駄な忖度でした。

「あちらを立てればこちらが立たず」
間を上手く泳ぐのか、怖がらず都度自らの想いを説明していくのか、
大いに悩むところです。

五里霧中 熊か嫁かと 枯れすすき

2018年9月13日
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味付け

2018-09-11 02:46:24 | よもやま話

タイトルは、「あの人に食べさせたいな」です。
こんな気持ち、あんな気持ちで美味しくなるのでしょう。


今日のタイトルは、「味付け」です。

今日の朝早く、川崎に行きます。
義兄の家の片づけの段取りを決めるためです。
家一軒の片づけは容易ではありません。
だけど、気分は軽い。
休み前だからなのか。
妻も一緒に行ってくれるし、息子も手伝ってくれる。
一つずつ片付けるしかないと、覚悟を決めたからでしょう。

さて、タイトルの「味付け」について書きます。
亡きかみさんは関東人、私は関西人。
結婚して、自分たちの「味」になるまで一年かかりました。
地域の違いではなく、かみさんは料理をしていなかったんじゃないだろうか。
と今頃気づきました。
同じく、味をみる私は美味いものを食べていなかった。
かみさんは知識を得ながら、料理が上手になっていったのでしょう。
そして、練習を重ねて結婚後一年で食べられる「味」になった。

それから何十年も経ちました。
自分のお金で、会社の経費で美味しいものをいっぱい食べました。
出張で海外にも行きました。
世界の味どころに連れて行っていただきました。
今は、カフェをやっています。
コーヒーは、自分たちが美味しいと思う淹れ方を続けています。
旬の食材でお任せ料理を作っています。
味付けは、妻の役目です。
私は、味見をします。
自分が作った時は、妻が味見をしてくれます。
こんなものじゃないとお客さんに出します。
お金をいただくから、毎日「味付け」と味見が続きます。
定番料理は、一年前より美味しくなりました。

一年前より、料理のレパートリーは広がりました。
妻は、初めての料理に挑戦し続けています。
もう少し甘い方が辛くしたらなどと、私は直感で味見を続けています。

切羽詰まって練習を重ねるから料理は上手になる。
この辺りの料理自慢の味をみさせていただきます。
美味しいね、どうやって作ったのと私達は尋ねます。
「味付け」は、いつも適当と言われます。
適当とはいい加減ということではありません。
美味しい味になるまで作り続けてきたから、ひと言で応えようがない。

お袋の 味も初めは ど素人

2018年9月11日
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非は我にあり

2018-09-09 17:05:53 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、トマト誰の子。
種を撒いた人、それとも育てた人のもの。
いやいや花を咲かせ、蜂の協力を得て実を付け、トマト自身のものです。
私達は、その命をいただいています。


今日のタイトルは、「非は我にあり」です。
成功した人が、一様に言われるのは、「人のせいにしない」です。
上手くいかない原因は、自分にあると考えることで、次の展開が生まれる。
失敗が糧になる。その人を成長させる。
こんな具合に話されます。

そうなんだけど、わかってはいるんだけど。
不幸のすべてを背負うには、辛すぎる。
誰かに助けてほしい。
求めれば救われる。

そうだ。
何々がしたいと思う。
何かが足りないと思うのは、何かがしたい時に思うこと。
他人のせいにはできない。
何かをしたいと思うのは、自分だから。
目指した道が遠のいたとしても、やりたいことに少しは挑戦できた。
今はいろんな理由でうまくはいかないけれど、きっとできる日が来る。
やりたいことをしている時は、何となくうれしい。

あまりやりたくない時に、なんでこんなことをしなくちゃならないの。
上手くいかないのを、他人のせいにしたくなる。
生きるために、あまりやりたくないことも我慢してやるか。
我慢してやっているうちに、やりたくないこともできるようになった。
そして時間が出来てお金も少しは貯まり、やりたいことができるようになった。

やりたくないものに背を向け、安易に遊びお金がなくなり金を借りる。
金を借りたら返さなくてはならない。
やりたいことどころか、生きていくのさえ危うくなる。
ここまできたら他人のせいにはできない。
さらに頑張るしかない。

足りないこと(学力、金力、体力、運)を嘆くなかれ、
足りないことを知ることが大事です。
思い通りにはならぬまでも、努力すれば近づくことはできる。
できなければ、違う道を探すこともできる。
どうあったら良いのかを決めるのは自分だから。
自分のことを他人任せにはできないのである。

「非は我にあり」を理解するのは難しい。
だから凡人であり、気付いたとしても少し遅かりしです。

長雨に 白菜植える 鍬重し

2018年9月9日
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