故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

島の人間

2015-04-05 05:55:35 | 思い出話

うちなんちゅうに、やまとんちゅう。

沖縄の言葉で、沖縄の人(うちなんちゅう)と内地の人の意味である。
ちょっと、憎しみと分け隔てがあるのである。
内地の人間にはアゲインストなのである。

3年は受入てくれないのです。
よそ者に対する意識以上のものが潜在意識としてあるのです。

こんなあ、言葉が違うでえ。
札幌から東広島に引っ越して、子供が最初に浴びた言葉でした。
3歳の娘は、意味が分からず無邪気にくっついて遊んでもらっていました。

島から通い始めた高校生時代。
広島の人は、私達をまとめて島の人間じゃけえと言ってました。
島もいろいろあるのですが、都会の広島からみれば、
信号もない島の人間なのです。

四月の節句(旧暦で行事が行われる)が過ぎると、
島から通う人たちは、まとめて休みました。
濃霧がかかるのです。レーダーを積んでないフェリーは航行できなかったのです。
その時に、島の人間とわかるのです。



島からみれば、広島の生活は裕福に見えました。
唯一の交通手段は船です。
広島には、路面電車もあれば、
汽車(まだ蒸気機関車がはしっていました)もバスもある。
ちょっと歩けば、商店街です。

毎日6時に起きて、帰ってご飯を食べるのが10時頃。
学校の成績は、悪かったのです。よって、勉強は船の中。
お年頃でもあり、フェリーの暗闇はカップルがちらほら。
都会に憧れるあまり、島の人間とは距離を置くようになりました。

そのうち、島の人間だけじゃない、田舎が総じて「島」だったことに
気づきました。世界から見れば、日本は島国だと気づきました。
そして落ち着きました。自分の島(生まれ在所)が懐かしくなってきました。
島の中でも、隣の村とは言葉が異なりました。通じないのです。

細かく見るか、大きく見るか、人それぞれです。
しかし住んでいるのは、今のここです。
憧れてもどうにもなりません。ないものねだりです。
浮き草であろうと、根をしっかり生やしているのです。

私は、濃霧になるとちょっぴり嬉しかったのです。
なんと言われようと、今日は何をしようかなと、
自然が突然くれた、公然の休みでした。

霧だして 行くに咲かれぬ 島桜

2015年4月5日
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