故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

岡城

2024-09-14 11:48:38 | よもやま話

絵のタイトルは、「サービス精神」です。
これを造っていた鉄工所の親父は、大洲城がモデルと言っていました。
埃をかぶっていた鉄細工の城を早く作り上げろと頼みましたが、完成したでしょうか。
今回の旅で、国道から大洲城が見えました。
立派な城でした。


今日のタイトルは、「岡城」です。
2泊3日の総走行距離1150Kmの車旅をしました。
帰ってきて2日目ですが、まだ疲れがとれません。
旅に出る前に根を積めて畑を整備しました。
帰ってから、書類作りで昨日1日かかりました。
旅は楽しかった。

広島を出て、しまなみ海道を渡り、八幡浜を目指した。
八幡浜から臼杵までフェリーで渡り、日出町のホテルに宿泊した。
朝5時に出て、着いたのが午後8時でした。
国道メインの車旅です。
四国の瀬戸内海側の街道は、ゆったりと流れ快適でした。
ところが、大分別府とラッシュでした。

前日のラッシュのダメージが残っていたので、日出バイパスを利用し東九州自動車道に入ろうとしました。
日出と速水で高速道を反対方向に入ってしまい、2回も往復することになりました。
話に夢中になると、行くべき方向を見逃してしまいます。
大分米良から中九州道に入り、竹田まで行きました。
朝7時半に日出を出て、竹田に着いたのが11時過ぎですから失敗したとはいえまあまあです。

タイトルの「岡城」を見たいとここまで来ました。
山の中腹から築き上げた石垣が四方にありました。
難攻不落の城の所以です。
広い城内に、さらに石垣を築いて楼閣となっていました。
途方もない時間と労力がかかったものと思います。
岡城観覧券(登城手形)を買ったところで、本丸まで徒歩15分と案内されました。
暑い中、本丸まで辿り着くのに30分かかりました。
九州の高い山々が遠くまで見通せます。
どうやって飲料水を揚げたのか想像もつきませんでした。
まさに、テレビで何度も見たマチュピチュです。
石垣の上で、吹き上がる涼風が爽やかでした。
30分かけて、山城の上を散策しました。

阿蘇外輪山のミルクロードに入り、高森町から高千穂を抜け、延岡まで辿り着きました。
途中、高千穂峡に寄りました。
外国人のツアー客が多いのに驚きました。
台風10号の影響か通行止めになっており、散策道の奥までは入れませんでした。
4時過ぎには、ホテルに入れたのでゆっくりできました。

3日目は、延岡から佐伯を目指しました。
東九州道は、トンネルばかりで風景を見ることができません。
国道は走っていませんが、きっとつづら折りの坂道を登り下りしたことでしょう。
佐賀関からフェリーに乗り三崎港に一時間で着きました。
松山道、しまなみ海道を通過し、我が家に着いたのが9時過ぎでした。
八幡浜の魚市場で買った5匹の魚をさばいて、寝たのが11時でした。

疲れました。
刈った草を片づけなければならないのですが、残暑のなかを出ていく勇気がありません。
刈らしてくださいと頼んだ持ち主が、明日空き家(旅行前に刈ったあと)を訪ねてこられます。
空き家横に建つ墓じまいをしなければならないし、これからの始末を共同所有者4人で話し合うそうです。
良い解決策が見つかるとよいと思います。

地区にやっと残る小学生の総生徒数は56名。
生徒数に応じて、先生の人員数が決まるそうです。
先生は、やることが多くてんてこ舞いで、校庭の草刈りもできないそうです。
習字のお手伝いに行かれた先輩が、こんな方がいるよと私たちのことを校長に話されたそうです。
週が明けたら小学校を訪ねます。
また、草刈りが増えるやもしれません。
できることをできる時間に手伝えればよいと思います。
故郷に恩返しと思って故郷に帰ってきました。
帰る前に思った恩返し(返す人はもういない)とは違いますが、
孫に返すような気持でもうひと頑張りです。

2024年9月14日
コメント
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