故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

何かを創る

2018-08-10 05:09:05 | プロジェクトエンジニアー

何度も使いまわしをしている、京都永観堂の地蔵です。
いつも、ウフフとオホホです。
勇気をもらいます。


今日のタイトルは、「何かを創る」です。
地域おこし協力隊としてこの地に来ました。
何をしたいと言うより、なにができるかを追い求めてきました。
自分が出来る限りの背一杯です。

空き家に住むことで、空き家の問題を知ることができた。
かつて賑わった通りの価値を高めるために、多くの空き家の草刈りをし、剪定を続けている。
地域を知りたいと、イベントを手伝った。
この地域の良さを見つけるために、人に会った。
会った感動を似顔絵にした。
縁側のような集まる場が必要だとカフェを開店した。
薄利多売で頑張っている。
似顔絵も少ない投資(葉書10円)で、自分が頑張ることで実現してきた。
カフェも自己投資できるぎりぎりの線で開店した。
薄利多売の内容とは、都会の大資本(チェーン店)のように1コインでコーヒーを飲みパンが食べられる、
サラリーマンが出せる居酒屋並みの料金で、お任せ料理を出し続けている。
共に自らリスクをとらないと前に進まないと実感したからである。

何かが足りない。
大変な毎日だが、苦労に不満はない。
「何かを創る」ことは、継続であることだと承知している。
正直なところ、疲労困憊である。
日々追われているのである。
自分で決めているレベルのサービスが出来てるか不安である。
追い求めてきた「なにができるか」を、そろそろ卒業するときが来たかもしれません。
「何をしたい」にシフトしないと、気持ちの維持が続かなくなっています。

周りに喜びを分かつことはするけども、巻き込むことだけはしないと決めてきました。
一人の頑張りにも限界があるようです。
汗かかぬ人の話は鵜呑みにはしない。
個人の見解としては良いでしょう。
汗をかきたくてもかけない人がいるんじゃないかと思うようになりました。
そんな人の手助けをしたい。
こうすれば、気持ちが良い汗をかけますよ。
少しだけきついですけどね。

もう少し話を進めると、農業をしてみたいと言う人がいたとする。
何処でそんなことが実現するのか知らないでいる。
また、農業をするための技術と機械を持たない。
一方、先祖代々受け継いだ畑を草を生やさずに、守っていきたいと頑張る人がいる。
80歳を越えて、知識と技術だけはあるが身体が動かないのである。
また、土地を持っている人は、要するに昔は金持ちでありその証拠に土地を持っているのである。
しかし金を得る本業は別にあるのである。
この人たちも土地を持て余しているのである。
その方達は、土地をさえ持て余し農業法人に耕作を依頼する。
引き受ける側は、大規模耕作に適した田んぼは引き受けるが、畑は引き受けないという。

要は、繋がりの問題である。
何が出来るかと、地域を知り自分でやっている。
身体がきしむほどやっている。
やってみなければ分からないからである。
誰からも感謝されないように見えるが、地域の方達には仲間と思っていただいてる。

私達の仕事は、それぞれの想いを共有する手助けをすることではないかと考える。
地産地消は、多くの可能性がある。
例えば、捨てているB級品(果樹、野菜)のことである。
加工工場で、産業廃棄物として金をかけて捨てている残渣のことである。
有り余るものをエネルギー(発酵熱とバイオエネルギー)と有機肥料にして還元することができないか。
葱のB級品を菜種油と組み合わせて、高級食材である「葱油」に変えることだって可能である。
こんなことを提案し、実現するのが私達の仕事ではないだろうか。
地産地消である。
地震に強い地盤で、都会から近い地の利を生かしてサーバー基地にすることだってできる。
エネルギーを都会に送らずに地産地消すれば良いのである。
都会に送るうちに50%も捨てることになるからである。
製品だけを送れば、輸送コストだって少なくて済む。
人材だって、大都市集中させる必要がない。
地域で起業できる人材を育てれば良い。
そのチャンスを作るのが私達の仕事ではないだろうか。

今は、果樹のB級品を加工してジャムやパイにしている。
ジャムは無料でお客さんに配り、パイは安い値段で売っている。
美味しかったとジャムをもっと欲しいと思う人がいる。
無料だから欲しいとはなかなか言えないでいる。
高くない金額だったら、作る端から売れるであろう。

「何かを創る」には、時間がかかる。
一人でやり切ることはできない。
仲間が必要である。
仲間になりたい人がいる。
一年間、カフェを訪れる力もあり知恵もある方たちと話してきた。
何処にも属さないフリーの方達である。
どの方も、どこかの能力に優れたものがあった。
この方達も一人で頑張っている。
少しずつ想いを教えてくれるのである。
想いを受け取る場がなかったと言っても良い。
どうして、こうなっちゃったんだろう。
それを考えるのが、私達の仕事ではないだろうか。

私は、物づくりの「インとアウト」を永年やってきた。
インとはニーズ(目的、採算性)であり、アウトは成果(製品と利益)のことである。
その知識を使える時が来たのではないか。
つまりは、「したいこと」である。
プロジェクトをするうえで、いつもその道の人から、「お前たちに何が分かる」と言われ続けてきた。
「何が分かる」をチーム力とエンジニアリング手法で短期のうちに分析し、解決案を提示してくることができた。
今は、一人でやっている。何かを知ろうと一生懸命である。

チームも作らなければならない。
分析と解決案を提案し、採算性を示さなければならない。
それができるのに黙っている訳にはいかない。
言葉で無理なら、文章にするまでである。
お金がなければ、小説(ソフト)にしてパッションとノウハウを伝播するまでである。
それができるのである。
やらない手はないだろうと思う。

「何かを創る」でした。

暗いうち 夢を育み 夜が明ける

2018年8月9日
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