故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

私にも与えるものがある

2019-07-30 04:56:30 | よもやま話

絵のタイトルは、「素」です。
ボーイッシュなクールビューティーです。


今日のテーマは、「私にも与えるものがある」です。
子の恩返しは、4歳までに完了している。
それ以上の恩返しは、求めない。対等な人間として生きていける。

貧しい家に育った人たちは多くいる。
自分と同じ思いはさせられないと、叶えられなかった教育を子供に受けさせる。
子供は、親の言う通り順調に育ち、今の肩書と暮らしを得た。
親たちは、先輩たちは死に物狂いで生きてきた。
その体験を子供や後輩はすることがない。
それが、コンプレックスであった。
足りないものと自覚してはいるけど、死に物狂いにはなれない自分がいる。

親父は、毎晩100Kgのみかんを背負い、あぜ道を朝方まで運んだ。何度も、何度も。
それから、農業以外の現金収入のため工場に行った。
そんな真似は、到底できぬと中学生の私は思った。
100Kgを背負って同じ道を歩いたのは高校生のころで、こんなことをしてはいけないと思った。
親父が汗水たらして運んだみかんのお陰で、大学に行けた。

いただいた恩は、山ほどある。
返すことは、これっぽちもない。
そう思い生きてきた。
息子が、私の仕事(プロジェクトエンジニアー)をしたいと言い出した。
60歳を過ぎても現役で、仕事に見合う報酬を得ているのが動機であった。
息子は何度も挫折した。自分に足りないのは何だろうと思ったことだろう。

コンプレックスの塊の若者が、親から感謝される日が来る。
あきらめかけていたけど、お前の一言でまた頑張れると生き返った。
頑張った証がある。しかし、それはもう時代遅れなのである。
お父さん、あなたのこんなところが素晴らしいと、本気で息子が言った。
語る息子の目には涙が溢れている。
俺にも、親父のためになることがある。
双方、信じられない瞬間である。

「私にも与えるものがある」でした。

追いつけぬ 死ぬまでこれか 生きてこそ

2019年7月30日

<<投稿後>>
私達が越えられない壁があるとしたら、戦争体験者の苦労や戦後復興の頑張りであろう。
大きな壁と感じていた。
今の若者たちは、それはもう過去のものと思うかもしれない。
しかし、毎日生きていてちっとも楽しくない。
親父たちもきっと同じであったろうと思う。
これではいけないと、個人の責任で這い上がってきた。
私達も同じ、息子たちも似たようなものだろう。
「本気」だけが、世代を超越して感謝の言葉となるのだと感じた。
(筆者)
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