絵のタイトルは、「永観堂」です。
何をやっても、考えても辿り着くのは、謎の微笑です。
ばーかと突き放すわけでもない。
ただただ、見守る地蔵です。
皆さんも一度は考えたことがあると思います。
私は、二度経験することになるやもしれません。
かみさんを亡くしたのは、もう14年前です。
今日のタイトルは、「妻が先立つ(シミュレーション)」です。
かみさんが亡くなった時、いろいろと不具合が出ました。
まず、時間が止まった。
一日の長いこと。
子供とコミュニケーションが取れなくなりました。
それまでも、子供が私に直接話しても、お母さんに話してくれると伝えました。
双方向とも、かみさんが仲立ちをしていました。
子供にとって、私は神様。
かみさんの都合に応じて、大いに捻じ曲げていました。
私と直接話すようになった子供の感想は、違ったねでした。
仕事馬鹿でした。
趣味は、飲む打つ買う。
たくさん出てきた通帳、保険の手続きや支払いのすべて、そしてハンコはどこ。
仕事以外の、家や家族に関することの一切が不明でした。
過去の無知を申し訳ないと、恥じ入るばかりです。
再婚を機に、妻をいつ亡くしても独りで生きていける準備をしています。
妻がつける家計簿を見習っています。
料理・洗濯・掃除を率先してやっています。
畑仕事も積極的に関わっています。
但し、筋肉労働(耕うんと草刈りのみ)だけなので、ソフトを学んでおかなければと焦っています。
猛暑が続き、筋肉労働に水やりが増えました。
種を、苗をいつ植え、どのように育て、収穫するか知りません。
不具合を経験したのに、未知だらけです。
年金が半分になり、免許を返納し、どのように暮らしていくのか挑戦ばかりです。
子供が迷わぬように、遺言を早く書けと妻から再三言われています。
結婚前の独身時代とは違います。
年金はこれこれ、施設に突っ込んでおくれと息子に頼んでいます。
一日2食を365日、料理を作り続けなければなりません。
考えても仕方がない。
なるようにしかならない。
妻が先立つシミュレーションも結局失敗するでしょう。
あまりにも未知の事項が多過ぎます。
後家のところへ、ゴロにゃんと居候するわけにもいかんでしょう。
お互い耳が聞こえぬ喧嘩は、近所に筒抜けです。
まず、妻が死ぬ前に7年間(平均)は、介護をしなければなりません。
あと20年、重い(軽いかも)墓標を背負って生き続けます。
なんとしんどいことか。
重しが取れて、羽が生えるやもしれません。
ああ、分らぬことばかりです。
2024年8月23日