故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

お前は忍者

2017-03-09 04:29:43 | プロジェクトエンジニアー

「大物の風格」というタイトルです。
落ち着いた感じの人です。
やる時は、力を発揮するタイプに見えます。
勝手に印象だけで判断しています。
頑張ってね。


出向先で、プロジェクトマネージャーをやり、大きな物件(製造プロセス)を
受注したことがあります。
その後、出向先から自社に帰り、同プロジェクトの建築を受注しました。
起工式で、客先の専務が、私の席が違うと部下に命令していました。
自社(建築担当)のプロジェクトマネージャー席に私は座ることになっていました。
二つの肩書を持ったまま、起工式に出席したのです。

「お前は、忍者」だと、酒席でさんざんいじめられました。
当時は、画期的な製造プロセスでした。
数年後には、そのプロセスがスタンダードになりました。
専務は、プロジェクトマネージャーの私に信頼を寄せてくれていました。
製造プロセスも建築も、並みいる先行他社を出し抜いて受注に成功しました。

この大型プロジェクト受注は、出向先の会社にとって大きな負担となりました。
プロジェクトマネージメント力において、力不足でした。
多くの問題を残して、スタッフが会社を去っていきました。

折もおり、自社は空前の不況にあえぐことになりリストラを敢行しました。
私も、リストラの対象(子会社へ転籍)になりました。
営業権のない子会社への転籍を嫌い、忍者としてもぐり込んだ出向先へ転職しました。
それから二年間、製造プロセスの不具合を改善し続けることになりました。
華のような受注劇が、おぞましい不良物件になったのです。
提案は優れていたが、こなし切れなかった。

親会社(外国)と交渉し続けました。
現場で改善し続けました。
親会社も支社(日本)も逃げませんでした。
昼も夜もクレーム処理に奔走する日々でした。
受注時のスタッフ達は一人も残っていませんでした。
すったもんだの二年後に、画期的なプロセスが、
なんとか輝くスタンダードとしてようやく認知されることになりました。

件の専務もこの大型物件を花道に引退されていました。
わずか三年間の苦労は、私にとって大きな糧になりました。
国の内外に多くの友人たちができました。
後の人生において、大きな財産となったのです。

「お前は忍者」というタイトルの経験でした。

凍る華 耐えて身震い いつか萌え

2017年3月9日
コメント
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