(医王寺の本堂)
(奥の細道【十三】医王寺と飯坂温泉)
医王寺については、住職により、次のように記されている。
(瑠璃光山医王寺は、平安時代淳和天皇の御代、天長三年(826)の開基で、
弘法大師御作の薬師如来をおまつりし、
霊験あらたかで数多くの人々の信仰を集め、
鯖野の薬師と呼ばれ親しまれてきました。
当地方を信夫(しのぶ)といい、
治承の昔(1177)信夫の庄司(*)であった佐藤基治が、
当地の大鳥城を居城とし、奥州南部の広域を治めていました。
信仰心の篤い基治は御堂を改修し堂塔伽藍を建立し、源氏の再興を祈願し、
一族の菩提寺として寺門を隆盛に導きました。
その頃、平泉の鎮守府将軍 藤原秀衡の下にあった源義経が、
平家討伐に向かう時、基治はその子継信、忠信の二人を遣わしました。
兄弟は義経公の忠義な家臣として活躍をしましたが、
惜しくも兄継信は四国の八島の合戦で能登守教経の矢を受け、
義経を守る盾となり、帰らぬ人となりました。
一方、時を経て平家追討の後、
頼朝との不和がもとで追われる身となった義経一行が、
京都で追手に遭い苦境に落ちいった時、
弟 忠信は、義経を名乗って敵をひきつけ主君を逃し、
自分は身代わりとなって討ち死にしました。
その後、弁慶等とともに無事奥州に入った義経一行は、
平泉に向かう途中、佐藤基治に会い継信・忠信の武勲を伝えるとともに、
当寺に参籠し遺髪を埋めて二人の追悼法要を営みました。
また兄弟の妻たちは老母、乙和御前の悲嘆を察し、
気丈にも自身の悲しみをこらえて、
二人は自ら甲冑を身につけて継信・忠信兄弟の凱旋の勇姿を装い、
姑の心をいやしたという故事は、孝心の鏡として今に伝えられています。
時は移り変わっても、後の世までも伝わる継信・忠信兄弟と、
その妻たちの忠孝に心を打たれた松尾芭蕉や
白河藩主の松平定信等の文人墨客をはじめとする
多くの人々が当寺を訪れ香華を手向けております。合掌)とある。
(*)庄司=荘司:荘園の領主の命を受けて荘園の管理した職。
江戸時代では、名主もしくは庄屋をいう。(広辞苑6)
継信・忠信兄弟の母は、義経に従い帰還した家来衆を見て、
同じ戦いの中で、こんなに沢山のご家来衆が生きているのに、
わが子兄弟は二人とも討ち死にするとは、
せめて一人でも還っていれば、と嘆き悲しんだという。
それを見て、老母を慰めようと兄弟の妻たちは甲冑を着て見せたという。
拝観料を払って門をくぐる。
中へ入ると、本堂に続くもう一つの門が右手に見え、
先に長い土塀がつながっている。
医王寺の紹介でよく見る場所である。
今は、本堂に向かう門はくぐらず、白い土塀に沿って進む。
(奥に続く白く長い土塀)
その土塀に沿って進むと薬師堂がある。
成程、医王寺だからお薬師様があるのだと思って薬師堂を見上げる。
薬師堂の欄干には、沢山の石に穴をあけてぶら下げてあるが、
どんなご利益があるのだろうか、初めて見る光景である。
もっとも薬師堂をしげしげと見るのは今回が初めてのことかもしれない。
以前奈良の薬師寺に行った時は建物全体の絢爛豪華さに見とれて、
こまごまとしたところを見ていない。
(薬師堂)
(薬師堂の欄干の石)
(薬師堂の扁額)
(薬師堂の石)
この石について調べて見たが、なかなかこれといった正解が見つからない。
四苦八苦していた時、医王寺師弟句碑の写真にヒントがあるのを知った。
一つは、
・太刀佩いて 武装悲しき 妻の秋 松野自得
(これはどうも継信・忠信兄弟の妻の武装の事らしい)
(太刀佩いて・・・の句碑)
もう一つは、
・糸でつる 耳石薬師堂小春 大橋とし子
(薬師堂の欄干の石のことを詠んだもののようだ。)
(糸でつる・・・の句碑)
これで薬師堂の欄干に吊るしてある石が、
どうやら「耳石」であるらしいことが分かった。
俳句では「みみいし」と読むらしいが、本当は「耳石(じせき)」といって、
耳にある三半規管の平衡感覚に関わりのあるものらしい。
耳石(じせき)と分かれば、調べようもある。
薬師如来は病気の関わる如来様であることはわかっていたが、
難病の耳の病を治すのにご利益があるらしいことが分かった。
耳石は、魚の耳石が分かり易く、薬師堂にぶら下がっている石の形をしている。
どうやら平衡感覚を司る器官のようだ。
(魚の耳石、ネットから)
耳に病気のある人が、この薬師様に参詣し、耳の治療を願う。
主に平衡感覚が失われる病である。
俗にいうメニエール症候群、目が回り気分が悪くなる。
激しい吐き気がし嘔吐する。耳鳴りや難聴になることもあるらしい。
この病が治ったとき、耳石をかたどって石に穴を開け、
糸に吊るして奉納する慣わしがあるらしい。
それで社殿に、石がたくさん吊り下げられているのだ。
「知らなかったことさえ知らなかったことを知ることが勉強」と言う。
苦労して、知らなかったことを知ることが出来たのは、
大変有意義であった。
知っていた方には、馬鹿馬鹿しいことだろうが、
ボクには、難しい数式を苦難の末解いた時のような爽快感がある。
・薬師堂 日陰に涼し 耳の石 hide-san
・忍ぶれど わが子に勝る 宝なし
手柄なくとも 生きて還らば hide-san
手柄なくとも 生きて還らば hide-san