江戸っ子はお祭り騒ぎが大好きという。
お祭り好きは、何も江戸っ子に限った事ではない。
全国どこへ行っても、お祭りの好きな人は多い。
天下の奇祭と言われる諏訪の「御柱祭り」なんかは、日本全国各地から人が集まってくる。
三代続いて初めて江戸っ子だと言うが、江戸っ子は少なく、実は殆どが地方から集まって来た人達である。
お祭り騒ぎが大好きな人達が東京には沢山集まっている。
シルバーウイークの間に当地区の志村熊野神社のお祭りがあった。
熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。
長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えらており、
千葉自胤が志村城の守護神と定めた。(熊野神社由来より)
熊野神社の祭礼は半纏を見ると、城山町、志村、坂一南、親和、五桜の
五つの町会の神輿が出ると言う。
(城山)
(志村)
(坂一南)
(親和)
(五桜)
お神輿は城山、山車の志村のほかの神輿もある。
中には神輿の担い手の背丈が足りず、「わしょい!わっしょい!」の掛け声だけ大きく、
担(にな)い棒にただつかまっているだけの人もいる。
(神輿)
(神輿2)
(山車)
(中央のにこやかな女性は担い棒に肩が届いていない)
また板橋区の他の町から応援に来ている担ぎ手もいる。
(巣鴨の町内からの応援)
(小豆沢町内からの応援)
お祭り好きは、何も江戸っ子に限った事ではない。
全国どこへ行っても、お祭りの好きな人は多い。
天下の奇祭と言われる諏訪の「御柱祭り」なんかは、日本全国各地から人が集まってくる。
三代続いて初めて江戸っ子だと言うが、江戸っ子は少なく、実は殆どが地方から集まって来た人達である。
お祭り騒ぎが大好きな人達が東京には沢山集まっている。
シルバーウイークの間に当地区の志村熊野神社のお祭りがあった。
(熊野神社のはっぴ)
(熊野神社の神輿の鳳凰)
熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。
長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えらており、
千葉自胤が志村城の守護神と定めた。(熊野神社由来より)
(熊野神社)
(志村城址の碑)
(志村城址の碑)
熊野神社の祭礼は半纏を見ると、城山町、志村、坂一南、親和、五桜の
五つの町会の神輿が出ると言う。
(城山)
(志村)
(坂一南)
(親和)
(五桜)
お神輿は城山、山車の志村のほかの神輿もある。
中には神輿の担い手の背丈が足りず、「わしょい!わっしょい!」の掛け声だけ大きく、
担(にな)い棒にただつかまっているだけの人もいる。
(神輿)
(神輿2)
(山車)
(中央のにこやかな女性は担い棒に肩が届いていない)
また板橋区の他の町から応援に来ている担ぎ手もいる。
(巣鴨の町内からの応援)
(小豆沢町内からの応援)
川の両側で神輿と山車と違うなど・・・・
神輿のかつぎ手が東京では少なくて、お祭りのたびに
担ぎ手を募集しています。
それでも足りなくて、担ぎ手を町同士で貸したり借りたりして、
今のところどうにか間に合っているところです。
今日のお祭りは白鳥神社と軽里神社のお祭りで
9月には誉田八幡宮のお祭りもありました。
何故に合同でやらないのかは門外漢の私には分かりませんけど。
私の義弟のように嫁さんの実家のお祭りに
ハッピ代1万円と毎年ながら寄付金まで出して
だんじりの引き回しに参加する人もありますから。
私は観たりデジカメで写したりはしますが
若いころから参加したことはありませんね。
大阪府では大和川を境にして北側はお神輿で
南側は山車と概ねが別れますかな。
それとも担ぐ人が居ないのでしょうか。
乗せています。
毎年この二つのお祭りには出かけます。
この地区としては最高の盛り上がりを見せます。
人出も多く、迷子が出るほどです。
志村熊野神社の秋祭も、神輿が練るのですね。
それでは、iinaも三社祭で祭気分に乗ることにしました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0f4280ad84bf496b09733fc9d9b21d0f
なお、
「三つの数字が並んでいるから三の倍数」ですが、「連続した5つの整数の和は5の倍数」になります。
これを発見したのはiinaではありませんが、あまたの数の話題の中から見つけ出しました。
>熊野神社の祭礼は半纏を見ると、城山町、志村、坂一南、親和、五桜の
五つの町会の神輿が出ると言う。
盛大に行われますね。
日本人はお祭り好きですね。
こちらは春のお祭りが多いです。
私は子供の頃はともかく、祭りはあまり興味がないです。
まぁ、そんな人間がいても良いのでは。(笑)