4月5日の話ですが、
染井吉野桜記念公園から足を延ばして「染井霊園」に向かう。
染井霊園も名前の通りソメイヨシノの桜が満開であった。
(染井霊園入り口の事務所)

(染井霊園入り口のサクラ1)

(染井霊園入り口のサクラ2)

(染井霊園入り口のサクラ3)

(染井霊園内のサクラ)

染井霊園の事務所前にあった霊園のマップに、
ボクが知っている著名人は居ないかと眺めると、
ボクのつたない知識の中にある人達のお墓がある。
(染井霊園内の案内マップ)

まず最初に高村光太郎・智恵子・光雲のお墓。
光太郎はその妻「智恵子」の死後、「智恵子抄』なる詩集を出し、
当時の若い女性たちを虜にした。
ボクの姉たちがこの「智恵子抄」を絶賛して居た記憶がある。
(高村光太郎・智恵子・光雲の墓の案内1)

(染井の桜を背景に高村光太郎・智恵子・光雲のお墓はある2)

(高村光太郎・智恵子・光雲のお墓3)

(高村光太郎・智恵子・光雲のお墓4)

高村光太郎は彫刻家であるが、
妻 智恵子を失い、妻が目で見、耳で聞き、
頭で悩み、考えたであろうことや、彼女の思いを、
夫 光太郎が考え、想い、慕った、夫婦愛が切々と綴られている。
ボクが話すより「知恵子抄」を読むことをお薦めする。
この「智恵子抄」のほかに「道程」と言う詩があるが、
前途を夢見て東京に出てきたボクはこの詩に勇気づけられた。
「道程」の一部を載せて置く、
『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ・・・・・。』と続く。
光太郎の父親である高村光雲は彫刻家で、
あの上野にある西郷像の製作者である。
(西郷さん)

染井吉野桜記念公園から足を延ばして「染井霊園」に向かう。
染井霊園も名前の通りソメイヨシノの桜が満開であった。
(染井霊園入り口の事務所)

(染井霊園入り口のサクラ1)

(染井霊園入り口のサクラ2)

(染井霊園入り口のサクラ3)

(染井霊園内のサクラ)

染井霊園の事務所前にあった霊園のマップに、
ボクが知っている著名人は居ないかと眺めると、
ボクのつたない知識の中にある人達のお墓がある。
(染井霊園内の案内マップ)

まず最初に高村光太郎・智恵子・光雲のお墓。
光太郎はその妻「智恵子」の死後、「智恵子抄』なる詩集を出し、
当時の若い女性たちを虜にした。
ボクの姉たちがこの「智恵子抄」を絶賛して居た記憶がある。
(高村光太郎・智恵子・光雲の墓の案内1)

(染井の桜を背景に高村光太郎・智恵子・光雲のお墓はある2)

(高村光太郎・智恵子・光雲のお墓3)

(高村光太郎・智恵子・光雲のお墓4)

高村光太郎は彫刻家であるが、
妻 智恵子を失い、妻が目で見、耳で聞き、
頭で悩み、考えたであろうことや、彼女の思いを、
夫 光太郎が考え、想い、慕った、夫婦愛が切々と綴られている。
ボクが話すより「知恵子抄」を読むことをお薦めする。
この「智恵子抄」のほかに「道程」と言う詩があるが、
前途を夢見て東京に出てきたボクはこの詩に勇気づけられた。
「道程」の一部を載せて置く、
『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ・・・・・。』と続く。
光太郎の父親である高村光雲は彫刻家で、
あの上野にある西郷像の製作者である。
(西郷さん)

名前は知っていますが。
読んだことはありません。
智恵子抄は高校生の頃 読んだことがあります。
内容は全く覚えていません。(苦笑)
>「道程」の一部を載せて置く、
「道程」の1部は教科書で読んだことがあるかな。