歌の文句のようだが、
違って、年寄りの神様への最後のお願いのようだ。
死ぬ寸前までは、ぴんぴんしていて、
うるさく小言を言っていたクソジジ、クソババが、
ある時、コロリと息を引き取る、
これが理想的な生涯であろう。
ボクのおじさんが、二人そうだった。
日ごろの行いも良かった。
一人目、農家で息子と麦畑を作る際中のこと、
ちょうど午後3時になったので、
野良に持って行っていたお湯を入れた魔法瓶と
お茶の葉、二人分のお茶碗と急須とお盆。
牛を引いて畝を作っている倅に、
「おーい!お茶が入ったぞ!」
そう90歳の叔父さんが倅を呼んだ。
牛を土手に結わえてから、倅が父親の休んでいる所に行くと、
親父は土手を背に気持ちよさそうに眠っている。
お茶は二人分入っている。
お茶が少し冷めているのに気付いた倅、
「親父!お茶が冷めしまうぞ!」と言うも、
土手を背に眠ったままで動かない。
気持ちよさそうだ。
二杯目のお茶を入れて飲んでから、
もう一度「お茶が冷たくなってしまうぞ!」と、
眠っている親父に大声で話すも、何の返事もなく、
異常を感じて、親父の体をゆすぶったら、
押されたほうに親父はごろりと転がった。
それが最後の状況だ。
この叔父さんの家にはボクは小学校2年の時に疎開した。
この叔父さんに礼儀作法を、
朝起きたら挨拶の仕方から始まり、
箸の上げ下ろしから食事の仕方、
仕事の仕方、火のおこし方マキのくべ方、
コメの搗き方、ご飯の炊き方、風呂水を入れる作業、
麦踏の仕方、田植え、稲刈り、などなど、
いろいろ口うるさく教えられた。
教わったことは大きくなるにつれて、
礼儀作法の基本だと言うことが分かり、
ずいぶん助かった。
二人目の叔父さん、ボクの仲人役をやってくれた人。
「トイレ」と言って、立って行ったまま帰ってこない。
30分ほど経過して、叔母さんが異常に気付いて、
トイレに行ったら、座ったままこと切れていた。
こんな具合にボクも終わりたいなぁ・・・
日頃の行いが問題で、悪口言ったり、
大声で怒鳴ったり、などなど・・・
逝けないだろうなぁ・・・
ピンピンコロリ!(爆笑)
ピンピンコロリ、本人はそのような死に方で満足でしょうが、残された家族はどうなんでしょうか。
私なら急になくなったら、喪失感が凄いように思います。
お別れの時間が、少しあった方がいいように思いますが・・・。
ピンピンコロリいいですね。
いくらコロッとと言っても、まだ60歳に満たない状況で、脳梗塞や心筋梗塞であっという間というのは困りますが。。。
残される身にはそうでしょうが・・・
残された身には良さそうに思えます。
人生100年時代にはその若さでは、そぐわない話で、
残り40年をどう健康に生きるか考えるほうが先ですね。
コロッとではなく、ガンとかもありますが、くも膜下であっさり逝ってしまった同年代もいます。
どうやって健康にいきるか?難しい問題です。
60~65歳ころが一山で、
次が80歳ころです。
体については本人しか解らないもので、
頭が痛いとか、のど、お腹、便通とか利尿とか、
異常を感じたら医師とすぐ相談、あるいは「家庭の医学」などを読んで、
対応することが大切かと思います。
ボクは60歳で心臓、65歳で悪性リンパ腫(血液のがん)で入院治療しています。
80歳で再度心臓の手術をしていますが、
早い対応で今を生きています。
私の周りの同級生を見回しても、抗ガン剤の治療中、カテーテル治療中、透析中など、健康体はほとんどいません。
私の友人は「俺達は未だ平均寿命には達していないど、健康寿命はもう過ぎたから、みんな治療中なのは仕方ないよ。」と言っています。
今年の7月に母が100歳になるので、お祝いのために実家の熊本に帰省予定ですが、記憶力は未だ私より優れています。
私の一族は、みんな百歳前後でピンピンコロリなので、私もその遺伝子を受け継いでいるものと信じて毎日楽しく生きています。(-_-;)
叔母は106歳で亡くなりましたが、
100歳で県知事が金一封を持ってお祝いに来ました。
その時、世界一になって下さいとボクは言いましたが、
残念ながら届きませんでした。
施設にいると大した運動、頭を動かす訓練がなさそうで、
娘(つまり従妹)が苦労していました。