(祇園精舎の鐘)
平家物語の冒頭、
平家物語の冒頭、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり...」の祇園精舎は、
釈迦が説法を行ったところで、
ここで釈迦は24回の雨季を過ごしたとの説明を受ける。
インドで雨季とは年間何回あるのであろうか?
年に一回であれば24年いたことになるが...
今は、綺麗に整備された公園の中に、
祇園精舎の跡が残っているが、仏教徒の聖地として、
信者の訪問が絶えない。
(祇園精舎の跡)
(祇園精舎、釈迦が説法をした中壇)
バラやそのほかの花びらが、
祇園精舎のレンガの上に敷き詰められて、
足の踏み場もない。
この日も、沢山の仏教徒や修行僧の訪問があり、
この日も、沢山の仏教徒や修行僧の訪問があり、
干からびた花びらは、
捨てられ新しい花びらが敷き詰められていく。
橙色の花びら、赤い花びらがびっしりと敷いてあり、
神聖な場所のイメージを強く感じる。
(釈迦が説法した最上段、赤いバラの花が敷き詰められている)
後方に、途中まで発掘した祇園精舎が続くが、
これは関西大学の教授が、
これ以上発掘しても意味がないと止めたという。
広大な敷地を掘り進めれば、
まだまだ広がりを見せることを容易に想像できる。
(掘り進めて広すぎたため止めた祇園精舎の跡)
しかし、日本人には有名な祇園精舎の鐘は、
見渡しても見当たらない。
祇園精舎の跡地に立てば、
どこかから聞こえてきそうに思える。
ごぉぉ~~んんん・・・・
しかしどこからも聞こえてこない。
祇園精舎を後にして帰路に向かう途中、
ちょっとした林の中にその鐘はあった。
(祇園精舎の鐘)
観光バスを止め、
鐘楼まで数十メートルの脇道を入ったところにそれはあった。
この鐘は祇園精舎の鐘ではあるが、
昔のものを再現したものでなく、
何のことはない、
平家物語の冒頭にある文章に魅せられた経済大国の小金持ちが、
やむにやまれず、寄付した鐘であるということであった。
(鐘を突きに集まる人達)
それにしても、やはり日本人ツアー客は競って、
その鐘を鳴らしに鐘楼を昇ったのは云うまでもない。
もちろんボクも鐘を突きに鐘楼を昇った一人である。
ごうお~~~んんんん~~~~!
夕暮れの平原に響き渡る鐘の音は、
寂しい「諸行無常」の響きが伝わっていた。
>平家物語の冒頭にある文章に魅せられた経済大国の小金持ちが、
やむにやまれず、寄付した鐘であるということであった。
日本の金持ちが寄付して出来た鐘だったんだ!😅
驚きました。
道理で日本の釣り鐘とよく似ていると思いました。
発掘調査も関西大学の先生がかかわった由、日本人仕立ての観光スポットですね。
なイメージですが本来はそう
でもないのでは?
鐘は、私にとってはそんなイメージ。
寂しい感じがします。夏の夕方なら、夏休みが終わってしまう悲しさ・・・。
楽しいですね!!
日本人観光客向けの案内でした。
本来はそうでもないのでは?
人生は諸行無常が当たっているような気がします。
三島由紀夫、ヘミングウエイ、方丈記の鴨長明、
夏目漱石など、文学者たちが(人生の哲学者たちが)こぞってそう述べて居ります。
仕事にどんなに貢献しても、定年後10年も経てば忘れられてしまいます。
その様なものです。
しかも、釈迦が説法した最上段に赤いバラの花が敷き詰められている写真を見ると、単なる史跡ではなく、現在も脈々として生き続けているんですね。