楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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世界遺産 銀閣寺と近くの哲学の道を歩く

2015年06月20日 09時36分47秒 | ひとり歩き旅
京都の銀閣寺に寄った。

何回か京都を訪れているのに、
あまり歴史に興味がないせいか、
記憶に残っているものは少ない。

中学生の時、銀閣寺の砂饅頭も銀でできているのかしらとか、
哲学の道を歩いて、
どうしてこんな有り触れた所を歩くのだろうと、
思いながら歩いた、そんな記憶が残っている。

今や世界遺産に登録された銀閣寺、本来の名は、東山 慈照寺と言う。

銀閣寺の説明では、
(臨済宗相国寺派に属する禅寺で、
建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。
義政公は、祖父の三代将軍足利義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、
隠棲生活を過ごすため、山荘東山殿を造営、
これが銀閣寺の発祥である。正しくは東山慈照寺。)

(史跡慈照寺(銀閣寺)の石柱)


この入口は記憶に残っている。
突き当りを左へ。すぐ銀閣寺のこれなんだろう?と思う建物。
お寺の本堂でもなさそうだし。

その疑問は、銀閣寺のパンフレットに書かれているが、
説明が堅くるしく、それを要約すると、
(この建物は「銀閣」で、一階は心空殿と言って、書院風に造られており、
二階は、潮音閣といって、壁に花頭窓(かとうまど)と言う窓があり、
唐様仏殿の様式で屋根の上の青銅の鳳凰は東を向いて、
観音菩薩を祀る銀閣を守っている。)とある。

一つの文で沢山を説明しようとするから解り難い。
観音菩薩を祀る銀閣であると言う事だ。
銀閣の建物の前に広がる砂は海の様でこれは銀でできた灘、
つまり銀沙灘(ぎんしゃだん)と言うそうだ。
そしてその中にある富士山に見立てた砂饅頭を向月台(こうげつだい)と言う。

(銀閣と銀沙灘と向月台)

(銀沙灘)


二階には花頭窓(かとうまど)があるらしいが、
一階にあったものがどうやら同じ花頭窓のようだ。
説明より、百聞は一見に如かずでご覧いただきたい。

(花頭窓)


銀沙灘の左に見えるのが、パンフレットによると本堂であるが、
京都見学の学生も素通りしているから、
きっと銀閣寺の本堂ではなく、東山慈照寺の本堂に違いない。(笑)

(銀沙灘の左横が本堂か)

(庭園から眺める銀閣はさすが世界文化遺産)

(屋根の上の鳳凰)

(銀閣を守る屋根の青銅の鳳凰)


今や修学旅行は、一昔前とは違って、
五人一組になって観光タクシーでの京都見物である。
これなら、迷子になる心配をして、大勢の生徒を数える暇もいらず、
ガイドの運転手さん任せで過ごせる。
引率先生の手間も省けて、先生は先生で別メニュウの観光が出来る、
修学旅行も、気楽な旅行になった。
どうも公務員が考えそうな企画だ。

大変なのは費用が馬鹿にならない親御さんたちである。

銀閣寺を出ると、「哲学の道」なる石標がある。

(「哲学の道」の石標」)


哲学者 西田幾太郎(にしだきたろう:京大哲学教授)が思索にふけり歩いた路。
春の小雨の中、琵琶湖疎水の脇を、
いとあわれを感じながら、徒然を想いつないで歩く。

(哲学の道)

(哲学の道2)

(哲学の道3)


・春の雨 そっと歩いた 疎水わき hide-san



コメント (8)
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