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URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2010/05/post_edbd.html
(姫路城)
今回ツアーのメインは姫路城。
名古屋城、熊本城、大阪城の三大名城と記憶で比べながら観光。
こちらはさすが世界遺産。
城内の管理も行き届いている。外国人には丁寧なガイドさんが、
日本の「おもてなしの心」を伝えているようであった。
外国へ行くとガイドさんの有難さが身に沁みてよくわかる。
日本での旅で、良い印象を持ってお帰りいただきたいものである。
姫路城は五年かけて修復するため、
お城の姿を見ることができなくなる。
世界的に有名な姫路城、別名―白鷺城。
五年先は命があるかないか解らない、
そう考える熟年者がお城を一目見たさに、
姫路に殺到していると言う。
話がどのように伝わったかは知らないが、
この話が「姫路城は無くなってしまう」と伝わって、
姫路城では、日曜祭日はおろか、ウイークデイも人であふれて、
土産物屋さんが心配している。
「こんなに沢山の人が来て、修復が終わったら、
観光地がひっそりしてしまうのではないか」と。
人のうわさは恐ろしい。
例えば昭和48年頃の石油ショックの時、
トイレットペーパーが無くなるというので、
人が買いあさって品切れが続出した。
特に日本人は、
隣の人がこうした、
お友達がこうした、と言うと
私も負けずに同じようにするのが当たり前で、
私が同じようにしないのは異常だ、
と言う心理に駆られるらしい。
それでとにかく,
姫路へ,
姫路へと人が集まり、
姫路城は毎日超満員であるとのことである。
この不景気のご時世に沢山の観光客が訪れると言うのは、
なんとも羨ましい限りである。
お土産物屋さんは溢れるばかりの人で、
バーゲンセールで鍛えた腕で、
おみやげ物の取り合いになる図は、
日本人ならではの光景であるに違いない。
お城を見学するには、
大手門から天守閣に向かうのがオーソドックスな順路であるが、
観光客の全部が全部、
同じ行動をとるから混雑極まりなく渋滞が起きる。
特に昔の城は、敵から襲撃にあったときに、
簡単に城内に攻め込まれないようにいろいろ工夫してある。
城の周りを囲むお濠。その濠をまたぐ橋があって、
城を攻める時は橋を渡らなければならない。
つまり攻撃の軍隊を一箇所に集めることで、
容易に包囲網を縮め一網打尽にすることが出来る。
それでも包囲網を突破して攻撃してきた敵集団が、
城に入り天守閣に登る階段は一段一段が高く、
登るのは容易ではない。
後期高齢者に入ったボクがこの階段を登るには、
両手で手すりに縋りつきやっとの思いである。
止めたいのは山々なれど、
止めれば入場料が無駄になる、
口惜しいがもったいないから登ることになる。
名古屋城など鉄筋コンクリート造りでエレベーターまである。
外観は昔のお城を復元し、
有名な名古屋人の誇り、金の鯱は純金である。
その昔、このシャチの金の鱗を一枚頂戴しようとした盗人がいたらしいが、
鱗一枚でもそうとうな財産に匹敵するらしく、
哀れにも盗人は、優秀な愛知県警に御用になったという。
前方に見える白い長屋は西の丸百間廊下と言い、
江戸城で言えば大奥に当る場所。
廊下が200mほど伸びており、
廊下の脇に8畳間、十畳間ほどの部屋が繋がっている。
部屋にはそれぞれ大奥の女性が生活したらしい。
世界遺産の姫路城。
実は日本の三大名城の中に入っていない。
???と思われる方が多いに違いない。
世界が観る価値観と日本人が持つ価値観は違っているのだ。
それで世界の人々は、
姫路城を日本に残された世界遺産に指定しているのである。
これはボクの勝手な解釈。
姫路城を造るとき、城壁にする石が無く困ったと言う話が庶民にまで届いて、
老婆が石臼を寄付した。
それが「姥が石」と名づけられて城壁の一部に金網で囲って見世物になっている。
なるほど余ほど石に困ったのか、日本三大名城と比較すると、
重要な角の部分は大きな石であるが、
その他の石がこまごまとしているのが分る。
隣を見学していた老姉妹が、
こんな大きな石をどうやって運んだのかしら?と会話しているので、
少し物知りなボクが口を挟んで、
「船で運んだのですよ」と言うと、
「船までが大変だったでしょうね」という。
昔、江戸城を見学した時、
江戸城の城壁で一番大きな石は35トンあり、
伊豆から切り出して、水の浮力を利用するために、
石を海の中につるして船で運んだ、と聞いています。
物知り顔に、余計な口利きしてご迷惑ではなかっただろうか。
老姉妹は、フェリーの中の同じテーブルで昼弁当を食べただけの知り合い。
姉のほうか妹のほうか、
一人が弁当を食べあぐねてあとで食べようと残した。
その弁当箱を丁寧に包み直してバッグにしまいこむのを見て、
戦時中食べ物の苦労をされた方だと思った。
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(姫路城)
今回ツアーのメインは姫路城。
名古屋城、熊本城、大阪城の三大名城と記憶で比べながら観光。
こちらはさすが世界遺産。
城内の管理も行き届いている。外国人には丁寧なガイドさんが、
日本の「おもてなしの心」を伝えているようであった。
外国へ行くとガイドさんの有難さが身に沁みてよくわかる。
日本での旅で、良い印象を持ってお帰りいただきたいものである。
姫路城は五年かけて修復するため、
お城の姿を見ることができなくなる。
世界的に有名な姫路城、別名―白鷺城。
五年先は命があるかないか解らない、
そう考える熟年者がお城を一目見たさに、
姫路に殺到していると言う。
話がどのように伝わったかは知らないが、
この話が「姫路城は無くなってしまう」と伝わって、
姫路城では、日曜祭日はおろか、ウイークデイも人であふれて、
土産物屋さんが心配している。
「こんなに沢山の人が来て、修復が終わったら、
観光地がひっそりしてしまうのではないか」と。
人のうわさは恐ろしい。
例えば昭和48年頃の石油ショックの時、
トイレットペーパーが無くなるというので、
人が買いあさって品切れが続出した。
特に日本人は、
隣の人がこうした、
お友達がこうした、と言うと
私も負けずに同じようにするのが当たり前で、
私が同じようにしないのは異常だ、
と言う心理に駆られるらしい。
それでとにかく,
姫路へ,
姫路へと人が集まり、
姫路城は毎日超満員であるとのことである。
この不景気のご時世に沢山の観光客が訪れると言うのは、
なんとも羨ましい限りである。
お土産物屋さんは溢れるばかりの人で、
バーゲンセールで鍛えた腕で、
おみやげ物の取り合いになる図は、
日本人ならではの光景であるに違いない。
お城を見学するには、
大手門から天守閣に向かうのがオーソドックスな順路であるが、
観光客の全部が全部、
同じ行動をとるから混雑極まりなく渋滞が起きる。
特に昔の城は、敵から襲撃にあったときに、
簡単に城内に攻め込まれないようにいろいろ工夫してある。
城の周りを囲むお濠。その濠をまたぐ橋があって、
城を攻める時は橋を渡らなければならない。
つまり攻撃の軍隊を一箇所に集めることで、
容易に包囲網を縮め一網打尽にすることが出来る。
それでも包囲網を突破して攻撃してきた敵集団が、
城に入り天守閣に登る階段は一段一段が高く、
登るのは容易ではない。
後期高齢者に入ったボクがこの階段を登るには、
両手で手すりに縋りつきやっとの思いである。
止めたいのは山々なれど、
止めれば入場料が無駄になる、
口惜しいがもったいないから登ることになる。
名古屋城など鉄筋コンクリート造りでエレベーターまである。
外観は昔のお城を復元し、
有名な名古屋人の誇り、金の鯱は純金である。
その昔、このシャチの金の鱗を一枚頂戴しようとした盗人がいたらしいが、
鱗一枚でもそうとうな財産に匹敵するらしく、
哀れにも盗人は、優秀な愛知県警に御用になったという。
前方に見える白い長屋は西の丸百間廊下と言い、
江戸城で言えば大奥に当る場所。
廊下が200mほど伸びており、
廊下の脇に8畳間、十畳間ほどの部屋が繋がっている。
部屋にはそれぞれ大奥の女性が生活したらしい。
世界遺産の姫路城。
実は日本の三大名城の中に入っていない。
???と思われる方が多いに違いない。
世界が観る価値観と日本人が持つ価値観は違っているのだ。
それで世界の人々は、
姫路城を日本に残された世界遺産に指定しているのである。
これはボクの勝手な解釈。
姫路城を造るとき、城壁にする石が無く困ったと言う話が庶民にまで届いて、
老婆が石臼を寄付した。
それが「姥が石」と名づけられて城壁の一部に金網で囲って見世物になっている。
なるほど余ほど石に困ったのか、日本三大名城と比較すると、
重要な角の部分は大きな石であるが、
その他の石がこまごまとしているのが分る。
隣を見学していた老姉妹が、
こんな大きな石をどうやって運んだのかしら?と会話しているので、
少し物知りなボクが口を挟んで、
「船で運んだのですよ」と言うと、
「船までが大変だったでしょうね」という。
昔、江戸城を見学した時、
江戸城の城壁で一番大きな石は35トンあり、
伊豆から切り出して、水の浮力を利用するために、
石を海の中につるして船で運んだ、と聞いています。
物知り顔に、余計な口利きしてご迷惑ではなかっただろうか。
老姉妹は、フェリーの中の同じテーブルで昼弁当を食べただけの知り合い。
姉のほうか妹のほうか、
一人が弁当を食べあぐねてあとで食べようと残した。
その弁当箱を丁寧に包み直してバッグにしまいこむのを見て、
戦時中食べ物の苦労をされた方だと思った。