駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

ザ・ビートルズのレコードからドラムの進歩とリンゴさんの変化を考える(その7)

2019年07月16日 | ビートルズネタ
デビューの1962年から年ごとにビートルズの歴史とリンゴさんのドラミングを追っかけるシリーズ、その7であります。
今回はデビューから6年目の1968年にスポットを当てます。

デビューから一気に世界のトップスターに駆け上がったザ・ビートルズの4人組。
ライブ活動をやめ、新曲作りとレコーディングに集中しようとしたものの、映画制作やマスコミ対応に追われて、いくら元気のいい若者とはいえ、いささか疲れがきたか。
しかも前年の8月には、彼らを支えてくれたマネージャーのブライアン・エプスタインが若くして死去し、気持ちの支えを失ってしまった4人の間に不穏な空気が漂う年でした。



ジョージのインド音楽への傾倒ぶりにますます拍車がかかり、メンバー全員インドへ瞑想旅行に行くのはこの年の2月の事。



インドで刺激を受けた4人は、その後の行動が過激になっていったようです。楽曲作りにも変なアイデアを思いついて実践しています。ジョンが寝転がって歌ってみたりと、過激というより奇行といった行動も目立ってきます。
5月にはビートルズとして、「若きアーティストたちを育てる」という崇高なコンセプトでアップルレコードを立ち上げますが、ブライアン亡き後、取り仕切る者がいないために経理はメチャクチャになり、金目当てのハイエナにたかられて早々に潰れてしまうことになります。

この年、オリジナルアルバムとして2枚組『The Beatles(ホワイトアルバム)』を制作・発表することになります。


(白いのでよくわかりませんが、レコードジャケットです)
しかし、前述のように精神的にはインドで刺激を受けたりもして自由な発想が飛び交っていたのですが、メンバーの行動がバラバラになっており、レコーディング作業は思うように進みません。
曲の完成は時間がかかり、何度も録音しては破棄され、メンバーもイメージ通りに進まないとイライラしたんだろうと思われます。
また、ジョンはスタジオにその当時不倫相手だったヨーコを参加させて、ボーカルを取らせたり、ヨーコがレコーディングに口出しするようになる。これはダメよダメダメ(古!)。最悪ですよね。「メンバー不仲説はヨーコが原因だった」と言われても仕方がない気がします。
だけど、新しく彼女ができたら連れて行きたいって気持ちは男として分からないでもない。まあ実際に連れて行っちゃうジョンってスゲーなともちょっと思う。。。
でもやっぱり当時のスタジオはそうとう険悪な雰囲気になったようです。メンバー間のストレスはマックスだったんでしょう。
エンジニアのジェフ・エメリックに続いて、人間的に一番丸いと言われたリンゴさんが脱走事件を起こします。「ビートルズを辞める!」と言ってレコーディングを放棄するのです。
結局2週間足らずで戻ってくるのですが、結果として「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」と「ディア・プルーデンス」はポールが難なくドラムを叩き完成させてしまう。
これでポールのドラミング能力の高さも証明してしまうことになるのですが、肝心のリンゴさんはやるせなかったんだろうなと思います。
だって、アルバムA面最初の曲ですもんね。「やり直させてくれ」「オレに叩かせてくれ!」と言ったのかどうか。多分言わないかな(笑)
これまで、メンバーの要求に対して的確に応えてレコーディングしてきたリンゴさん。どんな心境の変化があったんだろう。相当しんどかったんでしょうね、すごく知りたい。。。
ただ、レコーディング技術はさらに進歩し、8トラックレコーダーが登場。ますます作業がしやすくなります。
ドラムセットも、今までの3点セットから4点セットに変更しました。やっぱりどういった心境の変化なんでしょうね。これも気になる。



さてさて、肝心のリンゴさんのドラミングですが、アルバム通して前に出ていない印象です。それは、脱走という自業自得でポールに演奏を取られたり、ドラムレスの曲もけっこうあったりするせいなんですけれど。
実は、アルバムは2枚組なんですが、ジョージ・マーティンには曲を削って1枚にするように言われていたそうです。これはクオリティを上げるという意味合いだったようですが、確かにごった煮感はありますよね。
「レボリューション9」は聞かずに飛ばすって人も多いし、そもそも楽曲ですらないわけで、削ることはできたと思います。
ですが、今となってはこれがビートルズ。時代背景が音に出ていますもんね。今となっては絶対に削れない作品ですが、これを女子に聞かせたところ、ほぼ「何?怖い。。。」という反応が返ってきたような。
これはある意味「前衛音楽」として成功であり、ヨーコの思う壺だったんだと思います。いえ、ヨーコを否定するのではなく、この曲によってビートルズとしてのヨーコの立ち位置が確立したんだという意味ですけどね。

話がずれました。ロックっぽい曲の数々、「ヤー・ブルース」、「へルター・スケルター」の鬼気迫るプレイはリンゴさんならでは。ファンから言えば凄いの一言。上手いことを言うとしたら「イカレるメンバー達に怒(いか)れるドラマー」なんです。へへへ。。。
「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」のドラムは、「おっ、セット違くね?」って思える音色。
タムの音が、なんかしょぼくていい。これもヘッドにミュートの布をかぶせてレコーディングしているからですね。せっかくドラムセットを変えても、全篇ミュートしているから音がヘッド自体ののアタック音だけで、奥深い響きが全然なくてしょぼい。。。
その中で、オレが絶賛したいのは「サボイ・トラッフル」のドラムサウンド。軽いエフェクトでディレイがかかってデッドなタムやスネアに奥深さがプラスされて、当時は最先端なサウンドとなったはずです。これはもう一度、ドラムに注目して聴いてみてほしいと思います。この辺のリンゴさんの斬新さは評価しないわけにはいかないですね。
ついでにもう一つ。
2枚組の1枚ごとに、リンゴさんのボーカル曲が収録されています。リンゴ初自身のオリジナル曲「ドント・パス・ミー・バイ」、アルバム最後を飾る「グッド・ナイト」。どちらもすこぶるいい出来ですよね。
ポールの独擅場みたいに言われるアルバムですが、リンゴさんはやっぱりここでもすごい存在感を示しているんです。
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