駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

命日に再びジョンとヨーコからのメッセージを考える

2020年12月08日 | ビートルズネタ
12月8日(火) 本日のJOG=45分
ジョンの命日
昨日のブログの続きになりますが、そこで紹介した、NHKBSの「“イマジン”は生きている ジョンとヨーコからのメッセージ」の録画をまた観てしまった。
1970年のビートルズ解散以降、一貫して「Love&Peace」を提唱し続けたジョンとヨーコ。
なぜそこまで「Love&Peace」にこだわったのか、そしてジョンはなぜそこまで日本人女性のヨーコを愛したのかという疑問をもっと知りたかったのです。

ジョンとヨーコとの出会いは、ロンドンでのヨーコの個展がはじめだったという。
「日本の女の子がニューヨークから来て面白いことをやっている」と聞いて、面白半分で遊びに行ったそうだ。



昨日も書いた、「天井の絵」という作品について。
梯子を登って天井から吊るされた白いキャンバスを虫眼鏡で覗くと



そこに“YES”があった。



この仕掛けにジョンは心を奪われたのだ。「ポジティブなメッセージを感じた」という。
ジョンは、この不思議な東洋人女性にシンパシーを感じ、運命を思った。そして、まるで磁石のように二人はくっついたまま離れることはなかった。
のちに「Mind Games」という曲で「YES is the answer」とジョンは歌っている。

ヨーコは、作品を通して平和を訴える物が多かったそうだ。しかし前衛芸術というものはなかなか理解されにくいものだ。そこはオレも納得する。
ヨーコはジョンという理解者を得て、決してビートルズのジョンだからではなく、お互いに「変わり者」同士として愛し合うのだった。
ジョンも、「自分と同じくらいの変わり者に出会えてホッとした」「僕の隠された部分を、ヨーコが暗闇から引きずり出してくれた」と語った。
孤独な生い立ちのジョンには、ヨーコの存在が、そばにいてくれなかった母親に重なるものがあったようだと、のちにヨーコが語っている。
ジョンは幼い頃、父と母が家を出て叔母に育てられた。少年時代に再び母親と暮らそうとした矢先、交通事故で死んでしまったのだった。

ジョンとヨーコは、「Love&Peace」という共通のテーマを得て、互いに影響し合い、ジョンが亡くなるまで一貫して変わらなかった。
新婚旅行代わりにオランダで行ったイベント、「ベッドイン」ではマスコミや知識人たちが二人のベッドに押しかけた。
ベトナム戦争に反対する抗議活動の一つだが、まさに前衛芸術的な行動のため、一向に理解されなかった。
ベッドの上で、「売名行為だ」「バカげている」「君は病院に行くべきだ」などと罵声を浴びるばかりだった。
彼は「僕が生きているうちには平和は叶わないかもしれないが、声を上げ続けるしかない」と言った。

ジョンはヨーコに影響を受けて、大の日本通になったという。お忍びで日本に長期滞在したことも有名だ。
俳句や、「ワビサビ」「シブい」など日本的な感性を愛した。
ジョンの手書きの絵は今もたくさん残っていて興味深い。



とても愛と平和にあふれた絵だ。

銃弾に倒れたジョンが掛けていたメガネ。



ヨーコは、平和を祈りこの写真を撮った。
これを見ると、もう何も言うことができなくなる。
コメント
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