それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

広大無辺の御神徳があるその神社は偉人たちのゆかりの地☆生國魂神社♪

2021-03-15 05:18:27 | おでかけ

若い頃は、”日本史”と聞くだけで、アレルギー反応が出るのでは!?って思ったわ。

実際、日本史の教科書を前にしたら、胃液が上がってきたし、何故そうなのかも分からない。

もう本能的に拒絶していた日本史に、どっぷり嵌り、絶賛。司馬遼読書中。

昔は、何処へでも歩いて行ったんだ。そう思ったら徒歩も楽しい。

時は2月27日、早暁よりの出立で、堺からここまで徒歩ってきたさ。

以前、天王寺をちょいと行き過ぎた、四天王寺や一心寺等々まで行ったから、

もちくっと、更に向こうへ行ってみようと思ったのだ。そこが”生國魂神社”。

通称、”いくたまさん”って親しまれているけど”難波大社(なにわのおおやしろ)

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)”って言う。

手水舎。水は無いわ。本来、お詣り前に、手を浄め口を浄めて心を浄め・・だのに。

第一代・神武天皇が、九州より日本統一の旅に出発され、難波津(大阪湾)に御着きになった際、

現在の上町台地の北端に、日本国の御魂である生島大神・足島大神を祀られたのが、

生國魂神社の創祀と伝えられておりまする。後、相殿神として大物主大神をお祀り。

ただ・・・。まだ入っても勝手にお詣りOKでも、誰も・・・居ない。探検だ!

境内の、ここから向こうには、色んな神様がいらっしゃる。

築港の工業団地みたいなものか?だけど、その御神徳は様々で、用途・効果を選んでお詣りできる。

なんと画期的な事か。あれとこれと・・・って時にも、ここだけで事が済むもん。

浄瑠璃神社は、芸能上達の神様だし、家造祖神社はそのまま、家づくりの神様。

鞴(ふいご)神社は、商運・金物・かまどの神様で、11月8日の例祭には、刀剣鍛練神事(作刀の神事)が

執り行われるらしいから、刀女子にはおススメです。

源九郎稲荷神社は、商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの神様で、稲荷神社は同じく、

商売繁盛・五穀豊穣で、除災招福の神様。真ん中の精鎮社は水産業繁栄の神様。

皇大神宮は、御祭神・天照皇大御神。伊勢の神宮(内宮)の御分霊をお祀りし、

八百萬神(やおろずのかみ)の本宗として、広大無辺の御神徳を授けられまって、

この一社で、事足りる位の勢いなのだけどね。菅原道真の天満宮だってあるからね。

天満宮が有るからなのか、元々なのか、生玉の杜・庭には梅の花。

さて、私としては、絶賛司馬遼本にどっぷり嵌ってるし、読書中は戦国真っただ中!

摂末社が沢山有る中で、お!ここは!って思ったのが、鴫野(しぎの)神社。

祭神は、市寸島比売神(日本神話に出てくる女神様で水の神だそう)、大宮売神、

そして、淀姫神・・・って、淀殿かい!?

女性の栄華を極めた淀姫(淀君)ゆかりの神社だそうな。

栄華をね~。秀吉んとこに居た時だけじゃないの?それまでの人生って・・・ってさて置き、

元々は、『鴫野の弁天さん』として、大阪城東側(現在の大阪市城東区)に祀られ、

淀姫が大坂城からこの弁天社に足繁く通った事から、自身も弁天社に祀られたそうな。

以後、この生國魂神社境内に遷座され、女性の守護神と仰がれ、

心願成就と縁の神様として、霊験あらたかと、お詣りする人が群れをなしたと伝わります。

その縁っていうのが、縁結びと悪縁切りらしいので、皆さん、どうぞ。

そして、大阪城繋がりで、ここ・・・。

城方向(きたむき)八幡宮は、御祭神、譽田別命(こんだわけのみこと)と、

気長足媛尊(きながたらしひめのみこと)、玉依比賣命(たまよりひめのみこと)。

大阪城鬼門の守護神として、鎮祭されたので城方向(北向)と称するそうだが。

方除・厄除・勝運の神として熱く崇敬されているとな。

沈丁花。よくある花でも、境内にあったらひと際美しく感じるの、私も心が洗われたからか?私が!?

さあ、まだお話は続くよ。聞いた事有る名前。え?なんやったっけ?ってなる名前。

織田作之助。オダサク~!そうです、そうでした。

なんとダンディな!。大阪を愛し、33年の生涯は太くて短かかった。って書いてある。

そうそう『文豪ストレイドッグス』の登場人物だもの。読んでないけどね。

大正2年、大阪市南区生玉前町(現天王寺区)に生まれたのだ。だから生玉さんに?

かの有名な『夫婦善哉』はじめ、多く庶民を題材にした小説を残しています。

井原西鶴を師と仰いでいた・・・その井原西鶴。

寛永19年(1642年)和歌山・中津村生まれ。

数々の名作を残したのだけど、私如きでもそのタイトルを知ってるのは、『好色一代男』や、

『好色五人女』やら『世間胸算用』等々。読んでは・・・いないけどね!

延宝元年(1673年)春、生國魂神社の南坊で万句俳諧の興行をし、後日『生玉万句』を出版。

延宝5年3月、生國魂神社で一昼夜1,600句独吟興行、5月に『俳諧大句数』を刊行。

延宝8年5月、生國魂神社で一昼夜4,000句の新記録を南坊で達成。

作品たちは世界各地で翻訳され、その文化的評価は高く、1968年、ユネスコは世界的偉人の

ひとりとして、井原西鶴を選んだのだ。凄いぞ。

河津寒桜。(かわつかんざくら)。

昭和25年頃に、伊豆半島で発見された若木が、静岡県河津町の民家に移植されたそう。

寒桜より濃い淡紅色の大きな花は、河津寒桜と呼ばれ、各地に広まった・・って、美しい。

こ、これは?米澤彦八の碑。ん?米澤?彦八?。なんかこの名前、知ってる気がする。

何だっけ?誰だっけ?むっちゃ知ってる気がするのは?なに?・・・あ!!

思い出しましたわ。上方落語の祖と呼ばれるかた。ってぇ、実在したんやん!

そうそう、生玉さん出てきたわ。ここ生國魂神社の境内の小屋に、大道芸人が技を競い合っていた。

そのお話、『日本一の軽口男』って本で読んだのだ~~~ぁ!

近松門左衛門の『曽根崎心中』のお話のなかでも、”生玉社前の段”に、

彦八の物真似興行であったというから、かなりの有名さ加減。

そうかそうか、ここだったのだ。生玉さんやもん。って、実はこの日この時まで、

生玉さん=生國魂神社って、柔軟な理解力が無かったもので、懐かしい友と出会ったようにほっとした。

さあ、お詣りに伺いましょう。

生島・足島大神は、日本国土そのもであり、大地に生を受けるものすべてを生かし育て、

守護される広大無辺の御神徳が有るそうな。

ん?広大無辺の御神徳?さっきも書いたような気がする。ああ。皇大神宮と同じだわ。

ここでは毎年、その年の干支の朱印(スタンプ?)を授けて下さるのだけど、それは1月中。

しかし、今年はコロナで自粛なんて~のも有ったので、2月いっぱいやってましたさ。

今更の情報ですが、だってこの日、2月28日だったもの。

ここでその大きな干支朱印を、どっか~んって載せるべきだったか?いやいや、

個人的には、普通のんの方が好きなので、通常の御朱印を頂きましたわん。

ここで書いた何倍も、見所満載の神社ですし、色々と勉強になりました。

どうも、ありがとうございました。

難波大社 生國魂神社

大阪市天王寺区生玉町13-9

TEL 06-6771-0002