超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

我らが「12ちゃん」

2015-09-16 05:47:37 | 昭和
民法局の番組を見に最近よく訪れる「テレ東」について、昭和期によく見ていた「チープな番組」を書き綴ってきた。せっかく途中まで書いたのでもう少し続きを考えてみよう。(って実はもうネタが切れてきたのだが・・・)
その前にテレ東と言えば「11PM」や「オールナイトフジ」を凌ぐお色気シーン満載の深夜番組が山ほどあったようだが、残念ながらそのほとんどは見たことがない。「天才柳沢教授の生活」のように未成年期の私は今同様に完全「朝系」で夜10時40分頃から放映されたいたNHKの「刑事コロンボ」以外は11時以降起きていることがほぼ無かったのである。(受験生期間だけ1時間延びた)青年期はそもそもこれらの番組が流れる土日の夜など家にいないことが多かったものだが、「ギルガメッシュナイト」の故・飯島愛さんの「御尻」は印象的だった。

「釣り」
私は釣りが好きだったので釣り番組には期待することが多いのだが、メジャーの民放では「松方弘樹世界を釣る」なんていう非現実的な特番しかなく、ここでも「12ちゃん」はかなりの健闘を見せた。「われら釣り天狗」「千夜釣行」「釣りロマンを求めて」など、どれも似たような内容で海なのか川なのか、テーマ・ジャンルがよく分からなかったが、貴重な分野として土日の夕方にいる時はよく見ていたものである。いつ見ても明らかに爆釣で、釣れたシーンだけ「テープをつなぎ合わせている」か、ダイバーが針に魚をつけているか、都市伝説として噂された。年末のカワハギ船に「オレも行く!」と手を挙げたら、「お正月休みでダイバーがいないので・・・」と笑われて久しい。。。

  

「旅行」
旅行と言えば多局でも多くの番組がある。しかし他の民放は少し若めの女性タレントやお笑い芸人、バラエティタレントなどを起用しているようだが、我らが「12ちゃん」では「いい旅・夢気分」が印象的で、その昔は山本陽子さんが光っていた。なぜ覚えているかというと、撮影の裏話をどこかのトーク番組で披露していたのである。高級温泉旅館など紹介する時は他の宿泊客に配慮して撮影は早朝に行われたことが多かったそうだ。夜遠しで板前さんの創った特別料理を朝の暗いうちからほおばり、何度も取り直ししてげっそりしてきたところに、入浴シーンの連続で半ばのぼせ上がりながら、「ふぅーっ・・・ゆったりできるわねえ。。。」といかにもくつろいで見せるのはかなりしんどかったそうだ。(さすが女優魂)他局がくだらないバラティばかりやっている時にこの局の旅番組を見ると何故か気分が落ち着き、ずいぶんお世話になったものだ。

  

「バラエティ」
他のメジャー局でも多くの番組がバブルのように「出ては消え」、この局も多くの番組があったようだが、こういうマイナー局になると番組自体を全く覚えていない(というか見ていない?!)バラエティ・お笑い番組は「流行り」の芸人やタレントを抜かりなく起用するのが大事で、他局にかなり遅れをとっていたような気がする。よく見ていたのは「三波伸介の凸凹大学校」である。確か故・三波伸介さんがはげ頭にちょび髭の「カトちゃん」みたいな姿だった。面白かったのは「白紙の描く絵とジェスチャーを組み合わせたエスチャー」で、レギュラーだったずうとるびの山田さんだったか江藤さんだったかが、いつも変な絵を描いて笑わせた。岸本加世子さんがヌード写真を出した時、「あんな姿じゃ寒いだろ」とのたまった三波伸介さんが途中で亡くなってしまった。最終回(たぶん)の追悼特集はものすごく寂しく悲しい記憶がある。

   

「トーク」
週末、私が寝る時間の直前くらいに「ミエと良子のおしゃべり泥棒」というトーク番組をやっていた。ウィークエンダーよりは上品なものを感じた。あまり内容に印象深いものはないのだが、たぶんミエさんのほうがずけずけと普通は聞かないゲストの過去やプライベートところに踏み込み、良子さんが「まあまあ・・・」と抑え役だったようだ。今でもそういう番組は結構あるが、深夜帯だったからかテーブルにお酒が確かあって、今よりもお洒落な感じが漂っていた。内容はあまり覚えていないが、俳優の浮気話とか嫌いな芸能人の悪口とかミエさんはかなり際どいところまで突っ込んでいた。マンションの一室みたいなところで撮影されたいて、最後に二人が「あの人はああだったこうだった」と回想してエンディングを迎えるのだが、あの手の演出というかスタイルの走りだったように思う。両親は「人に歴史あり」とかいうシビアな番組を深夜に見ていたが、内容はあまり覚えていない。

  

「時代劇」
名物時代劇と言えば、「桃太郎侍」の高橋英樹さんや「長七郎江戸日記」里見浩太郎さんの二刀流が煌びやかだったが、隠密同心としてグループの多様な活動で蔓延る悪を退治した「大江戸捜査網」は大好きだった。オープニングで「隠密同心、それは時の老中○○●●(松平定信だったかなあ)の命により・・・・・彼らに明日はない。」そしてエンディングでは「隠密同心、(何とかかんとか色々口上)・・・なお死して屍拾う者なし、死して屍拾うものなし」(ちなみにたくさんのシリーズがあるようなのでこれだけではないかもしれない)私が見ていた頃は「12ちゃん」の割には杉良太郎さんや里見浩太郎さんと言った超大物時代劇俳優が出ていたように思う。妻は瑳川哲朗さん演じる井坂十蔵が好きだったらしく、内容そのものは私よりも詳しいようだ。ちなみに瑳川哲朗さんはウルトラマンAの防衛隊TACの隊長である。平成になっても何度か新シリーズが登場したようで、あの独特なオープニングテーマはテレ東の色々な番組(特に取材や探し物)で使用されているし、元職場にこのオープニングを携帯の着メロにしている人がいた。

  

いよいよ最後のジャンルが「アニメ」シリーズである。(って言うか、もはやネタ切れ・・・)
息子甘辛に言わせると(彼の時代はテレ東)、12ちゃんは小さい頃アニメの宝庫だったそうである。「とっとこハム太郎」「超ロボット生命体トランスフォーマーシリーズ」「ヒカリアン」「ビーダマン」に「ケロロ軍曹」なるほど、私でも幼い息子と一緒に見た記憶がある。しかし昭和の時代を見ると何やかやで色々見てはいたが、「これぞ12ちゃん」というアニメは印象がないのである。ただ「番組時間帯と看板アニメ」がぱーっと思いつくのは夕方6時半から7時までの「まんがキッドボックス」から「まんがのくに」への流れである。この時間帯専用に制作されたものではなく、外国のアニメなどが垂れ流しになっていてちょっと意味不明なものもあった。「これが見たい!」とチャンネルを合わせていたわけではない。夕方6時半から7時の間は他の民放はすべてニュースか天気予報、スポーツ速報みたいになってしまっていて、子供にとっては空白時間帯であり、アニメ難民のように最果ての「12ちゃん」に流れ着いたのである。正直、どちらの枠で放映されていたのか、さっぱり覚えていないが誰もが覚えている有名どころ以外に、確実にあったというものはいくつか挙げられる。メジャー路線で言えばポパイ、チキチキマシン猛レースとその派生品のようなアニメ、マジックベルトの「シンドバッドの冒険」に登場したオウムのソルティは三遊亭金馬師匠だった。よく考えると「ハンナ・バーベラ」ものが多かったような気がする。
そして「シンドバッド」に「ラムジーちゃん」という白いプードルの短い物語がすぐに続いたように思う。主題歌は「ラムジー、ラムジー可愛い子ちゃん、ラムジー、ラムジーお茶目ちゃん・・・・変身オオカミぱっと出て、騙すつもりが騙される。。。。」その他、運動方程式くらいの記憶にあるのは「大魔王シャザーン」、ヒューヒュー、ポーポーの出る「怪獣王ターガン」、そして三角関数の加法定理並みのうろ覚えしかないものとして「突貫カメくん」「タキシードペンギン」などである。(あくまでうろ覚えなので違ったらスルーしてね)

今はなき、東京12チャンネル(テレ東になってからのも入っている)の番組編だったが、他のメジャー民放局に比べて何かと格下のイメージがあり、「ボラギノールのCM」のようにいかにも低予算で映像がイマイチだった割にはずいぶんと救われていたと思う。実は記事中に登場する番組タイトルは図書館で借りてきた「ザ・テレビ欄」のものである。「東京12チャンネル」欄だけ見てみてもこれまで書いてきた番組以外にも「あーっ、これあったあった!見てたねー」というものが結構ある。小夏師匠のご指摘された「演歌の花道」も調べるとやはり夜10時からの番組だった。私はあまり見なかったのだが「にっぽんの歌」とともに「演歌のテレ東」を確立した番組で、「浮世の・・・歌ひとつ」のオープニングは有名なせりふだったらしい。(さすが師匠)「にっぽんの歌」というのは夏祭り編とか年忘れ編とか色々応用編があったと思う。また平成の始めごろには「昭和歌謡大全集」という番組もあったが、アイドル全盛の我々にとっては少し前時代的な「知らない曲」ばかりでほとんどチャンネルを回すことはなかった。

  

さてパラパラとテレビ欄ページをめくっていると、「12ちゃん」の番組のは二つの法則があてはまるような気がしてきた。一つは無茶苦茶な再放映権の取得である。たぶんオリジナルの放映は他局だったであろうが、(再)マークもつけずに平然と流していた番組が山ほどあり、どちらかというと「12ちゃん」で初めて見た番組の方が多いくらいである。アニメで言えば「カバトット」「かいけつタマゴン」「ゼロテスター」に「ハクション大魔王」、特撮ならスバル360の「トリプルファイター」、忍法獅子変化の「怪傑ライオン丸」、ドラマならチー坊の「パパと呼ばないで」、片桐くんの「飛び出せ青春」、どう見ても「夕陽が丘の総理大臣」の二番煎じにしか見えない「旭ヶ丘の大統領」、時代劇では「鬼平犯科帳」、「子連れ狼」などがそうだ。特に子供の頃、チャンネル権がなくてオリジナル番組を見られなかったアニメ番組は午前中にやっていた「まんが広場」で見貯めしていたのである。

さてもう一つ、我らが「12ちゃん」の大きな法則は無茶苦茶な放映時間帯の変更である。
看板の「大江戸捜査網」は夜9時がメインだったが、その再放送は昼の1時かと思えば夕方16時、はたまた深夜0時なんていう時もあった。「世界の料理ショー」も日曜昼前の時はいいタイミングで食欲が湧いたのに、夜10時に追いやられ、最後はさらに11時なんていう夜食のような時間になってしまった。「我ら釣り天狗」は始めのうちは深夜11時15分なんていう蔑まれたような時間だったが、夕方4時45分に昇格し、さらに午前10時半に抜擢されたが、いつの間にか深夜11時半に格下げされてしまった。憧れのお色気ドラマ「プレイガール」は深夜0時台と真昼間を行ったり来たり・・・全く無茶苦茶な時間帯設定である。
テレ東だけでもこれだけ話題があるのである。昭和のテレビ欄をくまなく見渡すと、もっと面白い番組や見出しの宝庫に違いない。


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