超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

秋の収穫祭

2010-10-31 19:59:12 | 食べ物
職場のビルから30kmほど県北にある事務所で「秋の収穫祭」なる催しがあり参加した。
地方圏だから事務員も自宅に畑を持っていたり、許可を得て野生動物を捕まえたり、釣った鮎を保存していたり、色々なことをする人がおり、年に2回春と秋にそれぞれの収穫を持ち寄って手作りの大宴会を開催するのだ。
県内で数か所ある事務所で各々催されており、「水神祭」と称することもあるようだが、この地の収穫祭が最も豪華多彩なものだと言う。
毎年、関係会社やOBなども招待して盛大に行われるそうだ。あいにくその日は12月中旬並みの寒さに加えて冷たい雨が降っていた。

しかしそこはさすが工事屋、2階建てビルの大型ベランダにブルーシートを張って即席巨大テントとし、工事用ライトを多用して雨風を防いだ上に暖かい屋外ステージを作りだした。
山歩きで採集してきた新鮮な山菜や、肉、魚介類を炭火焼にし、鍋ものが2種類、そばとうどんが仕上げに用意されていた。
これで会費3000円とは安すぎる!事務方はその日1かけて仕事ほっぽり出して準備していたと見える。。。
こういう時大抵最初に何かしゃべらされるのだが、挨拶もそこそこに乾杯で和やかに「収穫祭」は始まった。
しばらくして世話役の人が「恒例の」差し入れについて紹介し始めた。読み上げるたびに拍手が沸き起こるいつもの風景だ。

「○宮様から『久保田』をいただきましたぁ。●●ご一同様から『さつま白波』をいただきましたぁ。・・・■■社長から勝沼ワインのセットを差し入れいただきましたぁ。・・・▽△様はどうしても都合かつかず、ご寄附をいただくとともに『皆様によろしく』ということでありました。。。本日お忙しいところ来ていただきました磯辺様からは日本酒をいただきましたぁ・・・」

んっ?オレそんなの持って来てないけど・・・しかも別に忙しくないし。。。
最近、知らないところで色々自分名で何か「したことになっている」事柄がやけに多い。先日の冠婚葬祭でも「頼みもしないのに」花輪が捧げられており、電報も出してないのに名前を読み上げられた。
どこの誰か(総務あたりかな?)知らないが見事な気の使い方だ。後で請求書来ないだろな・・・(差し入れは全然OKだけど)
差し入れを読み上げる世話役も大変だ。酒類が多いがものすごい量に積み上がり、とてもその日じゅうには飲みきれまい・・・

「・・・様からは野菜一式、・・・様からは鮎を頂戴しました。また○野様からは『猪』をいただきました・・・・」

「へっ?!今、「いのしし」って言った?どうやって食うんだろ?鍋かな。。。」

「今、食ってる肉がそうですよ。内臓が新鮮でおいしいですよねえ」世話好きエイトマンはせっせと肉を焼きながら笑った。

      

そして最後に幹事が「T田課長からは『安全な!』きのこをいただきました」と締めたときに、どどーっとどよめき笑いが起きた。
なるほどこれのことか・・・
実は番頭のOちゃんから散々聞かされていたのである。「T田さん持ち込みの『きのこ』だけは食ってはいけない」と。。。
人物としては素晴らしい人なのだが、かなりそそっかしく山歩きで採ってきたきのこに、やばいヤツが入っていたらしい。
あまりよく見ないで採って来るらしい。
数年前、この「毒きのこ」により10数名がお腹をこわしてひどい目にあって以来、彼の持ち込むきのこだけは「密かに取り分けられ」別の皿に固められ、それとわかるマークが付けられるそうだ。

   

「アルコールでこれだけ『内部消毒』してるんだから、大丈夫じゃないの?オレ、勝負してみようかな。。。」

「とんでもない!甘く見てると死にますよ。。。」あの豪快なスティーブが青い顔をしてたしなめた。そんなにやばいのか・・・
実は各セクションの総括には総務部長名で「くれぐれも『きのこ』には気を付けるように・・・」という警告メールが来ていたそうだ。。。
どうやら今年は皿にすら盛られずに極秘裏に抹殺されたらしい・・・(食べられるのもあるはずなんだが安全第一)
素朴なものだったが、鍋物なんか実に美味しかった。すいとんきのこ汁にたっぷり魚の酒粕汁・・・うーむ。温まる。。。
やはり鮎の塩焼きが山ほど出てきた。この手のイベントで死ぬほど食わされ、食傷気味だった私は一つだけつまんだ。

トイレに立った帰りに会議室をつぶして準備室としていた部屋から声を掛けられ・・・「磯辺さん、手打ちそば食いませんか?」
おーっ!この老人が噂に聞いていた「そば打ち名人」か・・・スティーブから

「ぜひ食べて言ってください。でも思いっきり「持ち上げて」あげないと作ってくれませんよ。気難しい老人なんです・・・」

   

手際よく麺をゆで、さーっと水きりしてざるに盛ってくれた。さてどんな風に称えようか・・・なんて考えて口にしたら、びっくりするほど美味しかった。香りといい茹で加減といい、絶品と言って過言ではない。
正直に「こりゃあ、抜群にうまいですねえ。つゆとの相性もばっちりですよ!」
つるつるとあっという間に平らげる私を見て、老人は全然気難しい顔などせずににっこり笑い、そば湯を足してくれた。
そんな私の姿を見つけてスティーブと隊長が「おーっ、玄さん(仮称)今年もおいしいそば茹でてくださいよぉ。電車の時間が迫ってるから急いでねー」
結構、図々しく言うではないか。。。玄さんはせっせと麺をゆで続け、手際よく盛って出した。お礼を言って会場に戻ろうとしたら・・・

「磯辺さん、手打ちうどんも食ってもらわなきゃ!」

反対側のテーブルに山のようにざるに盛られた太い麺が見えた。。。これも誰かが打ったらしい。太さもまちまちだしざるを持ち上げたら、鉄アレイのようにずしりと重い。
この地方のうどんはもちもち感というよりは、ずっしり硬いのだ。特にざるうどんを1人前食うと顎が疲れるほどだ。
つるつるというよりも歯ごたえとボリューム重視で、どこへ行っても胸が苦しくなるほど量が多い。さすがにこの期に及んでうどんはつらいなー。
ひと箸ふた箸口にして、誰かに呼ばれたふりをして脱出してきた。

   

かなりの田舎なので電車は1時間に一本しかなく、しかも次の上りが最終だという。。。
社用車があるから、今晩はこのまま事務所に泊まって(朝まで騒ぎ)、翌朝そのまま出勤すればいいかなーなどと考えていたら、「きのこのTさん」が自家用車で乗せて帰ってくれるという・・・彼はいかにも酒飲みの顔をしているが、実は1滴も飲めないのだという。
スティーブとOちゃんと共にお言葉に甘えることにした。(これは助かった・・・)
帰りしな世話役の人が山のようなうどんを持たせてくれた。恐ろしく重いぞ。2kgくらいはあるかなー。
つゆはペットボトルで、薬味にカボスが20個ほど入っている。

みなさんにはよくよくお礼をしなきゃ。来春の収穫祭も楽しみだなー。

OBの集い

2010-10-28 10:51:32 | 職場
年に一度の退職者交流会というのが開催された。文字通り会社を退職された方が集う「同窓会」のようなものである。
我々現役組はご歓待する側だから、とにかく持ち上げ「注ぎ役」に徹することになる。「先輩をちやほやする会」である。
昨年は最高年齢90歳と聞いた。会社自体は結構変遷しているが、この強力なOB様たちバックアップは計り知れないものがある。
地域的なもので私は初めての参加になるから、誰も存じ上げる人はいなかったが、どれもつわもの顔だった。

職場では「鬼」とも「仏」とも言われている親分のスティーブも、この日ばかりはイマイチ浮かない顔である。
何せ彼の何代も前の先輩がぞろぞろやって来るのだ。先輩後輩の関係はいつまでたっても逆転することはないから、今でも「パシリ」時代に逆戻りしてしまうらしい。
それほどこき使われてるようには見えなかったが。。。。

「オレ、もう『米つきバッタ』・・・・1年で一番憂鬱な日なんですよ。。。」
はるか遠くのテーブルで埋もれていたスティーブは自分の大先輩を紹介にきた。
私のテーブルにはスティーブと同期のエイトマンがおり、彼はほとんど静止することがないほど「お酒を持ってきたり」「料理を取り皿に運んできたり」ホテル職員以上に甲斐甲斐しく尽していた。ときどき会場からも消えてしまうので、「調理場に入って仕切ってんじゃないか?」とも思えた。
会場はホテルの大広間であった。豪華な檀上があり、片側の壁面には大きなスクリーンが用意され、会社の取組状況やOBが作ったホームページが映し出されていた。

私は飲み会のときに動き回る習慣がなく、ずーーっと同じところにいるのだが、さすがにその日だけはビンを持って色々注ぎに回ろうとしてるものの、誰もわからない。。。
スティーブ、エイトマンをはじめ色々な人が私に彼らの先輩を紹介してくれる。
「いやあ、どうも。こんにちは」普段世話になっている方々の先輩だから、にこにこへいこらするしかない。。。
しかし次々にやってくる方々の話を聞いているとつくづく「昔はすげえ人がいたもんだ」と思う。

ある人はインターネットカフェが出始めたころ、海外の若者がどんな風に利用しているかどうしてもリサーチしたくて、上司と別のフロアだったことをよいことに2か月以上も「会社に来たふり」をして米国を渡り歩いたとか。。。メールで業務報告などを済ませていたので、ずーっとバレなかったそうだ。しかしとうとう上司がやってきてバレてしまったとき、その上司は「やることやってれば会社にいてもいなくてもいいさ。。。」
またある人はバリバリの技術屋だったのが、時代の変遷とともに得意のシステムが陳腐化してきたことに無常感を覚え、会社を辞めて大学院に入学し「地域施策学」とかいう学問を専攻して数年前卒業したそうだ。今、博士課程に進むかどうか考えてるんだって。還暦を迎えて卒業なんて実にクールだ。人間一生勉強だからな。
極めつけは会社ではかなり上役まで行ったというご老人。高速道路で前を走る車の落下物を避けようとして一回転し、九死に一生を得たものの本人曰く「内臓のほとんどが摘出されて・・・かけらしかない」そうだ。それでも平気でハイボールをガブガブ飲んでるぞ。
私が生まれる前に入社した、なんて人がごろごろいる。さすがのスティーブも子供扱いされるわけだ。

「そろそろ出てきますよ。『オレにも何かしゃべらせろー!』と騒ぎ出す人が・・・」

エイトマンが忙しそうにお酒を注ぎながら言った。隣のテーブルでは私と一緒に着任し乾杯の音頭をとったイケメン管理者が東海林のり子に似たマジックアイのような衣装をきた強力OGに捕まって説教されている。。。
先輩の武勇伝を上げたらエイトマンはピカイチだ。わけのわからない経験をしている。。。もう30年以上前というが、エイトマンの上司の課長は伝説に残る兵(つわもの)だったらしい。

「●上さん今年は来てないなあ。。。」エイトマンはせっせと手を動かしながら呟いた。

何でも普段は仕事もでき、人望もあったが酒を飲むととんでもなく恐ろしい人に豹変したそうだ。
エイトマンはよく無理やり拉致されてご自分の家でたらふく飲まされ・・・家で飲みつぶれ座ったままウトウトしていると「お前、起きろ!」と床の間に飾ってあった青竹で頭をめり込むほどはたかれ・・・
翌日、朝御飯ができるといきなり鼻の先に50度の酒を突き付けて無理やり起こし・・・「オイ、キン坊!これ戻してこい!」(キン坊とはエイトマンの呼び名)
見てみるとバス停だったらしい。よく見ると玄関にはサトちゃんとかペコちゃんとか色んなものが置いてあったそうだ。
酔うと道端にあるものを何でもかんでも持って来てしまうんだって。

あまりひどく羽目を外す人はいなかたったが、そのうちにトコトコと檀上に昇り、勝手にハーモニカをひき始めたおじいさんがいた。
世話役があわてて付添い、何度も「終わり」を示す大拍手を促してるのに、一向に止める気配がない。
「ずーっとそのままやってくれ・・・」心の中で私は呟いていた。もう時間的には間近に迫った「締め」が私に振られていたからである。
かなり格調高い雰囲気はあったが、私は挨拶などにいちいち紙を用意しないので、その場のノリでぱーっと3本締めで終えた。
「素晴らしい経験談」というセリフの後に「素晴らしい演奏」を入れるのを忘れなかったからかなりまともなほうだ。

OBの方々を出口で拍手とともにお送りした後は関係者で集まって反省会だ。
前回の同様なパーティでもそうだったが、大きな会場で立食形式で開催すると、どうしても料理が山ほど余ってしまう。
高齢化が進んでるし、どちらかというと「飲み」専門のメンバーばかりだからだ。だからと言って「演出」も必要だから料理はそれなりの量がなければみすぼらしくなってしまう。。。
母親に「食べ物を粗末にするな」と死ぬほど言われてきた私は、いつも「もったいないなー」と心を痛め、終わった後にできる限り食べて行く(時には持って帰る)ようにしていた。
だからこういう2次会の設定は素晴らしい。ホントは金曜日なので交流会が終わったらすぐに帰りたかったが、皆と共に反省会に参加した。

司会進行をしていた妙齢の女性は赤い顔をしながら・・・「アタシ、酒飲みながら司会したのはじめて!」
彼女をよく知っているOBが次々に酒を注ぎにやってきて飲まされたらしいのである。なんとスティーブとエイトマンの同期であった。
もう30年以上のつきあいらしい。仲良く話をしながらワインをがぶ飲みしていたが、あういう関係ってなかなかいいものだ。
彼らも遠くないうちに「招待される側」の人になってしまうだろう。スティーブが苦笑いしながら最後に

「アレが数年後のオレの姿なんだよなー。笑えねえなー」

ずーっと元気で頑張ってほしいものだ。

お仕事です!スペイン編

2010-10-23 15:00:53 | 旅行お出かけ
ひょんなことから思い出した久々の「お仕事です!」編である。

息子甘辛が小学生だったときのチームメイトが夏休み明けから海外に渡航したことを知った。
今、世界最高峰と言われるプロサッカーリーグを持つスペインである。下部のクラブ組織への入団が認められ、こちらの中学を辞めて向こうで暮らすらしい。
向こうには一定期間メンバと一緒に練習し、実力を認められると入団できる制度があるらしい。1回ではパスできなかったそうだが、何度も何度も挑戦してやっとこの秋から切符を手にしたらしい。。。

たいしたものだ。将来のリーガエスパニョーラ目指してがんばってもらいたいものだ。(サインもらっとけばよかった・・・)
小学サッカーのチームでも身体は大きくないが、ずば抜けて上手だった。その分チームメイトを信頼せずに一人でサッカーをする傾向はあったが・・・スター選手とは誰もそういう面を持っているそうだ。
最上級生になったときに、Jリーグの下部組織に合格しチームを去って行った。ご両親もそれはそれは熱心で、あちこちのチームに売り込んでいたようだ。
ところが残念ながら小学校を卒業し、同じチームではジュニアユースに昇格できなかった。。。
その結果が「海外売り込み」である。13歳という年齢で単身スペインという国に乗り込んでいく勇気にはホントに感心する。

さてスペインという国は我が家を建設した建築士に言わせれば「憧れの地」だそうだ。宮殿やカテドラルその他ロマネスク、ゴシック、バロック建築の宝庫で有名なガウディの「サグラダ・ファミリア」に立ったときは「ここが自分の生まれ故郷だ!」とうち震えたんだって。
私も一度だけ訪れたことがある。以前紹介したグローバル企業が主催するユーザフォーラムで「ギリシア編」の1年前のものである。
地中海沿岸のマルベーリャという高級リゾート地であった。(経年傾向把握のため毎年参加していたが、このフォーラムどこからどう見ても・・・)
このツアー(もとい!フォーラム)の特徴は、会議、セッションはともかく、来訪者を高級リゾート地に封じ込め徹底的に歓待することによって、外部観光をさせない傾向にあるからあまり土産話はないのだが。。。

だいたい2名で行くことが多かったが、このとき同行したのは「スペインってそんなに危険な国?」と言われても仕方ないレスラーのような大男で、マウンテンともSPと呼ばれていた。(私、全然要人じゃないんだけど)
英語が堪能で酒もグルメも何でもこい、というパワフルなヤツで成田で早速高級ウイスキーを3本ほど購入していた。
(現地で飲むために買ったそうだ。それも機内で半ボトルくらい空けていた)
JALでフランクフルトへ飛び、イベリア航空でマドリードへ。到着はたしか夕方の6時頃だったと思う。
その日はマドリード市内で一泊し、翌日再びイベリア午後便でマラガという都市に飛んだ。そこからはタクシーで45分ほどだという。

初めてのマドリード・バラハス空港で男二人うろうろしていたが、ターンテーブルで待てど暮らせど二人とも荷物が出てこない。。。
私はいやーな予感がしていた。結婚してから家族旅行用に購入した大きめのスーツケースなのだが、トランジットがあると呪われてるとしか思えないほど、手元への帰還率が低いのである。
それまで6回ほどトランジットフライトがあったが、見失ったのはなんと3回!実に5割の確率だ。。。
最初はダラス経由ラスベガスで荷物係のミスで届かず(その日の最終便でホテルに届いた)
次はJFKでツアー客に荷物と間違われて持って行かれ(数週間後国際便で帰還)
この渡航の年、カナダ米国出張時にシカゴで同行者すべてロストバゲージ(2日後出発間近でホテルへ届く)
今回が4回目か・・・度重なるロストで懲りた私は機内手荷物にも諸々一式予備を入れていた。

「おい、あれじゃねーか?」

透明なガラスで仕切られた部屋に乗客が預けたと思われるスーツケース群が見えたが、そのうちの一つがどうも私のケースに似ている。三色バンドが同じだったからまず間違いないだろう。マウンテンも隣にあるのが自分のだと気がついたようだ。
よく見ると、ベルトコンベヤー向こう側に運び出そうとしてるではないか!マウンテンはガラス壁をぶち破るく勢いで突進していった。
どうもフライトプランがフランクフルト−マドリード−マラガ(ホントは翌日)となっていたため荷物だけ直接マラガに行くところだったようだ。。。危ねえ危ねえ・・・
トランジット用ルームなので勝手に入ってはいけないらしく、ガヤガヤと文句を言われたが、英語が通じたのでどうやらロストしなくて済んだ。時計は21時を回っていた。

明日から4日間宿泊するマルベーリャは1泊500ユーロでも止まれないくらい豪華絢爛超高級リゾートホテルだったが、マドリード滞在は街中にはあるが小さなビジネスホテルだ。(部屋に妙な肖像画がないことをホントに祈った)
疲れて眠くて早く休みたかったが、マウンテンをSPとして声をかけたのが裏目に出てしまった。。。

「マドリード、今日1日ですから街中歩きませんか?」

もう夜の10時近いってのに、プエルタ・デル・ソルまで歩かされた。ガイドブック片手に、あちこちと飲食店を探し廻り・・・

「本場でパエリア食わなかったらモグリですよねー」

オレ、全然モグリでOKなんだけど・・・しかし確かに興味もあったので、小奇麗なレストランでビールを飲み始めた。
シーフードパエリアを二人前頼もうとしていたマウンテンの肘を思わず掴んだ。

「ちょっとオマエ、あの巨体おばさんのパエリア見ろよ。あれが一人前だったらオレは半分も食えないぞ。別のにしようぜ」

イベリコを頼んで、やはり1人前だった巨大なパエリアに苦戦しながらマドリードの夜は暮れた。
翌日は午前中少しだけ時間があったので、マドリード三越で息子のお土産の「レアル・マドリード」公式ユニフォームを親子サイズで購入した。
サッカーをやっている息子への土産は、その都市で有名なチーム(又はナショナルチーム)のユニフォームと決めている。
そのほうが喜ばれるし、何よりも「はずす」ことがない。。。もうずいぶん色んなところのを買ってきた。

そのまま空港へ行き、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸・・・だったかな?)の中心都市マラガへ。そこが目的地であれば観光もしたいところだが、宿泊地のマルベーリャはそこから結構な距離にあるので、そのままタクシーで向かった。
フォーラム会場となったホテルは満室でとれず、シャトルで3分(歩いても5分)程度のところにあるドンペペとかいうとんでもなく豪華に見えるホテルに宿泊した。



会場で受付を済ませるとその日はウェルカムパーティが盛大に行われた。初日からこんな調子である。さすが「情熱の国」だ。フォーラムよりも明らかに夜目当てで来ているな・・・家族連れもいるし。。。



翌日の夕餉は大型バスで15分も移動し、謎のエリアで怪しいパーティが催された。山ひとつが会場になっている感じでいたるところにワインの小瓶がバスケットに入っており、好きなように踊って料理を食べてよいようだ。
何せバスで移動してきているし、一人では絶対に帰れないから終了時間まで飲み続けなければならないが、終わったのはなんと夜の12時半・・・
帰りは意味不明に陥ってしまい、バスの窓を全開にして「ハコ乗り」で帰ってきた(そうだ)。



翌日は展示説明会&商談のパートだったが、前夜一緒にスパークしていた赤顔の巨人がビシッとスーツを決めて元気いっぱいに「呼び子」をしていた。
あの人たちは・・・・疲れ知らぬだろうか?二日酔いという言葉は我が国だけのモノなのか?!
その晩が最後のパーティで、どんなすごい催しに連れていかれるのだろうと密かに脱出を企てていたが、それでなくても日本人(我々の他にも何組かいた)は少数派で目立つので、すぐに発見され拉致同然にバスに連れて行かれた。
いかにも失くしそうななので、カメラを持って行かなかったが、着いたのは真っ黒な不気味な箱型の建物は中は巨大なディスコフロアであった。
驚くべきことに、フロアや階段の手すり一面にバラ?!の花が散りばまれている。。。(造花のようだったが)
めいめいは落ちているバラを拾って胸に刺すなり咥えるなりし、爆音ともいえる騒音の中で狂喜して踊りだしたのである。
まるでその昔のジュリアナ東京だ。。。。ステージやテーブルの上に上って荒木師匠のように腰を振っている太ったおばさんが・・・
なんとパワフルなことだ!「情熱の国」とは言え、さすがに3日も続くと閉口してきた。

翌日、マウンテンは真面目にも午前中11時までのクローズセッションに参加してきたが、私は遅い朝食をとってホテルの周りをぷらぷら散歩していた。
なんてことはないただの砂浜なのだが、やはり砂の造形が湘南とは一味違う。。。「地中海」だからな・・・



帰路は同じルートだったが、途中で宿泊することなく一気に成田に向かうのであった。
アフリカ大会で優勝したスペインというのは真っ赤なナショナルチームのユニフォームを見てもわかるように「熱い」国だ。リゾート地に閉じこもらされて(それがフォーラムなんだけど)どこにも行けなかったが、機会があったらぜひゆっくり観光してみたいものだ。
宗教、文化、建築、祭り・・・どれをとってもエキサイティングな物語が書けそうだからな。。。

ランナー

2010-10-21 13:25:35 | スポーツ・健康
県民の10キロマラソンに出場することになってしまってから、いたずらに月日は流れもうあと2週間になってしまった。。。
先週マンションの周りを地図で覚えた道路に沿って1時間ちょっと走り・・・先週末地元の海沿いのサイクリングコースを50分ほど走り・・・
10キロという距離がどのくらい遠くて、身体的に犠牲を強いられるものか何となく理解できた。
サッカーでもサーフィンでも私は準備運動などあまりしないで(最初のほうを勝手に準備運動と定義する)始めるから、ランニングの場合は結構ダメージがあるが、念いりに調整すればまあいけるだろう。。。

図書館で「谷川真理」さんの本とテンケーマラソントレーニングマニュアルという本を借りてきて早速読み始めた。
10キロ(10k=テンケー)というのは初心者のマラソンでは最もポピュラーでお勧めだそうだ。4~5キロのように距離が短いほうが楽だと思ったら甘いらしい。。。
ペースが恐ろしく速いらしいのである。いくらなんでもビリはいやだから、周りにつられて気がついたら全力疾走・・・途中で足がつってリタイヤ。。。という想像だに惨めな罠があるらしい。
20キロ~フルマラソンでは確かに歩いてる人もたくさんいるが半日かかる勘定になるし、途中で帰ってしまう人も多くてちゃんとしたレースとは程遠いお祭りモードがあるそうだ。

世界的なレースにも10キロ程度なのが一番多いらしい。アメリカあたりはお国柄か実に「何でもあり」でみんな楽しんでいる。
メークアップやコスプレ、ベビーカーにもゼッケンをつけて押して走っているランナーもいる。。。
最近職場でもこの話題が盛んで、県内には由緒正しい「飛脚」の駅伝大会もあるそうだ。20キロ近い上り坂だそうだが何度も走ったという猛者もいる。
お店の宣伝のためサンドイッチマンみたいなカッコして走るひとも入れば、半分裸(昔の飛脚?)のふんどし姿もいたらしい。
こういう話に目がない私は半ば本気になって、坊屋三郎似の幹事に

「ねえねえ、今度の県民マラソンって、コスプレはありなの?別にオレがやるわけじゃないけど」

企業宣伝を兼ねているランナーもいるらしい。幟を背負って走る若者もいたそうだ。
今年はとりあえず様子を見て、来年勝負かけるか。やるなら「ハーロック」かなあ・・・・
以前、東京マラソンとかではカメラを持って記念写真を取りながら走って(歩いて)いる参加選手がいた。確かに普段入れない車道のど真ん中を走れるので景色も珍しいんだろな。
最近どうも調子の悪いIXY君持参で行くか。(画面中央に『モヤ』みたいなモノが入ってしまう。レンズを吹いてもとれないのだが・・・誰か教えて。。)
ともかくは10キロ「走れる」ことが先決だ。何と前日がボウリング大会だから筋肉痛に悩まされる可能性がある。。。

いくつかガイドブックを読んでみたが、どの本にも最初は「ウォーキングから」とうたっている。どれも日頃運動する習慣がなく、ウォーキングもジョギングも「イマイチ好きになれない」という人を対象に書かれているようだ。
テンケーマニュアルでは「電車で立ち続ける」ことから始めるのを勧めていた。
「電車やバスに乗ったら、いち早く空席を見つけダッシュ、空席がないと失意のどん底」といった顔をするのはかなりの重症とか・・・
はははっ、そうそう湘南新宿ラインにはそういうオヤジが多いんだよな。あいにくそこまで離れてはいないから、ウォーキングはスルーしていいだろう。

本を読み進めていくと、マラソンコースにも色々な種類があることがわかる。最も人気があるのは「水辺」だという。ランナーは水が見えると安心するそうだ。
なるほど自宅付近はその宝庫だ。向かいの(ウナ吉のいた)川沿いにはハイキングコースが10キロほどあり、十分走ることはできるし、海へ出れば江ノ島から柳島海岸まで10キロ以上、これはもうジョギング通りのようなものだ。
次に人気があるのが周回コース。神宮外苑や皇居など、あまり私にが縁がないがテレビなどで見る限りブームのはしりとなったような感じだ。
場所が限られるが林間コースや山岳コース、クロカンコースとかもある。夏場に避暑地で「合宿」などするにはよい環境のようだ。

練習で走るときの身近な「自分だけのコース」設定も色々なスタイルがあるようで面白い。
・「几帳面な」周回コース
調子に応じて何周するか決める。途中トイレに駆け込みたくなっても大丈夫だし、水分補給の練習にもよい。冬場は最初厚着で走り始め身体が暖かくなるに従って上着を脱いでいく「脱ぎ捨てラン」という技があるそうだ。
自宅近所に県立海浜公園があり、1周2キロのランニングコースがある。1周の距離にもよるが、学生のときに「グランドを何周も走る」のが何よりも嫌いだった私には周回は少し抵抗がある。

・「人生的な」折返しコース
元気なうちに自宅(スタート地点)から離れて行って、ほどよく疲れたら同一コースを引き返す。「人生的」とは思わないが私はこのスタイルである。ただし帰りのルートはわかる程度に若干帰る。引き返すのがあまり好きでないためだ。
海辺のサイクリングロードを走るときなど、まさしくこの走り方をする。「疲れたら」折り返すのではなく、「半分の時間走ったら」折り返すのである。

・「大胆な」片道コース
行ったきり帰ってこないコースなんて可能なのか?!と思われるが、「通勤ラン」という技があるそうである。電車でひと駅、車で20分程度の通勤であれば、職場に着替えさえ置いておけば通勤をジョギングで行うことができる。
時間をとりにくい猛烈ビジネスマンには実に合理的な方法だ。実は私も「ウォーキング」プロセスはスルーしたが、あまりにも夜の部が多くて練習できないために、マンションから職場まで歩き出した。片道は約25分。マッスルトレーナーを履いて3500歩というところである。

・「気まぐれな」みちくさコースと「旅好き」の巡回コース
生真面目にコースをあらかじめ決めておくのではなく、散歩代わりに走るようなもので、とりあえず家を飛び出して右へ行ったり左へ行ったり、そのときの気分によって決めるそうだ。また人によってはポイントを決めて「名所」を巡る途中の移動を「走る」スタイルをとるらしい。景色はよくても「名所」というのはあまりないので、「巡る」のは難しいかも。鎌倉あたりなら「お寺巡りジョグ」がいいかもしれない。

谷川真理さんはOLからマラソンランナーに転向したそうだ。「走る」というのは身体が完全に浮いた状態があるだけ疲れるのだと思うが、実に奥の深い世界のようだ。
「大会10日くらい前になったらもう何をやってもダメ。練習不足のランナーはあきらめて、体調を万全にすることだけ考えろ」
やはりそうか・・・今週末が10日前だからもう一度海辺を走って、最後の調整とするか。。。
はたして無事にゴールの感動を味わうことができるだろうか?ハマることはないと思うけどなー。

走るということ

2010-10-16 22:02:53 | スポーツ・健康
私は「ただ走る」というのがすごく苦手である。
それは自動車や自転車の場合もそうだし(電車というのはあまりないが)、自分の足で「走る」ときも共通の問題である。
簡単に言うと「目的の無い移動」ができないのである。例えば買ったばかりのAE86(学生時代乗っていた)で首都高を「流す」とか海辺の子供の頃からある海辺のサイクリングロード(江の島~柳島)をただサイクリングするとか、近所の川沿いハイキングコースを「歩く」とか・・・

「移動」そのものを楽しむことはできるのだが、到着地で目的が無ければダメなのである。
江の島であれば「生しらす丼を食うとか、緑地公園で「カワセミを待つ」、とか「どんな魚が釣れているかの偵察する」とかいかにもくだらないことでもよいのだ。
移動はあくまで「手段」なのである。

そんな私だからジョギングなどと言うものは縁遠い。そもそもただ「走る」だけの行為にどんな建設的な意味があるのか理解できないのである。
ところがまたしても「ひょんなこと」から勤務先の「県民マラソン」に参加する羽目になってしまった。
しかも今まで経験したこともない10キロという距離である。学生時代にはサッカーの試合を数試合も重ねればそのくらいの距離は走っているのだが、同じペースで「ちんたら」走るのは上記のように嫌いだったから走った記憶がない。
先日ある担当者が紙を持ってきた。それは県民マラソンの案内状であった。

「毎年私がボランティアで幹事をさせてもらってます。終わった後懇親会でバーベキューの準備をするんです。さすがに歳なんでマラソンはちょっとねー。その分普段若い人とあまりお話できない方が参加して下さるとありがたいんです」

(もしかしてオレに「出ろ」って言ってるのか?)

「管理者の方も結構がんばって出場してくれるんですよ。『スーパーリバーサイドジョギングコース』って言う、マラソンの十分の一(4.1295km)がありますから・・・バーベキューだけでも結構ですが」

クイントリックスの坊屋三郎に似たその担当者はちらちら目線で探りを入れてきた。
出場予定者名簿を見ると・・・番頭のOちゃんやそのグループの若い連中はみな「リバーサイド」だ。
新入社員は皆10キロコースで一人だけハーフの20キロというのがいた。

「ご案内だけお送りしますので、ちょっと考えていただけませんかー?」

「オレ?オレは10キロ出るに決まってんじゃんか!」

全く自分の軽はずみさにはあきれたものだ。この滑った一言で走ることになったのだ。
何せ先般の「新入社員研修発表会」で散々偉そうなことを吹いた私である。
途中リタイアなんてことになったら沽券にかかわる。。。
しかし見ると10キロ出場リストには八の字眉毛のエイトマンもいたのだ。
スティーブと同期のエイトマンは私よりも10近く年上だ。でも毎週5キロは走っており、半端なく鍛えているらしい。。。

「オレ、30年近く10キロも走ったことないんですよー」エイトマンに心配顔で助けを求めたら・・・

「磯辺さん、基本的に運動万能だから大丈夫ですよ。距離は2キロくらいからだんだん伸ばしていけば10キロくらいは運動してる人ならわけありません」

ゴルフのアプローチショットの後、まずカップをのぞく性格の私である。
そのように一歩一歩目標に近づくことはできないのである。先日いきなりマンションの周りの地図を見て走りだした。
総行程12キロくらいになる・・・
とにかく10キロという未知の距離がどういう時間がかかりどのような経験なのかを知りたかったのだ。
終わってみて「できないこと」ではなかったが、かなりの犠牲が強いられるのも分かった。

それにしても「ただ走るだけ」というのはつまらぬものだ。特にその時は地図を持っていなかったから途中で道が分からなくなり、なおさら疲れが倍増した。距離も定かではなく時間から推定して12,3キロと算出したところである。
今日あたり全く波が無いのでサーフィンにならぬから、海岸線でも走ってみるか。。。
夕方5時過ぎて自宅から再び走りだしてみた。江ノ島を背にして茅ヶ崎方面に走りだす。烏帽子岩が遠く見える。
秋分の日を過ぎて日が短くなってきて、夕陽の海岸を走るスタイルとなったが、あっと言う間に真っ暗になってきた。
それにしても今まで気がつかなかったが、このサイクリングコースを走っている人は実に多い。



なーんかIXY君調子悪いなあ。画面の中央にモヤみたいなのが現れるんだ。。。レンズ拭いてもとれないし・・・
女性も多いし、犬の散歩みたいな老夫婦も多いし、本格的なランナーもいる。
車道(134号線)ではないから、街灯は全くなく「真っ暗」になるのかと思ったら、意外にそうでもない。。。。
まず月明かりが結構大きな役割なのである。そして新江の島灯台からの光、そして土曜日はその辺でバーベキューをやっている若者の花火・・・
これが結構多く、まるで照明弾の役割をする。

10キロというとだいたい1時間くらい走ることになるのだろうか。
何の目的もなくただ「走るだけ」の非建設的行為にあたりどんなことを考えて走るのか、想像もつかない苦痛だったがまず経験したのは「同じ歌が頭の中を駆け巡る」こと。今日は甲斐バンドの「HERO」であった・・・
サッカーで経験しているが立ち上がりの5分、エアロビ風に言うと心拍数が上がる時間が一番呼吸が苦しい。

「HERO」のメロディに乗って足を運んで行くが、そのうちに身体のあちこちが痛くなってくる。靴の中の擦れるところとか、太ももの外側と腰とか・・・
30分を越すと「苦しさ」よりも「痛さ」との戦いになる。
たぶん正しいスタイルで走っていないからなんだろな。そうは言ってもなかなか教わるわけにもいかぬしな。
前回、マンションの周りを走ったときとは別の部所が痛くなってきた。

あんまり準備運動とかストレッチとかしなかったからな。今度図書館で「マラソンの走り方」とそのための「ストレッチの仕方」を借りて勉強しよう。
それにしても海沿いのこのロードは何とランナーの多いことか。。。
確かにカーブはないしアップダウンなどほぼ皆無、風の影響が無ければ景色は最高だ。
女子中学生らしき者に「軽抜き」されるのは癪だがやむをえまい・・・

      

本番の県民マラソンで同じ10キロコースを走る新入・若手社員に「オレの前にゴール禁止」という強権を発動するのも大人げない。。。
それにしてもあらためて思うが「歩く」のはわけないのに「走る」のは何故こんなにも辛いのだろうか?
しかも自信をもって断言できるが、明らかに健康のためにはよくないよ。特にその後「飲んだり」したら活性酸素倍増だ。
しかし走って見て「懲り」はしたが「ハマる」ような気もする。
何となく「走る」という行為は人間の本能的行為なのかもしれない。

オマケは茅ヶ崎ラチエン通りの謎のスポット・・・海岸の134号線よりもかなり内陸側にあるのに、正面に巨大な烏帽子本岩が見える。。。
このスポットから遠くても近づいても岩は見えないのである。(地球の丸さを表す?!)
超兵器203号で撮ってもうまく何か不思議な力でピントがうまく合わない・・・(そうです。ヘタなだけなんです!)

 


男の会社

2010-10-15 23:40:05 | 職場
「ぼーくは3丁目の電柱でぇす。あーめの日かーぜの日街角に立ちぃ、通りを見てます眺めています 夕焼けお空はいわし雲そろそろ灯を つけましょね」
とある高等学校の合唱コンクールで熱唱したクラスもあるという、この名曲で有名な電力会社の人たちと懇親会で飲んだ。
私のいるビルは別館なのだが、本館ビルの隣がその会社の支社なのである。今のマンションに引っ越してきて、むろんその日から電気を使い始めたのだが、最初の月は請求書払いになっていたのに気がつかず、「9月●●日までにお支払いいただけない場合、翌日以降送電を止めさせていただく場合があります・・・」という恐ろしい手紙がやってきて、慌てて駆け込んだ事務所である。

かの会社は以前はどちらかというと競争相手みたいなところもあり、一時はあまりよい関係とはならなかったが、今は色々な面で協力関係にあり、仲良くしているようだ。
もともとは全く異なる業界だが、仕事上のお付き合いもそれなりにはあり、「社員がやたら多くてかつ高齢で、世間的立場が弱く何かにつけて叩かれる」似た者同士的な親近感がある。
「配電建設グループ」「変電技術グループ」「送電グループ」・・・うーむ。。。さすが「電力」とは男らしい響きだ。

「手強い相手ですよ。Oちゃんなんか前回2次会に拉致されたんですから・・・」

スティーブが苦笑いして囁いた。今回の会場は彼らの社員クラブのような立派な施設で、変電所の横にあった。(さすが)
我がメンバはトップも含み技術系分野のそれぞれの責任者6名。Oちゃんとはその中で番頭役の要職だが、年齢が一番若く彼らには子供扱いされたらしい。
先方も支社長はじめ同じような役柄が6名で、年齢も似たようなものだ。一番若く前回にこちらでご招待したときに大暴れしたという伝説の酒飲みがまた来ていた。

「●●●の方々はホントお酒よく飲まれますからねー」「その言葉そっくりお返ししますぜ」

スティーブはゲラゲラ笑いながら切り返している。明朝休暇をとってゴルフへ行く予定らしいので、明らかに彼はセーブしていた。
最初はビールで乾杯し和やかに始まったのだが、2本目のビンが空かないうちに・・・

「日本酒飲まれますよね。いいの出してくれるんですよー」

支社長氏は自分が飲みたいのか、傍らの部下に何事かいいつけていた。
やがて運ばれてきたのは「久保田の碧寿」という酒だった。一番高いのから2番目だと聞いたが、酒屋で買うと結構するらしい。
小さなコップに注いでもらい、一口飲んでみると実になめらかで飲みやすい酒だ。

「これ、いいですねえ。。。オレ、やばいかも・・・」

スティーブも最初はセーブしてたくせに「このうまさは危ない!」とか言ってぐびぐび飲み始めた。
4合瓶だったからちょっとずつ嗜んですぐに空いてしまった。まあ・・・高そうな酒だからねーとちびちび飲んでいたら、その直後6本も一気に出てきた!
さすが、「男の会社」!やることがダイナミックだ。

我が方の眉毛八の字エイトマン氏は赤い顔してノリにノッていた。
彼らの中で一番若いマネージャーの父上がその昔、エイトマンの上司だったそうだ。

「隔世遺伝でね。私の祖父は我が社、父は御社なんです。息子はそちらに入ってもらいたいんですけどデキが悪くてねえ。。。」

彼は年齢も若くいかにもデキるマネージャーらしい。隔世遺伝ってことは我が社に来てる人は「スカ」ということになるが。。。意味わかってんのか?!
実際に文化系だが、先日息子さんが我が社の内定を受けたという人もいた。
結構色んなところで縁があるんだな。

そのうち相手の支社長氏が「対抗戦やりませんか?」と言いだした。
さすが男の会社、勝負事には目が無いらしい。。。
うちの上司は「ゴルフ」と言いかけたが、男たちの勝負にゴルフなどという軟弱なスポーツは無いらしい。うーむ。素晴らしい・・・

サッカー、ソフトボール、マラソン・・・さすがにサーフィンというのは無かったが、このあたりならどれがきても万能だぜ。
あのメンバーでは下から3~4番目であろう私は、結構活躍できそうだ。
(秘密兵器の使用は禁止らしい。あくまでそこにいたメンバでの対抗戦だ)
店中の酒を飲み尽くす勢いで盛り上がり、最後に決まったのは「ボーリング」であった。
こっ、これは・・・少し練習せねば。1フレからストライクを6つ続けて200超えしたのが一度だけあったが、何せ20年前だ。。。

「練習は禁止ですよ。各ボーリング場にはうちに若いヤツ監視に送りますからね」

支社長さん、それは徹底しすぎでないの?結局年末に忘年会兼ねてボーリング対抗戦をやることになった。
むろんセッティング役は番頭のOちゃんである。(かわいそー)
私はむろん監視員のいない江の島ボウルで早速この週末から練習だ。家族にも付き合わせよう。

終盤になって私がふと思い出して口にした一言で、かの会社の男たちは飛び上がって喜び拍手喝さいした。
かなり昔で「3丁目の電柱」よりも無名だが、私があるCMを絶賛したからである。
それは次のようなヤツだ。たぶん「ようつべ」でも見ることができる。

「男達はその昔、みんな狩りにでかけたー。家で待つ親妻の微笑を心にー。野は遠く、山深く、川は激しくー。男達はそれでもみんな歩き続けたー。夢がそこにある限りー。命、ひとつ燃やしてー」

向こうが見えない吹雪の中で巨大な送電線を無線機を背負って整備する男達を映したCMである。
私が本編で「男の会社」としきりに紹介したのは、これが頭から離れなかったからである。

ザッツ・はいすくーる

2010-10-12 04:33:43 | 書籍
息子甘辛が中学生になって通いだした塾で面白い高校ガイドブックをもらってきた。
「実際に通ってみなけりゃわからない各高校の『学校事情』を現役高校生が一挙公開!!」というヤツだ。
まだまだ高校受験には早いのだが、なかなか熱心な塾で卒塾生に寄稿を頼んで編集したらしい。
県内や東京の国公立・市立134校がずらりと並ぶ分厚い冊子だ。「制服イラスト付き」というのが面白い。女子の制服イラストはその学校の生徒が描くそうだ。

こりゃあ面白そうだ。オレの母校はどこかなーとパラパラめくっていたら、なんとトップバッターに出ていた。。。(もちろん別に優秀な順番ではない・・・)
むろん自分が通う高校生の寄稿だから悪く書くはずがない。例えばイントロは
「・・・とにかく『自由』で、自分の好きなことに全力で取り組んでいる人が多く、高校生活を満喫できます。でもやる時はやる!切り替え上手な生徒たちが集まっています。生徒同士の仲が良く、上下のつながりがすごい。先輩は何でも教えてくれる!」

▼環境
住宅地の中なので静か。だけど小学校が近くにあって、たまにかくれんぼの声が・・・。住宅地の裏道を通って通学するのがお気に入り(笑)。天気のよい日の4階からは絶景がっ。地域の美しい自然を一望できる。
(おーっ。オレも隠れチャリで30分かけて裏道から通ったぜ。年に何回か取り締まりがあり、ながーい鎖でチャリが繋がれてしまうんだ。。。)

▼自慢の設備
校舎がきれい。「海」「船」をモチーフにした建物です!丸窓があったり、まさしく地域にふさわしい感じ。広くてきれいな多目的ホール、合宿ができるセミナーハウス、4万冊以上の本と自習スペースがある図書館・・・・・
(私が卒業してから、きれいな校舎に立て替えてしまったんだ。。。実は図書館で借りた「微積分」と「行列」の参考書、返しそびれてまだ持ってるんだ。あそこの無愛想な館長、『らいぶら爺』と呼んでいたがまだいるのかな)

▼学生食堂
購買は早く行ったほうがいい。でもちょっと高い。駅前のYAMAKAのほうが安いという声も・・・でもパンがおいしいです。みんな休み時間に食べている。学食は月曜日限定のカツ丼、金曜日限定のからあげ丼がおいしい!
(我々の時はランチとカレーライス、さらにランチのライスにカレーをかけたランチカレーだけだった。正面入り口の横にあるハ●ピンというラーメン屋のとろみ付き「もやしそば」が伝説だったが、この前行ったときにまだあった!しかも当時チビだった子供が店主・・・)

▼教師
個性派ばっかり。「良い意味」でも「悪い意味」でも。でも基本的は面白い人が多い。HRとかは「まあ、勝手にやっといて」って生徒にまかせる。けど、質問すれば、ていねいに教えてくれる。授業のスピードが速すぎるので、気を抜くとまるで異世界にワープ。当てられたときにバレます。
(進学校に違いはないが、優秀な教師ばかりとは限らなかった。「その人に習った年数だけ浪人する」という「ポケ」というあだ名の伝説の数学教師は今どうしてるかな。)

▼行事
対組競技(バレー・卓球・水泳・バスケ・サッカー・駅伝・バドミントン)、陸上記録会、文化祭、合唱コンクール、体育祭、スキー教室、芸術鑑賞会
すべてに全力投球です。体育祭の盛り上がりはハンパない。1~3年の縦割りでカラーに分かれてさまざまな行事に取り組みます。3年生は倒れるんじゃないかっていうくらいがんばる。2~3年はクラス替えがないから準備から一生懸命。クオリティ高いです。
(ははは。対組は選手制だが私は卓球、バド(当時はテニス)以外は全部出たぞ。3年の体育祭の後、ホントに倒れたクラスメイトがいた)

▼その他
男女交際自由!入学1、2ヶ月で付き合い始めた人も。朝だってみんなが歩いていようが手をつないでいる。。。体育祭とその後のカラキャンでは「マジック」も。
放課後ライフの基本は部活。でも遊んだって勉強したってそれは自由。楽しい放課後ライフがおくれるはず。
(どちらかと言うと運動部の天下だったな。息子はサッカーの名門校に行きたいらしいが、とにかく「驚愕(もとい!共学)」がお勧めだ。)
▼OBの有名人
・・・・・・・・
バレバレになるからストレートに書くのはやめておこう。。。あまり好きになれない「知事」やアナウンサー、キャスターなどそこそこ有名人はいるけどイマイチパッとしなかった。
ところがである。最近恐るべき超人間がいることを知った。

なんと・・・それは「ノーベル賞」であった。

パワースポット

2010-10-11 14:25:00 | 旅行お出かけ
前日は朝真っ暗のうちからお迎えの車がやってきて、集合場所まで約30分、メンバが揃うのを待って6時には出発した。
マンションに戻ってきたのは21時を回っていたので、そのままもらった酒を飲んで寝るだけであった。
翌、日曜日は天気が悪いとの予報だったが、朝から比較的気持ちよく晴れてはいたので、初めて「帰宅しない週末」としてどこかへ行こうか考えていた。夕方はこの前会員契約したスポーツクラブ&日帰り温泉で3時間くらいはつぶすつもりでいたのだ。
自家用車は持ってきていないから、足は地方ナンバーがまるごと浮いてしまうポインター号しかない。50ccで1日廻れるところなど知れているが、ガイドブックと地図を片手に色々と作戦を練った。

先日、新しく関連会社が技術センターを設立し、その開所式にお招きされたが、食事をご一緒したその会社の社長様は学生時代に県内の温泉めぐりとして72か所訪れたそうだ。
私の前任も山歩きや温泉めぐりが好きで、30か所以上訪れたと聞く。同じマンションに家族を呼び寄せて一緒に住んでいる、私と同じ時期に赴任した人は毎週、自家用車でやはり温泉を訪れているようだ。日本有数の温泉地帯だからな。
しかしながら私も同じことをやっていたんでは芸がない。。。また週末はそうそうこの地にはいないから数をこなすこともできないし、さりとて1日に何か所も温泉を梯子するのもどうかと思う。

昔、11PMでやっていた紹介じゃあるまいし、正直温泉ってあまり話題が続かないのよねえ。むろん入ることはおおいに好きだが、成分・効能どれをとってみてもそれほど実感することはなく、勝手知ったる慣れたところ(例えば竜泉寺)で半日もつぶせれば全然OKなのだ。
私は県内の「パワースポット」を巡ってみることに決めた。釣りのできる場所の偵察も兼ねてである。
ポインター号では結構キツい道のりだが、この地方にある三山の真ん中の神社へ行ってみることにした。近くには湖もあり、ワカサギ釣りができるらしい。
途中迷ったりしてガソリンを浪費し、思ってもみなかった山道の連続で「こりゃあ、ガス欠になるかもなー」と一旦麓まで戻って、満タンに補給し再度山道を駆け上がった。



岩肌をむき出しにした断崖絶壁なども横に見え、かなり恐ろしい山道であった。道を間違えていたとしたら遭難するかもしれない・・・
心細い思いをしていながらも、そのまままっすぐ進み、ようやく観光地っぽい平地に出てくることができた。(裏山から登ってきたようだ)
天気はまあまあ、●●富士と名がついた山が正面に見え、ロープウェイが動いている。風もなく湖面はおだやかでボート釣りを楽しむ人がたくさんいた。
この湖は岸からの釣りは禁止らしい。。。入漁券(700円)を買って、ボートが1日3000円、しばらく見ていたがだーれも釣れる気配がない。まあ、別の今日は偵察だからな。
湖を半周して近くにあるという、強力なパワースポットで有名な神社へ向かった。

境内入口の通りにはたくさんの門前蕎麦屋が並び、鳥居から本堂までは歩いて15分ほどかかるという。樹齢何百年か知れぬ天を衝くような杉の木が並び、ただならぬ雰囲気を感じる、なかなかすごいところだ。
しばらく歩いて登って行くと、巨大な奇岩がいくつも目に入ってきた。落石したらピラピラになっちゃうほどの巨岩である。
また正面には細く流れる滝も見える。渓谷と巨岩群の合間で「こんなところによく作ったな」と思える見どころ満載のスポットだ。
かなり急な階段を登って行くと(その途中にも巨岩がそそりだっていたが)、さらに奇妙な形をし一層大きな岩の間に本殿が忽然と姿を現した。
うーむ。これはすごいかもしれぬ。。。天照大神が入ったという天の岩戸というところか・・・(見たことないけど)



小さなお守りをひとつ購入し、本殿にお参りした。
神社仏閣へお参りするときには、心の中で住所氏名生年月日を唱えるとよいと聞く。神様仏様が間違いなく自分にご利益を賜えるようにだそうだ。
お気に入りサイトの先生も同様のことを言っていたが、私はこういうときに「願い事」はしないことにしている。
どちらかというと、「何も厄災ないこと」を祈るのである。願い事を叶えるのはあくまで「自ら」だと思うからだ。神頼みですべての希望が叶うとしたら、とうの昔に人間界は滅んでいたはずである。
どこかの本で読んだのだが、漢字としてはよく似た祝も呪も同じ神を祭る動作で、祝は「厄災が無いように祈る」、呪は「厄災をもたらすように祈る」のだという。
願い事はともかく、このスポットは確かに強力なパワーを放っていて、元気をもらえているような気がした。



帰りしなに何度か横を通過して気になっていた池に寄ってみた。緑地という名称になっていて、ちょっとした散歩道と二つに池があり、のんびりと多くの人が釣りを楽しんでいるのだ。ずーっと釣り堀だと思っていた。
そのあたりをマイエリアとするスティーブによると、

「あんまり釣れてるところみたことないんですがねえ。真冬で雪が降っていても誰かしらいるんですよ。正気の沙汰じゃないですよね」

鮎の友釣りを嗜む彼には、まったく興味がわかないらしい。でも、入門にはいいかもしれない。ポインターを駐車場に置いて、さほど大きくない二つの池の周りを歩き始めた。
たしかにしばらく眺めていたが、だーれも釣れてはいないようだ。ふと足元を見ると、大きな鯉がたくさん泳いでいるぞ。こんな細い竿であのでかい鯉が釣りあげられるのかな。でも全然見向きもしない。
ウキがピクピク動いており、やっと釣り上げた人の糸の先を見ると小さなクチボソだった。なーるほどね。
ベテラン風の立派な竿と道具を釣り座にしたおじさんが何人もいるが、あの程度なら100円ショップの子供用セットで釣れるような気がするぞ。甘辛などハリもないのに小さな網ですくい上げてきたし。。。今度来て釣れたらマンションで飼うか・・・

っと、ぶらぶら周りを歩いていると、すごいスピードで低空を一直線に横切った青い飛行体があった。今まで2,3回しか見たことがないが、私はすぐにピンときた!
そう、我が市の鳥である。へーえ、こんなところでお目にかかるとは。。。
あわててIXY君を出したが、すごいスピードで飛行し続けるのでなかなか近くではその姿をGETできない。超兵器203号を持ってくればよかった。
たしかに水は豊富にあり、小魚にも困らぬから近くに巣があっても不思議ではないな。それにしても我が家の近所ではバズーカ部隊が丸1日見守ってもお目にかかれるかどうか微妙な人気者なのに、何十人もいる釣り人では誰も見向きもしない・・・
もしかして日常ありふれた光景なのか?!それにしても青い稲妻のように美しい鳥だ。



市街地に入り、いつものスポーツクラブで汗を流して温泉で2時間ほど疲れを癒し、マンションへと帰った。
家からは頼んでおいた米やら餅やら色々な食糧が届き、パワースポットめぐり初日は暮れていくのである。
次に巡るのはいつになることか、この地方の三山はどれも強力なパワースポットらしいから、ひとつひとつ訪れてもよいかな。またの名は「神社仏閣巡り」になってしまいそうだが。。。


健康ハイキング

2010-10-10 06:37:15 | 出来事
着任して以来、私が顧問をしている(させられている)財団がある。てっとり早く言えば当社の「お得意様に会員になってもらっている協会である。
先日、付け焼刃の「雷講話」をしたのも、今週県大会が行われる「接客応対コンクール」の予選を行ったのもこの協会が主催である。
先週土曜日はこの協会事務局(当社のお得意様係)が主催する「健康ハイキング」なるものがあった。
毎年、行われるイベントで特に人気も高く、約40名の定員がすぐに満員になるそうだ。

「それはそれは、ご苦労様なことで。。。お気をつけて」

知らぬ顔をしていたら、係の恵比寿様に似た課長がにこにこしてやってきて・・・

「もちろん、顧問にもご参加いただきますよ。開閉会の挨拶をしてもらわなくちゃ。代々の顧問には強力な『雨男』がいらっしゃいましてねえ。ところで磯辺さんは。。。」

な、なんと・・・!私なら心配はいらぬ。息子ほどではないが、「ここぞ」というイベントではほとんど降られたことがない。(このイベントを「ここぞ」と思うかは別だが)
しかし朝の5時にマンションに迎えに来てくれて、集合場所出発が6時、帰りは19時半予定でマンション到着は20時過ぎか。。。今週、海はナシだな。とほほ・・・
しかし、こんな機会でも無ければハイキングなんてあんまり縁がないので、だんだん楽しみになってきた。
スケジュールをもらうと行先は「八方尾根自然研究路」となっている。うーむ、昔何度かスキー場へ行った八方か。。。何年ぶりだろう・・・
自身もどこかのグループの顧問をしている、お得意様に関連するセクションの部門長に訪ねてみると

「ああ、あれですか。。。なんて言うか・・・『お年寄りのツアコン』ってとこですよ」

やっぱり。。。まあ、その辺は・・・楽しんだもん勝ちだからねー。
私の身分は主催者というわけでもないし、引率責任者というわけでもない、ちょっと微妙なところだ。
妙齢の女性ばかりだと聞いたので、それほどキツいコースではないだろうと、フィットネススタイルに上下のピステを着て行った。まるで息子のサッカー観戦と同じだ。
集合場所に現れたのは、確かに妙齢の人ばかりだが、皆ちゃんとした「山歩き」のスタイルをしていた。
厚手のシャツにトレッキングシューズに折りたたみの杖。。。ズックなんて履いてるのは私だけだった。
順調に道路を進み予定よりも1時間近く早く白馬八方駅に到着した。長野オリンピックのとき、幼い甘辛を茅ヶ崎の母の託して見に来たジャンプ台がみえるぞ。懐かしいなあ。。。

   

雷講話でしきりに感心していた一人の男性が

「これって、サッカーのスタイルなの?」

「ええ、これまであまりに暑かったので単身マンションにTシャツ短パンしか無かったんです。初めてでこんな舐めた恰好していますが、足引っ張らないように気をつけますから・・・」

本格的なスタイルで準備運動を始めた彼はやる気十分のようだ。まあ、この人に遅れをとるようなことは100%ないから・・・
奥さんもにこにこしながら

「湘南ボーイなのに山歩きですものねえ。。。でもお若いしサーフィンで引き締まってらっしゃるから全然平気ですよー」

うーむ。全然使う部位が違うんだけどねえ。久々に「湘南ボーイ」という名称を聞いた・・・もう死語かと思っていたが、地方圏ではまだ健在のようだな。
まずは懐かしの「ADAM」というゴンドラ(たしか「IVE」というのは岩岳にあった。)に乗って兎平へ、クワッドリフトを乗り継いで黒菱平へ、さらにリフトを乗り継いで八方池山荘に進んだ。スキーで来たことがあるのはここまでである。
もうかなり多くの人の列が見えるが、ここから先が山歩きだ。木道や岩のゴロゴロしたコースがはるか上方までつながっている。
下から見上げると結構な高さまで登るようにも見える。

     

「ケルン」という墓標のような目印を3つほど経て、八方池という目的地までの道のりが約1時間半ほどだそうだ。
このあたりは紅葉が始まっていて途中少し色づいて美しかった。熱心に高山植物を撮っている人もいたが、もう少し予習してくればよかったな。。。
またときどき雲が晴れ渡ると正面に見事な白馬三山が見えた。実に雄大なものだ。。。トレッキングというのも楽しいものだ。
実際に歩いてみると、コースそのものはわけないが、約40名が固まって登っているためにところどころ渋滞して立ち止まることがあり、これがあまり続くとしんどいものがあった。
目的地の八方池は拍子抜けするほど小さな池で「これ」と聞くまでは単なる水たまりにしか見えなかった。

     

「磯辺さん、こちらへどうぞ。」お得意様係のおばさん(たぶん私よりも一回りは上なので)に招かれ、用意されていた弁当を開いた。
実はリュックの中に3本のビールが仕込まれていたのだ。出発場所のすぐそばに住んでいる仮称エイトマン(トレードマークが八の字眉毛)が差し入れてくれたのである。
彼は今回は参加しなかったが、昨年は私の前任と登場し、行きの車中から飲み始めていたようだ。
冷えたビールが3本とハイボール3本が入った袋だったが、バスの中で周りのメンバは全然飲むような雰囲気でなかったので大人しくしていた。(事務局側だけ率先して飲んだらあかんのやないか?!)

私はゴンドラに乗る前にどうしようか迷っていた。目的地で皆が「プシューッ」とやりだしたら、配ってあげて一緒にやればよい。しかし誰も飲んでなかったら、持って行った6本全部一人で飲まなければならない。(トレーニングじゃあるまいし、重い荷物を持って帰るのはばかばかしい)
「少しですけど・・・」と、配って仲良く飲むか、全部一人でやっつけるか・・・どちらに転んでもよいように3本だけ持っていったのだ。
お日様が出て雲が切れると雄大な白馬三山が池面に映し出され、何とも美しい光景が目に入った。うーむ。ビールもうまい・・・
さっきの男性がとことこやってきて、私とおばさん二人をパチリと写真に収めた。「八方美人に撮っておいたからねー」
(私は心の中で「風よ吹け!」と唱えた)

周りを見渡すと先日ズームインでやっていた「山ガール」というのが結構たくさんいるのに気がついた。
我がグループは平均年齢にしても私より10は上だが、2,3人の若い女性のグループもちらほら見られたのだ。テレビの取材では「富士山に軽装でやってきて具合が悪くなる例」を取り上げ、山を甘く見ないように訴えていたが、皆そこそこのスタイルをしていた。
だが私の斜め前のベンチに座った女性はノースリーブでカーディガンを腰に巻くいかにも「散歩」のようなスタイルだった。
お連れの方は外国の男性で、仲良く話をしながら弁当の包みを開け始めた。少しだけ後に妙齢の夫婦がやってきて同じベンチに並んで座り、皆でお弁当を食べ始めた。
国際結婚か・・・あの若さと雰囲気だとたぶん結婚したてだな。娘さんはそれらしく英語を話しているが、ご主人は片言の日本語で相槌を打っている。

「ねえ、お父さん、アントワーの作ってきたピラフ食べる?アボガドとチーズにトマトが混ぜてあるんだけど・・・」

お父さんはにっこり笑った。しかし横(私のいるほう)を向いて、ちぃーさな声で「オレはそんな妙なモノ、食わない」とつぶやいたのを聞き逃すわけがない。
やっぱり色々あるのよねえ。がんばってほしいものだ。
ビール3本空けて、ほろ酔い加減になっていた私はそんな風景をぼけーっと見ながら食事を済ませ、雲が出たり消えたりして目まぐるしく変わる山の顔を眺めていた。
時間になって記念撮影してから下山だ。さっき我々をパチリとやってくれたおじさんはトップを切って元気よく下山していたが、可哀そうに転倒して骨折してしまい救急車で運ばれて行った。。。

メンバは予定通り帰りしなに白馬塩の道温泉「ガーデンの湯」でハイキングの汗を流して行った。
途中、病院に寄ったりもしたので若干予定よりも遅い帰着となってしまったが、天気もよく素晴らしい景色を堪能できた。
中々悪くない企画だ。次回はどこになるんだろか。。。(今回は鎌倉ハイキングも候補にあったそうだ)
数年前は自他ともに認める雨男顧問のせいで、連続して土砂降りに合い、付近を歩くだけの寂しい会が続いたそうだが私がいる間はたぶん問題ない。
ひょんなことから参加したハイキング会だったが、来年の企画を楽しみにしよう。。。



もしドラ

2010-10-06 17:51:44 | 書籍
小夏さん風に「もしもドラゴンズが日本一になったら」ではない。。。
甘辛風に「もしもし、ドラ焼き食べませんか?」でもない。。。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」である。

私は図書館や本屋が好きで、毎週のように足を運び1,2時間は平気で時間を費やす。
しかしセコいわけではないつもりだが、自分で書籍を購入することはまずもってない。。。
どういうわけか、旅先で思わず買ってしまうお土産のように、高い確率で「はずす」のである。
本屋の店頭に並ぶベストセラー本や新刊本など結構チェックし、パラパラめくってみることは多い。
わざとそうなるように作ってはいないと思うのだが、パッと開けたページは不思議に実に興味深いことが書いてあるものだ。
「こりゃあ、面白そうだな。久々に買って読んでみるか」と購入して喜び勇んで家に帰り、読み始めると「頭を抱える」ような駄作であることが多い。

もう、何度も同じような「はずし」を経験して、ほとんど自分で購入することはなくなってしまった。
その代わり(多少ズルだが)「人が薦める本、人が読みたいと思っている本」を選択するようになった。
他人と言うのは友人であることもあるし、家族であることも同僚であることもある。(上司であることはないのが臍曲がりなところだ)
この他力選択読書にはたくさんのメリットがある。

・自分で思い悩み、気に入った本に巡り合うまでの手間がないから、内容に不満が少ない
・自分とは違う他人の考え方、好み、人となりを知り、世界を広げることができる
・その他人と共通の本を語らうことによって、読書の楽しさが倍増し新たなことに気付ける

これはコミュニケーションをよくするために絶大な威力を発揮する。8割方は退屈しのぎ(つまり何でもよい)だが、息子甘辛の読む本を借りて読むと彼らの年代の考え方や流行りなどが何となくわかって会話も進む。
妻もそうだが、読んだ本について感想を聞いたりすると、結構好みやものの感じ方が全然違うことに気付くものだ。
半分マンガかもしれないが、私が息子甘辛と内容について言及するときなど、「主人公がどのシーンでなんとつぶやいたか」(子供はこういうことを実によく覚えている)なんてことを平気で口にする。
知らない人が傍からみていたら、何の会話をしているかさっぱりわからぬだろう。

さて、もしドラの話題である。本屋の店頭に長く飾ってあり、結構目を引いたので気になっていたが、いかにも「キワモノ」のようにも見え、手を出さずにいた。
それが妻が読みたいと言い出し、息子も読むというので、久しぶりに購入してきた。当初はあまりの突拍子なタイトルにあの「ドラッカー」とは思わなかったぐらいである。
ずいぶん前に図書館でドラッカーそのものではなく、「ドラッカーの語ったことについて書かれた本」を読んだことがあったので、むろんは興味はあった。

本の内容を詳しく紹介してもしょうがないが、長ーいタイトルと女子マネとドラッカーという突拍子もない取り合わせがウケたのかベストセラーになっていたようで、今朝もズームインで取り上げられていた。
私も確か以前このサイトで「女子マネというのは一体何をしたいのか」というようなことを書いた覚えがあるので、それこそあっという間に読み終えてしまった。

「ひょんなことから野球部を担当することになった主人公の「みなみ」は「マネージャー」→「マネージメント」という単純な発想から参考書としてドラッカーの著書と出会う。
企業経営のバイブルのような書籍に戸惑うが、その思想は「野球部のマネージャー」としての強力な味方となっていく。
野球部員、マネージャー、顧問、親友が「マネジメント」における各々の役割を果たし、最後に野球部は甲子園出場を決める。」

まあ、ざっとあらすじはこんな感じだが、やはり自分で書いていてもストーリーにかなり無理があるような気がする。ネットでの書評を見ても結構賛否両論あるようだ。
だが、ドラッカーという人は「経営学」というよりも「経営哲学」の祖と言ったほうがあっているような、あらゆる社会・人間の生き方に通じる知性を持っていると感じる。
ここまで分かりやすくあてはめられると入門書としては素晴らしいと思う。(現に中学生の息子でもホイホイ読んでいたから)

例えばひとつだけ紹介しよう。「みなみ」は野球部とは何か?という問いを自分に投げかける。「マネジメント」には・・・

「自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと、思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び・・・・・しかし・・・答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。」

「われわれの競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ」と言って破産寸前のキャデラックが救われた逸話をヒントに、親友「夕紀」の涙の訴えを思い出して結論づけるのである。

「野球部のするべきことは『顧客に感動を与えること』」

なかなか見事なこじつけ(もとい!適用)ではないか・・・
ほとんど数時間で読み終わってしまうが、「なるほどねー」と引き込まれるところもいっぱいあった。大昔読んだ「マンガ:相対性理論」みたいに、「真面目にモノにするには手強そうで二の足を踏むがサワリだけでも知っておきたいよねえ」という人には手頃(実は私にも・・・)な書籍だった。
珍しく休日に家でごろごろ途中まで読んでいた私は、既に読み終わっていた息子甘辛に思わず訪ねた。

「なあ甘辛よ、もしかして最後に「夕紀」ちゃんは・・・・のか?」

「そうなんだよ。」彼は少し寂しそうに答えた。妻もどうやらその部分とラストがイマイチ気に入らないらしい。。。

私は迷わずこの本の原点となったドラッカー当人の「マネジメント」(エッセンシャル版)を購入してきて読み始めた。
「もしドラ」には引用頁が書いてあるから、どんな単元で書かれているか見るのは便利だ。
そして・・・さらに原著「MANAGEMENT:TASKS,RESPONSIBITLITIES,PRACTICES」をAMAZONで注文するのである。
ふ、ふ、ふふふ。手強いだろうが、PFドラッカーの原典であれば、彼の名言は満載されているであろう。それら(英語)をさりげなく引用できるようになったらクールではないか。
セカンドハウスでのライフワーク候補がひとつできたぜ。

「もしドラに出てくる「マネジメント」(エッセンシャル版)買っといたぞ。難しいかもしれないが、読んでみな」

「おう、オレ、もしドラ5回くらい読んじゃったからな。」

甘辛はマンガでも普通書でもじっくり読むことはなく、ぱーっと読む「斜め読み」を繰り返すスタイルだ。あまりに速いのでホントに読んでんのか?と色々質問すると、要所は抑えているようだ。
(でもさすがに「マネジメント」はまだ無理だろな・・・)

「そうか。。。オレなんか本人の原典を取り寄せるんだ。英語版だぞ」

「父ちゃん、やるなあ。。。」

「オレに『やるなあ』とか言うな・・・」

実際、和訳されている「エッセンシャル版」でも結構とっつきにくいのだ。(どうも飽きる)
「P・F・ドラッカーをモノにする」のに難儀を極めるだろうが、そのうちこのサイトでも引用文が登場するだろう。