超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

最後に「やる気DAS」ぜ

2013-06-22 08:44:49 | 職場
我が職場に配属されたルーキーズはグッチーやJUNちゃんが仕掛けた「やる気DAS」という若手のコミュニティで色々な活動をすることは前述した。小学校のように1年生から6年生くらいまで、学年の人数は数人だが全部で40人くらいになる。いわゆる職場で行う業務改善のように「お堅い」ものだけではなく、「自慢話」や「青年の主張」みたいなものでもよく、皆の前で時間内に発表すれば「自由に表現してよい」ことにしている。最近は来年入社のルーキーズ向けの職場紹介VTRや爆笑コントのようなものまで取扱範囲が拡大し、「いよいよ「何でもあり」になってきた。時間や場所の関係上やむを得ず「書類審査」のようなものがあって選抜されてくるが、本来なら全部のパフォーマンスを拝見したいところだ。それぞれの発表が終わると、全員で投票し「一番良かった」作品?を選んで「やる気DASカップ」として表彰する。

以前からいた人もあるが、私が赴任してからルーキーズを迎えるのは今年で3回目になる。何度かこのサイトでも取り上げたが、私は会社員になって20年以上たっても入社2年目以外に職場に「新入社員」なる存在があったことがなかった。紺黒のスーツにイマイチ似合わないネクタイ、やたらに細いパンツにつま先上がりのシューズを履いて「まだ、何も分かりませんが・・・」というスタイルは、はるか昔に忘れてしまった「未知の生物」だった。驚くべきはその「生物」が1年で成長する様である。いつの間にか「ずーっと前からいた人」のようにバリバリ仕事をし出す。人間の一生で一番成長が速いのは生まれてすぐだという。この法則は何をやっても適用され、新しいことを始める「最初の1年が最も成長する」ということが如実に分かる。元々今の若者は企画力抜群だから、「あーしろ、こーしろ」言わなくても「面白いこと」はどんどんやってしまう。彼らの面倒見など正直私に出番はないのだが、彼らの輝くばかりのルーキーぶりを見ていると何かにつけてちょっかい出したくなるものだ。

そして一番感心したのは「誰にも言われなくても」次に来る人のために最大限のサポートをしてあげようとすることだ。「ルーキーズ」という肩書きが外れてしまうとすぐに、ネクストルーキーズのためにこの土地、職場、情報収集の仕方、心構えなど・・・ひょんなことからそのコンテンツを教えてもらったのだが、実によくできていて、こんな教材を使ってオリエンテーションしてもらえるルーキーズは幸せだと思った。その中に「幹部の出身地、趣味等を知る」というのがあって、ドキリとした。(彼らにとっては私たちも幹部になるようなのだ)
や、やべえ・・・もう少しポイント稼ぎしておけば良かった。恐る恐るのぞいてみると・・・「サーフィンが趣味。ウルトラマンが好き。湘南から通勤。若手フットサルにも参加」ふーっ、よかったぁ。元々あまり接点がないから、「人には言えないような与太話の数々」は知られていないらしい。

さて諸般の事情によりこの「やる気DAS教室」に参加するのはこれが最後になるだろうと思われた。今回はディスカッション形式でメンバは入社3〜5年目となる「そろそろ卒業していくであろう」人たちである。これを2グループにしてそれぞれテーマを選んでもらい、1時間ほどディスカッションしてその内容をまとめて発表するのだが、「話し合うテーブルのまん前に我々PTAがどっかり座り、もう一つのグループが横で聞き耳を立てる」という新手の採用試験のような「実にやりにくい」スタイルをJUNちゃんが仕掛けた。
一つ目のグループが選んだテーマは「やる気DAS施策のベテランへの展開」
職人芸のようにだんだん枯渇してしまう「技術」を承継するために「私塾」を設けるような話は我々のアイディアにあったが、彼らが編み出したのは「普段あまり表にでない『すごい人』を推薦して『時の人』のように賞賛し、それをリレー方式で「笑っていいとも」のように輪をつないでいく」というものだ。彼らが言うには「普段黙々と仕事をしている人でもすごく腕のある人、デキる人は多いがそういう人に限って表舞台に出たり、自分をアピールすることが苦手ということが多いらしいのだ。そういう人を取り上げて、またその人に別の人を推薦してもらって・・・その連鎖を繰り返すことによって皆が「やる気をDAS」という面白い発想である。むろん、ディスカッションで終わるわけはなく、この方向はJUNちゃんが実現させていくことになる。

もう一つのグループが選んだテーマは他県に誇れる我が方の魅力・アピールポイントである。こちらの方が色々話が出て盛り上がると見ていたら、意外にも迷走苦戦していた。「住む土地」としての県を対象にすればいいのに、「この県で働く我が社の社員」を対象にしてしまったからである。我が方の特性はというと「人が好き」「楽しいことが好き」「何事も協力的」などという「実に発表しにくい」論点に向かってしまったようだ。(こりゃー、苦戦しそうだねー)私は隣りにいたグッチーに囁いた。手持ち無沙汰になった私は(アピールポイントねえ・・・)手持ちの紙に色々メモを書き始めた。
「味が濃い」「とにかくボリュームで勝負」「単品で満足しない(汁物がうどんとか)」「トッピングにゲテモノが多い」「場末のお店のほうが美味しい」「お年寄がもの凄い量を食べる」・・・・なーんか食べ物の特性ばかりだなー。。。。
最後に講評というか一言言わせてもらう時間があった。普段は適当に思いついたことを並べるだけなのだが、たぶんこういう機会はもうないだろうから、このときだけは最初から話すことは決めていた。「いつもの話」である。

「最後かもしれませんので、少しだけお話をさせてもらいます。ルーキーズに講話する時はよくする話なんですが、3〜5年生の皆さんは聞いたことがないかもしれません。一部はメールで送ったことはあったかな。本来はこういう場はグッチーが仕掛け人で私などお呼びじゃないんですが、初めてルーキーズというものに接触してから(半分興味本位ですが)せっかくだから何か若手の人に伝えたいことないかなー、と思ったのもあってこういう機会を作ってもらいました,
いつも話しているのは「捨てて欲しいものが3つ、手に入れて欲しいものが3つ」というものでした。とある私の師匠からの受け売りなんですが、「まずは捨てなければ手が空かないからそちらが先」と言ってきました。しかしこれから未来を造る人に「捨てる」というのはちょっとネガティブな印象があるので、最近は少しアップグレードしたんです。

まず一つ目は「更地になること」。これまでは「今まで(学生時代に)身に付けて来た武器は正直あまり役に立たないから捨てて」ということでした。これは3年以上過ごした皆さんは経験的に理解できるでしょう。どこで何をしても最初の1年が一番「伸び」ます。それは更地からのスタートだからです。むろん耕したり肥料を蒔いたり、そこそこのモノが獲れる土壌は作られたでしょう。しかし、あまり詳しくはありませんが、米を収穫してきた田んぼからすぐには麦は獲れません。一旦リセットする勇気がいります。そしてその方が長い目で見ると「伸びシロ」が大きいように思います。まあ、サボッて何もしない土壌でも「にら」がたくさん獲れることはあるんですから、あまりこだわらないことです。

次は「仕事はオーバーアチーブするものだ」ということ。労働とその報酬のような「消費者マインドを捨てて」と言ってきました。別にタダ働きとかサービス残業しろ、というわけじゃありませんよ。自分の役割が10だったら10.5とか11とか少しだけオーバーアチーブしておく。その遊び分が仕事を円滑にし、自分の人脈やスキルになって巡り巡って帰ってくるものです。確かに「10しかやらない人」「9しかできない人」もいますよ。「何で『あの人』と同じ給料?」って思う時も正直あるでしょう。しかしそこは「まるーっ」と受け入れ「まー、面倒みてやるか」みたいな「ほんわか」とした懐の深い企業の方が、「キミはノルマをクリアしていないので明日から来なくてよろしい」とする会社よりは長く存続します。中々個人ベースで作れるものじゃありませんが、幸い我が社にはそういう企業文化があると思っています。

最後は「外部からの自分の評価をもっと信頼する」です。適性・適職という考え方が幻想よー。と言ってきたと思います。先日全社で販売成果の素晴らしい人に送られるアワード式典があって、草野仁さんが記念講演されていました。彼は「取材記者に強く憧れて」NHKを受けたそうです。それが内定通知は「アナウンス部」だった。最初は間違いかと思って電話をしたら(普通そんなことしませんが)、通知の通りだと念を押されてしまった。16人採用されてそのうち半分は同じように希望して内定をもらったのではなく、狐につままれた顔をして研修を受けに行ったそうです。しかしその後数十年で色んなことを経験し、NHKの看板アナウンサーになってフリーとなり、司会その他タレントとして幅広く活動するようになれた今から振り返ると、最初にNHKさんに「自分の気が付かなかった可能性を見出してもらった」と語りました。自分で希望や向き・不向きを自己分析することはよいが、他人から見た評価は自分は気が付かない「モノ」を開花させる可能性がたくさんある。むしろ私はこちらの方が自己分析よりも頼りになると思っています。むろん「他人任せ」ではいけませんがね。

一方、手に入れて欲しいもの、今年のスローガンでもある「試しにやってみる」「ついでにやってみる」「せっかくだからやってみる」は私の3年間の集大成みたいなものだと思っています。
最初の「試しにやってみる」は我が社は伝統的に下手です。規模も社会的責任も大きいから「いい加減なことができない」のもあります。我々が入社したときも「失敗を恐れずにまず行動」と言われたんですよ。でもいざチャレンジしようとしても中々形にならなかったのが正直な感想です。しかし今は少しずつ会社も機動力を蓄え「ぶっちゃけ私自身が『言い出せば』できちゃう職責になった」のが大きいんですが、それを指し引いても「誰かが何かを試しにやってみる」環境や雰囲気は格段に整備されつつあると思います。皆さんの出番ですよ。存分に知恵を発揮してくださいねー。
次のヤツは逆に我々の先輩達が得意としてきた分野です。現場での作業効率、生産性などを論じる時に「どこまでついでにやってくる」かが肝です。決して最短経路ではなかったでしょうが、長い年月をかけて「何と何をついでにやってくれば効率が上がるか・・・」積み重ねてきたことには学ぶことがたくさんありますので、ぜひ周囲の先輩をよく見てください。「ついでにやってみる」は先にお話しした「オーバーアチーブ」にも通じることかと思います。
そして皆さんが「手本とすべきであろう」先輩が須らく実行しているのが「せっかくだからやってみる」です。今後幅広く色々な職務に従事すると思います(最初は気を利かして今と関係あるところ)が、残念ながら「楽しい仕事」というのは無いです。でもよく見ると楽しそうに仕事をしている人はいるものです。そういう人は「せっかくこの職場に来たのだから」「せっかくこの地で仕事をするのだから」「せっかく『あの場所』へ行くのだから」・・・・ここを卒業しちゃう人には遅いんですけど、我々が出会ったのも何かの縁、ここで仕事をするのも何かの縁、「その時にしかできないことを」「せっかくだから」と逃さないようにしてください。
またどおかでお会いするかもしれませんが、卒業する人はどうか頑張ってくださいねー」

私はこの場でルーキーズを語るのは当分ないかもしれないが、未来を造るのは間違いなく若者である。1年生は3学期になったら新1年生をサポートする準備に勤しみ、新1年生は約1年後には先輩顔をして次の1年生に労を惜しまずに少ない経験を全力で伝える。彼ら自体は構造上まだまだ小さい勢力かもしれないが、何せ周囲には面倒見てあげたくて仕方がない「新入社員大好き!」のベテラン社員が山ほどひしめいているのだ。大した手間をかけなくても勝手に根を張り、成長・増殖していくまるで「にら」のような芽が着実に広がりつつある。この「やる気DAS教室」では私は彼らが苦心して作ったプレゼンテーションや企画PR、エンターティメントを眺めて何やら能書きをたれるだけだったが、今回だけは自らの手を動かした。「へーえ、あの磯辺さんがねー」と思われたであろうこの「贈り物」の製作には多分に妻の功績があるのだが、その話はまた今度。。。

健康を守る人達

2013-06-17 04:56:34 | スポーツ・健康
腹囲85cm以上を基準としてコレステロールや血圧、血糖値などが一定以上の値を示してしまうと「メタボリックシンドローム」として特定保健指導を受けることになっている。はるか1年以上前だが、人間ドックで自分で測定した結果を素直に「85cm」と書いてしまった(実は「未満」でなければいけなかった)私はたまたま他の測定値がもう一つぎりぎりアウトでこの指導を受ける羽目になってしまった。まず面談をして改めてその時の測定値を記録し、講習を受けて自分が改善しようとする目標とそれまでのプロセスを宣言する。例えば「夜9時以降は飲食しない」「間食しない」「週3回は休肝日」とか・・・私は我ながら回遊魚系に特有な性質だと思うが「いつまでに何をやる」と決めたら「徹底的に」「死んでも」実現する傾向にあるが、この時に欠かせないのが「保健師」の存在である。

たまに職場を巡回してくれ「野菜を食べろ」「塩分を控えめに」「適度に運動を」などと耳の痛い話をしながら健康相談してくれる彼ら彼女らは「看護師とは違うよなー」くらいにしか正直あまり詳しく知らなかった。しかし医師と同様で普段はあまりお世話にならない「保健師」なる職業は企業人にとってはなくてはならない重要なポジションである。試しにちょっとググって見ると何とこの資格は「看護師の資格」とデュアルで保有しなければならないハイグレードなものだったのである。会社の健康管理部門には何名かの保健師がいるが、私を指導してくれるのはいつも「ナエさん(仮称)」というベッティと同じくらいの年代の若い女性である。

ちょうど半年くらい前、保健指導の効果確認と面談を行った測定では見事に6ヶ月間の生活改善の効果を叩き出し、腹囲初めすべての測定値を正常範囲に引き戻したのだが、なぜか私の手には「再指導の案内書類」があった。なぜか?実は最終面談で合格すればOKだと思い、夏休みの人間ドックではちょっと安易に腹囲85cmと書いてしまい、血圧値が少しオーバーして再指導となってしまったのである。半年後の改善確認では見事な数値を叩き出した私はナエさんが当然、見逃してくれると思っていたのだが、にっこり笑って「もう半年頑張りましょうねー」とがっちり身柄確保されてしまった。。。(優しい顔して微笑みながら実は相当厳しいらしい)たまたまその日の晩は日頃からお世話になっているナエさんら健康管理部門の方々と懇親会をでスパークしてしまい「ナエさ〜ん、もう半年というのはひどいよー」と撃沈することとなる。

ちょうど半年後となった先週、再指導の効果確認と面談をしてもらうことになった。もうあれから半年か・・・「そう言えば、ナエさん達とまた飲みたいねえ」私のつぶやきに電撃のように反応したのがKYOちゃんだった。社員の健康管理などを司ってくれるセクションの人たちはやはりどちらかと言うと仕事を超越した存在であり「垣根を越えて飲みませんか?」ということがあまりないようだ。合コン大好きKYOちゃんはあっという間にスケジュール調整し「仕事上のアクションよりもよっぽど早い」と思われるほどに懇親会を設定した。メンバはナエさんたち保健師の方2名とKYOちゃん、そしてアルコール摂り過ぎで指導いただいているグッチーである。私も含めてこの「レッツゴー3匹」、いつまでナエさん達にお世話になれるか分からない状況にあるようだからなー。(噂では)

まずは肝心の面談だが、約束の時間に指導室を訪ねるとナエさんは「じゃあ、まずは測定ですね」と体重計を引っ張り出してきた。「●○.4kgかー。衣服分は2キロぐらいありますかねえ」「そんなにありません。差し引くのは1キロだけ!」しかしここのところ体重管理には注意しているから(朝抜きで昼はざるそばのみ)余裕で目標クリアである。次に腹囲・・・自分で測ればOKなのに真面目なナエさんはズボンをずりりーっと半ばまで引きずり下ろし、両手をぐるーっと腹の周りに回して抱きつくようにメジャーで測る。向こうは単なる仕事なんだろうが、こちらは結構焦るし恥ずかしい。。。(あんまりこの姿、人に見せられないよなー)結果は見事84cmでこれまた目標クリアである。最後が血圧なのだが、不思議なことにいつもこれが引っ掛かる。スポーツジムで測るといつも何でもないのに、随分高めに出てしまう。「人に測定されると上がっちゃう人いるんですよ。「はい、複式呼吸で吸ってゆーっくり3回息をはきましょう。ふーぅーぅー、ふーぅーぅー・・・・・・」まるでラマーズ法のような気分で数回深呼吸した後、再び測定したら何とさっきより悪化!「やっぱりナエさんの前で緊張してるんですよ」相変わらずベタな言い訳しかできないのが情けない。。。。とりあえず普段は正常なので「よし」ということにしてくれた。

奇しくも前回と同じスタイル(面談当日)となった夜の懇親会では、相手が我々の健康を司る役目というのをいきなり忘れて「飲み放題コース」。。。KYOちゃんは全く気にも留めなかったらしい。まずは保健師お薦めの居酒屋メニュー選択をお願いしたが、やはり生野菜と大豆系が多い。。。「ねえねえ、この麦豚の煮込みっていいでしょ?」「何とか鱒っていいんじゃないすか?魚だし・・・」ナエさんは何故か私の前にドカン!と生野菜の皿を置いたので、申し訳程度にプチトマトをつまんでから肉の皿に向かった。ベッティが来れなかったから3対3の合コン形式とはならなかったが、引き出しの多さではこのセクションNO.1を誇る「レッツゴー3匹」が存分に笑わせて差し上げたのである。

私は立場柄(ってほどでもないけど)、県内至るところに足を運び、名所、名物ゲテモノについての造詣は右に出る者がたぶんいない。(あらゆるセクションから「得意な方面」に連れて行ってもらうから)
またこの地方に住み着き、休日には温泉巡りに余念の無いグッチー、ゴルフや旅行で何かとずっこけ武勇伝の多い(かなり私によって脚色されている)KYOちゃんらの話を面白そうに聞きながら、隣県から通勤しているナエさんはつぶやいた「アタシはまだこの土地にちゃんと向かい合えていない。。。」
「この前KYOちゃんたちとねー、『じゃらん』で人気NO.1に選ばれた「○川温泉」に行ってきたんですよ。熊がいてねー。今は檻の中なんだけど。昔は迷い込んで人に懐いた熊と一緒に温泉入ってたんだってさ。急流のほとりでいいところだよねえ。グッチーなんか休日は温泉のはしごしてるもんな」
 
     

「でもねーナエさん、コイツこの会社で5人しか選ばれない特別な研修に行ったんですよ。隣県の同職で集まったときに「NO5だ」と散々イジられてましたけど、すごいでしょ?」ちょっとおだてられたグッチーはいい気になって「そうそう、○川温泉ならちょうどその研修メンバーと一緒に意見交換として平日宿泊したんですよ。夜の雰囲気は最高で・・・」「なにーっ!?そんな話ぁ、聞いてねえぞぉ。修善寺行ったのは承認したけどさー。グッチーよ、とうとうボロぉ出しやがったな。うけけけっ」肝心なところでイマイチ締めの甘いグッチーは今後1ヶ月はイジリ倒してやろう。

「トロッコ電車に乗っていくと駅の構内に温泉がある●沼温泉てのがあるんですよ。小さい風呂でねー。男女風呂の間仕切りが古い板張りになっていて細ーい隙間があって向こう側を人が通るとわかるんです。KYOちゃんなんて試しにカラダ真横にして張り付いてみましたからねー。むろん覗くわけじゃないけど、見えるんじゃないかってね。」「○川温泉って、混浴で結構若い人いるんだよねー。大きなタオル巻いて入るのが決まりなんだけど」「そりゃー、宿泊すりゃー夜は会えるだろうよ。オレたちは夕方の空いたときだもんなー」グッチーはまたしても余計なことを言って泥沼入りしていた。「アタシたちそういう機会ないのよねえ」とナエさん。。。「じゃー、いっそのこと『○川健康管理センター』を設立すりゃーいいじゃんか。会社でNO.5だったらそれくらいできンだろ」

「レッツゴー3匹」の漫才は夜遅くまで続いた。すっかり「保健の使者」相手ということを忘れ、以前以上にスパークしてしまった。私は職場で頂いた「ご当地ネギ」の苗をナエさんに分けて持って帰ってもらった。「この土地とちゃんと向き合えていない」というつぶやきを受け、「うんうん、いいよいいよ。おーけ、おーけー!」グッチーはツアーコンダクターとしては二人といない適任者であろうミスターのモノマネを繰り返して二人を笑わせていた。翌日、私は当部門の「セブンルール」に則り、ただちにミスターへナエさん達を昼食時間に名物のご案内することを依頼、第1回は我が社の荒くれどもが愛して止まない田舎うどんの「あずまや」になったようだ。「あの超濃い口味は塩分的にマズイんじゃねえの?出入り禁止にされちゃうかも。。。」「いや、社員が普段どんなうどんを食ってるかも、保健師には知っておいてもらわないと」
そんな会話をしていたら、もう一人の保健師から前夜のお礼メールがやってきた。その人は組織の変遷も含めてこの職場を25年もご存知のベテランで「一番楽しそうなセクションだった」というのが印象に残った。
これからも社員の健康管理をどうぞよろしくお願いします。

花心

2013-06-12 21:06:29 | 旅行お出かけ
先日、ルーキーズを中心とする職場のグループで尾瀬ハイキングに行ったそうだ。私もメンバに入っていたのだが、朝出発が未明ということで湘南から行くには始発電車でも間に合わないのだが、どうしても前泊できない予定があり、今回は出場を断念した。天気予報では降水確率50%くらいあったから、元々そこそこの晴れパワーを持つ私は「せっかくなら、天気になるといいなー」と思っていたが、実際途中からは日差しも出たりしてかなり好コンディションだったようだ。ただこれまでのレクリエーションと若干異なるのは参加したKYOちゃん曰く引率者?である山歩きのベテランチーフが元山岳部部長、ハイキングに当たっての行動を厳格に取り締まったことだ。

何せ修学旅行バリの「説明事項」を作成し、参加予定者全員を集めて「説明会」を開く熱心ぶりである。服装や持ち物、山歩きでのマナーなど細かく規定され、班編成、班メンバの歩く列順、リュックサックの背負い方まだ指導を受けたそうだ。「いい天気で良かったじゃんか。ビールがうまかったろ」KYOちゃんに聞くと「そういう雰囲気じゃないっす。まるで軍隊・・・」途中トイレに行きたくなったらしいが、中間地点の山小屋まで我慢させられた。(当たり前か)その山小屋には超観光地価格だが冷たいビールも打っていたが、買って飲む者は誰もいなかったんだって。水芭蕉が今が満開期で実に素晴らしかったようだ。雄大な自然の中でのハイキングは楽しかろうが、飽きっぽい私は何時間も同様な景色が続くと退屈して別のことをしたくなるので、参加前は「オレ、景色を堪能したら山小屋でビール飲んで待ってるよー」と笑っていた。もしそんなことしたら「不心得者」として随分叱られたことだろう。

別の機会で山頂リフトをKYOちゃんと二人で乗っていたとき、足元に水芭蕉の花が大きく咲いていた。「おーっ、ここにも水芭蕉咲いてるねー。尾瀬はすごかったんだって?」「これがそうなんですね・・・オレ花心がなくてあんまり。。。」コイツは一体何しに尾瀬まで行ったんだろう?と首をかしげたが、KYOちゃんは若干凹んでいたようだった。彼は車で20分かかるフットサル会場まで走ってくるような私よりも過激な回遊魚系だから、のんびり花や景色を楽しむのは苦手なのかもしれない。
花心については私も自信がないが、草花を見て楽しむくらいの風流心は持っている(と自分では思っている)。県西部にある寒桜なども見に行ったし、小田原の曽我梅林もほぼ毎年訪れる。最近ではGW明けくらいに樹齢800年のつつじがある有名な公園を訪れたが、残念ながら今年は何故か1万株のつつじがほとんど咲かず、まつりはかなり寂しいものになったらしい。

先日、「バラ園まつり」というのがあって、昼休みに訪れた。バラの花っていつも咲いているような気がするが、5月下旬から6月上旬くらいが咲き頃のようだ。県内くまなく「知らない名所はない」というミスターが連れて行ってくれたのだが、ものすごく見事な満開のバラだった。世にバラを愛でる人は多く、個人の庭園を持っている人もいるというが、想像を絶する種類だった。ピンク、白、紫、黄色、鮮やかなオレンジ、深紅など様々で花びらの形もカルメンのような開いたもの、高島屋の包みのようなぼわーっとしたもの、少し尖った形のものなど同じものを見つけるほうが難しい。産地国別のゾーンになっているようだったが、どの花(種類?)にも独特(というよりも「言ったもん勝ち」みたい)な名前がつけられている。「プレイボーイ」とか「イングリッドバーグマン」、「ジョンエフケネディ」など・・・また「プリンセス何とか」という皇室の名前を冠しているものもたくさんある。

      

別の外出時に同行した若手女性マネージャーのベッティがバラ園まつりの話をしていたら、ものすごく羨ましそうな顔をしていたので、帰りがけにミスターに「彼女、バラ園行きたいみたいよ・・・」と囁くと、もう一度車を向けてくれた。何しろ駐車場も入園料も全て無料、外出先からちょいと30分くらい寄ってこれる場所である。少し散りかけていたが、咲き誇る数百種類の何千本というバラにベッティは感激していたようだった。たくさんのバラの中に理系クンである私の興味をそそるものがあった。「●かぎの輝き」と名付けられた「市の花」で、何とつぼみ→咲き始め→満開期で色が三色に変化するというのだ。実際に白っぽいつぼみから咲き始めはオレンジ、満開になると赤くなっている。これは珍しい!

      

新幹線で持って帰るのは結構大変だが私はバラの販売コーナーでこの株を購入して湘南の土に植えようと思いついた。「●かぎの輝き」というバラの株はありますか?」店員は「よくお客さんに聞かれるんですけどねえ。あれは何年も前から『今年こそ出荷する』といいながらまだ売りには出てないんですよ。売りに出すほど作れないんですね」残念ながら市場に出回るにはそれなりの量をたやすく産出できないといけないらしいのだ。私のような素人が持って帰って庭に植えたところで枯らしてしまっては申し訳ない。。。見るのはそれなりに好きだが、「手塩にかけて育てる」というのは私にとってはさすがにハードルが高い。

バッティは女性らしく「お花が好きで家でも色々栽培している」そうだ。また鎌倉が好きで季節ごとに結構足を運んでいるらしい。この時期は何と言ってもあじさいの名月院だろう。ものすごい人込みだそうだが、今は奥の院の花菖蒲も満開でそれは見事な眺めだそうだ。
「オレは花よりも『食べれる植物』のほうが興味あるんだけどさー。『●かぎの輝き』は残念だったなー。この土地で勤務した証に持ってかえって湘南に植えるってのは何かいいだろ?そうやって育ててるのが今あるんだよ」「へーえ、何を育ててるんですか?」「にら」ベッティはきょとんとしていたが、「いやあ、ネットのお友達が庭に生えたにらの種を送ってくれたんだよ。これだけは毎日水をやって、ちゃんと生えてきたから驚きだ」

「バラ園、綺麗だったよねえ。ゾーンごとに色が統一されているのが落ち着いていた。江ノ島のサミュエル・コッキング苑はものすごい色とりどりの花なんだけど、あまりにカラフルすぎて少しどぎつい感じがするんだよな。出てくるとカラダが『花臭く』なってるような気がする」「えー、『花臭い』なんて言葉初めて聞きましたよー」花のアーチをくぐり抜けたときなど思わずポーっとするほど綺麗なのだが、何となく花の香りがカラダに沁み付いてきている気がしたのだ。
「●ジオカの『藤まつり』にも行きたかったんだけどねえ。さすがにもう終わっちゃったよね。グッチーはお隣県で世界一の大藤見てきたらしいんだ。ただ入場料1600円だってさ」

        

先日の日曜日、私は早朝に赤いライオン号で茅ヶ崎の母を迎えに行き、竜泉寺の代わりに名月院に向かった。母は昔、結構鎌倉を歩いていたらしく、周辺にはかなり詳しいが名月院を訪れるのは十数年ぶりだという。この時期だけ開院時間は8時半から、また花菖蒲園もこの時期だけ(有料だが)開放するそうだ。鎌倉の名所と言われるところはすべからく「有料」なので、1日かけてあちこち見て回ると拝観料だけですごい費用になってしまう。だから妻と歩く時もそうだが、めぼしいところを1,2箇所ぱっとゲリラ的に見ることが多い。(いつでも散歩気分で来れるところがこのスタイルを可能にしているのだろう)今回は「1年にこの時期だけ」という難所だから、名月院だけに絞り込んだ。開院30分前に着いたから円覚寺の駐車場付近に車を停められたが、北鎌倉駅から名月院に向かう人の流れが早くもできていた。

入り口からは200メートルほどの開院待ちの列があり、警備員が通過する車両などに注意喚起していた。周辺エリアのあじさいは咲いていたが、入り口を入って山門に向かって驚いた。こんな鮮やかなブルーは初めてみたのだ。その昔我が家の庭にもあった色とりどりの花ではなく、まさしく名月院ブルー一色の見事な眺めだった。円形窓の向こうは花菖蒲園になっていてこの時期だけ入ることができる。ここは花菖蒲が満開でさらに圧巻としかいいようがない。庭園を囲む山からはウグイスがさえずり、鮮烈な青の洪水に加え、色鮮やかな花菖蒲の間を蝶が舞う。これは怒涛の人混みをかき分けても堪能しにくる価値はある。今回は下手な写真をたくさん掲載したまま筆を置くとしよう。

      

        

          

身体の声を聴く

2013-06-07 23:11:25 | スポーツ・健康
私は身体に外部から何か施されることにほとんど縁が無かった。各種スポーツはもちろんのこと筋力トレーニング然り、ストレッチやその他スポーツジムの「癒し系プログラム」なども基本は「自発的」に身体を動かす運動であり、他人に何かされることはない。疲れた時に妻や子供に背中を押してもらうくらいのことはあるが、出張先で「くすぐったいか痛いかしかない」マッサージ(変なヤツではなく)など注文する人が全く理解できないし、香港の足裏マッサージではあまりの激痛に裏拳で土壁に穴を開けた。済州島で生まれて初めて垢スリ、全身マッサージというのを受けたが、話のタネになったのと家族が喜ぶのが良かっただけで、私にとっては正直ヌルヌル気持ち悪いだけで、隣りのベッドであまりの心地よさに鼾をかいている息子甘辛が信じられなかった。追突されて妻がムチ打ちになってしまった時はハリ治療していたが、あんな小さなハリで何か起きるとはどうにも思えなかったし、スピリチュアルヒーリングで「気の注入」というのも経験したが、実はほとんど何も感ずることができなかった・・・(実は先生に「効いているフリをしているのを見抜かれたらどうしよう?」とハラハラしていた)

母がそう産んでくれたのはありがたいことだが、元々内外から比較的頑健であったので、想定外の外力による骨折その他の怪我以外にはほとんど身体そのもののケアをしたことがなかった。部活や試合の前の準備運動など、ろくにしなかったがそれが原因で肉離れや捻挫など大きな怪我をしたこともなかった。とある師匠は「上手な人は準備運動しない人が多い」とも仰ってくれたが、実は本来あるべき「本番では最初からトップギア」とはせずに「サボりながら」ウォームアップしているだけである。一度だけ社会人になって草野球の試合でライト前ヒットを放った時に一塁へ全力疾走して軽い肉離れになったことがある。この年でも平気でできる野球など「準備運動するような激しいスポーツではない」とタカをくくった結果バチが当たった。

学生時代はサッカーを初めソフトボール、ビーチバレー、テニス、スキー、ゴルフなど「極めるのは難しいが、やれば誰でもそこそこできるスポーツ」には皆手を染めていたバブル時代だったから、使う筋肉も広範囲でそこそこ柔軟性があったが、社会人になってからは一旦、運動量とその機会が激減した。j一人住まいの不規則な生活や酒の飲みすぎが続きいわゆる慢性的な「運動不足」となった結果、身体はどんどん硬くなっていったが、そこは20代から30代自浄・再生機能がまだ働き、たまに動かしても身体はまだまだ仕事をしてくれた。たぶん人生最大重量を誇ったとのもこの時である。人によって随分異なると思うが、結婚も少しは考える年齢になってきて、「この身体じゃあ、まずいわなー」とそれこそ一時的には「目も霞む」ほど極端なダイエットにより、ほぼ今の体重に戻した。

まだまだこれまでの「貯金」が使える期間だったのか、たまーにスポーツをやってもそれほどダメージもなくこなすことができた。運動不足による筋肉痛や身体が硬ーくなっているのはむしろこの年齢ではある種のステータスっぽく捉えることもある。30代前半くらいまでは身体能力や健康体であることに自信のある者が人間ドックで赤ランプばかり点灯した時に「いやー、遊んで酒飲んでばっかで、からだボロボロだよ。この前もドックで引っ掛かって呼ばれちゃってさー」とか嬉しそうに話すようなものだ。ちなみに私は今でも「年をとると運動してから数日後に遅れて筋肉痛となる」という伝説を信じていない。若い時は瞬発力系の速筋を多用する運動が多いので痛みが速く出て、年齢を経ると激しい運動から「ゆっくり長く行う」遅筋を使う運動にシフトしていくので、自動的に筋肉痛の現れる時間が遅くなるだけだと思う。(ちなみに今でもフットサルなどやると、その日のうちに恐ろしい筋肉痛となる)

年齢的な身体能力の下降は何となく感じながらも「ちょっとは身体の声を聴かなきゃなー」と思い始めたのは、「トレーニングはもういいからもう少し柔軟性を持ちなさい」とヒーリングの先生に言われ、その先生の予言で数年前ちょっとした疾患で入院したこと、そして県民マラソンの前にちょっと練習したら腰椎に正体不明の激痛が走って立てなくなったことである。
心霊方面にも能力があると聞くヒーリングの先生に初めてお会いした時、これ系の話に最も弱い私は「ホントのこと言ってほしいんですけど、ボクに何か憑いてませんよね・・・」とおそるおそる尋ねたが、あまり詳しく語らない先生はカラカラと笑って「あなたは心身共に恐ろしく『硬い』から大丈夫。むしろ、今後のことを考えたら、ストレッチなどで長い筋肉の柔軟性を高めるといいよ」と仰った。その先生に「人間ドックでは見ないところが悪くなるから、気をつけろ」みたいなことを言われて、かねてから若干の懸念があった疾患が悪化して年末年始「誰もいない病室で年越し」などという世にも空しく恐ろしい経験をする羽目となった。マラソン大会1週間前にすごい腰痛が襲って歩くのも辛くなり、慌てふためいて外科でレントゲンをとってもらうと「運動し過ぎ」という、笑い話のような診断だった。

もう「天命を知る」年齢にも近くなり、最近はそれなりに身体の内外側の声はなるべく聴くようにしている。週に決まって「休肝日」を設けるわけではなく、内臓が「どうも疲れている」と訴えたら休養する。週何日ジム通いと決めるわけではなく、関節や筋肉が「休みたい」と訴えたら休む、というただそれだけである。何もしないで休養というのは回遊魚系の性格上難しいのでこういう時はスーパー銭湯でリラックスすることにしている。ここ1ヵ月半くらいは季節の変わり目でスノボ、フットサル、ゴルフ、サーフィンにビーチバレーと使用部位の異なる筋肉を酷使したから、内外から身体が悲鳴に近いものを上げていた。この中で最も私個人の身体に悪い影響を与えているのはたぶん「ゴルフ」だと思われた。乱暴に言えば直線的な瞬発力を中心とする他のスポーツに比べて「捻り」が多過ぎるのである。

野球のスイング同様それらのスポーツも体幹の捻りによって動作を行う要素はあろうが、急加速・急停止したり、方向変換したりジャンプしたりバランスをとったり、というスタイルに慣れすぎてきた。準備運動なのもそれなりに時間をかけるようにしてきたが、「しなやかさを身に付けろ」というヒーリングの先生の言葉の意味がようわく分かるような気がした。
「ボディメトリクス」という新しいマシンエクササイズがある。錘のような負荷によって筋繊維自体を太くするバーベル系エクササイズではなく、錘を使って関節・筋肉の稼働域を広げるものである。タイガーウッズが30歳を超えた以降はトレーニングは全てこれに切替えたという言わばメンテナンス系のエクササイズだ。自宅通勤にして以前のスポーツクラブに再入会した時に採用されていたから、2ヶ月間ほど試しに行ってみたが、どうもピンと来なかった。

そうしているうちに「ワンコインペアストレッチ」という期間限定キャンペーンを見つけた。専門の教育を受けたトレーナーが身体の柔軟度を診断し自分では伸ばせないような部位についてストレッチ、サポートしてくれるというのである。マンツーマン(実際は女性トレーナー)というのはどうも苦手なワタシだが、「教わるということ」編で少しこのあたりのスタイルを変えようと思っていたので、試しにお願いしてみることにした。どこのスポーツクラブでもこう言った有料プログラムは設けられているのだが、30分で2000円以上するのが普通だ。激痛に顔を歪めるかマッサージのようにくすぐったいのか多少不安はあったが、ワンコインで試せるのはお得だ。

「腰痛や肩凝りとか、何かお困りの症状はありますか?」小柄で若い女性トレーナーは真面目そうな顔で尋ねてきた。「特にはないんですけどねえ。色んな運動してるんですけど、身体全体がどんどん固くなって、歪んでいくような気がして・・・」自分でストレッチを行う時はそこそこ曲がり伸びるのである。しかしスタジオでは「気持ちいいところで止めて」と言われるので、柔軟性が向上しているとは思えないのだ。言われるがままに仰向けに寝そべった私を一目見てトレーナーは「あー、右股関節が開いたまま歪んでますね」と事務的に所感を言った。

まずは右足をまっすぐにして肩に担ぎぐぐーっと覆いかぶさって膝をゆっくりと近付け始めた。よくある太腿の後ろ側のストレッチである。「まだいけますか?結構柔らかいですねー」足首、脹脛廻りもたぶんサッカーをやっていた関係で稼働域が大きく中々良好だったが、右足を折り曲げ膝を外に向けて「シェー」の形で外側に押されたとき「ぐぅあーっ」と悲鳴を上げた。「これしか動かないですか?伸びてるって感じします?」筋肉が固すぎて伸びるレベルすらいかないらしいのである。足を反対側に伸ばして尻の上側を伸ばそうとした時も筋肉の反発が大きいらしく、小柄なトレーナーは全体重をかけて押してくれたが伸びを感じるまでに至らなかった。「股関節とお尻の周りがだいぶ固いですよ。これ痛いでしょ?」仰向けで膝を目一杯曲げた上体で、膝から下を内外にぐるぐる周回させると、ある地点を通過するときに「ごきんっ」と激痛が走る。

歯医者も高い確率でそうだが「これ痛いでしょ?」とやられて激痛に涙目になると、心配そうな顔をして口元だけは微妙に笑っている。(何故かサディスティックな雰囲気がある)
自分で行うと勝手に動いてしまう反対側の筋肉を押さえて固定しながら力をかけるので、普段ではまず伸ばせない部位もかなり伸びる感覚をもてた。腰周りから、背中、体側、脇、肩、首と身体中をくまなく負荷をかけて伸ばしてくれた。「へーえ、肩甲骨廻りなんて結構柔らかいですねえ。」名前は知らないがヨーガのポーズで、「両足を大きく開いて正面を向き、片足はまっすぐ、もう片足は膝を直角近くまで曲げて漢字の「方」のようにカッコになり、ここで言う右手を背中側から、左手を左足の前から回して握手した状態で天井を見る」ことまではできるのである。

40分近く行われたペアマッサージでトレーナーの所感は「柔軟性のあるところとコンクリで固めたような部位に極端な差があり、左右のバランスもあまりよくない。」ということだ。伸びを感じられるところは「声を聴けている」が、押しても引いても動かぬ部位はまるで「沈黙されている」ようだ。ただ普段から運動量はあるので、全身がガチガチに固いというわけではなく、よく使う部位は割と柔軟だから、股関節から体幹にかけて固い箇所を意識して長い時間をかけてストレッチすれば「声を聴けるようになる」そうだ。専門用語は使わなかったがまさしくヒーリングの先生の仰ったとおりである。(今更ながら恐るべし・・・)

人に見てもらわないと分からなかったことが結構あって、十分満足の行く「ペアストレッチ」だった。これからスーパー銭湯に行ったときは畳コーナーの念入りなストレッチメニューを入れるとしよう。トレーナーと別れた後、一本だけ持ち込んだ8番アイアンを手に打ち放しエリアに向かい、「(あれだけ伸ばしたんだから今更準備運動はいらないよな)」と2,3回の素振りの後に「チャー・シュー・メーン」とフルスイングすると、右背中の下辺りで「ゴキュッ」という変な音がした。危ねえ、危ねえ・・・トレーナーにストレッチしてもらった直後に怪我するなんて、人の話なら最高に面白いネタだが自分のことだと洒落にならん・・・

ビーチのバレーで燃えろ

2013-06-04 23:10:55 | スポーツ・健康
昨年の秋口だったろうか、職場のジローくんが北関東から我が家近くのお馴染みサーフビレッジにビーチバレーをやるにきた。東京近辺にいる同期やその同僚、そしてどこで知り合ったのかビーチバレー仲間たちとだ。交通費を浮かすためにマンションから鈍行でくると3時間以上かかるから、ホントに来るのか半信半疑だったが、たまたま時間だけ聞いていたので、どんな様子なのか妻と散歩がてら見に行った。まだ準備中でメンバ全員は集まっていなかったようだが、「うわーっ、ホントに歩いて来れるところにお家があるんですねー」それがジローくんと妻の初対面であり、それ以来私の単身マンションに来た時とか、フットサル大会に息子と参加した時などよく食事など共にしていた。

彼らがビーチバレーしに来た日、私はいつものようにウェットスーツに着替え、いつもの河口あたりで波乗りしていたが、ふと思いついて帰りにチャリでサーフビレッジに寄ってみるともう数時間経つのにまだ夢中になって遊んでいた。よくある話なのだが、グループでビーチバレーしていると別のコートから試合のお誘い(挑戦)があったらしいのである。息子甘辛のサッカーチームでよく大人子供入り混じってのビーチバレーは行っていたが、大人同士の半マジゲームなど学生時代に神津島に遊びに行って以来ではないか?!試合の合間にジローくんの同期仲間の後輩女子が「うわーっ、すごい。ホントにサーフィンなさってるんですねー!」とものウェット姿でゲームを眺める私に駆け寄ってきた。「一緒にどうですか?」とも言ってくれたが、波が結構よかったのでもう一度海に入ることにし、その晩は偶然だが、季節外れの江ノ島花火大会だったのでせっかくなら見ていくように言い残して去った。

翌日、ジローくんは「いやー、花火大会まで見られて充実した1日でした。ありがとうございました」と言ってきたから、「今度、う帰りはうちにおいでよ。オレもビーチバレーやるからさー」高校の対組球技大会シリーズで鍛えていた私は彼らの盛り上がりを見て、久々にバレーボールやりたくてうずうずしていた。約1ヵ月後の11月中旬、さすがに北風が冷たく感じ始める頃にジローくんが企画してくれたのだが、残念ながらとある公的試験を受けるために実現しなかった。ジローくんもそうだが、結構遠くから来ている人も多いようだから寒くなると着替えやら重装備になって遊びに来るのも大変だ。「暖かくなってからだねー」と残念がっていた。

4月に入ってまだまだ寒い日が続いたが、ある日ジローくんが「ビーチバレーの話、この日に伺っていいですか?」と聞いてきた。1ヶ月以上先の話だったが、それが先週の日曜日だったのである。むろん私は二つ返事で快諾し、試しに始めたゴルフや釣りを入れずに宴会の準備などを妻に頼んでいた。前述のように前日は我がセクション3年ぶりの大ゴルフ大会だったが、以前お会いしたジローくんの同期仲間とその同僚に加え、入社1,2年のルーキーズがこぞって参加するようで10名くらいに膨らんでいた。東京から直接来る人もいるが、多くはジローくんと一緒に3時間かけて湘南までやってくる遠距離組である。その日は後からだが、パートナー会社のえらい人からゴルフのお誘いがあったのだが、一旦断っておりまたミスターが代理参加を快諾してくれたので、せっかく遠路やってくる彼らのためにビーチバレー&磯辺宴会が実現したのである。(ミスター、ホントにありがとうございました)

当日は季節がちょうどよいから、サーフビレッジでも色々なイベントが開催されている。たまたま運悪くビーチバレーコートやビーチテニスコートも大半が公式イベントで使われており、わずかしか使用できなそうだった。フリーコートは早いもん勝ちなので「コートが空いてなかったら、海岸で遊んでいる」とメールをよこしてきた。私は午前中いつものポイントで波乗りしてから合流する予定だったが、「海に入れる準備をしてきて、ロングボード体験したい人がいたら一式貸すよー。」と返信しておいた。昼過ぎに前と同じように河口に西側からサーフビレッジに向かい、彼らを探したがやはり大きなイベントも行われていていつものコートは全面使用中だった。(せっかく遠路やってきたのにビーチバレーできなくて気の毒だなー)
ところがビーチテニス側の一番端っこで何やら盛り上がっている彼らを発見したのである。何とジローくんの同期仲間が持参した特設コートだったのだ!(すげえ、自分で本物と同じコートを作るなんて・・・)

「40分くらいこっちで海に入ってから来るから入れてねー」私はもう一度ボードを抱えて海へ出動した。「ぜひ、やりたいです!」と意気込んでる人が2名ほどいたので、「指南」する羽目になった時に自分がろくに波にも乗れなくてはカッコ悪いから「練習」しておくつもりだったのである。(実はそんなことが必要なほど「波」はなかった)
しばらくしてコートに混ぜてもらったが、これほど楽しく盛り上がったのはホントに久しぶりだった。ビーチバレーってこんなに楽しかったっけ?「いじられキャラ」のいっけいが遅れて登場してからは、大笑いあり咆哮ありで、女子も合わせて終いには体育会系のノリで大騒ぎとなった。

休憩中に「全く初めてなんですが・・・」というが張り切っているルーキーズ2人を引き連れてボードを抱え海に再入場した。「スクールだと初めは陸に腹ばってテイクオフの練習とかするんだけど、時間ないからいきなり乗ってねー。」まあ、こんな感じで、と試しに小さい波に乗ってみせ、一人をボードの上に腹ばわせると、適当な波が来た時に前へ押して滑らせてやった」沖の方から自力で大き目の波に乗るには結構な力(たぶん想像以上に力一杯)でパドリングしなければならない。さすがに初めての人にボードに浮かんでそれを行うのは難しいので、後ろからパドルの代わりに押してやるのだ。「もう少しで立てるところまで行った」彼らは「滅茶苦茶面白いっすねー!」とかなり喜んでいたようだった。指導まではできないが、せっかくなら皆に体験させてあげればよかった。。。

最後にビーチバレーコートに戻り、「負けた方が海へドボン」という罰ゲーム付きのガチンコ対決となった。「おりゃーっ」高校時代対組バレー競技大会で鍛えた私の容赦ないスパイクが炸裂し、今でもバリバリ?の渋ヤンのダイビングレシーブが砂を飛ばす。あまりに夢中になって右手を負傷してしまったユリーちゃんは審判役となったが、もってきたハイボール缶で意味不明になっていた。とんねるずの番組のように一旦負けた側の土下座によって再ゲームとなり、激戦の末我が方の勝利に終わったのである。「罰ゲーム分かってるよなー!」皆、怒涛のように海へ走って行った。むろん勝った方も負けた方も「ドボン」のお約束、久々の「青春の法則」である。「ぎゃー、冷たい。そんなにかけないでー」
なんて清々しい若者達だろう、と眺めていると「磯辺さんも入らなきゃー」と背中を押された。(いや、オレそもそも海に入りにきたんだよ・・・)

予定を1時間近くオーバーし、家で宴会の準備をしてくれている妻のもとに一足先に桜クルーザー号を走らせた。帰宅すると「いやー、赤いライオン号を見てみたくてねー」と仲良しのSちゃんパパママがサプライズゲストでやってきてくれた。ジローくんのリクエストに応え生シラスを用意したのだが、たまたまその朝はあまり獲れなかったようで、一人1パックしか売ってくれなかったから、ゲストを優先させた。宴会料理を作ると常に絶賛を浴びる妻の手料理を頬張りながら、どんどん夜が更けていった。。。8時を回るころにタクシーを呼んで湘南新宿ラインで若者達は帰って行った。
いやー、楽しかった。宇宙戦艦ヤマト(完結編)の沖田艦長のセリフがよみがえる。「この若者たちある限り・・・」
みなさんお疲れ様でした。またおいでねー。 (写真が載せられなくて残念だ)