超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

卒業ソングとは

2016-02-27 10:57:27 | 昭和
民放でこれといったお気に入り番組はないが、ちょうど曜日による帰宅時間と合うのか「マツコの知らない世界」という番組はよくテレビに映っている。(ということは家族が見てるんだろう)かき氷、リカちゃん人形、チャーハン、エレキギター、イヤホンなど知らないわけではないが、それほど興味を持つこともないモノにとことんこだわる、又は深みにハマっている「●●の世界」という話である。かき氷は全国の有名な店の品が紹介されていたし、ヨっちゃんの何百万円もするエレキギターのコレクションもあった。初登場から代々のリカちゃんを細かく語る男性はかなりシュールに見えた。その番組で確か先週だったが「卒業ソングの世界」というお題があった。卒業ソングマニアという人が登場し、古今の卒業式で歌われた曲を実際の中高生の合唱も織り交ぜて紹介していて、思わず懐かしく見入ってしまった。その人によれば卒業ソングとは「カタルシス」(気持ちの浄化)だそうである。

我々に当たる30〜50代が実際に卒業式で歌った曲は「仰げば尊し」「蛍の光」のワンツーフィニッシュを除くと「贈る言葉」「大地讃頌」「巣立ちの歌」となっていた。我々はリアル金八世代だからむろん「贈る言葉」は知っているが、実際には歌わなかった。マツコさんは「大地讃頌!懐かしい〜」と感嘆していたが、どちらかというと私にとっては「合唱祭」の歌である。確か高校1年の時の課題曲だった。実は甘辛も中学時代に合唱祭で歌ったという。親子して「ははなぁ〜るぅ、だいちぃの・・・・」と始まってしまい、耳について離れなくなってしまった。。。5位の「巣立ちの歌」というのは80〜90年代に多く歌われたそうだが、妻も甘辛も全然知らなかった。甘辛の入る10〜20代が実際に卒業式で歌った曲は「旅立ちの日に」が1位だった。これは実際の中学校の教員によって作られた曲だそうで、甘辛も中学の卒業式で歌っていた。近年では卒業ソングとして定番のようだ。「あの歌、みんなで大合唱されると聴いてる方はうるうるくるんだよな」「でも、オレは本番よりもリハーサルの時のほうが、じーんときたぜ」と甘辛はいう。分かる分かる。私もそうだったが当人にとって本番はいつもと全然違う雰囲気なのであまりピンとこないが、普段着スタイルで練習などをすると「卒業式間近」を感じてしまい、何か「じわーん」と寂しさを感じてしまうのだ。

    

全く同じタイトルで「川嶋あい」という人の曲が2位になっていた。3位の森山直太朗さん「さくら(独唱)」は分かるが、EXILEや嵐なども定番だというから時代の移り変わりを感じる。「アンジェラアキの『手紙』とか入ってねえかな。あの曲は合唱するにゃ辛いかな」「5位に入ってんじゃんか。父ちゃん、目ぇ悪くなったなー」私はテレビの真ん前にがっつり陣取った。卒業式に歌った曲というのは年代別もそうだが、小中高のどれで歌ったかにもよると思われる。私は小学校卒業の時に「たぁのぉーしく、すぅぎーた、ろくーねーんのぉー、まぁなーびの、にぃわーよ、さよーぉなぁらー・・・」という曲を歌ったのだが、題名は思い出せない。貧乏校なのか信じられないことに当時は体育館がなく、グランドで卒業式の予行演習を行っていた。ところがかなりのレベルにある私の晴れパワーを覆す者がいて、当日は土砂降りの雨・・・!何とそれぞれの教室で担任から卒業証書をもらい、スピーカーから流れる伴奏に合わせて歌ったからよく覚えているのだ。甘辛の時は卒業生退場しにGReeeeNの「遥か」が流れ、かなりうるうるきたものだ。「でもなんたって反則技は『さよならぼくたちの幼稚園』だよな」妻は大きく頷いた。そのまんま捻りがないがTUBEの「湘南My Love」は母校の卒業式でぜひ歌ってほしいと思う。

番組では「卒業式に歌った曲」から「卒業を歌った曲」に話題が移っていた。さすがに舟木一夫さんの「高校3年生」は馴染みがなかったが、昭和の卒業ソングとして少年少女合唱隊が実際に「卒業写真」「なごり雪」などを歌い始めた。斉藤由貴さんの「卒業」が紹介された時、マツコさんは興奮して「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう、でももっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいってのよ!あの子たちに意味分かるのかしら・・・」一番有名なのは故・尾崎豊さんの「卒業」のような気がするが、私にとっては同じ時期では菊池桃子さんの「卒業」の印象の方がはるかに強い。「絶対『制服』は入るはずだよ。ほら、あっただろ!あとナカジの『じゃあね』もねえかな。」この頃になると、いつの間にかテレビに向かって話し始めていた。。。アイドル全盛期の松田聖子さんは新曲を出すたびにベストテンで連続1位記録を塗り替えていったが、高校生の時、クラスの男子になぜか絶大な人気を誇ったの「制服」だった。「赤いスイートピー」のB面である。我が校だけの流行りかと思っていたら、ホントに名曲として扱われていて不思議な感じがした。

              


「この曲もあの子たちに歌えるのかしら・・・」マツコさんが首を傾げていると、幕の向こうには柏原芳恵さんその人がいて、「春なのに」を熱唱していた。ザ・ベストテンで見た「ハローグッバイ」しか知らないし、アイドルとして松田聖子さんには及ばなかった気がするが、中島みゆきさんに救われた感じがする。年代を超えて歌い継がれているというのは中々できないものだ。マツコさんは「あー、いい匂い」とうっとりしていたが、帰り際に妖精のようなドレスをひらひらする彼女を見て「50を前にして、あの衣装はちょっと痛いかな・・・」同性の見る目は厳しいものだが、私も同感だった。妻によると海援隊の「贈る言葉」は元々は失恋を題材にした歌であったという。確かに歌詞だけ見ると、フラれたか別れたかで女性が去っていくようなイメージがある。ただリアル金八先生ではエンディングにこの曲がかかり「3年B組」の名簿がテロップで流れ出すと「愛するあなたへー」というのは金八先生が初めて受け持った受験生徒たちに向けての贈る言葉だと信じて疑わなかった。

昭和の卒業ソングとして他に「なごり雪」「いちご白書をもう一度」「思い出がいっぱい」などが挙がっていたが、どんずば「卒業」を語るものではなく、男女の別れを綴った「名曲」が多いことが分かる。H2Oの曲は私がファンだったおニャン子12番が演じた「みゆき」の主題歌だったと思う。ナカジの「じゃあね」が入ったのは嬉しかったが、さらにマイナーな「グラジュエイション」という倉田まり子さんの曲があったらこの番組はホントにすごいと思った。確かNHKのレッツゴーヤングで松田聖子さんも属していたアイドルの「サンデーズ」を卒業するときに歌っていたと思う。(全然確認してないのでいい加減だが)
私は中高を卒業するときに何を歌ったかを思い出すことができないので、今度クラスメイトと会う機会があったら聞いてみたいと思う。リアル金八世代の我々は確か「贈る言葉」は歌わなかった。高校卒業の時、まだTUBEはデビューしていなかった。
もうすぐ息子甘辛は高校の卒業式を迎える。私は仕事の都合でどうしても参列できそうもないので妻と実家の母親が行くことになろう。どうも式典は甘辛の通った学校の敷地ではなく私が幾度となく足を運んだ某キャンパスで行われるらしく、母親にとっては6回目の登場となる。(これだけ行けば満足だろう・・・)どんな曲を歌うのだろうか?高校ってあまり卒業に際して皆で合唱するイメージがないのだが。。。
最後にスポーツクラブでバイク漕ぎをしているときに見ていたニュースで出たクイズから・・・
「すぐに諦めて負けを認めてしまうのは何年生?」
答えは高校3年生(高3つまり降参・・・)。さてひねくれ者の私はある閃きがあったのだが、自信をもって何と答えたか?

バレンタインの休日

2016-02-23 22:08:05 | 出来事
何かタイミング遅れになってしまったが・・・母が誕生日を迎えて少したち、バレンタインの日がやってきた。今年は日曜日だったが、どこかの記事で見た記憶を辿ると「バレンタインが休日だと売上が減ってしまう」そうだ。クリスマスなどもそうだが、ブツを上げる肝心の当日を外してしまうと何となく気分が削がれ、盛り下がってしまうようなのだ。会社や学校が休みな程度で「今年はなしね」と割り切ってしまう、本当の恋人や片思い告白予定の人以外を振るいにかけるフィルタリングのようなものだ。職場によって異なるが、今年はありがたいことに「少し早いですが」と女性軍からいただくことができた。このサイトでのネタにもなるから、頂いた直後は「さあ1ヶ月後にはどんな面白いネタのお返しにしようか?」とワクワクするのだが、私の悪い癖でしばらくすると忘れてしまい、3月14日の間近に思い出し慌てて妻に平身低頭「お返し」を買ってもらうのがオチとなる。グンマ勤務時代に「いつもみたいに盛り下がらないように」翌週たまたま出かけたついでに小田原の一夜城ヨロイヅカファームのクッキーを買っておいたのだが、渡すときにふと袋を見るとまさかの賞味期限切れ!結局あたふたと近所のデパートに走った。

小学校中高学年くらいで女子からチョコレートをもらえる「バレンタインデー」なるものの存在を知り、その少し後にマシュマロ、キャンデーをお返しにあげる日があることを知った。(マシュマロデーと言っていたような気もする・・・昭和談)このサイトでもあまり取り上げた記憶がないが、中高生の時はそれなりに盛り上がるのは息子甘辛たちの時代でも普遍的なようだ。バブルの頃はチョコレートに加えて高額の「おまけ」が飛び交うようになり、プレゼントをあげる日みたいなイメージとなった。まるで大正テレビ寄席でやっていた「マキシンのバーゲンセール」のようなものである。これは「バーゲンだよ〜」とステテコのテキ屋スタイルの牧伸二さんがチャリティーオークションで売上金は「あゆみの箱」に寄付されていた。赤とか青色した逆さのボウルの中のタワシみたいなつまらないモノをオークションで1万円も支払って競り落とすのだが、後から出てくる「おまけ」が信じられない豪華景品(冷蔵庫を見た記憶がある)で、絶対に損はさせない仕組みになっていた。

特段、強い思い入れや深い思い出があるわけではないが、私に言わせるとバレンタインデーの歴史は「北斗の拳」に例えられる。まず「女性が好きな男性に恋を告白する」正統なスタイルはまさしく一子相伝、「北斗神拳」に相当し、これまでも、またこれからも一直線に続いて行くだろう。一方でそれ以外の流派は多数に分かれ各々のスタイルを形成していく。これが108派あることになっている「南斗聖拳」である。しかしこれら多数の分派の中にも頂点を極める流派があり、「殉」「義」「仁」「妖」「将」そして「慈母」を冠する宿星をもつ「南斗六聖拳」と言われた。これらは何となく(「殉」というのはストーカーみたいなよくないイメージもあるが)義理チョコ、友チョコ、偽装チョコ、強敵(とも)チョコなどに相当するような気がするし、母や妻が私や息子にくれるのはもはや「慈母」の世界であろう。さらに様々な人間模様に合わせてタイトルはなくとも多くの分派が存在しそうだ。

私と縁遠くなっていることも多分にあるが、このバレンタインチョコ、ゆっくりだが文化的意味が薄まり、市場としては行き詰っているような気がするのだ。ジャニーズのアイドルが昔みたいに「トラック何十台分のチョコを贈られた」とかいう話もあまり聞かないし、「マキシンのバーゲンセール」のような高額の「おまけ」もチョコに回帰し、某SNSサイトなどでは「手作り」のものを多く見かける。その昔、女性の多いオフィスでは当日少し前に組織的な集金がありランク別(ってドライだなー)に全員分がくまなく用意される「年中行事」でもあったそうだが、今はあったりなかったりである。今年の14日は春一番が吹くとされ朝から大荒れの天気が予報されていたが、息子甘辛は暗いうちからいそいそと部活に出かけて行った。憧れのマネージャーに期待通りチョコをもらえて嬉しそうに帰ってきたものである。今は中高生でも告白などメールやLINEで済ませてしまうそうだから、一子相伝の北斗神拳も行く末危ういものだ。

さてバレンタインなどほとんど意識していなかったが、我々は雨天と予想されている当日は「映画でも見るか」とテラスモール湘南に出かけた。あまり嬉しくはないのだが、ほぼ最新の上映施設を誇るこのシネマプレックスは夫婦の片方でも一定以上の年齢に達するとそれこそ半額近い割引サービスとなるのである。どうしても見たい映画があると「映画の日」や「レイトショー」、「レディスデー」など毎月決まった日を狙っていたのだが、いつ行ってもかなりの割引サービスがあるから自然に足を運ぶ機会が多くなる。先日も私のリクエストで「火星に一人取り残されてしまう」作品を見てきた。今回はバレンタインとはあまり関係ない「信長協奏曲」である。タイムスリップものは歴史小説などで一般的に言われている「結末」とあまりにかけ離れないように「どう取り繕うのか」も見ものだと思うのだが、娯楽ものとして中々興味深いものだった。

映画の開始時間前、時間潰しにモール内の店舗ではあちこちでバレンタイン商戦が活発だった。女性のファッションブティックでもブランド名を冠した「一発屋チョコ」みたいなのが店頭に並び多少痛い感じもしたのだ。私はユニクロの前で特設店舗を出していたウィンドーの前で立ち止まり、「これ、買ってくんねーか?」と指指した。ものすごく珍しいものではないのだが、幼い頃(それこそウルトラよりもはるかに前)からペンギンの好きだった私は何となくこの手のアイテムに反応してしまうのである。「これって初めてのパターンだね。どれにする?」ウルトラマンのチョコは東京駅ショップM78で買ってあったはずだが、こういう時、苦笑しながらも余計な冷やかしなどを入れずに買ってくれるところが素晴らしい。一番気に入った「タマゴと子供と親ペンギンのセット」は売り切れ、箱がペンギンデザインになっているのも売り切れ・・・残っていたのは2種類ほどしかなかった。考えてみると女性は「可愛い」とおもうかもしれないが「ペンギン好きでもない世の男性は喜ぶのか?」という一抹の疑問は残る。

    

家に帰ると大雨の中、練習してきたという甘辛が暇そうにしていた。その日はバレンタインというよりは、我が家の「すき焼き復活デー」だった。息子が小さい時に体調の悪い時に食ってさらに悪化してしまって以来トラウマとなり、中々食べられなかったすき焼きである。私は前日にポリープ切除手術を受けており、5日間はアルコール禁止だったのだが、「バレンタインだからいいじゃないか」という意味不明の釈明で近所のスーパーまで炭酸を買いに行った。鮮魚売り場を除くとまぐろの3点セットがハートマークの容器に盛られていた。。。(中々、これは痛くないか?!)北斗神拳を伝承するはずもなく、南斗聖拳の一派にもなりそうもない我々が今後盛り上がると見ているのは「ハロウィーン」である。昨年の「ハロウィン」直後、テレビニュースでも「ハロウィンは遂にバレンタインの経済効果を追い越した!」と伝えているほど最近の盛り上がりはすごい。老若男女、人間の変身願望は「旬を過ぎる」ことは少なく、今ではまだ抵抗のある我々だが、ゾンビのようなおぞましい姿からヒーロー物へ流行が変われば、「赤信号を皆で渡る」時も近々やってくるような気がするのである。

大台の誕生日を祝う

2016-02-20 13:05:14 | 出来事
実家の母親とバレンタインが近接しており、我が家では2月は意外にプレゼントを贈ったり贈られたりと、やり取りの多い季節である。最初に今年大台に上る母親の誕生日がやってきた。我が家では何か贈るのは誕生日と母の日に決まっている。数年前の喜寿祝いは兄妹親類を集めて結構盛大なイベントとし、それ以来「従兄妹会」として続いており、この節目の年齢も一応「祝」があるらしいのだが、高齢と呼ばれるゾーンだし何度も遠方に行ったり呼んだりするのも大変なので、今回は家族だけで御祝いを行うことにした。キリのいい年齢だから普段よりはグレードアップしたお祝いにしようと、食事の場所やプレゼントなど妻とあれこれ考えていた。夫婦で記念日に訪れる70Fのラウンジや68Fレストラン群、甘辛の好きな鉄板焼、その向かいの高級ファミリーブッフェなどが上がったがどうもピンとこない。プレゼントにしても「何か思い出に残るモノ」と妻は多少値が張るものも視野に入れていたようだが、これといって閃くモノがない。。。

本人は普段一人で住んでいるから、孫も含めて皆が集まるなら何でも嬉しいようだが、ちょっと前に下田まで旅行してきたばかりである。自分のために我々が度々スケジュールを合わせてお出掛けしたりすると気が引けるらしく、プレゼントなどにしても「お金だって墓場までは持って行けないんだから」と言い出していた。正月にとある人のブログに書いてあった「孝行は子がするものではなく、親がさせてやるもの」をみていたく共感していた私は日にちが迫ってくるに連れ少し考え方の角度を変えたのである。それはしばらく足を運んできていない「我が家でそれぞれ各自が何か作って食べさせる」というものである。妻は正月やそれ以外でも母の喜ぶものを色々作っているから問題なし、私は片瀬漁港の鮮魚直売で朝採れの魚を仕入れ、自分で下した刺身を出してやるつもりだった。問題は一番母が喜びそうだが、普段から料理らしいことは何もしない息子で「甘辛よ。何か作れるものないのか?」「ま、考えてみるさ。家庭科は得意だぜ」

甘辛は妻と相談しどうも「クリームシチュー」を製作することに決めたらしい。明らかに自分の好みが入っていると思われたが、寒い時期作り置きもできるので悪い選択ではあるまい。前日に妻と食材を買い込んでくるとともに何もないのも何なので、ちょっとしたプレゼントと乾杯用シャンパンも用意したようだ。私は念のために漁港のHPで確認してみると、まさかの臨時休業・・・・?!近隣エリアの直売所も営業しておらず、一番近いのは「小田原さかなセンター」だった。この日のこのエリア、漁そのものが休業だとしたらわざわざ小田原まで行ってもあまり意味がない。私は駅前でそこそこクオリティの高い水産店で鮮魚を入手して捌き、また母の好きな「金目鯛」の煮付けを製作することにした。「煮付け」など作ったこともないのだが、今は便利なものでインターネットで数々のレシピが紹介され、動画サイトで実際に調理している様子まで見ることができる。料亭などで「煮付け」部門を見るとかなり高級料理のようでびっくりするくらい値が張るものというイメージがあったが、ネットで見る限り特別な調理方法を用いているわけでもない。どちらかというと簡単そうな動画付きレシピをお手本にすることにした。

当日、息子甘辛は昼からサッカー部の練習があったらしく、午前中にバタバタ仕込んで出かけて行ったらしい。私は朝からすぐ近くのスポーツクラブにポインター号を走らせ、午前中のうちに件の魚屋に寄って鮮魚を物色した。開店したばかりで真鯛もヒラメも、はたまたホウボウなどの高級魚も見かけたがどうもうまく刺身に捌ける自信がない。立派なサイズの魚だったが失敗して台無しにするリスクを恐れ、やはり経験のあるアジを選ぶことにした。店員に良さそうな魚を選んでもらったが、「何かやっときますか?」と聞かれて思わず「じ、じゃあ、3枚に下しといてもらえますか?」とついつい保険をかけてしまった。自分で下すところが大事だと思っていたのに、土壇場でプロの腕を頼りにしてしまったのである。「あのーぅ、金目鯛の切り身ってありますか?」見たところ全身像は見当たらなかったので恐る恐る聞いてみたら、「ありますよー。冷凍のヤツだけど、煮付けにするとすごく美味しいですよ」私はフライパンに一度で乗り切るサイズを想像して3枚選んだのだった。

帰宅してアジとキンメの切り身を冷蔵庫に入れ、実家まで赤いライオン号を走らせた。手料理だけ食わせに迎えに行くのもなんだし、甘辛は夕方まで帰ってこないので、天気も良かったこともありスーパー銭湯に行く前に少しだけ出掛けることにした。これまでいくつか巡ってきた「相模六社」のうち、未だ訪れたことのない平塚の「前鳥神社」である。一之宮が寒川、二之宮が国府津の川勾、三之宮がちょっと遠く秦野の比々多、五之宮に相当するのが平塚八幡宮、総社が二宮の六所ということで四之宮が「前鳥神社」にあたる。境内にメイン?となる社殿の他に神戸神社、奨学神社と三柱の神様が祀られている。それぞれ学問、仕事、厄除けなどの神様だそうだ。いつもの通り私は無病息災系の御守り、母親は自分の生まれ月である2月の「貝合わせ守」というのを購入した。お祝いの日に神社にお参りしスーパー銭湯でリフレッシュして一応家族の手料理を食わせるというコースとしたのである。

夕方母を連れて帰ると、既に甘辛は帰宅していてクリームシチューや妻のローストビーフ、私の買ってきた鯵もタタキになっていて、残るは未着手の「煮付け」だけである。次々とテーブルに出される手料理に結構焦りを感じながら切り身を取り出した。いつもならそれこそ実験用白衣を取り出して、フラスコやビーカーで分量をきっちり計算し、秒針を見ながらフライパンとにらめっこするのだが、どうもそんな暇はなさそうだ。フライパンに買ってきた金目鯛の切り身を置き、料理用酒をどぼどぼ入れてその身を浸し砂糖の容器を取り出した。どのレシピを見ても酒(レシピによっては味醂も少し)と砂糖と醤油、ショウガをぶち込んで落し蓋をして煮詰めるだけである。「なんだこの砂糖、固まっちゃって全然取れねえじゃんか・・・」凝ったレシピだと「ザラメ」とか「メープルシロップ」なども使用するようだが「ようするに砂糖だろ」とがりがり削って切り身の上にふりかけ、アルコール分が飛んだタイミングで醤油をどぼどぼ注ぎ込んで煮立たせ、レシピにあったようにアルミホイルで上を覆ってさらにその上に蓋を置いた。「ああーっ、切り身に切れ目を入れんの忘れてたぁ!」慌てて包丁の刃を立てるも滑ってしまって役に立たず・・・やがてアルミホイルの下で「しょわーしょわー」と盛大に煮立っている泡が見え始めた。

      

分量も時間もろくに計っていない、落し蓋形式なので下で何が起こっているか知る由もない・・・「あんまり煮過ぎると固くなるよ」という妻の言葉を聞いて恐る恐る蓋を取るとそれなりに「煮付け」っぽい香りはしているようだ。ちょうど他の準備も整ったようなので慌てて適当に皿に盛りテーブルに持って行った。「あかんかったら、オレが責任持つからとりあえず箸をつけてみろ」しかし意外にも甘辛は「お、結構コレ美味いじゃんか・・・」繰り返し箸でつついているところを見ると、結果オーライだったようだ。ホントに煮詰めるともっとドロドロベタベタするようなのだが、中途半端に取り出してしまったからかえって味があっさりして魚の高級感が出たらしいのだ。クリームシチューにローストビーフ、鯵のタタキに金目鯛の煮付けとは統一感のないメニュー構成だが、日常使えるちょっとしたプレゼントも渡して、とりあえず母には満足してもらえたようだ。「クルマで送って行く」という妻に対して「タクシー呼ぶから」とビールを飲ませ、抱えきれない荷物を持って玄関を出て行くのを見ていると「やっぱり親がさせてくれてるんだよな」と感じざるを得ない1日となった。

    

ポリープ切除手術

2016-02-17 09:37:21 | 出来事
昨年終盤の人間ドック、もう二ケタ回数受検してきたが、初めて「要治療」という宣告を受けてしまった。受検後、一か月ほどたって遅めに届いた詳細の診断レポートを見ると、終了直後の結果問診ではほぼ「オールグリーン」だったのに、改めて書類を見るとあちこちに「何やらケチ」がついているのである。ただ問診時に「標準値」を少しでも外れていると機械的にB以下になってしまうんです。こちらでちゃんと注意しますから気にしないで」継続的に悪化したり、激変しない限りは「様子を見て」次回に改善していればOKというのだ。(その割には容赦なく「要注意事項」と赤字になってしまっている)

明らかに悪化して心配な視力は早速色々な改善企画を立案し、あちこちの門を叩いて回ったが、結局もう少し様子をみてみることに落ち着いた。もう一つの懸念が「医師としては最悪の事態が万が一あるから・・・」と言われた大腸ポリープである。実は前回のドックでも経鼻胃内視鏡検査で「ここは耳鼻咽喉科の管轄なんだけどねー」と指摘されたポリープらしきものが鼻腔と喉の間にあったのだが、今回の同検査では消えてしまっていた。自分には「トカゲの尻尾」並みの治癒力があると思い込んでいる私は、次回の検査でやばいようなら取るつもりで放っておいた。

しかし正月明けに、最近よく読んでいる重松清さんの著書「カシオペアの丘」読んでちょっと気が変わった。幼馴染4人組主人公の一人が40歳を前にして、まさかのガンを患い、家族を残してあっという間に逝ってしまうストーリーが登場する。その中で「ガンという病気は誰のせいにすることもできない」というのである。人間は事故など外部からの攻撃で身体機能が損傷し死に至ることもあるし、外部からウィルスなどが侵入して組織が侵されて死ぬこともある。しかしガンというのは自らが体内で作りだした細胞が自分を食い尽くす病気である。「お前が身体中を蝕んでオレが死んだら、お前も死ぬんだぞ」と言ったニュアンスのセリフに何となく感じ入ったのである。

胃腸科あたりか?一体どこで受診すればよいのか?色々調べるとドックを受検した病院からの不気味な紹介状には「消火器内科担当医師御机下」と書いてある。その名の通りの科をもつ病院は市民病院や以前掛かったことのある総合病院だが外来の受付や日帰り手術などには結構制約がありそうだった。ネットで調べて行くと比較的新しく開業した「消火器内科クリニック」という個人医院があり、、どうも大腸ポリープなど日帰り施術も専門としているらしい。場所を確かめると以前全身のじんましんや粉瘤治療で掛かった皮膚科医院と同じビルの真上だ。

ドックの担当医には「直腸だから失敗しても問題なし。躊躇するなかれ」みたいなことを言われているので、とりあえず何となく御縁を感じただけで取りあえず診てもらうことにしたのである。電話をして診察内容や外来の受付時間などを確認し土曜の午前中に尋ねたのだった。病院の印象は「全てにおいて新しい」の一言だった。待合室内は開業したばかりのように今風のデザインだったし、受付係も「(もしかして来たばっか?)」という初々しさだし、院長の医師もドックに比べると比較にならないくらいの青年だった。(むろん経験は十分にあるようだが)紹介状の内容を説明し、これまでの疾病、手術歴、アレルギー、健診結果などを詳しく問診して、迷わずに「危険のないうちに切除するということでいいですね」

体力、健康状態など全てをみて正確に診断したのだとは分かっているがどうも「(こいつは美味しいお客だ・・・)」と一瞬思われたような気がした。実際にその場でポリープを観察することはできないから、別途予約した日に改めて大腸内視鏡検査を行い、確認と同時に切除するものだ。ただドックでは直腸の先のS状結腸という部位までしか検査しないが、この機会に大腸がんの発生する盲腸までの区間を全て調べてしまおうというものだった。前日からの案内を見るとドック健診と基本的には同じで、検査前に腸管洗浄剤で腸内を空っぽにし内視鏡を使用するものだ。元々指摘された直腸ポリープの他に検査中に他の部位で発見した場合もその場で切除してしまうという。

ドックの場合は半分お祭り気分で前夜はかなりの無茶をしてきたのだが、今回は実際に「切ってしまう」ので、さすがに慎重に構えた。刻限の21時まで飲み食い放題のドックに比べ、前日から白米のみの醤油むすび、白むすび、素うどんだけで過ごし、消化に悪いものやアルコールは当然絶って当日に臨んだ。万全を期して前夜はジムで軽く汗を流し、早めに軽い食事のみとしたのだが、当日の検査施術は午後1時半からの予定であったため、想定外の飢餓感に苛まれた。何せ朝早くから腸管洗浄剤で腸内を空っぽにした後は水とお茶以外は何も口にできないのである。

  

我が家で腸管洗浄剤を使用するのは初めてである。前夜に飲み過ぎて時間が経過しても効能を発揮せず、悲惨な思いをした昨年のドックの経験を活かし、早いうちから検査に理想的な状態となったのだが、リビングにいるのは私だけではないのである。ちょうどそんな時にのろのろ息子が起きてきて妻が遅めの朝食を作り出す。何か香ばしいケチャップの香りが・・・「くそうっ、オムライスか。あのチキンライス、オレが食べるために買ってきた冷食なのに」イライラしながら立ち歩くことになる。「(食べ物の恨みは恐ろしいんだからな。。。)」と庭に出てゴルフのアプローチ練習などするも、どうも集中できずしかもさらに腹が減る・・・そのうちに電話が鳴り、病院から腸管洗浄の状況や体調などの問合せと確認があった。妻は気を使って私の前では食べないようにしているようだったから、早目に家を出て時間をつぶしつつ特に制限はないようだったからポインター号でクリニックに向かったのである。

検査前の処置はほとんどドックと一緒である。検査内容と体調の確認し検査着に着替える。移動用ベッドで横になって準備待ちしていると看護師がやってきて「磯辺さん、麻酔薬使用無しとなっていますが、大丈夫ですか?」「ええ、ドック健診では特に使わなかったので・・・」「でもS状結腸まででしょ?あそこまでで辛いことはないです。今日は盲腸まで内視鏡を進めるから結構痛いですよ」「どんな感じですか?経験ないんですけど。。。」「そうねえ、お腹の真ん中から棒でグリグリされる感じかな。あと、お尻に刺さったまま途中で体勢を変えたりしますよ。」何か想像してぞぞーっとするものがあったので、「下半身麻酔みたいに感覚がなくなるんですか?覚める時に結構辛いんですよね。どっちがいいかなあ」「あんな強くないです。ぼーっとして大抵皆さん寝てしまいます。起きたら終わってますよ」「じゃあ、それでお願いします」「内視鏡が盲腸まで行き着いたら、後は引っ張るだけなんで何ともないんですが、様子をモニターで見ますか?」「麻酔かかてるんでしょ?」「ちょうどいい場所でパッと目が覚めるように気付薬みたいに入れるんです」「じゃ、じゃあ、せっかくだから見ようかな」

なるほど麻酔とは不思議なことができるものだ。以前、骨折して手術した時などは下半身の感覚が完全になくなり、切れる時に猛烈な痛みに苛まれたのだが今回そういうことはないらしい。点滴と着けられ手術(というか施術)室に入って医師に挨拶してしばらくすると「じわーっ」と壁の模様が滲んで見えてきて、すーっと浅い眠りがやってきた。会議中に「船を漕ぐ」ような感覚だろうか、「んっ?」と何事もなかったかのように目を覚ますといつの間にか体位が変わっていてモニターにはよく見る腸内部の映像が出ていた。膨らませて引っ張りながら内壁を調べてようだ。やがて医師が「これがそうですね。他には見当たらないようでした」少し白く飛び出しているような突起が見え、カメラの視界手前から管のようなものとその中から針金の輪っかのようなものが出てきて「シュッ」と突起物を握り潰したように見えた。見たところ出血もしていないようだし、何ともあっけなく終わった感じだった。



「全て終わりましたよ。移動しますが気分は悪くないですか?麻酔が覚めるまで安静にしていてください」意識も身体も完全に覚醒し、普段と何も変わらないレベルにあったのだが、以前麻酔が覚めた後にすぐに起きて歩き回ったりして、数日後に原因不明の頭痛に悩まされた経験から大人しく横になっていた。しばらくするとカーテン1枚隔てた隣のベッドに次の人が案内されてきた。声からすると若い女性のようだったが、看護師からは私と同様に「ここで着替えてお待ちください。そうそうスカート、パ●ツも脱いでお尻側が開いているトランクスに履き替えて。あと金属もだめなのでブ○ジャーもとって、このバッグに入れてください。」っておいおい、カーテン1枚隔てた隣に男性がいるというのに、もう少し気を使ってあげればいいのに・・・と冷や冷やしながら、ひたすらに存在を消そうと息をひそめた。隣の人の準備が完全に終わり手術室に入ったのを確かめてもしばらく気配を消したまま「磯辺さん、具合に変わりありませんか?着替えて立ち上がってみましょうか?」という声掛けに「待ってました」とばかりに着替えを済ませ、そそくさと待合室に抜け出した。

  
  
再び医師に呼ばれて、無事におわったこと、盲腸まで検査したが異状は見つからなかったことなどが画像を見ながら説明された。「ジョギングみたいな運動、長湯やサウナは1週間避けてくださいね。お酒は5日間ダメですが大丈夫?」「(なるほど、内部消毒はいらん、ということね)」なんて野暮なことは聞かずに黙って大きく肯いた。「今日は前日と同じように消化のよいものを8分目に食べてください。切り取った組織を調べた結果が23日に分かりますので、それ以降必ず聞きにきてくださいね。お疲れ様でした。」そうか、いい者か悪者か調べるのがついてくるんだった。。。少なくともこの検査に関して、もはや異状がおきない絶対の自信はあったのだが、念のためアルコールだけは控え「今夜は回転寿司でたらふく食おう」と思い描いて、ポインター号置き場に向かったのだった。

伊豆半島の先端に泊まる

2016-02-13 23:12:08 | 旅行お出かけ
甘辛の進学が決まって早2ヶ月・・・部活一筋だった彼の高校生活もあとわずかとなり、進学決定者に課せられる自由登校期間にあるわずかな「さきがけ授業」の数回を残して卒業式を待つばかりとなった。少し前にセンター試験が終わったが、私立も含めてこれからが本番、受験シーズン真っ只中というチームメイト、クラスメイトがたくさんいる。卒業した直後に旅行に行きたいので、初めてのイベントアルバイトに勤しむ一方、比較的長期のアルバイトとなる塾講師も研修などに余念がない。進学予定先のサッカー部に早速連絡を取って練習に参加し始めており、先日は何と試合にも出場したそうだ。学期中サッカー部の練習は主に朝練が中心で、この地方であっても早朝は厳寒の暗闇であり、それこそ始発電車に近い列車で出掛けて行く。。。私にとっては新しいコミュニティに入って行くこと自体ある意味ストレスであり、時間がたてば自然にその機会がやってくると思うのだが敢えて自分から飛び込むのは立派だと思う。

そういうわけで、暇を持て余しているかと思ったらそうでもない息子甘辛である。実家の祖母は彼から直接進路先決定の電話を聞いたときに本当に喜んだそうだ。気にはなっても、それほど携わっているわけでもなし、終わるまではあれこれ聞くのも憚られ、何となくそわそわしていたのだろう。ある意味じかに見える息子(つまり私)の時よりも喜んだかもしれない。クリスマス前のドタバタ期に一応お祝い旅行のつもりで出掛けたが、年も改まって少し落ち着いたらまたどこか近場の温泉でも行こうと思っていた。とあるグループのクーポンを使用すれば比較的リーズナブル(若干安っぽい)に4人行くことができる。母を連れてプチ一泊に何度か使ったホテルグループだが、正直妻や甘辛はラグジュアリーな雰囲気を好み、安かろう悪かろうとまではいかないが、「ブッフェ形式で味はそこそこ」というスタイルを好まない。今回は「取りあえず試しに」ということで4名で予約しておいた。

行先は以前から個人的に興味のあった開国の地「下田」である。伊豆半島にしても母と二人のプチ旅行であれば詰められるだけ観光を詰めるだが、妻と息子は滞在先でゆっくりすることを好むので、もっぱら助手席の甘辛に普段できない「車窓風景」を撮るよう命じドライブ重視の行程にした。妻も私も学生や若い時に訪れているが、伊豆半島と言っても下田というのは「最果ての地」であった。夏になるととにかく道路が渋滞して移動だけで1日浪費覚悟が必要なイメージだった。以前訪れた千葉県館山市の同グループホテルなどは距離から以前だったらそれこそ地の果てなのだが、「東京湾アクアライン」ができてからその所用時間が下田と逆転してしまったのだ。それでも以前のようにターンパイク、伊豆スカイラインコースをとると同じような所要時間で到着することができる。前夜はスタンプラリー作戦後、東京の和食店の飲み放題でかなり痛飲し出発をゆっくり目にして西湘バイパスを走らせた。

    

天気はよいとは言えなかったが、走りながらそこそこに景色のよい箇所もあり助手席の甘辛が超兵器203号を手にカメラマンのノリでパシャパシャとシャッターを押していた。箱根方面ターンパイクに入り、幸い路面凍結などもなく順調に伊豆スカイラインに乗り入れたが、あいにくものすごい濃い霧が発生してきた。「なーんか、ここを走るといつもこんな天気だな」時々対向車のライトが直前まで見えないほど濃霧に悩まされながらひたすら伊豆半島を南下した。富士山や相模湾、駿河湾など絶景ポイントも何か所あるのだがどうもこれらのビューポイントには縁がないらしく、沿道に不気味に積もった樹氷?のような氷が溶けているのが目立ったが、見方によっては山肌に白い花が咲いたように美しくも見え、甘辛がしきりにシャッターを押していた。後から調べるとどうやらこれは「霧氷」と呼ばれるものらしい。(そう言えば橋幸夫さんの歌にあったような気がする。)しばらく注意深く運転しているとようやく相模湾や駿河湾の景色が見えるようになった。

          

伊豆スカイラインの終点、天城高原を過ぎても下田までは40km以上ある。伊豆高原リゾート地のペンション、別荘地群や点在するちょっと怪しげな(はっきり言って「やられる」)館(やかた)群を横目に海岸線に出た。熱川、稲取など有名な温泉郷を通過し、今井浜海岸を過ぎると有名な河津桜まつりの河川敷となり念のため横を走ってみたが、さすがにまだ早く一分咲きというところだった。ちょうどその時期は下田の半島先端の爪木崎というところで、「水仙まつり」というイベントが行われていたので、そこだけ寄ってみることにした。下田と言うと開国の地であり、海べりのホテルとともに色んな記念碑や水族館、遊覧船などがひしめく賑やかな街をイメージしていたのだが、先端は素晴らしく綺麗な水と岩で囲まれた公園になっている。突端に灯台があり、薄らと伊豆七島と中央に大きな灯台が聳える神子元島が見える。宿泊するのは下田でもかなり古く小さな部類に入り、「海岸に面して立地しているので、大きな虫やカニが部屋にいる場合があります」なんて苦笑もののパネルがエレベーター内にあるホテルだが、海が正面の二間続きの部屋がとれたので眺望は中々のものだった。

              

ブッフェ料理はそこそこだったが、アルコールは飲み放題、お腹だけは一杯にして正月にできなかった麻雀大会を行い、ゆっくり温泉に浸かって翌日はビリヤード対決と洒落こんだ。実は海岸沿いにあるだけあって、このホテルのアクティビティとして「貸し竿」による釣り体験が気になっていたのだが夕方付近を偵察するとあまりに海水が澄んで綺麗過ぎて魚がいるようには見えない。翌日はちょっとベタだが、すぐ近所にある「下田海中水族館」に行くことにした。歴史的名所の散策など甘辛がつまらながるし、妻が喜ぶような美食のレストランも見当たらない。ジオパークと言っても最近めっきり歩くのが遅くなった老母はそう長い距離を歩き回れない。ちょっと「やられる」心配もあったが、母と再び訪れることもなかろうと割引券をもらって車を駐車場におくと入口にいきなり大きなウミガメが泳いでいた。

新江ノ島水族館などとは異なり、自然の入り江を区切って中で自由にイルカが泳ぎ回っていたり、会場ステージでショーを見物できるのが新鮮だった。メジャーな水族館の大水槽を思い出すと多少見劣りしてしまうが、イルカやアシカなどのショーもあちこちで見ることができ、実際のサメ肌に触れたり、ドクターフィッシュなども体験できた。大水槽の魚の餌付けなども13000匹のイワシの巨大な魚を模した群れがダイバーを取り囲み迫力満点だった。江ノ島水族館でも見たことがあるが、巨大なエイにエサを食わせるときは水槽のガラス側にピッタリと貼りつかせ、上の隙間から切り身を頬るとエイの口に吸いこませるようにしており、食べる瞬間を目の前で見学することができる。正面に大きな目(ではないのだが)と口をした愛嬌のある顔に見える。しばらくして甘辛が「父ちゃん、今エイが中のイワシ食っちゃったど!」「そんなはずねえだろ。中のサカナは食わないと聞いたぞ」「何かガラスとの間に挟まってたんだよ。あのエイが吸いこんじゃった・・・」

             

外の海上ステージなどでは夏であればイルカと一緒に泳いだり、イルカのすぐそばにボートを浮かべて触れ合うことも売りにしているらしいが、真冬のことだから少し寂しい感じがする。大水槽のあるアクアドームは総排水量1300トン入り江に浮かぶ、れっきとした船だそうだ。ただ船であるだけに、海が荒れたりすると大水槽と見学場そのものが結構揺れたりして不思議な感覚のようである。会場ステージは通常のショーエリアよりもはるかに広いだけあって、たくさんのイルカによる迫力あるジャンプ演技とトレーナーが背中に乗ってサーフィンするのが良かった。「アレ、ちょっとやってみたいな」
また普通寿命20年とされているそうだが、40年近く生きている長寿ペンギンがいるという。その名はそのまんまの「じいや」。実は私はペンギンが好きで、餌付けショー後時間限定の「専用台での記念撮影」というのを楽しみに狙っていたのだが、ペンギンプールのリニューアル工事のため、まさかのイベント中止。。。でもマリンスタジアムではカマイルカやアシカのショーを楽しむことができた。こじんまりしているが、全体的にアットホームで海の動物などを身近に感じられる水族館だった。

            


ステージを移動する際には海上なので風も強く寒さに凍えそうにもなったが、皆そこそこは楽しめたようだ。帰りは少し雨も降り始めており、山道の凍結を心配してずーっと海岸線を我が家に向かう。幸いそれほどの渋滞にも合わずに思ったよりも早く帰宅できた。今回のホテル、普段はない遊びもあったので甘辛は満更でもないようだったが、以前訪れた箱根の施設に比べると格段に劣るので(値段も格安だけど)、妻にすればかなり遠方だったこともあり「2回このホテルグループを訪れるよりも箱根1回の方がよい」ということらしい。まあ今年大台になる母親が元気なうちに色々なところに出かけて回るのが主旨だから両刀使いの回遊魚体質である私はバランスよく取り入れ、伊豆だけでもこのホテルグループの施設は結構数があるのであちこち話題を作ればよいと思うのである。

    

Exceedなダブルコンプリート

2016-02-08 22:35:02 | ホビー
ウルトラマンスタンプラリー、まさかの作戦変更から約1週間、この手のことを解決しておかないと何となく気分的に気持ち悪い私は早速次なる作戦に走った。息子甘辛が初日に始発電車で回ってきた40駅にプラスして、前回の作戦で押せた19駅分で甘辛の分は残り中央線ルート6駅、もう1冊その19駅分に別途私が通勤途上などでちまちま押して回った自分用は残り甘辛用の6駅を含めて25駅、全ては「都区内パス」で周遊できる範囲に絞りこまれていた。駅数はまだ結構あるが、常磐線やら東京モノレールやら反則的なルートは消化してあるのでひたすら1個ずつ押して回ることになる。定期券区間である品川駅で一旦降車、都区内パスを購入して田町、浜松町と助走して東京駅からは一気に中央線で最果ての西荻窪まで突っ切る作戦だ。

今回、始発電車でいきなり40駅回ってきただけでも十分褒められるのだが、残りを回るにあたって何よりの息子の功績は「全駅のスタンプ設置箇所一覧」を調べておいたところである。乗降客の少ないマイナー駅ならば改札は一つしかないので外のスタンプ台がどこにあるかすぐに分かるが、都区内の大きな駅は大抵東西南北はたまた「何とか口」というのが複数あり、乗り入れ船の乗換口まであるから、スタンプ台のある改札口を間違えるとものすごいロスになってしまう。駅のホームや階段に一応「スタンプ台はこちら→」というポスターがあるのであが、数が少なくこれを探すだけでも一苦労だ。ラリー駅到着前にどの改札口か調べて置けば迷わずにスタンプ台に向かうことができる。

国電(というのは昔の言い方だが、E電というのも誰も使わなくなった?!)は運転間隔が5分くらいだから、テンポよく進めばある駅でスタンプを押し終わるとちょうど次の列車がやってくる。土日のスタンプ台は列車が到着すると誰かしらが前でスタンプを押している。怪獣のプロファイルや駅員からのメッセージを読んだり、写真を撮っている人もいる。小さい子を連れた家族も多く、子供が目を輝かせながら小さな手でスタンプを押している姿は微笑ましい。「恵比寿はヒッポリト星人と。面白い顔してるね」もしかしたらお父さんも知らないかもしれないが、ついついウルトラ兄弟をブロンズ像に固めてしまった世にも恐ろしい「地獄宇宙人」なんだと説明してあげたくなった。甘辛が幼い頃(電車賃が無料)にこの企画をしてくれれば、どんなに張り切ったことかと思う。(妻には「今だから40駅押して回ってくれたんだよ」と諭されるが・・・)

また結構、仲良くスタンプ冊子を持って回っている若いカップルもいる。彼らの年代では超メジャーなキャラクターを除いてはウルトラ怪獣などひとつも知らないかもしれないが、ぜひ「恋の全駅制覇」を成し遂げてほしいものだ。一方、ウルトラファンとしてはちょっと苦々しいのが、やたらめったら冊子をたくさん持ってスタンプを押しまくっているマニアっぽいおっさんだ。初日に回った甘辛談では10冊近く持ち歩いていた者がいたそうだ。基本は一人一冊だが、全駅制覇を狙うために方面ごとに分担している場合もあろうし、一緒に回れない子供の分というケースも考えると、私見では一人3冊くらいまでが許容範囲で、リュックに入れてどっさり持ち回るのはやはりマナー違反だと思う。(実際景品交換やPINバッジなどは一人1個しか提供されない)

中央線でちまちま一駅ずつスタンプを押しながら新宿駅を過ぎ、信濃町駅改札を出た時に「磯辺さん!」と声をかけてきた人がいた。台場の全職場でご一緒したクロさん(仮称)である。見ると5、6人グループでスタンプ台前にたむろしている。「ボクらはですね、スタンプラリー歩いて回ろうと東京駅からここまで来たんですよ」「歩いてだって?」さすがの私もそういう発想は全くしなかったが、よく考えると「ぶらタモリ」のようにこういう機会に鉄道駅に沿って東京都心の街を歩き回るというのも面白いかもしれない。65駅全駅制覇はまず無理なのでまずはステッカーをもらえるスタンプ10個を目標にしているらしい。後から聞いたら東京〜新宿25827歩、20.4kmの強行軍だったそうだ。丸1日で食事&温泉コース・・・初めて若者らしい?聞くが新鮮な作戦だった。(期間中に一度やってみようかな)

西荻窪から最初の6駅で甘辛の分はコンプリートできたので、まずは上野駅で全駅制覇証発行に向かう。数名ながらも係りの人たちは「全駅制覇おめでとうございます!」と拍手喝采してくれるが、自分の分の残りを考えるとまだ道のりは遠い。今度は山手線に乗り換え池袋方面に出動だ。20駅くらいを過ぎると、階段の上り下りがだんだんしんどくなってくる。(エスカレーターだとノロくてまだるっこしいのである)。また電車の運転間隔が短いので、ホームに降り立ったらすぐにスタンプ台設置場所を確認し、一番乗りするほうがよい。家族連れやらカップルやらに列の前でのんびりされると次の電車が来てしまうのである。「もう少しゆっくり楽しんだら?」という人もいるかもしれない。確かに普段は降り立つことも縁もゆかりもない駅がたくさんある。

しかし先に40駅回ってきた甘辛とは「実際に制覇するような人」として意見が一致している。甘辛曰く「乗降マシンになってしまう」のである。私もこのスタンプラリーを始めた時には「今回は駅数にも余裕があるし、それこそ少しは『ぶらり途中下車の旅』でもしてみよう」と考えていた。常磐ルートや京浜東北ルート、山手線北側などがそうである。長くは無理でもちょっとした名所やグルメ、面白グッズ店などはないか・・・?高円寺には「ゴジラや」があるし中野には有名な「ブロードウェイ」がある。巣鴨には「おばあちゃんの原宿」と言われる商店街があるし、本家の「竹下通り」にも行ったことがない。。。ところが乗り降り自由のパスで改札を出ていち早くスタンプ台に走り、次の列車が来る前にホームに戻ることを繰り返していくうちに、周辺を散策することなど思いつきもしない「機械化スタンプ人」になってしまう。とにかく1分でも早く次の駅に行きたい、このラリーをコンプリートしたい、という「回遊魚気質」が先にたち、あまり意味もないのに気が付くとホーム上をホントに駆け回っている。何せ途中で立ち食いそばにすら立寄らないのである。

        

実はこの前日、グンマ勤務時代にご一緒した懐かしの「ガノさん」や「あまちゃん」「はなちゃん」と馴染みのステーキ屋で久々に楽しく豪飲豪食してしまい、かなり赤い顔をしたまま作戦を実行していた。夕方暗くなってきてようやく自分の分もコンプリートし高崎線で上野駅に再び向かった。この駅に降り立つのもこれでしばらくないだろうから、制覇証を押し戴く際に「あのーぅ、記念に写真撮ってもらえますか?」と係りのお姉さんにお願いすると、にっこり笑って横断幕の下でシャッターを押してくれた。ようやく人心地つき、ぐったり歩きながら帰りの上野東京ラインに乗り込んだのである。その日は部活の先輩達が開いてくれるお祝い会で甘辛が夜遅くまで帰らない予定だったので、妻とひっそり祝杯を挙げることにした。「これを見せようと思って・・・」と妻がスマホを差し出したWeb画面を見て私はしばらく笑いが止まらなくなってしまった。「ウルトラマンスタンプラリー、北千住駅にて痛恨のミス」
(個人の画像を勝手に掲載できぬのでここで憚るがあまりに有名で上記のテキストでググれば画面が見られます)

      

個人のツイッターから広まった記事らしいのだが、ラリーノートに間違えてJR東日本の「駅のスタンプ」を押してしまったというのだ。北千住駅のイラストは「芭蕉」旅立ちの地、事情を知る者としてこれを笑わずにはいられなかった。しかも多くのウルトラマンスタンプラリー参加者の共感を得、Y○hooニュースのトップになってしまったらしいのだ。もはや同士としてこれはものすごく分かる。(たぶん甘辛も同じことを言う)どちらかと言うと山手線周辺の77駅にあるその街ならではの、情緒あふれる絵柄をあしらったスタンプを「小さな旅の記念に。」という「駅のスタンプ」のほうが本家なのだが、このスタンプ台が改札によってはウルトラマンスタンプ台のすぐ近くにあるのである。そして「降りて出て押して入る」を繰り返す乗降マシーンとなっていい加減ヘバッてくると、どう見ても間違えようがないスタンプ台もあまりに見慣れてしまうと区別できなくなるのだ。事実、私も金町駅でほぼ同じミスを行うところだった。「みどりの窓口」内だったのだが、奥の方にあるのに気が付かなかった私は入口横にある「駅のスタンプ台」の前に立ってしまった。たまたま前でスタンプを押していたおじさんが、ウルトラマンを持って後ろに立つ私を見て、「ウルトラマンはあっちの奥だよ」と言ってくれなかったら、この恐るべきトラップにかかってしまうところだったのだ。本来「食いしん坊怪獣モットクレロン」が入るべき金町駅に「矢切の渡し」を押してしまったショックを想像すると身震いするほどの笑いを感じる。

昨年は初めてで大興奮した「ウルトラマンスタンプラリー」全駅制覇証もこれで2個目になった。今回は息子甘辛との連携技で東京駅の特設スタジオや怪獣酒場でのスタンプも入れ、はるかにパワーアップしたダブルコンプリートである。しかも今回から「歩いて回る」という新技や「駅のスタンプ」と間違えるという爆笑技も仲間入りした。今年の面目を果たす「EXCEEDな制覇」だ。某SNSにゴールの記念写真を掲載したところ、多くの人にお祝いを頂いたものだ。来年(もやってくれるとすれば)さらにこれを超えるにはかなり多方面の作戦立案が必要だ。始発電車と休日パスを駆使して初日にゴールする「怒涛の制覇」作戦、定期券区間以外は全てを歩いて回る「JRなのにサバイバル」作戦、ウルトラマンスタンプラリーに芭蕉をはじめ「駅のスタンプ」で制覇する「裏スタンプラリー」作戦・・・甘辛をミッションオペレーターに加えればもっとたくさんの作戦バリエーションができそうだ。

            

まさかの作戦変更!スタンプラリー

2016-02-03 21:15:58 | ヒーロー
昨年に引き続き「帰ってきたウルトラマンスタンプラリー」はスタートダッシュで息子甘辛が65全駅のうち40駅を回ってきた。登場するウルトラシリーズは昨年よりもパワーアップし5作品6兄弟である。ウルトラ戦士は最新の「X(エックス)」まで、おまけみたいな者や合体で登場する者、「ウルトラ」の名を冠さない者までいれると50人以上になってしまうが、純粋なファミリーであり「兄弟」と言えるのは初代マンからタロウまでの6戦士であろう。ルールはほぼ前回と同様で、各駅の改札外に置かれた台の怪獣、ウルトラ戦士、地球防衛軍などのスタンプを押して回る。表紙の裏のページと全駅制覇用のスタンプ箇所があり、表紙裏に10個のスタンプを押すとGOAL駅と設定された駅の売店で参加賞としてステッカーがもれなくもらえる。そして同じ店で一定金額ICカードで買い物するとオリジナルピンバッジがGETできる仕組みである。

昨年の参加賞はめんこ、オリジナルおまけは山手線GOAL駅のアクリルスタンドだった。どの駅も限定1000個だったが、圧倒的人気で発売2,3日の間に全駅在庫ゼロとなってしまいGETできたのは10種のうちわずか2個と涙を飲む結果となってしまった。今年のピンバッジは歴代の防衛軍のマークがデザインされていて、これまた大人気が予想されたので、昨年の教訓を活かし甘辛にも「何よりも先にピンバッジをGETせよ!」と指令しておいた。今回は少しルールが異なっていて、GOAL駅でGETできるピンバッジが一定期間ごとにウルトラシリーズの順番に5種類あり最初の科学特捜隊は甘辛が無事にGETしてきた。問題は最も人気が高いと想定される次のウルトラ警備隊である。今回もスタンプノートは一人一冊、ステッカーは1回こっきり、ピンバッジは5種類を1個ずつしかもらえないことになっている。

スーパーのタマゴ特売セールのように私は息子甘辛と妻の分を用意し、最初に40駅回ってきた甘辛の冊子を「65駅コンプリート用」、私と妻の冊子は「ピンバッジGET用」にした。第二弾となるウルトラ警備隊初日、学校に行く甘辛に1冊持たせ、私は自分用と妻用の2冊を持ってそれぞれ通勤、通学の途中で既に列ができている店に並び、冷や冷やものだが無事にGETした。最初の科特隊バッチは2,3日は在庫があったが、U警備隊バッチは半日でほぼ全てのGOAL駅で完売、初日夕方には残りわずかだった駅も完売した。まさしく瞬殺とも言える人気で危ないところだった。昨年のアクリルスタンドと同様、あまりの人気でお店への在庫問合せが殺到したためホームページ上で大体の在庫の目安が半日に1回くらいのペースで更新されていた。

そして第3弾、「帰ってきたウルトラマン」のMAT(Monster Attack Team)も同様の人気が予想されたが、ここで思わぬ問題が発生する。提供初日は家族でプチ旅行を予定していたのでGOAL駅には行けないのである。昨年をEXCEEDし何としても全種コンプリートするつもりだった私はやむを得ず同僚に力を借りることにした。「あのーぅ、通勤で新宿とか池袋とか通ります?朝、ちょっと寄ってきてもらえませんかねぇ?」私用と妻用の2冊を別々の人に500円コインと一緒に渡してくねくねお願いした。違う駅に危険分散としたのと、万が一ひとりが具合や都合が悪くなってしまっても無理をしなくてよいように保険をかけたのである。自分は遊びに出かけるのに仕事に行く人に通勤を早めて立寄ってもらうという、かなり無茶なお願いなので買い物した品はそのままお礼に差し上げるとした。

そしてとある休日、甘辛用のスタンプノートを持ち、万を持してコンプリートに臨んだのである。今回も若干不平があるのだが、ラリー駅は我が家のある東海道方面は「蒲田」までしかなく、逆に縁もゆかりもない常磐線方面にやけに偏っている。普段から乗降客が少ないからその対策なのかもしれないが、最果ては今年も利根川を渡った「取手駅」である。さらに悪どい(とは言い過ぎか?!)ことに、新しく「東京モノレール」も入っており、何と羽田空港まで行かねばならず、山手線と周辺がエリアとなる「都区内フリー切符」では網羅できないのである。私は休日しか使えない「休日フリーきっぷ」を用意し、少し余裕を見て家を出た。残るスタンプ数は25駅、前回始発電車でほぼその倍にあたる駅を駆け回ったことを考えると楽勝と思われた。甘辛は密かに「(父ちゃんは甘い・・・)」と思っていたようだが、この余裕がまた悲劇をもたらすのである。

まず東海道線で川崎駅まで行き、京浜東北線に乗り換えて蒲田、大森、大井町と辿って、浜松町に飛びモノレールに乗り換える。この路線はスタンプ2駅しかないのだが、先端が羽田空港ターミナルなため所要時間がやけに長く、この方面をクリアするのに1時間以上もロスすることになった。上野から常磐線取手駅までは快速でも40分かかり、しかもどの列車がどの駅を停車してどの駅を通過するのかよく分からない。。。最初に最果てまで一気に駆けて一駅ずつ戻ってくるほうが気分的には何となく楽なのだが、確か前回帰りも快速に乗ってスタンプ駅を通過されてしまったことを思い出し、各駅に確実に止まる千代田線直通電車で丁寧に1駅ずつ降りたった。そんなド田舎ではないのだが、やはり乗降客が少ないからか列車の本数も少なく、スタンプを押してもとのホームに戻っても次の列車までに待ち時間がやけに長いのである。山手線なら次の列車に乗るには改札を出て走らなければならないくらいだが、常磐方面はこの待ち時間だけで数時間を要することになる。

          

今回、めでたくコンプリートすると全駅制覇証をもらうのは上野駅である。私はこの制覇証をひっさげ家族3人で乾杯するために東京駅で待ち合わせしていた。今回のコラボレーション企画で東京駅グランルーフのデッキ特設会場にはフォトスポットが設営され、かの有名なメ「トロン星人ちゃぶ台セット」で撮影することができるのだ。ところがモノレールルート、常磐ルートに手こずっている間に夕方に近くなってしまい、待ち合わせ時間までに全駅制覇は難しくなってしまった。甘辛のおかげで残る駅は6つだが上野駅に戻った時点で残り時間は1時間程度しかなく、最後に残ったのは中央線ルートだったのである。特設デッキ内フォトスポットの営業時間は午後5時まで、一人ではどうしても撮れない構図だから妻の協力が必要だ。撮影をあきらめ、待ち合わせ時間をさらに伸ばして西荻窪目指して走るか、撮影を優先し別の機会にもう一度コンプリートにチャレンジするか・・・苦渋の決断を迫られた。

   

高崎線の尾久駅に到着するまでに私は第3番目のオプションを考えついた。中途半端に余った時間を利用して赤羽駅から京浜東北線ルートを再び辿りだしたのである。自分用と妻用の冊子は同僚に渡してしまってあるが、せっかく高い切符を買って駆けずり回るのに1冊だけ持ち歩くのではもったいないので、新品の1冊をもらってきて、その日回った駅のスタンプを押して回っていた。押したスタンプはそれまでに19個、甘辛用の冊子には既にスタンプが押されているので重なってしまうのだが、3駅ほどちょっと行きにくい方面のスタンプを押すことができた。別途、定期券区間をがんばればプラス14駅、出掛けついでに足を使って稼げばさらに2,3駅は行ける。残りは全て都区内パスエリア内だから山手線半周と中央線ルートなら半日で全駅回ることができる。そう、甘辛にも全駅制覇証を手にさせてやるためのダブルコンプリート作戦である。時間ぎりぎりまで粘り東京駅でスタンプを押して待ち合わせ場所に向かった。

      

飽くなきサッカー魂を持つのか、ものすごい度胸を持つのか、はたまた能天気なだけなのか、最近息子はあろうことか、進学先予定の学校のサッカー部の練習に顔を出している。自分で連絡先を見つけ出して練習日程を教えてもらい、乗り込んで行ったようで、幸いかなり歓迎されているそうだ。そのサッカー部の練習試合がその日予定されており甘辛も見に行くつもりだった。相手は何と甘辛の親学校でもある私の母校であるから奇遇なものだ。しかし空振りに終わった大雪予報で中止になり、暇にしていた甘辛も妻と一緒に東京駅についてきた。こんなことでもないと東京駅周辺など来ることがないからネットで3時間飲み放題の日本料理の店を探し出して3人で向かった。「やっぱ、父ちゃんは甘いと思ったんだよ」と冷やかす甘辛に「お前の分も取ってきてやるから、上野駅には自分で行って来い」とダブルコンプリート作戦の話をした。狙うは山手線Nゲージ&緑のウルトラマンフィギュアか、6兄弟オリジナルショットか、はたまた6兄弟と写真撮影会か・・・完全にJR東日本に「やられている」気がするが、まだまだ作戦は続く。。。