超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

鉄の塔

2011-04-29 14:42:44 | 職場
職場の番頭、O次郎が何やら出動の準備をしている。何を専門の業務としているわけでもないが、何かにつけて声がかかる「何でも屋」である。いわゆる「カネ」を持っているセクションだからだ。
ヘルメットまで持ち出しているから、一体どうしたのか尋ねたら・・・塗装の調査のため鉄塔に上ると言う。。。

関連会社が運営する鉄塔が、あるビルの屋上にあるのだが、近隣の住民の方から「塗装片が降ってきた」という苦情をいただいたそうだ。
塗装を塗り直してから1年半しかたっていないから、通常であれば破片が落ちることなど決してない。
大地震の揺れで剥がれ落ちたのか、屋上施設を撤去した際の作業ミスなのか、はたまた塗装作業が不十分であったのか・・・
東京の技術センターから専門家を呼び寄せて調査することになったという。
どうしてそんなに美味しい(もとい!大事な)話を私にしないのか?すかさずノッポさんに歩み寄り

「ねえねえ、午前中のオレの予定、全部午後にまわしていい?大した用事ないからさ・・・」

普段の私の言動から、すかさず何をしたいのか察知したノッポさんは、「全然OK」というブロックサインを返してくれた。
入社式待ちで預かっている女性新入社員のハナちゃんも本社から支給されたユニフォームを着て初々しく現れた。
16人いる新入社員でこんな経験ができる者などたぶんいない。さらに言うなら2度とはないチャンスだろう。それを逃さぬとはなかなか彼女もやるな・・・

私はどうしても外せない打合せが一つだけあったので、O次郎とハナちゃんと3人で後から合流することになった。
ハナちゃんは新人らしく私とO次郎に色々なことを尋ねてきた。このビルのすぐ近くにある中学校を卒業した地元民らしい。
当該のビルまでは社用車で20分ほどだ。先発隊は10名くらい、会議室で準備していた。
東京の技術センターから来たエンジニアがどんな調査をするのか概要を説明し始めた。

「地震の揺れで塗装が剥がれたとすれば恐らくボルトの接合部だと思います。塗装自体の良し悪しはナイフで傷をつけ、専用のテープでどれくらい剥がれるかで評価します。
また塗装自体の厚みはこの装置で測定できます。だいたい700マイクロくらいで三層構造になっており・・・・」

「おいおい、Oちゃんよ、我が社には色んな専門家がいるもんだよなー」私は隣のO次郎に囁いた。ハナちゃんは熱心にメモをとっている。左腕には「研修生」という黄色の腕章をしていた。そのビルで勤務し鉄塔を管理する責任者らしいおじさんが、

「私が本日の作業の『安全班長』を務めさせていただきます。初めて上られる方はいらっしゃいますか?」

実は私は数十年前、新入社員だった頃に2度ほど上った経験が。ハナちゃんはもちろん、O次郎と災対で散々一緒にいた関連会社のエンマ様が手を上げた。
へーっ、顔の怖いエンマ様上ったことないんだー。。。ヘルメットが頭に入らないとか・・・?!
安全班長はテキパキと注意事項を話し始めた。その日の体調が悪くないこと、既往症を持っていないこと、服装の点検、ベルブロックの付け方、そして梯子の上り方、などである。

「先端は60cmくらいの柵しかありません。作業上、ホントに必要なときに限ってください。その際は補助ロープを使うことになります。余震で揺れる可能性もゼロではないので、できるだけ皆さん中心部でブロックを付けたままにしてください」

そうか・・・?!肝心なことを忘れていた。そもそも地震で揺れたのが原因かどうか調べに来たんだった。更に揺れるかもしれないと忘れるなんて、なんという「仁和寺の法師」だ。
ハナちゃん、まずいかなー。やっと社会人になって我が社に来たのに、万が一何かあったらご家族に申し訳がたたぬ。
しかし当の本人はやる気マンマンだ。今更「今回はやめよう」と言っても納得しないだろう。。。

8階の屋上に出る前に全ての装備を装着し、覚悟を決めて鉄塔の下に立った。
上を見た瞬間、足がすくみ上がって凍りつきそうになった。地上からビルの屋上までは約40m、その上にそびえ立つ赤白の鉄塔はさらに40m。
展望用のものではもちろんないから、階段(というより梯子)はほぼ垂直くらいに急だし、最初のプラットホーム(アンテナなどを設置する台座)まで、途中には何もない。。。

「オッオレ、やっぱ下で見てようかな・・・」

しかし「てっぺんまで上りきったら、一杯おごりますよ。。。」といかにも無理だと、というヘリの嫌いなスティーブの冷やかし顔を思い出し、敢然とブロックにロープをセットした。
この「命綱」は実によくできていて、梯子の右側にレールのように設置され、上っているときはローラーが回ってコロコロついて来るが、足を踏み外したりして落下しそうになると、シートベルトのように引っかかり支えてくれる構造になっている。

第一プラットホームまではひたすら下を見ないで上り続けた、梯子階段の幅は60cmほど、途中で折り返す狭―い踊り場がある。
万が一落下物があったりするときのことを考え、前の人が踊り場で折り返すまで次の人は下で待っているルールになっている。
どうも軍手が滑って怖ろしい。私はいつの間にか渾身の握力でレールを握っていた。
握力を計測したら70kgくらいはあったろう。。。

ようやく第一プラットホームに辿りついた。ハナちゃんは好奇心バリバリでとことこ歩き回っていたが、私は中心部の柱にほぼしがみ付いていた。「ここ、下が丸見えじゃんか・・・」
台はすのこ状になっており、はるか下に屋上施設が見える。。。こっこれはハンパなく怖ろしいぞ。

「ここで慣れればもう大丈夫。後は一段下のプラットホームしか見えませんから」

安全班長はスタスタと次の梯子を上って行った。作業員はその場でしばらく調査した後、さらに2段目を向かう。しかたがないので私も続いた。さすがに言われたとおり少し慣れてきた。
2段目には色々な機材が設置されていた。ムクドリらしき鳥の巣があるらしく、何羽かが飛んできたりしたが、端のほうなのでとても見に行く気になれない。。。
3段目を超えて一気に最高部へ。
うぉーっ!何もねえ!真ん中に2mほどの小鉄塔があったが、360度ミラクルビューだ。

     

少し風があるが、なかなか絶景なのは確かだ。気温が上がってきたので少しガスってしまい、寒いときには遠くまで見えるこの地方の三山もその日は見えなかったのが残念。。。
向こうに県庁の建物が見える。手の平に乗せてワンショット収めた。(編集できなくて載せられないのがこれまた残念)
エンジニアはさすがに慣れたもので、リュックから色々な工具、計測器を取り出し、様々な調査を行っていた。
証拠写真を撮っていた「飲むとすぐに服を脱ぐ癖のある」トンちゃんが珍しいものを発見した。「カラスの巣」である。

        

ホームの縁近くにどこからどう持ってきたのかワイヤーハンガーを重ね、中心には小枝を集積して「ツバメの巣」みたいなものを作っている。
ここ地上高80mだぞ。こんなところに巣を作るのか?しかもなんと、中には卵が4つほど安置されているじゃないか・・・へー!カラスの卵なんて初めてみたぞ。
熟練さんに聞くと、そう珍しいことではないそうだ。しかしどの動物もそうだが、「巣にいる」ときは信じられないくらい獰猛で「攻撃」してくるから近寄ってはいけないらしい。

また作業上、巣を撤去するときに卵があった場合は、鳥獣保護の観点から「野鳥の会」へ届け出るそうだ。カラスに対しても結構気を使ってるのね。
最高部に小一時間ほどいたろうか。。。このとき震度5の余震がきたらどうしよう、とは思い付かなかった。
調査の結果、塗装の不具合ではないことがわかった。またあちこち接合ボルトの回りが剝がれ落ちているのが発見され、それも最近の傷のようだったことから、やはり地震の揺れで塗装が剥がれ落ちたものという結論に至った。

帰りは結構怖さも和らぎ、するすると降りてこられた。ハナちゃんは初めての経験に少し興奮気味のようだった。
「新入社員で上ったの、初めてかもしれないよ。。。」
Oちゃんが笑うと、エンマ様は「いや、この県で上った初めての女性かもしれん・・・」
(実は一人だけ先達がいたらしい)
色んなところの写真を掲載したいところなのだが、念の為機密上、てっぺんからの景色だけにしてしまった。(ごめんなさい)

オフィスビルに戻って来たその日の夕方、本館にいるやはり新入社員二人の歓迎会をやるために、久々AKBちゃんが迎えに来てくれた。
駅周辺の会場まで歩きながら、ハナちゃんと共に鉄塔に上ったことを話したら、

「えーっ、そんな美味しい話、なんでしてくれないんですかぁ?もう行くことないの?今度行く時絶対声かけて下さいよー」

100%マジで残念がっている。2年先輩でもうバリバリ戦力となっている彼女の仕事内容では「鉄の塔」に上ることなど200%ないんだけどねえ。。。「まっ、まあ、そのなんだ、Oちゃんに言っとくよ」
しどろもどろに答えた。彼女も私と同じ「香り」を持つそういうこと「嫌いじゃない」性格なんだなー。
県民性なのか、どうも女性軍のほうがたくましい感じがする。。。
(写真に写ってるのが誰なのかなどと論じないこと)

公式と法則

2011-04-26 17:12:01 | ホビー
この春、息子甘辛は中学2年生になったが、通っていた塾の曜日が変わってので、所属するクラブチームの練習日とかち合ってしまい、よく考えた結果塾を変わることになった。
全体の勉強量は減ってしまうことを妻は心配し、週末私がいるときは少しずつでも一緒に勉強することになっている。
その問題集をこの前書店で購入してきた。数学と英語の「特選最高水準問題集」だ。
むろん息子が取り立てて「できる」というわけでもないし、難関校を狙っているわけでも何でもない。
簡単過ぎると「私がつまらない」からである。

以前も定期試験の前など、よくテスト範囲を一緒にやっていた。大昔にやったうっすら記憶のある勉強を子供と一緒にやるのは実に楽しい。
こういうのは家庭教師(そのまんまの意味)になるよりも、趣味の世界で昔を懐かしみ一緒にやったほうがお互いに面白いものだ。
私たちの年代は戦後の詰め込み教育最高潮のときだと思うから、今のヌルい教科など高校卒業するまでは「追い付いていけない」ことはないだろう。

理科あたりが一番面白いんだろうが、理科は土曜日の塾でやるそうだ。今は電気について習っているらしい。時節柄電気についての勉強はちゃんとしてもらいたいが、原発について論じるなら「2万5千年の荒野」。国語はテレビのクイズ番組でやっている漢字以外は「本」でも読めばいいんじゃないか?
社会なんか結構変わってきたようだな。鎌倉幕府ができたのは1192年ではなく1185年という説が有力らしい。「イイクニ」ではなく「イイハコ」になってるそうなのだ。(ちなみに「ヨイクニ作ろう」で4192年と言った伝説はガッツ石松)

以前、英語のテキストをやったが、全然面白くなく、問題文に文句ばかり言っていた。
「あなたのお姉さんはリンゴが好きですね」という文の一体どこに「学ぶ」要素があるのか?!このやり方を数十年変えないから日本人は英語がダメなのだ。
文そのものではなく、日本語がダメなのだ。「おめーっちの美人のおねえはリンゴが好きなんだってな、でへへ。。。」
のように日常会話のようにしてほしいものだ。

数学は計算問題などやってられないから、文章問題を中心にパズル感覚で解いている。(あんまり意味ないような気もしてきたが)
先日、KICKPOP先生のサイトをお邪魔して衝撃が走った。。。ダヴィンチが「ピタゴラスの定理」をイラストだけ(センテンス抜き)で証明していたのである。
「ピタゴラスの定理」も「円の面積」も「球の体積」も結果だけ習い使うのは何でもないが、「何故そうなっているのか?」証明するのは結構大変なことだ。

覚えていたっけ?定積分を使うから高校数学だが、半径rの球の体積はたしか簡単だった。
原点に球の中心を置くと、X軸に(-r、0)で始まり、(r、0)で終わる球となるからその断面積πxⅡを積分すればよい。
V=∫π(√(rⅡ-xⅡ))Ⅱdx  (「Ⅱ」は2乗で積分区間は「-r」から「+r」まで)
 =∫π(r2-x2)dx
 =2π∫(rⅡ-xⅡ)dx (積分区間は0からrまで)
 =2π[rⅡx-xⅢ/3]  (積分区間は0からrまで)
 =2π(rⅢ-rⅢ/3)
 =4/3πrⅢ

円の面積はたしか難しかったぞ。原点を中心とする直径rの円の式はxⅡ+yⅡ=rⅡ

S=4∫√(rⅡ-xⅡ)dx (積分区間は0からrの四分円だから4倍する)
 =4rⅡ∫√(1-sinθⅡ)dθ  (X=rsinθという置換積分する)
 =4rⅡ∫cosθⅡdθ
 =2rⅡ∫(1+cos2θ)dθ (積分区間は0からπ/2)
 =2rⅡ[θ+sin2θ/2]    (積分区間は0からπ/2)
 =2rⅡ・π/2
 =πrⅡ

積分を使う証明は以前に習った公式を総動員して無理やり行うベタな方法だ。
インターネットで検索して見ると実に多くの「証明」が語られており、なかなか興味深かった。
忘れていて思い出した原理に「挟み撃ち」というのがある。
A(n)くB(n)くC(n)が自明である場合で、n→∞としたときに両サイドのA(n)とC(n)が同じ値に行きつくとき、挟まれたB(n)もその値になるという公理である。

円の面積は、内接する正n角形を構成するn個の二等辺三角形の面積の和と、外接する正n角形を構成するn個の大きな二等辺三角形の面積の総和の間にあるのは直感的に明らかだ。
その大小両サイドの正n角形の面積でn→∞(無限に細かく)としたときに、両者が等しくπrⅡになるというのを証明するのだ。この方法はアルキメデス的方法と言われているらしい。
絵で描くとすぐにわかるのだが、疲れたのでまた今度。。。。
直接的にうまく扱えないものが現れたときに、両サイドで挟み込んだ事象の行きつく先によって無理やり証明する、というのは数学でなくても色々なところで応用できそうな「社会の摂理」に思えて数学の深さを感じた。

次に・・・法則と言えば数多くを学んできたが、どういうわけか覚えているのは「マーフィの法則」だ。
我々はジョークっぽく「物事はどちらかと言うと裏目に出ることが多い」という使い方をするが、聞いてみると色々人によって使い方が異なるらしい。
心理学の自己暗示、サラリーマン川柳のようなノリ、失敗・ヒューマンエラー、確率論や認知科学などかなり奥が深いものらしい。
HPを見ていて、私の使い方に近いものを挙げると・・・・

「疲れて喋りたくないときに乗ったタクシーの運転手は話し好きである」
「テレビのロードショーでいい場面になるとニュース速報が入る。しかもその内容はどうでもいいことが多い」
「上司と一緒に昼食を食べに行くと、上司が注文したものが一番最後に出てくる」
「ものは捨てた途端すぐに必要になる」
「絶好のチャンスは最悪のタイミングでやってくる」
こういう使い方がスタンダードかどうか自信がないが、私はよく「マーフィの法則」を逆手にとる対処策をとる。キーワードは「敢えて」「わざと」である。
どうしても雨が降ってほしくないときには、「傘を持って行く」。気温が上がって汗をかきたくないときには、思いきり薄着で出かける。早く帰宅したときに自分のスケジュールに複数の仕事を入れておく。また飲んで帰りたくないときには、「飲み会がどこかでないか」スティーブに聞いてみる。
GWは「雨降り」を前提としたスケジュールでもたてるかなー・・・

ゆりかもめ

2011-04-24 10:37:48 | 出来事
久し振りに業界他の展示会というものに行った。珍しく忙しくて中々機会を作れなかったのだが、八兵衛が昨年、私の前任の代理として見学したという展示会の招待券をくれたので情報収集だ。
この手のものは半分遊びに行くようにも見えるが、「定点観測」と言い毎年見続けて「昨年との違い」や「何となくある流れ」を把握するのが結構重要なのだ。
今回は大きなイベントに使われることの多い「東京ビックサイト」だ。

東海道線新橋駅から新交通「ゆりかもめ」に乗ってしばしウォーターエリアの旅が30分くらいだ。結構すぐ向こうに見えるのだが、のらりくらりのくねくねコースなので意外と時間がかかってしまうんだ。
最近はあまり流行らなくなったのかもしれないが、私は「お台場」に代表されるウォーターフロントにはあんまり縁がない。
今回のようにビックサイトの展示会に訪れる以外は数えるほどしか足を運んだことがない。。。

のんびり走る「ゆりかもめ」の各駅には色々な見所やお洒落な場所があるようだ。
巨大なマンションが立ち並び、「住んでいる」人もいる。運河の向こうにはレインボーブリッジに都会の夜景が素晴らしいエリアだ。ただビーチにしろ公園にしろ、どこか「人工的」で違和感を禁じえない。
私にとってはやはりたまーにやって来て「ふーん」というところなのだ。(ビーチがあると言って近所のノリでビーサンに田舎臭いカッコでうろつくと間違いなく浮く・・・)

ビックサイトの展示会は「ビジネスショー」や「Interop 」のような国際見本市みたいな大きなイベントを除けば、各業界「ごった煮」の展示会が多く、どれか一つの招待券を持っていれば、全部見て回れるのが普通だ。何せ中には特に間仕切りがないから、知らないうちに見たこともない展示ブースにいることも多い。
しかしさすがに業界の新技術展示なんて結構知れているから、異業種の全く知らない展示のほうがはるかに面白い場合もある。

360度レーザー光で凹凸をディジタル情報化し、特殊な薬品と粉末を使って本物そっくりのキャベツを作る精密機器が今までで一番面白かった。
モーターショーのレースクイーンみたいなコスプレギャルが色々ノベルティを配っちゃアンケート調査をしているが、あれは結構平気だ。「仕事の話とスタイルは関係ない」と割り切れるからである。
最初のうちは逃げ回っていた私も仲間といるときは、一緒に記念写真をお願いするほど慣れたものだ。
怖ろしいのは「商談マン」である。ただのセールスマンよりは微妙に専門性があって、必ずしも営業スマイルばかりではないが、とにかく「詳しい」ので下手に説明を求めたりすると、暴走機関車のように話が止められなくなり、最悪ブース裏に引きずり込まれて責任者の名刺を受取る羽目になるのである。
もともと「店員恐怖症」の私は誰かに説明されだすと「なるほど、どうも」と立ち去るタイミングがつかめない。

また首から下げたホルダーには自分の名刺を入れておくのが普通だが、ほとんどの人が知っているあのマークが意外に目立つので、遠くから目聡く見つける人が押し寄せてくることもあるのだ。
まるで昔からの知己のように話しかけ、「●●さんにはいつもお世話になっています」なーんて本社の人間を引き合いに出して、ブースの営業課長あたりと合わせようとするのである。
ちゃんとしたスーツ姿とかでいると、まるで風俗の呼び込みのように引っ張られるので、あういうイベントに行くときは、「たまたま招待券を持っていた近所のおじさん」のようにだらけた格好でカムフラージュすることにしている。

今回の展示会はそんなに興味深いものはなかった。(っていうか、ちょっと油断したスキにある試験機のブースで我が社向け営業をやっているという課長にずばり正体を暴かれ、長々といかに我が社と付き合いが長いか、その歴史についてまでレクチャーされる羽目になった。
肉屋のショーウィンドー注文でどうしても自分の番にできないのとは反対で、どうしても抜け出せない「クモの巣」にかかったカマキリのようなものである。

あまり時間もなく正直疲れていたので、少し早めだが帰路につくことにした。
ビックサイトからは水上バスが出ていて、日の出桟橋まで数十分、船の旅を楽しめる。行
きと同じルートで帰るのが好きでない私は帰りは日の出橋‐浜松町ルートにしようと考えていたが、すごい距離を歩くことにめげてしまい、「ゆりかもめ」で帰ることにした。
あまり縁が無かったウォーターフロントだが、結構見る物はあるものだと来る時に感心しながら乗ってきたので、帰りは「田舎者のお上りさん丸出し」でIXYを首にかけ、パシャパシャと写真を撮り始めた。
まずは東京レジャーランド。。。船橋ヘルスセンター、常磐ハワイアンセンターに匹敵するベタなネーミングだが、一体何が中にあるんだろか。。。むろん足を運んだことはない。結構最近できた施設なのかな。

   

次はフジテレビ新(もう新しくない?!)社屋。真ん中の「ガンツのお化け」のような丸い球体は展望レストランだそうだ。あそこに遊びに行くと意外と有名なタレントがホイホイ歩いているそうだ。
見学ツアーみたいなものもあるようだ。スタジオとか撮影現場とか・・・ウルトラセブンの「第4惑星の悪夢」のワンシーンを思い出した。

   

お台場海浜公園から見えるレインボーブリッジ。。。この後、ゆりかもめは不必要なくらいにグル―っと大回りをしてこの橋を渡ることになる。
今はたぶんライトアップしていないと思うが、堂々とした立派な橋だ。

     

驚いたことに「ゆりかもめ」の進行ルートから先日最高点まで完成した「東京スカイツリー」が見えるのだ。それも結構近くに見えるんだな。
たぶんもっと前の位置からも見えたのだと思われる。このあたりは日の出桟橋だ。
大地震の直後だったが、何とか無事に最高点まで完成してホントに良かった。桜の季節は「一緒に見られる」ポイントが上野にあってものすごい賑わったようだ。

      

次は竹芝桟橋だ。大学時代に「大島」と「神津島」へ向かって言った「雑魚寝のフェリー」は今でも出ているんだろか。。。
車両を変えて一番前まで来たのだが、「ゆりかもめ」ってホントに「無人運転」なんだな。
大地震のときはさすがに運航停止だったと思うが、全ルート高架橋で遊園地の「マッドマウス」のようにこれだけくねくねルートだと揺れたときはさぞ怖ろしかったろうなー。
真正面に再び「スカイツリー」が見えてきた。左にほぼ90度直角にカーブするから、今が最後のチャンス!っと思ったら対向車両が来てしまった。。。頭にちょびっとだけ写ってるな・・・

     

東京タワーも時節がら派手なライトアップはできないわなー。しかしスカイツリーができたからと言って、取り壊されることはないんだろうなー。まだまだ東京の顔だからな。
「モスラの幼虫が繭を作っている模型」があったが、のだ今でもお土産屋では売ってるのだろか?蝋人形館もまだあるのかなー。
夜の羽田空港に着陸するときはコースによって、「トゥナイト」のオープニングのような見事な夜景が見られるんだよな。

   

おーっ、新幹線を見降ろすなんてなかなかないぜ。しかしあの大地震のときに瞬間的には何本も動いていたはずの東北・上越・長野・山形新幹線だが、一本の脱線もなく一人の怪我人もなく無事停止した、というのは驚くべき奇跡だと思う。
ウォーターフロント散歩のような「ゆりかもめ」だったが、途中で止まってしまったら高所恐怖症の私はとても歩いて帰る気にはなれんぜ。。。

   

竜泉寺の岩盤浴

2011-04-22 14:59:49 | スポーツ・健康
毎週早朝、茅ヶ崎の母と朝風呂に通っている竜泉寺、朝風呂(6時から9時の間に入場)は大人500円で、何時間いてもよい。
目当ては「高濃度炭酸泉」である。いつも39℃前後で10分以上の入浴が薦められており、血流量が7倍にもなる、というすごい炭酸泉である。市販の炭酸入浴剤を単位あたり20個入れたのと同じくらいの濃度だそうだ。
「高濃度」と聞くと最近は恐ろしい話題ばかりだが、炭酸泉の効能はガン、心臓病、糖尿病をはじめ、腰痛肩こり、胃腸病、貧血、冷え性の他、美肌効果やボケ防止、疲労回復などおよそ成人が恐れる症状すべてにわたる。

2日に一度がよい、とされるがとりあえず1週間に1、2度ということになるが、「病は気から」と言うのか、とにかく我々と相性がよくずいぶん効果がある。
血圧も正常になるし、妙な頭痛も治った。二日酔いからも一発で回復できる。(こりゃー問題外?!)
5分も入っていると全身から気泡が舐めるように湧きたち、湯に浸かっている部分は真赤になるから「効いたような」気がする。
その他デトックスによいとされる中国黄土を壁に使ったサウナとか、種々の天然温泉に加えて電気風呂、ジェットバスや超微細気泡のシルク風呂などにゆったりと浸かり(少しヘトヘトになるが)1時間半くらいで出てくるのが日常だ。息子甘辛は渋く「壺湯」が好みだという。

さてこの施設だが、もう一つの大きな目玉が「岩盤浴」である。プラス300円のオプションで、これまた時間無制限、お風呂も岩盤浴も何回でも入れる。
前々から一度は体験してみたいとは思っていた。しかしそれだけ温泉施設と岩盤浴両方とも入るとなると半日くらい費やすことになるから、なかなかそれだけの時間がなく、これまで機会がなかった。
平日の昼間、妻が一度だけ試してみたらしいが、正直あまりよいものではなかったらしい。
人にもよるのだと思うが、専用の岩盤浴着がイマイチ気持ちよくないらしい。特に女性専用の薬宝石房以外は男女同室なので、女性にとっては下着なしと言うのは抵抗があるが、発汗が強いので替えを持っていかなければならず煩わしいというのである。

妻があまり行きたがらないので、家族で行くときは温泉施設のみだった。
たまたま先の太極拳体験後、竜泉寺に行ったが妻は留守番することになったので、具合がよくなった息子甘辛と二人で太極拳に続き「岩盤浴」初体験することになったのだ。
午後からの入場だったので、一人600円+300円、結構な値段になるなー。まあ、一度は体験しようと思っていたので・・・
マナーとしては一度風呂に入って、身体をきれいにしてから岩盤浴着に着替え、入場するものらしい。

まずは白岩塩房だ。塩は昔から漬物や食べ物を腐らせないように使われ、保湿や殺菌効果があるとされる。白岩塩房は、純な塩を壁面・床に敷き詰めることで浄化作用を高め、心と身体のバランスを整える効能があるらしい。壁面が次から次に変化し、リラクゼーション用のBGMも流れている。
室内はだいたい52℃で深呼吸するとミネラルを多く含む塩分が、呼吸器官の疾患(ぜんそく、気管支炎等)に効果があると書いてあった。
真白でところどころ透明の小石であり、試しに舐めてみると少し塩っぽい味がした。。。
10分もいただろうか。。。砂利の上に大タオルを布いて寝ているので結構リラックスできかなり発汗している。

次は紅岩塩房だ。この岩塩は約4億年前に、地球の地殻変動で海水が海藻と一緒に、山脈の中に固まって生成されたもので文字通り赤い。先ほどの白岩に比べると室内は赤外線で統一されているようで、温度は同じくらいだが少し暑く感じる。効能は「塩」だけに白岩と似たようなものだ。
「気になる部分に乗せると効果が高まります」と書いてあったので、私は額に乗せた。(別に頭が良くなりたい、というわけではなく疲れ目や頭痛に効果を出したかったのだ。
息子甘辛は山のように石を掘り起こし、ふくらはぎを埋め尽くしていた。何かここのところ痛いと言っていたからなー。

出てきたところで、かなり汗ダラダラとなり喉が渇いてきたので水を買ってきた。専用冷蔵庫があって、名前を書いて置いておくことになっている。(人間ドックみたいだなー)
ふーふー言うほど暑いので、いったん冷風房へ。ここはようはクーラーのついた部屋だ。

このあたりで感じたのだが、やはり妻の言うとおり「衣服を着けたまま発汗する」というのは、あまり気持ちのよいものではない。
「何となくカラダにいいような気はするんだがなー」甘辛も微妙な顔をしている。。。。

白岩塩房の隣に薬宝石房というのがあるが、女性専用で男は入れない。説明書きを見ると「壁にはマイナスイオンが豊富な黄土を塗り、歴史があり最も有名な薬宝石をはじめ、 メノウ・黒水晶・疲労回復や免疫力
向上に効果的なトルマリンなど10種類の玉砂利が 敷き詰められ、マイナスイオンと遠赤外線効果で皮膚の老化(しわ、たるみ)を 防ぎ、自然治癒力や免疫機能の回復が期待できる贅沢なお
部屋」となっている。
中を覗く(これは違反ではない)と7色?の光る石が散りばめられた女王様専用の幻想的な部屋だ。

次に入ったのは「ブラックゲルマニウム房」・・・うーむ。材料科学を専攻した私にとっては実に魅力的なネーミングだなー。
遠赤外線放射能力が非常に高く、マイナスイオンが天然石中で最高を誇るらしい。真っ黒で小さな砂利で、他の部屋よりも広くて少々暑い。
「原発の放射能はダメなのに、何でこれは身体にいいのかなー」息子甘辛は不思議そうな顔をしている。さすがに温熱効果が一番高いらしく、あまり長い時間はいられないところだった。
最後に入ったのが「大汗汗蒸幕」という韓国式のサウナで発生する遠赤外線が円形の内部で反射し合い、体内の有害物質や毒素を皮脂腺から排泄するという。韓国の女性が肌がキレイで肥満の人が少ないのは「キムチ・アカスリ・汗蒸幕」のおかげと言われているそうだ。
ここだけは普通のサウナと同じ温度で90℃以上ある。周囲の壁が土でできているようだった。
入口が小さくて二重になっている。甘辛と二人きりになったときに話した。
「今、ここでデカい地震がきてドアが歪んで出られなくなったら悲惨な姿になるぜ・・・」
ちょっと前は大きな余震が続いていたので、風呂に入ると「今ここできたら・・・」と考えることが多かった。素っ裸で逃げるのはカッコ悪いと。。。

2回ずつくらい各部屋で汗を流し、ヘトヘトになって出てきた。甘辛も「あんまり気持ちいいもんじゃねーなー」とやはり複雑な顔だ。。。
簡単に言うと白岩塩房は「新興宗教のイニシエーション室」、赤岩塩房は「コタツの下」、ブラックゲルマニウム房は「天津甘栗」、大汗汗蒸幕は「ナンを焼く窯」ってところだ。
色々効能はあるようで、男女ともに結構入っていて、室内の寝場所が満杯になっていることもあるんだけどなー。

1時間ほどでぼちぼち風呂のほうへ入ろうかと、いうことになった。
以前蒲田にある技術協力センタで久々に見た走査型電子顕微鏡(SEM)、粉末X線分析装置、真空蒸着装置、スペクトルアナライザーを「全部使えるぞー」と豪語した私の分析欲がもろに出てしまい、各部屋からひとつずつ小さな石を持って来てしまった。
「甘辛よ。こういことをしてはいかんが、どんな性質の石なのか、ちょっと持ってきちゃったよ」白赤黒の小さな石を見せると
「なーんだ、父ちゃんもか。オレなんかほーら!」なんと岩盤浴衣のポケットからブラックゲルマニウムをじゃらじゃらじゃらーと出してみせた。やっべー。。。。(竜泉寺様ごめんなさい。でも何万個の石のうちのこれだけですから・・・)

岩盤浴着を脱いで再び、いつもの温泉浴室へ。。。やはり高濃度炭酸泉に限る・・・甘辛は
「父ちゃんよ。太極拳はどうだったんだ?」と手をくにゃくにゃ曲げながら尋ねてきた。
「太極拳はそんなインド宗教みたいなことはしねーよ。でも普段使わない筋肉を総動員だ。『気の流れ』を意識できるまでには相当修行がいるぜ」
「ふーん。なかなか敵を倒せるまでにはいかねーのか」別に敵を倒すために努力するわけじゃないんだけどな。
「ヒーリングの先生、太極拳やりたいって言ってたけど、あの先生極めたらすごいと思うんだ」関節痛を一発で直してもらった甘辛は
「おーっ、あの先生が太極拳やったら最強だぜ。周りの敵なんか指一本で吹き飛ばせるよなー」・・・だから敵なんかいないんだってば。。。

私は「自分を追い込む」ために、職場の随所で機会あるたびに「この職場を去るときには『別れの舞』を舞う」と言い触らし、コスプレマラソン(今年は中止)には太極拳フォームでの出場を約束している。
これからシーズンをむかえ砂浜にウエットスーツ姿で「型」の練習をし、それから海に入ることになろう。(ちょっと不気味か・・・?!)
その後は岩盤浴はないだろうが、竜泉寺の湯で疲れを癒す毎週末になりそうだ。

太極拳への道

2011-04-20 08:52:55 | スポーツ・健康
スピリチュアルヒーリングの先生から「あなたは長く、細い筋肉を鍛えて『しなやかさ』を身に付けなさい」と言われて1ヶ月。
新しく通い始めたフィットネスジムではヨーガとか地味な筋トレ、ジョーバにいそしみ、キックボクシングなどでガンガン動き回って汗びっしょり、と言うのは減らしてきた。
そんな中で再会したある日、「太極拳がいいと思います。私も始めたいと思ってるの」とおっしゃる。
以前通っていたスポーツクラブのレスミルズというプログラムに「ボディ・ヒーリング」というコースがあり、「ヨーガ、太極拳、ピラティスの動きを取り入れた」というのが売りの人気コースだった。

しかし、エアロビクスやJPOPダンスなど2~3回もやれば動きは覚えられても、これら奥深い歴史モノはどうしても敷居が高く見え、中でも太極「拳」は何十年も修行しなければならないモノだという感覚があり何となくちゃんとトライする勇気がなかった。
しかし先生の声が「ひょんな神の声」にも聞こえた私はとりあえず、真面目なヤツをやるだけやってみようと太極拳教室の門を叩いたのである。
色んな流派?式?があるようだが、自宅近辺で週末教われそうな教室を3つほど選び、体験を申し込んだ。
サーフィンを始めたときはどんな気持ちだったっけ?何をするにも「初め」は「きっかけ」と「勇気」がいるものだ。
土曜日の夜、妻と二人で江ノ島に自転車を走らせた。電話では女性センターの体育室で行われると聞いて、30分前には会場に到着してうろうろしていた。
しかし、時間近くになっても誰も現れず、体育室はバレーボールで使用されたままだ。

窓口係はもう帰ってしまったので、妻が守衛に今日の予定を聞きに行くと、どうもその夜はその後何も予定されていないらしい。確か「江ノ島」と言ったんだがなあ・・・妻は半怒半笑で(全怒でなくてよかったー)

「アタシがこれやると、ぜったい怒るよね」

「ハイ、すみません。もんのすごく怒りますです。ハイ」

物事をちゃんと確認せず、思い込みでミスる他人を許さない「思考回路が自分中心」な私もこのときばかりは平身低頭するしかなかった。。。
うーむ・・・ずいぶん初っ端からケチがついてしまったな。息子甘辛は寝不足と疲労で「頭が痛い」と留守番していたから、二人で近所の「海岸5丁目」というレストランのイタリアンと赤ワイン
でほろ酔いになって帰宅した。
翌日、気を取り直して近所の小学校体育館に別の教室の体験に出掛けた。

何人かの人が気さくの声をかけてくれ、連絡係の人が迎えてくれた。結構年配の人が多いんだな。(たぶん何十年もやっているベテラン揃いなんだろな)
私は妻に「なっ、なあ、あの人、剣を持って舞ってるぞ。。。」連絡係の人は
「最初は●●(聞き取れなかった)という、準備運動みたいなモノを皆でやります。その後先生のお話と指導があって、皆で一番簡単な24式を2、3回通し、先生の再び先生の指導を受けた後、それぞれグループに分かれて練習します。最後にもう一度復習をして終わりです。大体2時間くらいかなー」
フットサルもそんなものだから、ヘバッってダウンということはないだろう。。。

コーチ(女性)が前にたって、「何とか」いうウォーミングアップが始まった。私たちは端っこに並び、見たままマネをしていた。
その後先生が登場して、グーとパーを胸の前で合わせる「北斗天帰掌」のようなポーズをして、何やら中国語で大きな声で挨拶した。
その後の講和。。。やはり太極拳というのは「気」の流れを大きく意識して行うものらしい。
「足で大地を蹴って踏ん張るのではなく、地下3尺まで足を潜らせて根を張り『下からのモノを吸収する』『気を吸収するときは背中のポンプを使う』『掌から百会に向かって気を送り込む』」

うーむ。。。何となくドラゴンボールのような絵になっていればわかるような・・・
一番簡単な「24式」というものの全体練習のときに、先生に呼ばれて皆の真ん中に立たされた。メンバの先輩方はにっこり笑って、ど真ん中を空けてくれる。
「見よう見まねでよいので一緒にやってみましょう。あっち向いたりこっち向いたりするから、端っこにいると先頭になっちゃうときがあるんですよ。」

なーるへそ。後ろに目は付いてないからな。
NHKの「大黄河」が流れ始め、コーチとメンバは揃って優雅に舞い?始めた。最初は見た目の体格や年齢から推察して、正直「カッコだけそれらしく」かなと思っていたら、皆さん見事なまでに「流れるように」動いているものだ。ここまでくるのはずいぶん時間がかかるんだろな。
動きはゆったりしているのだが、普段使わない筋肉、感覚を「総動員」してもなかなか追いついていけない。頭で考えていてはダメなようだ。

こりゃー本格的だ。ジムのスタジオプログラムとは違い、皆一生懸命真摯に練習を重ねてきたことがわかる。
1ラウンド?終わり、お手本を見るとために先生を囲んだ。この協会の副会長でつい先日まで北京大学に専門研修に行っていたらしい。

「暗闇をね。手探りで歩くような感じでねー。大地から受け取った「気」を流して花を咲かせるんです」

するすると動き出したが、私は目を疑った。。。ホントに足が地下に埋まって根が生えているよう見えたのである。その根が何の抵抗も受けずに横に滑っていく・・・
会員の動きも見事だと思ったが、次元が違う。。。達人とはこういう人のことを言うのか!

「初めての方の前で何ですが、世には「簡単な太極拳」なんて本もたくさんあるけど、やっぱりホントは難しいんですよ。誰でも簡単にできたら会社辞めて修行し指導者なんかやりません。長くやっても『できてない』人はたくさんいます。でもね。自分はできてないことがわかっていて前へ進もうとするのが一番大事なんです。」

確かに上半身を上下せずに横に移動するだけなら、たぶん大腿筋力をもってすればできないことはないだろう。しかしあの先生の動きは明らかに筋肉なんか使っていない。
またまた世の中には不思議なモノがあるものだと感じた。
もう1回通しで「24式」を行って、グループ練習になった。私たちはもちろんド初心者だから女性コーチについて呼吸と最初の手の上げ下げから教わる。
そのうちに見えないボールを横にさすったり前後にさすったり。。。と同時に体重を移動して足を持ち上げたり。。。おーっ、太極拳の動きらしくなってきたぞ。

「とにかくリラックスすることです。肩に力が入るのだけ気を付けて。最初は足の筋肉がプルプルきますよ」

ベテランたちは「剣」を持って舞い始めた。うーむ。カッコいい・・・
私たちと一緒に初心者グループにいた男性が気さくに話しかけてくれた。「この動きが簡化24式に出てくるわけじゃないんですけど、基本の動きなんです。私なんか1年やってもまだちゃんとできません・・・」球と円の動き 、止まることなく、流れるような動作 、起勢から収勢までの動作を間断なくおこなう 、胸をはらずに背を広げる。。。

「いつでも来てくださいね」連絡係に挨拶してチャリを漕ぎだした。帰りに寄ったラーメン屋で、

「どんなもんだろねえ」「1年たってもできん、と言うのが気になったなー」「近いのはいいんだけどねえ。」「でもちゃんとやればそこそこできるんじゃ・・・」「ヒーリング先生の『鍛えろ』と言ったところが分かったような気がするぞ」「あの先生、『太極拳』やったら無敵だよねえ」
なーんて会話をしながら、まだまだ初回なのでもう少し「体験」してからどうするか決めることになったのである。

正直スポーツクラブのスタジオプログラムのノリでいた私は身が引き締まる思い(というよりは半分怖気づいていた)だった。
しかしあの先生の不思議な舞いは頭から離れない。。。ヒーリングの先生にわざわざ彼女の家の近くに太極拳教室があることを教えてあげながら「体験」でめげたというのもキマリ悪い。
剣はともかく、簡化24式とかいうのがそこそこできるようになったら、なんかいいなー。
期限は2,3年、つまり私の単身解消時、送別会で「ではお世話になった皆さまへ「別れの舞い」に太極拳やります」なーんてできたら決まるぜ。

昨日もスローヨーガで瞑想しながらも、幻の送別会シーンが甦り「やっぱりDVD買って練習してみようかな」なーんてもともと旺盛だった邪念がさらに拡大している。。。(たぶん太極拳の極意とは正反対方向だな・・・)
色んなやり方はあると思うが、とにかく3年の間に「何かできるように」続けてみよう。以前、ここで書いた「何をモノにするか?!」のひとつが決まったな!

2万5千年の荒野

2011-04-15 21:47:55 | 出来事
これを話題にするかどうか迷ったのだが、探していたコミックがようやく見つかったので。。。
以前少しだけ紹介したゴルゴ13屈指の名作と思う「2万5千年の荒野」だ。
ズバリ「原発事故の話」である。ラストでゴルゴ13がヒューマニティを見せるところも珍しい作品だ。
その昔(今でも増え続けているが)ゴルゴ13は全巻揃えていた。その中でも特に印象に残っていて、何巻だったかわすれてしまいずーっと探していたのだが、ようやく64巻に掲載されているのを突き止めたのだった。

場所はロスアンゼルスから数十マイルのところにあるヤーマス、そこに新しく建設中の原子炉があった。現場の責任者バリー技師は優秀な技術者であったが、商業主義と政治的圧力から無理に工事を急がせた結果、色々なところで人的なミスが多発する。バリーは何度も工事の延期・点検を直訴するが、所長以上の幹部は5日以内に運転開始しろ、という社長の厳命のためまったく取り合わない。
そして関係者を集めたパーティの最中に原子炉がトラブルを発生するのだ。最後に起こった「チェーンロックを加熱器の逃がし弁にぶち当てる」ミスが影響し、冷却水が原子炉に入らずに炉心が過熱し爆発寸前になるのである。
バリーは少し前に偶然目撃したゴルゴ13の神業的射撃に全てを懸け依頼する。
「危険な仕事だ。放射能の漏れた原子炉の中で、少なくとも厚さ40ミリはあるステンレスバルブの一点を撃ちぬくんだ。建屋の中は蒸気が立ちこめて、的がよく見えないかもしれない。被爆の可能性もある」ゴルゴ13は黙って仕事を引き受け、依頼は成功する。
職員が危険を冒して原子炉内に射撃台を作成し、最後にバリーと残ったゴルゴ13は見事バルブを打ち抜き、冷却水が作動する。それを確認しに行ったバリーは放射能水を浴びてしまい、原子炉の中で死ぬことを決意、ゴルゴ13を見送る。。。

私は大地震の後の原発事故のあり様をニュースで見ていて、真っ先にこの話を思い出した。
核燃料ウラン235は分裂するとプルトニウム239という猛烈な放射性同位体となる。放射性物質は放射線を発する能力が半分になるまでの期間が決まっており、ニュースに出てくるヨウ素131は約8日、セシウム137は30年、ところが原子炉が爆発して大量に発生するプルトニウム半減期は2万5千年。。。
つまり「ロスアンゼルスが2万5千年もの間、誰も住めない荒野になる」という恐るべき話だ。

ここ1週間で大きな福島で大きな余震があるたびに、「原発は大丈夫だろうか?」と皆心配している。
ニュースにも毎日必ず目を通すが、残念ながら過去最悪の「レベル7」になってしまい、予断を許さぬ状況にあるようだ。何よりも「目に見えない」のが怖いところ。知らないうちに狭い日本の中に随分たくさん原発ってできていたんだな。
今、日本に「それでも原発は必要だ」という人はごくごく少ないに違いない。いっそのことぜんーぶ廃炉にしてしまったらどういう生活になるのだろう。。。

私は原子力工学が専門ではないが、原子力発電のしくみくらいは知っている。核物質の反応を利用する以上どんなに何重に安全管理されていても近くでは(健康の影響には関係なく)被爆は避けられず、動かし出したら止めるのはものすごく難しい。。。
だから「無いに越したことはない」と思ってはいたが、積極的になからしめようとはしなかったし反対運動もしなかった。
以前からそのリスクを指摘し強く反対していた人たちもおられようが、それ以外の私達はかの発電所による電気の恩恵を数10年受けていた事実から逃げられない。
その我々が欲しいままに享受してきた電力の源のせいで、我々の息子の世代やその次の世代にまで色々な影響をもたらしてしまったのは全くもってもうしわけないと思う。

ここ数年(これからもずっと・・・)、最近に比べればはるかに「不便で快適でない」生活を強いられるだろう。しかし「強いられて初めてわかる」ことも多いだろうと感じる。
今、オフィスでは昼間フロアライトは全部消しているエレベーターは荷物運搬以外使用禁止だ。駅に行けばコンコースもホームも昼間は明かりがついていない。エスカレーターも止めてある(不自由な方はエレベーター)し、電車の車内灯も昼間は消してある。
こうして見ると日常当たり前のように使っていた電気がいかに「無くても困らないモノ」で満ち溢れていたかが分かる。防犯さえしっかりしていれば「夜は暗くてよい」
私は海外に行ったときその国の鉄道に乗るのが好きで、世界の主要都市で色々な列車に乗ったが、ホームやコンコース、階段など驚くほど暗い。彼らが「暗い」のではなく、日本が明る過ぎたのかもなー。。。お店でもショッピングモールでも「DFS」以外はすべて日本の店よりもうす暗い。。。


「2万5千年の荒野」ではこういうセリフがある。事故後の原発所長の記者会見だ。
「いずれ石炭や石油は枯渇します。今更、木炭やローソクの生活に戻れますか。原子力は絶対に必要なのです」
私は木炭やローソク生活に一部戻るのは「あり」だと思う。台風のときのように子供は喜びそうだし、家族が一つ部屋に集まればバラバラいるよりはよいことが多い。
全部は無理だが、皆のマインドセットを変えることによって、この夏は思ったより不快にならずに乗り切れると私は楽観している。「今年はクーラーなし!」

物質文明、便利で快適な消費生活を追い求め続けた結果があの無残な原発の姿だとしたら、唯一の被爆国で核汚染の恐ろしさをどの国よりも実感しているはずの国民としては、何とも気まり悪いことだ。
私は雷電神社で「原発の神よ、静まり給え」と祈った。どちらかと言えば復興に直接携わる側にいる私は「神頼み」なんて笑われるか怒られるところなんだが、そんな気がしたのだ。

再び「2万5千年の荒野」のセリフを借りる。さっきの所長記者会見の続きである。
「いいえ。原子炉も基本的には石油や石炭と同じなのです。ただ、原子炉はひとたび炉心そのものが暴走したら、今の科学の力では抑えることができないのです。その事実を認めた上で、様々の改良がなされ、何重もの安全装置が施されて、今や技術的に原子炉はなんの問題もありません」
この話は四半世紀も前の話だ。福島の原発は相当古いと聞いたが、数10年のうちにそれこそ技術は進歩し改良は重ねられ安全性は高まってきたのだろう。
それでもマグニチュード9.0の地震による大津波には耐えられなかった・・・

ひとたび荒れ狂うと人間の力ではどうにも制御できないものを日本人は「神」と扱ってあきた。今では放射能を撒き散らす凶悪な邪神と見られ、付近の水や国土は「汚染」されていると言われる。今となってはそれをどうとも言えないが、少なくとも命の危険を冒して懸命に事故被害を食い止めようとする人たちがいるのは事実なので、彼らにはおぞましい怪物に接近し「汚染処理」をしてもらうのではなく、とりあえず原子炉のこれまでの働きを労い、成仏させ供養してもらうことを期待したい。

とにかく何もできない我々は祈りつつ、「原発」がなくても済むようにスローダウンするしかあるまい。確かに「暗く」なれば元気は出ないかもしれない。「こういう時こそ『消費』を活性化して経済を沈滞させないように」と多くの人が意見している。
大前研一は「消費税を期間限定で10%にし、増やした分はすべて復興にあてる。東北のために『さあ。じゃんじゃん物を買いましょう』と政府は仕掛けるべき」と述べたそうだ。
私もシステマティックに被災地に必要なものが速く十分に届く仕組みができるなら、「復興税」には賛成だ。
しかし「消費」すると普通はエネルギーを食うのである。「ひたすら消費を活性化して物を回転させ経済を右肩上がりにする」という戦後高度経済成長の幻想にしがみ付いている限り、同じことの繰り返しになるような気がして仕方がないんだよなー。

いやいや、たいした見識もないのにずいぶん難しいことを考えてしまった。
まずは無邪気に節電、節電。。。
以前ここでも紹介したキャプテンハ―ロック最終回のエンディング・・・・このフレーズを再びこういう話題で持ち込むとは思わなかった。。。


雷電神社となまず

2011-04-14 22:27:14 | 出来事
ここのところ余震が続いている。私のオフィスはたいしたことないが、連日「震度5とか6」の余震に見舞われる「福島浜通り」には「絶対何かいる」と皆地名を覚えてしまった。
原発の近くだから大きな余震が来るとドキリとするよなー。
我が方は宮城県エリアの復興をお手伝いする分担だ。県内で数千件あった一般の故障は第4次復旧支援隊で一段落するはずだったのだが、大きな余震でさらに故障が相次ぎ、第5次支援隊25名を派遣することになった。

燃料や既にいる派遣隊との引き継ぎやら色々と事情があって、出発の仕方が様々だが何人のチーム(例え二人でも)が何時に出発(夜中の3時というときも)しようが、必ず私は「出陣式」に出席する。
自分もいずれまた行くことにはなろうが、直接的な役には立てないのでせめて敬意を表すためだ。立場上一言発することになる。
今回の第5次支援隊は朝6時に大型バスで出発し、4拠点でメンバーを拾って県東部の拠点で出陣式を行う予定で、私は7時にオフィスを出て向かった。

特殊高所用作業車11台を1ヶ月前に送り込み、ずーっと現地に配備していたがメンテナンス等もあって前々回の3次隊で一旦引き揚げ、4次隊が新たな車両を繰り出したから今回は大型バス1台だ。
正直今回は何とも言えない「重い気分」であった。高所作業中に震度5の余震などがやってきたらどう考えても危険なのだが、安全を確保しようがないからである。
「とにかく気を付けてください」としか言いようがなかった。。。それでも被災地の救済に向かってくれる隊員に敬意を表したい。

見送りに出向いたのは私と保全部門の長スティーブとその腹心である「隊長」、さらに派遣隊の輜重をあずかる「しもやん」だ。
県の最東部に近い拠点に赴いた我々にスティーブは

「さらにホントの最東端まで行くと『雷電神社』ってのがあるんですよ。御札もらいに行きませんか?」

この地方は夏場、実に「雷」が多い。地下の部屋にいても壁が震えるほどすごく着任したての頃はいきなりその洗礼を受けて腰を抜かしかけた。
昨年は例年になく活発でシステム故障等も含めて散々な目にあった。
私の3代前任が祈祷してもらったようだが、前年の倍近く被害があったそうだ。(ご利益無いんじゃないの?)
しかしこういう機会でも無ければ2時間近くかけて行くことはないから、「これも何かの縁よね」と行ってみることにした。

     

春のうららかなホントの田舎だった。「雷電さま」というのは関東地方に数多いそうだが、ここ「雷電神社」が総本営なのだそうだ。
そのまんまのネーミング「雷除け」の御札を求め、賽銭を差し上げて祈った。

「今日、仙台に向かったチームが無事に帰ってきますように。原発の神が早く御静まりくださいますように。今年だけ雷いくら来てもいいので、地震を落ち着かせてください」

神頼みなど笑われるかもしれないが、真面目にそういう気分だった。「あんまり雷に関係ないことばっか頼んじゃったよ」と苦笑する私に「しもやん」は「ここ、地震除けもあるんですよ」と驚きの発言。。。
実はこの地方にとって昔からの「神の賜物」だという「なまずさん」というのがあったのだ。
「なでると地震を除けて自信が湧き出、受験や仕事やスポーツの勘にも通じます」
私たちは「なまずさん」拭き用のハンカチを買って熱心になでまわした。

   

帰り道になっていたので、「分福茶釜」のルーツという御寺に寄った。顔つきはちょっとグロテスクなのだが、狸の像がずらりと並び満開の桜と微妙なハーモニーを醸し出していた。
それにしても震災など忘れてしまうほどの陽気だ。。。
分福茶釜って名前は知っていたが、どんな話だったっけ?狸と茶釜が合体してしまうような恩返しの話だったような・・・

   

「神の賜物」というなまずだが、実は水郷地帯であるこの地方の名産であったようなのだ。
確かによく見ると、「川魚料理」の店が結構多い。昼には少し早かったが来客時間までに帰らなくてはならないから、この際「なまずを食べて行こう」ということになったのである。
店頭にあった姿だけ見るとちょっと勇気がいるんだけどねー。大昔、栃木にゴルフ旅行したときに「なまずの刺身」食した以来だが。。。
選んだのは「天然なまず定食」だ。なまず重(いいずらい)はアナゴをねっとりさせた感じ。洗いはもちっとした淡泊な感じかな・・・
もう神頼みでも願掛けでも何でもいいから、地震がおさまるといいなあ。

   

開花

2011-04-10 21:52:18 | 出来事
桜の開花シーズンに合わせてだろうか、FM横浜で「私の開花」というタイトルで聴取者のメールを募集していた。
私は自分でいうのも何なのだが、筋金入りの「中途半端モノ」だ。子供の頃から大人になってからも何かひとつくらいは「1等賞」「入賞」などという冠があるのが普通だと思うが、学問やスポーツ、芸術その他あらゆる分野で見事なくらいに「何もない」。。。
友人の家に行くと必ず賞状とか、トロフィのようなものがいくつかは飾ってあるのをいつも羨ましく思っていた。

      

むかーしからスポーツにしろ勉学にしろ、何でも「そこそこは」できたが、「極め付け」にデキるものはひとつもない平凡な道を歩んできたのである。
人間、自分の才能が開花するのを感じるのが最も大きな「快感」だろなと思うのだが、残念ながらそんな経験が一度もない。。。
別にある分野の特殊な才能でなくてもよいのだ。社会人になって(特に管理職になって)他人が「開花」するのは何度か見た。歳を経てくるとこれはこれで自分の快感でもある。

結構大規模な社内の新しい基幹システムを6人チームで立ち上げたときのことだ。普通は仕事の流れに合わせて完全オーダーメイドで開発するのが常なのだが、とにかく時間が足りず「売っていたものを改造する」という方式を採用した。
今ではWeb機能が主流だが、当時はそれぞれのPC端末に専用ソフトをインストールして運用する。
入社5年目くらいだった若手男性社員(通称ペコちゃん)は設備を管理するサブシステムの担当だったが、悪戦苦闘の連続だった。できたてのホヤホヤで性能が安定しない中、1日おきにバージョンアップ(というと聞こえがよいが、バグ対処ともいう・・・)を繰り返し、その都度200台からの端末をインストールし直していた。

ある日、自宅のマンションで寝ていた彼は突然起き出してベランダに駆け寄り、「あと25台やんなきゃ!」とうろうろ歩き回ってまた寝ついたそうだ。
寝ても覚めてもインストール地獄で「夢遊病」になったようなのだ。
協力会社のスタッフがよく彼を支えてくれていたが、晩年5回表を投げた江川卓のようにいかにもヨレヨレで、いつ降板させるか私はベンチでタイミングを見計らっていた。

その彼がいつの日だったか突然ぱーっと「開花」したのである。スポーツのように「技」ができるようになったわけではない、数学のように突如閃いて難解な方程式が解けたわけでもない。
スピリチュアルに言うと、オーラが変わったのである。
交代寸前だった彼は見事に難局を切り抜け、ユーザーから絶大な信頼を得た。私はこのサブシステムについては全権を彼に委ねることにしたのだ。
その後も何人か同様な「開花」を見てきたが、実に気持ちのよいものだ。ある意味自分が「開花」するよりも快感かもしれないな。
特に「絶体絶命のピンチ」を辛くもしのいでモノにしたときに起こることが多い。

昨年末入院していたときに、友人から教えてもらった「スーザン・ボイルさんのオーディション」の映像、これを見たときには興奮でうち震えた。
彼女の年齢は我々とほぼ同じ、聴衆全員の冷ややかな視線をスタンディング拍手に変えたのはまさしく「開花」だった。
彼女は子供の頃からなりたかったプロの歌手に今そうでないのは「機会がなかったから」と言った。
強く念じることがあれば、この先も何かが開花する可能性はないとは言えないよな。

ある先生の言葉がヒントになったのだが、「特定の分野で世界的なレベルになるのは極めて難しいが、合わせ技なら簡単に『世界有数』になれる」
その先生はフランス文学史か何かが専門だったが、合気道の先生でもあり、能楽を演じる。
つまりそれぞれ一分野では何万分の一だが、組み合わせると世界でも数人しかいない、というのである。
私も子供の頃、ほぼ似たような考えで「オレは茅ヶ崎で最強だ」と思っていた。

滅多なことで人に負けないモノが3つあったのだ。ブロック崩し、ジェットコウモリの連続回転、ザリガニ採り、である。
まだ「インベーダーゲーム」が流行る遥かに前、近所の駄菓子屋に100円で遊ぶ元祖「ブロック崩し」ゲームがあった。
画面下部にある水平なスティックをダイヤルを回して左右に動かし、電子の玉をはじき返して画面上部にあるブロックに当て、ひとつづつ消していく単純なゲームであった。
社会現象になるほど流行ったものでもなかったが、1機しかないゲームによく列を作っていたものだ。

電子玉をスティックから外して落としてしまうと代わりは2つだけある。またある一定のブロック層を消すとスティックの長さは半分になり、電子玉の動く速度が倍になってしまう。さらに天井に反射すると4分の一になる。
画面は全部で5面、終わりまで行くと秘密の画面が現れるのだが、なかなかそこまでクリア出来る者は少なかった。
少年太郎は野球の帰りとかに通い詰め、ある日その才能を「開花」させて、ついに「最初の1玉で全面クリア」できるまでに至ったのである。私の知る限りこれができるのは、先日ギンさん家に一緒にお邪魔した「ガンさん」しかいない。。。

次の「ジェットこうもり」は「飛行機飛び」のような鉄棒技である。その名のとおり、膝を折り曲げて内側に鉄棒を挟み込み、逆さにぶら下がって反動をつけ、大きくのけ反って膝を離して着地するのを「こうもり降り」と言った。
これを鉄棒の上に座った状態で手放しで一回転し着地するのが「ジェットこうもり」である。これができるのは小学校で10人はいなかった。。。
私は数少ないマスターとして日夜、技を磨いていた。ひねりを加えたり、前回りを入れたり。。。そしてある日突然開花し、「連続して回転する」技を身に付けたのである。
最大30回転くらいだったろうか、器械体操の技としては何ら評価されなかったが、とにかく出来る者がいなかった。

最後が「ザリガニ採り」である。鬼ヤンマ捕りもかなりの熟練技だったが、そもそも鬼ヤンマ自体が滅多にいなかった。(今のほうが自然が戻ったのである)
ずばり言って私はザリガニの動きが「予測」できた。逃げる時は猛スピードで後方に吹っ飛ぶのだが、その先に網で待ち構えてキャッチするのだ。バケツの中には大抵他の悪友の倍近い獲物がわさわさ入っていたものだ。
そして普段は中々みられない巨大なアメリカザリガニがたまにいる。これを我々は「マッカチン」と呼んで、これを捕獲したものは仲間から畏敬されていた。
マッカチンは本流であるドブ川から抜け穴を持ち普段はそこにいるので上からは滅多に見つけられない。
しかし横穴があるのだ。ここにズボっと手を突っ込んで一気に引っ張りだす。
下手をすると挟まれるし、強く握り過ぎるとカラダが引きちぎれたり、つぶれたりしてしいまう、実に勇気のいる繊細な技だったのである。

この3つの総合得点を競わせたら、茅ヶ崎どころか神奈川でも相当上位にいたはずだ。
(世の中には似たような多彩な得意技を持つ人が驚くほどいるから、せいぜい県大会だな)
先生の談はこれとはだいぶ意図が異なるだろうが、ようするに人より優れていると結構自信を持って言える技を複数組み合わせれば、「世界でも3本の指に入る」のは可能だと思う。
しかし大事なところは、組み合わせるモノが社会システム上そこそこ認められる分野でなければならないということだ。ここが子供と違ってつらいところだな。。。
自分にはどんな組み合わせができるだろうかなー。    

  

昨日、スピリチュアルヒーリングの先生に再会した。「長い筋肉を鍛えるために何かやってますか?」結構前のことなのにちゃんと覚えてるんだな。
私は正直に答えた。「フィットネスジムで腹筋・背筋を100回、ジョーバで上半身捻り運動を15分、地面がブルブル震えるダイエットマシンを10分、スタジオプログラムはダンベル&チューブ、ボクササイズ、スローヨガ、JPOPダンス、エアロビクスなどです。やりだすと止まらなくなって、今や週3回ペースでヘトヘト・・・」
私があの後、「気」の関連書物と「江原啓之さん」の著書を借りて読んだことをずばり予見したという先生は「太極拳がよい」とおっしゃる。
早速土日、自宅付近で体験できる教室がないか調べてみた。。。これから「開花」する可能性は少ないと思うが、久々に「未知の世界へ突入」する予感が走ったのである。

朝ごはん

2011-04-08 15:02:10 | 食べ物
あちこちで「コマッタちゃん」顔で訴えているのだが、私にとって最強の「朝食の友」納豆が忽然と売場から姿を消してしまった。。。
米、水、牛乳に続き今度は納豆か・・・あちこちのサイトでも「納豆がない」という記事が掲載されている。
これだけ「食」のダイバーシティが進んでおれば、納豆のひとつくらい食卓になくても困ることはないと思われるが、私と納豆のつきあいは長く、また単身者にとっては貴重な栄養源なだけに早く復活してほしいものだ。
と、言うよりもそろそろ身体が「野菜を欲する」ときがあるように、「納豆禁断症状」が出始めている。。。
さすが我が家(私だけ?)が「人間、米以外に『これだけ』食っていれば死ぬことはあるまい」と定義する食べ物の筆頭である。(他は例えば「貝」とか・・・)

高校を卒業するときまで、私は実家で家族と毎日欠かさず朝食をとっていた。父親があまりメニューに頓着しない人だったので、基本は納豆、卵、海苔のローテーションだった。
リクエストが少なかったので母親は手を抜きまくり、干物やサラダ、酢の物といった、サイドメニューものは記憶にない。。。
品数は一つだけだがバラエティだけは不思議とたくさんあり、納豆にはしらす干、卵、大根おろし、おくら、鰹節など様々ものをひとつだけ混ぜ、微妙な変化を加えていた。卵は簡単で目玉焼き、卵焼き、生卵醤油、温泉卵などが出された。海苔だけはすべてのパターンに付随したが、ときどき海苔だけということもあった。。。海苔缶の最後に残った海苔の粉をご飯にまぶし、ちょっと醤油をたらして食うのは私の役目だった。

田舎出身の両親だから、当然これに「漬物」がついてくる。おそらくこの多彩な食べ物だけで彼らはメインのおかずになったのだろう。
私はどういうわけか「漬物類」は一切食べられないから、いつもひと品だけ、ということになる。絵に描いたような「一汁一菜」スタイルである。
そして私は子供の頃は「ふりかけ」を好んで米を食べた。真上から見るとベンツのマークのような間仕切りがされていて、「のりたま」「たらこ」「ごましお」の3種類の振りかけが入っているプラスティックの円筒形容器が「ご飯の友」であった。(妙に残ってしまうのが「ごましお」だ)
頂き物で陶磁器製の器に入っている超高級ふりかけ「錦松梅」が出てきたときも「こんなのは邪道」(どっちが?)とあまり手を付けなかった。

そして忘れられないのが前にも書いたがジューサーミキサーで作る「死ぬほどまずい野菜ジュース」。。。最初のうちはバナナミルクセーキなどというしごくまともなものだった、そのうち誰が言い出したのか「野菜をおろして飲む」などという無謀な行為に走り、朝の食卓で各家庭では流行ったものだ。
リンゴはOK、ニンジンも許せる、トマトもちょっと癖がでるがセーフ、しかしキャベツが入った瞬間に悪夢の味に変貌し、セロリを入れるともはや殺人兵器である。
生野菜を普段は食べない私がどうも市販の「カゴメ野菜ジュース」等が苦手(あれはホントは美味しいと思う)なのは当時の殺人ジュースのトラウマがあるからだろう。。。

高校を卒業し、朝生活が不規則になってから私は滅多に朝食をとらなくなった。とにかく眠くて仕方がなく、朝食をとらなくても全然平気だったのである。
この頃から「若い人は朝ご飯をきちんと食べよう」「朝抜きでいると、力が出なくなる」なんて言われるようになったが、全く理解できなかった。。。逆にお腹いっぱい朝ご飯など食べて講義を聞くと眠くて我慢できなかったのだ。
これは社会人になってからも結婚するまで約10年続いた。会社の独身寮でも朝食など一度も取った記憶がない。(飲んだ翌日の立ち食いそば、というパターンは多かったが)

一人暮らしで生活が特に不規則な上に、体力に任せて飲み歩いていたために御他聞に洩れず太り始めた。。。最高で今より10kgくらい体重がオーバーしていたように思う。
「これではいかん!」とあるとき思い立って「鉄の意思」で減量を始めた。当時から怪しげなダイエット法はたくさんあったが、信じたのは「夜、たくさん(飲んで)食べて寝るのはよくない」という説。
採用したのは至ってシンプルな方法だ。会社から帰宅してジョギングをし、晩御飯をとることを「止めた」のである。
あまり褒められた方法ではないが、ともかく数か月で効果は現れ、ほぼ今の体重に落ち着いたのである。(最近の医者の談によると元来「骨太で筋肉質」の私はこれ以上無理に絞るとかえって内臓によくないそうだ)

結構短時間で効果を出し、自身のプライドにより「リバウンド」を無理やり抑えていたのだが、代償として「朝食をがっつりとらないとやっていけない」身体になってしまった。。。何せ「夜食べない」のだから・・・
以来、飲み過ぎて著しく調子が悪い時以外は必ず朝食をとるようになった。朝からカレーだろうが、中華丼だろうがハンバーグですらおいしくいただける。
むろん一時的に疎遠になったが「旧友」である納豆が最良の友となったのは言うまでもない。むろん毎日食卓に上っても何の問題もない。むしろ納豆が妙に「加工」されるのに戸惑うことがある。

妻は母親よりもはるかに多くのバラエティを持っており、「ご飯にかけないで食べる」納豆料理もたまに出る。卵焼きに入っていたり、巾着に入れて焼いてみたり、チャーハンとして炒めてみたり・・・
味は実によいのだが、どうもしっくりこないのだ。特に夕食で出てくるとまるで「4番マーチンが送りバント」するような気分だ。。。納豆=朝、というリレーションがたぶん相当に強いのだろう。
我が家でもやはり朝が主流だ。毎日ということはないが、冷蔵庫に納豆を切らしたことはたぶんない。
買い物に行くと必ず私は習慣的にひとつはカゴに入れる。「まだあるから買うな!」と怒られることもしばしばだ。

その納豆が売り場から消えてしまった。。。関西の人はあまり食わないというから、この空洞のような気分は理解できないかもしれない。
計画停電が無くなってようやく帰宅時間まで開いているようになったスーパーで無意識に売り場を通るがいつも空っぽだ。大震災で工場が被災しパックが作れなくなったとも、計画停電で温度管理できなくなったとも聞く。
無くなってしまっても、最近よく聞く「今すぐ、健康に影響がある可能性は少ない」んだがなー。

「大豆買ってきてハンズで買った納豆菌をふりかけ、藁に巻いておけば自然にできるんじゃないか?」なんて考えていたときに出会ったのが、かのスーパーお洒落マダム小夏さんのサイトにあった、「手作り納豆キット」である。
正直そこまでしなくても我慢はできるのだが、あまりの興味深さに元理系の血が騒いだ私は気が付いたら注文していた。。。
形から入ることの多い私はすかさず実家へ電話「学生のときの実験用白衣が残っていないか?」尋ねたのだった。(残念ながら大昔に破棄。。。ツナギもあったのだがこれまた不明・・・)

しかし結構手強そうだ。5℃の冷蔵庫で20時間も水に浸したり、圧力鍋で数時間大豆を蒸したり・・・極めつけは40℃のキープして24時間の発酵。。。週末全部つぶして間に合うか?!
それほどまでにして手間をかけるのなら、「計画停電」されたら管理できないかなー。。。それにしても我が国のテクノロジーはすごい。
何せ24時間営業の「西友」で普段売っている納豆が3パックで57円。恐るべき効率だ。こんな機会でもなければ「自分で納豆を製造する」なんて発想は死ぬまで浮かばないだろう。
「買えなくなったときにとりあえず費用はかかるが作れちゃう」という能力は生存条件としてかなり重要だろな。

金八ファイナル

2011-04-05 14:16:07 | ヒーロー
先々週末だったろうか、「3年B組金八先生」が32年(続いたわけではないけど)の幕を閉じた。
「金八先生が定年退職で桜中学を去る」という設定だと聞くので、第1回シリーズの年齢は28歳というところだろうか。。。
歳バレするのであまり詳しく語らぬが、我々はまさしく「リアル金八世代」である。トシちゃんもマッチもいたし(野村義男はいたかなー)、「顔はやばいよ。ボディやんな」の三原順子もいた。その次のシリーズにはシブガキ隊も出ていた。

当時「青春モノ」と言ったら圧倒的に高校が舞台で「剣道部」や「ラグビー部」のスポ根混じりの番組ばかりだった。「●●青春」とか「ゆうひがおかの総理大臣」、村野武範とか中村雅俊あたりは我々よりも微妙に(半世代くらい?)上で、どうもピンとこなかった。
「金八先生」も最初のほうはあまり見ていなかった。。。15歳の杉田かおるが妊娠したり、カトウが教室で大暴れしていてもあまり現実感が湧かなかったものだ。
ずばり我々を掴んだのは、多くの生徒の場合生まれて初めての試練?となる「受験」がシンクロしたからだと思う。

金八先生の都立高校とは異なり、我が県には中学2年生の終わり頃に受けるアチーブメント・テストという怪しげな試験の結果で1年先の公立高校志望が半分くらい決まってしまう、という悪夢のような制度があった。
終盤になるに従って、「受験」が物語の題材の中心になり、その心構えや微妙に不安定になる生徒の心理に共鳴し、何かと教室でも話題になるようになった。
まあ、こちらは当事者そのものだから、そもそもそんなテレビ見てる余裕すらなかったのも事実だが。

第1回シリーズ、第2回シリーズはたしか連続であったような。。。しばらく冬のシーズンになると再放送していた。
リアルだったか再放送だったか微妙だが、ホントの受験生だったので「最終回」以外はあまり見ていないからあまり記憶が定かではないが、金八シリーズで今でも覚えているのが「荒川土手の課外授業」だ。
確か「入試(何とか)前心得」とかいうタイトルだった。
15歳だった私にとって当時から不滅の輝きを持ち、今でもヤマトの「慌てず急いで正確に」と並んで、何か訓示をたれるときにパクるのが、「文化とはフグちりである」とかます、あの課外授業でのお説教である。

「フグという魚を知らずに食べて死ぬときに、「どうも○○が悪かったらしい」と言い残す。そんな何十何百の死んでいった祖先たちが残していった積み重ねで今、我々は安心してフグを食すことができる。だから我々も何か次の世代が幸せになるようなことを残す責任がある。だから君たちは勉強しなければならない。」
全然正確ではないが、こんなような話だ。。。そしてむろん当時は将来何になるのか見当さえしていなかった私にとって打った言葉は、それぞれを目指す生徒に向けて放った言葉だった。
「東大を出て大蔵省に勤めた者は困った人のために1円でも多く予算を分捕れ。酒屋を継ぐ者は客の気持ちが明るくなるような笑顔を、美容師になる者は客の心まで美しくなるような技術を、音楽家を志す者は聴く者の魂を揺さぶる音楽を・・・・・」
これまたうろ覚えだが、30年たった今でもこれだけ鮮明に覚えている。
我々もまさしく受験直前。。。校庭に出て志願する高校ごとにグループを作り、何とみんなで駅まで歩いて願書を取りにいった。共に同じ高校を受験する者どおし仲良く暗記モノの問題を出し合って歩いていたが、私は金八先生の土手の授業が頭から離れなかったのものである。

あれから32年たって・・・金八先生もさすがにヨレヨレになってしまったな。明るく噛みつくようなパワフルさが、かなりナリを潜め「好々爺」という感じだった。
奥さん(倍賞美津子)はいつの間にか亡くなってしまったのか。。。娘の結婚式も感動的だった。
ファイナルで「金八先生自身の卒業式」は実に1時間くらい続いていた。今から遡ること32年、歴代の出演生徒がそろって出席していた。
数年前に卒業した生徒は、まだまだ「生徒」と言っても何とかなるが、平成ひと桁あたりから急におじんおばん臭が増して(間が長かったからかなー)、「昭和」ときたときゃかなりドキッとした。
さすが今でも現役の俳優はキリっとしていたが、「カトウマサル」の変身した姿は衝撃的だった。。。

息子甘辛もそう遠くないうちに同じ年齢になるが、金八先生のような教師、3Bのようなクラスに恵まれて欲しいものだが、なかなか難しいかなー。
15歳はその昔で言えば元服の年齢、銀河鉄道999で言うと惑星「ヘビーメルダー」のような人生て初めて踏み込む分岐点だ。
また歴史上めったなことでは経験できない「未曽有の危機に直面した人間」を目の当たりにすることにもなる。

金八先生の課外授業では最後にこのように結ぶのだ。「そして、この川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか、本物の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女がいることをおまえたちは忘れるな。そして・・・」
息子甘辛達の場合は「戦争」ではなく「災害」となるのだろうかな。

我々も「フグを食べられるように」100年以内にまた来るかもしれない大地震に耐えうる社会システムを作らなければならない。
そのための「大人」の責任のひとつは今度の大震災で気付いた日本の「リスク」「矛盾」「脆弱性」など災禍をもたらすものをあらん限り露呈させすことだろう。
変えるのは次々代くらいまでかかるかもしれない。「元あったモノに戻す」だけでは金八先生の雷撃にあうだろな。。。