超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

滝を巡る

2012-03-31 15:14:25 | 旅行お出かけ
「これから外出の際には最寄の『滝』を巡りませんか?」八兵衛の送別会でスティーブが言い出した。八兵衛と「色んなところへ行ったよねえ。」と話していた時だ。むろんスティーブも保全系の責任者として、八兵衛と同様私を連れて県内くまなく走り回っている。何となくではあるが、スティーブの方が飲食店、名勝など行くところが高尚のような気がする(八兵衛ごめん!)。本県には大きな山が3つあり、豊富な水流を作り出している。考えてみれば我が家は海岸近くなのでこう言った滝とは縁が薄いので、ここで勤務している間に温泉と共にくまなく制覇するというのはまたとない機会だ。滝というのは街中にあるものではなく、ずっと山奥にあることが多いから自然が豊富でかなりのパワースポットだと思う。マイナスイオンの宝庫とも聞く。小さく趣きのある滝は好きなのだが、大瀑布と言われるようなところは上から見ても下から見ても「吸い込まれそう」で少し恐怖を感じてしまうのだが。

ネットで下調べしてみると「日本の滝100選」なるシリーズがあった。広い北海道を除くと大体どの県も3つ4つ「100選」の滝があるようだ。ちなみに故郷、神奈川県は「早戸大滝」と「洒水の滝」の二つしかない。洒水の滝は小学校の頃、子供会(ってあったよね)で遊びに行ったことがある。もう一つの早戸大滝というのは「幻の大滝」と呼ばれてるほど、辿り着くまでがとんでもなく大変らしい。。。両親の故郷である富山には立山の「称名滝」というのが一つしかないが、350メートルという日本一の落差を誇る。これまた子供の時に連れて行ってもらい4段に分かれていて豪快な瀑布ではないが素晴らしい眺めだった。実は見たことがないのだが、雪解け水が増える春先限定で「ハンノキ滝」という幻の滝がすぐ隣りに現れるそうだ。この滝は落差が500メートルもあるらしいが、いつもあるわけではないので、日本一に認定されていない。

家の近くで滝というものがあまり馴染みがないためか、日本の滝100選をざっと見渡すと訪れたことがあるのは他に修学旅行で行った「華厳の滝」、仙台にプチ研修していた時に訪れた「秋保大滝」、そして「天城越え」で登場する「浄蓮の滝」である。写真は息子甘辛が修学旅行で撮ってきた「華厳の滝」しかないので、プチ番外編でカナダ米国出張した際にゲリラ的に訪れた「ナイアガラ滝」を載せておくつもりだったが、7年前くらいの話でどうも見失ってしまった。。。トロントに2泊してからボストン、ニューヨーク、アトランタ、ダラス、サンディエゴを経てサンフランシスコから帰国するというアメリカ横断ウルトラクイズ顔負けの超強行軍だった。トロント以外は夕方到着して1泊だけし、翌日の午前中に企業訪問して午後は空港から次の宿泊地へ向かった。ナイアガラ滝はトロントからチャータータクシーで1時間半くらい、次のフライト時刻を考えると現地にいられる時間がわずか45分という大統領並みのせわしさだった。。。

  

さて、本県にある100選の滝であるが、標準的に?3つある。最も有名なのが「東洋のナイアガラ」(本物に比べると「ちょっと待てぃ!怒られるぞ」と言いたくなるが)と言われる滝だ。だいぶ前に初めて訪れ、岩のくぼみに水が流れ落ちる不思議な姿に感心しここでも掲載した。かなり観光地化されていて訪れる観光客もかなり多い。川沿いを滝のすぐ近くまで歩いて行けるがやはり吸い込まれそうな気がして少し恐ろしかった。マイナスイオンはすごいものがあったように思う。パワースポットだと感じた。

  

八兵衛の退職に際し、大送別会の翌日に我々「お出掛け衆」は最後のパトロールに出向くことにした。雪に埋もれて改装工事がぎりぎり間に合わなかった施設の点検、さらに整備したばかりの箇所の点検などである。最近は急に気温が上がり、いきなり春爛漫なのだが県北エリアは未だに1メートル近くの積雪が残っている。天気がよいので眩しくて雪焼けしそうだ。。。
ひと通りの点検・パトロールを終えて、社用車は少し奥地にある結構有名と聞く名所に向かっている。八兵衛が言うには「日本の滝100選」ではないが「うらみの滝」という珍しいものだそうだ。
「来週から新天地だってぇのにそんなところ行って大丈夫なの・・・・?」ずばり「怨みの滝」だと思っていた私は自分は取り憑かれない自信はあったが、彼は生活がガラッと変わるときだから「悪いことが起きはしないか」と少し心配になった。八兵衛はきょとんとして「あー、裏から見る『裏見の滝』なんですよ」滝の裏側にも通路があって後ろから眺めることができるというのである。(実はナイアガラもそうだった)

幹線道路から少し細めの道に入って「裏見の滝4km」という看板を過ぎってしばらくすると突如ゆきが深くなって「この先通行不可」・・・・あっ、あれれ?こんなに雪残ってんのか・・・?!
足を踏み入れるとズボっと膝までめり込みそうな雪がはるか続いている。「さすがにここから4キロは無理だなー」残念ながら車をUターンさせざるを得なかった。気温はかなりあって気持ちいいんだけどねー。そろそろ昼食の時間になりつつあった。「昨日はしこたま飲んでスパークしたから、最後くらいゲテモノやめて全うなモノを食おうぜ」
我々は(毒)きのこ採りの名人、てらぴーに教わった彼曰く「絶品」というカツ丼(またか?!)を出す精肉店に向かった。駅の近くでJR職員ご用達というその店は「飲食店」としての看板はなく、あくまで表側は精肉店でしかない。言われなければ誰もわからない裏側の扉を開けると小さな飲食店になっていて、メニューがちゃんと置いてあるから裏家業ではないことがわかる。店内には芸能人の色紙なども結構貼ってあった。片岡鶴太郎さんのもあるぞ、この前の「タルタル・・・」でもあったよな。彼は何かこの地に由縁があるのかな。
ちなみに精肉店で出すカツ丼だからか肉は分厚くてジューシー、その上柔らかく、てらぴーの「絶品」というのもうなづけた。

      

さて、もう一つ現場を回って帰路に着く予定だったが、せっかく3人衆最後のお出掛けなのに、このまま帰ってはどうも悔しい。。。ニカウさんに続く新お出掛け衆最若手の「いっけい」が何やらスマホでサーチし始め、県に3つある100選滝の一つが比較的帰り道沿いにあることを発見した。
八兵衛が遠足で行ったことがある、というが運転手の地元デカさんも場所はよくわからぬらしい。社用車に付いているあてにならない古いカーナビと「いっけい」のスマホだけでは中々到達ルートが分からず、とうとう農家の前に車を停めて道を教えてもらうことにした。

「棚下不動滝というのはどのように行けばよろしいのでしょうか?」いきなり車から男が降りてきて道を尋ねたからおばさんは少し驚いたろうな。なるほど、大きな幹線道路が川の向こう側を走っているからこちら側の道路はほとんど通ることがない。デカさんもわからなかったはずだ。
教えてもらった通りの道を行くと、看板が現れて駐車場に到着したが、場内には巨大な落石があり「落石の危険がありますから、この先の展望スペースからご覧ください」というたて看板があった。。。ここは雄滝と雌滝があるが、雌滝は落石で近寄ることはできないらしい。雄滝に向かう前方の狭く険しい道は「入るな」とは書いてないが、「落石の危険があるので●●からご覧ください」という看板がまたしても置いてあった。デカさんは果敢にも構わず4WDの車を進めた。
「大丈夫?」「なーに、あんな大きな電柱が立っているということはかなりの重機が入ったはずですよ」
確かに険しい崖っぷちのカーブを越えると前方に普通トラックと作業用のショベルカーが動いていた。

     

滝よりもはるか麓に神社があり、長い階段で二つの赤い鳥居をくぐって上るとここも滝の裏に辿り着けるようだ。岩の切れ目から湧き水が流れ落ちている不思議な光景だ。あの滝は神に祀られていて打たれて身を清めることもできたそうだ。
ところが昨年の大地震の際に巨大な落石があって、階段を完全に塞いでしまい、滝裏まで行くことはできなくなってしまった。確かに我が家に新設したシェッドくらいの岩が二つの鳥居の間にドカドカーっときて階段を遮断してしまっている。
「あの岩は撤去不能ですね。もしもう一度滝裏へ行かせるとしたら、反対側から新たに開拓しないと・・・」

    

3.11の大地震ではほとんど被害らしいものは無かったこの県だが、こんなところに爪痕があったとは知らなかった。。。駐車場まで降りて雌滝を見るとほとんど水は流れず寂しい状態だ。
スティーブも地元の人間だから100選にはないがたくさんの滝を知っている。この県はホントに滝の宝庫のようだ。また調べてみると普通耳にするよりも妙な名前の滝が多いようだ。「うつぼの滝」「うらみの滝」「霧降の滝」「小中大滝」「殺人の滝」「線が滝」・・・・・滝というのは落差があるものだから、道路わきでちょっと見学というわけにもいかず、大体は歩いていかなければならないから、外出の合間にどこまで制覇できるか分からぬが滝巡りレポートというのもまた楽しそうだ。
ただし私はヘリなどの飛翔体は問題ないが「吊り橋」とか崖とか中途半端に高いところは全くダメだ。スティーブは逆にヘリは嫌いだが、妙に高いところは全然平気らしい・・・ぼちぼち察知されているから「いじわる」されないように気をつけなきゃなー。


さよなら八兵衛

2012-03-29 08:14:20 | 職場
「春はお別れの季節です」・・・おニャンコクラブの「じゃあね」(うーん、歳バレ?!)でもないが、退職、異動などで多くの人が我が職場を去る。職場のことを書いてもあまり興味は沸かないと思われるが、このサイトを最も賑わし最多登場回数を誇る八兵衛もその一人である。当初は「エイトマン」というニックネームだったが、その風貌からして(ごめんなさいっ!)最も適したものに改名したのだ。当社には37年勤務されいわゆる定年退職となるが人気者の彼のこと、関連業界の企業の幹部として新たに活躍することとなる。そのにこやかなキャラクターで、ある時は一大プロジェクトを推進し、ある時は雪深い渓谷で不可能を可能に、そして温泉・ゲテモノ・・・県内のことなら何でも来いの超兵(ツワモノ)で私が着任以来最もお世話になっている一人である。

施設の整備計画・設計などを司っていた彼は何事も現場でモノを見て触って判断するタイプで、県内の果てから果てまで惜しみなく調べて回った。私も外から来て管轄する者としてできるだけ実物を見て肌で感じるようと努めた結果、「お出掛け衆」として何かにつけて外出することが多かった。仕事の内容は機密上伏せておくが、その都度「これでもか!」と連れて行ってくれたお店、名所などは数え切れない。何故かいつも新品のタオルを持ち歩いていて(社用車に常備?)、帰りが遅くなって勤務時間が終了となると県内に何十とあるしなびた温泉に浸かってくることもあった。

最初に巨大カツ丼に挑戦した時も八兵衛と一緒で彼は見事玉砕していた。。。ご飯が大盛りで有名なモツ煮定食、一面のニラに一握りの生にんにくで「やられた」スタミナラーメン、キャベツ畑で有名な村でかなりピリ辛大盛りカルビラーメン、親指と同じ太さの極太固麺をだす田舎うどん・・・ガレットにやられた時、そしてタルタルソースカツ丼に首を傾げた時も八兵衛がいた。。。おそらく県外の者としては誰よりも手広くゲテモノをたくさん知っている私の経験は大半が八兵衛と過ごしたものと言ってよい。元々その手のモノが嫌いでないらしく、食べ物屋以外にも「世界最大の吊るし飾り」「恐竜の足跡」「古墳・遺跡」「こんにゃく作り体験」などあらゆる「ちょっと変わったモノ」に造詣が深い。(むろん自然の美しいところ、名所などもたくさん知っているが)

若い時はラグビー部でかなりならしたらしいし、場所柄スキーは指導者級の資格を持っているという。ゴルフも大好きで私の代わりに何度も大会に出てくれたし、休みの日はジョギングさえしているらしい。日帰り温泉のスタンプカードを何枚も持っていて、暇さえあればあちこち訪れるらしい。どこの施設のポイントが何曜日が倍になるのかぜーんぶ覚えているところがさすがだ・・・
私にとっては初めてだった10キロ県民マラソンに●年連続で出場している猛者だ。一昨年は勝手がわからない私と一緒に走ってくれるはずだったのに、スタートで谷川真理さんとハイタッチするために列に並んでいるうちに置き去りにされてしまった。私は奮起して後半怒涛の勢いでスパートをかまし、残り3キロ地点でペースを乱してよたついている八兵衛の肩を後ろから「ポン」と叩いて風のように抜き去った。そのことをかなり根に持っているらしく今でもマラソンになるとその話を持ち出される。地元新聞社が撮影するポイントを知っているのか知らずか、必ずと言ってよいほど写真にその八の字眉毛が写っているのが実に不思議だ・・・

大震災後は、県内に数十箇所あった避難所(県外からの避難者向け)の支援に必要な物資、精密機器などを瞬く間に整備し、あっと言う間に使ってもらえるようにして見せた。素晴らしいフットワークだった。あとから聞くと勝手知ったるスタンプカードの温泉施設も結構多かったという。
1ヶ月ほどだって避難所が閉鎖され始め、不要になった施設を撤去しに行くときも八兵衛はいそいそと出掛けて行った。「部下に任せりゃいいのに」とも思っていたのだが「ヘルメットの中にシャンプーと石鹸が入ってるんじゃないの?!」という冷かし笑いも出てきた。正直、私もついて行きたかったがホントに被災地の支援に忙しく、珍しく自分で時間を作れなかった。。。(当たり前か)

昨晩は八兵衛達退職される方々の部門を上げての大送別会だった。100人近い会となるがそれでも出席するのは管理職が中心である。全部出ると数100人に上ってしまい、会場に入りきらないから各々のセクションで別途お別れ会は行われているはずだ。ホントはセクションごとの小さな集まりのバカ話で盛り上がりたいのだが、立場上ひとつでも出席すると全部に顔を出さなければ筋が通らずきりがない。。。多年に渡る功労者の送別会、社を上げての管理者送別会、部門内の大送別会・・・ほぼすべてのイベントで何らかの挨拶をさせられるが、今回は「最初にしてくれぇ!」と頼み込んで冒頭の送辞にしてもらった。八兵衛なんか全部同じのに出席しているから同じ話ができないのが困ったところ。「あいつ・・・ネタ持ち回りしやがって・・・」と思われたくはない。

「みなさん、こんばんは。これまで締めの挨拶役ばかりだったんですが、今日はどうにもスパークしたくて最初に出番を持ってきてもらいました。ご勇退される方々、これまで本当にお疲れ様でした、またありがとうございました。何十年もこの会社で仕事をされてお辞めになる方のお話を何回か伺いましたが、『思い出すとあっという間だった』という方が多いです。私も最近そう思い始めましたが、何故そうなんだろうか?これは『これまで生きてきた年数比の違い』と私なりに理解しています。会社に入社したときは20歳そこそこ、つまその時の1年間はそれまで生きてきた年数の20分の1つまり5%です。しかし50歳になると同様に考えれば1年間の比率は2%になってしまう。30年前の2.5倍も1年を早く過ぎ去ると感じてしまうのではないか?と。しかし一人一人にとって長かったり短かったり感じる長さは異なりますが、1年間はやはり365日、途中休むことはあっても『途絶える』ことなく当社で仕事を続け本日を迎える皆様に心から敬意を表します。私はどちらかと言うと物事を運動論的にとらえてしまうので、こういった機会も通過点に過ぎず、次の場に臨まれる皆様に「これからもOBとして助けて欲しい」などと煩わせることはないように残りの皆で努力するつもりですが、何十年もこの事業に関わってきた経験やノウハウは皆様個人だけではなく、この分野全部の貴重な財産と思っておりますので、『どうもあいつら危なっかしくて見ておれん』」ということがあれば遠慮なく手を差し伸べてください。
今年度もあとわずか、卒業式シーズンはもう終わったようですが、少し前は街中を歩いていると『贈る言葉』が聞こえていました。今も歌ったりするんですね。私はほぼリアル『金八先生』世代なので何か本日「贈る言葉」はないか考えていました。まさかこれから次のステージで活躍されようという方々に「足元には気をつけな!」とも言えませんから・・・違う言葉を選びました。
『may the force be with you』というフレーズをご存知でしょうか?先日「スターウォーズ(エピソード1)」の3D映画を初めて見たんです。戦いに行く仲間に「フォースと共にあらんことを」とジェダイの騎士が口にする言葉です。いつも映画からのパクリですみません。。。。映画の中で使われる意味合いは異なると思いますが、私はあの言葉をこう考えています。『これから何をするにも意志のあるところに道が開ける」と。皆様のこれまでのご功績に感謝し、皆様を支えたご家族に感謝し、そしてこれからの皆様が『フォースと共にあらんことを』祈念して、ご挨拶とさせていただきます。今までありがとうございました」

八兵衛のように明るく職場のムードメーカーとして誰からも愛され、心から惜しまれて職場を去っていく人は羨ましいしかくありたいものだと思う。退職者への発令や感謝状を読み上げながら、いずれ自分が辞める時(たぶん定年退職ではない気がする)を考えていたが、どうもピンと来るシーンを思い浮かべることができなかった。我ながら情の薄いことにそれこそ通過点としてさっさと切り上げるような気がする。「淡きこと水のごとく一本締めで・・・」
八兵衛さん、お世話になりました。一緒に県内の隅々まで走り回ったこと、決して忘れません。今年も県民マラソン一緒に走って温泉行きましょうねー。さよなら。

干物道

2012-03-24 19:44:17 | 食べ物
日曜日は早朝竜泉寺の後、近くの片瀬漁港直売場に足を運ぶのがほぼ習慣化してきている。9時から直売が始まり昼前にはほぼ売り切れてしまう。毎月、第一日曜日は本格的な漁港の朝市として魚介以外に野菜や果物なども並ぶが、その分来場者も多く買い物用のカゴを渡される順番がくるまで1時間近く並ぶことになる。並んでいる間にどんな商品が出ているのか偵察するのは自由だから、超兵器片手に見に行くだけでも十分楽しい。また並んで待っている人達に獲れたての活き魚を捌いて振舞ってくれるのが楽しみだ。昨年10月に頂いた鯵のたたきはこれまでのベスト3に入る超美味だった。春分の日は気温は低いものの久々に快晴で、祝日ながら妻と漁港産直へ向かうことにした。写真は先週のものだが、さっきまで泳いでいた「光るヤリイカ」「小ぶりだが肝ぴっちりのカワハギ」「箸でつまんでもピンと横になるヒコイワシ」である。これら活き魚を楽しむのも目的にはあったが、もう一つは待望の「干物作り」に挑戦である。気温は低いが我が家は日当たりだけはいいので太陽さえ出ていれば部屋の中は暖房要らず、日没まで晴れていれば十分庭で干物を作ることができそうだ。

   

その日の獲物は大きなスズキ、ヒラメ、ホウボウにカワハギ、ウマヅラなどが水槽に泳ぎ、真鯛、ハナ鯛、スミイカ、ヤリイカ、マルアジ、サバなどがところ狭しと並んでいる。我が家お気に入りのイタリアン、腰越の「ロアジ」のマスターや樽寿司の主人なども大きなタモを持って水槽の魚を追っている。料理屋などは朝早くから並んで場所を獲りその日の一番の目玉をだいたいGETしていく-。社用の冷蔵車で乗り付け大型BOX何個分も仕入れて行く業者もある。彼らも業者だからと言って優遇されているわけでもなく、ちゃんと一般と同じように並んで活魚を仕入れて行くのだが、やはり我々は本業にはなるべく譲るようにしている。妻と列に並んで待っているとロアジのマスターは早々と仕入れを終え、大きなビニール袋を下げて戻ってきた。「今日はホウボウの大きいのが上がってますよ。一番大きいので5000円くらいするかなー」7~80センチくらいあるという。「ご家族用に小さいのもたくさんありましたからねー。あとカワハギもいいのがあったよー。大きいのは売り切れちゃったけど」
私はもう一度超兵器203号を首からぶら下げて偵察に向かった。なーるほど、見たこともないほどでかいホウボウが浮かんでいるぞ。スズキもたくさんいるなー。

      

我々は1杯だけ残った小さなヤリイカと水槽のカワハギ、活け締めのホウボウをカゴに入れた。カワハギの箱には私がこれまでに釣ったどれよりも大きなメジナが1匹、後ろのおじさんが購入していた。
うーむ。一度でいいからこんな大物を釣り上げてみたいものだ。私は箱の中にわずか3匹残るマルアジを発見し、すかさずサバと同時にカゴに放り込んだ。むろん帰宅して干物作りに初挑戦するためである。(ちなみに会計の際に1匹小さなサバが混じっていることに気付き、戻してもらった)

      

持ち帰った魚は十分過ぎるほど新鮮なのだ(当たり前か)が、更に美味しく食べるために晩御飯までに夜まで冷蔵庫に入れることはせずに、帰宅してすぐに妻が捌き始めた。いつもながら見事なものだと思う。と言っても他に下ろすのを見たことがないから、もっとすごい人がたくさんいるのは間違いないが、私にとってはこれで十分である。粗方捌き終わるまでに私はネットで色々と「干物の作り方」について調べていた。実にたくさんのサイトがあったが、何となく標準っぽく見えたアジ、サバのレシピを採用することにした。

まず「漬け汁」作りである。お友達からもらってきた発泡スチロール箱を用意した。何々?水1リットルに対し塩を30~100グラム?ずいぶん幅があるんだなー。サバがかなり大きいから大き目の箱を用意したが、1リットルでは水深が足りず全部浸からないので、ペットボトルのミネラルウォーターを2リットル丸々使い、大さじ7杯の食塩をぶち込んだ。レシピには輸入自然塩とか自然海塩他ニガリの効能など色々な裏技が紹介されていた。他に酒、みりん、味の素などすべてお好みでといういい加減さ。。。とりあえず適当に入れてみた。「魚の状態や気温、日光、塩加減などによって全て異なります。試行錯誤を繰り返してみてください」というコメントが気に入った。自分なりのレシピを作り上げればよいということだな。(このいい加減さは我ながら理系とかけ離れていると思う)
全部の材料を入れて念入りにかき混ぜて少しねっとりした正直気味の悪い液体が完成した。。。

  

次は「魚を開く」ことだが、結論から言うと苦戦というより諦めて妻にお願いした。。。刺身にするため3枚に下ろすことはできるのだが、腹からかっ捌いて頭も真っ二つにする「開き」工法はどうやってもうまく行かなかった。しまいには自分に向けて包丁の刃をすっとばす羽目になり、すごすごと妻が開くのを横で見ていた。頭を落とさず背中の皮一枚残して開くなんて芸当は相当練習が必要だ・・・

  

私がやりかけた背中まで刃が通ってしまったアジも含めて3枚、さっき作った妙な液体にしっかり漬けこんだ。漬ける時間を調べると数十分から半日、また一晩と一定しない。また干す時間も同様に千差万別であったので、晩御飯に焼いて家族で食う時間から逆算し、漬け時間は1時間、干す時間は日没までの約6時間とした。

  

太陽光パネル発電のようにバーベキュー用の金網を太陽に向け、頭を下にしたほうがよいと書いてあったのでしっぽを洗濯バサミで挟み込んでセットした。日照時間は問題ないだろう。そのままにしておくとたぶんネコやカラス(まさかハクビシンはないだろう)の攻撃を確実に受けるから、前側もネットで覆い横を洗濯バサミで再び止めた。

    

こうして後は干物として出来上がるのを待つばかり・・・午後から引っ越しのために色々な家財をいただけるというお友達の家を訪ねることになるのである。「どうも心配だなー。ウチにはネコ除け超音波ないしなー。カラスだってオレのバッグから財布だけクチバシで取り出したくらい利口だしなー」「アナタは『干す』ということをしたかったわけね」結局干物の元は自分が捌くことになった妻が皮肉っぽく言った。帰宅すると午後6時近く薄暗くなっていたが、作品は無事に出来上がっていたようだった。

  

焼き上げてもらうと姿だけはちゃんとした干物のように見える。何かと味にうるさい息子甘辛も「うめえじゃんか!」と箸をつついていた。私としてもそこそこの味だとは思ったのだが、どうも何か脂のノリが少し足りないようだ。これは素材の問題かな。また味の沁み方がもう一つ足りないようで、醤油をたらして丁度よいくらいだった。つまり単なる焼き魚と比較的近かったわけである。
まあ、初めてにしてはいいところだろう・・・魚の捌きも覚えなければならないな。また塩や調味料、漬け汁の濃度、漬け時間、干す時間・・・組み合わせでいくと無限に近いパターンが存在してしまう。。。
次にやってみようと考えているのは、「にがりとして海水を使う」という作戦である。漬け汁に海水をそのまま使うのは雑菌が多くてよろしくないと小夏師匠の御教えだ。しかし「にがり程度」なら丁度よいのではないか?と考えたわけだ。これから漁港へ買い物に行く時は必ず干物作製用の魚を購入してこよう。あっと驚くオリジナル傑作を目指し、深き干物道を歩むことにしたのである。

  

梅の花

2012-03-20 21:42:29 | 旅行お出かけ
ずばり!梅の樹海である。たぶん私の知っている中ではここの梅林が最もすごい。国府津にある「曽我梅林」という所だ。両親もそうだったがなぜか我が家は「桜」よりも「梅」の方が好きなのだ。先日まで我が家には大きな梅の木が4本もあり(今は小さな木が1本)、2~3月は満開に咲き誇り中々見事な眺めだった。父親が「実のなる木は落ちたときが煩わしい」、母親が「桜の木には虫がつくから」という実に合理的な考えで実家に桜も梅も無かった。
シーズンになると両親を連れて、よく梅林・梅園巡りをしたものだが、一番よく足を運んだのはやはり熱海梅園だ。谷間のようなところにある独特の雰囲気の庭園で奥の方に裏に入ることのできる滝がある。梅園祭りは多いに賑わい、特設ステージではあまり知らない演歌歌手の営業やのど自慢大会などが行われる。この辺ではかなり有名なところだが梅の木はそれほど多くない(せいぜい数百本?!)。駐車場が小さくとにかく混雑する。そして(たまたまそういう時ばかりなのかもしれないが)谷あいで北風の通り道になっているからか、いつ行っても恐ろしく寒い・・・寒がりの父親はそのうち「熱海は寒いからなー」とあまり行きたがらなくなった。

その手前にある湯河原梅林は山麓にあり、ほとんど訪れたことはないが数千本単位で見事に咲き乱れる。祭り中は梅林のライトアップや舞台演奏、かわり雛、アロマ作り体験などもできるようだ。
三渓園も本数は少ないが、庭園としては見事で紅梅・白梅をはじめ竜が地を這うような樹形の「臥竜梅」や 上海市から寄贈された花弁を支える部分が緑の「緑萼梅(りょくがくばい)」は珍しく一見の価値があり、父親はたいそう気に入っていた。三渓園はホタルのシーズンにも「夕げの会」があり、一昨年訪れたときに生まれて初めて「ホタルの光」というものを見た。その他小田原フラワーガーデンや田浦梅の里とかよみうりランド、私の通ったキャンパスの近くの「こどもの国」も梅の名所であるようだ。桜が見られる公園は市内にもあちこちにあるが、梅の木が何百本もある場所はなかなかないから人気があるのかなー。

しかし何と言っても我が家のメイン梅林は国府津ICから向かう「曽我梅林」である。最初父親は知らず、母がどこからか聞きつけてきた。私も聞いたことが無かったので数十年前に「行きたい」と言われた時は運転手代わりくらいしか考えず、ほとんど期待もしていなかった。しかし実家から車で30~40分くらいのその梅林を初めて訪れたときは、正直度肝を抜かれた。
見渡す限り梅の花・・・まるで樹海又は雲海である。その数35000本!白梅・紅梅、赤い梅など色々な種類の梅が咲き乱れ1ヶ月ほどは楽しめる。通常は民間の農地であるらしく、農作業を行っているシーズンは農道沿いに鑑賞はできるが、中に入っていくことはできない。山麓など傾斜地ではなく平原にあるから展望台や上空など上から眺めたらものすごい光景だと思われる。また天気がよいときは西側の山なみに富士山が白い頭を浮かべている。私にとっては「今まで知らなかったが、こんなものすごいところがなぜあまり有名でないのだろう?」と思える、「土浦花火競技大会」と並ぶイベントだ。

        

今年は実に寒かったからか梅の開花時期がやたらに遅れ、実は満開に近い見頃は今頃なのである。これまで登場したどの梅園・梅林も1月末くらいから2月下旬、また3月初頭くらいまでですべての梅まつりは終わってしまった。たしかに2月中旬くらいに母と道了尊を訪れたときに一度曽我に足を運んだのだが、梅まつりは真っ最中でイベント盛りだくさんなのに肝心の梅の花はぱっと見数百本に一本。わずかに数個花を咲かせている程度だった。。。さすがにあれでは見物客は現れないだろう、祭りの日程を1週間延長したのだがやはり満開時には合わなかった。3月に入っても気温は中々上がらず、また週末は天気にも恵まれず今年は半分諦めていたところだが、ようやく春分の日になって天候にも恵まれ、ゲリラ的に車を走らせたのである。朝一では雲も多く待望の富士山も見えなかったが、夢のような梅の花の雲海につかることができた。祭りはとっくに終わっていて店もやっておらず、音楽もない。入り組んだ農道に車をゆっくり走らせ、ポツポツ見物する人を避けながら少し寂しげだが、かなり贅沢な空間と時間を過ごしたのである。

        

1時間ほど堪能した後、相模国府祭六社の一つ「六所神社」へ向かった。あまり大きな境内ではなかったが、格式が高そうなことはそのパワーから何となく分かった。相模の国では一之宮が寒川神社、二之宮が川匂、三が比々田、四が前鳥、平塚八幡宮に六所神社が六社である。「まるち」さんから仰っていた毎年5月5日に神社の神様が集まる、というのはこのことだったのか。同じ神奈川に住んでいながら今まで知らなかったとは恥ずかしいことだ。今度、もらってきたパンフレットに沿って相模国府祭六社巡りに行ってみよう。。。

        

世界一のカツ丼

2012-03-18 08:13:08 | 食べ物
「お店の料理だけを話題にする」ということは今まで無かったと思うのだが・・・県北東部にスティーブが偶然見つけたという店に行くことになった。狙いはただ一つ、「世界一のカツ丼」に挑戦するためである。周辺地域はなぜかトンカツ屋がやたら多いところで、何軒か「美味しい」という店に入ったことはあった。「馬鹿旨」というトマトラーメンをはじめとするゲテモノで有名なラーメン屋もこの道沿いにある。その店は今まで何度も前を行ったり来たり通り過ぎたのに名前くらいしか知らなかった。メニューにそのような「ゲテモノ王」があるとは看板などでは宣伝していなかったのである。「お箸で切ることができるトンカツ」という看板を見て試しに入ってみたスティーブ達が発見したという。。。
単品のカツ丼でさえ普通の大盛り以上のボリュームを誇り840円、値段だけで言えば世界一のカツ丼は8400円だから10人前に相当する。しかし推定使用米量1升以上、味噌汁4リットルにほぼ同量のキャベツだから間違いなく値段以上の量はあるだろう。

「関連会社にも兵隊出してもらいますから、挑戦しましょうよー。とにかくすごいですよ!」スティーブはやる気満々だった。その週は久々に「夜の部」が全くなく、私はスポーツクラブの「スロー・ヨーガ」と3月になって課題曲が「きゃりーぱみゅぱみゅ」になったJ・POPダンスに明け暮れる「デトックスウィーク」と位置づけていたのだが、どうにも好奇心に勝てなかった・・・
近くの現場で「謎の現象」が起きているので見て欲しいというリクエストと午後からの拠点マネジメント会議のスケジュールを調整し、昼飯に乗り込むことになったのである。
10人で取り掛かれば一人当たりの分担は1合ちょっと、まあ体調を整えておけば何とかなるな・・・たぶんあまり味は期待できないが話のタネとしては楽しみにしていた。前夜、私は季節的なイベントで待機仕事があったのだが、さっさと時間になったら出かけて「シェイプ・ボクシング」で汗を流す予定だった。ところが同じ待機組だったスティーブに捕まったのが間違いの元だった。
ちゃっかり近所のデパ地下で餃子やコロッケなどを買い込み、「ちょっと軽く行きませんか?」と悪魔の囁きだ・・・職場での待機だから隅っこで相撲を見ながらちびちび始めたのだった。
最初から何となく予想はできていたのだが、気が付いたら一緒にいたグッチーも帰り、隊長も帰宅してスティーブと二人で浴びるほど日本酒を飲んでいた。「明日、世界一だから軽めにしようねー」と言っていたのに・・・

翌日、スティーブはけろっとしていたが(サシでなんか飲むんじゃなかった・・・)、私は絶不調で出社するだけでやっとの思いだった。
現場調査のため朝10時くらいが出発予定だったが「すいやせーん。無理かもしれらいっす・・・オレいないと完食できねえかなー」頭を抱えていた。スティーブは一瞬寂しそうな顔をしたが「大丈夫ですよ。12人集めましたから」作業着に着替えてヘルメットを小脇に抱え部屋を出て行った。
私は覚悟を決め「待てぃ!オレも行く!」(こんなチャンスを逃したら次はいつになるかわからぬ)慌てて着替え階段を駆け降りた。
県北部は太陽が出ているのに小雪が舞っている氷点下の気温で、冷風に当たって二日酔を覚ますにはちょうどよい。現場調査を終えて作業場を撤収したのがちょうど正午くらい、昨年から関連会社側に転職した「きのこ王」テラピーが予約を確認し、11名で件の店に向かうことになった。
車で走ること約15分、到着して店内に入ると予約席として既に巨大なお椀がテーブルに並んでいた。人数分ある大きめのお椀はたぶん取り分けて食べるための器だろう。皆で巨大椀を囲んで箸をつつくわけにはいかないからな。中央にとりわけ大きな椀が置いてあった。

  

「これか・・・さすがにすげえな。」とは言ったものの、内心(11名で食えば大したことなさそうだ)と思って蓋を開けてみると、なんとぎっしり詰まったキャベセンの塊り!「これ全部キャベツか!」なるへそ、真打はまだってことだな。
席に着いてから出てきたのが、4リットル以上はあろうかという超巨大味噌汁・・・一人一人の器もでかいから、全部に配り終えてもラーメンスープくらいの量はありそうだ。

    

前日にわざわざやってきて、ノーマルカツ丼を食べ敵前視察してきたというテラピーは「カツが足りないかもしれないから2,3枚追加しとく?」(何を言ってやらがるんだ?このオヤジは?)
「若いモン」とスティーブは言っていたのに、見た目私より若いのは10人のうち二人しかいない。それも体格と年齢から3人前を期待されていたたかぴょんは前日の深酒が祟って私同様「戦力外宣言」。。。回復の遅延度から言って実物見ただけで調子悪くなっちゃうかもなー。

やがてカツ丼「世界一」が恭しくおばさんによって運ばれてきた。そして店じゅうのお客さんが珍しがってカメラを持ち出し、写真を撮りに寄って来たのである。むろん我々もカメラ片手に色々な角度で「世界最大」と言われるカツ丼を撮りまくっていた。最初に超巨大椀を持たせてもらったから、みんなが私の姿を写真に収めることになってしまった。。。「しまった!」と思ったときはもう遅かった。めいめい席について取り分けが始まったときに「米粒ひとつ残すなよ!社名が背中に入っちゃってるんだからな。『アイツら残して行きやがった』と言われるとちょっと調子悪いぜ」
まじまじと巨大椀の中を見つめると「んっ?」と思った。テラピーの言う通りご飯は一升以上もあろうか、対照的に巨大カツが乗っているが4枚だけ。。。分厚い肉だからボリュームはあるが、巨大丼をカツで埋め尽くしているわけではなくところどころに隙間があり、カツは一人当たりにすると2切れくらいになってしまうのである。

    

私に回ってきた丼は「ちょっとご飯が多いかなー」というくらいの盛りだったのだが、隊長は「どう見てもオレの器にご飯多すぎだろ?!」とぶーぶー言い出したし、しもやんに至ってはカツが無くなってしまったために卵とじカツの煮汁丼という世にも寂しいスタイルになってしまった。。。
我々は慌てて特大カツ煮をもう2枚追加することになる。どうも取り分け係りが二人いて、他社のこばさんの盛りは普通なのだが、たかぴょんの盛る丼は無茶苦茶にご飯が多くなっているらしい。
「アイツ、自分が調子悪くて食えねえからって、人にご飯ばかりよそいやがって・・・」隊長はまだぶつぶつ怒っていた。肝心の味そのものだが、中々のものだ。肉はジューシーで確かに「箸て切れる」ほど柔らかく上品だ。

早々と「戦力外宣言」した私だが、いざとなると意外に食べられて器が空っぽに近くなってきた。(丁度一人前分くらいの量だろうか)そーっと巨大丼をのぞくとあと三分の一くらい残っている。。。まずいな・・・誰よりも先に御代わりなんかしてしまったら「あの人は戦力だ!」ということで「これでもか」と盛られてしまう恐れがある。意外にも悩ましかったのが取り分け用大型丼の蓋にノルマとして山のように盛られたキャベセンで、生野菜を普段あまり食べない私にとってはこちらの方が拷問に近かった。ドレッシングも食堂にある安っぽいフレンチの1種類しかないし・・・
カツ丼側の丼を少し残しておいて、よく見るとかなり切り方も荒っぽく、人参やピーマンも微妙に混じっているデトックス料理のようなキャベセンに取り掛かった。
本体よりも苦戦を強いられていると、一番若い者が御代わりをし始め、カツ煮汁丼を食っていたしもやんにも新しいカツとおまけにご飯も優先的に盛り、どうやら終着駅が見えてきた。しもやんは意外にも大盛り野郎だったのだが、概してそこにいたメンバは年齢の割りには大喰らいが多かったから皆が御代わりしだして、もう少しで完食というところに漕ぎ着けた。私も「じゃあ、オレも少しだけ御代わりね。目一杯盛っちゃやだよ」

      

こうして見事に跡形も無く平らげることになるのである。11人で臨むと一人当たりにすれば大盛りカツ丼一杯分くらいか?以前八兵衛が撃沈した巨大カツ丼に比べれば大したことないな。(つまり何人で完食するかが大事だ)
翌日、昼食を共にしている同僚に「昨日、『世界一のカツ丼』食べたんだよ。すげえヤツでさー」と話してみたら「あー、それI勢崎のD松食堂でしょ?有名なんですよ」「えっ?・・・・・他にもあるの・・・?」
味自体も結構よいものだが、食については内心ゲテモノ王国と思っているこのエリアには他にもその名の通りのものがたくさんある。D松食堂では普通の丼だが人の頭と同じくらいの高密度ご飯が盛られている特盛りカツ丼があるというし、同じ市内にチェーン店を出したというラーメンK生のスタミナラーメンはスティーブも玉砕した。マンション近くの環状線沿いには八兵衛が撃沈したという巨大野菜ラーメン・・・駅前に洗面器サイズのソース焼きそばを出す店があると聞く。いずれ全て制覇することになろうが、自分がデトックスとはどんどん離れて行ってしまうようで心配だ。

予備自衛官への道

2012-03-16 08:52:20 | 職場
防衛省地方協力本部の事務官が訪れた。もちろん別に例の訓練以外に軍関係の特別なつながりがあるわけではない。。。スケジュールには「挨拶」と書いてあっただけだが、「予備自衛官室長」という名刺を差し出された時に、何をしにいらしたのかさっぱり分からなかった。今度も何かに乗せてくれるのか(いつもこんなことばかり考えてるわけじゃないよ)とも思ったが、いかにもそういうセクションではない。住所も普通の街中で、駐屯地にいるわけでもなさそうだ。
周囲に聞くと(そう言えば聞いたことがあるが)、我がセクションに「予備自衛官」なる身分の若者がいるという。

「闇の軍隊」とかいうものではなく、全く合法的な制度なのだが、会社員は一般的に企業側が特別休暇等を設けていないのが普通なので有給を使うことになる。我が社はその辺り何となく大らかで、休暇など全然取れるのだが、企業によっては「内緒」でこの制度に志願した者とトラブルになったりするので、何かの機会に出向いて詳しく説明し「理解」を得よう、というもののようである。
「自衛隊の人が職場に来る」と聞いたので、基地でお会いした司令官のように迷彩服で「ロシアンビスケット」でもお土産に持ってきてくれるのかと思っていたら、普通のサラリーマンのような方々だった。

応接室で名刺交換するとその事務官は、なぜこのような制度が存在するのか丁寧に説明を始めてくれた。防衛白書によると我が国は主要国の中で正規軍に対して予備兵力が圧倒的に少ないそうだ。正規軍(ここでは自衛隊のこと)自体も必要最小限の防衛力(常備自衛官)で対応しているため、他国に比べてかなり少ない。徴兵制のある国は一旦徴兵された者を予備兵力として登録してしまえば、数的には事欠かないことになるが我が国はそうはいかない。。。ということで、予備自衛官制度は知っている人が意外に少ない割には国家防衛の重要な柱の一つだというのだ。

予備自衛官は普段は社会人としてそれぞれの職業に従事し、企業などの一員として勤務しつつ、年間5日間の訓練に参加する。いざという時は、自衛官として我が国の防衛等に貢献してもらう。また災害召集等で社会に貢献することになっている、そう言えば件の社員も訓練などで1週間くらい休むときがあると聞いた。また、東日本大震災後の復旧作業やその他被災地支援活動のため、予備自衛官が発令書によって召集されるシーンをニュースで見たことがある。
「うちのモンは何で大震災後呼ばれなかったんでしょうねえ。結構デキるヤツなんですが・・・・」室長は苦笑いしながら「招集させてもらうかどうかは個人の職業とか技能、事情などを考慮するんです。貴社の場合、業務そのものに被災地支援もあるようですから・・・」
なーるへそ。そっちに支障があってはいけない、と気を使ってくれたんだな。確かに彼を支援に派遣したので、その気遣いは功を奏したわけだ。。。

予備自衛官の手当ては月額4000円で年間48000円、これに訓練召集手当てが日額8100円×5日=40500円。つまり1年で総額88500円・・・・これはおいしいじゃないか?どこぞの国が攻めて来ない限りは訓練以外に出番なし、月額手当てを受け取るのは訓練に参加することが条件らしいが、5日間の「デトックス」があると思えばかなりの稼ぎだ。
「その訓練ってのはどんなことをやるものなんですか?」半分くらい志願する気になっていた私は身を乗り出して詳しく聞きだした。
1日目は着隊式と健康診断、2日目は体育訓練に基本教練、3日目は射撃検定に武器整備、4日目は特技に応じて野外勤務、5日目は精神教育・・・・

「で?、体力検定とはどういうことを測定されるんでしょうか?」7割くらいその気になっていた私はさらに乗り出した。。。
測定は全部で6項目、反復横飛び、垂直飛び、握力、じぐざぐドリブル、体前屈、1500m急歩でどれも測定結果によって最高点が20点、1点刻みで最低が1点。最高点はそれぞれ、50回以上、61cm以上、59kg以上、14.0秒以下、24cm以上、9分20秒以下・・・
「じぐざぐドリブル」と「急歩」というのは測ったことがないが、ドリブルなど得意中の得意、急歩がいければ全項目18点以上を誇る自信があるからたぶん楽勝でパスだろう。。。(ずーっと維持できるかは別だが)

「ふんふんそれで?応募の資格と試験などの内容は?」一応、我が社の社員にも紹介しようか、という建前であったが、八兵衛などは「この人、完全に志願する気になってるな」と鋭く見抜いていた。(武器はともかく野外訓練ってどんなことするんだろう?)とまで考えていた私は採用資格を聞いてがっかりすることになる。
まず一般の採用は18歳以上34歳未満・・・ざーんねん、はるかに超えてしまってるなー。。。技能による採用は55歳くらいまでOKだが、主な区分が医療、語学、情報処理、通信(無線)、電気、建設、整備などで、関連しないこともないが、微妙に国家資格は持っていない。ちなみに語学のレベルは分からぬが対象は英語、ロシア語、中国語、韓国語・・・なーるへそ、国防だからなー。。。

情報処理あたりならその気になれば今からでも資格取得できるかもしれないが、任官のために2年以内に受けなければならない、という教育訓練を見てめげた・・・
個人レベルの格闘、リぺリング(道路補修など)、手榴弾投擲、班レベルの市街地戦闘、特科砲装填、小隊レベルの山地機動、防御陣地、最後に中隊レベルのヘリ部隊、防災訓練である。
毎年参加しなければならない、という5日間訓練とはレベルも内容もとんでもなくハイクラスな「特殊エージェント養成」のようなものだ。各訓練は連続で参加しなければならないという。。。こりゃー、とても無理だなー。
「今年の若いヤツこういうの進んで志願する気しない?特に女性は元気いいぞ」ハタ坊が企画した若手の業務改善会で「優勝者の景品はch-47搭乗」と言ったら歓喜した連中だ。。。新入社員に体験入隊させる企業もあるというから、人材育成という面でも悪いことではないが、どちらかと言うとそちらは「広報部」の仕事でこちらはあくまで「自衛官」らしく、人材不足でいくらでも募集というわけではないそうだ。

「予備自衛官制度というのはあまり名前は普及していませんが歴史は古く、1954年まで遡るんですよ。」「へーえ、じゃあ、自衛隊発足と同時くらいじゃないですか?」「ええ、よくご存知で・・・」
私の義理の叔父に防衛大を卒業して防衛庁幹部まで行った人がいる。その方のご子息が数十年前大学受験を向かえたときに「北海道大学」だけは決して志望を許さなかったそうだ。理由は「いつソ連が侵攻してくるかわからないから」。結果彼は東北大学に進学することになる。(それも大したものだが)
パンフレットでは迷彩服に包まれて顔に墨を塗り、草むらに匍匐して自動小銃を構える姿には正直かなり抵抗を感じるが、防衛白書によると「テポドン」の国は公称数だけで正規軍は日本の約5倍、予備軍に至っては100倍以上の開きがある。
世界有数の軍備を誇りながら国防ポリシーの大半は米国に依存してきた我が国もいい加減「平和ボケ」と言われないように周囲を直視しなければいけないかもなー。

その防衛事務官は最後のページをほぼ読み上げた。
「予備自衛官制度を円滑に運営するためには。企業等の皆様のご理解とご協力が不可欠です。国家防衛のために、あるいは地域社会のために、予備自衛官等が安んじて召集(教育)訓練に出頭できるようご配慮の程よろしくお願い致します。」
「えー、えーもう、いくらでも配慮しますから存分に鍛えてやってくださいよ・・・」にわか志願の夢をわずか30分で絶たれてしまった私は苦笑いしながら答えたのだった。

    

その日我々は

2012-03-12 15:42:40 | 職場
マグニチュード9.0の大震災から1年。昨日は日本中が色々な意味で1年前を思い出していた。テレビ番組はほとんど全てが何らかのスタイルで震災を取り上げ、発生直後の息をのむ映像が繰り返し放映されていた。あの経験を風化させないために色々と思い起こすことは大事だが、この機会に「次に備えて訓練する」という声をあまり聞かなかったのが少し不思議に感じる。以前から企画していだのだが、我々は職場をあげて「大規模災害対策訓練」を行った。日曜日の午後、つまり職場に誰もおらず、なおかつリーダは私も含めて県外者ばかりですぐには駆けつけられないときに、補助要員だけで初動の体制を立ち上げる、というものである。

思えば1年前、大地震発生のとき私は車内にいて道路上を通行中だった。「んっ?」と思った次の瞬間には道路端の電柱がすごい勢いで右に左に振れ始め、ケーブル類が大縄跳びのように回転していたのを覚えている。「ちょっと車から離れて様子を見ましょう」道路脇の駐車場に停車させてもらい、後ろの赤い車に乗っていた女性は恐怖で腰を抜かしてしまっていたため、同じところに誘導して車から助け出した。
「こりゃーすげえ地震だったな。すぐに繋がりにくくなるから今のうちにあちこち連絡しておこう」と携帯を取り出したら、いきなり息子甘辛からの着信があった。
「オレ、ちょうど学校から帰ってきたところなんだけど、すげー揺れたぜ」「怪我はないか?家とか中の物は壊れたりしていないか?」「うん、仮面ライダー(フィギュア)1号が落っこちて足が折れた」「余震があるかもしれないから、気を付けてやばいと思ったらすぐに逃げろ」
私は心の中で(でかした!甘辛)と手を叩いていた。その後ほとんど携帯は使えなくなってしまったからである。

通行中の車両はのろのろ動き始め、とりあえず駅まで辿り着くも、路線はもちうろん全線運転見送り中。駅のコンコースには人があふれ時折やってくる余震に悲鳴が上がっていた。商店街へのガラス扉が割れ、水道パイプが外れたのか天井から水がざばざば落ちていた。改札口付近に取り付けられていたテレビ画面に人が群がっていたが、遠目からは何が写っているのかよくわからなかった。黒い濁流が畑を飲み込んでいるシーンである。しばらく様子を見ていたが「こんなひどい状況だと鉄道は動かないだろう。バスやタクシーも長蛇の列で移動できるとしてもたかが知れている」と私は駅一つ分歩いて、我が社の中央オペレーションセンターへ合流することにした。

平日であってもこういうことが起きるんだから、休日の訓練は後手に回りがちだから少し力を入れることになったのだ。約1ヶ月前には本格的な規模の訓練の前にそのリハーサルのようなことを行った。
初めて経験する補助要員も多かったから係の人から色々と想定される状況が説明された。

「訓練は半分ブラインドで行います。・・・・・まずわかっている状況だけお渡ししますので、各班責務に従って情報収集してください。なお総括責任者(私のこと)も本部長もいらっしゃいません・・・」
訓練開始にあたり一言挨拶をと言われて苦笑いしながら「皆さんお疲れ様です。本番の時もいませんでしたが、今回もいないことになっている磯辺です・・・」
その日は午後数時間だったが、狭い災害対策室に30人近い要員がひしめき合い右往左往することになる。

あの時の反省を活かし、かつIT装備も進めてより大規模に綿密に進めたのが3月11日(日)の大規模災害対策訓練である。日曜日ということもあって私は湘南の自宅から駆けつけるため、またしても「その場にいない」ことになっており、指揮官としての出番はほとんどない設定となっている。(なんか肝心の時にはいつもいないような気がする)
「午前11時46分、●●南側山麓を中心にマグニチュード7.3の地震が発生、電気、水道他ライフラインは大きな被害にあって怪我人多数、県庁に災害対策本部が設置された。本部要員はただちに決められた部署に参集すべし」昼前に非常連絡用メールが予定通り全本部員に流れた。

新幹線は全然停止、在来線は首都圏は動いているが県内には入れないので途中からタクシー(実際は使わないけど)という想定だ。私は予定通り湘南新宿ラインに乗り込んだ。
30分後「ようやく連絡がついた」という想定で、車内から災害時優先設定の携帯から災害対策電話会議に割り込んで報告を促す。電話の向こうでは各班が発生1時間後の状況、措置などを報告してくることになる。色々と言いたくなるが、電車内であれこれ長話できないし隣りの乗客も「何やってんの?この人」みたいな顔をしているので、グリーン車に移ることにした。
途中、快速運転なのに通過するはずの駅に停車してしまい「ただ今、●●・・・・●●で緊急停車しています・・・」はぁ?そんなアクシデント誰も頼んでないのに。。。慌てて電話会議に割り込み「これ、オフレコでいいんだけど、恵比寿でホントに電車が止まっちゃって、到着時間ははっきりわかりませーん」

緊急時、社内への広域支援他各種要請などは責任者不在の場合はその場にいた人が行ってよいことになっているから、いちいち伺いをたてる必要はないのだが、「なーるへそ、こうなっちゃうのね」というのがよくわかる貴重な経験だった。
そして14時40分過ぎ・・・一旦訓練は中断された。テレビの式典に合わせて黙祷するためである。私もグリーン車のデッキで1分間頭を下げた。「獣のように傷が早く治りますように」
タクシーで乗り付けた(ことにして実は駅から歩いた)私は、大型スクリーンと各種報道が映し出せるよう装備が進んだ災害対策室に入るなり、思ったのは「こりゃー、空気洗浄機が足りねえな・・・」
部屋は活気に包まれ、ホワイトボードには時系列ごとの情報がびっしり、大テーブルの上にはあちこちに被害場所を記入した大きな地図が散乱していた。

実は何度かこう言った訓練を行ってきてわかったのだが、いざというときに意外とIT物はものの役に立たず、最も活躍するのは「見て触れる」紙なのである。大型ジオラマの作製も今検討中だ。(完成したら平時はウルトラ怪獣を飾ることにしよう)
午後4時半に訓練は終了し各班からの最終報告、反省点の洗い出しなどを行った。そのうち責任者の一人が「道路が寸断されていて『行ってみなければわからない。』という報告があったがそれではダメだ。我が社は非常時用にも使用できるよう契約している民間会社がちゃんとあるんだからヘリを飛ばせ」私の脳裏に電光のような閃きが走った「これは次に使える・・・」。

このエリアは岩盤が安定していると言われ、実際大きな地震は過去にあまりなく津波の心配は少ない代わりに可能性が高いのは「噴火」である。東日本大震災の時に津波に施設ごと流されてしまい「どこに何があるのかすぐには分からなかった」という教訓を活かし、建物の屋上に上空から識別できる「ヘリサイン」を設けようと検討中だが、当然出来栄え検査は「ヘリ」で行うことになる。
訓練だけでヘリをチャーターするのは予算的に気が引けるが、タイミングを合わせて出来栄え検査と兼ねてしまえば・・・・もちろん搭乗するのは他ならぬ責任者の私である。自衛隊との訓練やこんな時でもなければヘリなんて乗る機会ないからなー。この路線で検討を進めることにしよう。

3月11日はこれからもこのような大規模な災害対策訓練を行う日となろう。思うように復興が進まぬ被災地を思うのはもちろんだが、次に備えるのも同じくらい大事だ。
もう一つ重要な課題が「脱商用電源」である。(ほぼ脱原発と言ってもよい)
NHKニュースで見たが福島原発の原子炉を廃炉にするのに40年もかかるという。世に色々と言われていると思うが、「繁栄を謳歌するために原子力で発電してしまった」ツケを子々孫々に負わせてしまうのはまことに申し訳なく、みんなで責任を取らなければならないと感じる。国内でも有数の「電気を消費する企業」である我々は色々と作戦を練っているところなのだが、その話はまた別の機会とすることにしよう。

古きもの

2012-03-10 05:07:20 | 出来事
「古きものの全てが悪しきものではないでしょう。」ガンダムは守備範囲外なのだが、シャア・アズナブル大佐の妹で敵である地球連邦軍のセイラが放った言葉は鮮明に覚えている。高度成長期に育った「ALWAYS」よりも少し後世代の我々は「世の中のモノは全て便利に発展していくものだ」と信じ込んでいた。テレビが白黒からカラーに、冷蔵庫は直冷式冷凍冷蔵庫に、ローラー付き二槽洗濯機は全自動洗濯機に進化して行った。粗末にはしなかったがあまりに次々と新しいモノが充実して行ったので、「古きものが喜ばしいもの」であることはあまり無かった。ガンダムではオールドタイプとニュータイプという概念が生まれ、ニュータイプの覚醒が理解できないオールドタイプはいずれ滅ぶと信じているのがシャア大佐である。この後、「新人類」という言葉も生まれたように思う。

明るいと信じていた未来に陰りが生じたり、何となく退廃的なムードが生まれ、社会にブレーキがかかってくると「古き良き時代」「あの頃の昔」を懐かしむことが多くなり、これらに和みや癒しを感じるようになるようだ。私は以前から便利な機器は持っていても「説明書」を読む習慣がなく、何となく勘で動かしてきたから、最新のゲーム機、AV、ガジェットなど多機能さにはついて行けず、そろそろ行き詰まりを感じている。(と言うかそもそも必要性を感じなくなってきている)
新横浜のラーメン博物館も昭和30年代くらいのレトロな雰囲気を再現していたが、正直あまり興味を持てなかった。モノにはそれが立派に機能を果たすときの職人技のような美しさがあり、動かない「飾り」には抜けがらのような虚しさしか感じなかったのである。「こち亀」の両津巡査長の実家には道楽者のおじいさんが使っていた二眼レフカメラがまだあり、両さんが試しに近所の下町のガキを写して何かの賞をもらった話がある。その中カメラ自体に価値はなく骨董品だと期待していた両さんはがっかりするが、カメラ屋は「何十年も前の風景を写していたカメラが今でも立派に動き、その移り変わった光景に驚いていると素敵ではないか」という。

先日も少し盛り上がってしまったが、「カメラ」の変遷というのは他に比べてかなりダイナミックだ。コンピューター制御が入ろうが、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など基本的にやることは変わらない。水のいらない洗濯機はたぶんないし、温めたり冷やしたりする冷蔵庫も、放送コンテンツがいらないテレビもたぶんない。しかしカメラはずいぶんその歴史の中で姿を変えてきている。我が家にあったものだけでもまず父親のガラクタにあった二眼レフ、ライカ版のニコン一眼レフ、修学旅行に持って行ったストロボ付きポケットカメラ(フィルムが専用カートリッジ)、一瞬だけ我が家に存在したパチっとシャッターを押すとベロのようにべーっと印画紙を吐き出し、その場で写真を見ることができた画期的な「ポラロイドカメラ」、そしてCanonAE1が欲しかったのに、「ニコン信奉派」の父に押し切られた電子シャッターの35mm一眼レフ、卒業旅行などに持って行ったコンパクトカメラ、そして父母が使うため昔のカメラとキタムラで交換してきたずばり短命だった「カートリッジフィルムのカメラ」、さらにディジタルカメラに推移する。。。その後何世代かの「コンデジ」と言われるカメラに亜流の携帯カメラ、そして超兵器203号である。

さて、先日「珍品・骨董品」の類を扱う「地球屋」を紹介したが、今回仕事の関係で訪問したのは雪深き県境の老舗旅館だ。難所で有名な峠を越す国道から脇へ逸れ、それこそ四駆とスタッドレスでなければ行けない山の奥である。途中「こんな先にホントにあんのか?途中で道、無くなってねえか?」と疑いたくなるような冬眠中の熊が出てきそうな所だ。2件の旅館は親類らしいが、下にある方は3月いっぱいは営業していないらしい。。。天気は素晴らしくよく雪が反射してまぶしいくらいで比較的外は暖かかったが、建物の中は冷蔵庫のように寒かった。ご主人が色々と中を案内してくれたが、その旅館ははるか数十年前の映画「人間の証明」の撮影舞台となった場所だったそうだ。入り口の脇には皆で囲む暖炉があり、餅つき用の臼があり、いかにも古びていたが今でもちゃんと使っている。六角形の少し新しそうな建物の中が源泉かけながしの温泉、さすがに営業していないし勤務中だから入れなかったが・・・
ご主人の話だと、お客はそこそこ来るが継ぐ者がいないために今の代で旅館業はやめてしまう予定だそうだ。外には水車もある雰囲気ある建物なのに残念なことだ。

          

帰りに食事に寄ったのが前回最後に登場した「秘密のケンミンショー」で取材された店である。大正時代から営業している店だが、最近「タルタルソースカツ丼」を名物として売り出してテレビに取り上げられ、爆発的に繁盛したらしい。

    

この店は古くから営業していたこともあり、店内のいたるところに「古き良き物」としての飾りが多く目についた。店内には昔風のポスターが何枚も貼りだされ、外の壁には「アース渦巻きの由美かおるが座っているホーロー製看板」が(この掲載は止めておいた・・・)。他に「3丁目の夕日」で見た「氷で冷やす冷蔵庫」、大昔のロボットのような顔をした電話、扇風機、地球屋で見たようなレジスター、壁にかけてあるトコロ天押出し機のおばけみたいなヤツは「消火器」だそうだ。店の外にはそれに水を供給する消火栓が・・・この手のものって結構「展示」している店は知っている。勘定のときに古いレジに「タルタル900円」とレシートが貼ってあったから「このレジ、使えるんですか?」と聞いたらやはり苦笑いして首を横に振られた。やはりちゃんと機能しなければただの飾りなんだよなー。

            

最後に実家にあったマントと旧紙幣・・・懐かしいがまだ「骨董」という域には達していないようだ。。。私の宝物は先日ようやく全部揃った「ウルトラホーク」「マットアロー」他数々の「EX超合金」と膨大な数のフィギュアだが、残念ながら日本から原子炉が全部なくなって放射性物質も半減期を迎えるくらい時が経たないと価値はないだろう。
「超兵器磯辺2号」は都合により更新間隔を長くし字数を減らしますが、今後とも引き続きご愛顧を・・・

    

デトックスと地産地消

2012-03-07 15:13:00 | 食べ物
「デトックス」というとすぐ浮かぶ意味は「解毒」で、もっと長く言うと「体内に入った人体に悪い影響を及ぼす物質を排出しようとすること」という感じだが、今はもっと広い意味で使われているようだ。例えば毎週早朝に母と行く竜泉寺温泉にある、サウナは壁に韓国の「黄土」という物質がふんだんに使われ、「解毒作用」が期待できるとうたわれている。また高濃度炭酸泉も血管を拡張して血流を促進し、老廃物を「洗い流して」くれるので、かなりのデットクス力を感じる。
しかし私にとって最も解毒作用の強いのは海水だ。スピリチュアルパワーもあると思われるが、どんなに二日酔い(これはホントは危ない?!)でも、夫婦喧嘩とかで気持ちが荒んでいても、海に入るとそれなりの疲労は現れるがほぼ一発で治る。森林浴や世に言うパワースポットなどもその類かもしれないが、「そこにいるだけでデトックスされる」のは言わば自然界の力をそのまま取り入れているとも思える。

一方KICK師匠がされているデットクスは「生命の力」を取り入れるコンセプトのようで、実に分かりやすいがその分戒律?が厳しい。
「缶食」「冷凍食品」「残りモノ」「電チン」「甘いモノ」これらを摂取するのはNG。生命の力をたくさん食物から摂取しようというのが趣旨なので、時間が経ってしまった保存モノはこれが失われてしまうそうだ。実は意外にも私は一人暮らし期間は上記の戒律を結構クリアしているのでこのデトックスを実施するには有利と言ってよい。
缶詰は元々あまり好きではないし、一旦開けると全部食いきらなければならないし、食い切った後容器を洗って缶の捨てられる日まで保存するのが実に煩わしい。よって引越し以来「シーチキン缶」1個しか使ったことがない。
食材等は自宅で買い込み、月曜日に重いが運搬している。会社帰りの買い物など生鮮品くらいしかないから、冷凍食品を買い置きする、という発想そのものがない。
一旦冷えても電子レンジで温めなおせば復活して食べられるような料理はそもそも作れないから、電チンもない。甘いモノは普段あまり食べない。。。

生命力に着目してデトックスというのは非常に興味深いが、食生活の発想は国によってやはり少しずつ違うとは感じる。ある番組でハワイでは缶詰から中身を空けて暖めているのを「母の料理」と言っていた。自宅でもあまり食べることはないが、日本の「冷凍食品」は世界一美味しいと思う。むろん好みで言う味そのものではなく、その製造技術のことである。カレーや豚汁など日本食?は残り物として温め直した方が美味いものも多いし、正月のおせち料理も基本、残り物文化だ。
最近では電子レンジで魚が焼けたり、目玉焼きができるたり、器ごとセットするだけで調理したてのモノとしてできてくる、という恐るべきテクノロジーもあるから、電チンも侮れない。
ただし「食材そのものからその生命力を身体に取り入れよう」というのは共通のようだし、私もそうありたいと思っている。「ダイエット編」で登場した元同僚は見事なほどの食いっぷりで低燃費とはほど遠い人だったが、「サプリメント」という類を決して口にしなかった。「人間、簡単に栄養素を摂取するのに慣れてしまうと自然の食材からそれを取り入れる能力が低下してしまう」という信念をお持ちのようだったのである。全くその通り、見事なポリシーだと感心したものだ。

さて、先日初めて行った「キッチンランド」ではエコ・クッキングというのをテーマにしていた。エコ検定の影響もあるだろうか、激太り回避以外に食生活にあまり気を付けていない私でも「地産地消」だけは意識している。エコ・クッキング講座も同様の分かりやすい説明があり、さらに言うなら「旬のものを地産地消」だそうだ。モノには季節があり、それを外して無理やり温室栽培や養殖などを行うと「余計なエネルギー」を消費してしまう。また産地を出てはるか遠くへ流通しようとすればするほど、よりたくさんのエネルギーが必要だ。流通がなければ「食のダイバーシティ」としてはよろしくないが、「より移動距離を少なくすべき」という意見には大賛成である。週末にはヒマさえあれば近所の漁港に行ったり、スーパーでおかずを買うにも「産地が近いこと」を条件にしているのもこの影響だ。
酒にしても肉や魚(野菜はあまり食べないから分からないが)は、「なんとか産」というその産地で食うのが一番美味い。マグロはそうはいかないけどなー。

我が家周辺の「地産」と言えば圧倒的に思いつくのは魚介が多い。小さな漁港に買いに行くだけだが、直売所で売っているものは、基本的に港で水揚げされたものだろうから、間違いなく地産なのだろう。全国的にも有名なのは生シラスにアジ・・・(ちょっと地味だけど神奈川の県魚はアジだと思っていた)三浦半島だと松輪サバとかキンメダイがあるが高価であまり食したことがない。。。
肉と言えば高座豚に葉山牛くらいか・・・野菜に至っては普段あまり食わないので三浦だいこんくらいしか思いつかない。「湘南レッド」という赤い玉ねぎみたいなのを見たことがあるが。
こうして見ると地産地消と言っても「名産」というものが必ずしもあてはまらないことがわかる(知らないだけかもしれない)が産地直売モノが一番よい、というのは間違いなさそうだ。産地は買うときに明記されているからわかるが、困ったことによく知らないのが「旬」である。
高度経済成長期に育ってきた新人類(死語?)の我々は(私だけ?)、スーパーに行けば何でも買えると思ってきたから、哀れなほどに「モノの旬」を知らないと痛切に感じてしまう。

港に足を運ぶようになってようやく知ったのは、活きているイカ類は今(少し前)くらいが旬だということ。あさりやハマグリなど我が家の大好物も今がよいらしい。アジなんか1年中獲れているようだが、カタクチイワシは今頃がよく上がっているようだ。店頭に盛んに並んでいるものが旬かというとそれこそ産地によって異なるので、年中港に足を運んで身をもって覚えるしかないらしい。(これはこれで楽しそうだ)
果物で言えば、みかんはこたつで食うから冬、なしの季節は短いから9月~10月、長野に実家のある同僚から頂く「ふじ」が11月、いちごは今よりちょっと後くらいか?残りは全然わからん。。。
さらに野菜に至っては旬があるのかどうかも知らない。春キャベツ?秋なすび?冬ダイコン?・・・下仁田ネギは少し前が旬だったと聞く。あ、そうそうマツタケは10月くらいだな。。。
味覚の閾値が低いから、野菜などは味の良し悪しはあまり気にならないが、栄養価もだいぶ違うらしいからもう少し勉強しなければなー。

「旬のモノを地産地消」すると自動的にデトックスとなるような気が・・・かなりしている。しかし実際に一人暮らしが70%の私には「食物」だけでデトックスというのは少し無理があるので、海水デトックスと併用だな。しかし改めてこうして書いてみると、絶大な海のパワーを持つ魚介、大地のパワーを持つ植物にはそれぞれが最強となる時期があるが、どうも動物にはそういうところがないから「肉」というのは食生活の改善という意味ではかなり分が悪いようだ。重力に逆らって動いている生き物なんだから肉のパワーも結構なものだと思うんだが。
昨日、「秘密のケンミンショー」で放映された●●館という食堂へ行った。番組で取り上げられたのは、「タルタルソースカツ丼」といういかにもゲテ物メニューだ。その名の通りちょっと濃い甘口ソースカツに輪切りのゆで卵とタルタルソースを混ぜたペーストを上に乗せて食べるシロモノだ。

店内の客は皆、そのメニューを注文していた。一口食って「おーっ、これは合うかも・・・?!」と口にしたが、箸を進めるにあたって「トンカツに醤油をかけてしまったような失敗感」に苛まれるようになる。。。先日「なんとか」いうジロー系列のラーメン屋で巨大野菜ラーメンに玉砕した懲りない八兵衛も「またしても、やられましたかねえ・・・」と苦笑いだ。(これは県東K生市で2番目に美味しいとされるソースカツ丼が見事に外したことを指す)
タルタルソースカツ丼には片岡鶴太郎さん考案の発展形がある。タルタルソースにねりがらしを混ぜてかけるその名も「辛子タルタルソースカツ丼」(そのまんまやんか!)である。店内に張ってあった番組試食シーンのワンショットでは司会の「みのもんた」が「これは行っちゃうー!」とコメントしたようだが、(ずいぶん誇張してるんだなー)といっけいがつぶやいた。
それこそ県民性なのか、番組で取り上げられた直後からわーっと客がやってきて、一時はものすごく賑わったそうだ。店の前にも行列ができ、何脚か店頭で待つ人のために置かれていたようだが、今はもう閑古鳥・・・
「まず最初はソースをつけずに一口、その後少しずつ乗せて食べてください。当店で使用する肉は●●産、玉ねぎは□□産、タレも直伝の農耕ソースです・・・」
食材だけ見たらそれこそ地産地消にこだわった逸品のように見えるが、あのゲ●物では「デトックス」にはほど遠い感じがした。

珍品・骨董品の類

2012-03-05 04:46:06 | ホビー
点検調査・視察のため県央部の工事現場などを「いっけい」「八兵衛」と3人で何箇所か訪れた。近隣の自衛隊もそうだが、私の預かるセクションは会社の中でも言わば「陸軍一個師団」に相当し、それこそ橋をいじったり穴を掘ったり、と泥臭い工兵隊作業が多く危険も結構伴う。パトロールと言っても県内隅々のゲテモノを食べ歩いているわけではなく、ゲシュタポのように真面目にチェックして致命的な不備を発見すると「レッドカード」を出すこともあるのだ。社名などの入っていない私専用車のようなものを使用し、突如作業現場に現れて「あれ出せ、これどうなっている?」と始めるのだから現場の作業員にとっては厄介な役回りだろうが、何か大きな事故が起きてからでは取り返しがつかないので、心を鬼にして査察官を演じているのである。(実際は少しヘラヘラしている)

「骨董品って興味あります?吊るし飾りでギネスに載った店があるんですが、行ってみますか」
その辺りは八兵衛の得意とするエリアらしく、聞いたこともないような店を結構知っている。昼食をとってオフィスに帰還するついでに寄って行くつもりらしい。有名な温泉街から3大うどん街を通って駐屯地に向かうコースにある。道路沿いには「おもちゃ」「耳飾り」「グラス工房」などの館が点々と現れる。
まるで伊豆半島や箱根の高原付近に現れる、カップルで入っても必ずと言っていいほど「やられる」お洒落っぽい博物館の香りである。八兵衛曰く「自衛隊駐屯地の迷惑料(空中機動などの騒音)で村が潤ってるんじゃないすかー?けっへっへ。。。」

     

向かった店の名は「地球屋」という。珍しいネーミングだ。店前の結構広い駐車スペースには観光バスを停めるときもあるという。建物が二つ左側の建物が本体らしいが、八兵衛が「こっちこっち」と手招きしているのは右側の工場みたいなところだ。間に赤いポストが無造作に3本も並んでいた。
「何でかなー」と思って見たら、なんと売り物!一体30万円と書いてあった。。。建物の中は骨董品を陳列というよりは、ガラクタが所狭しと置き去られているだけ・・・コンセプトも統一感もない、とりあえず似たようなアイテムだけは集めてある、みたいな感じだ。しかし持って行ってもわかりはしないし、そもそも持って行く人などいそうものない品ばかりだが、しっかり値札だけは付いている。「ALLWAYS」に出てきそうなレジスターやアイロン、その他食器などが埃をかぶっていた。「透かし」のようなものの入ったいかにも怪しげな日本刀(もちろん模造品)は38000円・・・値段などあってないようなものだ。

          

左側の本店と思われる建物の前にはどうにも意味不明な大きな外国人人形が・・・しかし何故か羽織袴を身に漬けている。中に入ってまず度肝を抜かれるのがギネスにも認定されたという「世界一の吊るし飾り」である。天井から吊るされた飾りの数はなんと7045個!3000個でギネス認定だったそうだが、大震災後ちりめん細工教室の活動をしていたところ、「世界一の吊るし飾りの1個を作ったという事実が元気につながる」という声が上がり、5500個を目標に募集したところ7045個の吊るし飾りが集まったそうだ。この吊るし飾りは重量180kg、中に入ることもできる。店内は大小所狭しと吊るし飾りがぶら下がっており、中にはゲテモノ代表のような巨大シーラカンスみたいな飾りもあった。店内は雑然としており、昔の着物の生地で作った洋服とか、Tシャツ、創作人形とかがあったが、一応撮影禁止になっていた。干支の吊るし飾りというのもあり、せっかくだから息子の干支を買っていってやろうと「丑」を買って行ったつもりが「亥」を買っしまった。。。妻曰く「牙見ればわかるでしょ・・・逆じゃん」
中にはかなりの年代物と思われる人形や小道具、古箪笥なども店の奥には並んでいた。

          

残念ながら私には世にも珍しいモノや骨董品を見分け鑑定する能力は皆無と言ってよい。我が家にある千近くの数を誇るウルトラアイテムも「骨董品」と言える年代ではないし、珍品でもない・・・唯一ある「古いモノ」と言えば畳コーナーにある鉄瓶に火鉢と亡き父親が大昔、着物の上に着ていたという黒い「マント」くらいのものである。新設シェッドの机にあるコアラのぬいぐるみは「ブラザーミシン」の非売品で中々のレア物だが、そのような類ではたぶんない。実家に行っても様子はあまり変わらず、私の幼いときのおもちゃなどは保存がよければマニアには高く売れるものもあったと思われずが、昔の人の割りには合理的は母親は私が遊ばなくなって邪魔なものはホイホイ捨ててしまった。。。

ただ父親が持っていたそれこそ古ーいアイテムは少しだけ残っている。昔のお札が一式、寛永通宝みたいな硬貨が少し、あとは「切手入門」に少しだけ載っていた古切手、象牙の煙草入れぐらいのものである。今身に着けたらいかにも「悪趣味」と見られる金の腕時計と懐中時計も確かあった。。。
「今の価値ならロレックスが買えるはずだ!」と父親が豪語していた、古いオメガ(父は時計はオメガと決めていた)の手巻き腕時計は私が高校入試の時に借りて使った。その後父が引退し10年くらいたってからどうしたのか聞いたら、母が「巻いても動かないから捨てた」らしい。
全く古いメカの価値に疎いものである。下手すりゃ家が買える(どうも父は大袈裟だった)と言っていた、ニコンのカメラ(父の拘りとしてカメラはニコン)も動かなくなって新しいカメラを購入し、箪笥の奥で埃を被っていたらしいが、カメラのキタムラに持っていったら「最新式のコンパクトフィルムカメラ」に取り替えてくれたという。。。

唯一「お宝」と言えそうなアイテムは大袈裟な父が「家が火事になったらこれだけは持ち出して逃げろ」と常々言っていた「掛け軸」である。何とか言う画家の作品でホントに家が買えるだけの価値があるという。(調べたことないけど)
さらに母が嫁入り道具として持ち込んだ桐の箪笥(当時田舎はどこもそうであったらしい)は40年後にリペアしたら80万円近くかかったらしい。(元の値段は一体いくらなのか?それとも職人がいないのか?!)先日見つけた1メートルの竹の物差しも結構なお宝ではないだろうか?(ただ古いだけ?!)
どの家にも珍品・骨董品というのは多かれ少なかれあるはずだ。我が家はほぼ期待薄だが実家にはまだ得体の知れないアイテムが潜んでいるかもしれない。何せ母親が邪魔になると何でも捨ててしまうので、この監視を逃れて存在を維持するにはかなりの奇跡が必要だ。その事実こそが骨董と言えよう。。。

骨董と言えるかどうか・・・最後に紹介するのが「古墳」である。意外にもこの地方はあちこちに古墳があるらしい。大和朝廷からはだいぶ遠いと思うんだがなー。
大きすぎて最初は工事現場で資材が積んであるだけに見えた。かなり人工的に保存されていたようだが、初めて見る「前方後円墳」である。
「円」の部分の中心は中に入ることができ、「石棺」と呼ばれるものが収められている。歴史で習った「仁徳天皇陵」などよりはかなり小じんまりしているが、高い建物か空中からでないと全体像はわからない。また上へ上るとすぐそばに別の古墳が見られる。
ここは駐屯地に近いから次にヘリで飛ぶ機会があったら上空を行くようにお願いしてみよう。