母とのプチ東北旅行、1日目は世界遺産の平泉だったがその日宿泊したのは送迎車で30分くらいの「矢びつ温泉」というところだった。一関からまっすぐ栗駒山に向かう途中にありパンフレットでは高台の露天風呂から渓谷を楽しめるいい感じの宿だったが。同様のJRの来た東北ツアー企画の中では世界遺産価格の平泉温泉よりも費用がリーズナブルであり、食事も結構期待できた。平泉からの送迎バスの中では寝てしまったが、(おそらく道中もそうだろうが)着いてみると想像していたような山深い渓谷のよこにひっそりと建つ鄙びた温泉宿とは異なり、国道のわきにどーんと大きな建物が一軒だけあった。山肌と川の流れはあるが、どちらかというと平地に近く周囲には見事なくらい「何もない」。ホームをみるといきなり「ウィークポイント」が紹介されていて、「2階建の施設にはエレベーターがございません」「ソフトバンクの電波が入りません」「一番近いコンビニまで車で15分かかります」など言いにくいことを潔くカミングアウトしているところは逆に好感がもてた。
到着したのは午後4時半過ぎでかなりうす暗くなっていたが、部屋からの眺めは中々よく、少し遠くに見える山々と少しだけ見える渓流のコントラストがよい。四季折々、また晴れていれば時間によって色々な景観が楽しめそうだ。そして驚いたのがあっという間に「真っ暗」になったことだ。東京よりもかなり東側にあるのか、日没時間が早いようで、なおかつ周囲に何もないからすぐに夜空の星々が見え始め、まだ6時前だというのに満天の星が目に入った。時間が早いから建物の明かりや駐車場、庭のランプが邪魔でもったいなかったが、夏場に見た沖縄の空に匹敵する美しさだった。私は試しに超兵器203号のシャッターを開きっ放しにして30秒ほど露出してみた。ポラリエ1号を持っていかなかったから露光図鑑はこれで限界だが、かなり美しく星空が写し出されている。夜中に一度起きて空を見上げたら雲に覆われてしまっていたが、周囲は全て消灯されており、天候がよければ素晴らしい眺めになると予想される。食事も「前沢牛」がついて豪華だし、スタッフの「いわて弁」も一生懸命のもてなし感が出ていて、この宿はポイントが高い。
到着して早速入り、食後一休みして就寝前にもうひとっ風呂、早朝に目覚ましに入って、出発前にとどめの入浴を行って満足のうちに宿を出発した。向かうはレンタカーを予約している一関駅である。矢びつ温泉は平泉にも一関周辺、栗駒山などどの方面でも数十分でいける観光拠点である。ただし駅に向かう道のりではいくつかある観光地のうち何一つ見えない。一関駅までは25分くらいで着き、駅に隣接するレンタカー屋のドアを開けたのが10時半頃だった。「どちらの方にいらっしゃいますか?」「猊鼻渓に行こうと思うんですが」「ああ、川下りですね。」係り員はすかさず時刻表を差し出して、「えー、11時発には間に合わないから12時から出る舟になりますね。ここから40分くらいかかりますから・・・」
我々はカーナビをセットしてレンタカーを乗り出した。予定到着時刻は11時04分、途中で「「(これなら間に合うな)」と密かに自信を持ち、少しスピードオーバー気味に空いている道路をまっしぐらに向かった。
11時5分前に到着した時はまさしく「おーい、舟がでるぞぉー」状態になっていたが、運よく乗船券を買ってぎりぎり乗り込むことができた。猊鼻渓は北上川の支流、砂鉄川沿いに数十メートルはある巨大な岸壁に挟まれた渓谷で舟下りはおよそ2kmを終着で20分くらい上陸する時間を入れて90分くらいで往復する。急流のようなところは全くなく、不思議な景色を作り出す奇岩を楽しみながらゆったりと往復する。普段は屋根のない舟だがこの季節からビニールハウスのような透明の覆い付舟が現れ、真冬はそれに炬燵をいれて1年中運行しているという。舟の形も独特で先頭が尖っておらず平たく広いのは「馬を乗り降りさせる」ためだそうだ。天気もよく暖かかったからビニールハウスが若干邪魔だったが、こういう舟下りは初めてという母も興味深そうに船頭のいわて弁まる出しの案内を聞きながら景観を楽しんでいた。
終点で一旦下舟し少し川沿いに歩くことになる。この川に住む魚は鯉、ウグイ、アユなどで鮭も上ってくるが、この季節鯉以外の魚は深場に移動して冬眠してしまい、鮭は産卵を終えて死んでしまうという。1匹だけ実際に役目を果たし終わって川底に沈む鮭を見つけた。神々しい姿だった。さらに歩き進むと100メートル以上ありそうな断崖絶壁が現れ、その横で人々が石ころを崖に向けて投げつけている。実は石ころには「福」とか「縁」「運」など何種類かの字が彫ってある「運玉」といい、これを正面の岩に空いた隙間に投げ入れられると願いがかなうパワースポットだそうなのだ。運玉は5個で100円、むろん私もチャレンジしてみたが、長嶋さんのヒラヒラフォームも妙に指先に引っ掛かって思ったように投げられず、一番近くても横50センチくらいまでいって穴には入らなかった。(うーん、残念・・・)帰りのルート、船頭の「げいび追分」に拍手喝采して満足のうちに舟を降りた。
次に我々が向かったのはすぐ近くにある「幽玄洞」である。ちょっとマイナーであまり訪れる観光客もいないようだが、日本でも有数の化石の産地であり、3億5千万年前の地層にあって日本最古の鍾乳洞と言われている。入場料は結構高く、しかも休みの日なのに我々の他に誰ひとり観光客がいない・・・大丈夫か?係の人によれば足元は滑らないようになっており、年寄りでも余裕をもって中を歩けし、エメラルドグリーン色した神秘の地底湖が見られるというので、「せっかくだから」行ってみた。全長は約500メートル、確かに珍しい「ウミユリのガク」をはじめ、スズリナや三葉虫などの化石があちこちで見られ、鍾乳洞ならではの石筍、石柱、つらら石、フローストーンなども間近で見ることができた。ただし見学ルートは聞いていた以上に狭く、急で手すりは付いていたものの年寄にはちょっとキツイ様子で、何度か手を取ってやる羽目となった。しかし初めてみる地底湖は確かに美しく神秘的だった。
そこからさらに車を走らせること20数キロ、矢びつ温泉方面に戻ってしまう方向だが我々は「厳美渓」という国の名勝に向かった。先に訪れた「猊鼻渓」とよく似た紛らわしい名称だが、その景観は全く異なる、険しい流れによってできた奇岩、甌穴などである。二つの橋を渡ってぐるーっと散歩して約20分、変わった景色を楽しめたが、沿道はバスが通れるような大きな道で、またいかにも観光用のガラスパークなる施設があり、母は「何か街中にいきなりあるっていうのはわざとらしいよねえ」と苦笑していた。ここの名物は「かっこうだんご」というもので「空飛ぶだんご」として知られている。渓谷沿いのお店と川向かいの岸壁の間にワイヤーロープが張ってあり、籠に代金を入れて木の板を叩くと店がするするーっと代金入りの籠を回収し、しばらくするとだんごと湯呑に入ったお茶がしゅーっと滑り降りてくるのである。中々面白そうで、人だかりがしていたが母は「だから何なのさ」みたいな顔をしており、見ていると私もそんな気がしてきたので、近くの名物蕎麦屋で遅めの昼食を摂りに入った。
帰りの新幹線の時間にはまだ余裕があるが、レンタカーを返すにあたり給油したり返却の手続き時間などを考えると市街地が渋滞した場合微妙な時間だった。しかし割と近くだったので我々はこの旅行の最後の訪問地「達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂」に向かった。平泉市内となるがここだけは奥州藤原氏よりもはるか昔、征夷大将軍の元祖「坂上田村麻呂公」の創建とされている。蝦夷平定の成功を毘沙門天の加護と感じ、これを祀るため窟に京都の清水の舞台をまねた建物を作ったとされている。観光ガイドでみて、毘沙門堂も珍しいと思ったが、その先に初めて見る磨崖仏「岩面大仏」というのがある。文字通り岩肌に大仏様が彫られていて、前九年・後三年の役で亡くなった敵味方の供養に源義家公が馬上から放つ弓矢で彫り付けたとされている。境内にはいくつかの由緒のある御堂があり、中々見応えのある名所だった。
矢びつ温泉で感じたが、北東北の日が沈むのは早い。15時を回ると急に寒くなるしみるみる日が陰ってくるのが分かる。我々はレンタカーで一路、一関駅に向かったのだった。今回の旅行は前回のように観光バスを使用しなかったから行動範囲は狭く訪れた場所も少なかったが、一つ一つに時間をかけ、しかも大物揃いだったからかなり母も満足したようだ。この生き急ぎ母子の旅行は必ずと言ってよいほど天候には恵まれる。時間も行程も前回に比べゆったりとしたものだったが、信じられないくらい歩いた。1日目は毛越寺までの道のり、境内の散策、中尊寺の広大な境内はほとんどが坂道、また無量光院跡から平泉駅までと合計すると実に1万2千歩!母が掛かり付けの医師に「歩け」と言われている歩数の倍以上である。翌日はレンタカーや舟下りでそれほど足を使うことはなかったが、それでも幽玄洞や厳美渓などを合わせると8000歩、この二日間で2万歩も歩いたことになる。旅先で歩くのは苦にならぬというが、この私がいい加減、足が痛くなるほどだったから母はよく歩いたものだ。まあ、たくさん歩けるというのは元気の証拠なので、当分はこの北東北方面旅行を企て「ウォークラリー」に連れ出すようにしよう。
到着したのは午後4時半過ぎでかなりうす暗くなっていたが、部屋からの眺めは中々よく、少し遠くに見える山々と少しだけ見える渓流のコントラストがよい。四季折々、また晴れていれば時間によって色々な景観が楽しめそうだ。そして驚いたのがあっという間に「真っ暗」になったことだ。東京よりもかなり東側にあるのか、日没時間が早いようで、なおかつ周囲に何もないからすぐに夜空の星々が見え始め、まだ6時前だというのに満天の星が目に入った。時間が早いから建物の明かりや駐車場、庭のランプが邪魔でもったいなかったが、夏場に見た沖縄の空に匹敵する美しさだった。私は試しに超兵器203号のシャッターを開きっ放しにして30秒ほど露出してみた。ポラリエ1号を持っていかなかったから露光図鑑はこれで限界だが、かなり美しく星空が写し出されている。夜中に一度起きて空を見上げたら雲に覆われてしまっていたが、周囲は全て消灯されており、天候がよければ素晴らしい眺めになると予想される。食事も「前沢牛」がついて豪華だし、スタッフの「いわて弁」も一生懸命のもてなし感が出ていて、この宿はポイントが高い。
到着して早速入り、食後一休みして就寝前にもうひとっ風呂、早朝に目覚ましに入って、出発前にとどめの入浴を行って満足のうちに宿を出発した。向かうはレンタカーを予約している一関駅である。矢びつ温泉は平泉にも一関周辺、栗駒山などどの方面でも数十分でいける観光拠点である。ただし駅に向かう道のりではいくつかある観光地のうち何一つ見えない。一関駅までは25分くらいで着き、駅に隣接するレンタカー屋のドアを開けたのが10時半頃だった。「どちらの方にいらっしゃいますか?」「猊鼻渓に行こうと思うんですが」「ああ、川下りですね。」係り員はすかさず時刻表を差し出して、「えー、11時発には間に合わないから12時から出る舟になりますね。ここから40分くらいかかりますから・・・」
我々はカーナビをセットしてレンタカーを乗り出した。予定到着時刻は11時04分、途中で「「(これなら間に合うな)」と密かに自信を持ち、少しスピードオーバー気味に空いている道路をまっしぐらに向かった。
11時5分前に到着した時はまさしく「おーい、舟がでるぞぉー」状態になっていたが、運よく乗船券を買ってぎりぎり乗り込むことができた。猊鼻渓は北上川の支流、砂鉄川沿いに数十メートルはある巨大な岸壁に挟まれた渓谷で舟下りはおよそ2kmを終着で20分くらい上陸する時間を入れて90分くらいで往復する。急流のようなところは全くなく、不思議な景色を作り出す奇岩を楽しみながらゆったりと往復する。普段は屋根のない舟だがこの季節からビニールハウスのような透明の覆い付舟が現れ、真冬はそれに炬燵をいれて1年中運行しているという。舟の形も独特で先頭が尖っておらず平たく広いのは「馬を乗り降りさせる」ためだそうだ。天気もよく暖かかったからビニールハウスが若干邪魔だったが、こういう舟下りは初めてという母も興味深そうに船頭のいわて弁まる出しの案内を聞きながら景観を楽しんでいた。
終点で一旦下舟し少し川沿いに歩くことになる。この川に住む魚は鯉、ウグイ、アユなどで鮭も上ってくるが、この季節鯉以外の魚は深場に移動して冬眠してしまい、鮭は産卵を終えて死んでしまうという。1匹だけ実際に役目を果たし終わって川底に沈む鮭を見つけた。神々しい姿だった。さらに歩き進むと100メートル以上ありそうな断崖絶壁が現れ、その横で人々が石ころを崖に向けて投げつけている。実は石ころには「福」とか「縁」「運」など何種類かの字が彫ってある「運玉」といい、これを正面の岩に空いた隙間に投げ入れられると願いがかなうパワースポットだそうなのだ。運玉は5個で100円、むろん私もチャレンジしてみたが、長嶋さんのヒラヒラフォームも妙に指先に引っ掛かって思ったように投げられず、一番近くても横50センチくらいまでいって穴には入らなかった。(うーん、残念・・・)帰りのルート、船頭の「げいび追分」に拍手喝采して満足のうちに舟を降りた。
次に我々が向かったのはすぐ近くにある「幽玄洞」である。ちょっとマイナーであまり訪れる観光客もいないようだが、日本でも有数の化石の産地であり、3億5千万年前の地層にあって日本最古の鍾乳洞と言われている。入場料は結構高く、しかも休みの日なのに我々の他に誰ひとり観光客がいない・・・大丈夫か?係の人によれば足元は滑らないようになっており、年寄りでも余裕をもって中を歩けし、エメラルドグリーン色した神秘の地底湖が見られるというので、「せっかくだから」行ってみた。全長は約500メートル、確かに珍しい「ウミユリのガク」をはじめ、スズリナや三葉虫などの化石があちこちで見られ、鍾乳洞ならではの石筍、石柱、つらら石、フローストーンなども間近で見ることができた。ただし見学ルートは聞いていた以上に狭く、急で手すりは付いていたものの年寄にはちょっとキツイ様子で、何度か手を取ってやる羽目となった。しかし初めてみる地底湖は確かに美しく神秘的だった。
そこからさらに車を走らせること20数キロ、矢びつ温泉方面に戻ってしまう方向だが我々は「厳美渓」という国の名勝に向かった。先に訪れた「猊鼻渓」とよく似た紛らわしい名称だが、その景観は全く異なる、険しい流れによってできた奇岩、甌穴などである。二つの橋を渡ってぐるーっと散歩して約20分、変わった景色を楽しめたが、沿道はバスが通れるような大きな道で、またいかにも観光用のガラスパークなる施設があり、母は「何か街中にいきなりあるっていうのはわざとらしいよねえ」と苦笑していた。ここの名物は「かっこうだんご」というもので「空飛ぶだんご」として知られている。渓谷沿いのお店と川向かいの岸壁の間にワイヤーロープが張ってあり、籠に代金を入れて木の板を叩くと店がするするーっと代金入りの籠を回収し、しばらくするとだんごと湯呑に入ったお茶がしゅーっと滑り降りてくるのである。中々面白そうで、人だかりがしていたが母は「だから何なのさ」みたいな顔をしており、見ていると私もそんな気がしてきたので、近くの名物蕎麦屋で遅めの昼食を摂りに入った。
帰りの新幹線の時間にはまだ余裕があるが、レンタカーを返すにあたり給油したり返却の手続き時間などを考えると市街地が渋滞した場合微妙な時間だった。しかし割と近くだったので我々はこの旅行の最後の訪問地「達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂」に向かった。平泉市内となるがここだけは奥州藤原氏よりもはるか昔、征夷大将軍の元祖「坂上田村麻呂公」の創建とされている。蝦夷平定の成功を毘沙門天の加護と感じ、これを祀るため窟に京都の清水の舞台をまねた建物を作ったとされている。観光ガイドでみて、毘沙門堂も珍しいと思ったが、その先に初めて見る磨崖仏「岩面大仏」というのがある。文字通り岩肌に大仏様が彫られていて、前九年・後三年の役で亡くなった敵味方の供養に源義家公が馬上から放つ弓矢で彫り付けたとされている。境内にはいくつかの由緒のある御堂があり、中々見応えのある名所だった。
矢びつ温泉で感じたが、北東北の日が沈むのは早い。15時を回ると急に寒くなるしみるみる日が陰ってくるのが分かる。我々はレンタカーで一路、一関駅に向かったのだった。今回の旅行は前回のように観光バスを使用しなかったから行動範囲は狭く訪れた場所も少なかったが、一つ一つに時間をかけ、しかも大物揃いだったからかなり母も満足したようだ。この生き急ぎ母子の旅行は必ずと言ってよいほど天候には恵まれる。時間も行程も前回に比べゆったりとしたものだったが、信じられないくらい歩いた。1日目は毛越寺までの道のり、境内の散策、中尊寺の広大な境内はほとんどが坂道、また無量光院跡から平泉駅までと合計すると実に1万2千歩!母が掛かり付けの医師に「歩け」と言われている歩数の倍以上である。翌日はレンタカーや舟下りでそれほど足を使うことはなかったが、それでも幽玄洞や厳美渓などを合わせると8000歩、この二日間で2万歩も歩いたことになる。旅先で歩くのは苦にならぬというが、この私がいい加減、足が痛くなるほどだったから母はよく歩いたものだ。まあ、たくさん歩けるというのは元気の証拠なので、当分はこの北東北方面旅行を企て「ウォークラリー」に連れ出すようにしよう。