八兵衛のときは何と言ったかなー。3月31日をもってこのサイトに何度も登場した巨匠スティーブが退職する。38年の勤続だそうである。我々の預かる仕事では間違いなく第一人者で、業界に目を向ければ引く手あまたでかなり前から色々なところから声が掛かっていたようだ。「スター誕生」の決戦大会で言えば、すべてのプロダクションからプラカードが上がるようなものだ。結果的に我が社とはかなり近しい協力会社の幹部として待遇されることになっている。俗に言う「天下り」などではもちろんない(そもそも天ではないからな)。4月からは別会社になるが違うユニフォームを着て似たような仕事をするだけである。
「何でも屋」のようなやんちゃ八兵衛とは対照的に、趣味はゴルフに鮎釣りという年相応の親分肌なのがスティーブだが、無類の酒好きで新入社員を歓迎して飲み会に行ったときなど「俺ぁ、1年で400日飲むかんねー」などと上機嫌で笑っているが、彼らに昔堅気の「オヤジ」の鬱陶しさを全く感じさせないのがさすがだ。むろん部下にも絶大な信頼をもたれている。彼は施設の保全責任者なので工事中の安全パトロールや点検などに私と一緒に出かけることも多く、一見仕事一本槍に見えるが出かけた時は必ず「おさえるところはおさえる」スタイルだった。(温泉にはあまり行かなかったが・・・)
外食するとやたらゲテ物が多いこの地方だが、スティーブのご推薦は意外と上品で「観音様の山から市内を一望できる蕎麦屋」とか「竹薮に囲まれて入り口がわからない骨董品で固めた和食店」とか「住宅街にポツンとある独特な風味のうどんを出す店」など「隠れ名店」が多かった。県の最東部へ行く用時があると「●野ラーメン食いに行きましょう!」と先達が作成したという「幻のY山ノート」というのを入手し、いきなり上位五指に入る名店を訪れたこともあった。無骨なうどんばかりが好みかと思っていたらラーメンやパスタにもうるさいところが結構あったなー。
この1年、一緒に出かけついでに巡ったのが県内の「名滝」である。水の豊富なこの地方はたくさんの有名な滝があるのだが、仕事の帰りにちょっと車を停めて見物というところが中々なく、駐車場から何十分も歩くところばかりだったためか、結局10箇所行けたかどうかくらいだった。中々高尚な趣味だと思ったし、どれも味のある見事な光景だったのは言うまでもない。30分以上道無き道を歩き、途中で大きな蛇が腹ばっていて、「ぎょえーっ」と逃げ回る蛇の大嫌いな一面を見せた。そう言えば別のメンバーで夏場に日本に一つしかないスネークセンターに言ったが、スティーブとは何度もすぐ近くを通り過ぎたのに一度も「寄って行こう」ということにはならなかった。実は知らなかったが「立入禁止」だったところもあり、「我々二人が見物してるとことなんて見られたらやばかったですよねー」なんてところもあった。
ゴルフ好きのスティーブは(腕は相当なものだ)、20年ぶりに「ゴルフでもやってみようかな」と言った私の「つぶやき」をマッハの速度で拾い上げた。その週にクラブを買わされ翌週には練習場、その翌週にはコースへ連れて行ってくれた。グッチーの師匠らしいが「教え上手」として定評があり、小難しいことは抜きに3つ4つ簡単なことを教えてくれるだけである。「からだが横にスウェーしないように固定して、へそを前に向けるように腰で振る」みたいな漢字である。グッチーはこのシンプルアドバイスでかなり上達したようだが、私も彼もそもそも小難しいレベルまで達していないような気もする。。。
3月をもっていよいよスティーブが去ることになり、グッチーやKYOちゃんは送別旅行を企画してくれた。一泊二日の初日はゴルフ大会でその後はこの地方で最も気に入っている温泉に泊まり大宴会コースである。本格コース再デビュー戦となる私はいつかの県民マラソン前のように「腰が痛くなる」ほど入念に練習場で打ち込んだ。人生初の「始球式」もさせてもらえる予定でホントに楽しみにしていたのだが、何が呪われたのか未曾有の大トラブルに襲われ早朝駅で拾ってもらう予定はそのまま職場へ直行・・・「大きな災害や事故が発生した時に関係者が詰める司令室」に籠もる羽目になった。(うううっ、無念だー)いつもならスティーブも陣頭指揮をとるとおろなのだが、今回は主賓なので構わず大会に参加してもらった。「いやー、磯辺さんたちが気になってプレーにならなくてね・・・」(なーんて言いながらしっかりグロストップじゃんかよ!)
スティーブほどの人望と人脈だ。今月中旬以降は、ほぼ休みなく「送別会」続きだったようだ。何かあると何時であっても私に連絡をくれるのだが、大体電話の向こう側の彼は「らりって」いた。昨晩は主に全管理者が集う大送別会だった。例のごとく「締めはオレにやらすな!最初にして」とお願いしていたのだが、我が職場特有の開式前の「練習」で飛ばしすぎ、何か半分くらい分からなくなっていた。。。
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「昨年の丁度今頃、頼りになる先輩のご勇退の際しての挨拶というのを初めて経験したのですが、それからホントにあっと言う間に1年たった感じがします。2年9ヶ月前に着任し初めてのこの地で何一つ分からない「ストレンジャー」だった時、前任から「一番頼りになるリーダーだよ」と紹介されて以来、文字通り頼りにするどころかほとんどぶら下がり健康器状態にさせてもらったのがスティーブでした。3年近くたってこの会に臨み色々な方からご勇退される方々の功績を讃える挨拶はあるかと思いますが、私の率直な感想だけ申し上げると「我が社というのは結構素晴らしいな」ということです。スティーブを初めとして、我々の預かる施設に関して「いつの時代にもどの国にも『でん』と構える、その領域の『父』とも言える人が必ず存在し、柱石となって支えてくれているからです。
私はここで「主(ヌシ)」とは言わずに「父」と言ったのは何故か?父には広い意味で次の世代の子供に色々なことを教えて育てる義務があります。会社ではご当人はあまり「人に教えている。人を育てている」というのを意識しないものですが、それこそ昔の職人に言われたように、ある者はその仕事っぷりを盗み、ある者は直接教えを請い、色々なスタイルで「育成」されていると思います。ここにいらっしゃる皆さんも彼らに「背中で指導された経験」がある人がたくさんいると思います。
いつも色々なところでお話ししていますが、「企業にとって一番大切なのは『存続』すること」だと思っています。そのために必要なことは色々ありますが、第一級に属するのが「次の世代に我が企業文化をつなげること」だと思います。株式会社の平均寿命って知ってますか?全部対象にしてしまうと日本で7年、アメリカで5年です。上場企業に限ると色々難しいですが、「そこそこ繁栄している」期間は長くて30年くらいです。我々は時代の背景もあり必ずしも自助努力で生き長らえたわけではないところもありますが、一人が勤める期間を短く見積もって30年とみても、何代にもわたって企業文化を受け継いできたことになります。
だから我々企業人は次の世代にそれを引き継ぐべく「人を育てる」必要があるんです。それを明確に「責務」として背負っているのが「管理者」です(必ずしも管理者だけではもちろんありませんが)。だから私は会社員となる以上、管理者として後進を育成するのは第一条件である、と常に言っているのです。どうかここにいる方はスティーブ初め優れた管理者であると同時に「背中で指導できる教育者」になってください。私もかくありたいと常に思ってきました。
最後になりますが、これまで皆さんには色々とお世話になりありがとうございました。私はちょっと冷酷なのか、回遊魚系だからか、色んな節目を通過点としか思わず、思い出を懐かしむという習慣があまりないので、来週からは当たり前のように新しいメンバーで、今後とも色々な形で当たり前のように皆さんと向き合うと思います。事業全体として考えると先ほど申し上げた「後進を育成する」というのは同じ会社にいなくてもできることはたくさんあるので、これからも私も後進の一人として見守っていただけると幸いです。皆様の新転地でのご健勝、ご活躍を記念して挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました。」
」
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職場で同僚としているのは今日で最後・・・ミスタースティーブ、何もかもお世話になりました。二人で歩き回った名滝写真集作ってお送りしますよ。また「あずまや」の肉うどん食べに行きましょうねー。
最後に3つお願いです。
1.近いうちに仲良し会社でゴルフ会を企画してください。
2.二人の縁があった証である丸秘作戦を進めてください。
3.(これ重要)ボクの異動の噂を聞きつけたらガセでもいいから真っ先に教えてくださいね。(たぶんそっちのルートが早い)
今後ともよろしくお願いします。
「何でも屋」のようなやんちゃ八兵衛とは対照的に、趣味はゴルフに鮎釣りという年相応の親分肌なのがスティーブだが、無類の酒好きで新入社員を歓迎して飲み会に行ったときなど「俺ぁ、1年で400日飲むかんねー」などと上機嫌で笑っているが、彼らに昔堅気の「オヤジ」の鬱陶しさを全く感じさせないのがさすがだ。むろん部下にも絶大な信頼をもたれている。彼は施設の保全責任者なので工事中の安全パトロールや点検などに私と一緒に出かけることも多く、一見仕事一本槍に見えるが出かけた時は必ず「おさえるところはおさえる」スタイルだった。(温泉にはあまり行かなかったが・・・)
外食するとやたらゲテ物が多いこの地方だが、スティーブのご推薦は意外と上品で「観音様の山から市内を一望できる蕎麦屋」とか「竹薮に囲まれて入り口がわからない骨董品で固めた和食店」とか「住宅街にポツンとある独特な風味のうどんを出す店」など「隠れ名店」が多かった。県の最東部へ行く用時があると「●野ラーメン食いに行きましょう!」と先達が作成したという「幻のY山ノート」というのを入手し、いきなり上位五指に入る名店を訪れたこともあった。無骨なうどんばかりが好みかと思っていたらラーメンやパスタにもうるさいところが結構あったなー。
この1年、一緒に出かけついでに巡ったのが県内の「名滝」である。水の豊富なこの地方はたくさんの有名な滝があるのだが、仕事の帰りにちょっと車を停めて見物というところが中々なく、駐車場から何十分も歩くところばかりだったためか、結局10箇所行けたかどうかくらいだった。中々高尚な趣味だと思ったし、どれも味のある見事な光景だったのは言うまでもない。30分以上道無き道を歩き、途中で大きな蛇が腹ばっていて、「ぎょえーっ」と逃げ回る蛇の大嫌いな一面を見せた。そう言えば別のメンバーで夏場に日本に一つしかないスネークセンターに言ったが、スティーブとは何度もすぐ近くを通り過ぎたのに一度も「寄って行こう」ということにはならなかった。実は知らなかったが「立入禁止」だったところもあり、「我々二人が見物してるとことなんて見られたらやばかったですよねー」なんてところもあった。
ゴルフ好きのスティーブは(腕は相当なものだ)、20年ぶりに「ゴルフでもやってみようかな」と言った私の「つぶやき」をマッハの速度で拾い上げた。その週にクラブを買わされ翌週には練習場、その翌週にはコースへ連れて行ってくれた。グッチーの師匠らしいが「教え上手」として定評があり、小難しいことは抜きに3つ4つ簡単なことを教えてくれるだけである。「からだが横にスウェーしないように固定して、へそを前に向けるように腰で振る」みたいな漢字である。グッチーはこのシンプルアドバイスでかなり上達したようだが、私も彼もそもそも小難しいレベルまで達していないような気もする。。。
3月をもっていよいよスティーブが去ることになり、グッチーやKYOちゃんは送別旅行を企画してくれた。一泊二日の初日はゴルフ大会でその後はこの地方で最も気に入っている温泉に泊まり大宴会コースである。本格コース再デビュー戦となる私はいつかの県民マラソン前のように「腰が痛くなる」ほど入念に練習場で打ち込んだ。人生初の「始球式」もさせてもらえる予定でホントに楽しみにしていたのだが、何が呪われたのか未曾有の大トラブルに襲われ早朝駅で拾ってもらう予定はそのまま職場へ直行・・・「大きな災害や事故が発生した時に関係者が詰める司令室」に籠もる羽目になった。(うううっ、無念だー)いつもならスティーブも陣頭指揮をとるとおろなのだが、今回は主賓なので構わず大会に参加してもらった。「いやー、磯辺さんたちが気になってプレーにならなくてね・・・」(なーんて言いながらしっかりグロストップじゃんかよ!)
スティーブほどの人望と人脈だ。今月中旬以降は、ほぼ休みなく「送別会」続きだったようだ。何かあると何時であっても私に連絡をくれるのだが、大体電話の向こう側の彼は「らりって」いた。昨晩は主に全管理者が集う大送別会だった。例のごとく「締めはオレにやらすな!最初にして」とお願いしていたのだが、我が職場特有の開式前の「練習」で飛ばしすぎ、何か半分くらい分からなくなっていた。。。
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私はここで「主(ヌシ)」とは言わずに「父」と言ったのは何故か?父には広い意味で次の世代の子供に色々なことを教えて育てる義務があります。会社ではご当人はあまり「人に教えている。人を育てている」というのを意識しないものですが、それこそ昔の職人に言われたように、ある者はその仕事っぷりを盗み、ある者は直接教えを請い、色々なスタイルで「育成」されていると思います。ここにいらっしゃる皆さんも彼らに「背中で指導された経験」がある人がたくさんいると思います。
いつも色々なところでお話ししていますが、「企業にとって一番大切なのは『存続』すること」だと思っています。そのために必要なことは色々ありますが、第一級に属するのが「次の世代に我が企業文化をつなげること」だと思います。株式会社の平均寿命って知ってますか?全部対象にしてしまうと日本で7年、アメリカで5年です。上場企業に限ると色々難しいですが、「そこそこ繁栄している」期間は長くて30年くらいです。我々は時代の背景もあり必ずしも自助努力で生き長らえたわけではないところもありますが、一人が勤める期間を短く見積もって30年とみても、何代にもわたって企業文化を受け継いできたことになります。
だから我々企業人は次の世代にそれを引き継ぐべく「人を育てる」必要があるんです。それを明確に「責務」として背負っているのが「管理者」です(必ずしも管理者だけではもちろんありませんが)。だから私は会社員となる以上、管理者として後進を育成するのは第一条件である、と常に言っているのです。どうかここにいる方はスティーブ初め優れた管理者であると同時に「背中で指導できる教育者」になってください。私もかくありたいと常に思ってきました。
最後になりますが、これまで皆さんには色々とお世話になりありがとうございました。私はちょっと冷酷なのか、回遊魚系だからか、色んな節目を通過点としか思わず、思い出を懐かしむという習慣があまりないので、来週からは当たり前のように新しいメンバーで、今後とも色々な形で当たり前のように皆さんと向き合うと思います。事業全体として考えると先ほど申し上げた「後進を育成する」というのは同じ会社にいなくてもできることはたくさんあるので、これからも私も後進の一人として見守っていただけると幸いです。皆様の新転地でのご健勝、ご活躍を記念して挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました。」
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職場で同僚としているのは今日で最後・・・ミスタースティーブ、何もかもお世話になりました。二人で歩き回った名滝写真集作ってお送りしますよ。また「あずまや」の肉うどん食べに行きましょうねー。
最後に3つお願いです。
1.近いうちに仲良し会社でゴルフ会を企画してください。
2.二人の縁があった証である丸秘作戦を進めてください。
3.(これ重要)ボクの異動の噂を聞きつけたらガセでもいいから真っ先に教えてくださいね。(たぶんそっちのルートが早い)
今後ともよろしくお願いします。