超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

プラモな世界

2014-02-23 17:25:10 | ホビー
あまりカミングアウトしてこなかったが、私の「模型製作」歴は何十年にも及び、読書よりもずっと長い。初めて作ったのは確か10cm×20cmくらいの箱に入った「ウルトラホーク1号」(100円)だった。幼児向きでパーツはいくつか分かれているが、接着剤などは使わず爪切りでバラバラにし数分で組み立てられた。当時は造形などもいい加減(と言うより滅茶苦茶)で、戦闘機なのに機体の下に大きなゼンマイ箱がついていて、走らせて遊んだものだ。ホーク1号は復刻盤が出て結婚してからも3機製作したからかれこれ40年。。。最新の快心作で何代目だろうか?徳川将軍くらいは続いていると思う。ちなみにウルトラ超兵器シリーズはEX超合金化が進んでいて、まさに実物(ってホントはないが)のように精巧で大迫力モデルが発売されている。むろん大人のずるさでMAT戦闘機までの全てのシリーズは「大人買い」しているが、「自分で組み立てない」完成品はやはり模型界では邪道だ。

ウルトラホークに始まり、少しずつ大きくパーツも多い模型が作れるようになってきた。マツダサバンナとかセリカリフトバックなどゼンマイの国産自動車を作り続け、そしてゼンマイを卒業し単三電池とマブチR130モーターでずーっと動き続ける車を作れる時が来た。電池BOXと配線、モーターとギヤ、そしてスイッチを駆使できるようになると、。豆ランプを光らせたりミサイルを飛ばしたり、戦車や軍艦などどんどんフィールドが広がっていった。しかしそのうちに「動かして楽しむ」よりも「小奇麗に作って出来栄えを眺めて楽しむ」ようになってきた。たぶんこれが「模型道」の入り口だったんだろう。特撮、アニメなどの超兵器、テレビでなければめったのことでは実物に触れられないモノを手にして眺めて楽しむ。。。スーパーカーブームがやってきた時は自動車のプラモ、亡命してきた最新鋭のソ連戦闘機MIG25をテレビで見てから戦闘機のプラモをよく作った。戦艦や航空母艦も山ほど作った。一番大きかったのは全長1メートル近くあった米国第7艦隊の原子力空母エンタープライズである。

大きいこと自体は模型の凄さとはあまり関係ない。むしろパーツが大きくなるから作りやすかった。逆に「戦艦大和」などは爪の先のような機銃砲塔が大量にあり、1個1個所定の部位に接着するのはものすごい細かく退屈な作業で私には苦痛だった。デカールなどもピンセットでしか扱えないくらい細かいものもあった。私は完成した姿を求め一気に作り上げるスタイルだったから、必要最小限しか小細工しなかった。(というか決して器用ではなかったのでできなかった)。この辺りでも現在の「趣味」に向かう姿勢が片鱗を見せており、大雑把に何でもこなす水準にはあるがそれ以上深い境地に踏み込むことをせずにいた。一つ障害があったのが「塗装」である。それぞれのプラモ設計図では通常タミヤカラー何番とかいう塗装色が指定されていたのだが、これを薄めるための「シンナー」という液体が中学生くらいの我々には「悪魔の物質」とされ、中々手に入れることができなかったのである。(今でも不良の響きがするよね)

プラモデルには水性絵の具で塗装できなかったから、塗料と筆はうすめ液が使用できなかったために常に1回ずつ使い捨てだった。(何ともったいない!)模型道にそのまま進んだ者は専用の「塗料霧吹き器具」や精密ピンセット、万能台などの工具や精密なオプショナルパーツなどを個別に求め、何ヶ月もかけて本物そっくりに仕上げたものだ。今ではだいぶ減ってしまった模型屋のディスプレイに並ぶすごい作品などがそうだ。
しかし不思議なことに妻も含め、世の女性軍は「模型」というものに全くと言っていいほど興味を示さない。「ゴミを散らかすな。家をシンナー臭くするな」とうるさく言うが、「これは良くできたねえ」などという感想は聞いたことがない。捨てられないのがせめてもの救いで「そんなことのどこが楽しいの?」という顔をしている。戦国武将を中心に歴史探訪を好む「歴女」、乗るとか撮るとか鉄道を好む「鉄女」(リケジョというのは違うと思う)、山ガールに釣りガール・・・最近はこれまでどちらかというと男子の趣味だった分野で楽しむ女子が多くなった。

しかし(むろんいるにはいるだろうが)プラモデルを作って眺めて楽しむ女性を周囲に聞いたことがない。。。作って眺めて楽しむという点では観葉植物やガーデニング、手工芸だって似たようなもの(と言ったら怒られる?)だが、「戦艦大和のプラモデル」をこよなく愛でる女子は寡聞にして存じ上げない。ミリタリーモノが中心になるからだろうかな。「手の届かないところにあるものを手にする」ことへの志向は高いと思うのだが、何となく他の「工芸」と呼ばれる分野に比べて低いカーストにあるような気がする。新橋駅の近くにタミヤ模型のファクトリーショップがあって久々に山ほどのプラモデル群を見てワクワクしたが、昔は街の一定区画にはあった「模型店」がいつの間にか次々に閉店してしまい、今や探すのにも一苦労するのは嘆かわしい。トイザラスや家電量販店のおもちゃコーナーにある、ガンプラやヤマト2199のプラモとはちょっと違うんだよなー。ちなみにgooブログのジャンルの「趣味」欄にも手芸、工芸、鉄道、航空などはあるものの「模型」というのタイトルはない。。。

さて、最近でも静かなマイ・ブームとなっている模型作りだが、その対象物がいかにもなメジャーモノから「少しでも自分に所縁のあるモノ」に変貌してきた。ウルフェス帰りに秋葉原を物色している時、「まんだらけ」コンプレックスで航空自衛隊T-4練習機の古いプラモを見つけ、思わず買ってしまった。小夏師匠所縁のブルーインパルスに使用されている機体である。先の勤務地では陸上自衛隊と合同訓練を行ったりしたので、その時搭乗した思い出のCH-47チヌークをぜひ作りたいと思い探していたら、TOMYTECから当駐屯地仕様の機体がどんずば発売されていたからAMAZONで注文した。実はその他にも御殿場の総合火力演習でその雄姿を撮影したF1支援戦闘機や息子が幼い時に一緒にやったPS2ゲーム「さらば宇宙戦艦ヤマト」で彼が神技を披露して見せた「コスモタイガーⅡ」、そして私が愛してやまない「キャプテンハ―ロック」座乗の海賊戦艦アルカディア号などが、この後の製作を控えている。

  

久々のプラモ製作だったが、T-4練習機はかなり古く多少の歪みもありかなり苦労した。特にデカールは劣化が激しくほとんど全て使用できず、箱を見ながらブルーインパルスの塗装を再現することとなった。また塗料も数年前のものは固形化してしまい、蓋が開かないものも多数あり、新しく買い揃えなければならなかった。丁寧にパーツを外し、昔のプラモはいつも多かった「バリ」をヤスリで滑らかにして慎重に重ね合わせて接着剤を塗り、組み立てていく。昔のように「一気に組み立てて完成品の姿を求める」こともなくなり、「ちょっとずつ組み立てて楽しむ」余裕ができたから、夜な夜なシェッドに籠り今やほとんど座る者がいなくなった甘辛の机で製作に励んだ。

              

ブルーインパルスは松島基地の所属で東日本大震災発生時、基地は壊滅してしまったのだが、奇跡的にも九州に飛行遠征にきており被災を免れた。駐屯地に赴任された幕僚長とディスカッションする機会があったが、彼は近くの連隊の指令を務めており任務を果たすこともなく津波に流される機体を見ながら、「一機でも出動できれば、人命救助他色んな任務が果たせたのに・・・」と涙していたそうだ。浜松航空基地では華麗な飛行を披露し小夏師匠がド迫力映像を撮影されていた。(さすが!)再建なった松島基地に復帰したそうだが、感無量の帰投だったことだろう。

CH-47はまさしく駐屯地仕様の製品があったから喜んで注文した。T-4とは異なり最新の技MIXという塗装済みのプラモデルだ。あの独特の迷彩塗装は私の技術では難しいからありがたいことだ。配送されるのを楽しみにしていたが、届いた箱を見て少し驚いた。。。こんなに小せえの?価格から想定していたサイズの半分くらいの大きさしかなかった・・・精密加工なのと塗装済みというところにコストが嵩んだんだろか。パーツが小さい分接着に苦しんだが、塗料臭くならないのでリビングテーブルで作ることもでき、T-4よりもかなり上手にできた。(当たり前か?!)なんたって、CH-47は私が搭乗して市内を一周した機である。大震災直後、駐屯地から本番として我がスタッフを載せて飛んだのも、テレビで固唾を飲んだ原発への上空からの放水もこの機である。スティーブは前から搭乗をいやがっていたが、あの人が後部ハッチを開けたまま離陸したのにはかなりビビった。でも訓練の際に私達を載せた時は安全運転だったが、御殿場の総合火力演習の時は特殊部隊を降下させた後、ものすごい角度で旋回し上昇して行った。まさしく日本の守護神だ。がんばれCH-47!

              

暖かくなると外へ出ることが多くなるから、模型作りは大寒シーズンに限定されるだろうが、まだまだコレクションの山を築くことになろう。ちなみにウルトラ超兵器シリーズはこれまでに一通りの作製を終え、多くのウルトラコレクションに混じってショーケースに鎮座している。ここ10年くらいの作品だが(ちょっと埃かぶってるねー)、製作しながらホーク1号やポインター号は数知らず、地底万能戦車マグマライザーならあのウルトラセブンが十字架にかけられてしまった「セブン暗殺計画」、海底調査艇「ハイドランジャー」なら「ノンマルトの使者」などの名シーンを鮮明に脳裏に浮かべたものだ。息子甘辛は小さい時から「トランスフォーマー」シリーズのように自分の手で動かして形を変えて遊ぶおもちゃが好きだったが、不思議と「作って飾って眺めて楽しむ」模型道には今のところ興味を示さない。今の若者は「電子デバイスによるゲーム」という万能兵器があるから、恐らく模型など退屈なのだろう。実はこの「ゲーム」に関しても他ならぬ私の歴史は長いのだが、それはまたの機会としよう。

        

ディケイドな「本の友」

2014-02-19 07:32:35 | 書籍
いつもひょんなことがきっかけなのだが、自分が読んだ図書で面白いものをリコメンドしたり、逆に面白かった図書を紹介してもらったりしながら、その本について少しだけ語らうような「本の友」(と自分では勝手に思っている)と言える人が数人いる。元々知性的に信頼できる人ばかりで、響きあうツボも同じような気がするから、「読んだよ」と言われると疑いなく自分もその本を手に取ってしまうのだ。同年代がやはり多いが、10年若い人、20年若い人が少しだけいて、30年若いのが息子甘辛である。しかも甘辛以外は全て女性、というのが不思議だ。この年になるとだからどうと言うことはないのだが、読書に関しては圧倒的に女性の方が相性がよい。なにかのきっかけでとある本を読み、色々なチャネルでそれを紹介するとそれを見て読んでくれる人がいて・・・その人が最近読んだ本で面白い、と言ったものを手にしてその感想を例えば「超兵器」に掲載する。そうこしていいるうちに私が勝手につなげている以外は何の関係もない人たちが「本」をキーに連鎖する時がある。読書を趣味とする者にはこの上なく親しみを感じる時だ。いつか、この人たちと集えたらどんなに楽しいかと思う。

例えば読んだ本の紹介や感想をたまーに直接メールなどしてくれる年来の知人がいる。この人も歴史や社会、人間模様から恋愛モノと読書の幅は桐生の「ひもかわうどん」のように広い。いつか紹介された本について思うままに感想を書くと、少しは期待に応えられたようだった。その彼女にKICKPOP師匠のサイトで拝見し、早速読んでみた「舟を編む」を紹介してみたら、いたく気に入った様子で「語る会」を開こうかなどと話したこともある。そして今度は彼女が教えてくれたのが先日、このサイトで紹介した「流星ワゴン」である。嬉しいことにKICK師匠も反応してくださったが、他にも記事を読んで誰かが読んでくれたら嬉しいと思う。

  

小夏師匠推薦の「Anne of Green Gables」は約10年下の敏腕マネージャー「ベッティ」が読んだはずだ。また別の機会に「イニシエーション・ラブ」という図書を紹介されたことがあった。この本は前回の「人生やり直し・・・」のように小説として内容をかいつまんで紹介しにくいものだった。男子的には歓迎な描写もある恋愛?モノで全体的には「下らない」内容なのだが、読み終わった時にある戦慄が走り、もう一度読み返さずにはいられない。ちなみに私は2回目は紙と鉛筆片手に何度もページを行ったり来たりした結果、落丁まで発生させついに「ヘウレーカ!」となった。なるほど、世の中には不思議な本もあるものだ・・・

  

私はこの本を「ぜひ感想を聞いてみたい」と思う何人かの「本の友」に伝えた。その一人は同門の元同僚だが、わざわざ本そのものを貸してくれた「夜のピクニック」は息子甘辛も気に入ったようで、DVDも家族で見た。また以前に「読書会」のネタになるような本として田辺聖子さんの三部作「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」を紹介してくれた。3つとも読んでみたが、どれも時代を超えた女性の人生観などがいきいきと感じられる味わい深い本だったが、これらを題材に女性メンバしかいない「読書会」に参加した場合、絶対絶命の危機に瀕するような気がして口には出さなかった。今は波多野聖さんの「銭の戦争」という著書を読んでいるそうで、かなりの続き物のようだが私の次の読み物を予定している。

  

イニシエーション・ラブをリコメンドしたもう一人が以前このサイトにも登場したAKB(はたぶん卒業した)改め「あまちゃん」である。初めて会った時は新入社員も同然で「若くハツラツ」オロナミンC的にしか見えていなかったのだが、今東京で立派に中核戦力として活躍している。彼女も「阪急電車」という実本を貸してくれ、フレッシュな気持ちで読んだ。著者はどうも自衛隊フリークなところも私の共感を呼び、その後自衛隊員を主役とする面白い著書をいくつも読んだ。久々かつ突然にメールを送りつけてしまったが、早速読んでみると返してきた彼女が教えてくれたのが「風が強く吹いている」だ。これは先の「舟を編む」と同じ作者の著書だが、このサイトでも何度か話題にした我が家の近くを走る「箱根駅伝」を目指す若者の物語だ。早速読んでみたが、あまりに夢中になって読みながら東海道線を2回も乗り過ごしてしまった。実は陸上競技部錬成所だったボロアパートに住む個性溢れる十人の住人(シャレじゃないよ)が、陸上をやるものは多く特別な思い入れを持つ「箱根駅伝」を目指そうと決意する。ベタベタのフレッシュ青春物にも思えるが、胸の内にぐあーっとせり出したマグマ溜りを爽やかな風が冷やしていくような書物だ。

人数ギリギリの素人衆しかいない弱小クラブがその熱意と血のにじむ努力によってガリバーのような強豪を凌駕していく物語は古くは「キャプテン」「スクールウォーズ」そして最近では「ルーキーズ」と枚挙にいとまがないが、スポーツとしての技能や精神とは一段異なった、最もシンプルで簡単な「走る」ということがどういうことかを取り上げたところが新鮮だ。ボロアパート「竹青荘」にはコミック命の「王子」、理工学部留学生の「ムサ」、元サッカー部の明るい双子「ジョータ」と「ジョージ」、田舎でだけ呼ばれていたという「神童」、卒業前に司法試験合格済の「ユキ」、大学5+2年生のヘビースモーカー「ニコちゃん」、TVの前のクイズ王「キング」だった。それぞれ長距陸上などには全く縁のない生活をしていたが、高校陸上で問題を起こしたが才能抜群の「走(かける)」と出会った影の管理人「ハイジ」が箱根駅伝を目指すことを宣言する。彼は烏合の衆にも見える住人に見出した箱根向きの才能をひた隠し、メンバの頭数が揃うのをひたすら待ちわびていたのだ。

    

なーんかいいよなあ、こういうの忘れちゃいけないよなー。というように読み進められる。私も最近「湘南藤沢市民マラソン」で16キロを走り切り、練習は退屈しながらも、大会の高揚感、沿道の応援との一体感、そして身体との対話などを通し、「走る」って結構楽しいものだし、これから迎える年代向けじゃないか?と思い始めていた時だったから、それこそ夢中になって読み進んだ。予選会をギリギリ通過し、晴れて箱根に向かう本戦に出場する。(ここまではネタバレしてもいいよな)メンバは各区間を走る時、それぞれ仲間への思いや1年間の努力などを振り返り後はひたすら襷をつなぎに走り続ける。単なる悲壮感漂うスポ根ものではないところがいい。小学生なみの感想だが、ちなみに私が一番好きなのはムサ、東海道線を乗り過ごしたのは「双子の弟を想いながらジョータが走る3区」である。

1区:王子
「力石だ、力石ですよニコチャン先輩は!」
2区:ムサ
「神童さんは入学当時から交際している女性がいます。」「私はだめですねえ。なかなか故郷まで来てくれるというかたはいません」
3区:ジョータ
「3区って海沿いを走る道でしょ。景色がいいよな」
4区:ジョージ
「小田原でカマボコ買っていい?」
5区:神童
「田舎の家では、マッサージチェアとルームランナーとぶら下がり健康器が、たいてい埃をかぶっているものなんだよ」
6区:ユキ
「ハイジ。おまえすぐにひとの脚に触る癖、やめたほうがいい」
7区:ニコチャン
「双子がな、葉菜ちゃんの気持ちに気づいたんだよ。それで、走り終わったジョータもふにゃふにゃ、走り始めたジョージもふにゃふにゃってわけだ」
8区:キング
「ムサ、おまえもこの春から聞かされ続けたはずだぜ。ハイジが『番町皿屋敷』みたいに『あと一人たりない、あと一人・・・』とつぶやいているのを。」
9区:走
「シューズのせいじゃないかと思うんですけど。それ、バッシュでしょ?」
10区:ハイジ
「長距離の選手にはいくらでも飲めるって体質の人が多いんだ。内臓の代謝がいいのかな。きみたちもザルを通り越してワクだろ?ずっと飲みっぷりを観察していて、これはいける、と思ったわけだ」

練習中にも本番にも絶妙な抜け具合が随所にあるところが肩の力が入り過ぎなくてよいが、肝心なところは帰マンのウルトラランスのようにグサリとついてくる。「オレは知りたいんだよ。走るってどういうことなのかを」
私は社会人になるまで一応サッカーをやっていたが、「走ること」が楽しいなど一度も思ったことがなかった。高校の駅伝コースマラソンはいつもサボっていたし、学生、社会人になっても「黙々と走る」意味は全く理解できなかった。生まれて半世紀近くたってようやく、人類のただ「走る」という機能に少し興味を覚えた。息子甘辛にもぜひ読ませたいと思った。この本は出世魚のブリのように読む年代によって変わっていくものではあるまいか?!時間はあり余り体力バリバリの学生時代、時間はないがまだまだイケる社会人初期、家庭をもって一旦スポーツとは離れる期間、そしてまた動き出すが身体との対話が必要となる年齢・・・この本を読んで、ついその気になり台場のグルメマラソンにエントリーしてしまったぞ。

骨太筋肉質の「ニコチャン」スタイルの私と異なり、甘辛はスラリとして脚が長く「走」体系だ。長距離走も速そうだが本人は「あり得ない」という。私もそうだったが、いつかもっと年を経て甘辛がこの本を読んだ時、今とは全く違った、私と同じような気持ちになったら実に面白い。(そうなるような気がする)
「あまちゃん」は私のリコメンドした「イニシエーション・ラブ」を読んでくれたようだ。その感想なるものをメールしてくれたが・・・イニシエーションとは「通過儀礼」つまりこれが最後の恋だと思っても、次なる成長はやってくるものだ。。。と最初ここまではボクも何となく理解したのだよ。ふ、ふ、ふふふ。。。ハイジ風に言えば「君は肝心なところにまだ気付いていないようだ」。ちゃんと解き明かして「ヘウレーカ!」とメールしてこいよ。
世代年代を越えて、リコメンドし合う「ディケイドな本の友」は得難い資産だと思う。

風雪ながれ旅

2014-02-16 12:41:16 | 出来事
2週間にわたって関東地方は週末、大雪に見舞われた。こういう時はじたばた出掛けようとせず、プラモを作ったり普段しない料理に挑戦したり「家の中で」泳ぎ回るのだが、今回はものの見事に大雪暴風の威力を味わうことになった。木曜から1泊で札幌出張の仕事があり、週末は関東地方が荒れる予報だったのだが、いつもの通り何とか切り抜けられると思っていた。これまでこの時期に札幌を訪れるのはほとんどなかった。地面は堅く凍り、歩き方で土地の人かどうか一発で分かると言われた。そもそもかの地方ではビジネスシューズもスタッドレスになっていて、普通の革靴で歩く人など誰もいない。「念の為に●4丁目のビルの真前までタクシーで行き、エントランスで転んで骨折した人いるんですよ。そうなったら伝説的な笑いモノですねー」しかしそのためにわざわざ溝深シューズを買うのも何となく癪にさわる。ここに至り私は靴の周囲にゴムバンドを巻き、スパイク化するアイテムを購入したのである。その名も「シューベルト」・・・素晴らしきネームだ。(実はこの名前が気に入ってつい買ってしまった)

  

「そんなの履いてる人、誰もいませんよ」と冷やかされながらも中々具合がよく、ホテルからオフィスまでの凍結した歩道をスキップして歩いてみせた。しかし今時の都市中心部はロードヒーティングと言って歩道の下にパイプで温水が循環していて雪が凍らなくなっているところが多いのだ。戦艦大和の46cm主砲のようにあまり活躍することがないのが残念だ。オフィスに到着すると誰かが気を利かせてくれたのか、私の席の真横に電熱ヒーターが煌々と光を発していた。昔から言われるが、北海道の人は建物内で「これでもか」と言うほど暖房を焚く。外は氷点下なのに部屋ではTシャツでアイスを食べる、と冷やかされる由縁である。研究所に勤務している時に北海道出身の人がいて、冬は「寒い寒い」と建物内でも笑っちゃうくらいに厚着していた。暖房が足りぬと言うのである。私はお礼を言いながらも気が付かれないようにヒーターのスイッチを切っておいた。

朝一でメンバ総出の合同ミーティングで何かしゃべれと言われ、いつものような話に加え、「今日は予報で言われているように東京地方は大雪と言われています。私は神奈川県の湘南地方に住んでいるんですが、10センチ積もるとどこにも行けません。札幌の人には笑われるでしょうが、電車もバスも止まり、車は立ち往生、二輪なんかとんでもないので、移動手段は足しかないんです。ゆりかもめが止まると台場はマヒ状態、札幌だけが頼りです!どうかそのせつは協力よろしくお願いします。私、今日帰れなかったらまたここに来ますからね」
半分冗談のつもりだったのだが、こういう時ってホントのことになるものだ。午前のうちに雪はひどくなり、積もってはいないが交通機関に影響が出始め、さらに夜半に向けてひどくなる予報だ。

心配しつつも午前中のワークと打合せを終え、少し早めにオフィスを出て前々から「行こうぜ」と言っていた店に向かった。「秘密のケンミンショー」で紹介されていた、美唄地鶏の店「福よし」である。あの番組ではいかにも「●○ケンミンはいつもするみたいな言い方をするが、そんなことは決してない」と評されるが、この店は札幌市内だけでもたくさんあり、どうやら流行っているようだ。炭鉱労働者のスタミナをつけるため、鳥の色々な部位を串に刺した郷土料理が美唄焼鳥だそうだが、ある客が飲んだ後の〆に串の残った焼鳥をそばに落として食べたことが人気となり、いつの間にか常連スタイルとなったそうだ。以前はランチタイムは限定数しか出していなかったのだが、あまりの人気に定番メニューとしたようだ。普通のモモ肉に加えレバーや内卵、砂肝、心臓などの内臓および、タマネギが塩、コショウで味付けされていて、その油分が濃い目のそばつゆとマッチして実に香ばしく美味かった。かなり歯応えがありお腹も満たされる。

    

そのまま別のオフィスに移動し、心配されたフライトの状況を調べてみるとひとつおきくらいに欠航になってしまっているが、我々の搭乗予定便はまだ何ともアナウンスされていない。「別に無理して飛ばなくてもいいよな。こっちは晴れてんだしさ。今日泊まる羽目になったら明日『旭山動物園』行ってみたいな」私はこともなく笑っていた。空港まで行って足止めされている人々の疲労仕切った顔をニュース番組で何度も見ているから、いざとなったら皆とオフィスで一夜明かすつもりだったのだが、会議中に後ろからメモ書きを渡された。「●ALはまだ未定のようですが、A●Aは飛ぶようなので、変更できるか調整してみます」
(ふーん、そこまでして帰んなくてもいいのになー)なんて考えていたが、ふと電撃のように閃くものがあって私は会議室を飛び出して事務室に走った。「プロペラ機はやだよ!●ンバルディアじゃないこと確かめてね。オレ、絶対乗らないよー!!」

結局、予約していたフライトは予定通りのようだった。「こんな時でもなきゃー、旭山動物園なんか行けないのに・・・」ぶつぶつ言いながら、快速エアポートに乗り込んだのだった。札幌の天気は良好だが、羽田周辺はだいぶ荒れているらしい。搭乗する機がまだ到着しないということで、最初に案内板に出たのは「遅れ30分」だった。まあ、そんなもんならよくある話だ。制覇まであと2店舗ラーメン道場でとなった味噌ラーメンを食って、保安検査場を通過した。この時点で案内板は更新されていて、「新千歳空港引き返し、または関西空港に行き先変更になる場合があります」だーかーらー、そんなにまでして飛ばなくていいんだって。KIXなんか行っちゃったら帰りどうすんだよ・・・?!(実はそうなったら、「円谷ジャングル」に行ってみるつもりだった)

  

東京地方は大雪、羽田空港は除雪が間に合わず上空混雑が予想されるため管制塔の指示で離陸は見合わせ新千歳空港で待機・・・・結局、我が便は約1時間45分遅れで出発した。よく欠航しなかったものだが、午前中から早々と欠航を決めていた便はどうやら小型機の分類に入る機体だったらしい。なるほどなー、これはいい教訓だ。これから風雪のひどい時にはなるべく大型機を選んで予約しておくことにしよう。引き返したり別の空港へ行き先変更もありうると聞いていたので、かなりの揺れを覚悟していたが、東京上空までは恐怖の「プロペラ機のように上下することもなく安定に飛行していた。さすがは大型旅客機。。。ところがである。「この飛行機はあと約15分で着陸します」というCAの機内アナウンスがあってから、上下左右にぶわぶわ揺れ出した。

着陸前になると機外設置カメラが地上の様子をスクリーンに映し出すのだが、テレビ番組放映時間終了後の砂嵐のようにものすごい勢いで雪が左右に別れ、明かりらしいものは全く見えない。(こ、こんな嵐の中、着陸するの?!)私は食い入るように前方スクリーンを睨みつけていた、旋回している様子はないし、無理に下降しているようでもない・・・いつまでも見えてこない滑走路の明かりに、もしかして着陸を諦めて別の空港目指してるのか?!」と首を傾げていたら、突然雪をかき分けて真っ白になっていたスクリーンに滑走路を示す一直線のライトが見えたと思った直後に「どすん!」と着陸・・・恐怖を感じる暇もなかった。。。すげえ、あんな視界の中、よく着陸するもんだな。さすがプロ!私は心の中で拍手を送っていた。

出発は遅れたが飛行時間はほぼ予定通り、22時45分くらいに羽田空港に着陸した。外はすごい猛吹雪だったが、電車が動いていれば何とか帰れそうだな、と思っていたら思わぬオチが待っていた。駐機場に向かう機体が途中で停止してしまったのである。外は横殴りの大雪だ。このまま止まっていたら、いくら大型旅客でも雪に埋もれちゃうんじゃないか?!とさらに心配していたら機内アナウンスが入った。「当機が使用する予定の14番ポッドにいる飛行機を移動させる車両の準備に手間取っていて、あと30分ほどかかるようで、管制塔からの指示を待っている状態です」
何と!この猛吹雪の中、せっかく着陸したのに今度は飛行機から降りられないってか?!このままでは終電に間に合わない・・・私はニュースに映った空港で一夜明かす、疲れ切った人々の顔を思い出した。

結局約1時間後に機体はゲートに到着、深々と頭を下げる乗務員に私も同じように頭を下げた。飛行機のドアの向こうは雪が大量に入り込み、滑るからと新聞紙が敷き詰めてあったのだ。中には憤然と機体から去って行く客もあったが、乗務員も大変だったのだ。しょうがないよなー。実は大雪の影響でモノレールも京急も運転見合わせになっていたようだ。やっぱ札幌に残って旭山動物園行けばよかった・・・
ゲートを出ると、同様に帰れなくなった人がほぼ全ての待合席を占拠していた。もう地べたで寝るしかないな・・・毛布をもらってどこに陣取ろうか歩き回っていた。「あの辺にしようぜ」私は同僚を促した。青い看板、ローソンが見えたのである。「こうなりゃやけだ、始発まで酒買って飲んでいよう。ここにいれば、不自由しないぜ。」ビールとつまみを買い込み、毛布を下に敷いて酒盛りを始めたのだが、残念ながらお代わりを買いに行ったら、ローソンは終わってしまっていた・・・

  

何時間か仮眠し始発電車の時間になったが、京急は早々と「運転見合わせ」の看板が立てられてしまった。モノレールは動いているので浜松町に向かう。ネットの運行状況には「見合わせ」一覧に京浜東北と東海道が無かったのでもしかしたら帰れるかも、と思ったのだ。品川駅で乗り換え用としたら社内アナウンスで「東海道線は運転を見合わせています。横浜方面ではこの列車をご利用ください」うー、やべえ、やべえ。。。ネットの情報とあってないじゃんか・・・と思いつつ、そのままブルーの京浜東北に座っていた。このまま乗っていれば根岸線経由だが大船までは辿りつけるぞ。外の雪は雨に変わっているようだった。

川崎駅まできたら、さらにアナウンスがあって「東海道線は沼津行きに乗り換えできます。間もなく発車しますので1番線にお急ぎください」なんだ、なんだ?動き出したのか?!私は人の波をかき分けていつものいつものオレンジグリーンの列車に飛び込んだ。まだ6時台だから人は少ないはずだが、私のように昨晩帰れなくなった人が多く載っていたようだ。良かった~。これで帰れる。急に眠くなってきてうつらうつらしていたら、次の横浜駅でまた長めの停車時間をとったあげく、「ただ今、茅ヶ崎平塚間強風のため、東海道線は運転を見合わせています。各駅に列車が停車中なのでこの列車も横浜駅で止まります。なお、運転再開の見込みはたっておりません」
はぁ???雪じゃなく今度は風か?!何と言う呪われた日か!

大体、すぐに動いてしまって裏目に出ることが多いのだが、回遊魚系の私は「運転再開の予定が分からぬ」時は迷わず降りて他のルートに走る。車内には多くの人が残っていたが、私はそそくさと構内を出て横浜市営地下鉄に向かった。茅ヶ崎平塚間で止まっているなら、その方面に行かない列車を使えばよい。地下鉄は無傷だし、小田急江ノ島線は全線各駅でだが動いているから、湘南台に出て藤沢に向かう。バスはタクシーは無理かもしれないが、最寄駅まで行けば最後は歩いて帰ることができる。湘南台付近になると列車は地上に出るが、なるほど細かいものの横殴りのすごい風雪だ。特に馬入川の橋上はすごいことになっているのだろう。

私は20分遅れで到着した片瀬江ノ島行きに飛び乗れた。安全のために時速45キロの徐行運転となっており普段の倍くらい時間がかかったが、もうこれで徒歩圏内だと思っていたら最後の試練が待っていた。
「藤沢駅でポイントの安全確認のためこの電車は藤沢止まりとさせていただきます」
もー!もうちょっとだったのにぃ!気温が上がったのか、外はかなり強い雨と変わっていた。待っていても迎えが来るわけでもなし、タクシーもバスも動いていない。私はコンビニでインスタントのコートを買っていよいよ歩き始めた。まさかこんなところで札幌用の「シューベルト」が役に立つとは思わなかったぞ。雪とジャリジャリのシャーベットに悪戦苦闘すること45分、ようやく我が家に辿りついた。

ウッドデッキには先週から残った雪の上にさらに新雪が数十センチ積もっており、「このまま万年雪になると腐る」と心配する妻と部活が休みでまったりしていた甘辛の3人で雪下ろしを行った。2時間ほどかけて古い方のウッドデッキからほぼすべての雪を新しい方の上にうず高く積み上げた。その山で傾斜を作りソリをスノボ代わりにして甘辛と遊んでいた。屋根にもうずたかく雪が積もっており、「あの上から滑ってジャンプすればオリンピックのスロープスタイルだよな」「反対側から上れんじゃね?」この手の遊びは万能な甘辛がさっそくソリを持って行こうとしたが、さすがに止めさせた。いやー、疲れた。。。今日も大量に雪が残っているから、ハーフパイプでも作るかなー。。。


  

さらに復刻?!北京亭のタロー&マーボ

2014-02-09 20:49:40 | 食べ物
このサイトに記事を投稿するようになってもう何年もたつが、未だに訪れる方の数や閲覧数以外は見たことがなかった。ちなみこのサイトは完全無料の何の機能もないただ寄稿するだけのものだったのだが、有料のアドバンスコースのPRがたまたまあって見てみたら、数少ないが訪れた人々の傾向(どんなサイトを訪れているかとか)や色々な分析、多彩なブログ機能があるようだった。そこで今まで見たこともなかったこのサイトの閲覧ランキングというのを初めて見た。(これは無料コースでも見られるらしい)
1日に読んでもらった記事の数の多い順番のようだから大体、投稿したばかりの最新記事が一番閲覧されているのだが、驚いたことにほぼ100%ベスト10に入っているロングラン・・・まるでザ・ベストテンの「みちのくひとり旅(山本譲二)のような記事があった。「復刻?!北京亭の中華丼」編である。ちょうど1年前の今頃投稿したものだった。
http://blog.goo.ne.jp/hayapo21/e/76a9885de958d83c24de69da23ffcd4f

北京亭というのは私が小学生の時に母が友人が聞き込んできた茅ヶ崎駅南口に店を構え、10年くらい前に閉店してしまうまでの約30年間、愛してやまなかったラーメン屋である。むろん私の妻も息子甘辛(幼かったが)も大ファンだったが、フェイスブックなどで同郷の人々と今までできなかったような音信が簡単に通じるようになると、意外にも北京亭の存在を懐かしむ人が実に多く、もはや「伝説」とも言われるほどに至った。中華丼については以前書いたように、マイ鍋をふるった私よりもそのレシピを家庭なりにアレンジした妻の作品の方が優れているのは事実だが、ここに来て「せっかくなら人気メニューを一杯復活させようじゃんか」という極秘作戦を考えていたのである。

まずは中華丼に匹敵する人気メニュー「タローメン」である。これまで数十年、多くのラーメン屋を訪れたがこのメニュー名はどこに行っても聞いたことがない。北京亭オリジナルメニューだと思う。小学生の時に母と一緒に入った当初は「ミソラーメン」一辺倒だったのだが、カウンター席に並ぶ多くの客達が頬張る謎の肉野菜卵とじラーメンが気になっていた。ある日、勇気を出して注文したらとてつもなく上手く、あっと言う間に不動のファンになってしまった。私にとっての歴史は中華丼よりもタローメンの方が深いのである。基本のレシピは中華丼と同じだが、異なるのは豆腐が入っているところである。

具として用意するのは、キャベツ、(冬なら白菜主体)、にんじん、玉ねぎ、豚肉少量、にら、豆腐、卵である。北京亭特製のしょう油タレはほぼどのメニューにも登場し様々な味を醸し出す魔法のタレなのだが、家庭ではまだ調合できたことがないので、生ラーメンスープで代用する(半分使って炒め、半分はスープにする)。後は中華スープ、塩、コショウ、かたくり粉を使用する。店では豚肉は生ではなく茹でてある小片を器から鍋にぶち込んでいたから、スープのダシを取った後の肉を細切れにしたものかもしれない。まずこちらは生だから豚肉から簡単に炒め始める。野菜群はボールで一緒にして混ぜ合わせたものをどばーっと鍋にぶち込む。店の場合は強火力のためあっと言う間に火が通ってしまうのか、しょう油タレでちょっと炒めるとすぐにスープを足していたが、IHでは生煮えになるので結構時間をかけて炒めた後に中華スープを足す。ここで塩コショウし、一旦味見するのが確実である。

          

中華丼と異なるはこのあたりでラーメンを製作しなければならないところだ。炒め用に使ったラーメンスープの残り半分を使ってどんぶり張った熱湯に合わせ少なめの麺側スープとする。鍋に豆腐を入れ一煮立ちさせた後、水溶き片栗粉をくわえとろみを付けるのだが、一気に入れて失敗すると復旧が困難なので、少しずつ様子を見ながらやった方がよい。麺側スープと絡まるので少し中華丼ほどシビアではない。次にといた卵を加えかき混ぜる。にらは最後でもこの前でもどちらでもよい。最後におおさじ一杯のごま油をたらして出来上がり。
やはり難しいのは途中で「麺を茹でる」プロセスがあることだ。丼側のスープは半分しかないから、早く茹で上げ過ぎると丼内で固まってしまうし、茹で時間を取り過ぎるとのびてしまう。ちなみに北京亭のおばさんは絶妙にタイミングで麺を茹でていたかというと、意外にいいかげんで、おやじの鍋の具が先に出来上がってしまうと先に丼に盛られた具の上に麺をどさーっとのせ、菜箸でグルグルかきまわすという荒技を繰り出す。これを「常連」は「麺アトもの」と言い、おみくじで「小凶」を引いたくらいの不幸を感じる。

            

タローメンはこれまで何十回と作成を繰り返し、記憶にある味に似たものはほぼ「ノ―ルック」で作れるようになっている。これは先月末に悪天候で外出できず一人飯になった時に製作したもので中々の出来栄えだった。そして次なる復刻は「マーボー丼」である。ミソラーメンと同じブルーの丼で出されるこのメニューはどちらかと言うと女性に人気があったような気がする。調理そのものでは全く辛味を付けることがなく、しかも卵とじスタイルだ。まろやかでお粥感覚でかき込むことができるが、中華丼に比べて野菜のアクセントがないので、少し味が単調で後半個人的には「飽き」がきたものだ。二日酔いの時とか胃が疲れているときには優しい味だった。ちなみにメニューには丼にかける「マーボー丼」と黒い器にマーボー部分とどんぶりご飯が別々に出てくる「マーボーライス」というのがあった。

基本、特製タレ&スープでの味付けだからすぐに再現できると思っていたのだが、3回トライしてどれも失敗。あまり製作プロセスを覚えていなかったのだ。最初のヤツなんか中華丼のすっぽ抜けのような感じだった。別の店で本来の麻婆豆腐(全然味が違う辛いヤツ)を食べて、具材を正確に思い出してみた。中華丼よりも種類が少ない分だけバランスと味付けのごまかしがきかない。2回目は木綿豆腐を使用したのだが、角切りサイズが大きすぎて卵豆腐丼になってしまった。。。水溶き片栗粉によるとろみの付け方やとき卵の混ぜ方も中々難しい。変な味になるとその味がずーっと変化なく続いてしまうのでショックが大きい。これはシンプルな分手強いメニューだな。3回目は水溶き片栗粉の量が多過ぎて、丼内におぞましい「カタマリ」がいくつかできてしまい、塩辛いのか抜けているのかわからない味になってしまった。ここにきて私は妻にヘルプを求めたのである。

この週末、関東は歴史的な大雪に見舞われた。数年前、東京に大雪警報が発令された時、ウッドデッキの雪を集めて小さな「かまくら」を作り、甘辛がその中でカレーライスを食っている写真があるが、今回ははるかにすごい量だ。午前中のうちにエントランスは雪で埋もれ、ウルトラセブン「零下140度の対決」で怪獣ガンダーに破壊された地球防衛軍極東基地のように、赤いライオン号もポインター号も偵察用チャリですら出動不可となった。「材料買ってくるから昼飯、マーボー丼にしないか?」と妻に聞いたら、何と材料は全て買ってあるという。(素晴らしい)しかし彼女も一度も作ったことがないので、北京亭マーボー丼の手順は私が横で指示することになった。

  

雪で家族3人どこにも行けないから3人分のマーボー丼の材料を並べた。材料はにんにく、挽肉、豚小間、絹豆腐、ねぎ、にら、卵である。豚小間は本来は生でなく、例の器にある茹で上がった細切れだ。まずサラダオイルでにんにくを炒め香りを出し、これに挽肉と豚小間を加えて色が変わるまで炒める。これにスープとしょう油タレを加える。3人前とは言えスープが随分多いなー、と思ったが最近ノ―ルックで中華丼を拵える妻の経験に任せた。次にお約束の塩、コショウで味を調える。これに前よりも小さく角切りにした絹豆腐(前回、もめん豆腐ではないと直感した)を加えて十分に熱を通す。本物の中華鍋だとすぐに煮立つのだがIHでは冷たい豆腐を入れると一旦湯温が下がってしまう。

              

鍋が再びぐつぐついいだしたら、水溶き片栗粉をとろみの様子を見ながらかき混ぜながら加える。いい感じにとろみがついてきたらとき卵を加えて静かにかき混ぜる。この辺りで外見は中華丼に似てくる。(実は味も似ている。)最後ににらを加えてゆっくりかき混ぜ余熱で熱を通したらごま油をたらして出来上がり。
うーむ。。。悔しいがこれまでの私の失敗作よりもはるかに上手く北京亭に近い。まろやかで胃に優しくするすると口に運べるのは素晴らしい。ノーマルヒルでこれまで数メートルずつ飛距離を伸ばしていたのに、いきなりK点超えのジャンプを見せられた気分だ。しかしようやくこれでかの名品3メニュー目がほぼ完成だ。
しかし結構試行錯誤してこれでやっと3つ目か・・・実は北京亭きってのセレブメニュー「肉野菜炒めライス」と「ミソラーメン」にトライしたのだが、まだここに掲載するレベルには至っていない。今や幻、伝説ともなった茅ヶ崎北京亭のメニュー完全復刻の道のりはまだ遠い。

                

プロペラ機の恐怖

2014-02-04 23:12:09 | 出来事
今の職場になって「車で県内の隅々まで巡る」という代わりに、遠距離にある主要な拠点を頻繁に訪れるということが多くなった。大雑把に言うと札幌、仙台である。同じような職務を分担しているのだが、各々の生い立ち、地域事情、県民性などが相まって必ずしも軍隊のようにどこに行ってもマニュアル通りというわけではない。どこかに「オレんちはそれなりにちゃんとやってるんだから、放っておいてくれ」という空気がある。北関東勤務地は一つの「国」であって、「この国の人はこうなんだよねえ・・・」と苦笑すれば皆、納得賛同してくれたものだが、今は中々そうはいかないところが面白いところだ。一時期、中央集権化を志向して強力に干渉した時もあったようだが、私が着任して「まあ、いいんじゃないでしょうかねえ、えへへへ」みたいにやってきた。その方が「楽」だからだが、「ダイバーシティである」と言い張っている。

その代わり東京も含めて何か所もある拠点になるべく足繁く通うことにしている。一斉モノはテレビ会議が多いが、私は情報産業に類する会社に勤める割には電話が苦手で、長々と要件を話したり「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)を受けることができない。実際にそこに立たなければ分からない職場の空気、香り、温度などはあるものである。地方の拠点も1か所ではないから訪問すると当然1日がかりとなるが、便利なことに会社のオフィスであればどこに行っても同じような仕事ができるようにITシステムが整備されている。(つまり出張にかこつけて普段の仕事をサボれない・・・)羽田から新千歳まで1時間半(その先オフィスまで1時間)、東京から仙台まで1時間半(この速さはすごい!)どちらも丸1日コースとなるから、最近は泊付きで梯子することもある。

さて先日、とある大手航空会社から一枚のカードが送られてきた。マイレージとは別に利用頻度の多い顧客向けにフライトマイル又は搭乗回数によって特典のあるプログラムがあるそうだ。空港のファーストラウンジ使用や優先搭乗、ビジネスクラスへの限定アップグレードなどができるようだ。結構乗ってるからなー。(新幹線もあればいいのに・・・)その航空会社でカード詳細を調べていると「生涯マイル」という面白そうなページが現れた。それほど飛行機に乗るわけではないので、これまでの搭乗回数は60回、地球約6.5周、総搭乗時間は434.1時間だそうだ。この航空会社だけだが、まあこんなものか。。。

他の会社も含めて100回搭乗したとすると、結構深刻なトラブルに見舞われたことが数回ある。今回はその1回に入る久々の怖い体験だった。スケジュールを効率化するために最近、札幌、仙台を梯子することが多くなった。どちらが先の時もどちらで泊まる時もあるが、札幌仙台間の航空機は小さな旅客機だ。国内の離島に行ったことがないので経験していないのだが、はとバスよりも乗客が少ない小型機で中は実に狭く、以前同行した「たっくん」は一番後部座席になって頭が天井につかえてしまった。機体だけみるとさながらプライベートジェットに搭乗する気分だ。何せ小さすぎてゲートから蜘蛛の足のように出る搭乗用通路が連結できないから飛行機の近くまでバスで移動することになる。そのバスの中からちょっとクラシックなスタイルのプロペラ機が見えた。「ねえねえ、あの飛行機どこに行くヤツかな」「ボンバルディア機ですね。今度調べときますよ」乗り物好きのたっくんは笑っていた。  

    

どうやら札幌から仙台に向かう他社の便にあるらしい。「ホント?じゃ、今度行く時はそれに乗ろうぜ。プロペラ機などほとんど乗ったことないからなー」「でも時間が遅いですよ。仙台空港着は夜の9時ですから何もできませんよ」「千歳で札幌ラーメン食えればよし!それで行こうぜ。ジェット機よりも遅いから優雅なのかなー」
意外に早くそのチャンスがやってきた。朝から札幌へ向かい、午前午後に2か所のオフィスで打合せ他を行い、夜の便で仙台に向かう。例のボンバルディア機らしい。。。

新千歳空港での搭乗口はゲート1つまり一番端っこでなおかつ飛行機まで少し歩く。タラップは機体のアーチがひっくり返り「ぐぃーん」と降りてきたもので、ウルトラセブン「湖の秘密」(エレキング)で搭乗したピット星人の宇宙船の入り口のようだ。路線バスのようなシートに座るとちょうど窓からプロペラが見える。「ただ今、飛行機のドアが閉まりました。業務連絡です。客室乗務員はドアロックをオートにセットしてください。」一瞬機内の明かりが暗くなり、ゆっくりプロペラが回り始め戦争映画に出てくるような「ぼぼぼお」という独特な振動と共に機体が動き出した。しかしこんな小さなプロペラ2つでちゃんと飛べんのかな。

  

「この飛行機は間もなく離陸します。シートベルトを腰の位置でしっかりとお締めください」一旦停止して「ぼぼぼっ」となっていたプロペラが「ぼぼぼわわぁーん」と轟音を鳴らし突如「ぐあーっ」と加速した。うぉーっすげえ!機体が小さいからか?!シートに身体が押しつけられるー。ジェット機よりも急加速のようで、なおかつ滑走距離も半分くらいであっと言う間に離陸した。その後すごい勢いで急上昇し、ゼロ戦さながらに旋回して安定飛行に入った。プロペラ機と言ってもすごい性能なんだなー。もっとゆっくりのんびり飛び立つのかと思った。しかししばらくすると、久々に空の怖い体験をすることになる。

しばらくするとガタガタと機体が揺れ出し上下しだした。まあ、これくらいの揺れならこれまでも何回か遭ったことがある。しかしそのうちにガタガタからきゅわーんと尻がむずむずするほど上下動が長くなった。うーむ。。。これは気持ち悪ぃ。まるでとしまえんの「フライングパイレーツ」に乗っているようだ。。。
「ご搭乗の皆様こんばんは。操縦席の機長、●●です。本日は○○○便仙台行きをご利用頂きましてありがとうございます。あいにく発達中の低気圧と前線の影響で気流の悪いところを飛んでおりまして、しばらくはこの揺れが続くものと思われます。高度は少し低めの●○○●フィート、これ以上高いとさらに揺れが激しくなる調査結果となっています。しかし飛行の安全には全く問題ありません・・・・・ではシートベルトをしっかり締め、おくつろぎ下さい。」機長のアナウンスが終わると同時にドンピシャのタイミングでそれまで30分以上ずーっと座りっ放しだったCAが「ご気分の悪くなった方は備え付けのエチケット袋をご使用ください」

まるで当たり前のことのように澄ました声で機内にアナウンスする。バス遠足のように薬を出すとか揺れない席に移動させるとか(そんな席ないか)をすっ飛ばしていきなりゲ●袋を使えってか?!私は釣り船に乗ろうが、偵察ヘリに乗ろうが乗り物酔いなど経験したこともない抗体を持っているが、さすがにフライングパイレーツに1時間乗りっ放しというのはまずい。。。私はブーゲンビル島で撃墜され戦死した山本五十六長官のように両手で軍刀(は持っていないが)を立てて上から重ねて押さえ、目をつぶって微動だにせずにひたすら揺れがおさまるのを待った。ようやく小康状態になるとCAは律義に立ち上がって飲み物をさーっと配り終えるとまた乗務員席に戻って行った。前方のトイレはエチケット袋を使わずに耐えていた乗客が入れ替わり入って行った。隣のカップルは何ともない顔をして雑誌を眺めながらもしっかりと互いの手を握りしめていた。

ようやく着陸した時は機内に「ほっ」としたような空気が流れた。何かはるか昔こういうことがあったな。目をつむったまま、いつのことだったか思い出していた。あれは卒業に際し初めて海外旅行としてオーストラリアを1周した時だ。パースで入国し今は「ウルル」と呼ばれる世界最大の一枚岩「エアーズロック」まで空路向かった時だ。砂漠の中の巨大な「へそ」だから気流など安定していそうだが、天候が悪かったこともあって信じられないくらい揺れた。恐ろしく感じながらも飛行機経験はほとんど無かったので逆に「こういうものなのか?!」と感じていた。しかしその飛行機は飛行場の滑走路で何回もタッチアンドゴーを繰り返したのである。着陸するかと思ったら、「ぶわあーん」とプロペラの出力を上げ、慌てて(といった感じで)急上昇するのである。まるでフライフィッシングのようだったが、ようやく着陸して逆噴射音とともにスピードを落として地上を走ると機内では拍手喝さいとなった。。。

実は2泊したエアーズロックでは同様の「マウント・オルガ」と合わせて上空から景色を楽しむ観光を行った。これもまた6人乗りくらいのセスナ機だったが、真っ平らな地面でへそのように飛び出たエアーズロックの真上は気流がおかしくなっているようで、それこそ木の葉のように上下左右にまるで富士急ハイランドの「FUJIYAMAⅡ」のようだった。シートベルトなどもろくにしていないから、尻が浮くほど急降下することも何度もあった。30年近く前の怖いモノなし年代だから十分スリルを楽しんだが、同乗した女子数名は途中で泣き叫んだ。。。考えてみればセスナ機なんてのもあんな小さなプロペラ1個でよく大空を自由にと飛べるものだ。推進力が小さいから風の影響をもろに受けてしまうのだろうか?!

ニュージーランドを旅行した時にクライストチャーチからクイーンズタウンに向かったのもプロペラ機だったが、ゆっくりと地表の近く、山々の姿を楽しみながら優雅に飛行した記憶があった。それが印象強く久し振りにプロペラ機に乗りたいと思ったのだが、考えてみれば3度のうち2度は散々に揺れて怖い思いをしたわけである。同行者は明らかに乗りモノ酔いの顔をしており、私も着陸してバスでゲートまで行き、ターミナルを歩いている時も上下にゆらゆら揺れている感じがした。1日中釣り船に乗って下船した時に身体がまだ揺れている状態に似ている。いやー、ボンバルディアは懲り懲りだ。スタッフの皆さんごめんなさい。もう「プロペラ機に乗りたい」なんて言いません・・・・。

涼やかな爆走16キロ!

2014-02-01 06:04:51 | スポーツ・健康
構想2か月、練習期間1か月(って意外に準備してないな)。。。ついに湘南藤沢市民マラソンの日がやってきた。私がテンケー(10km)ランナーからテンエム(10mile)ランナーに進化する日である。普通だったら話題にもしないのだが、何せ10km以上走るのは生まれて初めてでしかも先人に聞くと「身体に何が起きるか分からぬ」領域だと言われビビりまくっていた。コースの下見や練習の様子など他人から見ればどうでもよいことをこのサイトに投稿し、「自分を鼓舞」してきたのだ。取りあえず同等の距離を走れることは確認し、当日近くになったら無理に練習せず、スポーツジムでもヨガとかピラティスと言った「伸びたり、バランスとったり」系に絞っていた。正月2日にあまりの暖かさに思い立ち、突然波乗りしたら変な腰痛が襲ってきて真っ青になったのに懲りここ数週間は大人しくしていたのである。

大会1週間前からは飲酒も控える予定だったが、息子甘辛が2泊3日のスキー合宿に出かけてしまい、ついつい妻と連続で飲み歩いてしまった。。。結局、最終調整に入ったのは2日前の金曜日、3度の消化のよい食事と軽い運動、スーパー銭湯でのリラクゼーションと十分な睡眠に努めた。前日は家に閉じ籠ってプラモデルなどを作成していたが、長時間座っていたので少し身体をほぐそうとジムにゴルフクラブを持って出かけた。ゴルフの打ちっぱなしなんぞは運動のうちに入らぬ。ストレッチと軽く動かす程度にするつもりだったのだが、たまたま30分くらいしてスタジオプログラムのアナウンスがあった。「間もなく9時45分よりAスタジオにおきまして『かんたんエアロ』を行います。」

土曜日のクラスは初めてだったが、45分くらい汗をかくくらいでいいかも、と時間ギリギリにスタジオ入りした。時間になるとやけに張り切ったスタイルのお姉さんが元気よく「皆さん、おはようございますっ!『ガンガンエアロ』を担当します●●です。よろしくお願いしまーすっ。このクラス初めての人いらっしゃいますかぁ・・・」私は乾くるみさん著の「イニシエーション・ラブ」を読み終えた時のように唖然としてしまった。もしかして聞き間違えた?「かんたん」ではなく「ガンガン」だったのである。しかも時間は60分!「かんたん」シリーズよりも速くて難しく休みがない・・・スタジオを出ていく勇気もなく、ひたすら省エネモードで小さく手足を振っていたらコーチがバーンッと目の前にやってきて「ハーイッ、カラダがあったまったら大きく動かしましょー」とダイナミックなハムストリングカールを始めた。。。結局ほぐすどころか十分過ぎるほど汗をかき、完全なオーバーロード気味に・・・ふくらはぎが若干張っているように思えたので慌ててスーパー銭湯にマッサージしに行く羽目となった。

        

当日は5時くらいからごそごそ起きだし、粘り強くノリノリにキミよく「はシラス」ために、納豆に卵とシラス干しを混ぜ込み海苔で丼一杯やっつけた。チャリで外出前にエナジードリンクを飲み、スタート直前用にパワフルゼリーを持参した。今回は走っている側からの風景をできるだけ撮影するため(さすがに超兵器は無理だったが)スマホを入れるホルダーを身体に巻き付けていた。元々着替えているから会場ではビニール袋を預けるだけだ。開会式が始まり、観光大使のつるの剛士さんは親子ランを走ると言っていた。神奈川県の黒岩知事やFM横浜のホズミン、DJハギーさんも10マイルに出場するようだ。会場近くは(たぶんものすごく)朝早くから係員やボランティアの人たちが準備に余念がない。

      

スタートの号砲が鳴り、いつものことだがすごい数のランナーが少しずつ前へ動いていく。ランナーの申告する自己タイム別にゾーンが設けられていて走ったことない私は後ろから2番目のEゾーン(タイムは1時間50分くらい)におり、友人はDゾーンに構えていたようだ。弁天橋に差し掛かるカーブまでは大群だったが少しずつ「ラン」になっていき、応援の和太鼓が鳴り響いていた。息子ほどではないが、私もイベントに関し、かなり高い確率で晴れる。この日も前は雨の予想だったが、見事晴れ渡った上にこの季節には珍しいほど暖かかった。

          

まず最初は人がたくさん過ぎて、完全なスローペースだからウォームアップを兼ねてタラタラと走る。3kmくらい走って早くも給水地点が見えてきた。水分が大事だと思い、一つコップを手に取った。周囲のランナーはポイポイ道に捨て去って行くがどうも悪い気がして、ビニール袋のところまで行って放り込んだのだが、実はただの水の先に「スポーツドリンク」コーナーがあったのだ。「それを早く言ってくんなきゃ・・・」もう一杯もらってやはりビニール袋に入れた。家族が走るのか沿道には名前入りプラカードがを持っている人がいたり、ランナーみんなに声援を送る人も多かった。

  

第一折り返し地点まで何事もなく通過。ここまできて6キロか。。。やっぱ、長えなー。疲れ方も想定内だ。少し人もばらけて余裕もできたので周囲を見回してみると、今年の干支だからか馬の被り物が多く見られた。中にはスーツを着て馬をかぶっている人もいた。「あまちゃん」の潮騒のメロディーズ(ちょっとこの二人はイタかった)、プリキュア、メイド軍団(男入り)。。。そうこうしているうちに10kmの看板が見えてきた。ここで一旦、身体と会話してみることにした。呼吸器系異常なし、背中、腹筋、腕や肩、心配された腰、何が起こるか分からないと脅された足まわり・・・特に異常なし。全然楽勝だ。ここまで馬群の中で何かのろのろとペースが上がらない気がしていたが、ぼちぼちエンジンかけるかー。

正しい走り方というのはよく知らないが、気を付けていたのは息子に教わったように、あまり上下動せずに「ハム」で走る。ということ。これは予想外に自分には効果があったようで、10km過ぎた時点で全くと言ってよいほど辛いところはなかった。大体が平坦なコースなのだが、水族館から川にかけては西に向かってだらだらと下るところがある。この日は結構西風があったから、下りは向かい風、上りは追い風、というナイスなコンディションである。二つ目以降、給水地点はスルーしていた。すごい人だかりでスポーツドリンクのテーブルなど待ち行列ができてしまっている。この大会は給水だけでなくコースの至るところに中高生のボランティアがいてくれて、声をかけてくれたり、コース案内をしてくれ本当にありがたかった。何千人も走ってくるのだから、コップを渡すだけでも大変だし、道に散らばった残骸を拾い集めるのもすごい人数が必要なのだ。その中に時々小さなテーブルにコップを2つ3つ乗せて立っている子供がいる。

どうやらランナーに飲ませようとしているようなのだが、誰か特定の人(家族とか)のためのものかもしれないし、手を出す人はいなかった。途中「竜宮橋入り口信号」に3回目の折り返し点があり、江ノ島入り口交差点の第二折り返し点を目指す我々と先を行くランナーが合流する。半周近く速く先を行く人はやはりスピードもスタイルも全然違うものだ。中には目を血走らせて時計とにらめっこしながら走る人もおり、邪魔にならないように歩道側の隅にコースをとった。そうこうしているうちに第二折り返し点江ノ島入り口が見えてきた。暖かくなってきてそこそこ汗も出てきたが、ここで身体の声を聞くもやはり特に異常なし。残りは4km、高校時代の駅伝コース1周分だ。「TKB48」という赤いTシャツを来ているランナーを何人も見掛けた。T(とみた)K(きょうこ)B(爆走)48(歳)・・・φテンネックレスのPRらしい。(うーむ、オレも自分用のシャツ作ればよかった)

  

もしかしてもっと全然イケる?残り4分の1、もう距離感は知れてるし思い切ってスピードアップするか?!しかし江ノ島入り口を折り返し同じコースを西に向かい始めたあたりで、歩きだすランナーや沿道にうずくまったり、救護員が心配そうに声をかけているランナーが増えてきた。。。やはり一定以上の距離を過ぎると何が起こるか予想できぬのか?ここまで来て何かアクシデントが発生し棄権すると必ず仲間にオムワンバ選手のような悲劇となるだろな。新江ノ島水族館前でちょっと迷いが生じてきたところ、沿道に小さなお嬢さんが両手で浅目の箱を抱えていた。遠目にも手書きで「みなさん、たべてください」という字が見える。スピードダウンして中を見ると小さな飴玉だった。私は近寄って行ってフルーツ味の小さな飴を取りだし、鳩サブレの黄色い手袋でポンと頭を撫でて「ありがとう」と笑いかけ、スピードを5割増しにしたのだった。1時間以上走ってきてるのでさすがにかなりバテて身体的も不安だが、KICK師匠のように「顔は涼やかに、見えないところは必死こく・・・」

最後の折り返し点の手前数百メートルの我々の散歩コースになっている川の河口付近で初めて知っているに感激の声援をかけてもらった。終了後打上げで合流する予定の「つぶやきさん」母子である。これで波動エネルギー充填120%!「水面下の辛さ」が顔に出初めていた私も迷わずさらにスピードをその時可能な最高スピードに上げた。あっと言う間に「Eggs’n Things」まで舞い戻り、風のように弁天橋を走り渡って一気にゴールした。何か興奮してきて(これがランナーズハイというヤツか?!)ゴールの瞬間に写真を撮ろうと思っていたのにスマホを取りだすことすら忘れていた。。。この調子ならあと5kmくらいなら軽くイケルなー。ゴールの先にはボランティアの中高生が行列で待ち構えていて「ギブミ―ファイブ」ランである。

終わってみれば素晴らしい時間だった。たくさんのボランティアのお手伝い、沿道の人々の声援、飴玉を差し出してくれたお嬢ちゃんにパワーをもらった。走った者しか分からぬだろうが、ホントに身体が元気になっていくような気がするから不思議なのだ。普段運動不足気味の知人はまず背中が痛くなり、その後腹筋が痛くなって苦戦しながらも走りきったそうだ。ジムで過激なプログラムの代わりに地味な体幹を鍛えるワークスばかりしていたのが功を奏したようだ。今年の始まり「普通はやらなかったこと」としては実にいいスタートをきれた。今年はいつもよりも参加レースを増やすことにしよう。そしてR134号を同様に駆け抜ける11月の湘南国際マラソンのハーフコースを標的に準備を進めることにしよう。