あまりカミングアウトしてこなかったが、私の「模型製作」歴は何十年にも及び、読書よりもずっと長い。初めて作ったのは確か10cm×20cmくらいの箱に入った「ウルトラホーク1号」(100円)だった。幼児向きでパーツはいくつか分かれているが、接着剤などは使わず爪切りでバラバラにし数分で組み立てられた。当時は造形などもいい加減(と言うより滅茶苦茶)で、戦闘機なのに機体の下に大きなゼンマイ箱がついていて、走らせて遊んだものだ。ホーク1号は復刻盤が出て結婚してからも3機製作したからかれこれ40年。。。最新の快心作で何代目だろうか?徳川将軍くらいは続いていると思う。ちなみにウルトラ超兵器シリーズはEX超合金化が進んでいて、まさに実物(ってホントはないが)のように精巧で大迫力モデルが発売されている。むろん大人のずるさでMAT戦闘機までの全てのシリーズは「大人買い」しているが、「自分で組み立てない」完成品はやはり模型界では邪道だ。
ウルトラホークに始まり、少しずつ大きくパーツも多い模型が作れるようになってきた。マツダサバンナとかセリカリフトバックなどゼンマイの国産自動車を作り続け、そしてゼンマイを卒業し単三電池とマブチR130モーターでずーっと動き続ける車を作れる時が来た。電池BOXと配線、モーターとギヤ、そしてスイッチを駆使できるようになると、。豆ランプを光らせたりミサイルを飛ばしたり、戦車や軍艦などどんどんフィールドが広がっていった。しかしそのうちに「動かして楽しむ」よりも「小奇麗に作って出来栄えを眺めて楽しむ」ようになってきた。たぶんこれが「模型道」の入り口だったんだろう。特撮、アニメなどの超兵器、テレビでなければめったのことでは実物に触れられないモノを手にして眺めて楽しむ。。。スーパーカーブームがやってきた時は自動車のプラモ、亡命してきた最新鋭のソ連戦闘機MIG25をテレビで見てから戦闘機のプラモをよく作った。戦艦や航空母艦も山ほど作った。一番大きかったのは全長1メートル近くあった米国第7艦隊の原子力空母エンタープライズである。
大きいこと自体は模型の凄さとはあまり関係ない。むしろパーツが大きくなるから作りやすかった。逆に「戦艦大和」などは爪の先のような機銃砲塔が大量にあり、1個1個所定の部位に接着するのはものすごい細かく退屈な作業で私には苦痛だった。デカールなどもピンセットでしか扱えないくらい細かいものもあった。私は完成した姿を求め一気に作り上げるスタイルだったから、必要最小限しか小細工しなかった。(というか決して器用ではなかったのでできなかった)。この辺りでも現在の「趣味」に向かう姿勢が片鱗を見せており、大雑把に何でもこなす水準にはあるがそれ以上深い境地に踏み込むことをせずにいた。一つ障害があったのが「塗装」である。それぞれのプラモ設計図では通常タミヤカラー何番とかいう塗装色が指定されていたのだが、これを薄めるための「シンナー」という液体が中学生くらいの我々には「悪魔の物質」とされ、中々手に入れることができなかったのである。(今でも不良の響きがするよね)
プラモデルには水性絵の具で塗装できなかったから、塗料と筆はうすめ液が使用できなかったために常に1回ずつ使い捨てだった。(何ともったいない!)模型道にそのまま進んだ者は専用の「塗料霧吹き器具」や精密ピンセット、万能台などの工具や精密なオプショナルパーツなどを個別に求め、何ヶ月もかけて本物そっくりに仕上げたものだ。今ではだいぶ減ってしまった模型屋のディスプレイに並ぶすごい作品などがそうだ。
しかし不思議なことに妻も含め、世の女性軍は「模型」というものに全くと言っていいほど興味を示さない。「ゴミを散らかすな。家をシンナー臭くするな」とうるさく言うが、「これは良くできたねえ」などという感想は聞いたことがない。捨てられないのがせめてもの救いで「そんなことのどこが楽しいの?」という顔をしている。戦国武将を中心に歴史探訪を好む「歴女」、乗るとか撮るとか鉄道を好む「鉄女」(リケジョというのは違うと思う)、山ガールに釣りガール・・・最近はこれまでどちらかというと男子の趣味だった分野で楽しむ女子が多くなった。
しかし(むろんいるにはいるだろうが)プラモデルを作って眺めて楽しむ女性を周囲に聞いたことがない。。。作って眺めて楽しむという点では観葉植物やガーデニング、手工芸だって似たようなもの(と言ったら怒られる?)だが、「戦艦大和のプラモデル」をこよなく愛でる女子は寡聞にして存じ上げない。ミリタリーモノが中心になるからだろうかな。「手の届かないところにあるものを手にする」ことへの志向は高いと思うのだが、何となく他の「工芸」と呼ばれる分野に比べて低いカーストにあるような気がする。新橋駅の近くにタミヤ模型のファクトリーショップがあって久々に山ほどのプラモデル群を見てワクワクしたが、昔は街の一定区画にはあった「模型店」がいつの間にか次々に閉店してしまい、今や探すのにも一苦労するのは嘆かわしい。トイザラスや家電量販店のおもちゃコーナーにある、ガンプラやヤマト2199のプラモとはちょっと違うんだよなー。ちなみにgooブログのジャンルの「趣味」欄にも手芸、工芸、鉄道、航空などはあるものの「模型」というのタイトルはない。。。
さて、最近でも静かなマイ・ブームとなっている模型作りだが、その対象物がいかにもなメジャーモノから「少しでも自分に所縁のあるモノ」に変貌してきた。ウルフェス帰りに秋葉原を物色している時、「まんだらけ」コンプレックスで航空自衛隊T-4練習機の古いプラモを見つけ、思わず買ってしまった。小夏師匠所縁のブルーインパルスに使用されている機体である。先の勤務地では陸上自衛隊と合同訓練を行ったりしたので、その時搭乗した思い出のCH-47チヌークをぜひ作りたいと思い探していたら、TOMYTECから当駐屯地仕様の機体がどんずば発売されていたからAMAZONで注文した。実はその他にも御殿場の総合火力演習でその雄姿を撮影したF1支援戦闘機や息子が幼い時に一緒にやったPS2ゲーム「さらば宇宙戦艦ヤマト」で彼が神技を披露して見せた「コスモタイガーⅡ」、そして私が愛してやまない「キャプテンハ―ロック」座乗の海賊戦艦アルカディア号などが、この後の製作を控えている。
久々のプラモ製作だったが、T-4練習機はかなり古く多少の歪みもありかなり苦労した。特にデカールは劣化が激しくほとんど全て使用できず、箱を見ながらブルーインパルスの塗装を再現することとなった。また塗料も数年前のものは固形化してしまい、蓋が開かないものも多数あり、新しく買い揃えなければならなかった。丁寧にパーツを外し、昔のプラモはいつも多かった「バリ」をヤスリで滑らかにして慎重に重ね合わせて接着剤を塗り、組み立てていく。昔のように「一気に組み立てて完成品の姿を求める」こともなくなり、「ちょっとずつ組み立てて楽しむ」余裕ができたから、夜な夜なシェッドに籠り今やほとんど座る者がいなくなった甘辛の机で製作に励んだ。
ブルーインパルスは松島基地の所属で東日本大震災発生時、基地は壊滅してしまったのだが、奇跡的にも九州に飛行遠征にきており被災を免れた。駐屯地に赴任された幕僚長とディスカッションする機会があったが、彼は近くの連隊の指令を務めており任務を果たすこともなく津波に流される機体を見ながら、「一機でも出動できれば、人命救助他色んな任務が果たせたのに・・・」と涙していたそうだ。浜松航空基地では華麗な飛行を披露し小夏師匠がド迫力映像を撮影されていた。(さすが!)再建なった松島基地に復帰したそうだが、感無量の帰投だったことだろう。
CH-47はまさしく駐屯地仕様の製品があったから喜んで注文した。T-4とは異なり最新の技MIXという塗装済みのプラモデルだ。あの独特の迷彩塗装は私の技術では難しいからありがたいことだ。配送されるのを楽しみにしていたが、届いた箱を見て少し驚いた。。。こんなに小せえの?価格から想定していたサイズの半分くらいの大きさしかなかった・・・精密加工なのと塗装済みというところにコストが嵩んだんだろか。パーツが小さい分接着に苦しんだが、塗料臭くならないのでリビングテーブルで作ることもでき、T-4よりもかなり上手にできた。(当たり前か?!)なんたって、CH-47は私が搭乗して市内を一周した機である。大震災直後、駐屯地から本番として我がスタッフを載せて飛んだのも、テレビで固唾を飲んだ原発への上空からの放水もこの機である。スティーブは前から搭乗をいやがっていたが、あの人が後部ハッチを開けたまま離陸したのにはかなりビビった。でも訓練の際に私達を載せた時は安全運転だったが、御殿場の総合火力演習の時は特殊部隊を降下させた後、ものすごい角度で旋回し上昇して行った。まさしく日本の守護神だ。がんばれCH-47!
暖かくなると外へ出ることが多くなるから、模型作りは大寒シーズンに限定されるだろうが、まだまだコレクションの山を築くことになろう。ちなみにウルトラ超兵器シリーズはこれまでに一通りの作製を終え、多くのウルトラコレクションに混じってショーケースに鎮座している。ここ10年くらいの作品だが(ちょっと埃かぶってるねー)、製作しながらホーク1号やポインター号は数知らず、地底万能戦車マグマライザーならあのウルトラセブンが十字架にかけられてしまった「セブン暗殺計画」、海底調査艇「ハイドランジャー」なら「ノンマルトの使者」などの名シーンを鮮明に脳裏に浮かべたものだ。息子甘辛は小さい時から「トランスフォーマー」シリーズのように自分の手で動かして形を変えて遊ぶおもちゃが好きだったが、不思議と「作って飾って眺めて楽しむ」模型道には今のところ興味を示さない。今の若者は「電子デバイスによるゲーム」という万能兵器があるから、恐らく模型など退屈なのだろう。実はこの「ゲーム」に関しても他ならぬ私の歴史は長いのだが、それはまたの機会としよう。
ウルトラホークに始まり、少しずつ大きくパーツも多い模型が作れるようになってきた。マツダサバンナとかセリカリフトバックなどゼンマイの国産自動車を作り続け、そしてゼンマイを卒業し単三電池とマブチR130モーターでずーっと動き続ける車を作れる時が来た。電池BOXと配線、モーターとギヤ、そしてスイッチを駆使できるようになると、。豆ランプを光らせたりミサイルを飛ばしたり、戦車や軍艦などどんどんフィールドが広がっていった。しかしそのうちに「動かして楽しむ」よりも「小奇麗に作って出来栄えを眺めて楽しむ」ようになってきた。たぶんこれが「模型道」の入り口だったんだろう。特撮、アニメなどの超兵器、テレビでなければめったのことでは実物に触れられないモノを手にして眺めて楽しむ。。。スーパーカーブームがやってきた時は自動車のプラモ、亡命してきた最新鋭のソ連戦闘機MIG25をテレビで見てから戦闘機のプラモをよく作った。戦艦や航空母艦も山ほど作った。一番大きかったのは全長1メートル近くあった米国第7艦隊の原子力空母エンタープライズである。
大きいこと自体は模型の凄さとはあまり関係ない。むしろパーツが大きくなるから作りやすかった。逆に「戦艦大和」などは爪の先のような機銃砲塔が大量にあり、1個1個所定の部位に接着するのはものすごい細かく退屈な作業で私には苦痛だった。デカールなどもピンセットでしか扱えないくらい細かいものもあった。私は完成した姿を求め一気に作り上げるスタイルだったから、必要最小限しか小細工しなかった。(というか決して器用ではなかったのでできなかった)。この辺りでも現在の「趣味」に向かう姿勢が片鱗を見せており、大雑把に何でもこなす水準にはあるがそれ以上深い境地に踏み込むことをせずにいた。一つ障害があったのが「塗装」である。それぞれのプラモ設計図では通常タミヤカラー何番とかいう塗装色が指定されていたのだが、これを薄めるための「シンナー」という液体が中学生くらいの我々には「悪魔の物質」とされ、中々手に入れることができなかったのである。(今でも不良の響きがするよね)
プラモデルには水性絵の具で塗装できなかったから、塗料と筆はうすめ液が使用できなかったために常に1回ずつ使い捨てだった。(何ともったいない!)模型道にそのまま進んだ者は専用の「塗料霧吹き器具」や精密ピンセット、万能台などの工具や精密なオプショナルパーツなどを個別に求め、何ヶ月もかけて本物そっくりに仕上げたものだ。今ではだいぶ減ってしまった模型屋のディスプレイに並ぶすごい作品などがそうだ。
しかし不思議なことに妻も含め、世の女性軍は「模型」というものに全くと言っていいほど興味を示さない。「ゴミを散らかすな。家をシンナー臭くするな」とうるさく言うが、「これは良くできたねえ」などという感想は聞いたことがない。捨てられないのがせめてもの救いで「そんなことのどこが楽しいの?」という顔をしている。戦国武将を中心に歴史探訪を好む「歴女」、乗るとか撮るとか鉄道を好む「鉄女」(リケジョというのは違うと思う)、山ガールに釣りガール・・・最近はこれまでどちらかというと男子の趣味だった分野で楽しむ女子が多くなった。
しかし(むろんいるにはいるだろうが)プラモデルを作って眺めて楽しむ女性を周囲に聞いたことがない。。。作って眺めて楽しむという点では観葉植物やガーデニング、手工芸だって似たようなもの(と言ったら怒られる?)だが、「戦艦大和のプラモデル」をこよなく愛でる女子は寡聞にして存じ上げない。ミリタリーモノが中心になるからだろうかな。「手の届かないところにあるものを手にする」ことへの志向は高いと思うのだが、何となく他の「工芸」と呼ばれる分野に比べて低いカーストにあるような気がする。新橋駅の近くにタミヤ模型のファクトリーショップがあって久々に山ほどのプラモデル群を見てワクワクしたが、昔は街の一定区画にはあった「模型店」がいつの間にか次々に閉店してしまい、今や探すのにも一苦労するのは嘆かわしい。トイザラスや家電量販店のおもちゃコーナーにある、ガンプラやヤマト2199のプラモとはちょっと違うんだよなー。ちなみにgooブログのジャンルの「趣味」欄にも手芸、工芸、鉄道、航空などはあるものの「模型」というのタイトルはない。。。
さて、最近でも静かなマイ・ブームとなっている模型作りだが、その対象物がいかにもなメジャーモノから「少しでも自分に所縁のあるモノ」に変貌してきた。ウルフェス帰りに秋葉原を物色している時、「まんだらけ」コンプレックスで航空自衛隊T-4練習機の古いプラモを見つけ、思わず買ってしまった。小夏師匠所縁のブルーインパルスに使用されている機体である。先の勤務地では陸上自衛隊と合同訓練を行ったりしたので、その時搭乗した思い出のCH-47チヌークをぜひ作りたいと思い探していたら、TOMYTECから当駐屯地仕様の機体がどんずば発売されていたからAMAZONで注文した。実はその他にも御殿場の総合火力演習でその雄姿を撮影したF1支援戦闘機や息子が幼い時に一緒にやったPS2ゲーム「さらば宇宙戦艦ヤマト」で彼が神技を披露して見せた「コスモタイガーⅡ」、そして私が愛してやまない「キャプテンハ―ロック」座乗の海賊戦艦アルカディア号などが、この後の製作を控えている。
久々のプラモ製作だったが、T-4練習機はかなり古く多少の歪みもありかなり苦労した。特にデカールは劣化が激しくほとんど全て使用できず、箱を見ながらブルーインパルスの塗装を再現することとなった。また塗料も数年前のものは固形化してしまい、蓋が開かないものも多数あり、新しく買い揃えなければならなかった。丁寧にパーツを外し、昔のプラモはいつも多かった「バリ」をヤスリで滑らかにして慎重に重ね合わせて接着剤を塗り、組み立てていく。昔のように「一気に組み立てて完成品の姿を求める」こともなくなり、「ちょっとずつ組み立てて楽しむ」余裕ができたから、夜な夜なシェッドに籠り今やほとんど座る者がいなくなった甘辛の机で製作に励んだ。
ブルーインパルスは松島基地の所属で東日本大震災発生時、基地は壊滅してしまったのだが、奇跡的にも九州に飛行遠征にきており被災を免れた。駐屯地に赴任された幕僚長とディスカッションする機会があったが、彼は近くの連隊の指令を務めており任務を果たすこともなく津波に流される機体を見ながら、「一機でも出動できれば、人命救助他色んな任務が果たせたのに・・・」と涙していたそうだ。浜松航空基地では華麗な飛行を披露し小夏師匠がド迫力映像を撮影されていた。(さすが!)再建なった松島基地に復帰したそうだが、感無量の帰投だったことだろう。
CH-47はまさしく駐屯地仕様の製品があったから喜んで注文した。T-4とは異なり最新の技MIXという塗装済みのプラモデルだ。あの独特の迷彩塗装は私の技術では難しいからありがたいことだ。配送されるのを楽しみにしていたが、届いた箱を見て少し驚いた。。。こんなに小せえの?価格から想定していたサイズの半分くらいの大きさしかなかった・・・精密加工なのと塗装済みというところにコストが嵩んだんだろか。パーツが小さい分接着に苦しんだが、塗料臭くならないのでリビングテーブルで作ることもでき、T-4よりもかなり上手にできた。(当たり前か?!)なんたって、CH-47は私が搭乗して市内を一周した機である。大震災直後、駐屯地から本番として我がスタッフを載せて飛んだのも、テレビで固唾を飲んだ原発への上空からの放水もこの機である。スティーブは前から搭乗をいやがっていたが、あの人が後部ハッチを開けたまま離陸したのにはかなりビビった。でも訓練の際に私達を載せた時は安全運転だったが、御殿場の総合火力演習の時は特殊部隊を降下させた後、ものすごい角度で旋回し上昇して行った。まさしく日本の守護神だ。がんばれCH-47!
暖かくなると外へ出ることが多くなるから、模型作りは大寒シーズンに限定されるだろうが、まだまだコレクションの山を築くことになろう。ちなみにウルトラ超兵器シリーズはこれまでに一通りの作製を終え、多くのウルトラコレクションに混じってショーケースに鎮座している。ここ10年くらいの作品だが(ちょっと埃かぶってるねー)、製作しながらホーク1号やポインター号は数知らず、地底万能戦車マグマライザーならあのウルトラセブンが十字架にかけられてしまった「セブン暗殺計画」、海底調査艇「ハイドランジャー」なら「ノンマルトの使者」などの名シーンを鮮明に脳裏に浮かべたものだ。息子甘辛は小さい時から「トランスフォーマー」シリーズのように自分の手で動かして形を変えて遊ぶおもちゃが好きだったが、不思議と「作って飾って眺めて楽しむ」模型道には今のところ興味を示さない。今の若者は「電子デバイスによるゲーム」という万能兵器があるから、恐らく模型など退屈なのだろう。実はこの「ゲーム」に関しても他ならぬ私の歴史は長いのだが、それはまたの機会としよう。