超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

総体2回戦

2008-08-31 22:18:20 | 少年サッカー
息子甘辛のサッカーチームは昨日は市民総合体育大会の1回戦だった。
最近のものすごい不安定な天気、集中豪雨などでやるのかやらないのか予想もつかない中、メールが回ってきた。
我が家では天気が悪く中止になりそうだと、すぐにどこで何をして遊ぶか考え出す。

息子甘辛もサッカーができないときにやっておきたいことは山ほどあるらしく、何か楽しみを見つけるとすーぐその気になってしまう。
だから一旦休みモードになってしまうと気が抜けてしまうので決行となったときに気持ちを切り替えるのに苦労する。

昨日はまさかないだろうと思っていたら、監督からドロドロなので着替えを持ってくるように指示メール。。。
たしかにホームページには雨天決行となっている。
午後の集合だったから、あわてていつも昼間やる練習グランドに行った。
そしたらなんと!水深20センチの湖と化していた。。。

ドロドロのコンディションで第1戦目を迎えたが、なんなく勝利。相手のプレッシャーがそれほどでもないときは、ピッチの中を縦横無尽に走り回り自在に得点する。
問題は今日の第2戦だ。
春季リーグ最終戦でブロック優勝をかけて闘い、辛くも勝利した相手チームだ。

なんと、昨日は1級上の6年生(A)チームと闘い、逆転勝ちで進んできた。
雪辱に燃えて今日は気合を入れてくるだろうと予想された。
こちらも夏の厳しい合宿・練習の成果を見せたいところだったがな。。。

前回の試合後、相手チーム監督が選手に話していたのをたまたま聞いたが、それとほぼ逆の展開になった。
ボールを敵より早く触る気持ち、反応、球際で競り勝つ気持ち、なんとなく相手のほうが上をいっているように見えた。
前後半通じて、内容は互角っぽく見えたが左右のサイドをあまり使わず中盤に固まることが多かったからなおさら気持ちの差が見えた。

押されまくってはいたがチャンスはあった。しかし、息子甘辛も含めディフェンスも何か気の抜けたプレーが多かったし、走り負けしているようにも見えた。
ゲーム終盤でフリーキックを決められ、絵にかいたようにこの前の逆の展開となりやられた。

割り切って厳しく言えば「ダメなときは全然ダメ」といいたくなるが、よーく見るとこの夏の成果もちゃんと出ていたよ。
ボールをむやみに前へ蹴らずに丁寧につなげようとしているし、相手ディフェンスの裏に蹴り込み、サイドを走らせようともしていた。
今日は試合前、前回のリーグ最終戦のビデオを見てきたが、あのときよりも格段にチームレベルはアップしているぜ。
攻撃パターンの形ができてきてるもんな。

息子甘辛も目の前のプレーだったんでよく見えたが、一人かわして二人目をかわすタッチができたのを始めて見た。。。
努力したことがすぐに結果にでないところがスポーツだがプレーの中の小さなところで成果はちゃんと出ている。
夏はこれで一段落だ。最後に笑うためバネはいくらあってもよい。

ライバルもがんばるからこっちも気合が入れられるのさ。

記録的豪雨

2008-08-30 20:27:42 | 出来事
昨夜、会社帰りに久々にトレーニングジムに寄った。
駅からバイクで乗りつけ、ビルの前の歩道に止める。ヘルメットはハンドルにある鍵付きのフックにぶら下げる形だ。
止めたときはもちろん雨は降っておらず、気温は低いが少し湿気が多い感じだった。

そして約2時間後、プログラムを終えサウナへ入って出てくると。。。かなり強い雨が降っている。
なんだよ。まあいいか、買えるだけだし。。。
リアBOXから愛用のポンチョを着てヘルメットをかぶったら、たまっていた水がどばーり。ついてねえな。

そして家路に向うと、目も開けられないほどものすごい豪雨に変貌した。。。
ポンチョを着ていてももはや全身ビッショリだ。
この調子だとどこかで冠水するかもしれないな。早く気をつけて帰ろう。

こんな大雨に日に思い出されるのは、あの大怪我した日だ。。。(今日は珍しく自虐話題)
グループ会社で営業をやっている友人のご招待でごちそうになったときだ。
私の大好きな日本酒「浦霞」の良く冷えたやつを思う存分飲ませてくれた。おいしい料理もある。
一升は飲んでいないと思うのだが。。。東京駅からタクシーで帰るにあたり、どんどん目の前がぐるぐる回ってきた。

季節は体育の日の3連休、秋の大型台風が接近していた。
横浜新道では一番早いワイパーでも前が見にくいほどの豪雨だった。
こりゃ、我が家の近辺は冠水しているかもしれないな。以前お友達の家の前が床下浸水していたし。。。

東京へまた帰るのは大変だろうと気をきかせた私は、結構手前の大通りでタクシーを降りた。
悪夢のアクシデントはここから始まった。(というより冷酒をノーブレーキで飲んだ時点で始まっていた)
道路は水浸しで足首まで浸かっているが、なんかこう・・・目が回り、膝から下が浮いているように間隔がない。。。

なるたけ、水がない道を選んで進んでいたら、道がわからなくなっちゃった。っと同時に自分もわからなくなっちゃった。。。
膝から下の間隔がないので、ものすごい勢いで2回ほど転倒し、激痛が走った。
うーむ。どこなんだここは。。。見た事あるよなないような・・・

まあ、いいや。寝てればそのうち止むだろ。どこかの駐車場の隅で寝転んでしまった。
しばらくすると耳の横に水が流れる音が。。。
なんと!頭のほうが少し高くなっており、水がざばざば滝のように流れている。。。

このまま寝てしまっては水死だ。何とか家に帰れないものか・・・すぐ近くのはずなんだが。
しばらくさ迷っていると、なにやら道祖神のようなものがあった!
これは我が家の前から真っ直ぐ海に歩いて向う途中にある御地蔵様だ。そうか!ここを真っ直ぐいけば帰れる。。。

やっと辿り着いて、ピンポーン!玄関を開けると妻が立っていた。

「いやぁまいった。雨で道がわからなくなっちゃってさ・・・」妻は私を真正面から指差し、

「それよりどしたのよ?血ぃ出てるよ血ぃ!」

「ん?」

手をあごに当てると、なにかつららができている。。。なんだこりゃ?赤えぞ。血か?
と思いながら玄関で寝転んだ。
甘辛は眠そうに起きてきて

「すげえ血出てんな。しょうがねえなあ。父ちゃんは。。。」

と言いながら、上がり框についた血を雑巾で拭き取っていた。妻は即刻救急病院に連れて行こうとしたらしいが、なぜか救急車は呼ばなかった。救急病院に電話をして確認したとき、救急車を手配するか尋ねられたらしいが、断ったそうだ。
後で聞くと

「この台風の中で、本当に救急車を必要とする人が多いはずだ。その人のためにとっておき、うちは車で送ればよい」

うーむ。自分的にはナントも言えんが立派と言えば立派だ。
病院に着くとすぐ処置室の台に寝かされた。2箇所大きな傷があるようだ。
医師はアゴのほうが鉤裂き状になっていて化膿するといけないから、ブラシでゴシゴシ洗うというゾッとするようなことを言っている。。。看護師は

「こんな小さな子を夜中に起こして手伝わせるなんて。。。ゲンコツものよね。」

さらにときどきイビキをかいてうつらうつらしている私を見て

「先生、これだけ酔っていれば麻酔無しで縫っても大丈夫じゃないですか?」

電光のような防衛本能が発動され、超腹筋を使って直角に起きあがった。

「すんません。麻酔だけはかけてください!」

またバタンと元通り。。。

後から聞いたら、後頭部七7針、アゴした5針を縫う重傷だったようだ。
りんご「富士」に使う網目のカバーみたいなやつを頭につけられた。。。。

今でも息子甘辛は枕言葉で使うのだ。

「ああ、父ちゃんが頭にケガして熱海いけなかったときだよね」

さらに、妻はあの付近を通るたびに

「この辺で水が流れる中寝てたやついるよね」

車が水没する恐ろしさもあるが、自分が気がつかぬうちに水没するのはもっと恐い。
みなさん、大雨に日は色んなことに気をつけましょう。
 
つづく





夏休みの終わり

2008-08-29 23:30:39 | ホビー
明日明後日は土日だから、正しくは今日で夏休みは終わりだ。
ここんとこ妙に涼しい日と突然の豪雨でおかしな天候だ。調子狂うなあ。。。
8月末といったら、夏休みの終わりの寂しさと学校が始まって友達皆と遊べる楽しみが絡み合う時期だった。

夏休みと言えば宿題。先月ズームインで子供に取材していたが、なんと最近の子供は夏休みが始まって数日で宿題をすべて終えてしまうんだって。
よく大人は「子供の頃は宿題をために貯めてしまって。。。最後の週に青い顔してスパートしたものだ」とお約束のように言うが、私は意外にも休みが始まってすぐに済ませてしまうクチだった。

ただ、自由研究、工作、そして読書感想文が天敵とも言える重荷だった。。。
いや、自由工作は最初張りきっていたのだ。あれこれ構想したり、設計図を描いたりするのが楽しかった。
しかし、実物に具現化するのが全くと言っていいほどダメで、いつも構想倒れだった。。。
唯一、教室内ではなく廊下での展示の栄光を得たのが、「ヤクルトの器」を大量に繋ぎ合わせた宇宙母艦。。。やはり構想倒れで慌てふためいた結果、捨てようと貯めてあったやつを張り合わせただけだった。

一方、我が家の息子甘辛は友達と遊ぶ口実でさっさと宿題を済ませた。
もともと大雑把なところが多く、漢字の勉強をさっさとやったのは大変よろしい。
しかし、置手紙に「まさとん家」とか書いてあるし、ゲームの攻略についてインターネットで調べてメモしたらしいが、「サンズイに方」というわけの分からない新造漢字だ。
たぶん「方法」と書きたかったんだろ?「家」は「ち」とは読まんぜ。。。

昔のラジオ体操があってカードにハンコをもらったが、今は無いようだ。
その変わり「サッカー」だったら夏休み全部の日にがついたな。

おかげで我々の夏休みは愚悪夢の代わりに波崎と保田だよ。。。それはそれでおもしろかったが。。。
どこに行ったって、その気になれば楽しいネタは転がってるからな。
夏休みの計画表がいつのまにか結果表になっていて、見ると3種類しかない。。。

「ともだちと。。。遊ぶ・食事・プール」

「サッカーの練習・試合・合宿」

「英語の塾、ばあちゃんちに泊まる、法事」すなわちその他、どれも1回限り。

そしてやはり読書感想文、工作には苦戦したらしい。
最初、「諸葛孔明」を読んでいた。私が通勤で読もうとしていた大人用の本だ。彼の読み方は最近読んだ「本を読む本」にあった正しい読み方に近く、最初さぁーっと大方のあらすじをつかみ、あとから繰り返しじっくりと読むものだ。

「食事のときぐらい止めろ」というくらい集中して読んでいたように見えた。立派なものだ。三国志好きだったからな。
まずは感想欄を見ると。。。

「すごく細かくてこれを書いた人はすごいと思った」

うーむ。。。それは単に大人が読む本だからじゃないの?どうやら諸葛孔明はあきらめたらしく、くまのなんとかいう絵本みたいなやつにレベルダウンしていた。。。

そして工作?課題は「世界にひとつしかない私の小物」。どうも家庭科らしい。
てさげ袋らしい。作成しているときはテーブル一つ占領されたが、フェルトを使ってよく作ってあるじゃないか。
JAPANのワッペンもあるし、内側にはDS入れる用の内ポケットもつく芸の細かさだ。
良く見ると持ち手のところに小さなイニシャルがある。。。化学記号でいうとフッ化水素酸だな。

よくみると何だか見なれたアイツの残骸が残っている。うちにもスーパービッグフィギュアがあるバルタン星人だが、どうもフェルトキットを解体したらしい。。。
そういやダダセットもあったんだが、最近見ないな。失敗して捨てたんじゃあるまいな。

まあいいや。夏休みももう終わりだな。
この前泊まったばあちゃん家(ち)には父が30年前に作った作品がまだ残ってるぜ。
結構名作だと思ったんだがな。技術家庭は「2」だった。。。今度紹介しよう。





モノポリー

2008-08-28 21:54:27 | ホビー
週末の夜は家族3人でよくモノポリーをやる。
昨年のクリスマスにサンタがくれたジャパン版だ。
息子はサッカーでへとへとになりながらもと持ち出してくる。「モノポリーやろっ」

このゲームはむかーしから定番になっているベストセラーだ。
ゲームの中にホントのビジネス顔負けの駆引きや取引きが現れる。。。
子供にはどうかという意見もあるようだが、ビジネス(世の中)の厳しさをゲームの中で学べるので、企業家は絶賛している。

私自身もうちにきて初めてやったが、すごく勉強になる。
子供によっては見向きもしないだろうが、我が家の息子は夢中になっており、好ましいと思う。

ルールを簡単に言うと、

「土地や事業を取得してこれを拡大し、利益を増やしながら他のプレーヤーを破産させるまで続ける」

という、活字だけ見たらやばいゲームにも見える。

まず各プレーヤー1億5千万円もってスタート。(そもそもこれからして無理があるが。。。)
サイコロの目だけマスを進む。基本的には億万長者ゲームと同じ要領だ。
決まった土地がそろうと、その先家を建てたりホテルを建てたり事業を拡張できる。

決定的に違うのは他人が持っているモノを自分の所有にするために、自由に交渉できること。
どんな条件でもよいし、三角交渉みたいのもOKだ。

子供は運動はすぐに覚えるが、頭を使った交渉事みたいな社会勉強チックなやつはどうかな?
何回か繰り返してようやくコツは覚えたようだ。。。
最初は「お願い」攻撃だけだったが、最近は手の込んだ条件をつけるようになってきた。

それでもやはり、投資のしかたなどは無茶苦茶、子供がもつ特有のサイコロLuckだけで連勝していた。
逆に私は初心者ではあるが、まじめにやってるのに百戦百敗。。。
そろそろ本気を出す時だ。(もともと本気なんだけど)

前回は痛快にも圧勝だった。(たまに勝ったからってここに書くとは大人げないが)
最初は何のネタもない、地味な時代を過ごしたが、ちょっとしたきっかけで財を活用し、瞬く間に富豪にのし上がった。

だいたい1億5千万円もってスタートしたのに、そのとき息子の所持金は20万円だった。
こんな無茶な投資をする者に、仮にもビジネス最前線にいる私が負けるわけがない。。。(これまでサイコロの目が悪過ぎたのだ)

妻はさすがにこの辺のツボは心得ているようだが、何せ肝心なときに刑務所行きを繰返し、自滅してくれた。(前科五犯ぐらいはいった)
こうなると今までとは異なる様相となる。妻と息子は共同戦線を張り、私に敵対してきた。

しかし所持金20万円のマルビ(古い?)と刑務所生活者など、いかほどでもない。

「いやだね。札束チラつかせる金持ちは。。。」

「あなたが鬼に見えてきた。。。」

「貧乏人はいつまでも貧乏人だね」

何とでも言うがいい。なるほど金が金を呼ぶとはこういうことか。よい体験をした。

ゲーム版の半分近くを支配した。

広大な帝国の誕生だった。次週もやろうと思った。

っというのはずいぶん前の勝利。。。
先週末は途中まで同様の展開をしていたが、今度は朝までやる覚悟でいた息子は土地の取引について慎重に慎重を重ね、私の誘いに全く乗ってこない。
このままではホントに徹マンならぬ徹ポリだ。。。

しびれを切らした私は妻と無謀な取引に臨み、結果それが仇となって巨大な地雷を踏みちゅどぉーん。。。爆死であった。



マニアックでごめんね

2008-08-27 22:19:01 | ホビー
今、我が家ではこの前紹介した「ウクレレえいじ」がちょっとしたブームだ。
息子甘辛はおろか私でさえも、「うーむ。わからねえ・・・」といったマニアックかつ微妙なシーンのモノマネなんだが、知らない子供が聞いても雰囲気が面白いらしいのだ。

映画「ゴジラ」から志村喬・・・・「あのゴジラが。。。最後の1匹とは、思えない・・・」

たぶん大戸島に現れた50年以上前の初代ゴジラだ。スーパーXが出てくる84年のゴジラには志村喬はいなかった。。。
ゴジラ対デストロイヤで初代ゴジラのオキシジェンデストロイヤが復活し、これによって骨になってしまったゴジラを回収してDNAコンピューターで特生自衛隊が蘇らせたのが「三式機龍」ことメカゴジラだ。
とにかくよく話に出てくる伝説の初代ゴジラは息子甘辛とビデオでチェックしたことはあった。。。

さすがに一言一句までは覚えていない。
お出かけのとき車の中では甘辛がしきりに腕を組んで「あのゴジラが。。。」とマネをしている。

私もつられて「そうじゃねえよ。『アノゴジラガ。。。』」

「あはは。甘辛のほうが似てるじゃん」と妻。

なんてことはない。映画のモノマネではなく、映画のモノマネをしているウクレレえいじのマネで盛り上がってるんだ。。。
お出かけのあと、雨で練習もできないのでだいぶ前にダビングした「初代ゴジラ」のビデオを見た。
晩御飯の準備がされている間にチェックするつもりで見始めたんだが、あの映画は日本が誇る世界史上空前の特撮映画だな。
なにせ上映されたのが1954年、東京タワーもないし新幹線も走っていない。

いつもお約束で破壊されてしまうアイテムがなく、あったのは国会議事堂のみ。。。
戦後10年たたずして奇跡の復興を遂げた東京をもとの焼け野原にしてしまった。
しかし50年以上前なのに、特撮技術はCGを除けば今でも通ずる一級品だろう。放射熱線はキンチョールのようだが、ちゃんと背びれは光るし、鉄塔はアメのように溶け曲がる。
防衛隊(当時自衛隊は無かった)の戦車や戦闘機による攻撃もリアルだ。

さて話を戻すとビデオに見入っていた我々だが、なかなか例のシーンは現れない。。。志村喬は生物学者の山根博士だったんだな。
「ウクレレ・・・」で出てくるほどトボけた老人のような甲高い声ではなく、結構重みあるじゃんか。。。

息子甘辛も「なんか声、ちがくねえか?」

物語はどんどん進みゴジラは東京へ上陸、防衛隊との戦闘が始まった。志村喬の山根博士は

「水爆実験にも耐えたゴジラの生命力をなぜ研究しようとせんのだ・・・?」

ゴジラの攻撃・抹殺には大反対だった。しかし、ゴジラは防衛隊の攻撃をものともせず、東京を火の海とする。
その惨状はどちらかというと大空襲後を思わせる悲しいシーンだった。
半分を過ぎてから私はいやな予感がしていたが、見事に当たっていた。。。

「もしかしてウクレレのアレって最後のシーンか?」

見事的中だった。。。このシーンを求めて結局2時間全部見てしまった。。。
恐怖の殺傷兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を開発した隻眼の芹沢博士がゴジラとその頭脳を葬るため自らを犠牲にしてゴジラは骨になってしまった。。。

調査船上から悲しむ娘とその恋人(宝田明)を横につぶやくのだ。

「あのゴジラが。。。最後の一匹とは、思えない・・・」

古代恐竜の生き残りが巨大化した不滅の怪獣がゴジラで、それは今、目の前で骨になって死んだが、人類が水爆実験などという行為を続ける限り、第2、第3のゴジラが現れるはずだ、という警告の意味だろう。
結構重たいシーンだ。セリフも重たいし、志村喬の声も重厚だった。。。

はぁ。。。オレたち何やってんだろ、とも思ったが「初代ゴジラ」自体は時代を超えて新鮮に我々の目に映ったのだ。
そしてウクレレえいじさんに一言。

「全然似てねえじゃん。。。」

このチームで丸1年

2008-08-26 22:55:14 | 少年サッカー
息子甘辛が今のチームに所属を替えて今日で丸1年になる。
昨年の今日がいわばデビュー戦だった。ちょうどこのチームの夏合宿にあたり、土日宿泊で温泉街に行く招待杯の遠征合宿に入れてもらえた。
甘辛はすぐに誰とでも打ち解ける性質はあるが、たった一度の体験練習以外であったこともないチームメイトとゲームはともかく、よく泊まりがけで参加する勇気があったものだ。
私にはとてもできない。。。

以前のチームはいわゆるサッカー教室が登録しているチームで、通常のサッカー少年団のように「目標をもって結果を出す」というよりは「サッカーを楽しむ」という要素が強く出たスタイルだった。
チームは弱かったが、幼稚園からのおともだちチームということもあり保護者どおしも仲がよく、和気あいあいとした雰囲気だった。

そういうスタイルも大事だと思うが、現実は厳しく学年が上になるに従って、いわゆるサッカーそのものは無残な結果に終わることが多くなった。
選手自身に仲良しサッカーから勝ちたいサッカーが芽生える時期なのか。
何とかレベルを上げようと保護者たちが協力して子供と自主練習をするようになった。そしてだんだんそれがエスカレートしてきた。

ホームグランドがあるわけでもない。練習は週2時間、試合は登録した公式戦以外数えるほどしかない。。。
ビジネスライクなところも多く、練習時間の1時間が過ぎるとピタリと終わりコーチは帰っていく。教室だから仕方が無い。
でもいくら明らかに物足りないと言っても試合や指導スタイルに口を出すのはルール違反だった。

OBをもつ、指導者と仲がよい保護者が代表して話し合い、試合や指導に口を出さないことにしたのはよかったが、なぜか「大人が自主練習に口を出さない」という約束もしてきた。
保護者の飲み会で一方的にそれを通達された私たちは親子は、正直意味がわからず普通にこれまで通り練習をしていた。

ここで、OBを子供にもつこの中心人物がモンスターペアレント?として牙をむくのだ。
まず私達とは親子ともども付き合わないように暗躍を始める。
ひょうんなことからチームメイトからそれを聞いた甘辛は普段とおりしていたが、しばらく考えた末チームを辞めると言いだす。

以前からこのチームのぬるさを卒業し、もっと強い、厳しいサッカーをやりたいと思っていたようだ。。。
仲間はずれにされたからではない証拠に、聞いたこともない今のチーム名を言い出した。
知ってる選手など誰もいないのだ。家から練習で通える場所にはあるが、市内では有数の強豪チームだ。
だいたいリーグ戦を無敗で優勝するチームなんて雲の上で想像もつかないさ。

体験練習にはじめて訪ねた日、もちろん我々の知っている人は誰もいない。。。
私は練習を見ながら選手の数を数えた。20人か。。。どの選手も身体能力が高く厳しい練習を重ねてきたようだ。
試合に出られるようになるかなあ。

私は子供の頃いた少年野球チームは関東大会で準優勝するほどだったのは先日紹介したが、私はほとんど試合に出ることはない10番目の準レギュラーだった。
それでも父親は公式戦はよく見に来ていた。
1回も出場することの無かった県大会、決勝戦で圧勝しつつあるときランナー1塁で珍しく代打に起用された。

勝利もほぼ決まっているし、長打力でも期待されたんだろうが、2球目にランナーが盗塁してしまった。。。
その後出たサインは「送りバント」だった。。。コツンと転がしたところがいいコースで送った上に内野安打になった。
6年生で中学では野球ではなくサッカーをやるつもりだった私は家に帰って父親が

「いいバントだったぞ」

と笑ったとき、何故か子供ながら申し訳なく、後で一人で泣けてきた。。。
そんな経験もあったから、親となった今は正直弱くてもいいから試合に出ている息子を見たかった。
当時のチームではいいが、あのチームで試合に出るのは至難の技なんじゃないか?

英会話学校の仲良しのお友達の所属するチームにも体験させてもらった。
試合で当たったこともあるし監督も甘辛のことを聞いてしっていたので歓迎ムードだった。
お友達やチームメイトとも仲良くやっていたし、親にも知人がいるので心強い。
特に少年団でお手伝いが増える妻はそのチームへ移ることを望んでいたようだった。

私も正直そちらのほうがいいかなと思っていた。明らかに居心地がよさそうだ。
ところが彼は今のチームを選んだ。まるで最初から決めていたようだった。。。
何が彼を駆り立てたんだろうか?

あれから1年。。。それまでの全部を合わせてもとても足りない経験をさせてもらった。
試合数は軽く100を超えているだろう。
ひたむきにがんばるところや背が比較的高くキック力がそこそこあるのが買われたんだろうか、どうやら主力軍仲間になれたようだ。
むろん彼自身もよく努力したしがんばった。ツキもあったようだ。

我が家名物「結果オーライ」だぜ。
コーチの奥さんがデビュー戦である遠征合宿の写真集DVDをくれたとき、ホントにありがたかった。今でもときどき見るときがある。
あのとき見に行った我々にはあまり見向きしなかったが、DVDを見るとどれも何となく不安そうな寂しそうな顔をしているな。

この一連の移籍劇で私も甘辛も忘れがたい苦い経験をしたが、結果大きく成長できたのは
事実だ。
またこの1年で親からしてみれば、惚れ惚れするほどいい経験をさせてもらい、進化しているな。
朝連のときはサッカーパン履き忘れてくるし、一昨日も青と黄色のビーサンをかたっぽずつ履いてトイザラスを闊歩していたが、宿題は終わってんのか?

この夏休み(まだ少し残っているが)私との朝連も入れて1日も欠かさず練習したな。
努力した結果が必ずついてくるとは限らんが、結果を出す者はすべからく見えない努力をしているはずだ。



オリンピック閉幕

2008-08-25 23:35:13 | ヒーロー
当分どこででも口にされ、やがて年末までは誰も口にしなくなるが、やはりオリンピックのことは書いておこう。

熱い戦いだった北京オリンピックも昨日盛大に閉幕した。
ただ見てるだけの私でも結構寂寥感のある、あの聖火が消えるシーンは感無量の人もたくさんいただろう。
毎度4年に1回、政治、経済、そしてもちろんスポーツ界含めあらゆる分野で色々な物議をかもしだされるオリンピックだが、やはりフィクションでは絶対書けないドラマが山ほどあり、感動の連続だった。

歓喜に涙する選手、茫然自失、悔し涙で会場を去る選手、直前のアクシデントで晴れに舞台にすら立てない選手、これまでの4年間を振り返り様々な思いがあったことだろう。
私だけだろうか、メダルも含めて結果を出す出せないは、ほんの紙一重のように思える。。。
私の好きなマキャベリの「君主論」では、「運命」と「力量」と表現されている。物事が思い通りに行くためにはツキも必ずいるというものだ。

400メートルリレーの予選では、前回アテネの金銀銅チームが全部バトンを落とし落選した。
日本チームは流れるような美しいバトンリレーで決勝進出し見事銅メダルを獲得したが、ただ「ツイていた」という人はいるまい。。。
また一方で、ツキと力量と言ってもその次元をはるかに超えてしまって、すべくして優勝する選手がいる。。。
今年の日本選手金メダリストは「連覇」が多いのがすごかった。4年間を語らせたらすごいんだろうな。

他の人はどうだろうか。私は子供の頃はよくオリンピックを見て応援していた。
男子バレーボール「ミュンヘンへの道」や競泳「金メダルへのターン」なんてドラマ化したのもあったし。。。
なんたって水泳なのにターンして空飛んじゃうところがすげえ。
オリンピックごっこというのもよくやった。

モントリオールオリンピックのときは、教室であまりにバレーボールが流行りすぎ問題になった。
新聞紙を丸めガムテープでぐるぐる巻きにした自称バレーボールで、教室ドアの上側レールをネットに盛りあがっていた。
2対2なので今でいうビーチバレーのはしりか。。。女子からも応援されたものだ。
サッカー部だった私含め、男子運動部連合軍とバレーボール部の親善試合なんていう、アントニオ猪木対モハメド・アリみたいなイベントも実現した。

それからしばらく経ち、オリンピックに実際出場する選手と同じような年齢になるとあまり興味が無くなった。。。
他のことで忙しいこともあるが、なんか自分と同年代の選手が日本中の注目を浴びて声援を贈られているのを見て、やっかんでいたのか自らのけだるい姿を恥ずかしがっていたのか、あまり見る気がしなかった。。。

どこかに「これから死ぬ気でやればオレだって。。。」というところがあったのかもしれない。ありえないと思うが若さよねえ。
やがて、生まれ変わりでもしない限り絶対無理という年齢になると、素直に応援するようになる。
30歳で高校の同期会に行ったったとき、エスカレーター制でもないのに小中高珍しく同じだった女子と2次会でツーショットになったとき、この話をしきりにしていた。

水球とか見た事が無い競技を夜中に見ても、一所懸命競技している姿を見て朝までテレビから離れられないと。
年齢的にもあのあたりから「悟り」があり、素直に感動できるのかな。
これが40になるとただのにわか評論家と化してしまう。。。

妻もそうだが、「自分が見ていると勝てない」ジンクスを勝手に作り上げ、一生懸命応援したいんだけれど、風呂とかに入って祈っているパターンが結構多かった。。。
ソフトボールがまさにそうだった。

色々あるだろうけど、皆さんお疲れさまでした。

                                    あと49

250回記念:超兵器R1号

2008-08-24 06:01:38 | ヒーロー
今回でこのブログ投稿も250回目になる。
ここらでこのブログタイトルの由来を書いておくことにした。
「磯辺」というのは今は休眠同然の姉妹ブログで妻が登場させた私のペンネームだ。
妻はきなこもち、私は磯辺もち、そして一人息子は甘辛醤油もちが好きなことからはじまった。
息子のペンネーム「甘辛」もここに由来している。

そしてご存じの方もいると思うが、このタイトルは私の愛してやまない「ウルトラセブン」の不朽の名作、「超兵器R1号」からきている。

地球防衛軍は侵略を企む宇宙人があとを絶たないことから、積極的防衛のため恐怖の惑星攻撃兵器R1号を完成させた。
実験攻撃用の標的は何か月もかけて調査して生物がいないことを確認したシャール星座の惑星「ギエロン」が選定されたのだ。
実験準備が着々と進む中で、これに決定的な否定感をもち日々表情が沈んでいったモロボシダンはとうとうフルハシ隊員にかみつく。。。

「地球を守るためには、何をしてもよいのですか?」

「地球は侵略者に狙われてるんだ。そのために強力な兵器が必要なんだよ」

「侵略者はもっと強力な武器で地球を攻撃しますよ」

「我々はもっと強力な兵器で防衛すればいいじゃないか」と反論するフルハシ隊員に

ここでウルトラ史上不滅の名セリフが炸裂する。

「それは・・・血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ。。。」

それでも準備は順調に進行し、発射の日を迎える。ダンは偵察用のウルトラホークでつぶやくのだ。

「ボクはR1号の実験をどうしても妨害すべきだった。それをできたのはボクだけだ。本当に地球を愛しているのなら。。。」

R1号は発射され、ギエロン星は木っ端微塵になった。成功に喜びR2号の開発に沸き上がる防衛軍首脳陣だが、なんとそこに生物がいて地球に接近してきた。
それもR1号の影響を受け、再生能力をもつ「ギエロン星獣」となって。。。
これもウルトラ史上唯一と思うが怪獣でも星人でもなく「星獣」なのだ。
しかし星獣は放射能を巻き散らかしており、一刻の猶予もできない。ダンはセブンに変身し、苦戦しながらもこれを倒した。

ギエロン星を選んだ女性科学者は嘆き悲しみ後悔する。「ギエロン星獣を憎むことはできません。。。」と。
そこへキリヤマ隊長が「そう言えば、ダンが・・・」と先の名セリフを伝えると、その女性科学者は

「参謀、人間という生物はそんなマラソンを続けなければならないほど愚かな生物なのでしょうか?」

タケナカ参謀は防衛会議にR2号計画中止を提案することを決意した。
最終回を除けばウルトラセブンで最も好きなこの作品をブログタイトルにつけることにした。。。


灼熱の夏休みもそろそろ終わりです。
このブログもおかげさまで250回を迎えることができました。
最初は要領も分からず、脳トレのつもりで思いつくことがあるたびに投稿していましたが、結構身の周りにはネタとなることも多く、しばらくして毎日書けるようになりました。

たまたま所在をお教えした人とわずかな口コミだけなのでそう多くの人はご覧になっていないと思いますが、日に数十人は訪れてくださるようです。
コメントは8話に1回くらい、書き込んでくれるのは数人でしょうか。。。私を知る人ばかりなので書きにくいところもあるでしょうし、すごい反応を期待して綴っているわけではありませんが、やはり何か書いてもらった方が張りがあるというものですね。

300回まではこのまま続けようと思います。
その後はしばらく休止し、また装いを新たに始めようか考えています。

これからの50話で第2幕の参考になるような色々なコメントをいただけると幸いです。
また、これまでの250話の中で特にこれは気に入ったというものがもしあれば、感想などもつけてブログか

メール hayapo21@mail.goo.ne.jp

にお送りくださるとうれしいです。

今後ともよろしくお願いします。


ミニ招待杯

2008-08-23 21:25:30 | 少年サッカー
今日は朝から涼しく、先週のように雨の予感がする日だった。
息子甘辛のサッカーチームはミニ招待杯(と言っては失礼かもしれないが)に出かけていった。
神奈川県央の座間市に会場がある。今日は妻が仕事でいないので私一人の運転で駐車スペースをとっては悪いので、電車で行った。

小田急線の中央林間から歩いて15分程度かかった。
学生時代後半に通った学院が田園都市線すずかけ台にあり、中央林間駅は乗換えに使っていたので懐かしい。。。
会場は反対側にあってとてもわかりにくいところだったが。。。

今日のシステムは8チーム集合して基本はトーナメント戦、でも初戦で敗退したチームもフレンドリートーナメントが合間にある構造だ。
我がチーム、初戦は無難にモノにした。「5年生の試練」なのか実力や体格が上っぽいチームとしか対戦してないような気がする。
市内以外に出かけるとどこにも勝てないような錯覚に陥っていたが、なかなかどうしてがんばってるじゃないか。。

初戦を通過すると準決勝で、入賞(トロフィー)は決まりだそうだ。あとはトロフィーの大きさだけだ。
でも準決は今まで「名前負け」して一度も勝ったことのない相手「MD」だそうだ。
息子甘辛はCBで気合は入っていたが・・・完全にやられていたな。。。
キック力にも歴然とした差があり、中学校グランドでゴールが大きいこともあったかな。

MDというチームは見ていてもホントにいいところに蹴り込んでくるな。
スピードと展開力があって、裏へ裏へ攻めてくる戦法への対処が課題かな。
彼らの動きは身体が覚えているような動きに見えた、きっと何百回も繰り返し練習して身に付けたんだろな。

あのチームはクラブチームで1軍2軍他何層もあり、厳しい競争の中で培ったプレーに見えた。
我がチームもがんばってはいたが、普段の練習は?危機感持ってる?・・・
「練習は試合のつもりで。。。試合は練習のつもりで。。。」本で読んだことがある。

MDには何とか初勝利して欲しかったが、逆に今まで見た中で一番やられちゃってたかな。
しかし、得点もしたしチャンスも一杯あった。
息子甘辛は見ていて蹴飛ばしたくなるほどやられていたが、終わり間際に中央からドリブルで抜け右サイドのUY選手に繋げるグーなキラー的ロングパスがあった。

先週の練習試合でも2回くらいあった。。。
たぶん(バカボンのパパ風に)これでいいのだ。今まで1試合でできた1回を2回、2回を4回にして、「がまの油」のように増やし、いつも狙っていけばいいんじゃないか?素人目だが。。。
両サイドも声を出し、蹴るだけではなくなったきた。発展途上だが周りからの指示と激励がポイントだぜ。

準決勝でやられてしまい、都合があって3決は見られなかったが、惜しくもPK戦で負けちゃったんだって。
ドンマイだ。

それから今日の招待杯の主催チームのすばらしいところを見た。
タッチラインを割ったりゴールラインを割ったりして相手チームのボールになってもきちんとボールを取りに行くんだ。
普通相手ボールは取りに行かないし、それを責められることもない。
PK戦で勝ち進んできたが、キーパーはゴールされてもボールを取って、相手チームのためにちゃんとペナルティスポットにボールを置くんだ。気持ちいいもんだ。

あういうのを見習って。。。
明日のスポンサーリーグはがんばろうぜ。

そして予告編・・・次回はこのブログの記念すべき日だ。これまでに無かった話題になるので乞うご期待。。。



夏はウルフェス

2008-08-22 22:28:40 | ヒーロー
夏はウルフェス。ウルトラマンフェスティバルのことだ。
ここ10数年夏休みには必ず池袋のサンシャインを訪れる。一昔は後楽園プリズムホールで開催されていたこともある。
私はもちろん息子甘辛も、ウルトラヒーローと握手できて無邪気に喜ぶ年齢ではないから、もっぱらジオラマの鑑賞やクイズ参加、ライブショーを楽しみに行くことになり、もはや年中行事となっている。

私自身、池袋のあの雰囲気に馴染めないこともあり、1年であそこに行くのはこのときだけだ。
ここ数年はジオラマ、特にウルトラメカ系に趣向を凝らしており、今年はJAXAとコラボして「宇宙から見た地球」をテーマにしていた。
私の目を釘づけにしたのは、やはり特大ウルトラホーク1号だ。そう、昨年内緒で係りの人に価格交渉をしたやつよりもひとまわり小さかった。。。

ここ数年は実物大●●をテーマにしているようだった。
3年前・・・実物大ウルトラマンコスモスの顔(ウルトラマン実物大。。。というのを初めて感じた)

一昨年・・・実物大初代マンの手のひら(上にのるとまるでお釈迦様の手のひらの上だ)

昨年・・・・実物大セブンのアイスラッガー(これには感激した。。。)

今年・・・・実物大メビウスブレス(写真)

熊本県荒尾市なんていう、この地方では九州出身でもない限り誰もしらない場所にウルトラマンランドというウルトラ専門施設があり、となりにある割と有名な「三井グリーンランド」にその昔期間限定で等身大ウルトラマンが現れたことがある。
身長なんと40メートル。。。3分間とは言わないが、3週間ほどしかいられなかったようだ。

ウルフェスは情報収集の場でもある。近々発売されるバンダイのおもちゃや食玩がサンプル紹介されていたり、実物を見ることはまずできない特注マルス133とかウルトラマン胸像を間近にもできる。
普段は吉野家でも豚丼以外は頼むのに抵抗ある財布のヒモが堅い私だが、ウルフェスばかりは豆腐のように柔らかい。。。

ウルトラシリーズ大ジョッキシリーズをまるごと大人買い(全シリーズ購入)し、帰りに悲惨な目にあったこともある。
子供もウルフェスだと何故か私が大判振舞いすることを計算し、M78ショップではここぞとばかりに高いおもちゃをさりげなくねだる。
まあ、そんなに甘くないが。。。
本日は知る人ぞ知る私の正装。。。ウルトラマンアロハの保存版を衝動買いした。なんせ半額だったんで。

ウルフェス山場のライブステージは昔はフリーだったが、今は全席指定で入場券1枚につき1回こっきりの観覧だ。
いつきてもこれはよくできていると思う。。。
約40分ほどのステージだが、最後は私も含めて「がんばれー」の大合唱だ。我々大人のツボを見事にえぐる演出もある。
例えば実物(ではないんだが)ウルトラマンキングの登場とか。。。

いつだったか悪の主役が3面怪人ダダだったときだ。人間標本を作成するための光線銃をもったダダが観客席を練り歩き、私達の斜め前に座っていたお子様はステージの最初から最後まで大絶叫で泣いていた。
これがトラウマにならなければいいが。。。確かにあれは恐いよ。

「うわぁーん。。。ティガが標本にされちゃったよぉ~」

ダダが持つ標本製造光線銃のカプセルの中には芸の細かいことにティガの人形が。。。
今年は地球温暖化や人間による環境破壊を戒めるようなニュアンスもあり、なかなかすばらしいできだった。
息子甘辛も5年生にもなれば醒めた目でみているところもあるが、いつのまにかずいぶん前に買わされたメビウムナイトブレスを装着し電気で光らせながら声をからせて声援していた。
このおもちゃ何年前に買ったんだっけ?まだ電池あったんか?

ライブステージは今秋上映される「大決戦ウルトラ8兄弟」を意識していた。約10年前の「平成ウルトラマン」と言われるティガ、ダイナ、ガイアが中心で変身する地球人もギリギリセーフで集めている。
つるの猛士さんが最近おバカキャラになってる余韻でダイナも笑わせキャラになってしまっていた。。。

「夏はウルフェス」の合言葉をもつ我々親子だが、今回の作品でひとつだけ「どうかなぁ」と思うものがあった。
大怪獣バトルフィールドの奥だが、巨大なウルトラマン像があった。近くに行ってみるとなんと3000体のミニウルトラマン人形を彩色して合体させて作ったものだそうだ。
うー、む。。。「パイレーツ オブ カリビアン (ワールドエンド)」のカリプソか?
いまいちのセンスだったよなあ。。。

これからもウルフェスは子供達とその親達の夢を紡いでいってほしいものだ。