超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

花とグルメと1100ホテル

2015-03-30 22:14:02 | 旅行お出かけ

南房総は「陽光きらめく花とグルメの半島」という。初日は神社仏閣、歴史的所縁や景勝ポイントを巡ったが、この小旅行で印象深かったのはやはり「魚介」と「花」である。安房神社を出るとちょうど昼食時を少し回ったような時間になり、我々は予てよりリサーチしておいた海辺の食堂に向かった。この辺りの海岸は岩場が結構入り組んでおり、船が数隻しか出入りしないような、ちょっとした漁港がたくさんある。宿には申し訳ないが夕食はブッフェで海の幸には期待できないから、地元で「海鮮丼」などを食わせる店を探しておいた。カーナビ通り行くと「えっ?ここかよ・・・」というような寂れた田舎食堂のようだが、結構グルメポイントは高いらしく、観光っぽい客が結構入っていた。母はその日獲れた魚介で作った「その日丼」、私はグレードアップした「大漁丼」を注文したが、よくよく見るとその違いはウニが入っているかどうかだけのようだ。しかし我々の好む「貝類」がこれでもか、というほど惜しげもなく入っており、ボリュームは満天で十分満足のいくものだった。

    

その後、想像よりもはるかに複雑な』地形だった東京湾の入口、洲埼灯台を出ると道に沿って両側に花壇が続く「房総フラワーライン」を東に向かう。菜の花やポピーなどが道沿いを彩り「日本の道百選」にも選ばれたそうだが、残念ながらまだ植えたばかりで「フラワーライン」というにはちょっとプアーな数キロだった向かう先は「白浜フラワーパーク」である。母親と出掛けるときはあまりアクティブなテーマパークには行けないので、大人しくその土地の「フラワーパーク」を訪れることにしている。伊豆もそうだしグンマを旅行した時もそうだった。こちらはアジサイやチューリップのような「整備されたパーク」というよりは、一面に広がる色とりどりの花畑、という印象である。(実は南房総のあちこちで同様の光景が見られることを知ることになる)

チェックイン開始の時刻がせまる午後で若干風を冷たく感じ始める時間だった。やはり色とりどりの菜の花、ぽピーの花畑で目を見張るような美しさだ。何組かのグループが花畑の真ん中まで立ち入って花やペットの写真を撮っているようだ。「花畑の中まで立ち入るとは怪しからぬ」と思ってみたら、小さなカゴを持って「花を摘んで」いるようなのだ。畑のところどころにはカゴとハサミが用意され「花摘み」ができるようになっている。実は房総フラワーラインやその少し先の千倉はこのような「花摘み」ができる畑がたくさんあるようなのだ。そこの土に植わってちゃんと咲いている花をわざわざ切り取ることもあるまいに、私も母も「花摘み」などには全く興味が持てずただその一面の景色を楽しんでいた。近くで熱心に摘んでいたおばさんが、抱えて出てきたカゴの中身を覗き込んで驚いた。

      

「あ、あれっ?咲いてる花を切り取るんじゃねえのか?」思わず口に出してつぶやくと、おばさんは(世の中にそういう人多いのよねえ)という顔をしながらにっこり笑って
「そうなのよ、蕾になっているのを摘んで、水に浸けておくと2,3日で咲いてくるってわけ。すぐ隣と同じ色の花が咲くから、気に入った色を選べばいいのよ」
「今晩はこっちに宿泊して明日の夕方に帰るんですけど、蕾は大丈夫なものですか?」「部屋では水に浸し、移動は濡れた新聞紙で茎をくるんでおけば全然平気です。蕾は重みで首が垂れてるけど、咲くときは上を向くから折らないように気を付けてね」
ポピーは1本15円、花は5種類くらいの色があり、せっかくだから一人一本ずつ摘んでみることにした。この年になって「お花摘み」なんてものを初めて体験するとは思わなかった・・・トータルで10本だが、カゴの中で混ぜこぜにしてしまった。(この状態で一人5本選ぶと、二人とも5色きれいに揃う確率はどのくらいか?また紙と鉛筆を出す羽目となる)

    

少し日が傾いてきた時刻、フラワーパークを出て数分して宿泊予定の1100ホテルへ到着した。海辺に聳える建物自体は立派なもので温泉宿泊施設だが、残り1部屋ぎりぎりで予約した割安パックだから、部屋から海の眺望などはなく目の前は駐車場と離れの家族風呂という割り切った設定で、食べて飲んで風呂入って寝るだけ、というものだ。夕食は何十種類のメニューを誇るブッフェ形式でしかもアルコール、ドリンクともにセルフで飲み放題である。宿代もリーズナブルで食べたいものが好きなだけ食べられるから子供連れやグループ連れに人気があるようだ。ものすほい種類だが、プレートをとって最初のテーブルは地元の野菜などを使った「漬物」横町で私は全滅・・・それでも寿司あり、天ぷらあり、蕎麦におでん、洋食はハンバーグ、ミックスフライ、パスタ、点心まで登場し、およそフードコートにあるものは何でもそろっていた。アルコール飲み物はビールにレモンサワー、アセロラサワー、ハイボールに日本酒と居酒屋メニュー満載だ。サーバーに並んでいても酒を飲むと朗らかなもので、真ん中にグラスを置いて右側のボタンを押してしまい、「わわーっ、こっちから出てきちゃった!」と慌てふためくと後ろのおばさんは「ぎゃーっはっは、私もそれやっっちゃた。矢印書いてくんなきゃ分かんないわよねえ」

よほどのことがなければ2度も3度も来ることはあるまいと、特別料理を張り込んで「伊勢海老の天ぷら」(刺身で出してよ!)、「アワビの味噌焼き&刺身」、「サザエのつぼ焼き」を事前注文していた。これらも含めて何度も料理テーブルを往復し、アルコールのお替りを繰り返してそろそろ1時間半を経過しようとしていた。1100ホテル系列は全て同じバイキング&飲み放題形式だが時間が90分制限というスタイルが多いなかで、ここは無制限!だが胃袋ももう若くなく食べ放題なるイベントに対して有難味を感じない年齢である。そんな中で「バイキングでは全ての料理を1ラウンド必ず食べる」ポリシーを持つ私はポンポンの腹をさすりながら、隅のテーブルにあった「カレーライス」を持ってきた。「あんた、そんだけ飲み食いして、まだカレーなんか食べるの?」母は呆れていたが、私は「まだ、その隣のビーフシチューを食べてない・・・」翌朝食で同様に(アルコール抜き)で食べたことを思うと、5キロ太ってもおかしくない暴れ度合だった。

       

温泉大浴場は広くて露天もあって中々なものだが、いかにも昔ながらのオープンなステージにカラオケがあり、ゲームセンターと並列され、その向こうに卓球台が見える。料理そのものは種類はたくさんあり、さながら修学旅行のような賑やかさだが、味は大したことない。部屋に至ってはテレビを見て寝るくらいのもので、「従業員部屋を改造したんじゃね?」というものだ。
妻も息子甘辛もどちらかと言えばラグジュアリ志向なので、こういう「子供が走り回る」ような施設にはあまり行きたがらない。料金がほどほどで最近ものすごくお洒落に生まれ変わってきている今はなき「一碧荘」のような保養施設が好みのようである。私も母もむろん、豪華な施設はウェルカムだが、こういうベタな「昔ながらの温泉ホテル」というのも嫌いではない。観光のみに目的を絞り宿泊は割り切り、ということもできる「両刀使い」である。

  

サービスは良かったが、部屋自体がそう大したものではないから、滞在している間じゅう大浴場に行ったり来たりして夜を明かし、翌朝早目に宿を後にした。2日目の帰路は南房総を反対側に巡りほぼ一周する計画になっている。このエリアはたくさんの「道の駅」も観光名所として紹介されており、旅の後半は「道の駅」巡りのような形になった。ホテルの近くにあった「めがね橋」をちょい見して最初の目的地「野島埼灯台」の近くにある「道の駅白浜野島埼」に向かう。灯台周辺の観光地にあるのかと思ったら少し離れたところにあり、母が購入したレタスや菜の花など地元農産物と花摘み以外には「何もねえじゃん・・・」という雰囲気だったが、そこにあったパンフレットで「菜の花・港まつり」という情報を得られたのは収穫だった。

   

野島埼灯台を経て次に向かったのは「道の駅ちくら潮風王国」である。海沿いの広々とした敷地で午前中なのに駐車場が混雑するほど賑わっていた。広大な芝生広場の一角に実物の漁船が常設されていて遊べるようになっている。道を挟んで反対側はお馴染みの花畑になっており、やはり色とりどりのポピー摘みを楽しんでいる人がいる。本館には生け簀があって近所の獲れたばかりの魚を泳がせているのかと思ったら「鑑賞用」だったのには思わず苦笑いした。貝殻を使った工芸品や変わった染め方をしたTシャツなどと並び、様々な干物が目についた。ウツボやフグ、近所でよく釣れるヒイラギにも似たギラなどゲテモノっぽい品もあったが、私は甘辛の好物である立派なアジの干物、母はちょっと珍しいイナダの干物をお土産に購入した。

    

南房総の山側を半周し最後に立ち寄ったのは高速道路の終点近く、「道の駅とみうら枇杷倶楽部」である。ここと富浦港の2か所を会場に「菜の花・港まつり」が開催されている。私が一度は訪れたいとした二宮吾妻山公園の葉の花ウォッチングはとっくに終了してしまったが、ここの菜の花はまさしく満開、見渡す限り黄色い花の絨毯だった。周辺にはミニSLが走り、菜の花は摘み放題のサービスっぷりだ。テントでは珍しい「枇杷の葉茶」というのをふるまってくれたが普通のほうじ茶のようで、別に枇杷の味がするわけではなかった。(当たり前か!)土産店には「枇杷カレー」をはじめ「サザエカレー」「あわびカレー」などいかにもゲテモノが並んでいたが、某グンマの隣県の特産「いちごカレー」にやられた教訓を思い出し、ここはスルーしておくことにした。

      

最後に向かったのが富浦漁港である。ここもかなり賑わっていて、多くの大漁旗が掲げられ活気づいていた。ちょうど地元の「雨乞い」に相当する踊りを披露するところであった。ちゃんとストーリーがあって「遊んでいてつい結界の向こう側に行ってしまった子供らを迎えに行く」というもので、可愛らしい子供たちとかなり練習を重ねたと思われる若者たちの演技が独特な笛の音色の乗っかって中々見応えがあった。そのまま帰路につくには少しだけ早い時刻だったが、その晩は中学時代の級友と茅ヶ崎で酒を飲む約束があり、連日のお出かけと暴飲暴食でかなりヘバッテいたので、そのままアクアラインに向かうことにしたのである。今回の南房総プチ旅行はいつもの通り、あらん限りの観光場所を連れ回すものになったが、「海よし花よし食べ物よし」の半島をある程度満喫できた。半年に一度もらえる次のクーポンの有効期限は9月、割切りの1100ホテルツアーでまたどこかに行きたいと思う。

      

南房総を巡る

2015-03-27 06:19:38 | 旅行お出かけ
先日は久々に北関東を車で巡り、前回は県内の「訪れようと思うところ」を徒然に書いてみた。しかし意外にも(と言うか流れが滅茶苦茶)実際に「赤いライオン号」で走り廻る機会は南房総エリアとなったのである。実家の母親がとっている新聞屋が年に2度、色々な施設やショッピングで使えるクーポン券をくれるそうだ。有名デパートのお菓子のクーポンや家電量販店のポイント進呈、衣類や飲食店でのディスカウント、アミューズメント施設の入場料などかなり多岐にわたるが、「どんどん使って家計の節約に・・・」という割には正直わざわざこのクーポンを使うためにどこかを訪れる気がするほど大したものがない。「使わないから」と母親はとっとと私に冊子ごと渡すが、確かに新江ノ島水族館の入場料が2100円のところを1890円に割引されるのが「どこが特別なの?」と言いたくなるいほど中途半端だ。ただその中に一つのきっかけとして割り切れば結構お得?というクーポンが一つ二つある。その一つがとあるホテルグループの宿泊割引券である。365日いつでも同料金で関東の温泉地器を中心に展開するホテルチェーンで、一泊二食の料金だけ見るとかなり割安に感じる。昨年、母親を連れだって伊豆方面を旅行したときに使おうとしたものだ。
 
そのクーポンの使用期限が今月いっぱいとなっている。何かもったいないので色々と予約状況を見たりしたが、さすがに学生も春休みになってくるとメジャーな温泉施設は週末すべて満室となっている。ようやく見つけたのが南房総白浜温泉のとあるホテルだtっとのである。唯一空いている週末は妻はお友達同士の女子会、甘辛は部活で行けないのでまたクーポン所持者である母親を連れ出すことになった。伊豆の下田もそうだが、房総半島の南端なども自家用車で訪れようとするとまさしく「地の果て」だったが、伊豆と違い「東京湾アクアライン」があるために実は我が家から2時間ちょっとで到達してしまうのである。今までこのサイトでも房総方面とは馴染みがなかったと思うが、実は木更津は20数年前、私が入社した時に最初に赴任したゆかりの地なのである。最初の一人暮らしであまり実家には寄り付かなかったが、当時は移動するのに内房線を延々と乗って行くか、今はなき川崎からのフェリーを使って行き来していた。
 
1年弱しか住まうことはなかったが、入社したてのわれわれが物珍しいのか、研修などで行く先々の職場で様々な名所に連れて行ってもらった。ただ残念ながら本格的な観光目的で訪れていないので、南房総を語ろうとしても以前息子甘辛がサッカー合宿に行った「保田」や鴨川シーワールドくらいしか思いつかない。。。今回はアクアラインからそのまま高速道路を南下し、館山方面まで一気に進んでしまうルートだった。母はだいぶ前に一度訪れて以来らしいが、考えてみれば早春の南房総は色とりどりの花が咲き乱れ、魚介も豊富で訪れるところはたくさんありそうだった。普段は旅行までに観光計画などたてないのだが、母は私以上に何もしない(できない)ので「ただ行って来る」ことにならないように事前に色々と調査しておいたのである。やはり先日書いたように、神社仏閣、花巡りが中心になる。
 
最初に面白いと思ったのは、富浦ICから少し走ったところにある「船形山大福寺」というところで、境内の船形山の中腹に朱塗りの観音堂があり「崖の観音」と信心される本尊が刻まれているという。少し階段を上ることになるが、観音堂からは眼下の館山湾や遠く伊豆大島を見晴らすことができる景勝地のようだ。私も母もかなり期待して向かったのだが、1月中旬より1年半かける修繕工事に入ってしまっており、まさかの参拝不能・・・「じゃらん」などの紹介記事だけでなく、本家HPを確認しなかった至らなさが悔やまれた。そこから車で数分の場所に「館山城・城山公園」がある。館山は里見八犬伝の里見氏由来の地であるそうだ。駐車場から散歩気分でゆるゆる坂を上っていくと、山(というよりは丘)のてっぺんにこじんまりした天守閣が聳え、こちらは館山湾や市内を一望できる。桜の木がたくさんあり、満開になるとさぞ美しいだろうと思う。

        
 
次に訪れたのは観光サイトなどでもよく登場する「常楽山萬徳寺」である。私は初めて見る釈迦涅槃仏はガンダーラ様式としては世界最大級であるという。全然知らなかったが面白いところがあるものだ。ものすごい有名なのかと思ったら、小さな駐車場で停めている車も数台、訪れていた人たちもわずかだった。あくまで参拝目的の人に開放しており、観光ためだけでは入場できず、入口で住職風の人から参拝の作法について講釈いただくことになる。
「まず正面にお線香がありますから、5本頂いてお供えして頂きます。3本は仏様、一本はご自身、最後の一本は御願い事のためです(と言ったと思う)。正面真ん中の石段を上って手を合わせ時計回りの進んで仏様の回りを3回お回りください。石段は螺旋になっていますので、段を上らなくても御足まで進むことができます。仏様の御足の裏に両手を重ねて額をつけてお願いことを唱えてください。願い事がすみましたら石段を真っ直ぐ降りて構いません。人物を入れての記念撮影はしていただけますが、仏様だけを撮影されるのはご遠慮願います・・・」
言われた通りにお参りし、何となく厳かな気分になった。

        
 
この後、赤いライオン号はさらに南房総を南下し「安房国一宮」である安房神社に到達した。参道や境内内にある桜の木もつぼみを膨らませ、あと一歩で開花するというところのようだ。また一足先に満開となった立派な河津桜もあった。境内はひっそりとして、寒川神社のような賑やかさはないが、御仮屋という見慣れない家屋が奥にあった。近づいて中をよく見ると、押し入れのような部屋が並んでいて、近隣?の神社名が正面にある。つまりは大きな祭事の時にそれぞれの神社から神輿が集まり、それをご神体として「仮に鎮座頂く」建物と思われた。(どうも現在は実際に使われてはいないらしい)。安房神社を過ぎるとすぐに房総半島の海岸線である。昼飯をとって時間が少しあったから房総フラワーラインという道路を西に向かい、洲崎灯台を訪れた。ホテルとは逆の方角でちょっと無理な行程かと思ったが、道路も空いていてあっと言う間に到着してしまった。

        
 
館山の先端にある灯台だから、房総半島の南端かと思えば地図で見ると「鉤の先端」のような位置にあり、「東京湾の入口」として大正時代に建てられたそうだ。中には入れないし、周囲には何もない。江ノ島灯台などを見慣れている我々には信じられないくらいしょぼく、観光地とはかけ離れた寂れた感満載の佇まいだ。しかしここからの景色は中々面白いものがある。天気が良ければ富士山や伊豆半島、大島なども一望できるようだし、夕陽の美しさは格別らしい。残念ながら遠くは見られなかったが、「えっ?」と言うほど すぐ手前に見えるのが三浦半島である。実際に見える地形と地図を照らし合わせると、自分の思い描いているよりもはるかに東京湾とは狭く入り組んでおり、特別な形をしていることが感じられる。

      
 
同じ灯台として最後に紹介する有名所は「野島埼灯台」である。これぞ正真正銘房総半島最南端に位置し、周囲も散策スポットのようになっていて中々楽しめる。宿泊ホテルからすぐのところにあり、切り立った岩場や「最南端の碑」、ちょっとベタだが「カップルで朝夕の陽を楽しむ」岩場のてっぺんに固定されたベンチ、小さな半島をぐるーっと回って20分くらいの散歩コースだ。メインの灯台は登ればぐるりと太平洋を見渡せ、ちょっとした展示物もあるようだったが、これまた不運なことにまさかの立ち入り禁止!どうやら1ヶ月くらい前に定期測定で灯台内の空気から許容濃度を超える水銀が検出され原因究明まで参観を中止したらしいのである。中々立派な灯台で立地も素晴らしくさぞよい景色だろうと思われるだけに、次の機会に期待しよう。

          

ちなみに港から灯台までの道のりに小さな神社があるのだが、その手前に世にも強烈な祠がある。「平和の愛鍵」というタイトルだが、サブタイトルは男●七不思議「ぶらぶらすれどもに・・・」ではじまりきちんと神棚のように祀られている。その全長は約2メートル、そのまんまの姿で鎮座ましましている。ご利益がある祠として正規に祀られているので、写真を掲載してもよいのだが、そのインパクトは長篠にあると聞く「鳥居強右衛門」の姿とは比較にならない。このサイトに女性がいらしていたら、二度と訪れないかもしれないので、今回はやめておこう・・・(興味がある方はネットで)

  


花の名所リレー

2015-03-23 22:09:42 | 旅行お出かけ
前回はひょんな運びから首都圏北エリアを巡ることとなった。いずれ我が県も業務上の観点からあちこち足を運ぶことにもなろうが、全国区の有名どころはさすがに訪れたものの、意外な穴場的名所がたくさんあるのも事実だ。県外に宿泊で旅行するような時は、滅多に(と言うか1回こっきり?)来られないのを承知しているから、色々と周辺観光や名物料理を調べたりするのだが、中途半端に近く「いつでも行ける」意識が根強いと何かのついでや時間潰しくらいにしか考えなくなるものである。何十年も住みついている割にはマリンスポーツやアウトドア、テーマパークや街歩きなどもまだまだ体験したことのない事柄が多い。スカッシュのように何か「ボタンを押す」きっかけがないとすぐ目の前でできることでも中々踏み切らないものだ。その中でここ数年、俄然進出してきたのが「神社仏閣巡り」と「花巡り」である。
 
実家の母親は数年前に運転免許を返納した。年齢的にもう少しイケる人もいるようだが、目もあまりよくないし、反射神経もだいぶ鈍化しているから自分も周囲も危険と判断したようである。それまでも遠出や夜間の運転は控えていたのだが、我が家と実家の間の送り迎えとかちょっとした買い物に自家用車を使っていたものが、自転車か徒歩しか移動手段がなくなってしまうと、一抹の寂寥感を感じ不便でもあるらしい。我々の親よりもさらにご高齢の表隣りさんから「乗らなくなった」と電動アシスト自転車を頂いたので実家に持って行ったのだが、やはり行動範囲が急激に狭まったのが気になるらしい。私自身の血圧対策もあるが、毎週末のように早朝にスーパー銭湯へ連れ出すのも「お出かけ」が急になくなると老け込みが加速するような気がしたからである。陽気がよくなるとついでにどこかへ外出したり、逆に外出ついでに竜泉寺に寄ることもあった。
 
我が家から実家を経て「竜泉寺の湯」に至るルートだと、どうしても足を運ぶのは西湘方面が多くなる。また老齢なのでイベントなどで混雑するところや、アウトドア系は控えて「ちょい出」を志向すると神社仏閣、花見物が浮上してくるのである。これが元々「神頼み」をしないし、食用でない植物にも興味を持たなかった私にきっかけを与えた。子供の頃しか訪れなかった大雄山最乗寺、大山阿夫利神社、寒川と平塚以外は聞いたこともなかった相模国の6つの宮を巡ったものである。由緒などを調べると中々面白く、ウルトラ兄弟では「タロウ」にあたる六所神社は寒川を一宮とする5つの宮を合祀した総社で、5月5日の国府祭には五宮の神輿が集い「座問答」という神事が行われるそうだ。ゾフィ(寒川)と初代マン(川勾)が席次を争い、セブン(比々多)が「決着は翌年に」と仲裁を入れるそうで、ぜひ一度見物してみたいと思う。
 
「ちょい出」と言っても最乗寺や阿夫利神社など、結構急な石段を上ったり半分ハイキングコースになっているようなところもあるから、高齢の母をあまり一度にあちこちは連れて回れない。先日、二宮である「川勾神社」で「吊るし雛祭り」というのが開催された。カーナビでもなければ辿り着けないようなマイナーなところだから、駐車場に困るようなこともないが、それなりに人は集まっていたようだ。2月に入って梅の咲く時期になってくると我が県の西部にある名所は俄かに賑やかになる。先陣を切るのは早咲きの菜の花が満開となる「吾妻山公園」である。写真で見ると数万株の一面の菜の花の向こうに富士山が見え、天気が良い日はそれはそれは素晴らしい景色だろうと時期を狙っていたのだが、残念ながらドンピシャ予定を合わせることはできなかった。(駐車場から展望広場までがやたら遠く、40分くらい歩くことになりそうなのが難点だが季節の花が楽しめすようなので、ぜひ訪れたいと思う。

          
 
吾妻山公園の「菜の花ウォッチング」の次は「小田原梅まつり」と続く。何といってもメインは35000本の曽我梅林だが年々訪れる人が増えて行き、駐車場や渋滞に悩まされるので昨年はまつり終了直後に訪れた。紅白咲き乱れる梅の大海に溺れるような気分だが、今流行りの「ドローン」を使って上空から眺めたら、さぞものすごい迫力だと思われる。今年は週末に限るとあまり天候に恵まれなかったこともあり、つい先日だが「小田原フラワーガーデン」を訪れた。ここはあまり密度は高くないが「渓流の梅林」という庭園風のエリアがあり、遅咲きのしだれ梅を中心に何種類かの梅が満開になっている。我が家からのルートだと大雄山線沿いの最乗寺へのルート上にあるのだが、いかにも周囲に何もないマイナーなスポットだが、広い無料駐車場完備でいつも空いており屋外にはサクラやバラもたくさんあって、季節の開花リレーが楽しめる。またトロピカルドーム温室内ではちょっと派手な花が年中咲いている。ここで一番の目玉は先日紹介した「ヒスイカズラ」でちょうどこれから満開期を迎える。札を見なければ全く花の種類が分からないから、少し勉強が必要だ。

            

どうも同じ造園企業の系列らしいのだが、梅まつり終盤になると今度は「松田山ハーブガーデン」の河津桜が見ごろを迎える。実は全然知らなかったのだが、昨年「小田原フラワーガーデン」屋外説明員に伺って翌週に訪れたのだ。ここは天気に恵まれると満開の桜に遅咲きの菜の花、そして富相模湾や富士山が重なる素晴らしい光景を見せてくれる。昨年初めて訪れて母がとても気に入り、お友達に話したら「ぜひ今年は行きたい」ということで、先日好天の平日を狙って見物してきたそうだ。3月も下旬となりそろそろ桜の季節がやってくる。この国は本当にどこにでも立派な桜の木があって、満開の季節を楽しむことができるものだ。近所の家の庭にも毎年立派な花を咲かせる木があるし、川辺まで出ればハイキングコースは満開の花回廊になっている。花が散ってしまうと川面が真っ白に埋め尽くされるほどになり、これまた風情がある情景である。(実は排水溝が詰まったりして問題になっているらしいが)近くの緑化公園にも多くの桜があり、種類が多いらしくかなり長い期間、花見を楽しむことができる。
 
桜に関しては神社仏閣、公園至るところに立派な木があるので、わざわざ混雑している「名所」に足を運ぶ必要も感じない。毎年お友達数家族で花見を楽しむが、今年は日程の関係でいつもとは異なる場所になるかもしれない。ちょっと人から聞いたことなのだが、長興山紹太寺というところにとても有名なしだれ桜があるそうだ。自家用車では行けず、箱根登山鉄道の入生田という聞いたこともない駅から歩いて行くそうだが、知る人ぞ知る名木だそうで、今年のチャンスにぜひ一度訪れてみたいものだ。今は三分咲きくらいで満開予想は月末くらいのようだ。ちなみにいつもタイミング遅れで咲く我が家のトボけた梅の木も例年になく多くのつぼみをつけている。昨年2月にあった2回の大雪で壊滅してしまったかにも見えたが、その憂さを晴らすかのような開花に期待したいものだ。
 
桜の季節を終えるとGWに向けてツツジが咲き始める。これも近所のあちこちの庭や公園で美しく咲くものだが、圧巻だったのはグンマ館林の「つつじヶ丘公園」である。ホントの最盛期に訪れると混雑や渋滞がとんでもないようだが、ちょっと後ろにずらして訪れたことがあって素晴らしい景色だった。樹齢800年というヤマツツジの巨樹群とスペースシャトルで運搬され宇宙で栽培された「宇宙ツツジ」がある。今は中々訪れるのは難しかろうが、代わりに新たな期待候補地が現れた。県西部、湯河原にある「星が山公園さつきの郷」である。元々「割と近所にある星空の綺麗な場所」という条件で探し出したところで、超兵器ポラリエ1号を出動させ「ふたご座流星群」「ラブジョイ彗星」を撮影しに訪れた。これまでは夜しか行ったことがなく星空が綺麗なだけあって、周辺になると街灯など明かりになるものが何一つなく、別の意味で恐ろしいところではあった。真っ暗な道路の両サイドが一面枯れすすきのような異様なイメージがある。これは名前の通り全て「さつき」ということだ。相模湾を一望でき伊豆半島や大島、房総半島まで眺められ6月上旬は5万株のさつきが咲き乱れるというからぜひ訪れようと思う。

今回は「これから行ってみようか」というところばかりで、実際の写真なども大したものはなかったが、県内にはまだまだ「知る人ぞ知る」名所がたくさんあるはずである。「さつきの郷」などは天気が良ければ素晴らしいハイキングコースだそうだが、開花の季節だけ運行すると言われる臨時バスも人がまばらなようだ。ちなみに私からはどう見てもつつじとさつきって同じ花にしか見えないのだが、違うものなのだろうか? これからも海あり山ありの県西部を色々と色々と発掘して行きたいと思う。

久々に北関東を走る

2015-03-19 22:05:16 | 旅行お出かけ
グンマに勤務していた時は、県内で行かないところはないくらいに隅々まで足を運んだものだった。「お出かけ大好き衆」に囲まれていたこともあるが、施設全般の運用をあずかる者として、屋内外設備の点検、工事現場の安全、時には高所作業などにも直接関わり、とにかく「外の用事」が多かったのである。土地のスタッフよそ者とは扱わなかったが、私にとって確かにこれまであまり馴染みの無かった「グンマ」の色々な面を見せてくれた。それが「食」であり「自然」であり「文化」そのものでもあった。集大成を作ってみると改めて「いやー、くまなく歩き回ったもんだ」と感じたものだ。その次の前職は拠点が固定的に決まっていたが、距離があるために航空機や新幹線を使用する外出がやたらに多かった。もっと時間があればそれぞれの地方に触れることもできたろうが、短期間であったのが少し残念だ。ここ半年は自分で用事を作るイベント参加などでなければ遠出するようなことはなくなっている。
 
現職場も多数の現場や拠点を持つが、職務的に「直接預かっている」わけではないので、現場好きの私もあまり頻繁に顔を出すと迷惑かもしれないから少し遠慮している。今回、珍しくグンマの手前にある事業所から話がきた。打合せついでに県北のエリアを回ってみないか、というものだった。施設や現場などはどこに行っても同じようなものだと思われるが、仕事その他で「何か勝手が違ったり」「流儀が違う」「スタイルが微妙に異なる」ことはよくあることなのである。そもそもの文化(国)の違いなども微妙に肌で感じることも大事なことだ。隣県だがさすがに足を踏み入れたことのないエリアなのでお言葉に甘えて久々に車で走り回ることになった。朝から鉄道で直接最寄駅まで向かい、車で拾ってもらう計画だ。
 
週明けだったが(関係ないけど)いつもの東海道線に乗ろうとして、宛先表示板を見て驚いた。全部の宛先が「宇都宮」とか「籠原」になっているではないか?!上側に小さい字で「上野東京ライン」と書かれている。なるほど、話には聞いていたが「ダイヤ改正」で東京駅経由で高崎線、宇都宮線とつながったのだ。テレビで北陸新幹線開通の番組はよく見たが、こちらも開通したのだな。「上野-東京がつながったくらいじゃ関係ねえや」と思っていたら、宛先が皆同じようなところになってしまったから、紛らわしいことこの上ない。今まで全線終着は東京か品川だったのに、電光掲示板だけ見るとまるで湘南地方とは思えない様子だ。ちなみに東京の人でもちゃんと理解せずに混同して使っているが、「湘南新宿ライン」とは新宿経由で大宮を経て高崎線、宇都宮線に連結する線、「湘南ライナー」とは座席定員制の「東京行特別列車」である。
 
私は間違わないように「湘南新宿ライン宇都宮行」に乗り、池袋駅で初めて見る西武鉄道の「レッドアロー号」という特急に乗車した。私鉄の特急車両に乗るのは地元ロマンスカーに加え、近鉄ビスタカー、浅草からの「りょうもう号」に続く4つ目となる。所沢よりも遠くへ行くのは生まれて初めてだったが、レッドアロー号は終点までに「所沢」「入間市」「飯能」「横瀬」しか停まらない。飯能までは普通の市街地を走っていたが、その先の西武秩父線はなんと方向が逆になってしまった。盛岡から田沢湖に向かう秋田新幹線「こまち」のように単線で終点までやたらに時間がかかり、山の中をぬって走るように進んだ。ものすごい田舎かと思ったら西武秩父駅は意外とモダンな街中の駅だった。以前に親類所縁の地がこの辺りと聞いたことがあるが、最寄駅は「御花畑」という冗談のような名前の駅は「秩父鉄道」というさらにローカルな路線だそうだ。

  
 
駅で「フクさん(仮称)」、「マツさん(仮称)」と合流した時はもう昼御飯どきとなっていた。秩父は「そばの街」ということであり、マツさんが有名どころを調べておいてくれた。駅から結構な距離があったが、離れに足湯まである、古い土蔵を持つ武家屋敷風の趣を持った店構えだった。平日だというのに駐車場(というよりはただの空き地)にはたくさんの車が停まっており、店の前には何人かのグループが順番待ちしていたが、少し田舎らしく地元のお年寄りやらマダムグループが多いようだった。入ってきたおばあさんにフクさんが気軽に声をかけていた。
「ここって有名なんですねえ。いつもこんなに混んでるんですか?」「いやいや、今日は少ないほうよ。私、3日連続で来てんだけど、いつもは道路の方まで順番待ちの列ができんのよ」
「お薦めは何ですかねえ?」「そばは何でも美味しいわよ。まずはツユにつけずにそのまま食べてみな。そばの香りがはっきり分かるよ。でもすごい量があるよ。大盛りなんか頼むとこんなになって出てくるよ」おばあさんはヘルメットくらいのアーチを描いてみせた。

      
 
「そんなにすげえのかな。」我々3人は構わず「天ざる大盛り」を注文した。グンマ勤務と違い下手すりゃ、もう来ることもないかもしれないからだ。「(まあ、お年寄りの言うことだからな。多少は大袈裟なんだろな)」と思っていたが、予想外に巨大な「盛り」が登場してしばし絶句してしまった。その時思い出したのだ。田舎(特に北関東)ではお年寄りが元気で、彼らはグンマでもセット物や大盛りは当たり前の世界だったことを。味は確かに絶品でおばあさんの言うとおりそのまま口にしてもふわーっとそばの香りがした。牛乳瓶一本くらいのつゆを使い、ゴージャスな天ぷらをふうふう言いながら口に入れながら、「(やっぱりお年寄の言うことは聞くもんだ)」と反省することになったが、なるほどこの味とこの惜しげの無いボリュームならそば好きの人は殺到するだろうと思われた。

  
 
「いやー、美味しかったです。しかもあのボリューム!ボク、どちらかというと、うどんよりそば派なんで、またあの店行きたいですね」「へーえ、でもグンマはうどんが有名なんじゃないですか?『水沢うどん』とか。。。」
私はきりりと答えた。「あれはあくまで『水沢うどん』でグンマのうどんじゃありません!でも確かにうどんの方が美味しいところが多かったかな。個性的なところっていう感じかな」妻や母親を連れて行ったお気に入りの「あずまや」や「だんべうどん」を思い出していた。車内で色々な情報交換しながら、車は1時間くらい移動しとある神社に向かっていた。かなりの山奥で「こんなところにあるの?」というようなところだが、秩父三社の一つで格式高い神社らしい。運転するマツさんが「40年くらい前に来た」というのが多少不安だったが、目的地に近づくにつれて「この先渋滞注意」という看板が現れたので結構流行っているところというのが分かった。

    
 
山一つが敷地になっているような広大な境内で入口は珍しい三つ鳥居があった。狼を守護神とし狛犬の代わりにもう少し精悍な姿をした像が鎮座している。しばらく進むと日本武尊像が現れ、少し派手な彩色をした立派な門が登場する。本来はこの門を通過してもメインの拝殿に行けるのだが、凍結で危険なため立ち入り禁止になっている。この神社は富士山から東京へと流れる強い龍脈上にあり、山々の強い気が流れ込む、関東屈指の龍穴パワースポットということだ。拝殿の前には樹齢800年という御神木が2体もあり、実際に触れて気を頂くことができる。また拝殿の左手には2012年に突如として浮き上がり縁起がいいとされる龍神が見られる。拝殿や周辺の施設も極彩色でピリピリした気のようなものを感じる。あとで調べたら「ここの強く厳しい気は、強い意思を持って進まれる経営者・自営業や、個人の才能で仕事をされる方に合っています。秩父の山奥で相当遠いですが、「ここぞ」という強い心のときに。逆に、心身が弱っている・迷っているときは、ここの厳しい気は合わないので、優しい気の他の神社へお出かけ下さい」というかなりダイナミックなコメントで紹介されていた。私はどれにも合わないし(何せカファが一番強い)し、「ここぞ」という厳しい局面でもないから、あまり気は頂けなかったかもしれない。遥拝殿からは、秩父盆地やコブのような形をした妙法ヶ岳山頂などが見える。

             
 
「ここ、すごいパワースポットなんですねえ。グンマじゃ、館林の方にある『雷電神社』というところに雷除けもらいに毎年行きましたよ」「知ってます知ってます!うちからも雷除け願班が毎年行くんですよ。栃木からも来てるみたいですよ」
県の外れにある小さな神社は結構有名らしい。雷の被害には毎年悩まされるから皆神頼みしているようだ。「雷除けもらって、なまずさん触って、なまず料理食って帰るんですよ」「ああ、●イチですか、それともウ○トシかな・・・」
マツさんは「あの辺はうどんも美味しいんですよね。あとラーメン屋も人気店があって・・・」「ははは。●屋のことですね」フクさんの住まいはそれこそグンマ、マツさんも近いから色々な名店を知っていたが、私があまりに詳しいのに驚いていた。(ま、あれだけ色々と走り回れば詳しくはなるわなー)実はなまず尽くしというのを一度食したことがあるのだが、それほどピンと来るものではなかった。ラーメンについてはゲテモノメニューが多く、館林方面に行くときは必ず、もう少し足を伸ばして「佐野ラーメン」を食いに行ったものだが、黙っていた。
 
いくつか拠点を見学し、車内で仕事絡みの打合せも行ってパワースポットに寄ったらもう夕方になってしまっていた。フクさんはグンマの自宅に帰るに秩父鉄道を使って熊谷に出るそうだ。元々この鉄道は武甲山からセメント用の石灰石を運搬するため使用されたらしい。そう言えば「あれが武甲山です」と言われて見た山は多少無残にも見えるほど山肌を削られ、山自体も小さくなっているそうだ。秩父から熊谷に向かう真ん中くらいに有名なライン下りの長瀞がある。勤務時間中ずーっと車で走り回るというのはグンマ以来久々のことだった。帰りは再び西武秩父駅でお土産に秩父名物の「豚肉の味噌漬け」と「秩父錦」という銘酒をいただき、レッドアロー号に乗り込んだのだった。今回は北関東に近いエリアだったが、一応管轄地域としては南関東周辺もあるので、いずれ私の住む県も巡り、意外に知らないスポットに立ち寄ることもあろう。

それぞれの受験

2015-03-14 20:45:30 | 出来事
これまで受験と言えば「3年B組金八先生」を思い出す「高校受験」だった。仲良しのお友達家族のお子さん達もちょうど1年ずつくらい年齢に違いがあり、「今年は●●くん、来年は○○ちゃん・・・」と親同士は話題にしていたものだ。昔、近所にいたおばさんのように「あの子はどこそこ、あの家の娘はここそこ・・・」という、はしたない雰囲気はないが、家族飲み会などでいつも集まるメンバーでも「今、受験シーズンだから」とそっとしておくくらいは気を使う。子供同士でも連絡をとっているようだが、少しはプレッシャーを感じているかもしれない。聞くと今は結構割り切っていて「高校」であっても「受かったら儲けもの」みたいなバクチ性の高い志望も含め何校も受験し、ダメだったらあっさり「失敗しちゃった〜」と滑り止めに行くケースも多いらしい。「金八先生」では万全を期して入試に臨んだものの残念ながら失敗してしまった生徒は「この世の終わりのような」顔色をして落ち込む、というシーンだったが今はあっけらかんとしているようだ。
 
さてお友達仲間で年齢的なところで行くと、先陣を切るのはSちゃんとなる。1年ごとに次は息子甘辛でその次がKちゃんである。中学生の時に来年又はさ来年は「我が家」という意識があり、トップバッターのSちゃんの状況は当人の親御さんも含めて話題に上りやすく、その分プレッシャーも強かったと思うが、彼は見事に試練を乗り越え県下でも有数の進学校に入学を決めた。家族飲み会で本人からその発表があった時はむろん拍手大喝采だったが、2つ下のKちゃんママは別の場所で「Sちゃんもハードル上げてくれたよねえ・・・」とつぶやいたそうだ。やっぱり少しは気になるというのが本音だと思う。翌年の甘辛は周囲から「父親の後輩に?!」という声もあったが、見事にスルーして彼特有の強運(本人は実力と言い張っているが)で斜め方向から切り抜けてみせた。私と一緒に入試に向けたいわゆる詰込み特訓は半分空振りだったが、真顔で行った「父子面接練習」も少しは成果を出したことだろう。
 
そして昨年はKちゃんだった。一見おっとりしているように見えるKちゃんはパパが「何か寝言を言っていると思って聞いたら『・・・zz京都議定書zz・・・』とか?!」と驚くほどの頑張り屋で、見事これまた優秀な進学校に合格した。これが何とSちゃんママの母校!花見の席で発表された時は大喝采でSちゃんママは大喜びだった。当人はそれなりに時間の長さを感じているものだが、親にとって中高というのはホントに風のように過ぎ去ってしまうもので、今年はSちゃんが大学受験を迎える。こちらの方が県立高校入試のように参考となる共通の情報があまりないし、あまた選択肢があるので周囲は静かに見守ることにしていた。1年くらい前だったか家族同士で会食した時にSちゃんがパパから「甘辛パパからよく話を聞いておけよ」と言われるのを聞いて苦笑いした。どうもSちゃんは理系志望でパパは文系学部出身だったかららしい。国公立や私立難関と言われるところは調べているようだったが、その他お薦めの話題になった時に何気なく「今時、会社では出身大学と仕事のできぶりは『相関しない』と割り切ってるからねえ。オレんちの会社では●●から来た人は優秀みたいだけど・・・」と何気なくつぶやいたら、「実は●●を志望にしようかと思ってるんです!」とSちゃんは目を輝かせていた。
 
年が明けてセンター試験も実施され、受験勉強も大詰めになってきてから、甘辛とは連絡を取っていたようだが周囲はあまり騒がないように静かにしていた。実は某ソーシャルサイトではレポートの最後に「Sちゃんがんばれ!」と書いたのだが、先に走った「湘南藤沢市民マラソン」爽やかな爆走は受験に打ち込むSちゃんへの「応援ラン」だったのである。ホントならば事前にそれを公表し、「がんばれ」の応援旗でも持って走るべきなんだろうが、正直16キロ死んでも走りきる自信がなく、何かのトラブルでずっこけるとこの上なく縁起が悪いので念のため黙っていた。終わってみると何か「後出しジャンケン」みたいでカッコよくはなかった・・・
そして先日妻から「Sちゃん、見事第一志望合格!」というメールが届いた。Sちゃんは不純なオトナのあざといスタンドプレーなど我関せず(当たり前か!)またまた見事に試練を乗り切ってみせたのである。志望校は前に口に出していた学校らしいのである。初心貫徹か!素晴らしい。。。高校からして理系っぽいのに「オレ、文系かなー」とかトボけたことを言っている息子には後に続いてほしいものだ。
 
先週は卒業式だったそうだ。進路も決まり、悠々と残りの海辺の高校ライフを楽しむSちゃんの姿が目に浮かぶ。また先日、このサイトで少しだけ登場した私の同級生の御子息(ご当人は存じ上げぬが、こちらの方は正真正銘、私の後輩)も進学先は決まったそうだ。やはり先週が卒業式だったそうで、昨年末の大同窓会で熱唱された例のゴールデンコンビ校歌も演奏されたことだろう。「この学校に入って本当に良かった」という御子息の感想、生徒に対して「この学校の卒業生は羨ましい」という教師の談話を聞いて私も懐かしくも嬉しく思った。私がいた時は60周年記念講演があったが、今は90周年という。(これまた当たり前か!)大同窓会で何人もの恩師が挨拶していたが、確かにあの母校の存在は教える者にとっても教わる者にとっても大きなものだと言えるだろう。彼女(同級生)はあ「30年もたてば私達のように集って校歌を合唱するのか」そのおっさん姿が想像しにくいようだが、30年も待たずして間違いなく(おっさんではなく)集うことになろう。
 
30数年前を思い起こすと私の場合、Sちゃんや同級生の御子息のように進路を決めて卒業式を迎えたわけではなかった。今はどうか知らないが、まだ見ぬ合格発表があったために進路がはっきりと決まっていなかった者が多かったのである。むろん入学試験は全て終了していたので結果待ちだけであり、本当の第一志望を通過するために半数近くは浪人予定の者がいたので、ある程度割り切ってしばしの休息モードではあった。塾講師が「9月の体育祭を終えてから、入試までの学力向上率だけ見れば全国有数の集中力」と言うとおり、確かに10月に入ってから「これ以上は体力的に無理」というまでに詰め込んだ。「頭が破裂するほど・・・」とはあういうことを言うのだろう。これまでの生涯において後にも先にも「何かをせずにゆったりできない」回遊魚系体質をフルパワーで受験モードに集中した唯一の例だろう。
 
広島で聞いた有森裕子さんの講演でかの名言「自分をほめたい」のエピソードが紹介された。私もあのシーンは鮮明に覚えているが、ひざを打ったのは別のセリフだった。「・・・終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし・・・」最初で最後の受験シーズンを終えた時の心境はまさしくそうだった。クリスマスからニューイヤーカウントダウンなど若者が最も華やいだ気分となる時期を暗黒時代として部屋に引き籠り「こんな思いはもういやだ」という原動力もあったが、別の意味でそんな境遇の自分に酔い痴れるところもあった。今、考えるとどう考えても効率が悪く、ただ時間を費やしさえすれば満足していた詰込み法も多々あるが、「あれ以上は無理だった」と思えばかなり割り切り感があり、清々しく卒業式を迎えたのである。あまり覚えてはいないのだが、参列した父母たちも教室に迎え入れ、担任の言ったことばは妙に心に残っている。
 
私の母校は名物と言われる教師が多かった。あまりいい意味であるとは限らず(もう時効だから言うが)数学の「ぽけ」とか化学の「がま」とか「習った年数分浪人する」という伝説をまとった先生がいたり、体育の教師陣は普通の教員とは別格で特別な教官室を持ち、やたらに「縄跳び」をさせたり・・・私の担任も中々の変わり者で、世界史を担当していたが、授業中ただの一言も黒板に文字を書かずに70分ずーっとしゃべり続けるスタイルだった。何十年も同じことをやっていれば頭には入るのだろうが、教科書を開くこともなくひたすらに「前●○◆年、古代バビロニアのネブカドネザル2世は・・・」なんていきなり始まるので高校生ながら不気味というか脅威を感じたものだ。昨年の同窓会にも顔を出してご自身の営む農園に「遊びに来い!」とお元気そうだったが、その担任が卒業式終了後の教室で「私はローマの歴史が好きです」と始めたのだった。「ローマ人はギリシア文化に憧れ、その独創性や学問的な完成度は及ばないが、建築や政治制度などに活き活きとした人間の泥臭く力強い生命力を感じる」みたいなことをのたまっていた。数十年たって実際にローマやアテネなどを旅行してみると、何となく「なるほどな」と思えることが多い。
 
さて高校卒業の記憶はそんなエピソードと早々と「浪人」を決めて「駿台」「代ゼミ」の人気コースの優先整理券(だったかな?)をじゃんけんで争うチームメイトたちだった。中には受けた学校全部合格したのに浪人するという、勉学志向(志望校志向かな)が強い者もいた。「長い人生、1年くらい余計に受験勉強したっていい経験じゃないか。納得のいく進学を」という風潮が強い時代だった。今は子供も減っており、現役で進学する割合が高くなってきているという。自分もそうだったから、というわけではないが、数十年たって振り返るとやはり「浪人」という文化にはかなり懐疑的である。まず間違いなく「長い人生の1年くらい・・・」ということはない。18歳の「1年」は30年以上たってからの「1年」とは比較にならないくらい重く、かけがえがない。大学なんて行ってみないと分からないし、合否は大方試験の得点だけで決まり、個人の人間性を見られたわけでもない。ネームバリューなどもあるだろうが、何を勉強してどのように知性を開花させたかが大事だし、ましてや社会人になるとその勉強したこと自体がほとんど武器として役に立たぬことが多い(と、ルーキーズに訓示をたれてきた)。つまりは合格したところに「御縁がある」と考えた方がよい。
 
現代は(当時もあったようだが)私のように「手当り次第の詰込み法」ではなく、たくさんの情報をもとに傾向と対策が講じられ、学校別の受験カリキュラムまであるそうだから、それなりに実力のある人が意欲をもって臨み、周囲も(金銭面も含めて)最大限協力すれば大抵の志望は叶えられるものだという知人もいて、言われてみれば全くそうだとも思う。しかしまずは全力を尽くしてゴールを突破したSちゃんには「自分を褒めて」と言ってあげたい。来年は順番通り息子甘辛の番である。妻に言わせれば前回は「我々の想定の斜め上を歩んだ」とされ、色々と小ずるいことも考えているようだが、そう簡単にいくかどうか・・・人生に一度くらいは「頭が破裂するほど詰め込む」経験をした方がよいとは思うが、自分とは違う進路を進んでほしいとも思う。当の甘辛は期末テストが終わって遊びまくり、バラ色の春休みを迎えると部活はあとわずか半年足らず、とりあえず受験生モードに入るのはまだまだ先の話のようだ。

おまけ・・・今日はホワイトデー、私と息子に一応プレゼントをくれた母親とともに竜泉寺ついでに小田原フラワーガーデンに行った。遅咲きの梅と河津桜を楽しめたが、なんと言ってもここの目玉は「ヒスイカズラ」である。珍しい草花で毎年このガーデンで開花し、話題になっているという。

    





不思議な倉庫店の魅力

2015-03-10 20:44:39 | 旅行お出かけ
時々、休日に「付き合ってくれ」と妻に言われることがある。「コストコ倉庫店」である。もう10年くらい前になるだろうか、社宅の友達家族に教えてもらってからだったか、あの不思議な倉庫に足を運ぶようになった。とにかくアメリカンサイズで単価にするとかなり安く、何でも揃う上に日本では売っていない目新しいアイテムもある。年間数千円の会費(グループ全員でなくてもよいらしい)を考えると、頻繁に行かなければ割に会わない気もするが、アンドレ・ザ・ジャイナントが使うような巨大なカートでガバーッと買い物するのがストレス発散になるのか、世の主婦たちには大層な人気のようだ。我が家は小家族だし、米国のように月(週?)に一度冬眠前のクマのように買い溜めする必要もないのだが、妻や母は「味がよい」とか「便利」とか言ってお気に入りの商品もあるようだ。私も最初のうちは、職場のおやつや面白い文房具、日本では見ない巨大なおもちゃなどに興味を持っていたが、何となくどれも大雑把でやたら数が多いので、だんだん遠のいてしまっていた。(奇妙な香辛料の味がするクッキーが何か月も減らず悩まされたのは書いた)

休日には何でもやりたいことを詰め込む私は、買い物なんぞで1日を費やすのがいやなので、「雨が降った日なら行く」と宣言しておいた。本来なら比較的空いている平日に済ませてほしいのだが、飲料水や特定保健飲料などを買い溜めするようになってから、ヘルニアで腰を痛めた妻を手伝うために男手が必要となっている。我が家から向かう倉庫店は横浜と座間でどちらも同じような距離だ。ドライブ気分なら134号を江ノ電と並走して八幡宮から朝比奈に向かう金沢シーサイド店が(途中にある小柴漁港も楽しい)いいのだが、同じルートを帰るとずーっと渋滞にハマってしまう。座間店は周辺道路だけが混雑するのだが影響を受けるのか、すぐ横を通る幹線道路の渋滞は凄まじい。数年前にオープンした新しい店舗なのだが、これにより道路交通情報では「座間市東原」という新たな渋滞の名所ができてしまった。付近の住民はえらい迷惑だろうな・・・

有名企業の工業跡地にできたFujisawaSSTも以前、「コストコ」が店舗を建設するという噂があり、「お願いだからやめてくれ」と願ったものだが、情報通のKちゃんママによると「この道が渋滞すると消防署や警察署からの出動に支障が出る」という理由で行政がストップをかけたらしい。(都市伝説かもしれない)
さて先日の雨降りの日曜日、「水を買いに行きたい」というので約束通り付き合うことにした。我が家の調達品は大体決まっており、24本パックの飲料水、トクホの炭酸飲料、職場でのおやつよう巨大「つけやき」煎餅が常備品で、これにストック状況によって「プルコギ」「さくらどり」「豚ロース」、辛の弁当用冷凍食品などが付いてくる。実家の母親からは玉ねぎやジャガイモなど買い物には重たいもののリクエストが多く、また●●という乾燥した味付けオニオン片がお気に入りらしい。「混むから朝一で行こう」ということになっていたので、その日は帰り道がたぶん混まない方の座間店に向かった。

「オレ、あの駐車場嫌いなんだよなー」中途半端な時間に行くと、入口手前で長蛇の入庫待ち、立体駐車場に入った後でも日本のように駐車場誘導係がいるわけではないから、どこに空きができたか、あるいできそうかは勘頼み・・・ハザードランプを点けて「ここからこの辺が空いたらオレの権利だよね」という(肉屋のウィンドーのような)私の最も苦手とする駆け引きに参加しなければならない。それにこの巨大店舗の客層は場所がらなのか、本国同様ダイナミックな買い物をする日本在住の外国人とか、大型車で家族全員でどーんと乗り付け他人を憚らない夫婦揃って個性的な「恐い系家族」も多いのである。(上下に刺繍の入ったジャージとか・・・)幸いその日は早かったのであまりにスムーズに進み、開店30分前には駐車場に到着してしまった。周囲の車に誰も乗っていないので不思議に思って入口まで行くと、既に皆買い物を始めている。アーリーオープンと言って開店前に人が並んでいる休日は早く店を開けてしまうらしい。

いつもの巨大カートを転がして入店すると、大型画面のテレビが並んでいる。建物が巨大空間なのであまり感じないが、100インチくらいの液晶が所狭しと並んでいる。その横に宝石などの並ぶ低めのディスプレイがあった。「コストコで装飾品や貴金属買う人いるの?」と思って眺めていると、5カラットのダイヤ2880万円!!!すげー、詰め合わせではないが、すぐそばに「柿の種」ケースや電動ポットが置いてあるのを見ると一種異様な感じがする。菓子コーナーを横切り、奥から順番にカートを進めて行くと、ドライグサリーエリアに至る。普段スーパーではあまり見ないような何とかペーストとか、様々な調味料や缶詰などがあって楽しいが、妻は「まだあるから」と言ってスルーし大きな海苔パックとオニオンボトル、私の主張したスンドゥブチゲパックだけをカートに入れた。せっかく来たのだからいたまないモノは買っておけばよいのに、そういうところは主婦的なのだろう。

奥の生鮮食料品の手前に飲料水コーナーが移っていた。いつも買うのは一番安い「KIRKLAND」より美味しいと思う、1本20円くらいのロクサーヌという水なのだがまさかの売り切れ?!どうも仕入が滞っているらしい。。。仕方がないので、2Lの大きな6本入りパックといつものトクホを押し込んだ。いつもの「さくらどり」は安くなっていないのでパス、代わりに違う肉をしこたま積み込んでいた。こういうところに空腹で行ってはいけないのものだ。出ているものが全て美味しそうで何でも買い込みたくなる。ちらしずしコーナーなどを眺めていると、「高温注意」と書いてあるケースに茶色い肉塊が見え、実に香ばしい香りが漂ってきた。おーっ、これが小夏師匠が取り上げた「ロティサリーチキン」か!丸ごと1羽でこの値段はかなりお得感があり、その日の晩御飯はそれに決めた。

      

「家族で一気には食いきれず、カレーにするとくどいらしいぜ」晩御飯にはワインと一緒にそのまま(再び焼いた?)食卓に出てきたが、甘辛が外食してきたので多くを食べられず、やはり残ってしまった。妻は元から何か企てがあったらしく、肉部分を全てそぎ落として骨だけにし、圧力鍋でスープを作っていた。このスープはネギと塩を入れるだけで十分に美味かったが、「やっぱカレーじゃね?」ということになった。師匠の写真を拝見して「(たぶん、我が家ならあれを大喜びで食うだろう)」とチャンスを待っていたのだ。先の肉片を使っていたが、冷蔵庫で1日あったからか軽く茹でられたからか、聞いていたほど塩気も強くなく、スープがちゃんとしているからコクもあってお店屋のカレーのように仕上がった。濃い味の好きな甘辛も満足していたようだが、煮込まないあっさり味だからと言って、何やら野菜の素揚げが乗せられたのには閉口した。。。

  

さらに我が家はカレーが終了すると鍋に残った残骸を使用して必ず「カレーうどん」が作られる。どのように作っているのか見たことがないが(何か牛乳とかを入れていた)、新たに煮込み用の野菜とか出汁の風味などが出て不思議に素晴らしく美味い。麺と餅(って普通いれるか?!)ばかり食べる甘辛に「スープが美味しいのに」とぶーぶー文句を言っているが、確かに今回の作品は店に出してもイケるくらいコクのある一品となった。ロティサリー→カレー→うどんというがっつり濃い味の好きな我が家向けの三段活用でだった。ちなみに私が主張したスンドゥブチゲ鍋はこんな感じになった。何となく奥行のないべったりした味付けのようだが、寒い時に激辛風アツアツにして食うとかなり食が進むものだ。確かに外国製品も多いが、生鮮食料品には国内産のものも多く、試食をする限りどれも中々に美味しい。

    

ネット上にもコストコファンが多数いることが分かったが、どうも大量仕入れの「安さ」だけではなく、「味付け」のよさ、「そこにしかないもの」を手軽に手に入れる目的が多いようだ。ただ最近円高で本体が値上がりし、増税の影響も出てお得感は薄まってしまったらしいのは残念だ。1回の購入量がべらぼうだから、ちょっとした単価の高騰がすごい出費になってしまう。妻はいとしこいしさんの「グリコがっちり買いまショう」のようにカートに入れるごとに計算機で合計金額をチェックしていた。(たしか少額調整はワンタッチカレーだった)私は先のABCクッキーでやられたトラウマから「●ン・キホーテ」のようなイメージが強かったのだが、もうちょっと奥行がありそうで、少し認識を改めなければなるまい。アメリカンライフを経験できるテーマパークみたいな、「たまに行くならこんなコストコ」という感じだろうか。「コストコなしでは生きていけない」というコメントが多数あるのを見て首を傾げることはあるが。

アーユルヴェーダレポート

2015-03-06 06:04:14 | 出来事
日本で数人しかいないという、アーユルヴェーダのインド国家資格をもつ医師のカウンセリングをうけにサロンまで足を運んだ私だったが、インタビューへの答えが平凡で期待していたような「目の覚める」ようなアドバイスをもらえるか自信がなくなったので、多少誇張した表現にすることにした。むろん事実と違うことを申し上げるわけではなく、「運動してもあまり腹が減らない」を「最近、食欲が減退してきたような気がする」なんていう程度である。一般的な日常生活への質問応答を思い返すと「健康優良児」みたいなことになってしまいそうなので、随所で「実は油もの、塩辛いものが好き」とか「激しい運動の後、浴びるほど飲むことがある」など軽く逆フォローしておいた。

    

生まれた場所やこれまで住んだところ、年数などを聞かれた時は、
「茅ヶ崎生まれで社会人になるまで20数年実家住まいで一人っ子のため甘やかされて育った。社会人になってから数年は千葉にある、会社の独身寮に一人住まいで、若さに任せた暴飲暴食が祟り今より体重は10kg以上あるデブ漢で、いつも健康診断で何か警告を受けていた。結婚前に一念発起してスーパーダイエットを敢行、半年でほとんど今よりちょっと重い程度に無理やり減量してみせた。その後は気を付けていたが、40代になって初めての「単身赴任」を経験し、やはり酒付き合いも多くなり荒みがちな生活に一度は入院、新幹線を使用した超長距離通勤に切り替えて身体はかなり疲労したが、今はやっと安定している。。。」ちょっとフィクションもあるが、何となく身体にダメージがあるように味付けした。

排便排尿の状況や残便残尿感の有無、目や関節の痛みなど医療的な質問には割と真面目に答え・・・特に睡眠については若干心配なところもあったので、少し誇張して説明した。
「ここ数年の就寝時間は23時くらいが普通、日付がまたぐようなことはまずない。起床時間は6時としているが、大抵5時前には目が覚めてしまい、その後は寝付くのは難しい。眠りはあまり深くないらしく、夜中に何度か目が覚める。睡眠が足りないのか昼間に急に眠くなることがあり、15分くらいすとんと仮眠をとると楽になることが多い」
どうだろう?睡眠に関しては色んな症状を表すと聞いているから、アーユルヴェーダ的にはどういうアプローチをするのか、と興味深々だったが
「朝、目が覚めて寝られない時、どんなことを考えてますか?」と来た。

驚くなかれ、私は朝早く目が覚めてしまいぐずぐず布団にいるときは「仕事」のことを考えていることが多いのである。これまで我ながらいいアイディアだったり、イケてる施策などを思い浮かぶのは大抵この時間か通勤中列車でうとうとしている時だ。デスクや会議室で腕組みしてしかめ面していても知恵などは湧かないものである。ただ夢うつつで肝心のことを思い出せないこともたまにある。しかしその場で「仕事のことを考えています」というと何かカッコつけのようで感じが悪かったので「さぁ・・・何となくぼーっとしてますが」と誤魔化した。さらに
「夢って見ます?内容は同じようなものですか?」だんだん普段の医学的な質問からそれっぽくなってきたのだ。
「見ます、見ます!明け方が多いです。内容は多岐に亘っていて、うなされるような恐ろしい夢はないですが、不可思議なくだらないものが多いです。」その日も何か夢を見たのだが、内容は忘れてしまっていた。

「怒ることってあります?それを表に出すことも含めて。。。部下を叱ったりする時とか、恐いと思われてますか?」
ギラリとムカつくことはあるが、誰が見ても怒るようなことはほとんどない。いわゆる叱る対象としての部下がいるかどうかが微妙だ。どちらかというとヘラヘラしていることが多いので、恐がられてはいないと思われる。ただここぞという時は北斗神拳の経絡秘孔を突くような内部破壊をもたらす言を放つことがある。
「右腕を出してもらえますか?」私はワイシャツをまくり上げると、脈をとるようにしばらく3本の指を手首にあてていた。「舌を見せていただけますか?」んっ?舌ベロを見せろってか?中々これまでになかった展開だ。次は何を出せと言われるか?ちょっとワクワクしていたが、そのまま合点したような顔になっていった。

そんなことをしている間に所定のカウンセリング終了時間が近づいてきた。先生は新しい白い紙を取り出し、V、P、Kと書きだした。
「結論から言うと、あなたは特に心配する事柄はありません。すぐに治療が必要なこともね。これまで伺った話からあなたは『カファ』が強い。『ピッタ』も強いけれど、それを『カファ』が押し包んでる感じ。。。」
冒頭書いたように「ヴァータ」は動き、「ピッタ」は熱、「カファ」は安定ということになるが、色で言うとそれぞれ青、赤、黄色なのだそうだ。青と赤は混ざり合うと濃い色を形成するが、黄色はそれらを薄めるよう作用する。うまいことを言うものだ。「ピッタ」とは情熱、パッション、怒り、火照りであり、アルコールや怒ることで増大する、つまり「熱」=赤である。実感として怒りや悔しみなどはパッと湧くことはあっても、ふわーっと消えてしまうことが多い。そういうことを言ってるのかな、とぼーっと聞いていた、

    

「目に見える健康上の注意点としてはね、あなたはアグニ(Agni)をもっと大事にした方がよい。アグニというのは消化のために重要な『炎』です。」
おーっと、何かアーユルヴェーダ的な診察になってきたぞ。先生は鳥人間みたいな(はっきり言って下手な)絵を描いてみせた。人間は身体は一本の長い管である。腕を切り開いてサンドイッチを埋め込んでも化膿して炎症起こすだけだが、これを口から入れれば栄養となって身体の隅々まで行き渡る。つまり消化を司るのがアグニだ。この炎は調理と同じで加減が大事で、大きな鍋に大量の具材を入れても小さな炎では火が通らないために生煮えとなってしまうし、少しの材料しかないのに、中華のような炎を使用したら焦げ付いてしまって栄養にならない。なるほど、さらにうまいことを言うものだ。

「これだけ運動して情熱も豊かだが安定しています。ただアグニを疎かにしているために、必要な時にお腹が空かなかったり、食べてもそれをすべて消化できずに排出してしまうことが見られます。」
一言で表すと「消化不良」ということか・・・どちらかというと不足がちな「炎」の充実のために長コショウ(フィファチ)という香辛料が有効だそうだ。
人生を支える3つの柱は「食」「睡眠」「性生活」だそうだ。3つ目はいわゆる世間一般のことではなく、動物学的に「異性を惹きつける・自分を磨くための行動」というニュアンスが強い。それこそエステサロンのトリートメントなどもこれにあたるという(何か生々しい感じはするが)。最初の「食」について、その他アグニ増強のためにレシピを紹介してくれた。
「ショウガを薄くスライスして、塩とレモン汁に漬けます。この時岩塩を使えば血圧を上げる心配が少なくなりますよ。ま、簡単に言えばお寿司屋さんの『ガリ』なんですけどね」私は少し涙目になった、「(せんせぇ〜い、だから漬物はダメなんだってば・・・)」

    

行動についてはご自身が好きなのか、サーフィンがよいとされた。本当は泳ぐという行為が一番おススメらしい。水圧の中でうまくエネルギー(熱)を消費(消化)するという、例の私における「カファ」と「ピッタ」の関係にもつながるらしい。「思い切り歌をうたうことはしないですか?大声を出して怒るのもたまにはいいんですよ」そう言えば最近あまりカラオケ行ってないなー、と思いつつ「家族に怒鳴りつけることはないですね。職場で私が大声で怒るの破壊と影響が強過ぎるのでちょっと・・・」普段はあまり感じていないストレス発散というニュアンスもあるようだが、釣りにしても星にしてもどんどん行うのがよいらしい。(この有効性は健康面から家内によく主張しておこう)

  

「睡眠の質は正直あまりよくないですね。ぐったり疲れて眠りこむようなことがあるといいんですが」
それは確かにそうだ。アルコールに酔って眠りこけるのはよくないそうだし、スポーツジムでもそんなにヘトヘトになるほど運動はしない。ましてぐったりするほど仕事などするはずもない・・・リラックスするために寝る前にホットミルク+ナツメグやアツアツのさゆを飲むという地味な処方と風呂で頭や耳にオイルマッサージすることをすすめられた
。サプリメントとしては先に出た長コショウ、カルダモンなどのスパイスがAgni向上に効果的だそうだ。
「インドカレーって好きですか?色々なスパイスが調合されていて、アグニ向上にはとてもいいんですよ」そりゃー、好きと言えば好きだが、習慣化するというものでもあるまい。
「カルダモンは毒素を出す効果があります。カレーにかけるだけでもいいんですよ。長コショウは粉になって売ってますので、持ち歩いて食事の時にかけて食べるもOKよ」先生はいたずらっぽく笑ったが、私の目はキラリと光った。

    

50分のカウンセリング時間の予定だったのだが、1時間以上色々とお話しを聞くことができた。日本で数人しかいないインドの国家資格をもったアーユルヴェーダ医師はスピリチュアルヒーリングの先生のように「目を見ただけで全てを見抜く」という魔術的な雰囲気はなく普通の女医という感じだった。一般的な医療的な見地とインドのヨーガを思わせる見地が融合されて、色々と興味深いところが多かった。むろん「サロン」なのでトリートメントとしての処方やおすすめコースなども書いてくれたが、あまり商売っ気を出さないところが医者っぽくて好ましかった。最後に彼女が言うには「何をやるにも3週間はみっちり続けること」その時既に私には新たな「30日コミットメント」が出来上がっていたのである。「カルダモンとロングペッパーを持ち歩き、1日1食必ず何かに振り掛けて食事する」
KICKPOP師匠、魅力的な経験のきっかけを与えてくださりありがとうございます。

アーユルヴェーダカウンセリング

2015-03-04 06:04:33 | 出来事
普段は何か目新しいことをやってみようとする時、ずるずると「できない合理的理由」を探しいつの間にか逃げ回ってやらずじまいになってしまうことも少なくないのだが、逆に何かのきっかけで閃くと自分でも不思議に思うほど身体が勝手に動いている時もある。このきっかけを多く与えてくださるのが「かの師匠」のサイトで「30日間トレーニング」や「ヨーガ」だけでなく読書や人生観なども多く実践してみることが多い。今回はその一つ、「アーユルヴェーダカウンセリング」である。日本ではエステティックサロンのオイルマッサージのイメージが強いアーユルヴェーダだが、パンフレットによると5000年もの歴史があるインドの伝承医学で、そこには生活の知恵や生命科学、哲学の概念も含まれているそうだ。人間の身体そのものを「小宇宙」と考え、体質や精神、取り巻く環境を含め、その人そのものを診ることで、体の不調を改善するだけでなく、健康な人をもさらに健康でより生き生きとした人生を送ることを目的にしているという。

師匠の記事にも概略があり、ウィキにも詳しくあるが、カタログ通り「おさらい」に書くと、
「アーユルヴェーダでは人間の身体は3種類の生命エネルギー(ドーシャ)によって保たれ、それらが正しく機能することで健康になり、反対にそれらの乱れが病気になると考えられています。これら3種類の生命エネルギーはトリ・ドーシャと言われ以下となります。
●ヴァータ(空・風のエネルギー):体内のあらゆる動きを表しています。手足や内臓の動きはもちろん、神経系や情報の伝達、感情や心も動かす働きをします。
●ピッタ(火・少しの水)のエネルギー:消化と代謝を表しています。食べ物の消化、物質を変化させ熱を生み出す働きをします。
●カファ(水・土のエネルギー):安定と結合を表します。身体に滑らかさを与え、物質を安定させ形を維持する働きをします。

ここで日本に数人しかいないアーユルヴェーダ医師というのが登場する。師匠の記事を読んだ直後、何となくふらふらとサイトを散歩していたら、ラーメン博物館の向かいにアーユルヴェーダサロンがあり、たまたま数か月に1回のインド政府認定の日本人医師によるカウンセリングが受けられるというので、思わず飛びついたのである。いわゆる「トリートメント」といわれるサロンでの施術を受ける勇気はなかったのだが、1時間ほどで診察・カウンセリングしてもらえるというのがきっかけだった。師匠の記事では一般的な医療の診察だけでなく、肌や舌べろの具合、手の形、生まれた場所なども色々と問われるそうだったので、それらがどのように「診断」に結びついていくのか、また先のトリ・ドーシャについて自分はどのようになっているのか、中々興味深いところが多かった。

1階がカフェバー・ダイニングで2階がフレンチレストランというビルを入りエレベーターに乗るといきなり独特のハーブの香りが充満していたのでちょっとビビった。。。いきなりデパート1階化粧品売り場にいる白衣を着て派手な化粧をしたエステシヤンが出てきたら逃げ出すかもしれない。受付で初診に使われる簡単な問診表を提出し、ロビーに座って呼ばれるのを待っていた。エステではないからベッドはないが、何となく白い透明なカーテンで囲まれたテーブルや顔を半分スカーフで隠した占い師のような人を想像していたら、意外にもついたての向こうの取調室のようなところで普通のスタイルの女性が待っていた。その日だけだからだろうか、ロビーの隅にいかにもとってつけたようなスペースを設けてあるだけだが大丈夫か?医師はきさくな感じの人で、世間話をするように色々会話しながら、時々「んっ?」と思うようなことを聞いてくる。

「どうしてアーユルヴェーダに興味を持たれたんですか?」
私は親愛なる師匠のブログで紹介されたこと、その「トリ・ドーシャ」という発想や自分の身体にどのように適用されるかに興味を持ち、実際に簡単なことから実践してみようと思ったことなどを簡単に話した。
「何か今、心配ごとや気になることはありますか?カラダでもココロでもいいんですが」
毎年の人間ドックや先日受診した脳ドック、その他取り立てて深刻に心配なことはないが、強いて言えば最近身体のあちこちが痒くなるのと、血圧が高めなのが気になる、と答えると、
「今、湿疹みたいなものはありますか?ちょっと見せてもらっていいですか?」
私は腕をまくり上げて、以前痒くなった飛びひのような湿疹の跡を見せ、特定の場所ではなく身体じゅうにまんべんなく発生し、それが若干短周期になっていることも申し上げた。
「ふーん、オイルも使ってないのに年齢の割には水分のある皮膚ですね。顔や手にはないですよね。つまり太陽に当たっているところ以外に湿疹ができるってことね」
なるほど、この辺りからアーユルヴェーダっぽくなってきた。。。。

「これまで大きな怪我や手術をしたことがありますか?」
これは人間ドックの問診でも聞かれるのだが、骨折や入院経験などを包み隠さずカミングアウトした。これは何年前に何をした、などと結構正確な答えを問われた。医師は白紙に乱雑にメモを取りながらインタビューしているが、すぐ小さな机を挟んでいるだけなので、何を書いているのかこちら側からでもよく見えてしまう。「骨せつ 199X左足くび よってころんだ 201Xろっこつ よってじてんしゃ」うーむ。。。何とも恥ずかしいことだ。
「どんな仕事なさってるんですか?」
仕事はデスクワーク中心、外出することはあるが取り立ててキツイということはなく、残業もないマネージャー職。。。
「人と会ったりすること多いですか?全く初対面の人とか、営業とか・・・」
普段仕事で会うのは大体決まった顔ぶれで変わり映えしない。たまに退屈になるから、色んなところに出かけて情報収集したり営業っぽいこともたまにするが、別にストレスが溜まるわけではない。。。
「ま、全く無経験でここに来るくらいですから、好奇心強いんでしょうね」
「結婚は何年前?お子さんは何歳?」質問は家族構成やらコミュニケーションなどにも及んだ。

  

「食べること好きですか?量はどうですか?好きなものベスト3は?三食、特に朝食は食べる?」
調子に乗ってきたのか手早くメモを取りながら次々に聞き取ろうとしてきた。朝飯は毎日食べるし、食べること自体は好きだが早食いであまり時間をかけていないこと、量は年齢相応で若い時ほどは馬鹿食いしなくなってきたこと、ベスト3は妻の作る特製(北京亭中華丼)、ハンバーグ、ラーメンなどの麺類・・・昼食は妻の作る弁当が多いこと。あ、あと全ての種類の漬物が食べられないことは強く主張しておいた。やはりこれには興味があったらしく。
「へえ、全部ダメなんですか?香りが嫌いなのかな。梅干しとか、奈良漬、沢庵なんかも・・・付け合せの福神漬けとか紅ショウガも?」「全部、敵です!」一刀両断してのけた。

「結構体格がしっかりしているようですが、何かスポーツされてましたか?今でも運動ってします?」
運動と言えるのは会社帰りのスポーツクラブでコンバット系有酸素トレーニングやヨーガ、ピラティス、体幹トレーニングが主で、毎週ゴルフの練習、もう少し暖かくなると波乗りをするし、年に何度かはマラソン大会に出るけどあれらは運動になるのかなあ・・・・そうそう、最近「スカッシュ」も始めたがあれは運動量あるわな。。。全部言えば、ジョギング、ウォーキングもスケボーもするが面倒なので黙っていた。後から話に出るがサーフィン(正しくは水泳)が最もよいようだ。彼女も何度か挑戦したことがあるそうで、結構話が盛り上がった。
「学生の頃は?ふーん、サッカーですか。ずーっと小中高?数年前までお子さんと一緒にね。へーえ、今でもフットサルを・・・」
いわゆる学生の時は流行りのテニス、体育館のバレーや卓球、バトミントン、スキーも含めて何にでも手を出してそこそこやっていたものの、面倒なのでこれまた黙っていた。

家庭環境や親子関係、仕事や食事、運動など日常生活一般のインタビューされているうちに、医師がメモを取りながら時々難しい顔をしたり、ちょっと困ったような仕草をするのに気が付いた。質問には正直に答えたつもりだが、その表情とこれまでの文脈から推察するに「少なくとも治療とか改善を指示する事項が見当たらない」ような気がしてきた。(もともとそれを目的にしていなかったので・・・)ここまでのやりとりだけなら人間ドックの問診とほぼ同じで「特に異常なし!」とわずか2分で次の人を呼ばれてしまうパターンだ。

「見たところ年齢の割には毛髪にツヤもあるし、白髪も少ないしねー」話をしながら目の動きとか、髪の毛の状態なども観察しているようだ。ここでテーブルに置かれたハーブティを勧められた。アーユルヴェーダは本家インドよりも欧米、特に米国に渡って、いわゆるトリートメントコースとしてお洒落に流行ってきたのが日本に流入してきたものだそうだ。
「唾液ってたくさん出るほうですか?それともカラカラするほう?」そもそもこういう所が初めてなので今は多少緊張してカラカラしているかもしれぬが、普段は多い少ないはない。
この時点ではまだ(私の想像する)アーユルヴェーダ風のインタビューは多くない。しかしあんまり何もないと「何しに来たんや、コイツ?」とのど飴でも渡されそうな気もしたので、これ以降の質問には若干の脚色をして「荒んだ生活」や「困っている状況」をアピールする方向に少し舵を切ることにしたのである。(長くなったので続く)

ウルトラスタンプラリー総集編

2015-03-01 17:05:20 | ホビー
先月27日をもって終了してしまった「ウルトラマンスタンプラリー」は私には色々な思いでと興奮をもたらしたが、前回は自分で回って印象的だった「駅からのメッセージ」を5つほど探しだした。その後、色々探し回ってラリー奔走録が多い中、スタンプラリー台の写真を拡大すれば「駅からのメッセージ」を解読できるものが見つかり、いくつかのサイトを組み合わせて64駅全てチェックすることができた。その中でちょっとレアなもの、イケてるもの、そしてグランプリと思うものを書き留めて、このシリーズの幕を閉じることにしよう。

北千住駅からのメッセージ
「触角宇宙人バット星人は、1972年「帰ってきたウルトラマン」最終回に登場し、地球侵略を画策しましたが、ウルトラマンジャックに敗れました。この戦いの撮影地が当時南千住にあった、プロ野球チーム「大毎オリオンズ」の本拠地「東京スタジアム(現在の荒川総合スポーツセンター)」でした。北千住駅がロケ地とゆかりが深いため、バット星人をスタンプキャラクターとして決めました。」
これはかなり「通好み」のメッセージだ。帰マンの最終回、ちょっと唐突なのだが、ジローくんとお姉さんはバット星人に誘拐されてしまう。二人が昔風に後ろ手に縛られて拉致されていたのが見たところ野球場のようなところだった。伊吹隊長の投げたナイフが胸に刺さり、スタンドから真っ逆さまに落ちて巨大化したのだが、あれが「東京スタジアム」という場所だったのか。ちなみに大毎オリオンズというのは「野球入門」で名前だけしか知らなかった。

  

四谷駅からのメッセージ
当駅のスタンプキャラクターは「セミ人間」です。ご存じのお客様は少ないと思われますが、ここでウンチクを紹介します。実はこのセミ人間の着ぐるみは後に有名なバルタン星人に流用されていると言われています。姿や形が似ていることから、バルタン星人の進化前の姿がセミ人間ではないか、という説もあるそうです。また、人間への変身も可能です。四ツ谷駅周辺は自然が豊かで毎年沢山のセミが集います・・・・・」
なるほどなー。これまた通好みの話題である。似ているとは思っていたが、やはりバルタン星人のルーツだったのか・・・?!御茶ノ水駅の「えりまき怪獣ジラース」は明らかにゴジラ(たぶん二代目)を改造したものだ。ウルトラマン最終回にちょっとだけ登場した「ゼットン星人」(スーツを着ていたが)も巣鴨駅の「ケムール人」の改造だと思う。しかしウルトラシリーズはあんなにたくさんのキャラクターを登場させながら、明らかに「使い回し」と思える着ぐるみがわずかしかないのはすごい。

  

市ヶ谷駅(人工生命体M1号ってダウンタウンの浜田じゃないよ)、大塚駅(ゴロー)、有楽町駅(ギガス)はずばり「駅にそっくりな社員がいる」。
金町駅(カネゴン)、亀有駅(ガメロン)、駒込駅(ゴメス)、神田駅(ガンダー)などは駅名からもじり、新日本橋は「地下駅だから地底怪獣テレスドン」あまり捻りのないメッセージだ。
十条駅(ゴドラ星人)、原宿駅(宇宙竜ナース)、荻窪駅(ペガッサ星人)などのメッセージは苦戦しているようだった。「●●ってご存知ですか?」と始まって何となくぎこちなく説明している。ちなみにゴドラ星人はウルトラセブン中で珍しく(唯一?)モロボシ・ダンに化けた宇宙人、しかもウルトラホーク1号の発進メカニズムを最初から最後まで映像で見られる貴重な作品、宇宙竜ナースに至ってはこれを操るワイルド星人の手にかかりなんとモロボシ・ダンは一度死んでしまうのである。ペガッサ星人もマイナーだが、隊員室の中で髪をとかすアンヌ隊員の背後に立つ場面は結構有名だ。

         

          

イケてるというか、ちょっといいなと思ったのが、ここ数年降り立つ回数の多くなったこの駅を含めいくつかあった。
田町駅からのメッセージ
「時間と空間を超えて、現実から理想郷へ連れて行ってくれる「異次元列車」。2020年、当駅と品川駅の間に新駅が開業予定です。オリンピックイヤーとも重なり、近隣のお客さまの大きな期待を感じています。当駅も今後大きな変革の時を迎えます。夢溢れる新駅と田町駅を繋ぐ列車は今までも、これからも時間を超えてお客さまの日常に寄り添い続けたいと思っています・・・」
このスタンプシリーズで唯一登場する「無生物」である。姿形は昔の小田急ロマンスカー「はこね号」だが、未来に向けて時間を超えて駅と駅を繋ぐというのに夢を感じる。品川と浜松町に挟まれてパッとしない駅だったが、たしか「ジュリアナ東京」って田町駅が最寄だったよなあ。。。友人の披露宴二次会で屋形船に初めて乗ったのも田町の運河からだった。田町駅のすぐそばに「西郷南洲と勝海舟会見の場」という歴史的な碑もあるのだ。

王子駅からのメッセージ
「王子駅に配置する怪獣スタンプは、オンタイムで見ていた社員の希望で今でも懐かしの名場面で登場する、アパートの一室でちゃぶ台を挟んで、ダン隊員と会談した伝説のシーンのメトロン星人に決めました。それにしても、ダンとメトロン星人との会話は不思議な画ですよね。多くのお客さまにスタンプを押しに王子駅に来ていただき、是非駅周辺を散策して頂けたらと社員一同思っております。右上の写真は、飛鳥山公園から社員が撮ったもので、1枚の写真にアスカルゴ、都電、湘南新宿ライン、京浜東北線、新幹線が写っている珍しい写真です。」
このスタンプ台の写真が残っていないのは痛恨だ。。。何とテーブルの上が畳とちゃぶ台風になっているのである。先般妻と訪れた「怪獣酒場」ではお誕生月の人は特別室に入れるが、なんどメトロン星人とちゃぶ台を挟んで向き合える秘密部屋なのである。3D写真館でウルトラ警備隊の制服を身に着けた私も思わずスタジオの人に「あのーぅ、ちゃぶ台ってないですよね」と聞いていた。

私の愛するウルトラセブンの登場する新橋駅からのメッセージ
「新橋駅をご利用の元ウルトラ警備隊の諸先輩方!宇宙怪獣の目を欺く為、永きに亘る一般社会での潜行お疲れ様です。
現在、宇宙怪獣が再び地球侵略の為、首都圏各地を出没中です。速やかにウルトラ警備隊に復帰し、各地の宇宙怪獣・ウルトラヒーロー達のスタンプ収集の任務について下さい!なお、任務中は、ウルトラガンをSUICAに持ちかえて、隊員服は心に着込み、移動はウルトラホークではなくJR東日本をご利用下さい。子供隊員も大歓迎!新橋駅社員も、ウルトラセブンと共に隊員の皆さまの安全第一を使命とし、新橋駅の平和を守って行きます。」
おう、おうっ!元ウルトラ警備隊じゃなくて、現役だぜ!オレは!(なんちゃってね)東京駅100年みたいにウルトラマンスタンプラリー記念SUICA売り出してくれないかなー。移動はウルトラホークではなく、ポインター号にしたかったよ。全台駅改札の外なんてちょっと悪どくないですか?

  

そして64駅すべてのメッセージの中で最も素晴らしいと思った駅が、私のオフィスのすぐ近くだった。
新大久保駅からのメッセージ
「キャラクター選定の際に、真っ先に思い浮かんだのが友好珍獣「ピグモン」でした。新大久保の街は韓流ブームと共に賑わいと活気にあふれ、かつては静かだった街が今では誰もが知る「コリアンタウン」として有名な街に生まれ変わりました。しかし、昨今の日韓情勢とともに訪れるお客さまが減少している今、日韓の友好を願わずにはいられません。また、様々な外国の方が訪れる、多文化共生の街でもある新大久保。国籍や言語、文化の違いを互いに尊重しあう、そんな世界を作りたいものです。そういったこともあり、真っ先に浮かんだのが友好の文字がある「ピグモン」でした。駅社員全員一致で決定、希望しました。他駅からの希望もたくさんあったキャラクターと聞いておりましたが、見事に当駅が当選を勝ち取りました。近隣にある皆中稲荷神社のご利益の後押しがあったのかもしれませんね。」
風船を背中につけた愛らしいピグモンを希望した駅はたくさんあっただろう。肩書き(って言うのか?)を「友好珍獣」という。国どうしとしてはギスギスしていても、国民どうしは仲良しに違いない。韓国だけでなく、国籍や言語、文化の違いを互いに尊敬し合う世界を象徴するキャラクターとしてピグモンを選んだこの駅の人たちは素晴らしい。それこそ平和を祈る神のご加護かもしれない。

書いているうちにどんどん話題が膨らんで興奮して2話にまたがってしまった・・・秋葉原駅でマンやバルタン星人のテープカット(これ見たかった〜)で始まったラリーは先週末で終了してしまい、スタンプ台は全て撤去されてしまったのが寂しい限りだ。ちょっと費用はかさんでしまうが、いくつかずつゆっくりと駅ナカや周辺を楽しみながら回っていくのがいいのだろう。キャラクター専用ポスターを見ても駅ごとに色々粋な細工しているし、初代ウルトラマンを当てた南流山駅なんてお祭り騒ぎだ。浜松町駅の小便小僧もウルトラコスチュームになり、有楽町駅なんかJRSkiSkiポスターが「答えはギガスに聞け」となっている。(どっちかと言ったら「ウーに聞け」じゃないか?)大崎駅(バルタン星人二代目)にいたっては駅員がホームのアナウンスで「ふぉっふぉっふぉ」とやってくれるらしい。
FM横浜の番組で聞いたのだが、鉄道駅の年間乗降者数、世界一が「新宿駅」というのは理解できるが、驚くべきことにこれに続く世界ランキング第23位まで日本の駅だそうだ。大人も子供も男子も女子も、日本を盛り上げるのにウルトララリーほど適しているイベントがあろうか?JRに感謝、ぜひぜひ次回開催を願いたいものだ。
ウルトラに興味がない方には退屈だったでしょう?長らくお付き合いいただいてありがとうございました。(ブログは一応続くよ)