超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

群馬プチ旅行記Ⅱ

2014-04-26 06:34:12 | 旅行お出かけ
群馬プチ旅行1日目、夕食は「地元野菜をたっぷり使った和洋創作料理」ということだった。なるほど、ずーっと前に記憶しているのは民宿料理のようにどかどかーっと食卓に並んでいた食事なのだが、ものすごく洒落ていて見た目も綺麗に整っている。ダイニングの構造やカーペットの模様なども箱根と同じようなデザインだったが向こうがイタリアン中心なのに比べこちらは「創作」ということらしい。芹、春キャベツ、菜の花に筍、新タマネギに蕗の薹・・・周辺で採れた春の野菜をふんだんに使っている。料理のことはよくわからないので、あとは見て楽しむべし。ちなみに肉は赤城鶏という種類だそうだ。各部屋は湯檜曽川?に面し、川のせせらぎが聞こえてくる。たぶん火山の影響で水の酸性度が高いため水苔や植物があまりなく岩の色が直接出ているような場所だから魚はいないのだろう。「ぐんまちゃん」(なんというベタなネーム?!)はゆるキャラのグランプリで3位になったことがある。知名度最下位の群馬県のために皆でがんばって投票したのである。

          

         

夜のうちに少し雨が降ったようだが、翌朝は辛うじて曇り空にとどまっていた、朝風呂で目を覚まし、洋風の朝食を摂った後、もらった周辺地図を眺めて周辺ではどこに行こうか考えていた。帰り際による場所は2か所ほど決めてあるが、せっかく群馬の果ての方まで来たのだからもう少し進んでみようと早めにチェックアウトした。残念ながら以前、デカさんに連れて行ってもらった「一の倉沢」までは環境保護のためか車で行けなくなっているらしい。雲が厚く山の上には霧が立ち込めていてよく見えないので、すぐそばの「土合駅」まで行ってみた。上越線の東京方面(今は高崎方面)から下り列車で来ると、はるか地底ホームに到着し486段の階段を上って地上に出てこなくてはならない「日本一のもぐら駅」である。以前はここからスキーや山登りに行く客がたくさんおり、駅周辺に宿泊施設やレストハウスなどもあっちょうだが、今はまるで廃墟同然で人の姿も全く見えず、かなり不気味な雰囲気だ。

          

以前、日航ジャンボ機事故を題材にした「クライマーズ・ハイ」という映画を見た。GWにはその年に配属されたルーキーズを伴って、事故現場に慰霊登頂することにった。あの未曾有の大事故は我が方の仕事も多分に関わっていたから、数十年前の記録を辿りながらあの教訓を「つなぐ」ためである。当時、私は大学生で夏休みに中学生の家庭教師をしている時にニュースで見たのだが、やはり記憶はおぼろげだったので、下知識としてこれを扱った映画を見ておくことにしたのだ。確かオープニングかタイトルが現れる時にあのうす暗い長い階段を登り始めるシーンが印象的だった。ちなみに映画はあの悲惨な事故の特に報道に関わった人達の苦労、葛藤、恥部などがよく表されていると感じたが、「事実を報道し未来に資する」よりも「他社を出し抜いてでも、特ダネを求める」ブンヤ向根性ばかりが目につき、あまり好きにはなれなかった。

谷川岳のロープウェイを登っても視界がよくなさそうなので、そのまま引き返しジローくんから聞いて「さくら祭りが最高潮」という沼田公園に向かった。午前中のそれほど遅くない時間に到着したのだが、周辺の駐車場は既に満車でちょっと離れた臨時駐車場にやっと置ける人混みだった。野球のグランド、多目的広場がメイン会場になっていたようだが、周辺の桜はものすごい迫力のド満開だった。これほどすごい満開の桜を久しぶりに見た気がする。何せこれまで見たこともないような巨大な桜が所せましと並んでいるのである。この公園は沼田城跡のようで、少しだけ城跡っぽいところが残っている。メイン会場は多数の露店やフリーマーケットの店が並び、ステージでは数々の出し物が予定されていたが、何よりもこのド迫力に息を飲まれた。沼田付近は一升飯のカツ丼「世界一」、●鹿旨のトマトラーメン、●かだやの超極太うどんなどゲテモノの宝庫で年中足を運んでいたが、こんなすごいところがあるとは全然知らなかった。1時間ほどだが前日の水澤観音以上の満開の桜の中を散歩し、それ以上いると車が出られなくなるほど混んできたので、次の目的地に向かった。

          

今回のプチ旅行は初めてフルパワーでカーナビを駆使した。今まではネット地図などを見ながら何となく勘で目標まで辿りついてきたのだが、観光バスのようにいくつかの名所を次々に訪れるにはやはり感覚だけでは辛い。1日目は全部何度か訪れた名所だが、2日目は逆に一度も行ったことのない場所ばかりである。沼田ICから関越自動車赤城ICまで走った。この周辺は「赤城南面千本桜」という有名な桜のトンネルがあるそうで、偶然その日まで「桜祭り」が開催されていたのだが、ジローくんによると1週間ほど前が満開最盛期で、今は半分以上が散ってしまっているようだ。沼田公園ですごい満開の桜を見たからここは無理せずに、近くにある「群馬フラワーパーク」に行くことにした。1年に7回あると言う「花のまつり」のうち、今は「チューリップまつり」の時期だという。スティーブとドライブ(もとい!施設点検パトロール)した時に一度前を通ったことがあるが、昔は無料だったのに今は大人は結構な入場料をとるというので通過した。

          

しかし入園してみると思わず立ち尽くすほど見渡す限りのチューリップに目を見張った。どれももうすぐパカッと花を開く直前で色も鮮やかに精気が漲っており、パンジーやベゴニアが咲き競い、いるだけでパワーをもらえるようだった。広大な園内は中心部がチューリップゾーンになっていて、パークタワーから全部を見渡すことができる。奥のドームでは盆栽展が開催されており(さすがに盆栽にはまだ早いか?!)、温室エリアには「ブラジル」「メキシコ」「インドネシア」「フィリピン」のそれぞれ特徴的な植物が茂り、庭園エリアには時期遅れの桜やこれから満開を迎えるつつじなどがある。中央ゾーンの反対側はイングリッシュガーデンとなっており、しゃくなげなどが多く見られた。7大花まつりは「ハナモモ」「チューリップ」「バラ」」「ダリア」「さざんか」「イルミネーション」「アザレヤ」だそうだ。中々来られるところではないが、チューリップでこれだから、すごいまつりなんだろう。

        

フラワーパークを後に、食事の時間を少しだけずらすために、カーナビで調べた「赤城神社」に向かうことにした、上毛三山は「赤城山」「榛名山」「妙義山」、どれも「神社」が祀られているが、何と言っても有名なのはパワースポットの榛名神社、また妙義山麓も紅葉の季節は素晴らしい眺めだが、麓にある妙義神社は本殿が台風で倒壊してしまい現在復旧中、赤城神社はどうも一番マイナーなようである。確かに日曜日というのに人混みもなく、閑散としていたが、やはりひんやりとしたパワーを感じたものだ。昼食時間としてはギリギリとなったが、我々は最終目的地となる食事処に向かった。関越自動車道が川越付近から何キロも渋滞するので、早めに切り上げる予定だったのである。前日の昼食は群馬でも珍しく有名な「水沢うどん」だったが、その日は「これぞ、群馬のうどん!」かのスティーブが愛して止まなかった「だんべうどん」である。

    

人気メニューはだんべ肉汁うどん、うどんの量を合で注文(3合が約400g)し、独特な噛みごたえのあるどっしりした不揃いの麺をごってりした肉汁につけて食べる。煮詰めたしいたけと普通の3倍くらいあるきんぴらごぼうが付け合わせになっていて、「最初はうどんを素のまま」、次は「普通に肉汁につけ」、「途中でしいたけ、きんぴらにぶち込んでやっつける」というのが女将お勧めのスタイルだそうだ。このうどんは「蟻巣石」というスカスカの石を使って地元産の風味のあるうどん粉を石臼挽きすることによって、「ロール挽き」で起きる粉焼けの影響による性質の変化が全くなく、粉の風味がそのまま引き出されるというのが特徴だそうだ。
「この辺一帯はたくさんの農家がよい小麦を作っていたんですよ。もう次々と止めてしまって・・・まだ作っているところはあるけど、採算は合わないから農協などを通さずに親類・知人で自給自足にしている所が多いんです。そこから仕入れてくるんですが、ホントに美味しいんですよ。」
「そうですねえ。うどんだけでも十分に風味がありますもんね。しかしすごいボリュームですねえ」
「お母さん、大丈夫でした?群馬のうどんはずっしりと量があるからね。」母はにこにこして礼を言っていたが、実は食べきれずに半分以上私が引き受けていたのだ。
「これからどこにいらっしゃるの?赤城の千本桜は今日までだけどご覧になった。もう芝桜だけなんだけどねえ」
「これから茅ヶ崎に帰るんです。ボク、昨年の今頃まで群馬に勤務してましてね。同僚がこの店をこよなく愛していて何度も頂きにきたので、母にも「群馬のうどん」を紹介しようと思って」

    

女将はにこにこしてその後もその周辺のことを語り続けた。時間も2時を回っており、いつの間にか客は我々だけになってしまっていた。店主が愛想よく出てきて、暖簾をしまうのをきっかけに別れを告げたのだった。国道17号を疾走し、少し遠回りしたが「これがオレの勤務してたとこ」と今となっては遠い昔のように懐かしくなったオフィスビルの真横を通って(さすがにこの辺は勝手がわかる)高崎インターへ。初期の頃に通った京ヶ島温泉付きのスポーツジム(今は廃業)や、「熱戦!フットサル大会」編で紹介した会場なども横に見えた。ナビゲーターでは練馬まで行かずに5号池袋線から羽田を経由するルートになっている。そんな経路で帰ったことないからちょっと不安だったが、さすがにナビゲータの威力!かなりの遠回りで費用もかかったが全く渋滞なく夕方には茅ヶ崎に到着した。
今回は3年間勤務した群馬の地のメジャーところを案内したのだが、いつも通り高齢の母をやたら歩かせてしまった。まだまだ紹介するところはたくさんあるが、同じ方面ばかり訪れるのも回遊魚系としては好まざるところなので、次はいよいよKICKPOP師匠の故郷、隣県を訪れようと思うのである。

群馬プチ旅行記Ⅰ

2014-04-22 22:24:50 | 旅行お出かけ
妻の所用が重なり、甘辛も相変わらず部活で忙しく二人とも終日不在な週末があった。自分の嗜むことはどこで何をしようが「一人」のことが多いから、やりたいことは山ほどあり、ゴルフ練習も含めてせっせとトレーニングジムに通うのもいいが、さすがに二日連続となると退屈だ。知人関連は皆忙しく、少し前から予定をたてないとスケジュールが合わないから、こういう時は暇にしている実家の母を連れ出すの限る。年をとって出不精になるのもよくないし、免許を返納して自家用車の運転を止めて普段遠出できなから、彼女の行動半径も広がるし、私も普段は一人では行かないような(例えば花を見るとか)体験ができるからギブアンドテイクである。そろそろ海にも行きだすシーズンだから、今回は思い切って1泊2日でプチ旅行しようと企てた。行先はたまたま勤め先の提携施設の予約がとれた群馬県のみなかみ温泉とした。

何せ3年間の勤務でその隅々まで走り尽くした地である。今まではあからさまに地名を出さなかったが(その気になればすぐに分かるだろうけど)もはや1年近く前の話、今更所縁や仕事上支障があるわけでもないのでこの機会に案内してやろうと思った。赴任期間中、妻は息子甘辛の合宿などに合わせて何度か来群した。平日が多かったから終業後とか半日休暇で周辺の有名どころを案内した。母は北陸富山の出身で、帰郷の際に通過はしたがあらためて訪れたことはほとんどなくこれまで通算で草津温泉、吹き割り滝、尾瀬の3か所くらいだそうだ。そう、この地方は47都道府県でも1、2を争う「知名度の低い」県なのである。かつて私の上司であったチーフは隣県の出身でありながら群馬をこよなく愛し、いつもその知名度の低さを嘆いていた。

本州の中央付近にありながら、北関東というのはただでさえ、西日本・九州や東北・北海道の人々から関心が薄い。周囲に位置する長野はオリンピック、新潟は米、福島、山梨は歴史などで認知度が高い。また北関東でもお仲間に見える栃木は日光、茨城は水戸黄門ということでそれぞれ知られているが、群馬を示すここ一番の名物がない。。。草津温泉や尾瀬などは誰もが知る有名どころだが「群馬県にある」ことを知られていないことが多いのだ。熊谷よりもさらに暑い「館林市」というのは群馬県の端っこであると何人の人が知っているか?県庁所在地は新幹線の止まる高崎ではなく、前橋であることを知らない人も多い。まして焼きまんじゅうが名物であったり、高崎が「パスタの町」と言われていたり、東京のデパートでは列ができるほど有名な「ラスク」の本舗があるというのも、住んでみるまで全く知らなかった。

さてどのように訪れるかだが、この地方であちこち巡りたかったら、自動車がないとどうにもならない。毎日新幹線で通勤していたくらいだから、列車の旅が楽でよいし、湘南新宿ラインを使えばグリーン車の快適な旅で高崎まで1本線で行ける。しかし「みなかみ」までとなると急に不便になり、途中でレンタカーを調達しなければならない。田沢湖・角館ツアーのように観光名所を巡るバスがあるわけでもなく、自分で好きなように連れ回したかったから、今回は湘南ナンバーの「赤いライオン号」を疾駆させることにした。学生の頃、かの地を経由して軽井沢や菅平などスキーや合宿などに行った時は若く体力が溢れていても、シーズン中は果てしない渋滞が続き「絶望的に」遠く感じたものだが、今は朝早く出れば3時間くらいで県内に入れるようだ。ちなみに私は自家用車で長躯する時は休み休み時間をかけて行くことはせずに朝食は運転しながらおにぎりを食べ、一気に目的地まで直行する。

県内隅々まで訪れて回ったと言っても、自分で運転したわけではないから道程を覚えてはいない。こういう時はどこを入れても快適に連れて行ってくれるナビゲーターというのはありがたいものだ。最初の目的地はベタだが高崎観音だ。山の上に聳えているから新幹線からも眺められるが、実際に行く人というのはあまりない。高さは41,8メートル、近くに行くと意外に大きく、大船観音(上半身だけだが)の5割増しくらいに背が高い。駐車場の観光センターからは市内周辺が一望でき、手前の大きなビルが高崎市役所庁舎、向こうの薄い背高ノッポビルが群馬県庁である。30階建くらいだが、このレベルの高層ビルは県内は確かこの二つしかない。

      

次に向かったのは車で10分ほどのところにある少林山達磨寺である。高崎はダルマで有名(弁当もあるから)だが、正月の「ダルマ市」というのはこのお寺でまる一昼夜開催される。この日だけ市民の半分の人数が訪れると言われるが、普段は訪れる人はあまりない。母は珍しがってここで「目が出るダルマ」という小さいお守りを購入していた。実は私も最初に訪れた時に買ったから目の付け所が同じということになる。まだ勤務していた頃、夏場にグッチーがルーキーズを一泊で禅の修行に連れて行った。私達は庭に忍び込み、遠巻きに冷やかしに行っただけだったが、「残してはいけない」と言われた御櫃の米を女子の食卓は大量に残してしまい、責任を取って全部喰わされたとぶーぶー文句言っていた。

    

さらにそこから小一時間かけて、榛名神社に向かう。ご存じ、関東でも有数のパワースポットである。ここだけはガイドブックでも取り上げられ近隣県の人にも知られているから、週末ともなると結構賑わっている。門前には「蕎麦屋」が立ち並び、参拝客ならばどの駐車場に停めても無料なところが太っ腹だ。鳥居から本殿までは緩いが登り坂が15分、その先は何か所か急な階段があったので心配したが、母は「手すりがあればOK」というのでせっかくだからあの不思議な岩に飲み込まれかけている本殿まで歩いた。「へーえ、これはすごいねえ」本殿の上を覆いかぶさるようにそびえ立つ御姿岩に携帯カメラを向けていた。お参りを済ませ、来たことがない甘辛の分と二人分水に浸すと運勢が浮かび上がる「ご神水開運おみくじ」を購入した。双龍門の下にある水琴窟の水に浸し、浮かび出た運勢をその後の生活指針として廻運灯篭の自分の干支に入れて回転させるのだ。

        

往復30分以上、母もよく歩いたものだ(私はとにかくあちこち歩き回らせてしまう)が、鳥居を過ぎて私は不思議な現象に取りつかれた。超兵器203号のシャッターが下りないのである。そう言えば前回も帰り道に同様にシャッターが下りなくなった。別に神様を写そうとしたわけではない。本殿や肝心な場所ではちゃんと撮れているのだ。帰り道門前で外側を写そうとすると「んっ?」と突然シャッターが使えなくなる。不思議なことに神社を離れてしばらくすると何事も無かったかのように元に戻る。パワースポットの作用が何か効いているのだろうか?まあ、嫌いなお化けや心霊に関することではなさそうだし・・・「ありそうなことだ」とあまり気にも留めていなかった。

さて早朝から午前中、いくつか名所を歩き回りそろそろ昼御飯の時間となってきた(というより少し過ぎていた)。私は赤いライオン号を榛名湖畔から伊香保方面に走らせてぐるーっと回っていた。食事処は「水沢うどん」である。稲庭、讃岐と並び称されているようだが、やはり幾分のマイナーさは拭えず「三大うどん」のうち稲庭、讃岐は当確としてももう一つは長崎の五島だったり、富山の氷見だったりするらしいのだ。水澤観音の周辺に10数軒の店舗が密集し、佐野ラーメンのように市内じゅうに何十店舗もある一大エリアではない。観光バスのコースにもなっている有名なところで、我々は以前妻と一緒に来たときと同じ店に入った。少し太めでもっちりつるんとした独特の弾力をもつ冷たい麺をゴマダレと醤油タレで食べるのが標準だ。私はスティーブに連れられて県内の色んな「うどん」を食してきたが、ここのうどんはあくまで「水沢うどん」であり、「群馬のうどん」ではないと結論付けている。

  

せっかくだから水澤観音に立ち寄るとこちらは桜が満開!あらかじめジローくんからどこがいい?と聞いてあったが、道沿いの大きな桜も境内の駐車場もまさに東京からずれること約2週間、もう一度満開の桜を拝むことができた。早朝から県内の道路を疾走し、関越自動車道の東側を半日かけて回ったことになるが、そのまま車を進めて渋川・伊香保インターより赤いライオン号は一路「みなかみ」へ向かった。ここ数日、急にまた涼しくなってきたが、山肌にはまだ少しユキが残り、上着を着ていないと肌寒い陽気だった。20年くらい前に数回、スキーや旅行で訪れたことのある施設は、箱根同様全館改装されていて、川のせせらぎや露店風呂以外は昔の面影はなくなっていた。みなかみの温泉は感覚だけで言うと、草津、万座などに比べて柔らかく優しい感じがする。早朝から運転しっ放しで結構私はへばっていたが、ひとっ風呂浴びてリフレッシュし、地元食材を使った和洋創作料理の臨んだのである。(つづく)

        

なりたきもの

2014-04-16 22:13:10 | ヒーロー
仲良しのKちゃんの進学も決まり(極秘の勧誘は功を奏さなかったが)学校の新学期も始まって、息子甘辛は2年生に進級した。彼の通う高校のシステムで、2年生からはいくつかあるサイエンス分野を選択し、ある程度専門的なことも学ぶのだそうだ。高校課程で習得する教科項目とそうは変わらぬらしいが、早いところはもう「大学受験勉強向けて」などというベタな普通高校に比べると単科大学のようなところもあり、卒業にあたっては卒業研究のような課題もある。5つあるサイエンス分野で甘辛は「エレクトロニクス・エネルギー・通信」(電気電子)という分野に進むのだそうだ。私の事業分野に比較的近いがもちろん、それを意識して高い志を持って選んだわけではない。何となく決まってしまっていたのである。でも新学期早々、保護者会があり進学や進路について色々説明されるという。(まあ、大体受験に関する話題なのは普通校と変わらないらしい)

S(Super)S(Science)H(High School)だから文学部へ進学することはないだろうが(本人は「オレは文系」と叫んでいる)、分野は何でもよいから大学で学問を修めてほしいと思う。昔のように学歴や就職の準備という意味合いとはだいぶ異なる。明治時代の書生のように寝食を忘れ頭が破裂するほど「激しく」勉強して欲しいのである。それが将来の就業に向けた糧になるかどうかはあまり関係ない。いつかルーキーズにも訓話したことがあるが、一般的な会社員になって「仕事」を始めるとこれまで学んできた学問など正直ほとんど役に立つことはない。「更地になった方がいいよ」と申し上げてきた。会社に入って一度も使うことのなかった「エントロピー増大法則」をなぜシャカリキになって学ぶのか。「知性を花開かせる」ためだと思うことにしている。

以前流行った「地頭力」という本には知性(という表現でいいのかな)には3つの平面があると書かれていた。一つは「試験勉強面」で、これは一般的な知識・教養にあたり名称がよいかどうかは分からないが、高等教育を修了するまではこの分野ばかり励んでいると言ってよい。2つ目が「人間関係面」、昔も今も日本の会社員が重視する人付き合いなどコミュニケーションの分野である。3つ目の「地頭面」とは論理的な思考力、推理力などと言われ「フェルミ推定」などがよく登場する。金田一少年や将棋の羽生さんのような人々である。(あんまり例になってないか?!)大抵の本は「・・・だからこれからのビジネスマンは地頭力が大事」と結んでいる。知識や教養をただ持っているだけでなく、これらを応用・駆使して自ら問題を見つけ出し解決せよ、と言うのだろう。これに異存はないが、たぶん3つの分野は独立している面ではなく、密接に関係していると思われるのだ。3つ目の地頭力の背景には多分に本や勉強で習う知識・教養を死ぬほど頭に詰め込んだ結果、花開いた知識水準がベースになっているはずだし、「空気読むのが異常に巧みなヤツ」というのも地頭がよい部類に入ると思う。

さて息子はサッカー選手になる又はサッカーやスポーツに関わる職業につくことも考えているようだが、とにかく人間の一生で他の事を気にせずにこれほど「激しく」勉強できるのは20歳前後の5,6年だから(知性が花開きやすいのもそのあたりだと思う)、なんでもよいから打ち込んでほしいものだ。STAP細胞なんかいいんじゃないか・・・
ちなみに脳はアウトプットにより活性化し、知識を引出しに固定するものだそうだ。理系ならばバンバン論文を書いて発表すればよい(捏造はいかんがね)。日本の大学だと入るばかりが大変で入学後遊ぶヤツが多いから、海外の荒波で修業することもお薦めだ。昔のように官費留学なんかしてくれたらありがたいんだがなー。

さて好きなことを見つけ好きなだけ勉強して学問を修めた後、社会人としてどんな職業に就くか・・・我が家系なのか血筋なのか、周囲の身近な人にも哀れなほど計画性が見られない。父は会社員だったが「家と会社を往復するだけでよし」とする人だったし、私が修学を終えるまでは何やら企てはあったようだが、その後の進路に興味は示さなかった。私自身に関して全てに一貫して共通しているのは「何となく」である。高校は自分の成績と周囲の雰囲気で「何となく」行けそうなところに進学を決めた。そこは進学校だったから、しっかりしたクラスメイトにはさらに進学すべき大学、学部を早々と決め、その受験科目の勉強だけをひたすら積み上げているヤツもいたし、進学後に留学するためにTOEFLに精を出している者もいた。どんな場面でも早く目標を立てて邁進する者に事は有利に運ぶものだ。

私は「オレは理系かなー」くらいしか考えておらず、具体的行先も3年まで考えたこともなかったが、教科項目についてはどういうわけか「これは受験に不要だから赤点でなければ捨ててよし」ということができず、推薦を意図していたわけでもないのに文系科目も一通り真面目に勉強していた(えらい!)。9月末に名物の体育祭が終わった後は確かに「死ぬほど」受験勉強したが、当時は浪人して志望校を狙う者が半数以上もおりあまり危機感はなかったものだ現役生の時は。「1年がかりでどこか入れればいいか」と何となく知っているいくつかの大学を受験し、運よく入れたところがあったのでそのまま進学した。ただ、短期間であまりに頭に詰め込み過ぎたために受験終了後「燃え尽き症候群」のようになってしまい、加えて教養課程とは「さすがにここまでの教養はいらんだろ」と言えるものばかりだったので急速に学修意欲が低下してしまい、前半の3年くらいはそれまでの半分も学問に勤しむことがなかった。今、思い返すとこれがこれまで最大の痛恨事である。先に書いた「人生やり直しの旅」があるなら、唯一この時代に戻りたい。

卒業年次になって研究室に所属し、割烹着ではないが白衣(というよりツナギが多かった)に身を包んで実験、考察、発表など繰り返しているうちに面白くなり、周囲の進学率も異常に高かったこともあってこれまた「何となく」もう2年、学校に居座ることにしてしまった。後半3年間は「既往研究を調査し」「実験計画を練り」「データに埋もれ」「論文を執筆し」「種々のセミナー、学会で発表」している中でもたくさんの本を読み、外国を旅行し、(バブル期だから)あらゆるレジャー・スポーツに手を出し・・・文字通り「知性の開花した」期間だったと思う。やがて就労すべき時期が近づくと「学校に残る」という選択肢も打診されたが、これまた「何となく」今の会社の一員になることを選んでしまったのである。大きなグループ企業なので就業後も色々な分野で仕事はできるとは思ったのだが、学生時代に勤しんだ研究開発とはおよそ無縁なのも「何となく」分かっていた。

生まれてここまでが約四半世紀、この後同じくらい会社員の身分にあったが、大きなプロジェクトにも、社を挙げての新組織立ち上げにも、海外での専門教育みたいなプログラムも「ぜひぜひ拙者を・・・」と推挙することもなく、言われてやってきたことばかりである。このように正直「ぼーっと」してるうちに気が付いたら「何となく」今に至ってしまったから、若い頃から具体的目標や自分の将来ビジョンを持ち、途中紆余曲折があっても走り続けている人、またその境地に立ってしまっている人を見るとすごく憧れる。テレビや各界の有名人などはいざ知らず、今まで出会った人にこのような人は数えるくらしかいない。別に「挫折」しているわけではないのだが、自分の将来の姿は口にした通りにはならぬものである。中高の時に将来なりたいものとして「教壇に立つ」と言った人、法科を卒業して大手商事に就職したがさらに専門の教育を受け弁護士になった人、「弁理士を目指す」と言った学友は残念ながら大学院に進学できず、一旦大手企業に就職したが、特許事務所で一から修業し直し何度も国家試験に挑戦して先日自分の事務所を開所した。あと数人いるが、これら「言ったことを実現してみせる人」の生き様は実に素晴らしいと尊敬する。

ちなみに私が幼稚園の時に発表した夢は「サラリーマンになって大船駅のホームで立ち食いソバを食う」というものだった。むろん高校時代にあっけなく実現した。中学生になっても将来の道はただのサラリーマン(何をする職業かよくわかっていなかった)、高校生の時は漠然と科学者だった。修学期間を終える時(極めて広く定義すれば)たぶんなろうと思えばそれっぽいモノにはなれたがその道を選ばなかった。息子甘辛には「子供の頃なりたいと言っていたモノにホントになって見せる人が一番カッコいい。そうなるには早めに決めるほど有利だ。それとはあまり関係なくてもいいから、二十歳くらいまでは『激しく』学問を学べ」と常々言ってきた。だがなー、どうも「ぼーっと」していて、私に似て「何となく」ということが多い。高校進学からしてその片鱗を表してきた。私がかつて憧れた「生き様」にはほど遠く、何となく「結果オーライね」という進路になるような気がするのである。

おまけ
今週末あたりが最高らしい。仙台榴ヶ岡公園のしだれ桜である。さすが牛タンの露天が立ち並んでいるぞ。「サクラサク」

      

仲良し家族と花火見

2014-04-14 22:53:21 | 旅行お出かけ
先週末は陽気もよく「花見ウォーキング」編で紹介した予定通り、仲良し家族が集まって季節遅れの花見&お祭り会ということになった。久々のフルメンバー出場で、部活で忙しい甘辛もたまたま午前中だけの予定だったので我々と合流した。場所はいつもの緑化公園ではなく、とある一家の住まいの近く、品川区のウォーターフロントである。私の勤務する台場とは結構、目と鼻の先だ。妻は今年2年生になる甘辛の保護者説明会で学校に足を運び、私は変更したゴルフのレッスンなどがあったので家族3人は品川駅に集合し、バスで会場に駆け付けた。私は渋滞も多く時間が定まらないバスでの移動は好きでないのだが、ものの10分くらいで会場近くのバス停に着いた。そこのお友達住人は自家用車を手放して久しい。私鉄、地下鉄、モノレールなど歩いて数分に最寄駅があり、加えて整備され尽くした都バス網のおかげで大抵のところには簡単に行けるため、「車は必要ない」というのである。なるほど、まさしく都会派の生活スタイルなのだろう。

    

その日は「運河」の祭り、ということだったらしい。運河沿いの公園にはかなりたくさんの露店が並んでいた。祭りの屋台と言えば焼きそばとお好み焼き、おでん、うどん、焼き鳥などが並び、甘味系で綿菓子、リンゴ飴、チョコバナナなどが続いていたものだが、B1グランプリの影響かさらにバラエティに富む趣向を凝らしたメニューが立ち並んだ。やたらあちこにあった「ケバブ」、牛タンつくね串、牡蠣&クジラまんなど東北陣ががんばり、富士山麓溶岩チキン、宮崎地鶏(東国原キャラクターはちょっと古いけど)などが声を張り上げていた。子供に人気は品川なのに「フナッシー」・・・
「運河の祭りっていうのも珍しいよねえ」「人工の川を『運河』って言うだろ、人工の湖はなんて言うかしってるか?」「●んこって言わせたいの?」この歳になると全然気にならぬらしい妻には冷たくスルーされた。

             

我々が会場に到着するとつぶやきさん、Sちゃん、Kちゃん一家他が賑やかに飲み食いしていた。大人の年齢から言うと我々が一番年長だが、子供達はほぼ1年ごとに高3となるSちゃんをはじめ、甘辛、Kちゃん、りょんりょん、MIちゃん、SUNちゃん、マッキーと続き、一番下のメビウス君は幼稚園に入ったばかりである。何年かおきに久しぶりに会って成長ぶりに驚く親類などとは違い、集合住宅で幼い頃から子供達みんなの顔を見てきたから、ひと家族のように昔話は実に盛り上がる。甘辛はなぜかそのままだが、他の子供達は幼馴染らしく中高になっても「ちゃん付け」呼ばわりであるリビングが広いだけの我が家が会場になることが多いが、毎年何度かこのフルメンバーで騒ぐのが楽しみになっている。

さて子供の年齢が割と近いとやはり上級生たちは「進学」の話題が付きものになってしまう。受験シーズン中は「がんばってるらしい」と聞きながらも、あまり騒がないように気を利かしているつもりだ。先陣をきったのはむろんSちゃんだ。昔のように陰気な進路評論のようなものはないが、やはりこのユニットではトップバッター、皆興味は持っていた。2年前、いつもの緑化公園で花見の後、我が家で2次会を開いた時Sちゃんは自ら厳かに県下でも有名な進学校である合格先を明らかにし会場の大喝采を受けた。翌年受験を控えていた甘辛の母(つまり妻)とその翌年予定のKちゃんママは「Sちゃんもハードル上げてくれるよねえ」と笑顔半分溜息顔半分だった・・・「パパの後輩目指すのかなー」などと噂されながらも昨年甘辛は親も意外だった学び舎にあっさりちゃっかり進学決定、皆肩すかしをくらったような気分だったろう。

そして今年はKちゃんである。おっとりしたお人形のようなお嬢さんだが、芯は強くて頑張り屋、入試直前は朝になってお部屋で寝ているところ、ママに「何時に起こせばよいか」と聞かれたら、寝言で「zzz京都議定書。zzz・・・」、ちょっとイラついたママがもう一度訪ねると今度は「B。zzz」、さらに爆笑をこらえて聞くと「夜から夜。zzz」謎の答えが返ってきたそうだ。。夢の中でまで勉強している凄まじさにパパも驚いたようだった。実はこの経験は私もよくわかる。入試直前にあまりに多量のアイテムを頭に詰め込み過ぎた結果、試験が終了した後も「まだ終わってない」夢を見て、飛び起きて机に向かったことがある。そのKちゃんが少し照れながら発表した校名を聞き、メンバは周囲を憚らず拍手喝采となった。これまた県下有数の進学校であり、そこにいた一人のママの母校でもあったのだ。

何をかくそう、そのママこそ10数年前、お花見で私と二人取り残された身重の若い(今でも若いよ)女性だったのである。彼女は大喜びだった。家からは多少、通学しずらい場所にはあるが、「男女同じ数くらいの共学、田舎っぽかったけど、勉強も運動、イベントも皆全力投球でがんばって、ホントに楽しい高校時代だった。」彼女はさらに熱く語る。「デキる学校というのは勉強以外もデキることが多いから楽しいのだ。青春を謳歌するならデキるところだ」

1年前、息子にも言ったが「進学先は男女共学であるべし!」と彼女に共感していた私は、この時何故か故・藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」が頭の中を駆け巡っていた。「十五、十六、十七と・・・わたしの人生、暗かった・・・」自分がそうだったわけではないが、幸い息子甘辛も「これまでで一番楽しい1年間だった!」と断言していた(そりゃー、高1はたのしいやろ!)から、Kちゃんも楽しんでもらいたいものだ。実は甘辛は以前からメール交換していたKちゃんに極秘のうちに、自分の学校を勧誘していたらしい。「理科と国語が苦手だから・・・」と断られたそうだが、たぶんサッカー部のマネージャーになってもらうという下心があったのだろう。

それにしても大人も子供このメンバは個性的だ。Kちゃんパパである宮さんは草野球チームでいまだにピッチャーをこなし、サイクリングが趣味だ。その行動範囲は途方もなく広く、車で(渋滞もあり)何時間もかかる伊豆半島なども平気でライドする。都内で割と近場が試合会場だったりするとグランドまでチャリで行ったりするらしい。その日も「1試合投げてきた」と後から現れたが、(もしかしてここまでチャリできた?)と誰もが想像したものだ。人情に篤いアニキタイプで、地元では町内の世話役や役員を買って出て、年中防災・防火訓練などに参加している。仕事も一所懸命で部下の面倒見もよい「熱い男」で、偶然にもほぼ同じ職場(フロア?)のしんさんと後から登場するSUNちゃんパパと3人がいつも夜中までオフィスに残って仕事しているそうだ。そのオフィスというのが甘辛の学校のすぐそば!グランドも少し見えるそうだ。
「甘辛、部活やってんのかなーって時々グランド見てるんだよ」とKちゃんパパは笑う。「帰りに会ったら晩飯ぐらい奢ってもらえるぞ。ビール付き合わされるかもしれんがな」「父が父だけに・・・甘辛、飲みそうだよねえ」大人同士はそんな会話を勝手にしているが、当の本人は今のところ酒などと言うものに全く興味がない。「スポーツ選手は炭酸すら飲むべきではない」というジルコニウムばりの固さである。

さてKちゃんママは西日本地方出身のお嬢様、お父上が欧州を漫遊された時に「どれか一つ」とお土産に欲しい候補をリストにしたところ「全部!」買ってきてくれたそうだ。「運動量保存則」ならぬ「ツキ量保存則」を唱え、「磯辺さんは無駄使いし過ぎ」と警告し続けてきた彼女である。(今のところバチは当たっていないようだ)ご主人は親分肌の「ついてこい!」タイプなんだが、マイペースで少年っぽいところもあり、「はいはい」とにこにこ笑いながらお釈迦様のように掌の上で旦那を転がせている、と誰もが思っている。内閣情報調査室ばりの収集能力を持っており、昔社宅にいたご家族のその後をほぼ100%把握しているし、パナソニック工場撤退後色々とあった風聞に対し、「なぜCOSTCOが誘致されなかったのか?」「なぜ大型マンションを建設しなかったのか?」「なぜ分譲住宅の値段が割高なのか?」全て知っている。。。

まだまだ紹介し足りないところは多いが、最後はとっておきの「天井知らずの天然嬢」、マッキーの登場である。つぶやき夫妻を両親に持つという、素晴らしい知的天然性に溢れる血統を持ち、弱冠小学生ながら特に漢字用法の分野でその異彩を放っている。(時々ママは頭を抱えている・・・?)
好きな芸能人はたしか「キンタロウ」、小学校の読書カードになぜか「カクテル400」があり、時々自分の名前の棒を一本余計に書いてしまう彼女の荒業集を覚えてる限り紹介しよう。順不動、本文通りでなかったらごめんなさい。。。。
「引」・・・・「さんまさんは引きわらいする」
「友」・・・・「ママ友とじょし会をして飲みすぎたママ」
「豆」・・・・「えだ豆はビールのつまみにおいしいよ」
「直」・・・・「わたしは、はんざわ直きのさいしゅうかいを見ていない」
「麦」・・・・「お父さんは金麦が好きだ」
両親は超秀才コンビだから、ほとんど無敵の大人になるかもしれない。
前にも書いたが、いずれこの子供達が大人になっても「ちゃん付け」で呼び合い、その子供達が集うようになり、3代に亘って花見ができたらさぞ楽しいことだろう。

おまけ 実は祭りのフィナーレは花火大会であると聞いて、一旦撤収した後に再び会場を訪れた。(さすがに夜8時まで飲み続けるのは無理だ)
やがて運河の真ん中から鮮やかな花火が上がりだしたが、わずか10分足らずで終了・・・かなりコタえたが、夏はともかく冬の熱海、秋の江の島に比べ、「春の花火」は初めて見たのでそれなりには新鮮だった。

   

だましだましのススメ

2014-04-11 07:11:16 | スポーツ・健康
少し前に私の敬愛するとある師匠の記事を読んだ。フィジカルな面も多い仕事をされているが、数年前から痛みだし元には戻らなかった怪我の原因が分かったそうだ。関節の重要な部分を損傷してしまったようなのである。どうも手術をしないと完治はしないそうだが、生活などに与える影響も小さくなく、師匠はセラピーでリハビリしながらお仕事を継続していく道を選んだ。このスタイルを師匠は「だましだまし」と称したが、リハビリの中で「まだまだ使ってなかった筋肉がたくさんある」と発見された師匠にさすがプロとしての誇りと自覚を感じたものだ。ヨガでは体は心や魂が宿る「Temple」と表現するんだそうだ。身体との付き合いか・・・まったく教わることが多くて、何かにつけて読み返している。

さて、この「だましだまし」といういかにも日本語らしい表現を見て私はうーむ・・・と唸ってしまった。英語に詳しくないから何というか分からないが、ベタな変換ならtrickを使うだろうか?怪我を労わるならnurseにもその意味があったような気がするが・・・ボロが出るからこの辺で。
この「だましだまし」という言葉、それこそ以前読んだ「舟を編む」で取り上げられたらどんな話になったのか見てみたい気がする。一定以上の年齢の怪我や病気の対して「その場しのぎ」とか「ごまかして」みたいな意味に使われるが、世の中すべからく「だましだまし」の連続である。考えてみれば「ど真ん中直球を川上哲治さんのように『止まって見え』狙い済ましたようにスタンドに運ぶ」なんてことは滅多なことでお目にかからないのだ。

コースがちょっと厳しかったり、タイミングがずれたりしても外野の前に「運ぶ」のが「だましだまし」打法ではないか。学校の成績が思うように伸びない苦手な科目も「だましだまし」というところがあるし、単位取得とアルバイトの両立も(どちらが主か分からぬが)「だましだまし」だ。ポインター号が来るまでに乗用していた「チョイノリ」はチェーンが外れたり、異音がしたり年中トラブっていたが「だましだまし」乗っていたし、マンダリーナダックになる前に愛用していたNIKEのリュックはファスナーが壊れても縫い合わせ、取っ手がとれてしまっても紐を結んで「だましだまし」使っていた。我が家の家計も「だましだまし」の時はあっただろうし、システム、施設などもうまいこと性能を発揮しないけど止められないから「だましだまし」運転することも多々あった。そうそう、大震災後2週間くらいなど、まさしくあらゆることが「だましだまし」続けるしかなかった。

改めてこの言葉は素晴らしく応用の効くことがわかる。消費税増税後の経済の行方は?・・・「だましだまし」、朝鮮半島の緊張と日韓外交の進めべき道は?・・・「だましだまし」、「笑っていいとも」終了後のフジテレビの昼時視聴率は?・・・「だましだまし」、満開の時期が過ぎてしまいタイミング遅れになった夜桜花見は?・・・「だましだまし」、STAP細胞論文問題をリーダーはどうやって片づける?・・・「だましだまし」、今年で●0周年を迎える我々の結婚生活は?・・・これは怒られるからやめておこう。。。
それにしてもすごいではないか。むろん用法として正しくないものも多いと思うが、何となく全部あてはまるような気がするのである。政治や経済、外交などの評論家もこの言葉をもっと使えば今よりはよほど分かり易くなる(分かったような気になる)のではないか?

さて、まるで万能用途、生き餌界のアオイソメ、生物界のSTAP細胞のような言葉だが、やはり「だましだまし」は怪我や病気に関してが一番しっくりくるものだ。人間、一定の年齢を越えるとこればかりである。いや、年齢ばかりがキーではない。甘辛のチームメイトは成長期特有の「オズグッド」という関節症に悩まされていた。骨や関節が急成長する時の症状だから治ることはない。それこそ「だましだまし」付き合うしかないのだ。これまで頭のてっぺんから足の先まで、自分の身体を振り返るとよくまあ酷使してきたものだと反省するが、それこそ「だましだまし」の歴史だったことがわかる。何せ自然に治らないものはよほど危険なモノでない限りそうしてきたのだ。(コミック)エリア88には数々の名言が登場するが、エアチャイルドA10爆撃機を駆るグレッグと武器商人のマッコイじいさんの間にこんな会話がある。
「命は大切にせんとなあ」(グレッグ)
「そうじゃよ。大事にすれば一生使えるからな」(マッコイじいさん)

「命」を身体と考えて上から順番に考えるとまずは頭髪か。同年代ではすでにかなり薄くなっていたり(ツルッ禿もいる)、ロマンスグレーの初老紳士みたいなのもいるが、幸い私は白いモノは混じっていても「後退」はしていない。これからどうなるか分からぬがいきなり禿ることはないと思うから、少し育毛でも心がけ「だましだまし」薄くならないように努めよう。
次は目。これも幸いにいまだ裸眼で何とか事足りているが、何となく視力も落ち気味だし、霞がちにもなってきた。妻は近眼にはならずにいち早くシニアグラスを手にして「おいでおいで」しているが、「だましだまし」気を付ければもう少しはいけそうだ。先日、中学時代の友人達と久々カラオケに行ったとき、楽曲転送用リモコンに出た曲名を探すのに、そこにいた女子全てがシニアグラスを手にしたのを見て苦笑いするしかなかった。

頭部だけでももう一つある。「歯」である。歯医者に行くと「素晴らしい材質をしている」とよく言われたものだが、虫歯も何本かあり、最近脅されるのは歯周病、つまり歯ではなく土台の歯茎である。「虫歯は一本もないけど、そのうち全部抜けちゃうよ」とドックで脅されて、転勤前に勤務地で3ヶ月近く歯医者に通い続け、べらぼうに痛い歯石除去を耐え抜いたが、歯のメンテナンスも非常に大事なことがよくわかった。「だましだまし」予防保全していき、8020(80歳で20本残存)としたいところだ。外科的に治さなければどうにもならぬ「骨折」が3回。中学部活の時を除くと、不注意によるものである。病気で言うと数年前、年末年始で一気に片づけてしまったのが「ぢろう」である。これは「だましだまし」付き合っていたが、どうにも犠牲が大きくて手術でやっつけてしまったただ一つの例である。

母が無敵の万能細胞をたくさんくれたのか、私はウィルス性の病気に罹ったことがほとんどない。今年も「B型」でゲホゲホ唸っている甘辛の真横で寝ていても全く何も起こらなかった。(これは会社員としては反省すべきだが)皮膚は比較的弱い方だがアレルギー花粉症などには縁がなかった。最近「んっ?」と目がかゆくなったりする時もあるのだが、「これは違うのだ!」と自分を思いこませると気合で何とかなるものだ。ドックで健診すると血圧が高めと言われるが、薬を飲んで下げるとずーっと飲み続けなければならないから、食べ物に気をつけるとかせよということだ。生野菜が嫌いだから生野菜ジュースを飲んで・・・これも「だましだまし」である。そして県民マラソンに向けて走り込み過ぎて腰に激痛が走り・・・「年齢の割に運動し過ぎ」と言われた時はショックだったが、加齢に運動を続けたせいで軟骨やらが変形気味で、これは完治しないからうまく付き合っていくしかない、と言われた時はもっとショックだった。

熱力学には「エントロピー増大法則」というのがある。簡単に言うと全て自然界のものは「秩序が壊れる方向に進む」というところか。人間の身体も社会システムもどんなものでも、時が過ぎればいずれガタがくる。無理して元の姿に戻そうとするのは自然の摂理に反することになる。色んな意味で「だましだまし」とは知恵であり技である。また遊びでありゆとりとも言う。だまさないで結論だけ急ぐとかえってリスクが大きく壊れることが多い。ひょんなことから話題にした言葉だが、意外にも奥が深くそれどころか、「世の中の真理じゃないか?」とも思えてきた。皆さんも「だましだまし」人生をエンジョイしましょう。

おまけ。
まるち師匠に教わったが、4月上旬は湘南地方のあちこちで「ダイヤモンド富士」が見られるようだ。たまたまパートナー会社のショールームを見学して直帰したため、日没に間に合った某日、強風の中いつものサーフポイントの近くで震えながら超兵器を構えていた。途中でちょっと雲がかかってしまったが、概ねいい具合に沈んで行ったが、惜しい!ちょっとだけ左にずれてしまった。茅ヶ崎海岸のヘッドバーが一番よいポイントだったようだ。
ホントの季節もので、この時期を逃すと湘南地方は半年ほど先になる。また職場のある台場周辺は位置的には真冬になってしまうようだ。タイミングと天気によってはこれを追いかけるのも面白いかもしれない。

      


花見ウォーキング

2014-04-07 23:45:31 | 旅行お出かけ
今年は春分の日を過ぎて信じられぬほど一気に暖かくなったから、例年のソメイヨシノも慌ててどばーっと咲いた。これまで10数回あった異動で通勤したロケは10箇所ほどあるが、大体近くに見事な桜の公園があり、同僚達と花見をしたものだ。職場の花見と言うと「哀れな若手社員」が他グループからの領土侵入にびくびく怯えながらひたすら広大な場所を守備する光景があったが「社内旅行」と同様この手の職場イベントは年々減っているようだ。私が入社して間もない時に配属された現場は20代の若者などは珍しいくらい高齢なところで、どちらかというとお客さん扱いしてくれ、花見の場所取りなどは先輩(と言っても40過ぎたおじさん)がセッティングしてくれた。本社系の組織に異動すると何故かそれ「専門要員」みたいなお祭り担当がおり、場所の予約や飲食物の手配など全部完璧にこなしていたし、その人がいなくなってしまうと、既に職場にはもっと若手の社員が後から入って来て引き継いだから、結局幸いにも「哀れな若手社員」は演じなくてすんだ。言い訳ではないが、私はこの手のイベント仕事の要領が恐ろしく悪いから、グループにとってはよかったと思う。

一方、独身寮を出て社宅に入るようになると、割と年齢が近いから仲良しの家族同士で毎年「花見」をすることになる。敷地の中にも桜はあったし、ちょっと歩くと大きな公園もあった。私の母校の裏にあるK森神社・公園も桜が満開になるとそれは見事だった。ある年、社宅敷地内で花見をしようということになった時、子供も入れて10人くらいのグループだったが、奥さん連中と重いモノ運搬用の男手はさっさと買い出しに行ってしまった。「要領が悪くて役に立たない上にいらぬ物まで買いそうな」私は留守番を命じられた。子供たちは遊びに行ってしまい、残ったのは身重の若奥さんだけである。今でこそ家族ぐるみだが、当時は旦那は知っていても、奥方は誰と誰がペアなのか定かでない時期だったから、お腹の大きい若い女性と二人きり残されて一体何を話せばよいのか・・・海上自衛官の集団お見合いのように気まずく空回りしていた。。。ここにも何度か登場した「つぶやき一家」が現れるのはこの数年後である。

少子高齢化が進み、住む人も少なくなって老朽化した社宅も廃止、住人は退去することになったが、この周辺エリアを生まれ育った故郷とするのは私くらいしかいないのに、皆何となくこの周辺に家を建てて住みついてしまった。子供を転校させたくない、とか勤務地がどこに変わってもそこそこ通勤できるとか色々事情はあったかもしれない。子供も大きくなり受験やら部活やら忙しいからスケジュール調整が難しいが皆近所にいるから、このグループで毎年花見を楽しんでいる。今年は早々と予定が決まっていたのだが、何と来週の土曜日!あまりにも慌てて咲いてしまったので、桜はもう散ってなくなってしまう時期だ。先週末が最も見頃の時期だとニュースでは報じられており、最近学校の行事やら仕事などで休日に不在なことも多くなった妻がたまたま休みでいたので、せっかくだから花見に行こうということになった。甘辛は部活でいないからとうとう二人だけの花見になってしまったが。。。

どこにしようか・・・鎌倉方面、茅ヶ崎・西湘方面、桜の名所とはいたるところにあるものだ。世に有名な花見の名所はどこも混んでいるだろうし、二人だからわざわざ遠出する気にもならず(歳とると近場で済ますものだ)、結局条件は「川や池など水があるところ」「広々と明るいところ」「歩いて行けるところ」「トイレがあるところ」、今や唯一とも言ってよい「共通の趣味」となった散歩しながら、スーパーで酒と食い物を買い込ことにした。弁当や酒を山ほど買い込むからそんなに長い距離を歩けるわけではない。私は荷物積み込み用リュックを背負って超兵器を首からかけ、「なあーんだ、オレんちの正面にもでかい桜あんじゃんか」と川沿いの土手を指差しながらエントランスを出たところでちょうど道路を通りかかった女性がいた。甘辛が幼稚園の時から友達だった「なっちゃん」のママである。「ああーっ、久しぶりぃ!二人でお花見?」(ママさん連中の立ち話、苦手・・・)
「この前、ご家族で「湘南藤沢マラソン」走ってましたよね」「そうそう、パパとは●●の前でも会ったよね。微妙に接点あるよね」

  

一人でそこまで買い物に行った帰りだそうだが、ご主人は店舗の営業なので不在、大学生のお兄さんはPCオタクで家に閉じ籠りきり、なっちゃんは陸上部で三ツ沢競技場で今シーズン初の大会だそうだ。「甘辛、サッカー続けてるんでしょー?えらいよねー。がんばってね」小学校から中学、高校に進学したきっかけでそれまでやってきたスポーツをやめてしまう子が結構多い。選択肢が増えるから別世界へという子もいるだろうが、残念ながらモチベーションが続かなくなってやめてしまう子の話の方が多い。
「うちの娘、この前塾の帰りに甘辛と一緒になった時『なっちゃん』と呼ばれたって喜んでたよ。高校生になると女子でも名字呼び捨てが普通なんだってさ」コミックやドラマでは「ちゃん付け」やニックネームばかりだが、普通の学校生活では「鈴木」とか「田中」とか名字が主流らしい。

なっちゃんママと別れて我々は川沿いを河口に向かって歩き出した。橋を渡って神社を抜け大通りを少し歩いたところにスーパーがある。「橋渡った川べりにベンチのある広場あったじゃん。あの場所広々としててよくない?」「おーっ、酒屋も向かいにあるしなー。でも確かあそこ、桜の木なかったぞ・・・」
我々はスーパーでビールや缶チューハイ、弁当とつまみを山ほど買って、リュックにぎっしり詰め、もう一つ下流にある橋に向かった。目黒川とはいかないが、川沿いのハイキングコースには結構満開の桜が何本もあり、ウォーキングしながらも十分に堪能できる。ただ思い荷物を背負っているから、どこかで座を設けたいところだが、どうも落ち着いて腰を落ち着けるところがない・・・結局、いつもお友達家族と花見をした緑化公園まできてしまった。中央にある芝生広場の周囲にたくさんの桜が満開となって咲き乱れている。たぶんその日が最高の陽気で、盲導犬クイールのような犬もテントの横に気持ち良さそうに佇んでいる。

            

さすがに人で賑わっていたが二人だから場所はどこでもとれた。マクロレンズとかいう望遠レンズを装着したパワード203号は花に惹かれてやってくる普段は見ない野鳥撮影用だったが、見たことのある鳥しか来なかった。弁当を食ってビール、焼酎をがぶがぶ飲みながら、昔話に花を咲かせたものだ。甘辛がまだ幼かった頃、巨大な桜の木のてっぺんの方まで登って行ったこと、初恋のハニーちゃんが実は人妻だったと知り、ご主人を借りてきた三輪車でひき逃げしようとしたこと、立ち入り禁止の菖蒲池でドロドロになってザリガニを捕まえてきたこと、足先で行うリフティングを宴会のさなかも飽くことなくの練習していたこと、ささいなことで社宅向かいの駐輪場と中庭じゅうに聞こえる大夫婦喧嘩となった「K瀬家の乱」。。。(実は参加メンバで夫婦揃って仲直りして来るかどうか「賭け」をしていた。)

        

大体、二人で飲む時はたあいのない話を延々とすることが多いが、この時も持ってきた酒を飲み尽くし夕方に近くなってきたのでぶらぶら帰宅したのだった。風呂に入っていると、部活から甘辛が帰ってきたようだ。部活帰りで汚いから、とっとと風呂へ入るよう妻に言われたらしいが「父ちゃんと入ると『英単語』とかやらされるから煩わしい」と私が上がるまで待っていたそうだ。「英単語?今日は花見でがっぷり飲んじゃったからそんな元気ねーよ。」私が赤い顔をして苦笑すると「へーえ、二人で花見行ったんかよ・・・」同年代の女子がいなければ桜なぞ全く興味を持たない年頃だよなー。今週末は別の場所でわざわざ電車で全員集合することになっている。ちょっと趣向があって花火大会もあるお祭りだというのだが、昼間は公園で花見大会予定だから何とか少しでも花が残ってほしいものだ。何百本のすごい桜並木でなくとも、一本咲いてりゃー十分だからな。