超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

個性派ショットを叩け

2013-05-29 07:07:13 | 出来事
今年「試しにやってみる」第一弾として握ったゴルフクラブだが、想定された流れとして関係者総出の「大ゴルフ大会」が開催された。1ヶ月以上前から参加者を募集したようだが、あっと言う間に80名近く集まったそうだ。着任以来、何度も誘われていながらついにはこれまでクラブを握らなかったことから、遠慮してセクションを上げての大々的な大会は控えていたようだが、ゴルフ大好き人ばかりの地方県で悪いことをした、と反省している。会場は前回スティーブに連れられてそのコースデビューした時「心が折れる」ほどぶっ叩いてしまった、法人契約のコースである。土日でもとにかく安いから県内はおろか、日本中の我が社のゴルフ好きがやってくる。ザワさんの前任の「隊長」などはほとんど毎週通っているらしい。

「待ってました!」とばかりに名乗りを挙げた連中は夜な夜な練習場通い。。。しかも時間になると誰ともなく職場から消え失せ、隠れて猛練習しているらしい。本番の前の週、会場となるコースは事前の練習に私が知っているだけでも10人の同僚が訪れている。特別ゲストの予定だった八兵衛までいたというから驚きだ。(全く練習ばっかやってんじゃねーぞ)果敢に参加する女性も3人だが存在した。我がセクション史上初の女性マネージャー「ベッティ」と入社3年目となるハナちゃん、そして月平均2回のラウンドを誇り、レギュラーティから男性顔負けのスーパーショットを見せる「ツカさん」である。さらに我がセクション誇る3Bトリオ(バカという意味ではない?!)、グッチーに、いっけい、そして自分大好きKYOちゃんも健在である。

どうもこの3人、一緒に練習に行くことはないが、それぞれ隠れ練習に勤しんでいたらしい。腕前(ラウンド回数)では一歩抜きん出ているグッチーに至っては、当日の早朝に別のゴルフ場でかなり汗をかくほど直前練習してきたとゲ●した。。。ちなみに自宅から通勤している私はお約束の1番グループだから、東海道線始発電車でやっと間に合う時間である。「これ以上は早く到着できません」という新幹線に乗ってベッティと合流し、朝は徹底的に弱くて早朝練習などできない、いっけいに迎えにきてもらって会場に向かった。7時半くらいにはクラブに到着したのに、既に何十人もやってきていて、ゴルフ場に付属している練習場で汗びっしょりになっっている者が何人もいた。(キミ達、その情熱を仕事に活かしてくれたらねー)

「どーしてもやるの?別に端折ってもいいんじゃないの?」「いや、ちゃんと準備してるんですから、INはおーさんに、OUTは磯辺さんにやってもらいます」
始球式というのをやるらしいのである。通常のゴルフボールのようなのだが、中に仕込みがあって所定の場所にぶち当てると中からキラキラの飾りが現れる特別仕様だという。近年稀に見るほど緊張した。「(どうかちゃんと当たって飛んでくれ・・・)」久々に神頼みした。3年間、頑なにクラブを握らなかった自称「スポーツ万能」の私がどれほど下手なのか、皆見物しに来ているように感じた。(むろんそんなことは少しもないのだが)

「どりゃーっ」とぶちかました直後、周囲からは「ナイスショーッ!」という絶賛の拍手を浴びた。弾道、飛翔コース、ともにスーパーショットである。皮肉にもその日一番の出来栄えが始球式だったわけだが、私が「老師、ボクはやりました」と天を仰いだのは言うまでもない。暑くもなく寒くもなく、風もなく、スコアの悪い言い訳の何一つできないコンディションだった。途中の経過を書いても興味ないだろうから書かないが、中々気持ちよく回ることができた。前回のデビュー戦に比べると20打近い大躍進である。(ははは。いかに前回とんでもなかったか・・・)思ったよりもボールも失くさずに済んだが、おーさんが以前に再デビュー記念にプレゼントしてくれたウルトラセブンのボールは3つのうち2つは失くしてしまった。。。

        

「教わるということ」編で書いたように、今月になってから通っているスポーツクラブのゴルフレッスンを受け始めた。1週間に1回、たまたま大会前日が4回目となった。「明日、コースに出るんですが、何か『これだけでも』という心がけることはありますか?」コーチに尋ねると「うーん、そうですねえ。とりあえず、今月やったことは『忘れましょう』好きにやってみてください。」まったく随分身もふたもないこと言うじゃないか。。。しかしその後詳しく話しを聞いてなるほど、とは思った。
3回、4回習ったとところで、教えたことをできるようになるわけではなく、色んなことを考え過ぎるとかえって泥沼にはまる。自然に好きにやってみて練習ではできたのにコースでできなかったことを持って帰れ、というのである。

それでも私は習ったことは必ず実践してみることにしていた。「クラブを振り上げた時に腰が右にスウェーしないように捩じる」「打ち終わった時に右足の裏を真後ろに必ず向ける」「構えた時に背中を丸めずに出っ尻にする」・・・(いかぬ、いかに初心者の低レベルかバレバレだ)
前々日のフットサル大会のように「オレがボールを持ったら道を開けろ」という訳にもいかぬ。ゴルフは自分との戦いである。「行き先はボールに聞いてくれ」状態なのは否めないが、「好きにやれ」と言われた以上私は自分のポリシーを設定した。

「グリーン周りにボールが見当たらなかったらカップをのぞく。」(これは以前人から指摘されて気付いた自分の習性である)
「空間占有率から計算すれば正面に木があっても当たる確率はわずかである。常にグリーンに向かって打つべし」(安全なところに出してあらためてグリーンを狙うことが性格的にできない)
「ラフであろうが、傾斜があろうが、グリーンに届くクラブで1ミリでもカップに近づくように打つ」(実はマネージメントとしては愚かなスタイルなんだが)
しかし今年のテーマの一つもある「試しにやってみる」だが、ゴルフにこれを適用するとほぼ100%失敗することを学ぶことができた。

麻雀と一緒でゴルフというのも性格(生き様)がはっきり出るものだ。3Bトリオと廻ったりするとその面白いようにその違いが現れてウォッチングしているだけでも面白い。ゴルフに対しては最も真摯な姿勢で向かっているグッチーは多少、ティショットを打つのが遅くてまどろっこしいがそのスタイルは理解しやすい。狙いを定め、入念に素振りし、一球入魂のようなスイングをする。いっけいは対照的にまるで故逸見さんの「正月ビッグ3ゴルフ」の「たけし」のように「あっ」と言う間に打ち終わってしまう。アドレスに入ってから打ち終わるまで全く迷いがない(というより何も考えていない?!)

一番の初心者だが誰よりも個性的なのがKYOちゃんである。元々「自分大好き」「空気読まない」と言われる彼はそのマイペースさをいかんなく発揮している。ティショットでは狙いをじーっと定め、入念に素振りしゆっくりアドレスに入る・・・ところまではグッチーと一緒だが、その先「物理法則から逸脱する」ような軌道のボールを射出するところが違う。しかも彼は目は悪くないはずなのに自分の打ったボールがどこに行ったかまるで見ていない。「石川遼選手だってそこまでは飛ばさんぜ」200メートルも先の川の向こうをアイアン4本抱えて走りながらボールを探している。。。「おい、KYOちゃんよ、ボールそこにあるじゃんか」

グリーンに乗せた後も地面に這いつくばって傾斜や芝を観察していたらしい。今回の大会ではいっけい、KYOちゃん、そしてベッティが同じグループで回ったそうだが、いっけいに言わせれば「あれだけ這いつくばって、打った瞬間全然方向違うんですよ。時間の無駄・・・?!」ベッティ曰く「あれは、スパイダーマンです・・・」ルールではグリーン上ではカップから遠い人から順番に打つのだが、スパイダーマンに変身してしまった彼はそういうことが全く見えなくなってしまうらしい。しかしドン引きされることもなく、笑って済まされるのは彼の愛すべきキャラクターの為せる技であろう。

さて、今回私一緒にプレーしたのは、前編で初登場したスティーブの後任、ミスターと顧客サポートセンター長に着任したマツさん、そして毎度おなじみ特別ゲストの八兵衛である。全く気のおけない先輩&同僚達である。私がクラブを握ったという風の噂を聞き付けたのか、前回のデビュー戦でスティーブ達とご一緒したイッシーを通じて、その会社のエラい人が私のチーフと一緒にプレーしないか申し込んできたという。接待ではないが半表敬ゴルフみたいなものだったが、たまたまスケジューリングされたのがこの大会の翌日・・・私は以前からの予定があってどうしても参加できなかった。代理出席で対応すべきだったが、あいにく前日が我がセクションあげての大ゴルフ大会だ。大方のマネージャーは出場してしまうので、連日というのは頼みにくかったが、ミスターが快く引き受けてくれたのだ。(ありがとうございます!)

特筆すべきなのはやはりこの人、八兵衛である。随分ゴルフ歴は長いようなのだが、以前はスティーブに「アレじゃー、あんまり面白くねえだろなー」と言われていた。「行き先はボールに聞いて」状態でも一つのホールに1回くらいは「次につながる」いいアタリがあるものだ。八兵衛の場合はこれがあまり現れずティショットから「わりゃーっ?!」と裏街道まっしぐら・・・グリーンまでフェアウェイにはあまり姿を見せず、何となく結果オーライを続けて最後に皆と合流する。しかし不思議にボールを失くしたりすることもなく、きちんとグリーンに遅れずに現れる。そして何よりもスコアがまとまっているのは「パット」が天才的に上手なのである。スパイダーKYOちゃんの十分の一くらいの時間しかかけない。というか構えた瞬間にもう打っている。。。我々が軌道を見守る暇もないのだが、それが数メートルの距離をホイホイ入れてしまうのである。マツさんによれば「ありゃ―、何も考えてないねー」

それぞれ、いろんな個性が出て実に面白い大会だった。自分はこの地方に勤務している間だけの限定トライアルとしているからあと何回、何十回まわれるだろうか?当日はドライバーが多いから「アルコール厳禁」、表彰式は翌々日の夜となった。幹事のトミーががんばって色んな賞を用意してくれ、ほぼ半分くらいの人が何か賞品をゲットする予定だった。私も●●賞として妻に買ってきてもらった湘南ワインを差し入れたが、これは偶然ベッティに渡ることになった。ゴルフ歴●十年のツカさんは女性部門で優勝、せっかくなら果敢に出場してくれたもう一人の女性、元ルーキーズのハナちゃんにも何か景品が行かないかなー、と思っていたらなんと驚きの「ドラコン賞」!これには本人が一番驚いていた。年に何回かはこのような大きなイベントで共通感を感じるのもいいものだ。最初で最後にならないように、完全復刻できるようトミーによくよく頼んでおくこととしよう。

ミスターは知り屋

2013-05-26 09:58:29 | 職場
主にとある地方県内で起こる、よろずテクニカルな(泥臭い)事象を管轄する私が、オフィスを離れてお出掛けするとき付いて行くのは大抵、「何かいい仕事ねえか?」の八兵衛ラインと「よろず揉め事まさせなさいライン」のスティーブラインがメインだったが、それぞれ昨年、今年3月に惜しまれながらも勇退して行った。今でも仕事&遊び上まだまだ付き合いは深いが、さすがに会社が変わってしまうとほいほい気軽に同行するわけにもいかぬ。八兵衛の後任はジローくん、隣りのニカウさんの後任はいっけいだが、二人ともよその県出身の若者なので、本目的の「ついでに」支障のない範囲でどこぞに寄ってくる、ということが中々できない。ちょっと遠出が必要な時はその道に詳しい「デカさん」を引っ張り出し、滅多にいけない名所や名物に触れることができた。

スティーブともよく出かけたが「滝を眺めてくる」ようなことはあっても、本目的と直接関係ない施設内に入って何かを見学したり、勤務時間を終了したら「温泉に入ってくる」とかいうイレギュラー行動をあまりしない人だった。むしろ仕事の鬼と言うこともでき、天皇皇后行幸啓の際に専用車の通る道の定められた一角で日の丸を振って迎えようとしていたところ、曲がり角にあった小さな屋外施設の表面劣化を入念に調べようとして警官に職務質問を喰らいそうになったことがある。作業用ユニフォームを着ていなかったら「ちょっとこちらへ」と連行されたかもしれない。(何せ外見はガラが悪いから)

八兵衛のラインは後任がこの地方に詳しくなかったが自然、現場に足を運ぶ回数も何となく減ってしまったが、スティーブの後任が実は「隠れ老師」であることが最近判明した。彼は県外から着任したのではなく、これまでも私の管轄で主に施設の設計・管理などを行うコントロールセンターの責任者だったが、ある意味横滑りで抜擢されてきたのである。これまでは職務的にオフィス内でオペレーターの管理監督を行ったり、マネジメント会議類に出席したりして「お出掛け」する機会がほとんど無かったのだが、実は県内(の特に飲食店や風光明媚な場所)に関しては八兵衛ばりに詳しく「水を得た魚」のように着任早々着席率がやけに低かった。長嶋茂雄さんにアゴだけ少し似ていることから、今後彼のことをミスター(仮称)と呼ぶことにする。

5月初頭の連休の合間、2日はここ数年職場のルーキーズを中心に、とある未曾有の事故が発生した現場に慰霊に詣でるようになっている。彼らが生まれているかどうかぐらい前の事故だが、映画にもなった件の大事故の対応に我が社も大きく関わっており、この地に勤務することになった新任の者はこの事故を風化させない意味で慰霊登山をするようになったのである。私も着任翌年に参加し、今年も上るつもりでいた。慰霊碑の先にある登山道は毎年冬は閉鎖されてしまい、5月1日に再開するが今年はがけ崩れがあったらしく残念ながら登山道には進めないことが分かった。「帰りは名物イノブタ料理でも食って帰りますか」と熱心にお出掛けルートを調べていたミスターは予定変更を提案した。一昨年の冬、政府事業関連でちょっと無理してケーブル施設などを行った屋外施設を点検しに行こうというのだ。場所は県内でも有数の活火山付近で、20分ほど山道を歩くと「湯釜」と言われる珍しい自然を見ることができる。

高速道路が県内を横縦断し、県境付近にも比較的早くいけるこの地方でもあのエリアの便はあまりよくなく、社用車で2時間近くかかる。連休の合間でもあり出社しているのは半分くらい、道に詳しくて長距離運転も全然平気でお出掛け好きの若者がほとんどいない。「会社にいても開店休業だから、近場の安全パトロールで済まそうかー?」などとジローくんと話していたら、ミスターが「オレが運転しまっす」と力強く名乗りを挙げた。道のりの途中でも「ここを曲がっていくと●●があって・・・」とか「こっちに行くと○○という美味い蕎麦屋があるん。」と実に県内中に詳しい。「ねえねえ、もしかしてミスターって走り屋だったの?なんか運転もスムーズだけどさー」「いやいやー、そんなんじゃないですよ。色々県内を走り回りましたがねー」「ちなみにこないだオレんちに『赤いライオン』が来たんだけどさ。ミスターは昔、何に乗ってたの?」「えへへー。いすゞ117クーペでさー」
おーっ、車のことは詳しくないが当時から個性的なデザインとハンドメイドが売りで、高価なマニア向けの車というイメージがある。(今でも旧車ファンで根強い人気があるという)

さて、名車でも何でもない社用の4WDは日本有数の温泉街を抜け、いよいよ火山ルートに入った。機密上記載できないが、何箇所か今までやったこともないような施工技術を使って構築した施設も無事に問題なく稼働しているようだ。周辺の景色が険しく変わってくる。植物が段々少なくなりむき出しの岩肌やところどころ黄色く変色した岩も目立つようになる。そして極めつけは「駐停車禁止」の看板である。硫化水素ガスが付近に充満しているので、撮影などで降車したりすると危険だそうなのだ。また車の窓ガラスも閉めるように説明看板がある。窓を閉めていても車の中には硫化水素の臭いが少しずつ広がってくる感じがする。オフィスから景色を楽しみながら1時間半ほどで車は目的地最寄のレストハウスに到着した。

    

この辺りにも詳しいミスターは「暖かい格好してきてください」と繰り返していた。時期は5月初頭で多少例年よりも気温が低いとはいえ、平地では夏日にもなる季節であり、標高2000mと言ってもそれほどではないだろうと思っていたが、まさかとは思ったが念のためスノボデビューの際のウェアとまず着ないだろうが軽いので保険にユニクロのウルトラライトダウンを持参していた。しかし車を降りて仰天してしまった。とんでもなく寒いのである。湯釜展望地点までのちょっとした山道は周囲の樹木が樹氷のように白く雪に覆われている。おそらく気温は氷点下以下だろう。彼氏とちょっとしたドライブ&ミニハイキング気分でやってきたミニスカ彼女は足にバスタオルを巻いてほとんど泣き叫んでいた。かく言う私もフルパワーで着込んでいたが、手袋を持っていかなかったため終点に着くころには完全に感覚がなくなるほどだった。雲の動きが速く太陽が出たり消えたりだったが、写真のような見事なエメラルドグリーンの姿は見られなかったものの、初めて「湯釜」という(蔵王の「御釜」に似た)不思議な自然を見ることができたのだった。

        

震えながらも不思議な光景を写真に収め、下り路はダッシュで駐車場まで走っておりて車に乗り込んだ。帰路は来た道とは反対側のルートを進んだ。日本有数の活火山で今でも噴煙を上げている山があり、過去にも溶岩流で村が全滅したとか痛ましい記録がある。その近くの別荘地内に施設が設けられているのだが、かなり斬新な形状をしているという。ミスターは「この設備は『溶岩流にも耐えられる』ということで特殊な構造しているらしいんですよ。」無機材料工学専攻の私は「そんなゴジラ84の『スーパーX』じゃあるまいし・・・溶岩の温度は1000度だぜ。耐えられる施設なんかあるのか?ミスター、それはたぶん都市伝説ですよ。やられてるよ」苦笑いしていたが、建物そのものはとてもモダンな形をしていた。いくつかの対策があるらしいのと、別荘地エリアなので殺風景にならないように工夫しているのだろう。

         

火山帯をぐるーっと回って少し遅めの昼食を摂ることにした。
「この辺ってあんまり名物ないんですよねえ。『●はるや』という食堂に『文句なし定食』ってのがあったはずなので、そこ言ってみましょうか」
別に「名物」じゃなくても美味いものなら何でもいいんだけどなー。我々はとあるJR線の駅前に向かった。「●はるや」という店は確かにあったが、ミスターは
「おかしいなー。こんな場所だったかな・・・移転したかもしれませんから、念のため元の場所も回ってみます」
「ところで『文句なし定食』って『非の打ち所がないくらい美味しい定食』ってこと?」この手のネタ話が嫌いでない私はワクワクしながら聞いた。
「いいえ、おやじにこだわりがあって『何が出てきても文句言うな』という意味なんで。。。」えーっ、それじゃあ単なる気難しい日替わりランチじゃないの?なーんか経験的にはゲテモノ臭が漂ってきたなー。

なんて苦笑いしていると
「あーっ、ここだここだ!●んぐ食堂!そうだよ、駅のすぐ正面だったんだよー」全然違う名前じゃんか?!この辺にあった店を混同していたらしいミスターは駐車場に車を置いて、スタスタと歩いて暖簾のかかった入り口のドアを開け、
「こんにちはー。おばさん、『文句なし定食』ありますかぁ?」おばさんは驚いたように笑って
「へーえ、ずいぶん懐かしいメニューを聞いたねえ。お客さん30年前くらいに来てくれた人じゃない?もうずーっと昔に辞めちゃったんだけどねえ。。。」愛想笑いしながらおばさんは遠い目をしていた。もしかしてミスターの青春時代の話なのか?それに浸るならそれで面白いのだが・・・残念ながらおやじも代変わりしてしまって、今ではそういうメニューを作っていないらしいのだ。

     

「じゃー、この『限定味噌煮込みうどんセット』ってのがいいんじゃね?この地方らしく丼飯にモツ煮もついてるぞ」単品では決して満足せずに必ずセットに「何か半主役がついてくる」県民性にそろそろ染まってきてしまった私とジローくんも迷わずそのセットを注文した。なかなかのボリュームで空腹を満たすには十分のメニューだった。(文句なしというほどではなかったが・・・)
ちょっとした名物の話があると必ず車を向けてくれるミスターは「かりんとうまんじゅう」の話題になると「元祖」という肩書きを持つ小さな老舗に寄ってくれたが、残念ながら午前中で早くも売り切れ、もう一軒あるという店でお土産用に入手した。

ミスターはオフィスビルからも遠近問わず、名物(ゲテモノ)について造詣が深い。割と渋めの好みだったスティーブよりもはるかにエネルギッシュで広範囲である。これから先、新お出掛け衆として県内さらにくまなく名物、名所を求めて訪ね歩くことになろう。この地に赴任してほぼ3年になり、ヘタな地元民よりも県内いたるところに出没し、詳しく知っている私にもまだまだ知られざるゲテモノは多い。そろそろ一旦総集編を製作し、この地方のことなら何でも知っているミスターの助言を頂こうかと考えているところである。「ミスター走り屋」か「ミスターは知り屋」かどちらのタイトルが的確か迷ったところだ。

従兄弟会と祝寿の企画

2013-05-22 22:28:26 | 旅行お出かけ
今年、実家の母親は「寿」と祝える年齢となった。満年齢だから正式には昨年だったのかもしれないが、この辺りの歳になると1年や2年など誤差の範囲である。誕生日は長嶋茂雄さんに近い。先日の国民栄誉賞受賞の東京ドームで長嶋さんは元気な姿を見せたが、脳梗塞の後遺症か若干の不自由さが痛々しく、母が老いは感じるが元気にスポーツクラブなど通っているのはありがたいことだ。毎週の竜泉寺朝風呂の高濃度炭酸泉効果があったのだろうか?はるか以前に「初めての還暦」を通過し古来稀なる年齢も過ぎたが、別に今時長生きを祝う歳でもなく本人も特に望まなかったのでそのままにしておいた。しかし何でもないところで蹴躓いて顔に怪我をしてみたり、「そろそろ危険だから」と運転免許を返納してみたりと「年齢を感じさせる」事柄が増えてきた昨今だった。

今年の冬、水戸で母方の従兄弟の結婚式があった。田舎の習慣なのかこういう時には必ず親類一同が集まり、母もこの手のイベントには出席していた。しかし6人兄弟姉妹も結構な年齢となっており、夫婦そろって出席できないところも出てきた。前日からの宿泊で出席するつもりだった母も大寒の季節柄、何となくしんどそうに見え、初めて私が「代理」として出席したのである。これが先般このサイトでも紹介した結婚の宴である。何年かぶりに親戚一同が集い、挙式の前にそれぞれ紹介合戦があるのだが、やはり長女である母と同様「皆、年を取ったものだな・・・」と感じた。昨年の秋に兄弟姉妹の母君(つまり私の母方の祖母)の法要を故郷の富山で執り行ない、年齢や手間のこともあってこの手の行事はこれを最後にすることを兄弟姉妹で決めたと聞いていた私は、このときに東京圏で「母の●寿の祝いと従兄弟会でも開催してみるか」と思いついたのである。

亡き父の法要時にも事務局として絶大な手腕を現した妻に「どこで何をするか?」相談してみた。父の法要時、墓地の近くの料亭又は霊園併設の食事場所で懐石弁当でも出せばいいんじゃないか、くらいのアイディアしかなかった私に対し、「レンタカーで丸ごと移動し、ランドマークの鉄板焼『よこはま』の部屋を借り切って食事会とする」という、誰にも思いつかないアイディアを出し、さっさと実現して大好評を得た。「みなとみらい」という普段はあまり訪れない地で鉄板焼ステーキなど新鮮なところが気に入られたのに加え、我々にとってもその辺にあるやたら高い仕出し懐石弁当に比べると半分近くの費用で済んだ優良施策だったのである。

「今回も『鉄板焼よこはま』じゃあ、能がないよねえ・・・」母のために祝ってやることは決めたものの、相変わらずノーアイディアの私はどんなイベントがよいか考えあぐねていた。何年ぶりかの同窓会と同じで従兄弟たちの連絡先からして中々つかめないところもある。自分の母の祝いに集まれとも言いにくいので、「●○君の結婚を機会に従兄弟会をやろうと思うがどうか?ついでに母の●寿の祝いもやりたいが、叔父叔母と連絡をとってはくれまいか?」みたいなメールを送ってみた。皆そこそこの年齢になって落ち着いているから、すぐにあちこちから返事があり、ぜひやろうということになったのである。無反応だったらこの辺で連絡つく人だけでもと思っていたが、ほぼ全員集合するとなると遠方からの人もいるから何か「ならでは」のことを考えないといけない。

中華街、ホテルの最上階、有名レストラン、屋形舟・・・時間帯や予算、集合人数などを考慮し、妻の弾き出した答えは「横浜港ランチクルーズ(個室・飲み放題付き)」である。二つあった候補からちょうど良さそうなメニューのあるコースを決めた。交渉下手な私に代わり、コース予約や個室部屋の確保、予算調整などは妻が行ってくれ、私は出欠者の確認と分担した。納涼船や屋形船、個人でのディナークルーズは何度かあるが、団体の個室貸切クルーズなど初めてだ。40人まで入れる個室でコース料理は中華、飲み放題付き、小学生は点心コースに幼児はお子様ランチという設定だ。

さすがに要領がよくわからないので、2次会の店探しなども含めて遊びがてらあの辺を下見してみることにした。クルーズ船は大桟橋から出港する。横浜港大花火大会の絶景ポイントであり、以前は桜木町からも関内からもかなり歩かなければならなかったが、今は東急東横線が「元町中華街」まで伸び、「日本大通り」という最寄の駅ができたお蔭で渋谷やもっと先の埼玉からでも一本で来れるようになった。私は学生の頃、東横線を通学路線に使用していて、渋谷に繰り出したあげく帰りの東横線で寝過ごしてしまい、終点桜木町で「網棚の上で寝ていた」という都市伝説を持つ。(つまりあまり記憶にない)酔っ払って長椅子に横たわっていたら乗客が迷惑がって寄ってたかって網棚の上に乗せられた、と思っていたら、どうも目撃証言だとドア横のフレームから器用にずり上がっていったらしい。目が覚めたら目の前に「ほのぼのレイク」のクマの広告があった。その高島町駅も桜木町駅も東急線にはもうない。

      

港内に向かって左側(北側)にはみなとみらい地区の一望が見える。昨年オクトーバーフェストを開催したという赤レンガ倉庫には遊歩道で歩いて行くことができるが、新しくなってからまだ訪れていない。
大桟橋はいつの間にか巨大なウッドデッキ体となっていたが、その形状が何とも奇妙なもので、「平らで四角」にはなっていない。もはや横浜の一大観光スポットで「くじらのせなか」という愛称を持つらしいが、大型客船などが入出港するときは実によい眺めだろうと思われる。ターミナルは建物内なので言うなれば「くじらの腹の中」ということになる。屋上フリースペースからは横浜の古い建物として有名な「キング、クイーン、ジャック」を見ることができる。反対側にはベイブリッジに氷川丸&マリンタワーと言ったあまりこの辺に縁がない人であれば、これだけでも十分に観光することができる。

          

クルーズ時間が1時間45分と感覚的にはあっという間で、下船後少し物足りないと思われたので、ターミナル付近にある店でめぼしい2次会場所を探したが、中々条件に合うところが見つからない。何とか1箇所押えられたので、我々はそのまま昼飯を食いに久々の横浜中華街へ足を踏み入れた。(実はその後、妻が交渉の末、乗下船口横にあるハーバーカフェを半分借り切ってしまい、移動の心配はなくなった)4月のGW前の休日だが、いつも賑わっている中華街である。最近はテレビ番組でも紹介されているようで、ショーロンポウなど点心系のものを道端で食いながら歩くのが流行っているらしい。イマイチ品がないようにも感じたが、何せお腹げ激空いていたので、手頃な列のある店でショーロンポウセットを購入し、店の前で頬張ったら死ぬほど熱いが実に美味かった。

      

お粥の店は相変わらず行列が作られており、有名店もかなり混雑しているが、ちょっと路地に入ると「ランチセット」など1000円くらいで食べきれないくらい食える。ただし観光地化している飲食店街にありがちな「絶品というほどのものではない」。我々は見た目と安さに釣られ「激辛タンタンメン定食」の店に入ったが、半分「やられた」ような気がした。(やっぱり安記にしておけばよかった・・・)
「あぶない刑事」の港署となった加賀町警察の近く(善隣門だったかな)に「横浜博覧館」という新しい総合お土産センターのようなものができていた。1階が横浜所縁のお土産や名産物の販売、2階は先日テレビて取材されていた「ベビースターランド」である。各地方のオリジナル(北関東のソース焼きそば味もあった)のベビースターラーメンを取り揃え、工房では自分オリジナルのベビスタを作ってもらうことができる。ラーメンの素を油であげ、大きな塊りを作ってこれに味付けしバラバラにするのだ。つまりバラバラにする前(これはダメらしい)にもらってしまえば、普通のインスタントラーメンのように長い麺で食えるということか?!

        

実に興味深いところだったが、所詮はベビースター(ごめんなさいっ!)、長い列に並んでまでオリジナル作品を作るほどでもなく、ここでしか買えないTシャツを買うほどでもない。店内が「あの香り」で充満しているのもちょっとねー。。。。1階の大きなお土産ショップにも横浜関連の面白グッズが山ほどあったが、来ようと思えばいつでも来れるところではいつになく冷静になれるものだ。
以前、息子甘辛が幼い時に中華街で「キョンシー」の帽子を買ったことがあったが、むろん帰宅してから被ることもなく・・・日光修学旅行で「陣笠」を買ったように、滅多に来れない観光地の土産屋では帰宅してから「オレは何でこんなもの買ったんだろう?!」と頭を抱えるものが少なくない。ぐるーっと回って久々に関帝廟を横目に中華街を後にしたのだった。

  

さて約1ヵ月後GW明けのとある週末、天気は若干心配されたのだが見事晴れ渡り、母は姉妹と横浜ニューグランドに前泊、誕生日にプレゼントしたその日向けのアパレルとアクセサリーをつけてターミナルに現れた。子供も入れると総勢30名、普段あまり港横浜に足を運ぶことのない人たちだから、まず喜んでくれたと思う。中華料理+飲み放題だが1時間45分という時間は想像以上に短く、「おしゃべりに夢中になり過ぎて、ベイブリッジをくぐる時くらいしか景色は見ていなかった」という人が多かった。部屋では(リクエストしていない)生演奏サービスもあったが、当日誕生日だったというお嬢さんのお祝い以外は皆、あまり聴いていなかったようだ。客室係らしい女性が「船長の帽子」と「水兵帽」を持って各テーブルを回り無理やり被って敬礼させていたが、意外におばさん連中はノリノリで後からみたらすごくいい写真ができた。翌日、色々な人から「楽しかった。ありがとう。」というメールが来たが、どれも「奥さんの活躍が素晴らしかった」という労いが必ずついていた。まあ、途中からスパークして分からなくなってしまったが、今回のイベントはまさしくその通りであろう。

        

長嶋さんの「初めての還暦」同様、●寿の祝いは毎年はできないが、せっかくなので来年も従兄弟会で集まろうではないか、ということになり次期幹事を指名しておいた。今回、仕事の都合で来れなかった人もいるし、地方から参加する人もいるから次も「どこで何をするか?」趣向を凝らすのに頭を悩ませることだろう。皆、ちゃんとした生活をしているから、どんなエンターティメントが待っているか、それもまた楽しみだ。

母の日に天狗の寺

2013-05-17 23:18:13 | 旅行お出かけ
5月の第2日曜日は母の日である。デパートの婦人服コーナーやらアクセサリー、靴、ハンドバッグコーナーは「お母さんありがとう」の一色となり、会計では綺麗なリボンで商品を包んで渡すシーンがよく見られる。単なる傾向でしかないかもしれないが、母の日のプレゼントコーナーを闊歩しているのは私たちを含めて、社会人、家族連れなど「一定の年齢に達した人達」のような気がする。手持ち予算の関係(あるいは何か気恥ずかしい)もあるかもしれないが、中高生や学生風の人が熱心にプレゼントを選んでいるシーンをあまり見たことがない。かく言う私も今だと恥ずかしい話、彼らと同年代の頃は正直、母の日など気にかけたことはなかった。彼女自身もそれが当たり前だと思っていた(実際は違うかも)ふしがある。若くて元気なうちは「母の日」などあまり気にしないものである。

しかし、社会人になって、また世帯を持って、など色々なターニングポイントで実家を後にし、しばらく時を経て何年かぶりに実家に戻って母に会うと「年とったなー」と感じる時がくる。いつ頃からか私の場合、その時から「母の日」はスルーできなくなった。ほぼ同時に「何かする」と喜んでくれるようになった。何かプレゼントする時もあったし、どこかで食事をご馳走するときもあった。今年は毎週ほぼ欠かさない早朝竜泉寺の朝風呂の後、あたらしくやって来た「赤いライオン号」でドライブがてら大雄山の道了尊最乗寺へ行くことにした。正月と5月、9月に行くのがよいとしてきたようだが、寒くて道や階段が凍っている危険があるので、最近は正月に訪れることはほとんどない。竜泉寺からだと平塚を抜けて西湘バイパスを疾駆し大雄山線沿いに走るだけだ。天気もよいし赤いライオン号は滑るように西へ向かった。

このサイトでも一度紹介したことがある(たしか1年半くらい前?!)道了尊は、県内でもかなりマイナーなところだと思っていたら(何せ大雄山線という路線そのものを知らないだろう)、意外と色々な人が知っていた。子供の頃連れて行かれた思い出として皆が語るのは「天狗が恐かった」。来たい、と言って来たわけではないのに、ここでお参りすると天狗様に顔を覚えられてしまい、悪いことをした時に「どこに隠れても罰を与えにやってくる」という恐ろしい論法である。たくさんいる母方の従兄弟の中で何かにつけて悪さばかりしていた幼年期の私を更正させるために主に祖母がくると連れて行かれた。今でこそ自家用車ですぐだが、当時は車でなかったので小田原駅で乗り換え終点からはバスを利用することになる。大雄山線とは「恐い天狗の寺に行くための路線」と覚えていた幼い私はハイキングや遠足の雰囲気満載の明るいイメージをもった箱根登山鉄道に比べ「何故このような奇怪な列車が走っているのだろう?」と不思議に思っていた。

私が家を出てからも両親は年に何度か私の名前の御札で祈祷していたらしい。しばらく遠ざかっていたが、一昨年久しぶりに足を運んだのだった。なんだかんだであまり来なかったから今回は私も御札を頂いておこうと思った。「母の日」だから母の身体健全を祈願すべきなんだろうが、相変わらず母は私の名前で祈祷しようとしているし、お互いの名前でクロスで祈願しても妙な感じがするので、息子の名前で「成長安全」「学業増進」と願い事を書いて受付に出したのだった。受付であまり愛想のよくないおばさんが内容を確認したところで「んっ?生まれは平成●年?こりゃあ、おかしいですよ」高校生にもなるのにまだ本格成長モードが訪れていなそうな息子に「身体健全」ではなく、「成長安全」という言葉を選んだのだが、これはもっと幼い、せいぜい7歳くらいの子供の成長を願うものらしいのだ。奥にいたお坊さんがにこにこ笑いながら「親というものはねー。いくつになっても子供の成長は願うものなんですけどねえ。」さすが人格者という感じだった。

大雄山最乗寺は広大な境内でしかもかなり手前の鬱蒼とした杉の木エリアも含めて全山この寺の敷地だという。今まで気が付かなかったが大時計の隣りの藤棚は見事に咲き乱れていた。この時期は藤の花が見ごろという話を最近よく聞き、ブログやfbなどに載せている人を見て、私もちゃんとしたヤツを見てみたいと思っていたから、すごく得をした気分だった。ちなみに私が聞いた中ではグッチーの見に行った隣県A利市のフラワーガーデンがもっともすごい。白藤のトンネルが全長80mもあり圧巻だったらしい。藤の香りというのもよく知らないが何でも「不思議な甘い香り」がするらしい。こちらは下が池なので外からの眺めではよくわからなかった。グッチーの方は香りも含め素晴らしく見事だったそうだが、入場料が1600円とこちらも目一杯高い?!  

     

我々は前と同様両側に小天狗と大天狗の構える「結界門」をくぐりぬけ、御真殿に向かう。正面に結構な段数のある一直線の階段があり幼い時はいつも駆け上っていたのだが、今は母が高齢で危険なため左側から緩やかな階段をぐるーっと回るように上っていく。実は「世界一の和下駄」の手前にさらに300段以上の階段を上る「奥の院」があるのだが、どうもあまり訪れた記憶がない。何せただでさえ「結界」の内側で空恐ろしいところなので、二度と帰れなくなるような恐怖に怯えて「一番奥」などに足を踏み入れなかったのだろう。さすがに母もここを上ろうとはしない。真殿では小さなろうそくを天狗の団扇型?!の祭壇に灯し、お参りすることになる。この御真殿は朝晩の祈祷や日中の特別祈祷が修行される。

      

お参りを済ませると今度は反対側の階段を下りていく。ヒャクナゲだと思われるが鮮やかな赤い花が咲いていた。ちょっと無造作な感じだが歴史のありそうな二重塔の横を通り、結界門を通らずに本堂に方に戻ることとなる。ヒンヤリとして木々が鬱蒼と茂りいかにも「出そうな」結界エリアをぐるっと回って約15分〜20分、受付所に戻ると先ほどお願いした御札が出来上がっている。駐車場まで戻る途中にお風呂や住居とも思われる施設がある。実は人数を集めると宿泊して修行?することができ、これを参籠(おこもり)と言うそうで、母はその昔一度だけ経験したことがあるそうなのだ。食事はもちろん精進料理で、植物性の材料を使ったたんぱく質豊富なダイエット食として人気があり、結構繁盛(と言ったらバチがあたる?!)しているらしい。

    

私は残念ながらこの手の修行は経験的に極めて難しい。。。座禅やら瞑想、早朝の起床や掃除、日々のお勤めなどに堪え性がないわけでは決してない。単純に食事に必ずついてくる「漬物」が食べられないのである。高校の修学旅行では福井の永平寺に修行宿泊(誰も望んでいない?!)したが、料理の内容はともかく、「正座」「食事中は音を立てない」「(むろん)おしゃべりしない」そして当然あるのが「仏様の食事は米粒一つ残さない」という厳しい戒律があった。修学旅行の楽しい食事のはずが一転、私にとっては「最後に残したたくわんの一切れで茶碗内側の汚れを白湯と共に綺麗に拭き取って口に入れ、食事を完了する」という作法は拷問にも等しいものであった。(ちなみに深呼吸を3回くらい行って、最後に息を止め鼻をつまんで丸呑みした)

実は昨年から我が職場でも「新入社員はお寺に座禅修行に行く」という笑っちゃうような企画が持ち上がった。夏の盛りだったが「だるま寺」として有名な施設に一泊し「心を洗う」のが目的らしい。この手の「話の種」が嫌いでない私は行きたくてうずうずしていたが、「永平寺の悪夢」がよみがえりこのイベントだけは不参加とした。この手のイベントには引率者として狩り出されるグッチー談によると、社会人相手のコースであってもやはり似たような食事だったようだ。軽いお代わり分も含めて米が用意されていたそうだが、グッチーがたまたま座ったテーブルは女子社員ばかりで「(アタシ、もう食べられません・・・)」という彼女らの訴えに、御櫃の米を全部平らげることを強要されて思わず暴れそうになったそうだ。。。

赤いライオン号は道了尊を後にし西湘バイパスを再び東に向けて疾走した。午前中には母を送り帰宅する予定だったのだ。朝食と昼食の合間みたいな中途半端な時間になっていたから、両方兼用で茅ヶ崎サザンビーチの「ステーキガスト」に寄った。一人だとうどんとかお粥、パンなど簡単なものばかりで済ませているようだから、一緒に食事をする時は「丼モノ」「ラーメン」「ステーキ」などおよそ年配の人は食わないような「ガッツリ系」に行くことにしているのである。
こうして「母の日」はいつもの早朝竜泉寺朝風呂と一年半ぶりの道了尊に連れて行っただけだったが、実は本番は今週末にある。もう「寿」と名のつく節目を迎える母の祝いを兄弟、従兄弟連中で企画しているのだが、その話題は次の回に送るとしよう。

お台場一丁目商店街

2013-05-14 00:25:12 | 旅行お出かけ
ゲストルーム宿泊後、結構お台場のスポットを歩いて回ったが、公園や眺望スポットを除くとここが一番面白かった。昭和のレトロな雰囲気を全面に出してゲームセンター、なつかしグッズ、駄菓子、などの商店街がずらーっと並びこのエリアでは一番賑わっているようだった。甘辛は入り口にあった「遊技場」にあったビンボールゲームにハマってしまい、コインを消費し続けていた。私は私で10円玉を直接弾いて進める「新幹線ゲーム」や「国盗りゲーム」(三枝のではない)などで熱くなっていたが全てスカ・・・(以前はクロマティの打率くらいは当たったんだがなー)しかし店内には懐かしい看板やアイドルのポスターが所狭しと壁を多い尽くし・・・アイドル全盛期を過ごした私には「カンコー学生服」の「聖子ちゃん」はど真ん中ストライクだった。またこちらは懐かしのレコード(世代的にはかなり遡る)のジャケットが並んでいた。(何枚分かるかなー)

           

以前も書いたが高校時代、ドカン仲間クラスメイトでは「制服」という「赤いスィートピー」のB面の曲がダントツ人気を誇っていた。ちなみに低目に外れたボール球だが、「カンコー学生服」と言えば印象にあるのは聖子ちゃんよりも何故か男性服を着ている桜田淳子さんだ。中森明菜さん、早見優さん、掘ちえみさんなどの惜しげもない水着ポスターなどもあったが、何かイマイチ変態っぽく見えるので写真は撮らずにおいた。修学旅行のバスで女子チームがこの辺りのヒット曲はメドレーで歌っていた。松田聖子さんの曲は「白いパラソル」を合唱していたが、「違うっ!最新曲はこれだー」とマイクを持って私が歌ったのが出たばかりの「風立ちぬ」、その前に歌ったのが「酒と泪と男と女」だったから、バス内にはものすごいギャップ感が漂った・・・(女子は「あのヒト、聖子ちゃんなんて知ってるの?」という顔をしていた)

          

遊戯場から甘辛を引きずり出すと今度は「宝さがし」という店に吸い込まれた。何のことはない、巨大なワゴンに入っているいくつかの色と大きさ、重さを持つ箱を選ぶ福袋(この場合福箱?)のようなものだ。値段は小さい赤が300円、中くらいの青が500円、大小様々なゴールドが1000円である。中には色々なモノが入っているが、たまに「当たり」の紙が入っている時があり、ゲーム機やらソフト、ブランド時計などがもらえる大当たり箱があり、客はめいめい耳の横で箱を振って音を確かめたり、重さを感じたりしている。「父ちゃんよ、これ狙わねえか?」甘辛は大当たり景品表にあったゲーム機を指差した。大きなゴールド箱と中くらいのを二つ持っている。「他のはカラカラ軽い音がすんだけど、この二つはぎっしりだろ?重さも結構あるし、いけると思うんだよ」

我が息子ながら愚かなことだ。。。この手の宝探し(縁日だと紐を引っ張ったりするものもある)が福袋と決定的に異なるのはほぼ100%の確率で「やられる」ということなのだ。駅前の松屋の隣にある「王様アイテム」という自動販売機に1000円だした本人が言うんだから間違いはない。あの時は100円ショップで売っていそうな「オペラグラス」だった。。。「そんなしょうもないことにお金使うな」と妻は怖い顔をしていたが、気が付くと「オレ、500円だすからお前半分出せ」と甘辛に500円玉を渡していた。同じ「やられる」なら中途半端にケチるより1000円出した方がよい。(って言うか、当たる確率の上昇率が高い)しかし「それ見たことか?!」と言われたくないので、箱選びは甘辛に任せて自分は駄菓子屋を物色に行った。

縁日のくじで充てるようなおもちゃやら昔の酢イカの他、1個10円のあめ玉や15円の「餅太郎」などがずらりと並んでいる。おーっ「ボンタンアメ」発見!しかしこんなでかい箱初めてみた。。。さらに商店街奥へ進んでいくと、なぜか「お化け屋敷」が営業していた。お化けきらいの私は決して入ることはないが、結構人が並んで順番待ちしている。しかし幽霊に名前が付いているが、どういう意味があるというのだろう?商店街の一角には私が生まれた年くらいの一般的家庭の「居間」が再現されていた。小さな「ちゃぶ台」があり、三角形のブリキのアイロン、足踏みの黒いミシンなどが見える。白黒テレビには「夢の超特急」などというタイトルで昔の丸顔の新幹線がテープカットされていた。日本中が元気一杯だった「ALWAYS三丁目の夕日」の時代である。

      

その向かい側には今風のクレーンゲームが並んだ一角があり、甘辛が凝りもせず色々と手を出していた。「おい、さっきの宝探し、箱の中身どうだったんだよ」「んっ?あれか・・・変なぬいぐるみと電卓付物差しだった。。。まあ、『やられて』はいないかなー・・・へへへ」200%やられてんじゃんか!!!妻の冷たい視線が思い浮かぶようだ。「変なぬいぐるみ」というヤツは甘辛が学校に持って行くバッグに着けさせよう。かく言う私のリュックにも直径10cmある三面怪人ダダの顔をしたソフト小物入れが着いている。これはくじなどで「やられた」のではなく、「630円と思いカウンターに並んだらレジで1890円と言われ段ずれに気が付いたが気弱でキャンセルできなかった」結果である。そんな高価なマスコットを遊ばせるのも悔しいから自分への戒めとしてリュックに付けて歩いているのである。

      

こうして午前中から半日近くほぼ初めてのお台場を歩き回りそろそろ甘辛の集合場所に向かう時間が近づいてきた。私はこのエリアに足を運ぶには大崎から「りんかい線」か新橋から「ゆりかもめ」しか使ったことがないのだが、品川、田町、浜松町他様々なところにバスで行けることが分かった。時間の計算ができないから私は外出先でバスには乗らないのだが、だいぶ疲れていたので目の前のバス停から「来たバスに乗ろう」ということになった。最初に来たのは「品川駅東口行」だった。バスはお台場海浜公園に隣接するマンションエリアに一旦立ち寄った。公園目の前の大きなマンションは名称でいうと「都営台場一丁目アパート」というから素晴らしい。ギリシア語のような横文字に何でも「湘南」を付ければよいと思っているような近所の集合住宅は見習ってほしいものだ。どう見たって「●○駅前ハイツという名前が相応しいだろ?」という建物がたくさんある。

都営アパートの隣には「お台場学園」という伊代ちゃん、キョンキョン、ちえみちゃんが赤信号と一緒に出ていた学園コメディ(パリンコ学園NO.1)みたいなネームの小中一貫教育の学校がある。まるで近くにあるフジテレビを意識したような「もうちょっとマシな校名にしてあげないと児童が可哀想だよ的」な学校だが港区立というからこれまた素晴らしい。(もしかして公務員って名付けセンスがイマイチ?!)
正面には砂浜が開けていて、波打ち際で遊んだり寝転がっている人達が見える。甘辛のサッカー部は学校のグランドから「レインボーブリッジをランニングで渡り」その砂浜の端っこでダッシュなどトレーニングをしたそうだ。素晴らしい景観だが、目の前に広がる無限の海を見慣れた我々にとっては少し違和感がぬぐえなかった。アクアシティから東海道沿線行のバスは必ずレインボーブリッジ通過するそうだが、単なる通勤などで毎日あの橋を渡るというのもすごいことだと思う。見事なブリッジから遠ざかるウォーターフロントを眺めながら「たまに来るならいいけど、我々が住み慣れることは難しいなー」と話ながら品川駅に向かう我が家だった。大型連休最後の日はこうして過ごしたが、この後息子甘辛は同級生とカラオケ、私は帰宅してからスポーツジムで汗を流したのである。

お台場を歩く

2013-05-11 18:08:28 | 旅行お出かけ
つぶやきさん一家のマンションで超都市型スタイルナイトパーティを堪能した翌日、天井までガラス張りのゲストルームで私は目を覚ました。いつもなら明るくなると必ず起床してしまう私も、撃沈の翌日は内臓(特に肝臓)がストライキを起こしてる?と思うほど働きが鈍く、起き上がるだけでも一苦労である。テレビで前日の長嶋さんと松井さんの国民栄誉賞授与式の様子が放映されていてようやくはっきり目が覚めた。松井さんはともかく長嶋さんは「遅すぎる」というコメントが多く聞かれたが、ちょうどよいきっかけがなかったのかもしれない。番組のコメンテーターのテリー伊藤さんがドームで涙ぐんでいたが、「ミスター」のファンであれば誰でもそうなのかもしれない。(たぶん徳光さんもどこかでうれし泣きしていたことだろう)

長嶋さんの伝説は(都市伝説も含めて)色々なサイトで紹介されていて、今だに初めて見て吹き出してしまうようなエピソードが多いが、私が一番好きなのは(爆笑モノではなく)立教大学同期だった南海の故杉浦投手の引退試合(オープン戦)でお約束の三振ではなく「あまりにいい球だったのでつい打ってしまった」痛烈なセンター前ヒットである。脳梗塞で倒れた時は野球ファンの多くが心配したことだろうし、今回東京ドームに姿を現しその肉声を披露したのも、あの少し不自由そうな仕草からして結構重症だったらしく、知らないところでは色々なことがあったのではないかと思われる。松井さんが始球式で投げた球は緊張のためか内角高過ぎのボールだった。しかし記者会見で長嶋さんの「いい球なら打てた」というコメントとそれを返す「監督の殺気を感じた」という松井さんのコメントは「師弟永遠なり」というところだった。

さてそんなテレビ番組を見ながら高層階から外を眺める朝風呂に浸かっているとチェックアウトの時間がせまってきた。甘辛は学校のお友達とカラオケに行く約束をして、4時に学校最寄の駅に集合だそうだ。実は甘辛の通い出した学校とそのマンションは頑張れば歩いていけるほど近いところなのである。6時間も暇をつぶすのは疲れきっている私には辛かったが、このまま帰るのもつまらないだろうと、初めて「お台場」エリアを歩いて回ることにした。マンションからは公園内を通って最寄の駅まで歩き、わずかの時間で「ダイバーシティ」に到着してしまった。(今更のようだがすごいところだ)
私は超兵器を首から下げて完全なお上りさん状態(ってか、どうもそういう人ばかりに見えた)で、まずは等身大と言われる「ガンダム」を見に行こうとした。

  

フードコートで朝昼兼用の食事を摂って、どこにあるのか案内図を見ていたら一度行ったことがあるという甘辛は「大したことねえよ。ウルフェスの時、入り口にあるマン(初代ウルトラマンのこと)と同じくらいだった」と言うから(なーんだ、あんなもんなのか?!カフェとかがあって後ろから眺めたりできるとニュースで言っていたのだが・・・)と少しがっかりしていたら、身長18m!かなりド迫力の機動戦士が構えていた。
「あれれー、結構すげえなー。こんな大きかったっけ?」甘辛の印象というのも当てにならないものだ。私は360度ウルトラ戦士のアロハシャツを着込んでいたので、機動戦士シリーズに乗り込むのは道場破りのような気がして躊躇われた。ウルトラ系列はフジテレビやテレビ朝日でもないTBS系であったのも気まずさを助長した。何となく「ガンダムショップ」に入ったとき店内の目が白かったような気がする。

      

東側はまだ乗ったこともないが巨大な観覧車があるパレットタウンがある。「東京レジャーランド」といういまいちセンスを感じないネーム(実はこのエリア、意外にダサい名前が多い)施設がありボーリングやカラオケ、ビリヤードなどができるようだが、別にこの場で遊ばなくてもよいレジャーだから足は運ばなかった。以前「富士急ハイランド」で家族3人で観覧車に乗った時、ものすごい強風で運転中止寸前の時があり、下手な絶叫マシンよりも恐ろしかった記憶がある。実は3人とも当時の様子を鮮明に記憶している光景がある。「何てったってあん時は、ドドンパが超スピードでスタートしたのにタワーを途中までしか登らずに逆戻りしちゃったんだもんなー」甘辛談である。それ以来、何となく家族で観覧車に乗ろうということが無くなった。。。

  

ダイバーシティを出ると、いつもは通り過ぎるだけの高速湾岸線をわたりフジテレビ本社へ歩いてみた。「みちのく合衆国」というイベントが開催されており、仙台の牛タンを筆頭に東北の「うまいもの」がずらり屋台に並べられていた。何とか東北のために復興支援したかったが、前日のスパークが尾を引いてどうしても「試しに食べてみる」気にならず、妻が気に入ったTシャツを1枚購入するに留まった。自分が家でテレビを見る時間に出会っていないだけかもしれないが、最近の民放のバラエティってお笑い芸人や人気タレントがドタバタ騒いで自分で遊んでいるだけに見えあまり「知性」を感じないので、その筆頭とも思えるフジテレビ自体への興味も薄かったのだが、ここに足を運ぶ機会そのものがもう無いような気もしたので、建物内を見学して行くことにした。

      

まずは社屋上部中央付近にあるヤマトの全天球レーダー室のような球体だ。これは「はちたま」と言い直通エレベーターで昇るが中は展望室になっているらしい。福山雅治演じるガリレオの「帝都大学物理学科」のセットが展示されていた。甘辛は数々の光の数式が流れるスタジオセットで記念撮影したが、舞台で白衣を着て撮影する「なりきりコーナー」はスルーした。(私も彼も自分の白衣を持ってるからな)レインボーブリッジから東京タワー、スカイツリーから転じて新しくできたゲートブリッジなど眺望は360度素晴らしい。他にもそこでしか買えないお土産アイテムがたくさんあった(例えば「はちたま」のお菓子とか)。笑ったのはここを借り切って行う「プロポーズプラン」があることだ。名前が何と「球婚」!・・・色んなことを考えるものだ。

            

球体の下の階は朝の「めざましテレビ」のセットが展示されていた。かなりケバケバしい形のスタジオセットだが、窓の向こう側にさりげなくレインボーブリッジやスカイツリーが見えるところがすごい。壁には生出演したゲストのサインなども飾られている。「番組収録のため、ご覧いただけない場合がございます。」とあるところを見ると単なる展示セットではなく、実際に撮影に使われているようだ。帰りのエレベーターで7階の屋上庭園まで戻り、建物内に入ると「きっかけストリート」という見学コースを回ることが出来る。放映中または過去の番組で使ったグッズや人物紹介図などが壁に展示され、内側からは収録スタジオを上から眺めることができる。うまくタイミングが合うとホントの番組を収録している(当たり前か!)シーンを見ることができるそうだ。妻は以前、明石家さんまさんを見たという。。。その日は「志村けんの・・・」何とかいう番組の準備中だった。(ちなみに撮影は禁止)
人の少ない薄暗いスタジオを見て「まるで『第四惑星の悪夢』だよな」と甘辛に囁くと「ロボット長官かよ」(この会話の分かる人は見学者にはたぶんいないと思われる)

           

一通り見学を終えるてもまだ甘辛の集合時間まで3時間近くあり、今度は向かいの「アクアシティ」に行ってみようということになった。駅前でタダ券を配っていた「錯覚美術館」という展示物に入ってみた。「麺祭り」というご当地ラーメンの催しがあり、札幌・旭川、博多、京都、大阪、勝浦(なぜ?)の有名店が軒を連ねていたが、どれも具ばかりドカドカ乗っている普段北関東では食べ慣れた●テモノっぽく、深酒の後には辛いようだったのでスルーした。フードコートで水分をとりながら一休みしていたら甘辛が退屈しだしたので、隣りの「ジオポリス」へ行ってみようということになった。室内のアトラクションはほとんど経験がないが、遊園地と同じ入園料と乗り物券が必要で、ちょっと時間つぶしに入るにはずいぶんお高い。我々は隣りにある「お台場一丁目商店街」を歩くことにしたのである。
(意外にも長くなってしまったのでつづく)

  

超都市型スタイルパーティ

2013-05-08 23:25:02 | 出来事
大型連休後半、インターハイ予選で早残念ながら早々とサッカー部が負けてしまい、珍しく息子甘辛は4連休ともオフになった。早速中学時代の近所の友達やら今の同級生らと盛んに連絡を取り合い急がしそうだ。今、「LINE」というコミュニケーションが流行っているらしく複数の自分で立ち上げたらしいモノも含めて複数のコミュニティでつながり、年がら年中スマホいじりに余念がない。食事と寝ている時以外は大抵連絡を取り合っている。大体呼んで来る人は「その時一番ヒマな人」のことが多いから、常に「LINE」にハマッっていると自然にそのレベルに合ってしまうことに早く気付いて欲しいものだが、ゲームなどではなく「コミュニケーション」を取り合うスタイルとしては悪くないから、あながち否定するわけにもいかない。

5日の「子供の日」には、ご自身はもう休眠してしまっているが、ネットには「ブログ」なるものがあることを私に知らしめてくれた「つぶやき」さんからお誘いをいただいた。それまでは県北部と東京の境あたりにお住まいだったが、何と我々には全くと言ってよいほど縁のない「ウォーターフロント」に引っ越されたのだ。以前のお住まいもお洒落で住みやすい間取り(実はここでスピリチュアルヒーリングの先生にお会いした)だったが、駅からかなり距離があり「横倉のカベ」のような坂を上らなければならないし、エリアとしては南関東に位置しているのに恐ろしく寒い。。。時々不思議に思うのだが、全国レベルで見るとかなり「暖かい地方」に丸ごと入る市内でもCho後辺りに行くとものすごく寒く感じる。誰もが「温度差2℃はある」と言い切るのである。体感温度の問題なのか?!

つぶやきさん一家は昨年「お台場までスープの冷めない距離」にある高層マンションに移り住まわれた。何でも一足先にお泊りに行った妻と甘辛によると、「空気が澄んでいると富士山が見え、夜は夜景が美しい」ということだ。部屋から子供でも歩いて行ける距離にJR、私鉄、地下鉄の駅がいくつもあり、我が家にいらっしゃるにも新幹線で大阪まで行くにも、都内はおろか近県に無数の路線網が張り巡らされているし、航空機や水上バスまで発着場まですぐ、と言う陸海空全ての交通が発達した銀河鉄道999で言うところの惑星ヘビーメルダーのようなところだ。周辺にも公園や商業施設が充実し、あまりにも便利なために自家用車を持たない家族も結構いるという。

  

年末に集合させてもらう同級生のおうちもマンションである。どこもセキュリティロックがしっかりしており、号室番号を押して内側から「はーい、今開けます。ガチャっ」とされないと建物内にすら入れない。当たり前の話だが駐車場からだろうが駐輪場からだろうが、鍵がなければどこからも入れない。(意外に背後霊で入れたりするのが問題なのだが)酔っ払って帰りに建物内で迷子になったらアウトである。ちなみに以前住んでいた社宅は集合住宅には変わりないのに明らかにノンセキュリティでドアの前まで誰でも行けた。全く同じ顔つきのドアなので、酔っ払って階数を間違えないように各階のドアの色が異なっていた。(と自分では解釈している)

さて「つぶやき」マンション(仮称)はさらにシティライフを極めるスタイルになっていて、何とエントランスに高級ホテルのようにコンシェルジュがおり、ちょっとした日用品が変えるミニコンビニ店もある。広々としたロビーは待ち合わせスペース、談話スペースなどがある。このエントランスホールでは映画の撮影なども行われるらしい。岡田将生さんに会釈されたり意外にデカい長澤まさみさんを目撃したそうだ。以前、私の勤務していた浜松町の某ツインビルでは仮面ライダーのロケを行っていた。ただのオフィスビルなのだが、双子のビルの並びと真ん中のホールがカッコイイからか、「音楽講堂」という設定で撮影されていた。こちらのマンションでは(たぶんパーティルームだと思うが)何と一室が「潜入捜査何とか」の殺人現場として撮影されていたそうなんだから筋金入りだ。ドラマの中のニュースで「高級マンションで資産家刺殺」というテロップが流れていたという。。。

  

今回の「こどもの日」はいつもご一緒する社宅時代のお友達家族が集まって、この「現場」でパーティをさせてもらえることになったのだ。子供は高校生から小学校2年のお嬢さんまで割りと均等にいるが、珍しく全員が集まると必ず鬼ごっこが始まる仲良し達だ。すごく広いルームで窓からはレインボーブリッジやウォーターフロントが一望できる。冷蔵庫、ガスコンロ、バーのカウンターやゆったりとしたソファや宴会用テーブルなどが完備されている。我々は近くのスーパーで手分けしてお酒や料理を買い込んだ。以前は一品持ち寄り形式が多かったが、花見や宴会などでこれを行うと、面白いようにおかずがダブる時があり、炊き込みご飯や焼そばを死ぬほど食わされる羽目になるから、今後はこのスタイルにしようということになった。
「ここが殺人現場の撮影で使われた部屋?窓際に人型の白いマークとか③とかいうマーカー置いとこうか?」などと笑ったが、実はほぼその人型マーク(道路だったら白チョーク)どおりの姿で撃沈する羽目になるのである。

一番年下となるつぶやきさんのお嬢さんはお姉さん達が来るのを楽しみにしていたそうで、大喜びだった。このお嬢さん、つぶやき夫妻の血を引くだけあって、「天才」としか言いようのない輝きを見せる。
●まめやたねについて、あなたがしっていることをかきましょう・・・「えだまめはつまみにするとおいしいよ」
(もし〜なら・・・という言葉を使って文を作りなさい。という問題に「もしもし奈良県の人ですか?」と書いた甘辛よりもさらに上を行く)
●好きな芸能人・・・キンタロウ
●「引」という字を使ってことばをつくる・・・「さんまさんは引きわらいをする。」
(明石家のことだよなー。踊るさんま御殿で「はっはっはぁー」と息を吸って笑うから?それとも出演者のコメントにドン引きして苦笑いするから?)
●こんなじぶんになりたいな。あなたのゆめをおしえてください・・・・デェゼイナー
(甘辛は無邪気にも「恐竜戦車」と言ったのに比べると、発音も本場仕込のようだ)
全く素晴らしいの一言に尽きる。子供とは大人の想像も届かないくらいの発想をするものだ。

夜も更けてゆき・・・窓の外の景色も見事な夜景となってレインボーブリッジもライトアップされた。「トゥナイトⅡ」のオープニングのようなシーンだった。普段うちのリビングのような大して広くないスペースで小さなテーブルを囲んでの宴会に慣れているせいか、時間が過ぎてくるとテーブルの隅っことかカウンターの狭いスペースに集まって談笑が続く。実に贅沢な時間だと思うのだが、中々テレビのようにカッコいいパーティとはならないものである。
パーティルームを出てつぶやき家で2次会、さらに我が家は事前予約してもらっていたゲストルームに泊まらせてもらった。パーティルームのすぐ横の部屋でこれまた天井までガラス張りの「夢の部屋」である。浴室まで窓に面しているので風呂に浸かりながら夜景を楽しむこともできる。(残念ながら撃沈しての帰還だったので夜景風呂は経験できなかった)

    

ロケーション、景色、便利さなどどれをとっても経験したことのない、羨ましい限りの最新都市型ライフスタイルだったが、残念ながら我が家の家人にとっては(たまにならいいが)、日常として堪能するのは難しいだとうというのが大方の意見である。何せ「汚す」「忘れる」「高い所が好きでない」この反都会要素が見事に三拍子揃ってしまっているからである。雨の中でドロドロになってサッカーやってくる甘辛はあんまり着替えとかを持たずに自然乾燥に任せているし、私が海から帰ってくると妻がダイソンのコードレスクリーナーを持ってついて回る始末では、エントランスでブロックされてしまうような気がする。甘辛が鍵を忘れることなどザラでしょっちゅう叱られながらも「秘密の出入り口」から家に侵入しているし、戸建てですら「家が分からなくなる」私は高い確率でコモンスペースで寝入ってしまい、「殺人現場」と勘違いされるのがオチだ。

      

しかし連休後半になって素晴らしい経験をさせてもらった。あのお友達家族とはいつまでも仲良しでいたいものだ。子供はどんどん大きくなっていくが、まだまだ受験とか就職とか(結婚はまだかなー)共通の話題が多く、子供は子供で普段とは違うお友達関係が新鮮な様子だ。その子供達の生まれた時からの姿をみんな知っているから話題には事欠かない。
皆さんお疲れ様でした。これから毎年子供の日はウォーターフロントでお洒落にパーティと行きましょうか

ペアでキス船に乗る

2013-05-06 21:31:35 | 旅行お出かけ
GW後半、どこかに手軽に出掛けようかな、と新幹線でスマホを見ていたらたまたま釣り船のサイトに行き着いた。茅ヶ崎港から出船する「●ごうの丸」で、いつかF横で釣行模様をレポートしていた船だ。本格船釣りはゴルフ同様20年前くらいに遡ってしまうが、どうもあまりよい記憶がない。船頭はがらっぱちで怖いし、周囲はベテランっぽいのばかり・・・オマツリやオモリのビシを海底に引っ掛けたりして迷惑をかけるのもためらわれ、釣れるには釣れるがこの調子で6時間以上も洋
上にいるのは正直飽きる。。。何人かのグループでもなければ、一人でどんどん切り込むことができないハードルがあった。前に行ったのが「カワハギ」で冬場の早朝、手をかじかませて凍えながらアサリの身を剥き、丸半日海の上で悪戦苦闘の末釣れたのが明らかにまぐれの4枚・・・他の人は20枚以上はざらというのに、「カワハギのデリケートなアタリの分からない万能竿を持ってきてしまった」のが敗因である。翌日のスポーツ新聞の釣り欄に「茅ヶ崎・カワハギ●●丸4~37枚」と書かれてしまった。(オレ、ダントツの最下位かよ・・・)
ちなみに気の毒に思った友人が自分の獲物を分けてくれ10枚持ち帰ったが、むちうちで首にガードルを巻いている妻に下ろしてもらったため、今でも恨みごとを言われる。(味はもちろん最高だったが)

直近は10年前くらいに息子甘辛と乗った片瀬港から出ている親子キス船だ。釣行時間は普通の半分で朝も早くないし、昼前には戻ってこれる。確か同じGW頃だったと思う。白キスやメゴチなどがたくさん釣れ、家で天ぷらにしてもらい美味しく食べられた。今回の企画はそれよりもさらに短く、出船は12時の2時間コースだ。これなら散歩気分で行ってこれるし、どんなコンディションでもそれくらいの時間なら我慢できる。甘辛は友達と出掛けるみたいだから試しに妻を誘ったら、どうやら行く気になったらしい。(コマセを使わないから車が臭くならないことを強調した)
実はコマセは使わぬがエサは(世にも不気味な)イソメであることは黙っていた。直前になって「エサはイソメなんだけど、オレが付けてやるから」と拒否反応をかわしたのである。

バカでかいビニール袋を用意して「道具は全部これに入れろ」という指示に従い、赤いライオン号は10分ほどで茅ヶ崎港に到着した。GW限定親子キス船だから親子、家族、孫連れが多い。ちなみに一人だけというのもOK。2時間コースだが女性と子供は1500円だから下手な管理釣り場よりも安くて手軽だ。仕掛けだけ持って行けば竿にリール、天秤など道具は全て無料貸し出し、エサと氷もくれるのでクーラーBOX一つで海に出られる。船は結構空いていて5,6グループというところである。我々は右舷の真ん中に陣取り、妻にとっては船釣りデビューとなる親子ペア船は12時前には出港した。ちなみに彼女が船に乗るのはハワイ島でダイビングクルーズ船に乗って以来だそうだ。

     

何度も行ったがほとんど釣れた記憶のない茅ヶ崎港堤防を後にして、船は一旦江ノ島方面を目指した。前日に波乗りに出たが全くと言ってよいほど波が無かった。風もなく天気は快晴、相模湾を海から一望でき東は烏帽子岩礁に江ノ島、西は大山から箱根の山々・・・残念ながら富士山は見えなかったが景色も最高だ。これなら遊覧船として乗っているだけでも気持ちよい。以前、釣り船を使用して午後の5時半に出船、相模湾(内湾)を一周した後所定のポジションで日没時に太陽が富士山のてっぺんに沈むという「ダイヤモンド富士」を楽しむツアー(一人2000円)が企画されたが、参加者が集まらなくて中止となってしまった。

      

15分ほど走って、船は海岸からそれほど遠くないところに停泊した。「どうぞー。一旦重りを底まで落としてから竿を上げたり下げたりして誘うんですよー。絡んじゃったらさっさと切っちゃってくださいね」F横でも取材していたが、この店は女性や初心者にも丁寧に教えてくれる感じのよい人達だった。仕掛けは船釣り用だがそれ以外は防波堤のチョイ投げと全く同じ要領である。私は2本分の竿に素早く仕掛けとエサを付け、海に落とした。投げ釣りだと重りと仕掛けは海底をずるずる引きづってくるのだが、船だと上下に誘うものらしい。私は新江ノ島水族館で見たキスの泳ぎを思い描いていた。確かに海底にへばりついているわけではなかった。

  

「おっ、何かきた」妻がリールをぐるぐる巻き始めた。驚いたことにこの船のヒット第一号は彼女だったらしいのである。海面に浮かんできた重りの下に小さな白い魚がひらひら着いていた。ヒイラギである。江ノ島の周辺でチョイ投げすると大抵は釣れる10cmくらいの魚で平べったいから食べるところがほとんどない。一旦釣れ始めるとエサ取りのようにバカスカ食ってしまうので要注意魚でこれには妻も苦笑だった。30分くらいエサを投入しただろうか・・・私も2枚くらいヒイラギを釣った。他の釣り座でもポツポツが上がっているようだが、本命はさっぱりのようだ。「んっ?」私の竿に小さいアタリがきて上げてみると本船第一号の10cmくらいの小さなキスだった。「ちょっと船動かすので、仕掛けを上げてくださーい」船頭さんのアナウンスで皆一斉にリールを巻き始めた。

船はさらに沖へ進み烏帽子岩礁のすぐそばまできた。ここまでくると岩礁で釣りをしている人の姿も分かるし、近くに釣り船も何隻か見える。水深もさっきに比べるとかなり深いようだ。「(ヒイラギならわざわざ洋上に出なくても港から釣れるよな)」と囁いていたら、船の後ろに陣取っていたグループ(おじいちゃんとパパと孫二人)に歓声が上がった。20cm以上はある見事な大きさのシロギスを一番小さい孫が釣りあげたのである。船頭さんがにっこりやってきて(HP掲載用だろうか)大喜びで魚を持ってピースサインする子供のパチリと撮っていた。その後反対の左舷で小さな女の子が歓声とともに大きなキスを釣り上げ、先頭付近でお母さんと二人で来ていた男の子は中くらいのキスをダブルで釣り上げた。

      

そして私にも待望の1匹目がやってきた。中くらいの大きさだが天ぷらにするには十分である。そしてあちこちでキスが上がり始めたのを見て「どうやらこの辺にはたくさんいるようだぜ」妻と張り切ってエサを落としたが、私はちょろちょろ釣れるのにどうも彼女にはアタリが来ない。エサを付けるのは私なので結構慎重につけて「これなら完璧だからやってみ」と私の竿と交換すると妻が持っていた竿にアタリがやってくる始末・・・そのうち私の竿にたぶんその船で釣れた最大級のキス(推定25cm)がやってきた。「もしかして下手なんじゃないの?」と冷やかしながらも「もう懲りた」と言われるとこちらも色々都合が悪いから「(早く彼女も釣れてくれ)」と密かに神頼みしていたら、それが通じたのか待望のアタリがやってきた。そして立てつづけに3匹くらい釣り上げ3匹目は私の次くらい見事なキスだった。

      

「本命のキスが1匹も釣れなかったら甘辛に『ヒイラギの鳴く頃に』とか言われるところだった・・・」取りあえず家族で晩御飯にするのはまずまずの量でホッとした。「船長も親切な人だし、●ごうの丸いいよねえ」実は今回のペアキス船は次回、ライト五目という釣りに挑戦するための偵察だったのである。二人で釣行してあまりにバカスカ釣れても食べきれないから、本格船釣りは私一人か、友人と行くことになる。店の雰囲気や船頭さんの気性、客の身なりなど様子が分かれば次から一人で行くことができる。赤ライオン号が魚臭くならないように、大きなビニール袋でクーラーと道具入りのリュックはくるまれていた。

  

我々は疲れを取るためにスーパー銭湯に寄り帰宅した。2時間そこそこの釣りではまずまずの釣果である。妻は手早くキス、コチ、ヒイラギを捌き、天ぷらにしてくれた。エサを付けるのは私の分担だが、食べる時は妻の独壇場である。甘辛はタイミングよく帰って来てホクホクのキス天ぷらにありついていた。スノボやサーフィン、釣りも自然が相手だからコンディションによっては苦痛でしかない時もある。今回はデビュー戦としては最高のコンディションだったと思う。夕方●ごうの丸のFBを見たら、最初に釣った子供の大きなキスが写真に載っていた。私のキスの方も中々の大物だった(大人げない)が、残念ながら子供の日だからスクープは譲ることにしよう。

            

記念日に赤いライオン来たる。

2013-05-01 22:55:20 | 旅行お出かけ
妻の気に入った車を「顔と色」で選んだ、我が家4代目の自家用車だが、奇しくも納車日は我々の1X回目の結婚記念日となった。(たぶん交渉した妻がそう仕向けたんだろう)ディーラーまで1時間以上かかるので、GWの初日に道路の混雑も予想され内心は「宅急便みたいに時間指定で持ってきてくれりゃーいいじゃねえか。下取りのムーブ君に乗ってやって来いとは高飛車だなー。この辺が外来種ってとこか?」と苦笑いしていたら、どうも「納車式」なるものがあるという。。。わざわざ「式」なんて仰々しいネーミングつけるとは何かのイベントなんだろか?もしや「●ヨタレクサス」であると聞いた(都市伝説かもしれないが)「真っ白なテーブルクロスの『キーお渡し専用デスク』で記念品贈呈とともに店員が列を作って最敬礼?!」的な、昔のアンナミラーズ自由が丘店での誕生日祝いに匹敵する超恥ずかしセレモニーではあるまいな。。。

納車の日早朝、ムーブ君としては最後となる「母を乗せて竜泉寺に行く」仕事を片付けた。車内にあった色々な物は全て片付けられ、内側も外側も綺麗に妻が掃除しいた。総走行距離は約9万9700km、地球を2周半、光が0.3秒で進む距離である。我が家の足としては最もたくさんの距離を乗り回した3代目だが、まだまだ外見は綺麗で(ちょっとだけ擦った後があるけど)これまで故障や事故もなくまだまだ乗れる車だと思われる。竜泉寺から帰ってきた私は何となく寂しくなってきて、油性のマジックを持ってきて(誰にもわからないだろう場所に)小さな文字で「ありがとう」と書いておいた。納車式の約束の時間は午前11時だったが、色々ぐずぐずしていた上に渋滞にもはまって約40分遅れて青葉台のディーラーに到着した。

満面の笑みをたたえて我々を担当した営業マンが近寄って来て・・・「このたびはまことにありがとうございます!こちらがご用意した新車でございます。ただ今書類についてご説明しますので店内でお待ちいただけますか?」納車式と聞いて店内に展示・装飾でもされてるのかと思ったら、いきなり駐車場に置いてあった。黒や白が多くブルーがたまに出回るが、「赤」は中々現れない中古車に混じって山口百恵さんの「プレイバックPartⅡばりの「真っ赤な・・・」4代目とのご対面であった。「New Car」と書かれた部屋があり、「あの部屋で
キーを受け取って、一通りの説明を受けた後、店員に見送られて前方のゲートが「西部警察のスーパーZ」のように開いて、そこからそのまま乗り発つことになっていたようだが、時間が過ぎてしまっているので「式」ではなくただの「納車」になってしまった。(多少やって欲しかった気もした)

  

ただ次の予定がせまっていてあまりセレモニーの時間が無かったのも確かだったので、初めて駆るライオンエンブレムの「ネコ脚ビハイクル」でみなとみらいを目指したのだった。私達は結婚記念日は「結婚式を挙げた場所」で過ごすことが多い。青葉台からみなとみらいは同じ市内だから距離は大したことはないし、連休初日にしては一般道が空いていたのだが、カーナビというものを使ったことがない私達にとって、2人して緊張の連続で駐車場に置く時は「今日、免許取り立てなんです」的にへとへとになっていた。車体幅は30cm近く広がってしまったし、トルクがあるからアクセルをちょっと油断して踏み込むと「ブウォーン」とロケットのように加速してしまう・・・Kで10万キロも乗ってきたので当たり前かもしれないが、滑るような素晴らしい乗り心地だった。「ネコ脚」という名前にぴったりの道路に吸い付くような足回りでデコボコの吸収効果がハンパでない。大昔「ガリア」と呼ばれたその国は道路の舗装がゲルマニアほどよくなかったため「足回りが柔らかい」という店員の主張はあながち間違ってはいなかったようだ。

何度か道を間違えたが(感覚に頼った方が早かった・・・)甘辛をよく送迎したマリノスタウンを過ぎ、スカイツリーも完成して高さだけではそれほどすごくもなくなった「そびえ立つビル」が見えてきた。天井にある「ガラスルーフ」を開けるとその最高階までばっちり見え、「おおーっ」と我々は歓声をあげたものだ。GW初日の昼ということもあり、タワー棟の駐車場入り口は全て「満車」だったが、そこは毎年訪れているベテランの我々である。駐車場係の人に「あのぅ、もうじきレストランの予約時間なんですが・・・」と言うと、必ず入れてくれる。挙式の際にシーズンなので「車が満車で駐車できないことなんてないよね」と心配する我々は「何台分かこういう者のために確保してあるからOK」と聞いていたのである。今回は68Fのフレンチレストラン「ル・シエール」である。和洋中に鉄板焼といくつかあるこのビルンのレストランの中で我々にとっては年に数回の高級店だが、新婚数年はディナーをとっていたところが、甘辛が生まれて10数年は入れなくてランチに甘んじていた。

  

いつもは息子甘辛の好きな鉄板焼「よこはま」だったのだが、もう彼も部活が忙しくて一緒に過ごすこともなく、二人の記念日に逆戻りしたのが今回で、「じゃー久し振りにフレンチで行こうぜ。新車でさー」という日だったのである。出張時の航空券を何十万円分も立て替えてくれた若手女性社員と先日早朝から私を拾ってゴルフ場まで連れて行ってくれたトミーへのお礼に御菓子を買い込み、世界最高速のエレベーターに乗り込むと一気に68Fまで上って行った。フレンチのル・シエールなんて何年ぶりだろか?ちなみに景観の方向から行くと日本食が横浜港正面、中華が桜木町と富士山、フレンチが横浜港と横浜駅というところである。昔のガラ系携帯を模した●コモのメディアタワーが眼下に見える。

      

連休初日ということもあって、予約がぎっしり一杯でコース料理も前もって決めておくスタイルだった。オードブルとスープを選び、飲み物は妻が赤のハウスワイン、私は史上2回目のノンアルコールビールである。運転する私は水で全然よかったのだが「乾杯の気分が出ない」と注文した。
結婚一周年で張り込んでディナーにやってきた際、「せっかくのお祝いの日ですから、食前酒などをお持ちしましょう」という給仕ににっこり笑ってうなずくと、素晴らしく美味いシャンパンを持ってきたのはよいが、後で勘定を見たらヤクルト2本分(90cc)の細ーいグラスで1杯2000円!記念日サービスかと思って「注文したつもりはなかった」のだが、しっかりつけられていた。完全な小市民≒お上りさんである。
オードブル&スープのチョイスは私がフォアグラとコンソメ、妻はエビのテリーヌと温野菜だった。こういう時でもなければアルコールフリーのビールなど決して飲まない私だが、食前の炭酸とは意外と食欲を湧き立たせるものだ。料理をレポートする習慣がないのでせめて画像だけでもと思い、来た皿は全部写真に撮っておいた。

          

何となくパートナー会社の知人とパリ&グルノーブルを「おっさん二人旅」した時にパリで入った小奇麗なフランス料理(って当たり前か!?)の店を思い出した。ミシュラン何とか星とか言う高級店ではないが、店員はほとんど英語をしゃべらず(もしかしてイジワルして?)身振り手振りで意味が分からないメニューの解読に苦戦していた。食前酒にはビールにしたが、他のテーブルでメニュー待ちで飲んでる人がいたから、この「とりあえずビール」というのは「あり」らしい。

最も訳のわからないワイン選びだが「 I'll let you decide.」(そんな言い方すんのか?)で切り抜け、一応のコース料理は進んで行った。途中で山のようにチーズの入った小型ガラスケースをガラガラ持ってきて選べと言っているようだった。「これとこれとあれ」みたいに指をさすと結構な量の塊に切ってお皿に乗せてくれた。デザートになって飲み物を聞きに来た店員に、ワインで結構いい気分になった同行のビーノさん(仮称)は「おれ、ウィスキー」とかました。もっといい気分になっていた私はすかさず「じゃーオレはビールね」。。。まだたくさん残っているチーズをつまみにしようと思ったのである。ウィスキーはともかく「ビール」と聞いて明らかに怪訝な顔をしている店員に私は赤い顔をして「我が国には『ビェールに始まりビェールに終わる』という食事カスタムがあるんですよ」と舌も滑らかな英語をかましたが(仏語でビールはビェールという)にこにこ笑いながらたぶん分かってない店員は戻って行った。小声でビーノさんは「(そんな習慣ねえだろよ・・・」とつぶやいていた。

さて、こちら68F階の食事は色も鮮やかなデザートがやってきた。様々なベリーに色んな加工を施したものだ。「なあ、これヘビイチゴじゃねえよな・・・」黒っぽい小さい粒を指差して囁いたが、妻は笑って聞こえないふりをしていた。何か懐石もフレンチも見た目は美しく芸術的に飾ってあるが、どれもちょびっとずつしか盛ってこない。どう考えてもフォーク一刺しの一口で余りある破片をご丁寧にナイフで切り刻んで食べるのが回遊魚系の私にはどうもテンポが合わないのだが、パンは色んな種類のものを食べ終わるとすかさずお代わりを持ってくるので、乗せられるままに食べているとかなりの量を食べていることになり結構満腹になる。時間をかけて食事中の会話も楽しむということをあまりしない私はひたすら食べ続けることになるからだ。

  

店を出て2階エレベーターで昇ると我々が披露宴を開いたバンケットルームがある。何となれば忍び込んで記念撮影でもしちゃおうかと思ったが、どう考えてもこの時期、この時間に空いているわけがない。。。しっかり他の人の披露宴の真っ最中だった。我々は目一杯満腹で晩御飯のおかずを買っていこうなどという発想はおきなかったのだが、部活から帰ってくる息子甘辛にはせめて記念日としてレストランで作っている惣菜を土産にしようと高速エレベーターを地下に降りた。「よこはま」の隣にあるケーキ屋には何故か惣菜っぽいものが置いてあって不思議に思っていたのだが、よく見ると高層階の高級レストラン製の惣菜が何種類も置いてあったのをチェックしてあったのだ。フレンチの「仔牛のカレー風ソース煮込み」中華の「エビ野菜春巻」、「細切り肉とじゃがいも炒め」を買い込んだ。

帰りは横浜新道から一直線に湘南へ向かう。連休中日にあたるから混んでいるかと思ったら、夕方近くであることもあり、自動車専用道も快適に走ることができた。うーむ。やはりネコ脚の走りは素晴らしくまるで路面を滑るようだ。時々道路沿いにある自動車ディーラーの大きなショールルーム用ガラスに映る「赤いライオン」の雄姿をチラ見したりした。ガソリンが少ししかないので近所のスタンドで初給油だが、やはり獅子らしく中途半端なモノは食べないらしい。(ハイオク仕様って言われたからな)
最後の試練が車庫入れで、さすがに2m幅の我が家の私道に30cm広がった自動車を入れるのは緊張したが、実家でも同様の車庫入れスタイルとなっており30年近く細い路地裏車庫に入れてきた私にはそれほど苦行でもなかった。
これから、連休後半・・・どこに行っても混んでいるだろうが、どこかで「赤いライオンを駈る」私を見かけたら颯爽と疾駆しているところを写真に収めて宇宙警備隊までお送りください。