超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

塞翁が馬

2010-06-29 20:22:55 | 出来事
誰にでもあまりツイてない日というのはあるものだ。
私は普段『マーフィの法則』を逆手に取る技法を用いることが多いので、滅多なことで「ドツボにはまる」ことはない。
(もしかして普通の人だったら絶不調なのに、そう受け取っていないだけなのかもしれないが)
トータルすると間違いなく「実に困った日」なんだが、ワンサイドゲームのように不幸ばかりは訪れず「人間万事塞翁が馬」的に幸不幸が繰返し現れる。
たまーにやってくる「困った日」はこの塞翁が馬スパイラルの不幸編ばかりが増幅し、結果としてドツボ領域となることが多い。

結構前になってしまったが、そんな日曜日があった。
その1,2週間は天気はよいものの全く波と言うものがなく、2時間浮いていてもいい感じで乗れるのは10本もいかなかったりした。
午後からは息子甘辛はサッカーの4級審判の講習に行くことになっていた。6時間の長丁場だ。JRの駅のすぐそばで自動車では生きにくい場所だから電車で行かせることにする。

今回は「そろそろ車の運転は止めようか・・・」と言っている実家の軽自動車を借りて朝早くから波止釣りに行くことにした。
毎週土曜日の午前中(TVK)と、日曜日の夕方(テレ東)で釣り番組をやっていて、いつも行きたくてウズウズしていたのだ。(あんなに大物がジャカスカ釣れるわけはないんだけど)
自分ちの車が無いと家のものが不便だから少し遠慮していたが、実家でもう車を使わぬというから借りてきたのだ。
朝4時半に起きていつものコースを西へ。前回(熱海保養所からの釣行)は丸坊主だったが、自己分析によると「この前釣れなかったのは朝早く行き過ぎて魚が寝ていたため。」今回は2時間ほど遅い開始時間になる計算だ。

1時間15分ほどで目的地の熱海マリンホールに到着する。時刻は6時半過ぎで太陽は昇っているが心地よく涼しく風もない気持ちのよい朝だ。
しかーし、テトラポットに乗り上げて唖然とした。。。すごい「赤潮」だ!1ヶ月ほど前も熱海港付近は広範囲で海が真赤に染まっていた。この時期、よく発生するのかな。
アオリイカのエギングをやってる人は何人かいるが、フカセ釣りをしている人はいない。どこも足元は不気味に赤い海だからだ。
「こりゃー、ダメかもしれないな。せっかくいい陽気なのに・・・」

しばらく風にあたっていると、突如潮が左から右に動きだし、沿岸の赤い海面はみるみる視界から消えて行った。
チャーンス!今日はツイてるかも。。。さっそく竿を出してテトラの先端へ降り立った。


30分ほど投げ込んでみたが、生命反応なし・・・海面の赤潮が無くなったくらいで、魚がいるわけではないのか。。。
っと思った瞬間、勢いよくウキが沈み込み竿が引っ張られた・・・んだけど、巨大な藻であった。
すげえ引きだ(1mくらいあったから当たり前か・・・)竿を操ってうまく外すと小さなピンクの魚が1匹かかっている。
こっ、これっていつも餌を秒殺してしまうピンク色の憎いヤツ(ネンブツダイ)じゃないか。。。釣人の敵に早くも遭遇だが、魚はいるらしい。

「不死身の同じネンブツダイがいつも食ってるんじゃないか?!」というほど同じ大きさ、同じ顔の魚に悩まされること1時間。。。ウキ下を長くしたら海中にまだ潜伏してたと思われる巨大藻にまたも引っ掛かりハリスがブチ切れた・・・
「もう、帰るか・・・」と一旦テトラを上ったが、そこでは足場が良いのでもう一度仕掛けを作ることは可能だ。ウキを大きくして遠投してみた。飽きっぽい私にしては粘り強い釣り方変更だ。
そのうちに手の平サイズのグレ(メジナ)が喰ってきた。妻には「逃がしてやれよー」と言われるサイズだが、1匹目は必ず持ち帰ることにしている。
そうこうしているうちに隣の釣り座に3人ほどが入ってきて、カゴ釣りを始めた。ははあ、沖合いのほうが釣れるのかな。

午前8時を回り、風が少しでて潮の動きが反転してきたあたりから、ビッグウェーブがやってきた。
徹マンやると必ず現れる「私のためのドリームゲーム」である。何をやっても思い通りになる。
20cmクラスのグレがガツガツ喰いだし、最大27cmを含めて入れ喰い状態!しかも釣れているのは私だけだ。。。
うーむ。釣人の「至高の時間」だ。他人が釣れないのを横目に自分ばかりバカスカ釣れて羨ましがられる。。。
隣の人たちはカゴ釣りからフカセ釣りに変更したようだが。
ハリのサイズを変え、タナを変え同じところに辛抱強く投げ入れて、この「入れ喰い」状態を作り上げたのだ。釣り方変えたくらいじゃ結果は変わらんぜ。

サイズは大きくないものの、ものの1時間余りで二桁を釣り上げ、意気揚揚と納竿の準備に入った。
この時間に出れば、甘辛を会場まで送ってやれるかもしれないな。車のオーナーである母親を入れても4人で食いきれないくらい釣れたし、今日はツイてるかも・・・
ズッシリ重たいクーラーボックスを肩にかけ、足取りも軽く駐車場まで戻ると驚くべき光景に出合った。
「あれれっ?タイヤが前後ともパンクしてるぞ!こんなことってあり得るのか?!」

うーむ。。。いたずらされたのか、単なる経年劣化か・・・ぐるぐる回って捜査するとたしかにタイヤはどれも同じように古くて劣化が激しい。。。
爆釣の反動がこんなところで出たのか?!1個ならスペアがあるが、2個だとどうにも身動き取れぬ。困ったなー。
しかも車は実家から借りてきたものだ。故障や事故のときにどこに連絡をすればよいのかすぐにはわからない。
JAFか保険会社か?私が自分で手配してやってるから電話してもわからないだろうな。


ダッシュボードの車検証を調べていたら幸い保険会社の連絡先カードが出てきた。

何度かテレビで見たことがあるロードサービスに電話をしてみた。丁寧だが少しトボけた担当者が電話口で色々話をしている。ロードサービスは家族限定だが適用はしてくれるらしい。
契約名義、車体名、車両番号、証券番号を読み上げて確認してもらった。
「お車のご契約は奥様名義なんですね」
「いや名義は私の母なんですが」
「たっ、大変失礼いたしました。保険は適用できますので」
「駐車場に置いておいたら、右側の前と後ろのタイヤがパンクしてたんです。いたずらされたかもしれません」
「いたずらされたようだとおっしゃいましたが、犯行時刻はいつ頃と推定できますでしょうか?」(刑事ドラマの鑑識みたいなことを言ってるな。死亡推定時刻ってか)
「6時から9時くらいの間だと思うんですがねー」
「なるほど。夜の6時から9時くらいの間に駐車場でやられたということですね」(この人、完全に「犯行」と思い込んでるぞ)
「今ですよ!今!朝から釣りに来て、6時からさっきまで駐車場に停めておいたんです」


「大変失礼いたしました。お出かけ先のトラブルなんですね」
「スペアが一つあるから、もう一つを応急に何とかしてくれれば自分で修理屋まで持って行こうと思います」
「残念ながら、事故や何らかの異常があって人が怪我をしているなどと事情がない限り、レッカーなどで『修理の可能な場所に移動していただく』ことしかできないんです」(まあ、やむを得ぬわな)
「結構です。タイヤが二つパンクでは身動きできないので、なるべく早く手配をお願いします」
「最後につかぬことを伺いますが、お車のタイヤやホイールは特殊なものではないでしょうか?また車高が低いとかいうことはありますか」
「んっ?大丈夫。これ以上ないくらいノーマルです」(ってこの車ダイハツ・ミラだよ・・・どうやって改造すんだよ)

丁寧にその近くでタイヤの交換ができる「ミスタータイヤマン」という店舗を教えてくれた。休日で手配拠点が限られているため1時間はかかるという。
まあ、どうしようもないからな。エサがないので釣りを再開するわけにも行かぬ。風が心地良いからベンチで横になって昼寝をはじめた。
ちょうど1時間たって大型の車載用トラックがやってきて・・・「お待たせしました!●●板金と言います。磯辺さんですね。困ったことにここに来る途中見たんですが、ミスタータイヤマン今日は休みなんですよ」

ガガーン!休みかよ・・・ガソリンスタンドでもいいけど、この大型トラック入れるスペースあるかなー。彷徨うことになってしまう。。。
「ちょっと遠いんですが、確実なところでオートバックスにしましょうか。伊東なんで20kmくらいあるんですけど・・・」
とほほ・・・まるっきり反対方向へ20kmか。。。でも彷徨ってもいられないしな。
運転手さんは気さくな人で、釣りの話、サーフィンの話、ロードサービスの話など色々話題には事欠かず思いもかけない休日の伊東ドライブとなった。

網代よりも南に来るのは何年振りだろう。サンハトヤが見えてきたぞ。昔懐かしいCMの通りだ。大漁苑や海底温泉ってまだあるのね。
伊豆高原が近くなって怪しげなネームの博物館の看板が目立ってきた。「ねこの博物館」なんてまだあったのか?!
その昔、カップルの「どこへ行っても幸せ」現象にかこつけて、「テディベア」だの「ねこ」だのに1000円も入館料取る博物館が伊豆高原には乱立していた。
「伊豆のがっかりもの」として結構人は入っていたと思うのだ。むろんリピーターはゼロのはずだけど・・・

私も「やられたクチ」ではあったが、さすがに長びく不況にさらせれ、さらにパワーアップしなければやっていけないのだろうか、新型ミュージアムが現れた。
その名を「怪しい少年少女博物館」という。。。。
レッカーの運転手さんに聞くと、自分も行ったことはないが(あたりまえか!)レトロや懐かしのフィギュア、グロテスクなグッズや変わったものを集めたミュージアムらしい。
うーむ・・・こうなりゃぜひ行ってみたかったが、さらに数十キロあるらしい。(ほとんど伊豆高原)時間的にはさすがに無理だったなー。

川奈まで南下してようやくオートバックス発見。車載用トラックは奥に入り、右側へ傾いでいるミラを下ろして函南へ帰って行った。
幸いにすぐにピットインすることができそうだったが、店員は一目見るなり「こりゃー、どれもだいぶ傷んでますねえ。4つとも取り替えたほうがいいですよ」
わかってるんだよ。そう来るのは・・・次にくるのは「このまま放っておくと高速でバースト」だろ?
でもこの車もう少ししか乗らないんだよ。。。

結局いくらかサービスしてもらって、4本とも取り替えることにした。うー、2万円の出費だ。
1匹2000円近くするメジナになってしまったが、老母が運転中もしくは出先でパンクに合ったときの困り度から考えれば「よし」とするか。。。
午後になって、東京方面に帰る車が混んできて、帰りはずいぶん3時半くらいになってしまった。

今晩は妻が出掛ける用事があるから、茅ケ崎の実家に車を返し、講習から帰ってくる息子を迎えに行きがてら一緒に夕食をとることになっている。
それまでに12枚の魚を下ろさなければならない・・・3人では食い切れないから1/3は刺身に、1/3はムニエル、残りは置いてきてやろう。。。。
あんまり慣れてはいないが、ようやく3枚に下ろせるようになったのだ。しかしここで2度目の悪夢がやってくる。。。

かなり時間をかけてしまうが、いつもは床やシンクなど念入りにチェックして掃除し、鱗1枚落ちていないように片付ける。
次から使用禁止になってしまうからである。シンクの排水溝にはネットを張ってそれごと捨てる。
その日も同様にしていたが、数が多いのでなかなか進まない上に、運搬時に包むキッチンタオルの買い置きがどこにあるのかわからない。。。
そのうち、息子甘辛から電話がかかってきてこれから帰ると言う。予定よりも1時間も早い・・・

慌てて周りの片付けと掃除を始めたが、なんとシンク排水溝のネットが半分外れていて、詰まってしまった!
洗い物をすればするほど、水面は上がってくるし、他に流すことができない。。。ゆっくり水が流れるのを待っていてはとても間に合わないから仕方がないので魚の残骸だけ片付けて実家に車を走らせた。
刺身に切るのと切り身をフライパンで焼くのは母親に頼んだが、さすが釣れたて!腹を空かせた息子があっと言う間に平らげる美味さであった。白身魚の弾力感がいつ食ってもうまい。

帰宅すると水は無くなっていたが、やはり詰まっているようで食器を洗おうとしてもすぐに溜まってしまう。。。
森末慎二のクラシアン呼ばなきゃだめかも・・・詰まった排水管の掃除のしかたなど知らないから、その日はそのままにして、翌日妻に頼るしかなかった。
翌朝、長ーい掃除用管みたいなものと詰まり洗剤を持ち出していたが、なかなかに解決しないらしい。

夕方、自宅からメールが届いて、「代金18000円」!帰宅すると息子甘辛は「父ちゃんよ、やってくれなー」
ついに魚下しは「禁止」になってしまった。。。
うーむ。1日で4万円もの損害だー。ついてねえ。。。こういうの昔、天中殺っていったよな・・・12年に1回か。。。
マーフィの法則を逆利用するだけでは、どうにもならぬ「ドツボ」の日というのはたまにあるものだ。

さて、不幸を「納税」した分、いつか還付を狙いたいところではあるが、ちょっとした事情でこの「超兵器シリーズ」は次回をもってしばらくお休みすることになりました。
更新再開は未定です。

ホタルの光

2010-06-21 22:13:14 | 旅行お出かけ
生まれて初めて「ホタル」というものを見た。
知り合いに言うと誰もが不思議がったり「都会育ちなんだねえ」なんて言うが、「都会」なんてのは程遠いただの住宅地育ちなのは言うまでもないことだ。
いないものはいないのである。トンボやバッタ、ザリガニは死ぬほどいるが、野生のカブトムシを捕ったことはない。

こればっかりはどう見てもテレビや記録されたものでは本物はわからないと思っていた。「ホタルの墓」にも出てきたが、アニメではいかにも違うし、実写版(これはこれで勘弁してほしかった・・・)はCGっぽくてこれまた実感湧かず。。。
ニュースなどで映し出されてもやはりピンとは来ない。
この辺だと毎年「ホタル鑑賞会」なるものが開かれるのは湯河原あたりの公園が有名だ。しかし6月最初の1週間ほどなどで終わってしまうので、いつもちょっとした油断から見逃していた。。。

今年は抜かりなく開催期間と場所を調べていた。それでも実際に決行したのは開催最終日になってしまった。
場所は横浜本牧にある「三渓園」という日本庭園である。花菖蒲や蓮の花などが有名な広大な庭園で、6月5日から1週間だけ通常5時で閉園するところを9時までいることができ、「蛍の夕べ」というイベントが開催されるのだ。
庭園内の本堂ではホタルの映像やかごに入ったホタルを見ることができる。無料シャトルバスも出ているということは結構な人数で賑わうということだろな。

妻は用事で行けなくなってしまい、息子甘辛は午前中プールトレーニングでヘトヘトなはずであり、「一人でも行くか・・・」と考えていたが、夕方になって突如息子が「オレも行く!」と言い出したので二人で出かけた。大船から根岸線に乗り、根岸駅からバスで5,6分のところだ。
裏門に着いたバスから降りると、広大な芝生広場があり、はるか遠くにSLが見える。何やら立派な機関車なので「行ってみようぜ。」と向って見るとD51機関車だ。これって結構マニアにはすごいんじゃなかったっけ?

中にも入れるようだったが、園内の係り員の人が門を閉めようとしていた。息子は柵をよじ登ろうとしていたので、慌てて引きづり下ろしたが、それを見た係の人は「5分くらいならいいですよ。せっかく来ていただいたんだから」と他の場所へ行ってしまった。親切な人だ。
あれこれ中を散策し、製造された昭和16年に勇ましく走る姿を想像した。ホタルを見に来てずい分儲けた気分がした。



バスの降車場に戻ってD51とは反対側に少し歩くと、「三渓園」の門が見えてくる。
あまり出掛けることの好きでなかった亡き父親が、珍しくこの庭園だけには行きたがったことがあり、祖母が富山からやってきたときに一緒に来たことがある。もう20年以上も前の話だから、ほとんど情景を覚えていない。



息子甘辛はもちろん初めての来園だ。大きな池を回って本堂に行くと、ホタルの生態に関するVTRが流れ、小さなカゴには初めて見るホタルが数匹いた。
中にちーさく光っているのが見えた。「うーむ。これがホタルというものか・・・」確かに光っているな。

「虫が光る」というのを初めてみたこともあり、私も息子もそれなりには満足していた。あたりはまだ明るく、鑑賞コースを歩いても何も起きない。「暗くならないと見えないだろーな」と言って、とことこと歩き回っていた。
そのうちに、小さな水の流れがある窪地のほうで歓声が湧き立った。「オーッ、あそこで光ってる!」子供の声だ。
二人で行ってみると、かなりな人数が息を凝らし、小さな光の点を見つめている。そのうちにその光点が二つ三つと増え、気が付くとかなりの数が点滅を始めていた。。。。
時間にして30分くらい待ったであろうか、あたりがほぼ完全に暗くなるとなんとそこら中の光が飛び上がり始めた!

「うぉーっ、こりゃすげー!」私達は思わず声を上げた。初めて見たがこれは確かにすごい。テレビでは絶対にわからぬ。。。
8時になるともう鑑賞コースのいたるところで光の点が飛び、点滅し始めた。すばらしく幻想的な情景だ。
目の前に飛んできて、鼻の先に留られそうになったときはビビったが。「光っていないとただの虫だからきらい!」という女性は大井ようだ。
小さな橋の欄干から身を乗り出して息子は何やらごそごそ何かやっている。「取っちゃいけねえんだぞ」と言おうとした瞬間にさーっと手を動かし、草ごと掴みとってしまった!
手を開くと5,6匹の光の点がひらひらと舞って行った。叱らなければいけないんだが目の周りをひらひら飛ばれると、うっとりしてしまうのであった。

「父ちゃんよ、ホタルが光るタイミングはそばにいるヤツ同士はぴったり合ってるぞ」

たしかにそうだ。求愛行動だと聞いていたが、点滅が同調したということは、人間でいう「フィーリングがあった」ということかもしれぬ。
とすると、タイミングが合わないペアは「性格の不一致」というところか・・・
本堂に戻って今度は詳しく係員の説明を聞いた。暗闇の中の光点ではないので幻想的ではないが、虫の実体も合わせて詳しく見ながら説明してくれるので勉強になる。
ホタルは成虫で発光するようになってから1週間くらいしか生きられないそうだ。セミみたいなものだ。
息子は捕まえて持ち帰るつもりだったらしいが、さすがに可哀そうで止めた。

帰り道にもう一度鑑賞コースを一周した。かなりの数の光点が飛び回っており、そこらじゅうの葉っぱに止まって発光している。
「最近は数が少ないって言うからね。動かないヤツ半分はLEDかもしれないよ・・・」

彼女にそんなことを言ってるロマンのないチャラ男クンもいたが、どんな美しいLEDでもあれにはかなわないよね。
フラッシュが光らないように注意して撮影を試みたが、203号はいつものとおりシャッターがおりない。(故障かな)
IXY君で果敢に挑んだが、どうみても心霊写真のようだ・・・



これはやっぱり網膜に焼き付けるものだな。
来てよかったー。来年もまた来よう。

幕張のIT見本市

2010-06-17 22:38:35 | 出来事
国際IT見本市(INTEROP)イベントが幕張メッセで開催され、最終日の午後だけ見に行った。
毎年開催されるかなり大きな展示会で、一応関連する業界ということもあり、なるべく時間を作って足を運ぶようにしている。
ITそのものの最先端展示(INTEROP)とメディアコンテンツ関連の専門イベント、今流行りの「デジタルサイネージ」に特化した専門イベントが開催されている。
展示会にまともに入場すると料金3000円かかるが、ネットで事前登録すれば無料になる意味のない設定だ。

その日は午前中「ちょっとやばいかなー」と思っていた会議が無事通過したので、幕張メッセに向かったのだ。
オフィスからは地下鉄を乗り継いでたっぷり1時間半はかかる。海浜幕張駅ではビジネススーツをキリッと決めた男女や、長い髪を後ろで束ねたやいかにも「業界」風の年齢不詳のおっさん、学生風な「ちゃら男」など清濁混淆な人の群れが行き来する。
天気がよくて暑いくらいだったので、外にあるテラスのテーブルで持参した(会社で食べる予定だった)弁当を広げてボーっと入場者を見ながら弁当を食っていた。

登録手続きを行って会場へ入る。
いつもながら派手なネオンサインで、私としてはここで一旦足がすくまってしまうのだ。ブースをぜーんぶ見てまわると半日くらいかかるか。。。

   

入口に近いエリアは比較的先進的な中小の企業の出展が固まっており、意外に面白いものがあるのはこのエリアだ。
しかしひとつひとつが小さいので真面目に注意して見ないとスルーしてしまう。
一方、奥のほうはいわゆる「大手」と言われる誰でも名前くらいは知っている企業の巨大なブースが並ぶ。

たいていのブースでは時間を決めてステージにで簡単なデモンストレーションがある。そのまわりでコンパニオンがアンケートを配っていて、答えて名刺を渡すとちょっとしたグッズをくれる。
ビジネスライクなイベントだから面白いグッズはなく、ボールペンとか簡易メモ張とか、しょうもないヤツにパンフレットだ。
この手のものは重たいだけで決して後で使うことは無いので、素通りすべきなのはわかっているのだが、肉屋のショーウィンドウショッピングができない私は「キャッチ」にも恐ろしく弱い。。。
別にコンパニオンの女性につられてるわけでは決してないがどうも「断れない」のである。特に目が合ってニッコリ微笑まれたりすると、簡単に引っ掛かかってしまう。
通路の中央をそそくさと逃げ回るしか能がないのが何とも情けない・・・

大手企業のブースは展示物もコンパニオンの衣装も凝っていて、人で賑わっているがステージや内容はえてして面白くもない。
あんまり名刺を配ると後がうるさいので、CISCO社のブースでだけアンケートを書いて、扇子をもらってきた。中央の案内所でペットボトルの水はタダで配ってくれた。
驚いたのは我が社と関連するIT系グループ会社のコンパニオンだ。衣装はまるでバドガールのようだ。しかも脇腹が網タイツみたいになっている。昔は中途半端なスタイルで有名だったあの会社もとうとうふっ切れたのか?!
あんなのに捕まったら舞い上がって何をさせられるかわからないので、すばやく戦線離脱だ。

だいたいのブースはいきなり接近すると網にかかってしまうので遠めに面白そうなブースを眺め、説明員やアンケート配りがあまりいないときを見計らって。。。パーっと走り寄り、バババッとパンフレットを書き集め、一気に立ち去る「ヒットアンドアウェイ戦法」である。話を聞いても2,3分が限度だ。
とあるブースで2年前に手がけていたプロジェクトの実用化版みたいなものがあって、懐かしげに眺めていたら油断していたスキに「オタ男」みたいなのに捕まってしまった。。。

「ふんふん。。ふーん。なるほど・・・そういうことなんですか。」

客の反応など気にせず、自分の説明に酔いしれているオタ男(髪は結んでいないがジーパン)の話は素人が聞いてもイマイチわかりにくくて苦い空気を漂わせていたが、今更

「実はコレ、開発してたからよく知ってるんですけど」

なーんて嫌味なことは決して言えないので、「ちょっとよく理解できないなー、えへへ」みたいな顔をして逃げてきた。
ひと通り歩き回るといつもげっそり疲れるのだが、今回は一番端で開催されていた「ディジタルサイネージ」(いわゆる電子看板」が一番面白かった。今業界ではかなり流行りなんだろな。
客がすごく集まっていたのは、「バーチャルマネキン」だ。たしか印刷会社だった。
人型のスクリーンに女性が商品を紹介する映像が映し出されていて、まるで本物がいるように見える。思わず後ろにホントに人がいないのか見に行ってしまった。それほどよくできていた。
特殊粘着フィルムを人型の厚紙に張り合わせ、プロジェクターを使って動画を投影することで、その場に本人がいるような演出ができるそうだ。

   

もうひとつ人だかりがしていた「裸眼3D」映像はちょーっと子供だまし。。。偏光メガネをつけなくても、きれいに立体っぽく見えるが、ようするに子供の頃角度を変えると飛び出て見えたカードの大きいヤツに過ぎぬ。
でもホントに厚みがないのか、真横から見ようとして顔を近づけ過ぎ、ガーンと壁にこめかみをぶつけてしまった・・・

    

また壁掛けの額縁が木目になっていて中が富嶽三十六景というのもあったが、これは絵が変わって便利というだけかな。
ポスターがそのまま光る電子看板になっているのは結構驚いた。何せ材質は紙に近く丸められるそうだから・・・むろん画像はプログラムで制御し光り方やコンテンツは自由に替えられる。

        

変った姿をしたコンパニオンに手招きされて吸い寄せられるように近づくと、3D用のメガネを渡された。
正面のスクリーンを見ると、なんと私の横から見た姿が立体画面に映っているではないか。。。自分を立体視したのは初めてだ。
ステージ横に3Dカメラが設置されていて、リアルタイムの立体映像を見ることができるのだ。考えてみればできなくはないわな。

      

2時間近く歩き回り、出口のエスカレーターに向かうと、ちょっとしたデモンストレーションをやっていた。
ひとつは遠隔地にいて、インターネットを通じたテレビドアホンで来客の対応ができるというもの。超広角カメラを搭載して、来訪者がボタンを押すと来客を告げるメールが飛び、玄関先で要件を聞いたり対応模様を画像付きで保存することもできる。
電気錠システムと連動してパソコンから解錠することもできる。

もうひとつは家庭内でテレビドアホンと携帯電話が連動し、来客時に携帯で来訪者の対応ができるというもの。
「ドアホンのところまで行かなくてすみ、来訪者をお待たせしなくて済む」ということらしいが、よーっぽど広い家に一人で住んでいる状態でもなければ、とっとと玄関まで行ったほうが早いとも思われる。

   

興味がない人にはどうでもいいようなソリューションだが、何と実はこの二つを融合したようなアイディアを4〜5年前に既に私は考案し、社内のアイディアコンテストに投稿していたのだ!

そのコンテストは毎年、研究所で行われているバーチャルイベントで、業界にあまり関係なくても広く新しいビジネスアイディアを考案し、みんなでコメントし合って最後は投票と審査でグランプリを決めるというものだ。
全部で50以上アイディアが寄せられ、グランプリは幹部の前でプレゼンし実用化に向けてプロジェクトを立ち上げることもある。
毎年、これに「賭けている」人もいたようなのだが(本来の仕事は別にあるのよ・・・)、残念ながらたぶん今まで一度もモノになったことはない。

共働きや家が不在がちな家庭で来訪者を外出先からチェックしたいとき、例えば宅急便や回覧板を確実に受け取りたいときや、子供を一人で留守番させているときなどのために、「玄関でピンポンと押すとテレビドアホンが作動し無線LANを使って外出先の携帯テレビ電話によってチェック又は対応ができる」というアイディアだ。
「QRコード」を使って宅急便業者は「ハンコ」まで受け取れる、というスグレもの。。。


ppt2枚で投稿したこのアイディアにきた、コメントは事務局からの2件であった・・・結構自信あったんだけど誰も興味を持たなかったのだ。
「まあ。。。そんなものか」とあきらめていたのだが、4年後にちゃんと展示する会社があったなんて!
なんという見る目のないことか!ビジネスモデル特許でも申請しておけば良かった。バカ売れしたら億万長者か?!

この話をしたら友人も言っていたが、我が社だけでなく世の中とは「専門家のアイディア」を重視する傾向が強い。
大手の企業(大手でなくても)には、必ず「製品」や「サービス」を開発するセクションがあり、その部署がマーケットリサーチやらによってビジネスアイディアを捻り出し、ブランドをつけて売り出すのが常套のようだ。
普通このセクションは社の中では「花形セクション」でその他の部署で考案されたアイディアなど「歯牙にもかけず」なんてことが多い。「餅は餅屋に任せておけ」ということだ。
しかし、その昔籍を置いたことがあるが、この手のセクションの人は自分の管轄するシステム、製品しか見ていないことが多い。大手企業の展示物が妙に面白くないのもそういうところに起因しているかもしれぬ。

ヒット商品や流行りものを産み出すのはすべからく「ひょんなこと」からで、このきっかけは「神が気まぐれ」に捲いていると思ったほうがよさそうだ。
関連業界ではシンクタンクと連携して数か月、数億円かけてマーケットリサーチに注力し、「『携帯電話は若者に人気がある』というリサーチ結果を得た」なーんて言う笑えない笑い話もあるのだ。
今やあんまり関係ない仕事をしているが、「私の考案した幻の」ネットワークドアホンシステムが、できることならばそこそこ売れてほしい(爆発的に売れると悔しい)と願いながら幕張メッセを後にした。

   

頑張れギリシア

2010-06-13 22:37:23 | 出来事
ワールドカップが開会した。
アジア勢として韓国(史上最強と言われる?!)にも頑張ってもらいたいが、初戦はギリシアであった。
ギリシア・・・にもがんばってもらいたいんだが。。。見事負けてしまったな。

最初この記事のタイトルは「お仕事です!(ギリシア編)」であった。
ボストン編と前後してしまうかもしれないが、5年ほど前仕事で訪れたことがあるのだ。はっきり言って「リゾート地」でのカンファレンスであったため旅行っぽい話題がなくスルーしていたのだが、先日「池上彰そうだったのか学べるニュース」でギリシアの経済危機を取り上げていたのを思い出した。
(池上さんのあのニュースってホントにわかりやすいよね)

まずギリシアという国だが、人口1000万人、GDP30兆円でどちらも日本の10分の1以下だが、ユーロ圏であるためにドイツをはじめ色んな国に直接波及してしまったのだそうだ。
観光産業がメインで労働者の4分の1が公務員という、観光客の落としていく金であんまり勤勉に働かなくても暮らしてこれたらしい。
「神話の国」だから街中にある遺跡だけでもずいぶん潤ってきたのかな。国家財政そのものはこれまでずいぶん緩く、適当なものだったらしい。「事業仕分け」のR舫議員が見たら逆上するかもしれない。

私のギリシア歴は意外と古い。これまたマンガが起源なんだけど。。。
少年のときに「月曜日にこの続きを読むために」1週間過ごしていたと言ってもよい「リングにかけろ!」(少年ジャンプ)にギリシア神話がたくさん出てくるからである。
「オリュンポスのギリシア12神」(最高神はもちろんゼウスで必殺ブローはゴッド・イリュージョン)なんてものが出てきて、戦いのシナリオがギリシア神話になぞられているのだ。神の名や由来などはすぐに覚えてしまう。
また星空にもギリシア神話に登場する名前の星座や木星の衛星、小惑星などがたくさんあり、気が付くと名前だけには親しんでいる。

ギリシアに出張すると決まり、今更思い出したように図書館でギリシア神話の本を借りてきて、ひととおり読んだことがある。
最初から活字だけ読んでいると登場人物が多すぎて話が整理できず一向に頭に入らない。(複雑な交流関係に弱いのである)
仕方がないから邪道ながらマンガでひと通りシナリオを理解しておいて真面目な本を読んだ。今でもよく使われる諺や物の名前がたくさんあるのが面白い。
たしか有名なブログに書き込みしたのが「シシフォスの岩」(実はずーっと『シンフォスの岩』だと思っていた)、そして「エリア88」にも「リングにかけろ」にも出てきた「パンドラの箱」が印象的だった。

我が国の神話と言えば「古事記」で、同様の方法で読んでみたことがある。
「神話」というのは言い伝えに近いものか、我々凡人には理解の及ばぬ深淵な意味やありがたい教訓が満載されていると思われるが、洋の東西を問わず私が感じるのは意外と「ゲスでグロい」こと。
ゼウスにしてもやおろず八百万(やおろず)の神も、やってることは限りなく俗っぽくてえげつなく、これ以上ないくらい人間っぽい。(いや人間界よりも「何でもあり」だ)

でもそう言った神話にまつわる神殿のような遺跡が街中にいきなりあるのだからすごい。(ローマのコロッセオもすごいと思ったけど)
あういう何千年も前の建築が残っていられるということについて、地震がないとは羨ましいものだ。
さて、ギリシアでの「お仕事」だが、カンファレンス会場は「ラゴニッシ」というそのあたりでは有名なリゾート値であった。
アテネからタクシーで45分くらいだろうか、もちろんコバルトブルーに輝くエーゲ海に面していて、風景画のような見事な景観をもつ。(しかし周りには他に何一つない)

ホスト役は昔からの取引がある、たしかイスラエルを本拠とする企業だ。かなりワールドワイドな商いをしており、毎年数十カ国に点在する大口顧客を集め、彼らの商品についてのユーザ事例や関連するマーケット、技術の動向について情報を交換するのである。(外資系企業にはこういった「ユーザカンファレンス」という名の懇親会っぽいイベントが多い)
毎年行われるから「定点観測」すれば色々なことの動向がよくつかめる、ということで結構参加していた。前の年はたしかスペインのマルベーリヤというところだ。本拠地がイスラエルだから地中海沿岸が多い。

5日間の滞在で開始前日はいきなり主催者側の企画でスニオン岬というところの「ポセイドン神殿」観光だ。アテネ市内観光とどちらか選べたのだが、そちらのほうはとっくに満員になってしまった。。。皆、抜け目ないなー。
ディナーはホテルでスブラキとムサカのオンパレードだ。

   

昼間は(やることがないから?)真面目にカンファレンスに参加し、その後は連夜のイベントだ。経費は主催者持ちで参加は自由だがいろんな趣向を凝らした催しが用意されている。
最後の夜はなんと、アテネオリンピックスタジアム(2000年)のグランド内でファイナルパーティだ。

参加国68の国旗を用意し、オリンピック開催式の入場行進さながら音楽に合わせて登場する。ちなみに日本選手団は4名である。
まったくお祭り屋魂が旺盛なのか、いったい何を考えてるのかさっぱりわからぬ。カバーは敷いてあるとは言え、神聖なグランドで平たく言えば「大宴会」なんて不謹慎すぎるんじゃないの?
むろん振舞われた料理やギリシアワインは美味なること間違いなしなんだが。。。

  

帰国の日、アテネからのフライトには半日ほど時間があった。アテネ観光できなかった我々はすかさずホテルをチェックアウトし、パルテノン神殿へタクシーを走らせた。
それこそ世界各国からの観光客で賑わっている。修復中なところもあったが、さすが見事なものだった。周辺にも小さい遺跡などがかなりあるようだ。
入場する際に水以外の飲み物は預けなければならない(事実上没収である)。ジュース類の成分には大理石を傷めるものがあるからだそうだ。

   

時間いっぱいまでその辺りの遺跡を見物し、最後にお土産屋に寄ることになった。神殿の形をした置き物やTシャツなどは決して買わないようにして・・・
ギリシアと言えば神話時代からの遺跡などは思いつくが名物の土産は何か全然わからない。
「地球の歩き方」に載っていた海綿の名物を売っている店を懸命に探したがどうしても見つからず、しかたがないので場末の土産物やでギリシアナショナルチーム(サッカー)ユニフォームのバッタもんを購入して帰った。
初めて見るユニフォームで背中の名前がギリシア語なのが珍しかったのかかなり気に行ったらしく、小さくなって着られなくなるまで息子は練習着に使っていた。。。
ワールドカップでも似たようなデザインだったぞ。懐かしい。

ぼちぼち空港に向かう時間になって、アテネの中心部が巨大なデモ行進などで交通が規制されていることに気が付いた。同行していた同僚の奥さん情報によると、その日は日本で言う「メーデー」に当たるという。困ったな、バスは運休しているようだし、タクシー待ちは長蛇の列だ。
「地下鉄でいきゃあいいじゃんか。荷物持ってくのが少し辛いけど・・・」
しかし彼は色んな意味で「交渉人」で、何かにつけて交渉事に抜け目なく立ち回る。そのときも何やら待ち行列とは違う路地にタクシーを停めて交渉していた。

「磯辺さん!回送のつもりで空港まで行ってくれるそうです。45ユーロですって。OKですよね」

「してやったり」という顔で走り寄ってきた。地下鉄のほうがいいと思ったのだが、そのまま空港へ行ければ便利派便利だ。
我々はトランクに荷物を積んでタクシーに乗り込んだ。出だしは好調で渋滞にもそれほど出くわさず市内を走り回っていたが、ところどころ交差点に警官がいて自動車を誘導している。規制によって入れないエリアがかなり多いらしい。
快調に走っていたようなタクシーだが、実は同じところをぐるぐる回っていたのだ。。。さっきから50mくらいのところに停車した運転手は・・・「悪いけど降りてくれ。市内から出られないよ」
「だーかーら、言ったじゃんか!」
普段何かにつけて要領の悪いことこの上ない私だが、いざと言うときには結構な確率で最適解を見抜くのだ。。。
重い大型キャスターバッグを転がしながら、地下鉄の駅まで走り何とかヴェニゼロス空港までたどり着いた。

神話の時代から歴史を進めて古代ギリシアと言えば、「ヘウレーカ」のアルキメデスをはじめ数学でもお馴染みの名が山ほど出てくるし、野坂昭の「そ、そ、ソクラテスかプラトンかー」もいるし、学者王国だ。
人類史上、最も色んなことを考え2000年以上たった今でも異彩を放つ「知性の時代」だったようだ。
私は高校時代、世界史を選択していたから(担任の専門だった)ひと通り勉強してきたつもりだ。

その担任教師は学校でも結構名物で、教科書やプリント類は一切使わずに70分授業の始めから終りまでずーっとしゃべり続ける人であった。(2年前の同期会で、久しぶりにお話ししたがお元気そうであった)
我々はとにかく早口でまくしたてられる授業でノートに記録するのがやっとだった。我流だが速記術(ただのなぐり書きだが)を習得できたものだ。
2,3年のクラス持ち上がりだったその先生だが、授業中後ろで打ち上げ会の打合せをしていて殴られた以外に、卒業式の言葉が印象的だった。
それは世界史の教師らしい、独特な人生観をもった「お説教」であった。

「私は古代の歴史の中では『ローマ』が一番好きだ。『ギリシア』もいいが、ローマのほうが人間らしい躍動感がある。確かにギリシアと言うのは、「知性が光っている」という意味では魅力的だ。キミたちが学んできたことの多くはギリシア発祥だから。比べてローマの歴史は血生臭い。知性というよりは、欲望剥き出しでどちらかと言うと低能だ。
しかし人間の進歩は頭で考えるだけでは実現しない。手を動かすことが大事なのだ。」

ちょっと記憶が定かでなくなっているが、そんな内容の話であった。ローマの遺跡のほうが確かに人間臭い、実用的な雰囲気があった。
オリンピックの開会式ではどの回においても、先頭で入場するギリシアという国である。

世界的な遺産・遺跡に恵まれその観光収入で国民全体が緩くのんびり過ごしてきた結果、「自業自得」で財政破綻になりつつある、と言われるが、行ったことは一度しかないものの、子供の頃から何かにつけて縁があるような気がして親しみがある。
実はワールドカップでも応戦しているぞ。厳しいグループだが、頑張ってもらいたいものだ。。

ヨーガへの道

2010-06-09 22:05:20 | スポーツ・健康
「スペシャルナイトコース」(何か少し怪しげ?!)という会員で会社帰りにフィットネスジムに寄るようになってから10年になる。
月々の会費が最も安いが、施設を利用できるのが平日の20時から24時、土曜の18時から21時に限られる。
会社は毎晩遅くまでいるわけではないから、週2〜3回ペースで早く帰る日は寄ってくる。

確かに通い始めた当初に比べると数キロのダイエットにはなったであろう。しかし体型や体脂肪率はというと・・・10年間で66万円払い込んだ勘定になるが、わずかに逆三角形化したのと人間ドックでメタボギリギリセーフを維持しているに過ぎない。
私はこの手のものをやりだすと「やめられない止まらない」の、かっぱえびせん状態になってしまう傾向が強く、「健康のためなら死んでもいいヤツ」と冷やかされてきた。
しかし結構まじめに続けてきたのにこの程度の成果しかない。。。

長ーい目で見ると、自分の体重や体調を気にするようになり、習慣的にカロリーを消費するようになったからよかったのだろう。
むしろこの習慣がなければ暴飲暴食の荒れた生活を続け、坂道を転がり落ちるようにメタボリックまっしぐらになっているところであった。
10年かけてほぼ「維持」しているだけだから、やらなかったら大変なことになっていたに違いない。

最初のうちはバイク漕ぎをやったり、ジョーバをやったりマシンで筋力トレーニングを行っていたが、ある日勇気を振り絞って「スタジオプログラム」というヤツに挑戦した。
夜8時以降でも二つあるスタジオで曜日によって様々なプログラムがスケジューリングされている。
時間的には通勤帰りの会員を対象にしているから、癒し系から激しいものまで若者チックなカリキュラムである。

私が最初に挑戦したのは「おなかスッキリ」というそのまんまのコースである。
同じ絶滅種としては「スタイリー」よりは新生代だが、「アブトレーナー」という子供用ゴールのような形をしたアルミ製フレームの腹筋トレーニング機器を用いて、延々と30分腹筋をやり続けるコースだ。
音楽に合わせてリズムに乗れず、人と違う動きしかできない屈辱がないから結構参加しているのはおっさんであった。
一度数えてみたら300回以上腹筋をやっている。初めてトライしたときは何故か1週間ほど首の後ろが凝り固まって回らなくなった。

半年に一度のペースでスタジオプログラムのスケジュールは更新され「おなかスッキリ」は昼のコースに移動してしまった。(アルバイトの女性が大学を卒業して辞めてしまったこともある)
それからエアロビクスはもちろん、ただ走るだけの「ガンガンジョギング」とか歩くだけの「ウォークエクササイズ」など様々なプログラムに手を出した。
しかしながら一番ポピュラーなエアロビクスは手と足をリズムに合わせて動かすことだけはどうしてもできずにギブアップ。。。
入れ替わりの激しいプログラム帯もあるが、どうやら定着したのが「レスミルズ・プログラム」というものだ。

各プログラムは「ボディ・○○」という名称で統一されており、30分、45分、60分のコースがある。
私が習慣化に成功したのは、たまたまこれらのプログラムがどんなにスケジュールが入れ替わっても必ずどこかにあった4種類だ。

ボディ・コンバット:一番最初に始めた格闘技ベースのエアロビクス。音楽はハイテンポだがパンチやキックは動きが慣れているのですぐに慣れた。

ボディ・パンプ:軽めのバーベルを使って全身の筋肉を強化するトレーニング。音楽に合わせて行うから楽しいし、動きも簡単だからこれもすぐに習慣化した。

ボディ・アタック:エアロビクスに一番近いがシンプルな動きでガンガン動く。難しい動きがないが何せ運動量が半端じゃないので、疲れているときは長時間は持たない。

ボディ・ヒーリング:ヨーガ、太極拳、ピラティスを取り入れて身体の柔軟性やバランスを強化するトレーニング。めちゃめちゃ疲れている時だけ参加した。後半15分でリラクゼーションがあるが、何人かはいびきをかく。

参加している年齢層は比較的広く、同じ曜日は同じような顔ぶれだ。みんなちゃんと習慣化しているのだな。
どれも終了したときに汗がしたたり落ちるほどの運動量だ。翌日にも結構ダメージが残っている。
「運動した後、酒を飲んではいけない。ただでさえ活性酸素で体が痛めつけられてるのだ。アルコールでそれ以上負担を増やすのは寿命を縮めることになるよ」
運動した後の一杯が至福のときだったのだが、40歳を過ぎてその言葉が体現できるように思えてきたので、人間ドックの医師の忠告を忠実に守り、フィットネスジムに寄った日は休肝日としている。

しかしさすがに10年前に比べて格段に体力が低下していきた。複数のマスタークラス(60分)を2コース連続まではできたのだが、最近は45分クラスでもしんどく感じるようになった。
週3回寄るときは、滋養強壮にキューピーコーワゴールドを飲んで行くようにもなった。(何か違うよな・・・)
そこでいよいよ目をつけたのが「ヨーガ」である。

体調がイマイチ濁っていて、運動不足かと思い近くのジムでトレーニングした妻は、調子よくなるどころか悪化する気がしたらしく、専門の先生に相談したら「ヨーガ」を勧められたという。
身体に歪みなどができて不調なときに「トレーニング」なんてとんでもない、と言われたようだ。
内蔵や骨格その他身体のあるべき位置に戻すのが先決で、そのためには「ヨーガ」の呼吸が大切だという。。。

うーむ。。。何となく自分もそんな気がしてきたのだ。ボディヒーリングというプログラムが「ヨーガ」の動きを取り入れているらしいが、ふにゃふにゃ動くだけでどうも全身の運動した気がしないため敬遠していたが。(しかも時間も遅い)
4月になって月曜日のスケジュールに「ヨーガ」とそれに続く「パワーヨーガ」というのが現れた。
インストラクターは同じ女性だがそれぞれ30分ずつの独立したコースなので、半分しかやらないというのも「あり」だ。

会社の仕事を早く片付けて月曜日にスタジオに行ってみた。開始時刻は8時10分だ。(ちょっとぎりぎり)
最初は簡単なストレッチや呼吸法の練習だ。ヨーガらしい独特なフォームも少しずつ取り入れられてきたが、どうってことないな。
「対内の悪いものを吐きだして、きれいなエネルギーを吸いこむように・・・」って、そんなことどうやってやるんだよ。。。
しかし繰り返して行くうちに「だんだんその気になってくる」から不思議なものだ。
インストラクターの言う「これが○○○のポーズです」というのは、ほとんどがレインボーマンにも出てこなかった解読不明の言葉だった。

心拍数が上がり、身体じゅうから汗が噴き出すことはないが、なんとなくボワーンと暖かくなってくる。30分たって身体がじっとりしてきたが、この程度でカロリー消費ってしてるんだろか。
次の「パワーヨーガ」はその名のとおり、筋力トレーニングと脂肪燃焼系が組み込まれているらしい。
まあ、飛んだり跳ねたり、バーベル持ち上げたりするのに比べればちょろいもんだよな、と思って臨んだら・・・
私は(容積の割には重たいせいだろが)極めて体バランスが悪いことを痛感させられた。

「硬い」のはしょうがないと思うのだが、身体を「点」で支えたり、そのままポーズを動かしたりすることがひどく苦手なのである。
こりゃーいけねえな・・・片足を曲げて後ろに持ちあげて足首を掴み、反対の手を真っすぐ前に伸ばしてだんだんかがんでいくポーズ。スタジオの1/4くらいをぴょんぴょん飛び跳ねてるのは私くらいではないか。。。

なになに?右ひじを右膝に乗せて身体を左に開き、左手を天井に伸ばしてその先端を見つめる・・・その次に右足をできるだけ真っすぐ伸ばして左足を地面から話すだと?!・・・
体を支える足裏、足首に猛烈な力が必要だ。プルプルと震えているのがわかる。。。こりゃーきついぞ。
左手を左足の内側から外へ出して、背中の後ろを回した右手で掴むとな?「こっこれはいかぬ!肩と背中がバキっと鳴ったぞ」
さらにできれば右足を宙に浮かす・・・「そっ、そんなことができるものか!」

気が付くと汗がしたたり落ちていた。いわゆるぜーぜー言う疲れではないが、身体中が悲鳴をあげているようだ。
レスミルズ・プログラムはかなりカロリーを消費していると思う。いわゆる「鍛える」というヤツだ。
むろん身体そのもの疲れや筋肉痛もある程度残るので連夜で通うのは避けていた。この歳では休息も大事であう。
しかし、この「ヨーガ」というものの後は身体に与えた「ズン!」というダメージの塊のようなものが1週間はどんより残っていた。

これは侮れぬ。。。というよりこれからは妻もアドバイスされたように過激系から「ヨーガ」のような神秘系にシフトしたほうがよいのではなかろうか?
近所の運動公園の施設でも「ハタ・ヨーガ教室」というのがあるそうだ。
サーフシーズンに入りオフ中にかなりトライセプス(上腕三頭筋)が落ちていることを痛感したが、その辺はマシーンで強化するとして・・・10年かかったが、やっぱりヨーガかな。。。
わかってはいるのだ。我々の年齢になると阿修羅のように運動でカロリー消費してもダメで、三食の「健全性」が支配的あることは。



珍問珍答

2010-06-06 23:10:51 | 出来事
息子甘辛の初めての中間テストが終了した。
むろん私は問題用紙を全部見せてもらい借りうけた。息子がどのような勉強しているかを見るためではない。「自分で解くため」である。
それにしても、自分の成績と全く関係のない試験問題がこんなに面白いものとは思わなかった。

まず技術・家庭だ。私達の頃は男子が技術、女子が家庭だったが、今はそれぞれが両方の科目を履修するそうだ。まあ、こういうところにも男女平等・機会均等が現れてるね。
「家庭」はちょうど土曜参観の授業でやっていたところがストレートに出題されていた。
5種類の栄養素・・・A(タンパク室)、脂質、B(炭水化物)、C(無機質)、ビタミンだ。
アルファベットの空欄を埋める問題になっているぞ。
問題用紙に書き込んである文字を見ると、当たってはいるがBは「たんすい」と書いてあり、Cは「無木き質」と記入してある。。。漢字やばくねーか?

図中のAについて・・・
ア.体内で消化されると何になるか答えなさい。
これ!土曜参観のときにオレが手を上げそうになったやつだ!
中学のときは栄養素は保健の授業で習ったが、全く同じ問題が出たことを覚えている。
そして教室で私の斜め前に座っていたSは、「う●こ」と答えたのだ。。。

私が最も苦手とした美術。ペーパーテストでいくらがんばっても、絵がヘタなのでいつも「3」。
問2.「海」に関するものを一つ想像し、絵かイラストレーションで解答用紙に書きなさい。
さすが海岸線134号沿いの学校だ。この地方ならではの問題かもしれぬ。
オレだったら、やっぱり波乗りしてるところかなー。

「甘辛よ。「海」に関する何をかいたんだ?」ワクワクして尋ねると・・・

「浮き輪」

「・・・」

「シャーペンの芯を擦ってちゃんと影を付けたんだぜ」

まあ・・・オレも絵のことは言えないしな。。。

理科の問題には少し感心した。思わず先生に拍手を贈ろうと思った。
【科学的思考を問う問題】
問6.次の1~10の応用問題から5題を選び答えなさい。
(1) もし昆虫がいなくなったら、地球ではどのようなことが起こるかを予想し、その理由を書きなさい。
(2) もし植物がいなくなったら、地球ではどのようなことが起こるかを予想し、その理由を書きなさい。
・ ・・・・・・・・・
うーむ。素晴らしくかつ手強い問題だ。息子は選ばなかったらしい。。。
(2)は分かっても、(1)は何と言えばよいのだろう。「世の女性が喜ぶ?。。。」いやいや「たまさん」は昆虫好きだったはずだ・・・
こういう問題をぜひ考えてほしいものだ。科学的思考+論理的思考かな、これは実にいい!
さらに問7
今回のテスト問題を参考にして、今回のテスト範囲の中から自作問題を5題つくり、予想される答えもつけなさい。
今の教師ってなかなかやるなー。もしかして来年のネタ集め?!

今回のテストで最も傑作だったのは国語である。
国語はその昔から珍答がよく見られる教科であった。「こざとへん」がどうしても思い出せなかったのでユニーク点ねらいで「しらへん」と書いた私などかわいいもので・・・
「恵美子の素直な気持ちを書きなさい」という問題に
「恵美子でない人がわかるわけがない」と書いたK、「恵美子は一見素直だが、悪魔のような心を持ったヤツだったので・・・」と自分で勝手に物語を作ってしまったR。

小学校では「『もし・・・なら・・・』という言葉を使って文章を作りなさい」という問題に「もしもし、奈良県の人ですか?」とやった甘辛も負けていない。
今回は漢字で苦戦しているようで、妙な暗号が多かった。(でも結構難しい漢字やってるのね)
「窒素」と書きたかったんだろか・・・「突素」という元素はないんだけど。。。
距離の「距」の右側が棒が多く、中臣鎌足の「おみ」になってるぞ。
「洪水」の「洪」に余計な「小+点」をつけてるし・・・

なかなかやるなー。しかし今回の中間テストグランプリは国語の問題五(ちょっと抜粋)
次の文章について後の問いに答えなさい。A~Dには同じ言葉が形を変えて入ります。

あしたこそ       
                       たんぽぽ はるか
「B」をおでこにくっつけて
はなひらく ひを
ゆめにみて
たんぽぽわたげが
まいあがります

とんでいこう どこまでも
あした
たくさんの「こんにちは」にであうために


おれはかまきり
                       かまきり りゅうじ
おう なつだぜ
おれは げんきだぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも かまも
どきどきするほど
「C」るぜ

おう あついぜ
おれは がんばるぜ
もえる ひをあびて
かまを ふりかざす すがた
わくわくするほど
きまってるぜ


ひかる
                       ほたる まどか
わたしをみつけて!

「D」ます

わたしの ぜんぶの
からだと こころで

うーむ。何も言うまい。。。グランプリに「かまきり りゅうじ」を選んで反対する人はいないだろう。
教科書にあるのかな。もしかして朗読とかしたのか?「おれはかまきり」・・・?
最近ツバメが巣にエサを運んでるところをよく見かけるが、先生ドリも大変だよねー。

         

中間テスト

2010-06-04 22:35:11 | 出来事
今年から中学生になった息子甘辛は、初めての中間試験を迎えた。うーむ。懐かしい・・・
試験前1週間は職員室入室が禁止になり、部活動が試験休みになるのは昔から変わっていないらしい。
45分間シーンとした教室でひたすら問題に向った(どころか学校以外で勉強した)経験など無かった私は、「試験勉強」なるものは何となくポーズをとっていたが、初めての試験科目(たしか技術・家庭)ではあの雰囲気に頭が真白になったものだ。
今どきの子供は塾でも実力テストのようなものがあり、結構慣れたもののように見える。息子は部活でないので、選抜の活動とかクラブ練習などは試験の前日まで行っていたし、その時間まではクラスメイトと出かけて勉強していたし、気楽なものだ。

親(おや)的には1年生の成績は進学等には関係ないと聞いたから結果よりもプロセスを心配するところであろうが、磯辺的にはいつもの悪い癖が出て、出た問題を解いてみたくてしょうがなかった。。。
中学生の私は、部活もあって時間は極端に短いものの主要5教科については意外にちゃんと勉強していたのだ。誰も信じないが、どの教科もそこそこ「面白かった」からである。
人間、最もパフォーマンスを発揮するのは「好きなこと」をやっているときだと思うが、「好き」までいかなくても「そこそこ」面白い試験範囲のときは結構よい成績がとれた。

ところどころ(と言うかある割合で)興味の空白とも言える分野が対象だと哀れなほど得点数が急降下したものだ。
実技中心の4教科がまさしくそれである。私に音楽や美術など芸術分野を司るDNAは欠落していたのであろう。ペーパーテストなどには更に全くと言っていいほど興味がわかず、実技で稼げる保健体育以外は惨憺たる成績であった。
2年生のときにその保健体育が専門教科の担任だったが、その先生がまた「個性的」な人であった。お隣の中学で桑田佳祐を教えたこともあるらしい。

ペーパーテストがそれまで見たこともない奇妙な問題だった。
痛恨の体育編では
「鉄棒の順手、逆手、片逆手を絵で描け」「ラジオ体操第2の6番目の体操を絵で描け」「自分で編み出した筋力トレーニング方法を図で描け」
鉄棒の握りは左手は描けるのである。クラスの男子全員が握った手を写生していた。私の描いた右手には親指が両サイドに付いていた・・・×
ラジオ体操。。。全員が手首から先だけでラジオ体操第2を踊り始めた。6番目の運動は分かったが、身体を頭以外全部棒で描けばよいのに、アリのように中途半端に胴体を表現してしまったので動きがよくわからぬと・・・×
自分で編み出したトレーニングは身体を弓成りにしてロッキングチェアのように揺れ動くというものだった。腹筋の逆の発想でそういうトレーニングもホントにあるのだが、「胴体」の下手さが災いしてやはり動きがよく分からぬと・・・×

保健編に至っては
「茅ヶ崎市の保健所の位置を地図で示しなさい」「国木田独歩の碑の場所を地図で描け」

なぜ「地図」なのか誰にも分からなかった。ただ噂には聞いていたので、授業中に教科書とは関係のない人物、施設などが出てくると一応場所をチェックしておいた。そういう「深読みセンス」が必要だったのである。

保健体育はこの2教科合わせて30分という絶望的に短い時間で、1秒でも無駄にすることはできず解答用紙が配られた瞬間から書き込みを始めていた。
80点以上とれないとグランドを走らされたりしたのだ。あまりの焦りに私は「自分の名前を一字書き忘れる」という信じ難いミスを犯した。
「絵」や「地図」関係はすべてダメだったが、さすがにこれだけは目をつむってくれた。


先月、「教科説明会」なるものが中学校で開催された。今の中学生の成績評価の付け方、部活や年中行事の紹介などが丁寧に説明されていた。
学業成績について最も昔と異なるのは「絶対評価」となったこと。かなり細分化されて客観的にしようと工夫されているが、基本的には担当する教師から見た「主観的な判断」になるのである。
笑い事ではないが、有名塾の中には「●●中2年の理科担当▲▲先生が出す問題の傾向と対策」があるらしい。。。

我々の頃は「相対評価」と言って必ず決められた人数比率で「5」もいれば「1」もいた。
上から順番に決まった人数だけ成績を付けていくので中間/期末テストで100点満点でも「4」のときがある。
無理やり差をつけなければならない弊害を一度受けて先生に大抗議したことを覚えている。忘れもしない「歴史」における「第二次世界大戦前後の世界」である。

「ファシズムでドイツに独裁政権をたてた政党は何か?」
「ナチス党」と書いたら×であった。。。たしか先生の説明では「ナチスという名称が『国家社会主義ドイツ労働者党』という意味を持っている。したがって「ナチス党」はナチストウトウになってしまうから不正解・・・

「1917年の二月革命によって成立した初の社会主義国家は何か」
「ソビエト」と書いたらこれまた×であった。。。ソビエトというのは正しくは革命を起こそうとした労働者・農民などの評議会のことを指すので不正解というのである・・・ソ連ならOK(何と「ソレン」でもOK)

歴史は面白いと思っていたのでよく勉強していたが、このあたりからだんだんやる気が失せてきた。
物事の本質を教えずに「差異を付けることばかり」やってると、そんなヤツばかりのくだらぬ国になってしまうぞ、と子供ながら思ったものだ。
つい数年前でもTV番組でインテリ小学生と芸能人のクイズ大会をやっていた。
「板垣退助が自由民権運動の中で暴漢に襲われた時に叫んだ言葉は?」という問題に芸能人が先に答えた・・・

「板垣死すとも自由は死なず」

正解のピンポーンがなって、スタジオ内は拍手が湧いたが、インテリ小学生の一人が「違うよ!」と言いだした。

得意な顔でもなく、冷静に間違いを指摘するようにその子は「『板垣死すとも自由は死ず』だよ。」と堂々と抗議したのである。
結果はどちらも正解ということになったのだが、その少年が将来「大物」になる可能性には厳しいものを感じたものだ。
(実際、ホントに言ったかどうかも怪しいものだからである)
「とりあえず本旨から外れなければOK」という絶対評価に今後は期待したいものだ。

今日で終わりと聞いているから試験問題もらって自分でやって見ることにしよう。
オレ、こういうの大好き。楽しみだ。

ああ夏休み

2010-06-01 22:43:43 | 職場
職場の人間は私も含めて通常の会社と同様に「夏休み」休暇をとる。
会社自体が休みになることはなく、めいめいが自身の予定と仕事を眺め必要に応じて他人と調整して前もって予定にしておく。
多少大らかなのは「忙しいから」とか「休んでもやることがない」などと言って取得しないのは慣習上ない。(かなり「義務的な」意味付けがある)

例年7〜9月で夏季休暇としては5日間(取り方に決まりがあるようだがよく知らぬ)予定表を提出することになる。
事務処理みたいなものは後でもよいし、変更も基本的に自由にできるが、予定だけはちゃんと公表しないとうるさく叱られる。
ウソでもよいから提出しろ、ということなのだ。

ただ、今年はクールビズと同様に夏季休暇取得対象期間が拡大されて6〜9月になってしまった。。。
これにはさすがに皆戸惑っていた。今日までに夏休み予定表を提出しなければならないからである。
5月中から、夏休みの予定なんてよほど大きな旅行でも計画しない限り白紙だよなあ・・・

私もしつこく(メールで何度も)催促され予定表を見ると・・・結構ちゃんと埋まってるじゃないか。
地方に帰省する人は親戚が集まったりするので、大体お盆の頃に決まっているようだ。チケットの手配とかもあるのかね。
中には通常の休暇を追加して2回の夏休みを予定している人もいる。自分と配偶者の両親がうんと離れているので、それぞれ共に帰省するために2度予定してるそうだ。
それは構わぬが予算も倍だし、大変なことなんだろな。

エラい人は大抵普通のお盆に所定の日数を休み、あまりイレギュラーなことはない。
取り巻きや「上を見て仕事をする人」は気を使ってか、必ずその予定に合わせて自分の夏休みを計画する。
それでなくてもやはり習慣としてはお盆休みが一番出社する人が少なく、ほとんど開店休業状態となる。

私はと言うと夫婦とも県内に実家があるため、お盆にわざわざ帰省する必要はなく、夏休みは2回に分けたり、8月最終週にしたりしてチョイ海外というのが結構多かった。
8月15日前後はほとんど職場にいなくなるので、帰省する人のために当直をしてやる、という名目が立つし電話ひとつかかって来ない(来ても出ないけど)ので、日頃やろうと思っていて中々できない「問題先送り事項」についてゆっくり作戦を練れるので、お盆出社は定例と化しているのである。
電車はガラガラだし、同じ職場にいる同志と飲み屋に行ったりすると客が少ないせいか「お盆特別メニュー」などがあって、思わぬ得をしたりするのだ。

今年はまったく立っていない。。。とりあえず8月末くらいに仮置しておくか。
1週間はさすがに気が引けるが、その気になればこの前の「南の島作戦」のように3泊4日くらいの旅行はゲリラ的に実行できる。
しかし、正直に感心するのだが職場には(と言うより世間には)「そういうこと」を決してしないサラリーマンが意外に多い。

休暇自体を中々取らない人が多いのである。ドラマや漫画によくあるように「上司が休みを取らせてくれない」ということはない職場なのだが。
(と言うより不思議なことにちゃんと有給は消化するように厳しく言われるほうだ。昨今行政がうるさいからか・・・)
「休暇は人間ドック以外には年に5日くらいしかとらないよ」とため息交じり(自慢っぽく)のたまう先輩もいるのだ。むろん私はそう言う会話の中ではこそこそしている。
責任感が強いと言うか、罪悪感が強いと言うか。。。

皆、中々に忙しそうだ。「忙しい」という感じは「心」を「亡くす」と書く。
自分が休むと仕事が止まってしまって皆に迷惑がかかると思ってるのだろうか。私は年齢相応の職務と権限がそれなりにあるから、いないと事務処理に困ったりすることはあると思うが、連絡の上代行も頼めるし「磯辺ならどう考えるか、の視点で考えてくれればいちいち『ほう・れん・そう』などせずにその場で決めてよろしい」という手抜きスタイルだからいなくても大勢に影響はない。

ずばり「その人がいないと仕事が止まる」ような振り方をするヤツは大したことをやっていないことが多いものだ。
確かに夜遅くまで残ってがんばってらっしゃるし、お世話にもなっているのだが「皆さんの御役目を一身に背負い、今日も仕事しております・・・」と悲壮感漂わせる人にはあまり同情を感じない。
私も含めて「自分の変わりなぞいくらでもいる」と思ったほうが気楽でよいぞ。

そんなに休めないとは思えないんだけど、とにかく毎日出社だけはきちんとして山ほど休暇が余ってる人ってもしかして自分がいなくても全然影響がない、という事実を目の当たりにしたくないんじゃないのかね?(やばし!叱られる)
少しおおらかに構えないと、家庭サービスもできなくなるぜー。自分の趣味もね。
かく言う私だが、あまり休みたいと思うことはない。締切に追いまくられることもなく休日はちゃんとあってやりたいことをやってるし、通勤は割と快適だし、職場にはたまに面白いこともあるからだ。
(一方、来なくてよいと言われれば他にやりたいことは山ほどある)

「成果主義」について面白い記事があった。今度その人の著書を取り寄せて読んでみようと思う。
ちょっとだけその記事を引用すると・・・
「心理学者デシが1975年にやった実験では、学生たちにパズルを解くという課題を与えた。パズルはわりと面白い。セッションの途中に休憩時間をとる。すると休憩時間にも学生たちはコーヒーをのみながらもずっとパズルを解いている。ところがセッションの途中の休憩のときに、それまでの拘束時間に対するバイト料を払うと、休憩時間にパズルを解く学生が激減した」

これは何となく(と言うか非常によく)わかる。労働はお金だけではないのである。
仕事が高い評価を受けてボーナスをたくさんもらえればそりゃー嬉しいが、 たまーに「実に面白い」仕事があると寝食を忘れて仕事しても、残業手当が欲しいなどとは思わないものだ。
その人の提案では「勤務考課はもちろん必要だけれど、高いパフォーマンスに対しては金銭的報酬ではなく、『より面白い仕事』『より困難な仕事』『よりリスクの多い仕事』に配置するというかたちで報いるのがいちばん効果的である」というのである。
うーむ。これは奥が深い・・・私は根性無しだから「困難」「や「リスク」はいやだが、「より面白い仕事」というのはおおいに「あり」だ。

まあ詳しいことは本を読んでからということにして。。。夏休みの予定は何ひとつたっていない・・・
我が家はGWも盆暮れも「皆が色々と出掛ける」時期にはどこへも行かないことが多いからである。ここ数年は子供が忙しすぎて特にそういう傾向がある。
早朝から波乗りに仕掛け、昼はビーチでボディボード、夕方から釣りに行って浜辺で花火なんかできてしまうと別にどこか遠いところに行こうとも思わないのだ。(かなり贅沢と言われるが、負け惜しみも半分ある)

行くとしたらやはり海外がいいのだが、どこがいいだろか?ハワイなんかも候補に上がっているが、真夏に常夏の島というもの芸がない。。。
甘辛はスペインリーグ(リーガ・エスパニョーラ)を見に行きたいと言ってるが、場所がどこだか知ってんのか?
たしかにヨーロッパはドイツ(ブンデスリーガ)、イタリア(セリエA)、イングランド(プレミアリーグ)などサッカーの見どころはどこにでもあるが何せ遠いよなー。
今、適当に計画は提出しちゃってるが、少し調べてみよう。しっかしどこがいいかなあ。。。

朝のズームインで、すぐそばの海岸を映し出していた。「砂場でも生息できるハマヒルガオという花が今、満開です」
最近でこそ結構近所がテレビで取り上げられるが、昔はそんなことは全然無かった。
海浜公園の帰りに寄って撮ってみたけど、うまく撮れないねえ。。。