世に「男の料理」というのは本やテレビ番組など色々なところで取り上げられている。街中でこれについて女性にイメージについてインタビューすると大抵似たような答えが帰ってくるだろう。「大雑把」「大振り」「素材のこだわり」「無駄」「ゴミ」「後片付けしない」・・・自分にも大抵はあてはまるが、私の場合強力な興味が湧いた時(特定のきっかけ)に限られるからカテゴリーとして当てはまるレベルではない。また私がキッチンで何やら始めた時に出来上がるものを家族は全く期待していない。私も本で読んだり、テレビで見て響いたものを「試し」に作っているだけで、食べる人が美味しく食べることをあまり想定していないから、何か理化学実験のように思っているのか、妻も甘辛も作品に手を出さない。
家事には色々な種類があるけれど、料理というのは掃除や洗濯などと異なり特別な意味があるように思う。家事を分担すると言っても、奥方がキッチンで「彼は料理を作ってくれる」などと他言する男性バディはたぶん、よっぽどすごい腕の持ち主である。大抵の奥方は時々思い出したようにキッチンに立つ男子を「家事を手伝う」というよりは、「余計な仕事増やしやがって」と思うことが多いようだ。(少なくとも我が家はそうだ)前回紹介した著書は「男の料理」なるものを通して夫婦や家族のあり方を考えさせる物語だった。私の知人にも自身で料理の腕を奮い「プロ顔負けの凝った」料理をマメに某SNSで披露労する多才な同僚やご主人が料理好きで何でもこなし、生地の段階からピザや肉まんを製作してしまうという人もいる。材料を加工して火を通したり、煮込んだり、途中で味見をしてみたり、物語風に言えば食べる人の顔を思い浮かべたり(私はそういうことはないが)料理というものは様々な模様があると思うし興味もある。
私もかつてはマイ中華なべとお玉を持っており、茅ヶ崎北京亭の中華丼その他懐かしのメニュー製作には鍋を振るったものだ。しかし残念ながら以前よりはキッチンに立つ機会はだいぶ減ってきたように思う。ここで思うのはよくある話だろうが自分の扱いたいのは「炎」が中心なのである。煮るとか蒸すなどよりも、強力な炎の中を具材が「踊る」のが快感なのだ。だからガスコンロからIHになってしまうと全く面白くない。底の平べったいフライパンで菜箸を使ってずいずいかき回すだけになると、よほどきっかけがないと「やってみよう」という気にならず、「世界の料理ショー」の特別メニューとか、母の日向けに好物の「金目鯛の煮付け」を作ったくらいである。材料を下ごしらえする場合や、ちょっとした細工が必要な時、また「手際の良さ」や「順番と時間の正確性」などが求められる時、(よい例が東京ガスの料理教室だが、料理のベテランたる主婦に囲まれて完全な異世界で浮き上がり、かなり懲りた。。。)やはり「また今度にしようかな」などと自分に言い聞かせてしまうのである。
さて「男の料理」を論じる際に、先に紹介した本の真ん中に登場するエリカ先生の存在はかなり象徴的である。いわゆる料理教室の先生なのだが、中年3人組の「男のこだわり料理」的な嗜みをまったく否定し、「買ったほうが安いときは迷わず買え」と説き、男の料理は「お金がかかりゴミを増やし、キッチンを汚すだけで、しかも大して美味くない」と一刀両断し、使える小手先ジャンクものを推奨する。あの物語はこのような男子のありがちな「料理に対する思い」の空回りが、そのまま夫婦間の空回りに通じていくような描き方をしているように思う。「男の料理」についてはエリカ先生に全く同感で、奥方に迷惑をかけないよう、一人になった暇つぶしに場を借りて行うものだと思う。しかし小手先シリーズは逆に手をかけないで割り切って「使える」というところが「男子向き」(と言うより自分向き)のような気がし、試しにこの本に載っている「手抜き」シリーズのうち典型的なメニューを実践してみることにした。多少拘りが見え隠れするところもあるのだが、まずはメニューの代表作かのような「卵かけご飯編」である。ご飯に卵をかけて醤油を垂らして混ぜるだけと言うのが基本なのだが、色々とバラエティが加わる。
めんつゆ版:揚げ玉入りにし、白身と黄身は混ぜず、味付けはめんつゆに食べるラー油をひと匙。
→単なるぬるい「たぬきうどん」のお米版という感じ。ラー油を大目にすると少しインパクトが出るかも。白身と黄身を混ぜないというのは、主人公のポリシーのようなもので、物語に登場する、母親が不倫中に事故にあって入院中の「ドン」が編み出した「ドンたま」は食べるラー油を適当に混ぜ込んだご飯に生卵を割って落とすだけ。ラー油とご飯、そして白身や黄身の混ざり具合により色んな個所で色んな味が楽しめるというもの。溶き卵を混ぜ込んだ均質な卵かけご飯に疑問をもった中学生らしい作品だが、実際は正直「だから何なの?」感が拭えず、ハマるまでには至らない。
ぷよとろ版:きっかり5分間ゆでた「白身ぷよぷよ、黄身とろとろ」の卵を熱々のご飯に載せて箸でざっくり割砕き、一滴の醤油に黒胡椒とマヨネーズ。
半熟卵を割って出てくる黄身に味付けするところが素晴らしい。マヨネーズの風味がアクセントとなっている。きっかり5分間茹でると卵ってこんなにぷよぷよになるのか?!割った時に湯気と一緒に流れ出すところが感動的だが、たかだか卵を茹でるのに、水を沸騰させる数分+5分間要するのでジャンクモノの割には手間と時間がかかってコスパがイマイチという感じ。このぷよとろ卵は別のちゃんとした料理に使用した方がいいんじゃないかと思う。
猫まんま版:醤油にひたしたオカカとご飯で「猫まんま」をつくる。その上にスライサーで薄切りにして水にさらした玉ねぎを敷き詰め、チューブの豆板醤かコチュジャン、もしくはラー油を足す。そこに生卵の黄身だけを落として箸の先で崩す。
一番手がかかっていて、お店のメニューにできそうなほど、個性的な味。ラー油ではちょっと弱いし、コチュジャンではそのまんまの味になってしまうから、バランスが結構難しい。原作では使うのは黄身だけで、白身は別途スープなどにするのだが、卵かけご飯の手抜きさを大きく超えていてちょっと邪道な感じ。ここまで手をかけるなら他のちゃんとした物を作れるんじゃないか?ちなみに面倒でもったいないので、生卵をそのまま割落としたが、ちょっと抜けたような味になってしまい、失敗感が漂ってしまった。
どれも悪くはないが、エリカ先生の「買ったほうが安い時は・・・」という主張を忠実に実行すると近所の「すき家」にある「たまご朝食セット」200円にはとてもかなわない。。。さらに牛小皿におかか、オクラ、温泉卵などをぶわわーっとかけて食べる「混ぜのっけご飯朝食」という最強級メニューがあり、出かけるついでに「途中で食っていく」手軽さが加わるともはや卵かけご飯はかなり苦戦しそうである。これ以外のジャンク料理として豆腐グラタン(豆腐にピザ用とろけるチーズを乗せ、レンジで1分半、仕上げにオリーブ油と黒コショウ、さらに小魚ピーナッツをパラパラと振りかける。)タケが唯一編み出したジャンクフードに「サンラータン」ならぬ「2.5ラータン」というのがある。「粉末の中華スープの素をお湯に溶き、そこに中華ドレッシングを大さじで3杯足して、胡椒で味を調えてから片栗粉でとろみをつける。」
晩酌タイムに豆腐グラタンをこしらえて妻に食べてもらうと「はぁ?」という顔をされた。また不思議に中々手に入らなかったキューピー中華ドレッシングを買ってきて製作した2.5ラータンも「???」という感じ。やはり悪くはないのだが、「あー、なるほど、豆腐にチーズがのっかって、オリーブ、黒コショウ・・・」「ふんふん、中華スープにドレッシングね」つまりはどれも味がそれぞれ分離して透けて見えてしまい、料理らしい「味の融合」や「新しい味覚」を感じなかったのである。ホントの調理をするためにキッチンに立つことが少なくなってきたので、「男子のジャンク料理」路線で少しレパートリーを増やそうと試行してみたのだが、どうも「ダメ出し」ばかりになってしまったようだ。どうも今後、生活の中に取り入れて定着していくようなものではないな。考えてみると「時間がない」時は家にいつもあるモノを使用して誰しもが自分の「手抜き料理」を持っていることに気が付いた。
ちなみに私が朝の時間の無い時にほとんどキッチンで立ち食い風に作るメニューは納豆+卵+シラスを混ぜて海苔でくるんで食べるモノだ。作るのに30秒、食べるのに1分・・・しかしこれに野菜ジュースを加えると最強メニューだと思っている。私は食べないが妻(世の人にも多い)は白米と漬物をさらさらーとかっ込んで朝昼食にしていることも多い。さらに「手抜き」という意味で最も徹底的なのは息子甘辛である。遅かったとは言え高度成長期は一段落しても、運動量が多いのか魔神のように食う割には「全くと言ってよい」ほど何も手をかけない。妻が出してやらないと食べるのは白飯だけある。キッチンの残りものにも手を出さないし、冷蔵庫からおかずになりそうなものを出したりしないし、振りかけも使わず卵一つ落とさない。我が家の米は富山の農家から直接取り寄せているので確かに美味しいのだが、ここまで何もしないとはよほど興味がないだろうか?(でもおかずが出てくると残らず食べ尽くす)炊いてある米が見当たらないときは食パンだけをひたすらかじっている。(しかも一斤全部である)カップラーメンを作ることすらしない。ただし「引きこもラー」のようにお菓子だけで済ますこともしない。
いずれ家を出て一人暮らしなど始めたときにあっという間に病気になりそうで心配だ。妻のように何かにつけて品数をかせいでくれる伴侶でも早く見つければ別だが。「ウチのダンナは何かにつけて色々作ってくれるので・・・」なんていう奥方を見ると「その気になりゃ、できるよな」と思いつつも、我が家は「男子厨房に立つべからず」的雰囲気もあるので、この方面にはあまり手を出さないことにした。まずは息子を少し洗脳し、「これだけ食ってりゃ、とりあえず死ぬことはない」的な「手抜き料理」を覚えさせなければ。電子レンジも使わないヤツに「盛っただけで栄養を摂らせる」には、全てを放り込んで「炊き込む」しかない。(そう言えば妻もそれに気がついたのか、最近炊込み御飯が増えたような気がする)皆さんそれぞれ自分仕様の「手抜き料理」は何でしょうか?また白米しか食わぬ息子に「もう一手間」かけさせるにはどうしたらよいでしょうか?
家事には色々な種類があるけれど、料理というのは掃除や洗濯などと異なり特別な意味があるように思う。家事を分担すると言っても、奥方がキッチンで「彼は料理を作ってくれる」などと他言する男性バディはたぶん、よっぽどすごい腕の持ち主である。大抵の奥方は時々思い出したようにキッチンに立つ男子を「家事を手伝う」というよりは、「余計な仕事増やしやがって」と思うことが多いようだ。(少なくとも我が家はそうだ)前回紹介した著書は「男の料理」なるものを通して夫婦や家族のあり方を考えさせる物語だった。私の知人にも自身で料理の腕を奮い「プロ顔負けの凝った」料理をマメに某SNSで披露労する多才な同僚やご主人が料理好きで何でもこなし、生地の段階からピザや肉まんを製作してしまうという人もいる。材料を加工して火を通したり、煮込んだり、途中で味見をしてみたり、物語風に言えば食べる人の顔を思い浮かべたり(私はそういうことはないが)料理というものは様々な模様があると思うし興味もある。
私もかつてはマイ中華なべとお玉を持っており、茅ヶ崎北京亭の中華丼その他懐かしのメニュー製作には鍋を振るったものだ。しかし残念ながら以前よりはキッチンに立つ機会はだいぶ減ってきたように思う。ここで思うのはよくある話だろうが自分の扱いたいのは「炎」が中心なのである。煮るとか蒸すなどよりも、強力な炎の中を具材が「踊る」のが快感なのだ。だからガスコンロからIHになってしまうと全く面白くない。底の平べったいフライパンで菜箸を使ってずいずいかき回すだけになると、よほどきっかけがないと「やってみよう」という気にならず、「世界の料理ショー」の特別メニューとか、母の日向けに好物の「金目鯛の煮付け」を作ったくらいである。材料を下ごしらえする場合や、ちょっとした細工が必要な時、また「手際の良さ」や「順番と時間の正確性」などが求められる時、(よい例が東京ガスの料理教室だが、料理のベテランたる主婦に囲まれて完全な異世界で浮き上がり、かなり懲りた。。。)やはり「また今度にしようかな」などと自分に言い聞かせてしまうのである。
さて「男の料理」を論じる際に、先に紹介した本の真ん中に登場するエリカ先生の存在はかなり象徴的である。いわゆる料理教室の先生なのだが、中年3人組の「男のこだわり料理」的な嗜みをまったく否定し、「買ったほうが安いときは迷わず買え」と説き、男の料理は「お金がかかりゴミを増やし、キッチンを汚すだけで、しかも大して美味くない」と一刀両断し、使える小手先ジャンクものを推奨する。あの物語はこのような男子のありがちな「料理に対する思い」の空回りが、そのまま夫婦間の空回りに通じていくような描き方をしているように思う。「男の料理」についてはエリカ先生に全く同感で、奥方に迷惑をかけないよう、一人になった暇つぶしに場を借りて行うものだと思う。しかし小手先シリーズは逆に手をかけないで割り切って「使える」というところが「男子向き」(と言うより自分向き)のような気がし、試しにこの本に載っている「手抜き」シリーズのうち典型的なメニューを実践してみることにした。多少拘りが見え隠れするところもあるのだが、まずはメニューの代表作かのような「卵かけご飯編」である。ご飯に卵をかけて醤油を垂らして混ぜるだけと言うのが基本なのだが、色々とバラエティが加わる。
めんつゆ版:揚げ玉入りにし、白身と黄身は混ぜず、味付けはめんつゆに食べるラー油をひと匙。
→単なるぬるい「たぬきうどん」のお米版という感じ。ラー油を大目にすると少しインパクトが出るかも。白身と黄身を混ぜないというのは、主人公のポリシーのようなもので、物語に登場する、母親が不倫中に事故にあって入院中の「ドン」が編み出した「ドンたま」は食べるラー油を適当に混ぜ込んだご飯に生卵を割って落とすだけ。ラー油とご飯、そして白身や黄身の混ざり具合により色んな個所で色んな味が楽しめるというもの。溶き卵を混ぜ込んだ均質な卵かけご飯に疑問をもった中学生らしい作品だが、実際は正直「だから何なの?」感が拭えず、ハマるまでには至らない。
ぷよとろ版:きっかり5分間ゆでた「白身ぷよぷよ、黄身とろとろ」の卵を熱々のご飯に載せて箸でざっくり割砕き、一滴の醤油に黒胡椒とマヨネーズ。
半熟卵を割って出てくる黄身に味付けするところが素晴らしい。マヨネーズの風味がアクセントとなっている。きっかり5分間茹でると卵ってこんなにぷよぷよになるのか?!割った時に湯気と一緒に流れ出すところが感動的だが、たかだか卵を茹でるのに、水を沸騰させる数分+5分間要するのでジャンクモノの割には手間と時間がかかってコスパがイマイチという感じ。このぷよとろ卵は別のちゃんとした料理に使用した方がいいんじゃないかと思う。
猫まんま版:醤油にひたしたオカカとご飯で「猫まんま」をつくる。その上にスライサーで薄切りにして水にさらした玉ねぎを敷き詰め、チューブの豆板醤かコチュジャン、もしくはラー油を足す。そこに生卵の黄身だけを落として箸の先で崩す。
一番手がかかっていて、お店のメニューにできそうなほど、個性的な味。ラー油ではちょっと弱いし、コチュジャンではそのまんまの味になってしまうから、バランスが結構難しい。原作では使うのは黄身だけで、白身は別途スープなどにするのだが、卵かけご飯の手抜きさを大きく超えていてちょっと邪道な感じ。ここまで手をかけるなら他のちゃんとした物を作れるんじゃないか?ちなみに面倒でもったいないので、生卵をそのまま割落としたが、ちょっと抜けたような味になってしまい、失敗感が漂ってしまった。
どれも悪くはないが、エリカ先生の「買ったほうが安い時は・・・」という主張を忠実に実行すると近所の「すき家」にある「たまご朝食セット」200円にはとてもかなわない。。。さらに牛小皿におかか、オクラ、温泉卵などをぶわわーっとかけて食べる「混ぜのっけご飯朝食」という最強級メニューがあり、出かけるついでに「途中で食っていく」手軽さが加わるともはや卵かけご飯はかなり苦戦しそうである。これ以外のジャンク料理として豆腐グラタン(豆腐にピザ用とろけるチーズを乗せ、レンジで1分半、仕上げにオリーブ油と黒コショウ、さらに小魚ピーナッツをパラパラと振りかける。)タケが唯一編み出したジャンクフードに「サンラータン」ならぬ「2.5ラータン」というのがある。「粉末の中華スープの素をお湯に溶き、そこに中華ドレッシングを大さじで3杯足して、胡椒で味を調えてから片栗粉でとろみをつける。」
晩酌タイムに豆腐グラタンをこしらえて妻に食べてもらうと「はぁ?」という顔をされた。また不思議に中々手に入らなかったキューピー中華ドレッシングを買ってきて製作した2.5ラータンも「???」という感じ。やはり悪くはないのだが、「あー、なるほど、豆腐にチーズがのっかって、オリーブ、黒コショウ・・・」「ふんふん、中華スープにドレッシングね」つまりはどれも味がそれぞれ分離して透けて見えてしまい、料理らしい「味の融合」や「新しい味覚」を感じなかったのである。ホントの調理をするためにキッチンに立つことが少なくなってきたので、「男子のジャンク料理」路線で少しレパートリーを増やそうと試行してみたのだが、どうも「ダメ出し」ばかりになってしまったようだ。どうも今後、生活の中に取り入れて定着していくようなものではないな。考えてみると「時間がない」時は家にいつもあるモノを使用して誰しもが自分の「手抜き料理」を持っていることに気が付いた。
ちなみに私が朝の時間の無い時にほとんどキッチンで立ち食い風に作るメニューは納豆+卵+シラスを混ぜて海苔でくるんで食べるモノだ。作るのに30秒、食べるのに1分・・・しかしこれに野菜ジュースを加えると最強メニューだと思っている。私は食べないが妻(世の人にも多い)は白米と漬物をさらさらーとかっ込んで朝昼食にしていることも多い。さらに「手抜き」という意味で最も徹底的なのは息子甘辛である。遅かったとは言え高度成長期は一段落しても、運動量が多いのか魔神のように食う割には「全くと言ってよい」ほど何も手をかけない。妻が出してやらないと食べるのは白飯だけある。キッチンの残りものにも手を出さないし、冷蔵庫からおかずになりそうなものを出したりしないし、振りかけも使わず卵一つ落とさない。我が家の米は富山の農家から直接取り寄せているので確かに美味しいのだが、ここまで何もしないとはよほど興味がないだろうか?(でもおかずが出てくると残らず食べ尽くす)炊いてある米が見当たらないときは食パンだけをひたすらかじっている。(しかも一斤全部である)カップラーメンを作ることすらしない。ただし「引きこもラー」のようにお菓子だけで済ますこともしない。
いずれ家を出て一人暮らしなど始めたときにあっという間に病気になりそうで心配だ。妻のように何かにつけて品数をかせいでくれる伴侶でも早く見つければ別だが。「ウチのダンナは何かにつけて色々作ってくれるので・・・」なんていう奥方を見ると「その気になりゃ、できるよな」と思いつつも、我が家は「男子厨房に立つべからず」的雰囲気もあるので、この方面にはあまり手を出さないことにした。まずは息子を少し洗脳し、「これだけ食ってりゃ、とりあえず死ぬことはない」的な「手抜き料理」を覚えさせなければ。電子レンジも使わないヤツに「盛っただけで栄養を摂らせる」には、全てを放り込んで「炊き込む」しかない。(そう言えば妻もそれに気がついたのか、最近炊込み御飯が増えたような気がする)皆さんそれぞれ自分仕様の「手抜き料理」は何でしょうか?また白米しか食わぬ息子に「もう一手間」かけさせるにはどうしたらよいでしょうか?