超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

男子の手抜き料理

2016-12-22 20:37:41 | 食べ物
世に「男の料理」というのは本やテレビ番組など色々なところで取り上げられている。街中でこれについて女性にイメージについてインタビューすると大抵似たような答えが帰ってくるだろう。「大雑把」「大振り」「素材のこだわり」「無駄」「ゴミ」「後片付けしない」・・・自分にも大抵はあてはまるが、私の場合強力な興味が湧いた時(特定のきっかけ)に限られるからカテゴリーとして当てはまるレベルではない。また私がキッチンで何やら始めた時に出来上がるものを家族は全く期待していない。私も本で読んだり、テレビで見て響いたものを「試し」に作っているだけで、食べる人が美味しく食べることをあまり想定していないから、何か理化学実験のように思っているのか、妻も甘辛も作品に手を出さない。

家事には色々な種類があるけれど、料理というのは掃除や洗濯などと異なり特別な意味があるように思う。家事を分担すると言っても、奥方がキッチンで「彼は料理を作ってくれる」などと他言する男性バディはたぶん、よっぽどすごい腕の持ち主である。大抵の奥方は時々思い出したようにキッチンに立つ男子を「家事を手伝う」というよりは、「余計な仕事増やしやがって」と思うことが多いようだ。(少なくとも我が家はそうだ)前回紹介した著書は「男の料理」なるものを通して夫婦や家族のあり方を考えさせる物語だった。私の知人にも自身で料理の腕を奮い「プロ顔負けの凝った」料理をマメに某SNSで披露労する多才な同僚やご主人が料理好きで何でもこなし、生地の段階からピザや肉まんを製作してしまうという人もいる。材料を加工して火を通したり、煮込んだり、途中で味見をしてみたり、物語風に言えば食べる人の顔を思い浮かべたり(私はそういうことはないが)料理というものは様々な模様があると思うし興味もある。

私もかつてはマイ中華なべとお玉を持っており、茅ヶ崎北京亭の中華丼その他懐かしのメニュー製作には鍋を振るったものだ。しかし残念ながら以前よりはキッチンに立つ機会はだいぶ減ってきたように思う。ここで思うのはよくある話だろうが自分の扱いたいのは「炎」が中心なのである。煮るとか蒸すなどよりも、強力な炎の中を具材が「踊る」のが快感なのだ。だからガスコンロからIHになってしまうと全く面白くない。底の平べったいフライパンで菜箸を使ってずいずいかき回すだけになると、よほどきっかけがないと「やってみよう」という気にならず、「世界の料理ショー」の特別メニューとか、母の日向けに好物の「金目鯛の煮付け」を作ったくらいである。材料を下ごしらえする場合や、ちょっとした細工が必要な時、また「手際の良さ」や「順番と時間の正確性」などが求められる時、(よい例が東京ガスの料理教室だが、料理のベテランたる主婦に囲まれて完全な異世界で浮き上がり、かなり懲りた。。。)やはり「また今度にしようかな」などと自分に言い聞かせてしまうのである。

さて「男の料理」を論じる際に、先に紹介した本の真ん中に登場するエリカ先生の存在はかなり象徴的である。いわゆる料理教室の先生なのだが、中年3人組の「男のこだわり料理」的な嗜みをまったく否定し、「買ったほうが安いときは迷わず買え」と説き、男の料理は「お金がかかりゴミを増やし、キッチンを汚すだけで、しかも大して美味くない」と一刀両断し、使える小手先ジャンクものを推奨する。あの物語はこのような男子のありがちな「料理に対する思い」の空回りが、そのまま夫婦間の空回りに通じていくような描き方をしているように思う。「男の料理」についてはエリカ先生に全く同感で、奥方に迷惑をかけないよう、一人になった暇つぶしに場を借りて行うものだと思う。しかし小手先シリーズは逆に手をかけないで割り切って「使える」というところが「男子向き」(と言うより自分向き)のような気がし、試しにこの本に載っている「手抜き」シリーズのうち典型的なメニューを実践してみることにした。多少拘りが見え隠れするところもあるのだが、まずはメニューの代表作かのような「卵かけご飯編」である。ご飯に卵をかけて醤油を垂らして混ぜるだけと言うのが基本なのだが、色々とバラエティが加わる。

めんつゆ版:揚げ玉入りにし、白身と黄身は混ぜず、味付けはめんつゆに食べるラー油をひと匙。
→単なるぬるい「たぬきうどん」のお米版という感じ。ラー油を大目にすると少しインパクトが出るかも。白身と黄身を混ぜないというのは、主人公のポリシーのようなもので、物語に登場する、母親が不倫中に事故にあって入院中の「ドン」が編み出した「ドンたま」は食べるラー油を適当に混ぜ込んだご飯に生卵を割って落とすだけ。ラー油とご飯、そして白身や黄身の混ざり具合により色んな個所で色んな味が楽しめるというもの。溶き卵を混ぜ込んだ均質な卵かけご飯に疑問をもった中学生らしい作品だが、実際は正直「だから何なの?」感が拭えず、ハマるまでには至らない。

  

ぷよとろ版:きっかり5分間ゆでた「白身ぷよぷよ、黄身とろとろ」の卵を熱々のご飯に載せて箸でざっくり割砕き、一滴の醤油に黒胡椒とマヨネーズ。
半熟卵を割って出てくる黄身に味付けするところが素晴らしい。マヨネーズの風味がアクセントとなっている。きっかり5分間茹でると卵ってこんなにぷよぷよになるのか?!割った時に湯気と一緒に流れ出すところが感動的だが、たかだか卵を茹でるのに、水を沸騰させる数分+5分間要するのでジャンクモノの割には手間と時間がかかってコスパがイマイチという感じ。このぷよとろ卵は別のちゃんとした料理に使用した方がいいんじゃないかと思う。

  

猫まんま版:醤油にひたしたオカカとご飯で「猫まんま」をつくる。その上にスライサーで薄切りにして水にさらした玉ねぎを敷き詰め、チューブの豆板醤かコチュジャン、もしくはラー油を足す。そこに生卵の黄身だけを落として箸の先で崩す。
一番手がかかっていて、お店のメニューにできそうなほど、個性的な味。ラー油ではちょっと弱いし、コチュジャンではそのまんまの味になってしまうから、バランスが結構難しい。原作では使うのは黄身だけで、白身は別途スープなどにするのだが、卵かけご飯の手抜きさを大きく超えていてちょっと邪道な感じ。ここまで手をかけるなら他のちゃんとした物を作れるんじゃないか?ちなみに面倒でもったいないので、生卵をそのまま割落としたが、ちょっと抜けたような味になってしまい、失敗感が漂ってしまった。
 
  

どれも悪くはないが、エリカ先生の「買ったほうが安い時は・・・」という主張を忠実に実行すると近所の「すき家」にある「たまご朝食セット」200円にはとてもかなわない。。。さらに牛小皿におかか、オクラ、温泉卵などをぶわわーっとかけて食べる「混ぜのっけご飯朝食」という最強級メニューがあり、出かけるついでに「途中で食っていく」手軽さが加わるともはや卵かけご飯はかなり苦戦しそうである。これ以外のジャンク料理として豆腐グラタン(豆腐にピザ用とろけるチーズを乗せ、レンジで1分半、仕上げにオリーブ油と黒コショウ、さらに小魚ピーナッツをパラパラと振りかける。)タケが唯一編み出したジャンクフードに「サンラータン」ならぬ「2.5ラータン」というのがある。「粉末の中華スープの素をお湯に溶き、そこに中華ドレッシングを大さじで3杯足して、胡椒で味を調えてから片栗粉でとろみをつける。」

晩酌タイムに豆腐グラタンをこしらえて妻に食べてもらうと「はぁ?」という顔をされた。また不思議に中々手に入らなかったキューピー中華ドレッシングを買ってきて製作した2.5ラータンも「???」という感じ。やはり悪くはないのだが、「あー、なるほど、豆腐にチーズがのっかって、オリーブ、黒コショウ・・・」「ふんふん、中華スープにドレッシングね」つまりはどれも味がそれぞれ分離して透けて見えてしまい、料理らしい「味の融合」や「新しい味覚」を感じなかったのである。ホントの調理をするためにキッチンに立つことが少なくなってきたので、「男子のジャンク料理」路線で少しレパートリーを増やそうと試行してみたのだが、どうも「ダメ出し」ばかりになってしまったようだ。どうも今後、生活の中に取り入れて定着していくようなものではないな。考えてみると「時間がない」時は家にいつもあるモノを使用して誰しもが自分の「手抜き料理」を持っていることに気が付いた。

  

ちなみに私が朝の時間の無い時にほとんどキッチンで立ち食い風に作るメニューは納豆+卵+シラスを混ぜて海苔でくるんで食べるモノだ。作るのに30秒、食べるのに1分・・・しかしこれに野菜ジュースを加えると最強メニューだと思っている。私は食べないが妻(世の人にも多い)は白米と漬物をさらさらーとかっ込んで朝昼食にしていることも多い。さらに「手抜き」という意味で最も徹底的なのは息子甘辛である。遅かったとは言え高度成長期は一段落しても、運動量が多いのか魔神のように食う割には「全くと言ってよい」ほど何も手をかけない。妻が出してやらないと食べるのは白飯だけある。キッチンの残りものにも手を出さないし、冷蔵庫からおかずになりそうなものを出したりしないし、振りかけも使わず卵一つ落とさない。我が家の米は富山の農家から直接取り寄せているので確かに美味しいのだが、ここまで何もしないとはよほど興味がないだろうか?(でもおかずが出てくると残らず食べ尽くす)炊いてある米が見当たらないときは食パンだけをひたすらかじっている。(しかも一斤全部である)カップラーメンを作ることすらしない。ただし「引きこもラー」のようにお菓子だけで済ますこともしない。

いずれ家を出て一人暮らしなど始めたときにあっという間に病気になりそうで心配だ。妻のように何かにつけて品数をかせいでくれる伴侶でも早く見つければ別だが。「ウチのダンナは何かにつけて色々作ってくれるので・・・」なんていう奥方を見ると「その気になりゃ、できるよな」と思いつつも、我が家は「男子厨房に立つべからず」的雰囲気もあるので、この方面にはあまり手を出さないことにした。まずは息子を少し洗脳し、「これだけ食ってりゃ、とりあえず死ぬことはない」的な「手抜き料理」を覚えさせなければ。電子レンジも使わないヤツに「盛っただけで栄養を摂らせる」には、全てを放り込んで「炊き込む」しかない。(そう言えば妻もそれに気がついたのか、最近炊込み御飯が増えたような気がする)皆さんそれぞれ自分仕様の「手抜き料理」は何でしょうか?また白米しか食わぬ息子に「もう一手間」かけさせるにはどうしたらよいでしょうか?

三河-湘南に「にら」根付く

2014-09-18 07:16:20 | 食べ物
「湘南にら観察日記」編から約1年半・・・わざわざ三河のにらを送ってくださった小夏師匠に応えるために5種類の栄養土を用意してそれぞれ鉢植えで個別栽培し、一番繁殖したヤツをブロックエリアで本格栽培とする計画だった。ネットで色々調べると「にらは水はけが良く通気性の良い土を好みますが、土質はあまり選ばず生育旺盛・・・」まさしく我が家は砂地なので水はけだけはよい」初心者向けの多年草ということでたくさんのサイトでその栽培方法などが紹介されていた。家庭菜園などは細かくその準備するものや手順などがあるが、実際は種を均等に撒いただけで、何もしなくてもどんどん増えると聞くにらの繁茂力を信じて「早く芽を出せ、にらの種」とサーフボードを洗浄するついでに水ばかりやっていた。

    

2週間くらい全く何の反応も無かったのだが、ある日半分の鉢植えからひょろひょろと2本くらいの弱々しい芽らしきものが生えていた。さらに2週間くらいすると全部の鉢植えから似たような芽が出てきたが、どれも「にら」の真緑とは程遠い薄茶色で、繁茂というレベルではなく「増えもせず、育ちもせず」に秋を過ぎてしまった。どんどん大きくなって青々とするものだと思っていたら、磯野波平兄弟の頭頂部のように頼りないまま2種類くらいの鉢植えでは半分枯れ死状態にまでなってしまった。うーん、おかしい(って、何をやったわけでもないのだが)。。。種をまいたのは3月だからそんなに間違った季節ではないはずだ。慌てて石灰と肥料などを用意して、庭の隅にあるブロック畑に黒土を敷き詰め、私にしては丁寧に鉢植えのヘタレきった苗?を移送した。

本格的な冬となり、海に入ることもなくなったので、自然庭に出ることも少なくなったが、水だけは何となくやりながら様子は見ていた。この地方では冬でも暖かい方なのか、真冬でも結構小さな雑草は絶えることがない。鉢植えから移設した時には真っ黒な土の上に綺麗に並べて植えたはずのひ弱なにらの苗の周囲に小さなクローバーみたいな草とか横に根を張る名無しの雑草がにらエリアを浸食し始めた。割とマメにむしっていたのだが、何せ苗そのものが雑草と見間違うくらいに貧弱なので、一緒に抜いてしまうようにピンセットを使用するような作業となった。目が出て半年以上たっても全く生育する気配がない。(かといって滅亡もしない?!)ネットで栽培方法を見ると確かに色々と作法はあるようだ。やはり黒土に種を撒いて水やって雑草抜くだけじゃ、さすがにダメなのか?!

雪が降る日が何回かあったが、積もりそうな時は念のため甘辛が幼い時に使っていたプラスチックのそりを被せて保護カバーとした。滅多に雪の積もらないこの地方なのだが、珍しく20センチくらい積もった最初の大雪時はこれでしのげたのである。ところが確か2月半ば、「風雪流れ旅」となってしまった札幌からの出張帰りの超大雪は被害避けられなかった。何せご主人様が羽田空港で足止めを食って一晩明かす羽目になったのである。平らなウッデッ部はもちろん、周囲は数十センチの積雪に埋もれていて、「赤いライオン号」も完全に出撃不能になっていた。私たちは庭で雪のスロープを作り、そりのスタンドライドを楽しんでいたのだが、正直ブロック菜園のことは完全に忘れてしまっていた。

日陰には何日かしぶとく残雪があったが、大半はすぐに跡形も消えてなくなってしまった。職場でニュースを見ていて「この大雪による作物の被害は・・・・」と報道された時に「あっ!」と電撃のように思い出した。「オレんちの畑、ダメかなー。可哀そうに、遊んでいる時に気が付きゃあ良かったのに・・・(師匠、ごめんなさい!)」サカタのタネに三河産にらの種がないか、探してみようかとマジに思った。まるで絶滅してしまった日本純産の朱鷺に代わって中国から譲ってもらって人工繁殖させるような気分だった。家に帰って菜園を見ると、雪は全部溶けていたが色々なゴミが入り込んでいて「やはり命運が尽きていたのか?!」全滅に嘆いていた。サカタのタネで調べると「三河産のにら」という種はなく、「大葉にら」とか「花にら」とかいう普通とちょっと違うのしか販売していないので、人工繁殖計画も暗礁に乗り上げたのだった。

  

薄情なことに菜園のことは何となく諦めてしまい、2ヶ月余り放置状態にあったのだが、5月も近づいて暖かくなってきたある日思いもかけない光景を見たのだった。ウッドデッキ上で50センチ四方くらいの小さな練習用ネットでアプローチ練習する時に、デッキから外れたボールを探しにくいので伸びてきた脇の雑草を抜いていたら、もはや手を入れていないブロック菜園が目に入ってきた。背は低いがここも雑草が茂りつつあったが、その中に何か茶色いひょろひょろした草が見えた。「おーっ、あれは前に植えたにらの苗じゃないか?!」鉢植えから植え替えた後、少しはマダラに増えたのだが、生えていたところも同じような気がする。「わーい、生存していたのか!(よく見なかったのかな)」私は慌てて周辺の雑草を除去し始めた。

まだ気温も高くなく小さな平べったい雑草ばかりだったが2ヶ月以上も放置していたため、ピンセットでで取り除くには小1時間を要した。しかしよくよく見ると確かに以前生えていた「あまり流行っていない生育状況」そのものに近いと思われた。ただ、少し待てよ・・・実はブロックで囲まれた土のすぐ外側にももっと立派なニラの葉みたいな植物が生えている。抜いてみると根の部分は球根状になっているので、おそらくこれは以前から我が家に棲息していた「スイセン」であろう。にらと間違えてこれを食べると中毒になってしまうと言う。そう言えば菜園内に生えている場所も以前よりは端っこよりに偏っているような気もしてきた。「残念だが、三河にらはやはり絶滅してしまったのだろうか。」いかにも弱々しく生えているので、やばい方のスイセンかどうか確かめるために根を引っこ抜いてみたらそれだけで枯れてしまうかもしれない。。。

それからしばらくは何かにつけて周辺の雑草を根気よく除去しながら様子を見ていた。以前は増えも枯れもせずに細々といた小さな植物群は順調に増えていく様子を見せた。梅雨の時期になって雨に濡れるのがいやでちょっと手を抜いていたらかなりボリュームが大きくなっていた。背丈は10センチくらいにしかなっていないが、土面を覆うほどの量に生育しており、しかも青々としたにらっぽい色だ。これだけあれば大丈夫だろうと端っこの一部を引っこ抜いたら、球根ではなく細い根が釣りでいう「オマツリ」のように絡まっていていかにもスイセンとは違う。匂いを嗅いでみたのだが、まだあの独特の香りはしなかった。私はよく買ってくる時の長さに生育するまでひたすら待つことにした。

夏休みに入って前半は早朝や休みがあれば海に出動していたから、脇の菜園を見ちゃあマメに雑草取りをしていた。8月に大きな台風が立て続けにやって来た時はまたプラスチックそりでカバーしても風で吹っ飛んでしまったが、しぶとく無事でいた。お盆が過ぎ、旅行に行ったりその後バタバタと忙しくしていてしばらく放置していたら、あっという間に強力な雑草で包囲されてしまった。夏の雑草は油断するとすごいスピードで生育する。黒土菜園エリアは小さいうちから取り除いていたからそれほどでもなかったが、そのすぐ外側は私の背丈ほどもある草が何本も猛威をふるっていた。折しも「蚊」を媒介として「デング熱」が流行っていたからいかにも彼らの楽園のようなところには近寄らずにいた。

しかし先週末、海へ行った帰りにちょっと様子を見てみると、菜園の中に白い小さな花がいくつも見えたのである。そうだっ、にらって花が咲くんだった!ネットで調べてみるとバッチリ。しかも驚くことにこの「にら群生」の本家である小夏師匠のお庭にも「花が咲いた」そうなのである。ブログに掲載された花を見るとまさしく我が家と同じ!(当たり前か)小さな種が旅すること数百キロ。。。一時は大雪によって絶滅したかに見えたが、生命力の素晴らしさをあらためて感じたものだ。ちゃんと栽培しようとするといくら丈夫とはいっても、土を用意し、畝を作り、種を撒いて、適度に間引いて雑草むしり・・・それなりに手間はかかるようだが、私の場合なーんにもしないで花までは咲いた。我が家の愛して止まない「北京亭メニュー」はほぼあらゆるものに「にら」を使用する。中華丼を筆頭にタローメン、マーボー丼、肉野菜イタメ、にくそば、サンマーメン・・・・三河産にらが大活躍する時も近い。

    

そして、この三河-湘南産にら群から種を採取することができたら、ぜひ次なる群生の場につなぎたい。ものの本で読んだ記憶が頼りだが、「人づて」の仲介を6回繰り返すと世界中のどの人ともつながることができるという理論がある。確か「六の何とか」と言ったまだ証明はされていない仮説だった。今はSNSなどがあるから、全く見知りなき人でもあっという間に伝わるだろう。元ガーナサッカー協会のニャホ・ニャホ=タマクロー氏にも6人のリレーがあればこの「三河産にらの種」を恐らく渡すことができる。でもどうせなら中継する先々でにらが生育しそこから取れた種を次なる地にリレーしてほしい。理論上「種から次の種を採取する「にらリレー」を繰り返せば約12年で世界のどこにでも三河産にらを根付かせることができるわけだ。壮大かつ不思議な話ではないか。

うちなーの「食」とおみやげ

2014-09-05 23:11:21 | 食べ物
あまり食事のメニューなどをレポートするのは得意でないのだが・・・夏休みの課題シリーズ「うちなー編」は「海・空」「建物」ときたら「食」についても書かなければなるまい。全日程の中で朝はすべて和洋バイキング形式の似たようなスタイルであり、ランチは遊びや観光を優先するために割り切ることにしたので、ディナーだけは「うちなー」ならではメニューにしようということになっていた。前半訪れた浜比嘉島には施設が一つしかなく、あらかじめディナーは申し込んであった。レストランが郷土料理とフレンチがあり、どちらも地産地消をモットーにその地方の食材を使ったコースになっている。我々は初日は郷土料理、2日目をフレンチにした。到着日はバタバタと世界遺産を巡ってきたから、オーシャンビューの展望風呂で汗を流し、さっそく「ぬくい処ムルク」に向かった。

「帰ってきたウルトラマン」に登場する怪獣名に似たその店は、はっきり言ってただの居酒屋で大家族がわいわい食事を楽しむような雰囲気だった。しかしその地方らしい食材をふんだんに使用し、かなりのボリュームと意外に繊細な味がした。南国なので味はアバウト、ごってり系かと思っていたら、ゲテモノ天国のグンマとは比較にならないあっさりした味付けだ。BGMにはいかにもな沖縄ミュージックが流れていたが、知っている曲もたくさんありどれも明るい気分にさせてくれた。このコースは「くわっちー」という名前らしく「うちなー」ではごちそうという意味らしい。そういえば響きから何となく想像できる。

サーブするおじさんがとても気さくで和やかに話をしてくれた。南国の魚って「海と空」編でも写真をとったが青とか赤とかドギつくカラフルで見るのは楽しいが刺身で食べるのは「ちょっとねー」というイメージがあったのだが、マグロと並んで盛ってあった魚は素晴らしく美味しかった。おじさん曰く「白身なのに『アカマチ』って言うんです」。。。沖縄では有名な高級魚で、かなり大きくもなる魚らしい。喉が渇いていたので最初の1杯は大ジョッキを頼んだが、次はオキナワで有名な「泡盛」を勧められた。正直、私も妻もあの独特な風味と後味が苦手だったのだが、「本州からの客はそういう人が多いから」と飲みやすく蒸留されたボトルを持ってきてくれた。「島旨」というラベルから見ると冗談のような銘柄だが、ふわーっと爽やかで実に飲み易く驚いてグラスを傾けていた。そして何よりもアカマチ、そしてその周囲にある有名な「ウミブドウ」と相性が最高に良く、泡盛を勧められた理由がよく分かった。

      

基本大皿で出てくるのだが、お馴染みゴーヤチャンプルーは苦味の効いた酒のすすむ味、島のエビを使った柚子胡椒サラダは妻に気づかれないように、一緒に和えてあった嫌いなセロリ(ちなみにこちらは「好き嫌い」のレベルであって漬物のように「食べられない」レベルと違う。)を除けながらつまんだ。野菜天ぷらはゴーヤや紅イモなどとボリュームのある島の野菜を使っていたようだ。最後に黒毛和牛とごはんとアーサ汁が出てきたときにはかなりな満腹感になっていた。アーサ汁というのは島の豆腐とあおさの味噌汁で口にするとふわーっと磯の香りがして海の食べ物だなーと感じる。ボリュームはあるがどれもギトギトしていないあっさり風味でどれも島旨とばっちりの相性だ。キリンビールのようにラベルに製造店のネームが入っているこの泡盛は浜比嘉でしかお目にかからなかったが、以降この地で部屋飲みする時は泡盛にウミブドウというスタイルになるのである。

             

次のディナーは「浜比嘉キュイジーヌ」と称されるフレンチだった。前日のどっかりした郷土料理とは対照的に「ここが離島?」と思えるような洗練された「ゴージャスなコースだった。オーシャンビューの広々としたレストランの眼下には夕暮れの時間に従って色を変える絶景が広がる。ドリンクメニューに「泡盛」がなかったので、白ワインを注文したが、アミューズのミミガーの入ったテリーヌっぽいものや濃厚なエビのムース(ではなくてフロマージュというらしい)などを食すうちに「こりゃー、かなり本格的なフレンチだねー。さすがに島旨じゃ、合わねえな・・・」こちらも温野菜、スープそれぞれ食材を活かした味になっており、市場より届いたという魚(これもアカマチの一種らしい)の皮が何とも香ばしかった。このコースは「キムタカ」というネームだが、もう一つ「アマワリ」というものがあり、何のことか調べたら「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」という沖縄の伝統芸能「組踊をミュージカル化したものからとったらしい。阿麻和利とは先に訪れた勝連城の按司である。

          

以前、「秘密のケンミンSHOW」でこの地のケンミンは居酒屋などでたらふく飲んだ後「ラーメンの代わりにステーキでしめる」習慣があるため、深夜までステーキハウスが賑わうというカミングアウトを見たことがある。あの番組はグンマの「タルタルソースかつ丼」の例からして「火のないところに煙をたてる」ようなところが多いから、半分都市伝説だと思っていたが、米軍基地も多くあるし確かにステーキハウスは多く見られる。飲み屋の後は無理だが、一度本場?のステーキを食ってみようと、現地ではいくつかチェーンを構える人気ステーキハウスを予約した。アメリカンのがっつりステーキにワインを飲みたいのでホテルまでの送迎をお願いしたのだが、夕食の時間になるとあっという間に店内は一杯になった。スープとサラダバーがつく「ステーキ・ガスト」の高級版という感じで、ボリュームも味も満足だが、びっくりするくらいワインが高い。。。泡盛はあるが、さすがにステーキにはちょっと・・・周囲を見渡しても、ゆっくり酒でも飲みながらステーキを楽しんでいるテーブルは少ない。ちょっとすっぽ抜けたような気分で1時間足らずで店を後にした。

    

旅行も終盤に差し掛かり、名物沖縄そばを含む郷土料理でダメ押ししておこうということになった。いくつか口コミやガイドブックを調べて、ダイヤモンドビーチから最終滞在地那覇に向かう途中にある、沖縄そばの店にはいる。この店の一番人気は「ソーキ。三枚肉、てびち」の3種の名物豚肉料理を一度に楽しめるいかにも私好みの「うまんちゅそば」、妻は地元のおばさんのおすすめで野菜たっぷりの沖縄そばを注文した。うどんとラーメンのあいのこのような麺に豚と鰹でだしをとったスープがあっさりまったり深みをもって実に美味いものだった。最後の晩はこの旅行に相応しい沖縄のディープな郷土料理を堪能することにした。妻が食べたいと言っていた「島らっきょう」ピーナツの香が不思議な「ジーマミ豆腐」、オキナワで俄然ファンとなった「ウミブドウ」、島近海で捕れた魚の刺身、またそれらの魚のアラ煮」、もずくの天ぷらなどをずらりと並べ、「海人」を片手にうちなーをどっぷり浸かったのだった。

    

          

    

さて旅行といえばつきものの「おみやげ」である。普段あまり自分用のみやげなど欲しがらない妻が珍しく国際通りで「行きたい」と言っていた店が国際通り近くにあった。アニバーサリージュエリーを扱う店のようだ。そう言えば記念旅行でもあったから何か思い出に残るものがあってもいいな、普段は興味も持たないのだが一緒になって見ていた。5つと4つのマス目を並べる沖縄伝統のミンサーという模様がペンダントに描かれている。チェッカーフラッグのような模様だが、「5(いつ)の4(世)までも共に・・・」という意味を持つらしい。なるほど、それでアニバーサリージュエリーなのか。素材やミンサー柄の色、デザインなどを紐と組み合わせて選び、サービスで「20thAnniversary」と3人の名前を刻印してもらえた。これは中々私には思い付かなかったクールな記念になりそうだ。

  

その後国際通りを歩き回って土産を物色していた。息子甘辛を預かってくれた母親には島旨を飲んだ時に「これいいよねえ」と手にしていたグラスのそっくりの琉球グラスを探した。また息子甘辛には「思いっきり派手なシーサーの置物を買ってきてやるからな」と宣言していたが、むろんそんな修学旅行みたいなイージーミスをするはずがない。実は来春、甘辛は修学旅行でオキナワを訪れるので、若者で賑わっていたふざけたオリジナルTシャツ店で背中に「俺はまだ本気出してないだけ」とか「性格に爆弾抱えてます」と書かれたヤツを面白半分に購入し、家に帰って思い切り後悔するのはその時でいいだろう。(「健康の為なら死んでもいい」というフレーズTシャツはつい自分で買いそうになってしまった)私は沖縄オリジナルの「かりゆしウェア」にしようと色々探したのだが、かなりいい値段がするし高校生にはおっさん臭い。。。男子高校生への旅行土産など難しいものだ。

  

結局これと言ったものが決まらずにご当地オリジナルお菓子とか名物の三枚肉などを買い込んだ。ビーチでもディナーを食べながらも我々は甘辛の小さい頃の話ばかりしていたが「これじゃー、『現金がいい』と言われるかもなー」と苦笑いしていた最後のチャンス、空港の土産コーナーを物色していたら妻が「これ、いいかも」と指差したものがあった。スマートフォンのイヤホンジャックアクセサリーである。「ちゅら玉」という小さなガラス玉の中に蓄光物質が入っていて暗いところで星空のようにほんのり光る、というアクセサリーがついている。結構土産としては有名なものらしいが、この手の小細工ものが大好きな私は迷わずこれにしようと決めた。誕生月ごとにガラスの色があるから、甘辛の生まれた月の色を一つ、もう一つ同じものを違う色から選んだ。「彼女ができたらプレゼントしてお揃いで持て」ということにしたのだ。ついでに母親の誕生月のネックレスも購入した。旅先で自分用の土産を求めない私は結局今回も何も買わなかったが、最後のちゅら玉だけは買っとけば良かったと思っている。場所と種類を指定し来年甘辛が修学旅行に行ったときに買ってきてもらうことにしたのである。

   

ドックレジャー化計画(後編)

2014-08-11 19:58:48 | 食べ物
人間ドックレジャー化計画の続き・・・1日目の検査を無事終了して2.5km先の総合ゴルフ施設で様々なアクティビティを堪能した後、夕食の時間が迫り練習場を後にして車に乗ったら、まさかの渋滞・・・?!こんな田舎で混むなんて事故でも起きたのかと思うほどだったが、結局帰宅時間帯で混んでいたようだ。「入浴、夕食は時間厳守で」と言われているので、慌てて部屋に戻ってびっしょりの運動着を着替え、さーっとひとっ風呂浴びて食堂に駆け込んだ。渋滞で予定が狂ってしまい残り時間は30分・・・ほとんどの人は部屋に戻っているか仲間のいる人は酒を片手に和んでいた。私は隅っこのまだ来ていない手付かず膳に案内され、ポツンと一人で見慣れた夕食を摂り始めた。自販機でビールを勝って一人飲み・・・イマイチ侘しいものがあるが、そのもの宴会しに来たわけではないから(もっと色々持ってきたけど・・・)やむを得ぬ。どうせ翌朝腸管洗浄剤で全部出し切ってしまうのと、炎天下でクラブを振って歩き回ったこともありすごく腹が減っていたので、お櫃の米を黙々と平らげていた。

ひと心地ついてペースダウンし2本目のビールを空けてまったりしている時、ふとまだ来ぬ私の正面に用意された御膳を見て驚愕すべきことに気が付き「わわーっ」と心の中で叫んだ。何と無意識のうちに向かいの膳の刺身にまで箸を付けてしまっていたのである。
な、なんということだ。。。まったくの自然体でまぐろと真鯛を一切れずつ食ってしまった。ホントに手が滑ったとしか言いようがない・・・ツマの形を変えて軽くカムフラージュし、刺し身の間隔を均等に並べ替えても何となく違和感は拭えない。時計を見ると食事時間は残り10分、もしかしてもう来ないんじゃないか?(いっそのこと皆食っちゃったらどうだ?)という悪魔の囁きもあったが、翌日の検査でどんなバチが当たるか分からぬから手が出ない。かといって、給仕のおばさんに正直に自白してしまうと「衛生」に関することなので、何か大きな話に発展してしまうかもしれない。私は考え抜いたあげく、自販機で買ったビールのおつりの小銭を200円、トレーの端っこに置いた。意味不明に取られる可能性は高かったが、一切れ100円の罪滅ぼしである。

夕食終了時間の19時まで食堂でまったりし、先ほど汗を流しただけの大浴場に向かった。ちょっと熱めなのが困ったところだが、ゆっくりと温泉に浸かりサウナルームでデトックスした。入浴は21時まで、それ以降は水以外は口にしてはいけないことになっている。風呂から上がってゆっくりセブンイレブンに向かう私に勤務明けらしい看護師が短パンにTシャツという私のスタイルを見て「やっぱり暑いから、浴衣は皆さん着ないんですねえ」と声をかけてきた。部屋着には浴衣が用意され食堂でも過半数は着ているのだが「コンビニに行くから」とはいいにくい。実にきさくなその方は「これから夜寝るまで退屈でしょ?」と笑った。私は思いついて「ここ星空が綺麗だと思って星座の写真撮影の準備してきたんですよ。でも天気がイマイチなんですかねえ」と聞いてみた。「星が綺麗?ふーん、あんまり聞いたことないけど・・・あ、今ここすごい田舎だと思ってたでしょ?実はちょっと行くと結構交通量の多い街中なんですよ。駅の回りには何にもないけどねー」確かに練習場帰りの山道も渋滞していたが、その先の交差点が結構な交通量のようだった。。。風が強く若干の星空は見えたが我が家の周辺とそうは変わらないので、残念ながら超兵器の出動はなさそうだ。

私は看護師に挨拶してそのままセブンイレブンに向かった。過去の忌まわしい思い出からつい店頭を探してしまうのだが、何故か昆虫ゼリーは品切れの様子だったのである。かごの中は氷結の新製品を含む大小4本のストロング缶にあたりめ、柿ピーにパックの砂肝揚げという堂々たる布陣である。以前はチーズとか豆腐、コンニャクと言った腸に残らないモノを選んでいたのだが、これまでの経験で私の「超消化力」をもってすれば例え鉄が入っていても腸管洗浄剤で流しだせるのが分かってきたからである。部屋に戻るとストロング缶2本は「冷凍室」(ここ大事ね)に押しこめ、残り2本からぐびぐびやりだして、1時間ほどで冷やしたヤツも全部飲み干してしまった。普段は寝る前にもうひとっ風呂浴びてからベッドに入るのだが、今回はさすがに間に合わなかった。。。

さて翌日。。。やはり5時に目が覚めて腸管洗浄剤1.8リットルを半ば一気飲みし2日目の検査に備えた。血圧と腹部エコー、そして最後の大物「後ろから前から」内視鏡検査である。全てを要領よく通過し、ドラゴンボールで言えば「セル完全体」であることを確認できたのが何と10時半!この後温泉大浴場を使うことはできるのだが、昼食までは全くやることがない。病院内の未体験ゾーンを探検するわけにもいかないし・・・昼食後は結果を元に医師の診察と保健指導師のアドバイスだが、これがまたうんと待たされる割には毎回ほぼ同じことしか言われないのである。人によっては診察室から30分近く出てこない人もいるのだが、私の場合は待ち合わせ室で待つこと1時間、医師からは「異常なし!来年また会いましょう!」、保健師からは「酒を減らし野菜を食うべし!」と言われるだけなのだ。私は意を決して係の事務員に「あのーう、ちょっと用事ができたので検査が全部終わったら帰っていいですか?」

しばらく待たされて、保健師と思われる人が何枚か資料を持って登場し、今出ている結果について簡単に説明してくれた。2週間後くらいに詳しい結果が郵送されるので、このまま帰っちゃってもそうは心配いらないのである。私はお世話になった御礼を言ってそそくさと赤いライオン号を走らせた。行きとは違うルートで熱函道路を東に向かい、目指すは熱海サンビーチ!ふ、ふ、ふふふ。。。午後はたっぷり海水浴できそうだ。
と、思ったのだが中々そう思惑通りにはいかず、台風接近に伴い海は大荒れでビーチはまさかの遊泳禁止!この分だといつものメジナポイントも危険で近寄れないだろう。人間ドックの健診帰りに釣りに行って波にさらわれたヤツなど聞いたことがない。。。ここに至りドックレジャー化計画は頓挫したのだった。私は一路西湘バイパスを我が家に向かい、サーフボードを持っていつものサーフポイントに出動したのだった。さすがにすごい波だったが、私の手に負えるコンディションではなく、1時間ほど大波に揉まれてビーチで寝そべることになるのである。(懲りないヤツ)

この病院はかなり歴史があり、建物も老朽化が見られて順を追って立て替えているらしい。いつまで人間ドックプログラムが続くのか多少心配はある。今回はあまりよく考えずに「トライアスロン」のようなレジャー化計画だったために頓挫したようだが、赤いライオン号で走って見て、実は国道1号線沿いに魅力あるスポットがたくさああることを見つけた。例えば三島の「伊豆フルーツパーク」では高級マスクメロン狩り&食べ放題、マスクメロンソフトクリーム、季節のふっルーツ大福作り、ジャンボアジフライ付き名物駿河湾御前付きで3500円。。。北条氏康ゆかりの「山中城跡」、「富士箱根ランド」「畑宿弁天山清流公園」「飛竜ノ滝」「生命の星・地球博物館」などがある。むろん箱根の峠を越えてくるのだから、旧道を走れば色々な観光ができる。実はこの7月に異動した職場の厚生プログラムにはこの病院のドックメニューはないらしいのだが、神奈川の事業所が特別な計らいで私の分を入れてくれたらしいのだ。よーくお礼をして来年の分もお願いし、もっと完璧なレジャー化計画をたてることにしよう。

  

南蛮漬け作戦

2014-06-16 21:40:42 | 食べ物
江ノ島産天然メジナ祭りになるはずが、まさかの子サバ祭りになってしまった我が家だが、今回は妻の手を一切借りずに(単に仕事でいなかっただけだが)「食えるものに加工」するつもりだった。小夏師匠ブログのワカサギにヒントを得て(って自分で書き込んだんだけど)25匹の子サバを南蛮漬けなる私にとってはちょっと注意が必要な調理法を実行するつもりだった。名前を知っていたら手を出さなかったはずなのだが、確か以前に「南蛮漬け」とは知らずにアジか何かを食べた記憶があった。酢の物のような味がしたが、乳酸による発酵ではなかったはずだ。ネット検索でいくつかレシピを探してみた。あんまり酸っぱいのは好きでないので、最も手抜きっぽく簡単なモノを取り上げた。残念ながらレシピは大きなサバの切り身を使うものばかりだったがまあ、その辺は同じ魚なんだから気にしないでおこう。

何はともあれ、この小魚群を下ろさなくてはならない。氷の入ったクーラーBOXに入れておいたのだが、サバって結構ぬるぬるしてるんだな。とりあえず頭を落として内臓をとって・・・って待てよ、サバは傷むのが早いと聞いている。全部で26匹あったが私の腕では全部下ろすのにかなり時間がかかってしまい、最初の方に下ろしたヤツは腐ってしまうんじゃないか?そこで私はレシピに書いてあった「漬け汁に一緒にぶち込む」という野菜類を先に用意することにした。玉ねぎ1/2個、ニンジン1本、ピーマン1個・・・どれも大して好きではない生野菜である。カレーならともかくこんなモノを一緒に漬けこむ必要がどこにあるのか分からぬが、とりあえずレシピにある通り細い千切りにしてみた。

  

ついでに漬け汁も用意しておこう。めんつゆを使うというのがいかにもお手軽手順だが、水、酢、砂糖などを足し(酒や味醂を少量入れることもあるらしい)一旦沸騰させる。さらに「唐揚げにする」ための準備もしておくことにした。片栗粉と少しの小麦粉をトレ―の上にどばーっと出しておき、油は台所の鍋に張ってあったものをそのまま使う。理科実験のように材料や調味料などを器にあらかじめスタンバっていよいよ魚の加工である。しかしここでまた私ははたと考え込んでしまった。中骨は取るんだろうが、アジのたたきのように3枚に下ろしてはほとんど身が無くなってしまうのではないか?!試しに中くらいの魚に包丁を入れてみたら、ロッテのフィッツくらいの大きさになっちゃった・・・これじゃーだめだな。

  

ネットのレシピを色々調べてみると、小アジの写真で見る限り頭だけ落とされた姿をしているし、「ちょっと高温で長めに揚げると骨が軟らかくなります」という説明も・・・つまりは「中骨は取らなくてよい」ということか?!私は20数匹の子サバの頭を落とし、内臓を取って軽く水で洗い、キッチンペーパーで余分な水っ気を取り除く。さっき釣ってきたばかりなのに、切り身は十分堅いものではなく、少し力を入れると崩れそうになった。全部終わって、片栗粉をまぶし高温にした油に向けて揚げようとしたら、「んっ?」腹と尾鰭の間に小さな棘のようなものがあって指に刺さった。これをそのままにしては食べる時に困ってしまう・・・慌てて全部の魚からとげを抜く作業に入った。

    

余分な水分をとって片栗粉をまぶしたのだが、表面に付着するだけなので全部つけ終わっても大量に片栗粉は余ってしまった。油で揚げる時間はレシピにもよるが4分から8分くらい・・・1回で全部揚げきれないので3回くらいに分けたが、何せ手際が悪いので最初に入れたのと後のに時間差ができてしまいそうだったので、これがちょうど4~8分に当てはまるように、鍋に向けてぶち込んで行った。生まれて初めて「揚げ物」なるものを作ったが、この時ジューユーいう切り身の動きが実に小気味いい。香ばしい音(という表現が相応しい)がキッチンに響き渡った。なるほど揚げ物というのは作る時も楽しいものだ。これからまた色々バリエーションを増やしていこう。

  

油の温度は温度計がないので分からないが(指を突っ込むわけにもいかないし)、とりあえずジュワージュワー音をさせているのでそれなりには揚がるだろう。さて短いものは4分、長いものは8分間くらいになるがまだ表面では油でチリチリしている状態でタッパーの上に次々に上げていく。第一弾を10数匹入れると一旦底が埋まってしまったので、切っておいた謎の野菜千切りを乗っけてレシピ通り、具それらの具の上から一旦沸騰させた漬け汁を「ジョワーっと」とかけていく。っと、残り10匹分くらいの漬け汁がどうも足らぬようだったので、慌てて漬け汁を追加で作りなおして沸騰させる。今回はもう少し酢を多めにしてみることにした。結果的に2層になってしまったが、一応ちゃんと揚がっているかに見える残りの魚を乗せ、さらに千切り野菜を加え再度漬け汁を付け足す。今回はさっきほどすごい香ばしい音はしなかったが、まだ表面ではジリジリしている。

  

この時点で本当は「鷹の爪」なる物体(たぶん赤トウガラシ)が必要なのだが、どこにも見当たらないので、七味唐辛子をぱっぱっとかけて代用(になるかどうか分からぬが)とする。この状態で1時間から数時間、半日くらい漬け込むと冷やしても美味しくなるという。揚げたての子サバにほぼ沸騰したての漬け汁を上から注いだから、中はすごく熱い。常温でそのまま放っておいたら、そのまま傷んでしまうような気がしたが(そうなってしまうほど間抜けな話はない)こんな熱々の状態で冷蔵庫に入れる分けにもいかぬ。夕方まで用事があったので、一旦出掛けることにした。妻や息子甘辛には「ちょっと自信がないので食わないこと」というメールを打ったものだ。

少し遅くなって帰宅すると既に妻と甘辛は晩御飯を食べ始めていた。あれれっ?台所に置いてあったタッパーが見当たらないぞ。。。実は一回り小さな器に入れ替えられ、別の皿に盛られて食卓に出てしまっていた。「それ、食ってんのか?」(実は大丈夫か?という意味合いが強かったが)「頂いてマース」と妻は澄ましていたが、この手のモノは徹底したブランド志向でグルメを気取る息子甘辛は正体不明の小魚料理には手を付けていない様だった。早速私もつまんでみたが、おおー柔らかくて中々いけるぞ。これならご飯のおかずにも丁度よい。我ながら感心していたが、食べ進めるうちにまだまだ改良の余地がたくさんあることを痛感した。ああでもない、こうでもないと色々食いながら考えているうちに不覚にも「ちゃんと盛った状態」で撮影するのをわすれちゃった・・・

まずめんつゆが濃すぎたのか、冷えるとその味がストレートに出てしまい、揚げたての油と相まってギトギトになっている。中骨も十分柔らかく、漬け方?は問題ないが、天ぷらにめんつゆを付けているような平べったい風味なのでもう少し酢やその他調味料を色々増やし、立体感を出すとよいかもしれない。また相変わらず一緒に入れる意味がよく分からない野菜群がほとんど生のままだ。元々生野菜がそんなに好きではないので、にんじんやピーマンの生歯触りはどうも邪魔だ。いっかい茹でるなどしたほうがいいかもしれないな。今回は試しにやってみたモノだが、名前からするとちょっと遠慮したい南蛮漬けだが、乳酸発酵でないため私でもちゃんと食えるものが製作できることが分かった。昨日、再び江ノ島周辺を偵察したが、子サバはちょっとサイズアップしたようだが、相変わらず時間を問わず無尽蔵に釣れているようだ。次は思い切って酢の量を調整し味を確かめながら本格調理に挑戦してみよう。

漬物談義とサバ釣り

2014-06-14 16:00:51 | 食べ物
自分の体質を殊更にこの場で書いても仕方がないが、以前から何度か記述しているように、私は子供の頃から(たぶん離乳食時から)「漬物」と呼ばれる類の食物一切を口にできない。自分で分かるが匂いが嫌いとか食わず嫌いとかいう次元ではなく、アレルギーでもない、「咀嚼して嚥下するのを身体が受け付けない」たぶん体質的なものだ。日本のモノはもちろん、西洋漬物という類のピクルス、ザワークラフト、アジアでもザーサイやキムチなど見事なほどに食べられない。彼ら(というのはおかしいな)には何の悪い所もないが、私の排除ぶりは抗議されてもおかしくないくらいそれこそ徹底したものだ。定食についている小皿はトレー外に退場願うし、カレーライスを注文して「福神漬け抜き」と言い忘れたカレーライスはその水分が浸透してしまった被害区域一帯を残すことになる。市販の弁当などにはほぼ100%米のど真ん中に鎮座する梅干し周辺を「棒倒し」のように触らないように食べる。

だいぶ前だが友人のお宅に悪友たちとお邪魔した時に、本当に私の「天敵」かどうか確かめたいいたずら心からか、餃子の中にある種の漬物を分からないようにみじん切りにして内緒で少しだけ混ぜられたことがあるが、一口かじって「ごめん、これはダメだ!」とビールで流し込んだ(さすがに吐き出すようなことはしない)。旅館の食事やちょっとした日本料理で「疑わしい」ブツが見られると、妻に頼んで「漬物」かどうか毒見してもらう。基本的に「接触してしまった」被害地域は全てダメなのだが、最近ようやく比較的乾燥しておれば梅干しと紅ショウガの赤い痕跡だけは克服することができた。生まれて約四半世紀たってしまったが大きな一歩である。

これまでの人生最大級のピンチワースト3のうち二つは「漬物をどうしても口にしなければならない」時だった。最初は小学6年だったと思うが、近所の友達の家の庭で卓球をしていた時、お母さんの出してくれたおにぎり全部に梅干しが入っていた。「嫌いなのではなく食べられない」とどうしても言えなかった律儀な少年は半分べそをかきながら麦茶でタネごと喉に流し込んだのである。次は高校の修学旅行で永平寺に体験宿泊した時だ。味も素っ気もない精進料理にタクワンが付いていたが当然の如く「食べ物は決して残してはいけない」という仏門の厳しい掟を言い渡された。隣のクラスメイトに食ってもらえば簡単に問題解決なのだが、実に困ったことに「最後の一切れを残しそれで御飯茶碗をきれいにふき取って食べる」という拷問のような作法を少林寺拳法の達人でもありそうな雲水の前でしてのけなければならなかった。この悪夢のような経験を記憶していたからこそ、群馬の地でルーキーズ達が引率された禅寺の修行体験にしきりに誘うグッチーをにべもなく断ったのである。私は誰が見てもこの手のイベント大好きだったので不思議な顔をされたものだ。

納豆は大好物だしヨーグルトもOK・・・色々と調べるとどうも「植物性乳酸菌によって発酵させた食品」と言うのが現段階で一番整合性の高い「天敵」の定義である。他にも気がつかなくて平気なものがあったら教えてほしいが、鎖国時代のオランダのように現状分かっている唯一の例外(これを漬物というか論議があると思われるが)が、ラーメンに乗っているメンマである。何でこんな体質なのか不思議に思うことが多い。両親とも富山の出身で漬物は大好物、実家からも送られてきたし家庭でも製作していた。布団干しに束ねてぶら下がっていたタクワンは(私にとっては)光化学スモッグ以上の公害に匹敵する悪臭だったし、学生時代に「日当たりがいいから」と買ったばかりの車(AE86トレノ)のボンネットで干されているのを帰りに見かけた時はこのまま車で長い旅に出ようかと真面目に思ったものだ。

何か前置きがやたら長くなってしまったが、生まれて初めてこの「天敵」(だと思っていたが実は違った)を自ら作成し御飯の友とした話である。「実は違った」というのは今まではどう考えても呼び名的にそのまんま漬物だと思って近寄りもしなかった「南蛮漬け」である。
まだ梅雨に入る前だが、いつものように散歩して江の島ヨットハーバーエリアに偵察に行くと、陽気がよい時期だったからか海に面したコンクリ辺を埋め尽くすほどの釣り人で賑わっていた。しばらく見ていると家族連れがサビキ釣りで山ほど小魚を釣り上げている。大きくても15センチくらいしかないが、見ると全部「サバ」だった。その昔、本牧釣り埠頭で山ほどヒコイワシが釣れた時は刺身にしてもらった(美味かったが妻にはえらい苦労かけた)が、サバじゃあちょっとなー。。。カワハギ船でご一緒した同僚のセッシーは釣ったサバを刺身で食ってアニサキスに当たり1週間入院したそうだ。

私は久しぶりにサバに混じって25センチサイズが少し上がっていた「メジナ」を狙うことにした。赤いライオン号が「エサ臭くなるから」とコマセ使用の釣り禁止になってしまい、いつものポイントに行けなくなった私はメジナ釣りに飢えていたのである。事前に念入りに偵察し、釣った人にも色々聞き込み調査をしたところ、ヨットハーバーに一番近い面が一番釣れているようだ。ちょっと暑くなりそうなとある休日、朝早くから陣取って浮フカセ釣りの準備をした。5時からしか入れないはずなのだが、既にたくさんの先客がおり、やっと一人分の隙間に着座したのである。ところが釣りだして数10分で例の子サバの猛攻がやってきてエサのオキアミは秒殺・・・5匹目が入れた瞬間食いついた時にもはやメジナを諦めた。。。こうなりゃ自棄だ!コマセをカゴに突っ込んでサビキ釣りに変更、開き直って子サバの数釣り走ったのである。
  
      

群れにも周期のようなものがあり、ぱったり何も来なくなる時もあるが大体1回に2~3匹はかかりあっと言う間に二桁を超えてきた。ふと見ると隣にいかにも土地のベテランという真っ黒に焼けたおじさんがやってきた。練りもの状のエサをこねて細長いウキを落とし、重さで水中まで沈んでしまったウキをじーっと見つめている。一目でピンときた私は「あのーう、これダンゴ釣りですよね。メジナ狙いですか?」「うーん、ダンゴじゃないけど、メジナだよ。ここのメジナは難しいんだよ。それが楽しみでもあるんだけどね。」一見気難しそうだが、実は話し好きのおじさんらしく、実に詳しく丁寧な講義が始まってしまった。
「まず固めの練りエサで一気にサバっ子の層の下に落とすんだ。途中でやられたら、ウキがすぐに浮いてくるからわかる。メジナの層までいってもさ、あいつらものすごく利口で針についたエサは食わないんだぜ。溶け出して針から外れるのを待ってるんだ。ここのメジナ釣るコツはねー。コマセを撒かないことだよ。エサ針と見わけられるからコマセだけ食ってお腹一杯になっちゃうんだ。」
やべえ、やべえ・・・私はヒヤリとした。さっきからいつものポイントのつもりでコマセ撒きまくりだったからだ。同じ魚でも場所によってずいぶん釣り方が違うんだなー。

    

25匹くらいになったところで、「色々勉強になりましたよ」と挨拶してその釣り場を去った。クーラーBOXはずっしり重たかったが、私は途方に暮れていた。この大量の小魚を食えるようにしなければならない。鮮度から言えば刺身でもよいが、やはり「アタリ」は恐ろしい。。。かといって「キャッチ&イート」を信条とする私は魚を無駄に捨てることはできぬ。大学研究室の大島旅行の時ようにとにかく片っ端からフライにしてしまおうか・・・しかしやたらに小骨が多くて食いにくかった記憶がある。何かサバが山ほど釣れるって話どこかでしたよねー。。。。しばらく考え込んだ後、小夏師匠のブログが私の脳裏に電撃的に閃いたのである。そうだ!確か師匠のサイトではワカサギを取り上げられていたが、江ノ島でサバが山ほど釣れるからといって・・・20数匹の子サバはこうして人生初の「南蛮漬け」の素材として加工されることになるのである。漬物談義でまたたくさん書いてしまって中途半端だが・・・(つづく)

ラーメン王国の一部を制覇

2014-05-17 16:49:34 | 食べ物
現職に着任以来、主に仙台・札幌には頻繁に足を運ぶようになった。今年になって既に搭乗回数も二桁に達し、この調子で行けば先日航空会社から送られてきた一番格下の「何とか」いう特典カードからアップグレードとなるのもそう遠くないだろう。先日、前泊のためだけに午後のフライトで札幌に向かったが、時間がかなり余裕があったのでクーポンを使って「空港ラウンジ」というものに初めて入ったが、サッポロ、キリン、アサヒとちゃんと3種類ある生ビールやウィスキーは飲み放題、つまみもあって中々快適な空間だった。ただ朝早い便を使用することが多いので、出発前のひと時としては中々利用する機会がない。新千歳空港までの飛行時間は1時間30分くらいだが、法人契約している旅行会社を通してチケットを発行してもらうことになっており、空いていればエコノミーよりワンランク上の席を取ってもらえるから楽チンだ。

地方出張が多いとお土産や土地の名物メニューなどが楽しみの一つになるはずだが回遊魚系(というか実はお化けが大嫌い)の私はホテルに宿泊する出張をあまり好まないため、必然的に「夜の部」は少なくなってしまい、名産物は限られることになる。仙台などでは「牛タン」以外はほとんど社員食堂で済ませてしまうが(他に色々おいしいものはあるだろうけれど、札幌では空港を初めJRタワービル、すすきのなど昼休みの時間を果敢に利用して名物を追いかけている。それでも北海海産物、ジンギスカンなどはどうしても夜の部中心になってしまうから、昼のターゲットは「札幌ラーメン」に集中してしまう。かの国の「制覇計画」を立てたことは「ラーメンの王国への進撃」編で書いた。狙い処は空港の「ラーメン道場」と駅ビルの「ラーメン共和国」、入った店のテーブルの下には群馬勤務時代の手に入れた「エジサンシール」を張って進出の目印にしていたが、途中で通過する位置にあるので、かなりのペースで制覇することができた。そして、まずは「ラーメン道場」を制覇する日がやってくるのである。

先日、札幌へ出張したとき、米大統領来日の影響を見てかなり早い便を利用したが、予想外に順調にほぼ定刻に新千歳空港に着陸してしまった。時間は朝の9時過ぎで、札幌までの移動時間を抜いても1時間以上余裕がある。試しに空港の「札幌ラーメン道場」に行ってみると薄暗い回廊の中で2軒くらいの店が開いているようだ。私はあと2軒で制覇というところまで来ていたが、幸い残った2軒のうち、「雪あかり」という店がやっていたので、いつもの「味噌ラーメン」を注文した。朝飯は食っていなかったからその日の朝ラーである。札幌駅まで行って打合せを行うビルのロビーで待ち合わせ、無事に会合を終えて札幌オフィスの「うえさん」と出てきたのが11時半、我々のビルまでは20分かかるが陽気もいいし、一本道だから散歩がてらてくてく歩くことにした。オフィスの近くまで来ると昼前くらいの時間となり、うえさんは「今なら『千寿』入れると思いますよ。行ってみましょう」千寿というのは周辺ではかなり人気の老舗のラーメン屋で昼を過ぎて訪れると店の外にいつも長い行列ができていて、入れたことがない。

「空港で既に1杯食ってきて・・・」と言い出せずに、そのまま暖簾をわけて店に入ってしまった。小さな古い店でメニューは醤油と味噌しかない。名店にありがちなシンプルでこじんまりしたところだった。朝ラーが味噌だったのだが、せっかく札幌だからここでもやっぱり味噌を注文した。その日2杯目だがなかなかコクがあって、人気が出るというのがわかるような独特な風味があった。自分たちのオフィスで数社と複数回に分けて意見交換会を行い15時過ぎにすべての予定が終了した。帰りの便は17時、あまり余裕はないので急いでオフィスを出ようとしたが、最後の打合せを行った協力会社が札幌の駅ビルにオフィスがあるので送ってくれるという。駅から相当離れているのでいつもは時間がかかるのだが、その日はすんなり駅まで送ってもらえ、快速エアポートも2本も早い列車に乗ることができた。新千歳空港に着いてもまだ16時前だった。

私は考え込んでしまった。ラーメン道場はあと1軒「あじさい」という店に入れば全店制覇だ。お腹は空いていないが、あと1杯くらい食べられないこともない。最初に昼夕と連続した時はもたれにもたれて後苦しんだが、だいぶ胃が鍛えられてきたのか、がんばればたぶんいけそうだった。そう遠くないうちにまたここには足を運ぶだろうが、いつになるかまだ予定はたてていない。。。私はふらふら〜っと2Fグルメワールドに向かうエスカレーターに乗りこんでしまった。2Fまで上って道場入口のほうへ歩いて行こうとすると、頭の中にウルトラセブン最終回に唯一登場したセブンの上司が大きく手を開いて現れた。「やめろっ、今度こそ本当に死んでしまうぞ!」まあ、死ぬことはないと思うが、そんな心境だったのである。それでもかまわず変身したモロボシ・ダンと同様、とうとう「あじさい」に足を踏み入れてしまった。朝昼夜と札幌味噌ラーメンを食べ重ね、ラーメン道場は制覇し天を仰いで「老師っ、とうとうボクはやってしまいましたぁ!」3食全てサッポロ味噌ラーメンというのはゲテモノ好きを通り越して狂気のなせる業である。こんなこと続けてるとやばいな・・・

一応、新千歳空港「サッポロラーメン道場」は制覇したので、各店舗の写真と感想を掲載しよう。ってあれれ?!一軒分だけ画像がどこにも残ってないぞ。「王華」という店があったはずなのだが。。。全部残してあったはずなのだが、とりあえずあるだけの画像と感想を掲載しよう。左から順番に

              

1. 一幻
群馬の「じろーくん」から、美味しいと奨められた入口付近にいつも長い行列のできているお店。「えびそば」という独自のメニューが大人気だ。中央にエビの凝縮顆粒のような赤い粒子が乗っていて、強烈なインパクトと香りとコクが充満し、「やみつきになる」というじろーくんの予言にも頷けた。ただし途中で「この香りどこかで・・・?」と思いつくのにそうは時間がかからなかった。浮フカセ釣りで使う「コマセ」である。そう気づくと、ラーメンに乗っている赤い結晶が「オキアミ」に見えてしまい、どうしてもそのイメージをぬぐえずに食べ終えた。
2. 白樺山荘
入口からだと一番奥にあった店。白みそをブレンドしてこだわっているのがよくわかり、アツアツでかなりのボリュームが感じられる。この道場で初めて食べた札幌味噌ラーメンだが、後から出てくる「けやき」と並び、一番好きな味かもしれない。これを食すともう1食どこかでという気にはらないくらい、すごく濃厚でガッツリ麺である。ゆで卵が確か食べ放題というのも魅力的だ。
3. 銀波露
醤油豚骨系が代表らしいが、あくまで味噌ラーメンを所望。スープに出汁の香りが濃く出ているが、それでいてしつこくはなく麺のちぢれ具合も混ざり合ってよい感じがする。ただし「ぱいくぅ麺」(排骨?)のようにゲテモノ系が多いのと、麺の上にどさーっとかけられたゴマがちょっと邪魔化もしれない。
4. 次郎長
濃厚な白みそだがそんなにボリューム感がない、「おやつ感覚」で食べられるラーメンだだった。札幌ラーメンでは珍しく麺が太麺だが量が少し少な目なのかもしれない。空港限定という「北海道スペシャル」という全のせ系メニューがあった。ホタテ、コーン、バター、きくらげがどっかり乗っているが1260円。食べている人を見たことはない。
5. 梅光軒
旭川出身という某マネージャーが絶賛していたという老舗。旭川は醤油ラーメンが代表的らしいが、味噌味も動物、魚介両方の風味があるスープが独特な味わいを出していた。ただ私がどうしても馴染めなかったのが麺で、細くちぢれているのはよいが、歯触りがまるで「まるちゃん正麺」で柔らかい輪ゴムのようにインスタント感がぬぐえなかった。。。

ここまでで半分、結構辛口でそのまま感想を書いてしまったが、どこもラーメン激戦エリアで行列が並ぶ名店揃いだから、それぞれの味は全般的にどっしりと主張が強く、アイディアや工夫が多く見られ印象的だ。第一弾は味噌ラーメンだが、他にも空港限定、ゲテモノ系、醤油・塩系とまだまだ領域を広げられそうだ。では続いて

                  
6. 開高
十勝ホエー豚をふんだんに乗せた「十勝豚麺」が名物らしいが、味噌ラーメンは赤・白選べる他、これといって特徴は感じられない。味噌ラーメン専門店らしいが、特徴を出すためにゲテモノ系に走ってしみあったような気がする。「豚」をウリにしているので、豚骨や魚介、色々煮込んであるスープだと思われる。
7. けやき
「すすきの」にある本店?もいつもすごい行列らしいが、さすがの味、ここが一番好きかなー。スープはごってりと濃厚なわけではないが、すごいコクがでていて色々な食材の旨みがぎゅーっと凝縮された感じ、全体的に正統派王道を行くバランス感がピカイチのメニューだと思った。でも入口から一番奥の方にあるので、いつもそれほど混んではいない。本店の待ち時間を考えると、ここで軽く食べられるのはかなりお得だ。
8. あじさい
白みそとバターの味がするスープは少し甘めのこってり系で次郎長のような「おやつ」感覚だ。ラーメンどんぶりがお茶漬けみたいな形で量も少ないのでそれほど腹に残らない。この店は昆布だしの効いた透き通ったスープに特製ストレート麺を使った塩ラーメンが代表メニューらしい。これを「味菜塩ラーメン」といい、次はこれを試す予定である。
9. 雪あかり
赤味噌を使ったごくごく普通のラーメンのようだった。スープはたぶん鶏がら系だと思うが、他のように複雑に旨味が凝縮されている風でもなく、割とあっさりしていてそれも単純な感じがする。スーパーで売っている「行列のできる店」とかいう生ラーメンのノリだ。ただこの店と「次郎長」だけは朝の9時に到着してしまった時も開店していて、朝ラーができたのはよかった。

あまり食通みたいに慣れない評論はしないものだ。他に海鮮丼、カウンターで一人鍋で食べる「ジンギスカン」、札幌で流行り?ときくスープカレーも早速挑戦してみたが、北関東のゲテモノ群の濃い味に慣れて舌がバカになってしまったのか「なんだこれ?!味がしねえぞ・・・」(早く元に戻さないとまずい?!)
「秘密のケンミンShow」で紹介された?「美唄やきとり」入り蕎麦などもおいしく頂いた。鶏の臓物等を余すことなく使った栄養満点の美唄やきとりで一杯呑み、〆にかけそばを食べる時に余った肉を串から外して丼に入れるスタイルが大流行して、番組で紹介したところさらに人気が沸騰し、とうとう「やきとり入り蕎麦」が昼食の定番メニューになってしまったという。隠れた名物はまだまだありそうだが、限られた時間で中々領域を拡大することができないな。まずはラーメン王国の一部(味噌領域)を制覇したことに続き、他味を一つ一つ試していくことにしよう。

          

ライトタックル五目船(後編)

2014-05-10 05:37:35 | 食べ物
GWに妻と来たLT(ライトタックル)五目船、親子釣れや我々のような初心者ペアなどを乗せてしばらくは烏帽子岩周辺の比較的浅場のポイントを探っていた。従来のガラっぱちで怖いイメージのある釣り船の船頭さんのイメージを覆し、船長は気さくな明るく面倒見のよい若者だった。老練な元船長っぽい年輩の人も乗船しており、初心者同士が危険なことにならないように目を配り、オマツリなどしているとすかさずほぐしに来てくれる。FM横浜で紹介していたように親切丁寧なサービスで、釣り船もずいぶん変わったものだと思う。景色もよいし、気温も適度、海の様子も穏やかでコンディションはかなりよいのだが、肝心の魚があまり食ってこない。船全体を見渡してもあまり上がっていない様子だった。船長は意を決したようにアタリ待ちしている客の仕掛けを揚げさせ、烏帽子岩をはるか岸側に臨むかなり沖合いのほうに船を走らせた。

「ちょっと深いけど、ここなら釣れるからねー」沖合に出て水深100mのポイントに来た時、ようやく「ぐわっ」というアタリとともに40センチ弱のサバが食いついてきた。「棚は底から10メートルくらい、アタリ出始めたよー」何かプレッシャーをかけるようなバーゲンの「今を逃したらもうチャンスなし!」みたいな口ぶりで船長はマイクで煽る。「わーっ、初めてアジが釣れたー!」と妻にも待望のアタリがきて、私にはダブルでアジがきた。この調子ならすぐに我が家の小さなクーラーなど一杯になるなと思いきや・・・しばらくしてパタっとアタリが途絶えてしまった。何せ初心者の集まりだから水深が大きいと巻き上げた時に隣と絡まっている確率が高い。中には4人の仕掛けが複雑に絡まりあう火曜サスペンスのような惨事に見舞われることも度々あった。そこそこ釣れているが「このままではいかぬ!」と思ったのか、船長はポイントを変えることにしたようだ。その時の江ノ島沖のようだったが、「30分くらい船を走らすので少し休んでいてくださいねー」とすごいスピードで船首を西に向け、あっという間に湘南平、そして大磯プリンスホテルが見えてきた。  

    

隣の女の子と「おマツリ」に苦戦したあげく「あれれっ?何かついてる!」と妻の仕掛けには小さなメバルが釣れていた。小さいけど今日はどうも魚の喰いがよくないようだから、貴重な高級魚としてバケツに泳がしておいた。「あれっ?また変な魚がついてる・・・」「ぎゃーはっはっは!キミの釣るのはゲテモノばっかじゃんか。まるで口紅してるツインテールだぞ。」
水族館にいそうなケバい魚だがトラギスの一種で天ぷらにして食べられるらしい。操舵室では船長が他の釣り船と盛んに連絡を取り合っているが「今日は全然だめだねえ」という無線が漏れ聞こえてくる。確かに天気も凪具合も絶好のコンディションだが、他の乗客の釣果もさっぱりだ・・・「えーっ?今、仕掛けを投入したばっかなのにぃ・・・」船長は盛んに船を移動させポイントを探るが魚探に反応はあっても魚が食って来ないらしい。。。

  

「このままだと、一匹数千円のアジになっちゃうなー。ま、こういう時もあるさ」と二人で苦笑いしていたが、二ノ宮沖での何か所目で船の後の方に陣取っていたベテランっぽいおじさんの竿をしならせ、大きな魚を釣り上げた。40㎝くらいあったがどうやらカレイらしい。どうも倦怠感が漂っていた船内に俄然活気が漲ってきた。すぐ後に今度は船の先端で構えていたこれまたベテランが大きな魚をタモアミで釣り上げたがなんとアマダイ!すげえ、高級魚のオンパレードだ。左隣りの男の子は親子おマツリで苦戦している。(やっぱ、不調の時でも釣れるのはベテランなのかなー)と竿先をぼーっと眺めていたら「ガクンっ」と底の方に引き込まれる手応えがあった。「んっ?」慌てて少しアワせて巻き上げてみるとかなり重たい感触だ。ワクワク勇んでリールを巻き上げるが何せ100メートル近い水深だから巻いても巻いても上がってこず、すごい重労働だった。「こりゃー、何か大きいのが釣れてるぞー」とひたすらリールを巻き続けた。「カメラ出そうか?」と隣りの妻は声を掛けてきたが「そういうナメたことをするとバラしちゃうから上がってからでいいよ」

疲れて少しだけ巻き上げ速度を緩めるとすごい勢いで魚が引いているのが分かったが、もう少しというところで急に竿が軽くなった。。。「やっぱ反対側の人とひっ絡まっただけかな・・・」絡まるとお互いに「釣れた!」と思ってリールを巻き続けるからすごい魚の引きに感じるのである。もう天秤が竿先に近づくほど巻き上げているが、仕掛けはどこに行ったかわからない・・・がっかりして見えている道糸を追っていくと、何と船のドテッ腹近くにピンクの大きな魚が漂っているではないか・・・!画像では見たことがあるが、実物を見るのは初めてのまさしくそれは高級魚アマダイであった。「すごいねー。ここアマダイの巣なのかな。めったにこんなたて続けては上がらないよ。切れちゃうからそーっと上げてね」船長はマイクで声をかけてきた。竿を立てて幹糸を手繰り寄せるのにさすがに緊張のあまり手が震えた。無事に手元に引き上げると、周囲から拍手が起こり、この手の催しで主役になったことのない私にも奇跡の時がやってきたのだった。

  

老師、ついにボクはやりましたぁ!こんなことはもうないかもしれない・・・改めてIXYで記念写真を撮ってもらった上、「写メ撮って『しん公』に送ってやんな」とこれ以上ない「どや顔」をしてみせたものだ。送り先は以前よくメジナ釣りにご一緒した「しんさん」である。早速、奥方から「最近の画像合成技術はすごいねえ」と返事が返ってきた。(口のへらねえヤツ・・・)と思ったが、クーラーに横たわる大きなアマダイを見ると「金持ち喧嘩せず」の心境になった。「fbに載せたいから」と言って、船長も写真を撮っていったが、全体この日は絶不調でトータルで5枚、アマダイが上がらなかったらとてもHPで報告できない散々な釣果だったと言えよう。その後何か所か小田原付近まで足を伸ばしたようだが、出目金のような妙な魚が一匹釣れた以外はさっぱりだ。「あなたが放った赤い魚、鳥が食べてるよ」
いつもより少しは粘ってくれたようだが、2時を過ぎて船長は船を茅ヶ崎港に向けた。山ほど釣れたらお友達のSちゃん家族を読んで刺身パーティしようか?と言っていたのだが、念のため声を掛けなくてよかったぁ。妻は大きなアマダイを持っている写メを友達と遊びに行っている息子甘辛にも送ったが「問題は量だよ、量!」と返ってきたようだ。

        

ささやかな釣果だったが家に帰ると「あんまり釣れた気がしないなー」と愚痴っていた妻の独壇場となった。ケバいトラギスと小さなチヌみたいな魚は天ぷらに、アジ4匹は余すことなくたたきにし、小さなメバルは煮つけに、最初に釣れたサバは塩を振って軽く酢で締めていた。(先日、カワハギ船にご一緒した同僚は釣ったサバの刺身を食ってアニサキスにやられ1週間入院したことで有名だ)そしてメインディッシュのアマダイは塩を振ってしばらく酒につけ、ネギと昆布、マイタケを添えて酒蒸しに・・・超絶美味に酔いしれた。。。刺身でもよいが、身がふわーっと柔らかいので酒蒸しが一番美味いらしいのだ。今回は釣果としてはさっぱりだったので、近いうちにリベンジすることとなった。クーラーBOX以外に何も準備せずに行く初心者船、妻との共通の趣味になるかは今後の釣果次第かもしれない。

        

          


さらに復刻?!北京亭のタロー&マーボ

2014-02-09 20:49:40 | 食べ物
このサイトに記事を投稿するようになってもう何年もたつが、未だに訪れる方の数や閲覧数以外は見たことがなかった。ちなみこのサイトは完全無料の何の機能もないただ寄稿するだけのものだったのだが、有料のアドバンスコースのPRがたまたまあって見てみたら、数少ないが訪れた人々の傾向(どんなサイトを訪れているかとか)や色々な分析、多彩なブログ機能があるようだった。そこで今まで見たこともなかったこのサイトの閲覧ランキングというのを初めて見た。(これは無料コースでも見られるらしい)
1日に読んでもらった記事の数の多い順番のようだから大体、投稿したばかりの最新記事が一番閲覧されているのだが、驚いたことにほぼ100%ベスト10に入っているロングラン・・・まるでザ・ベストテンの「みちのくひとり旅(山本譲二)のような記事があった。「復刻?!北京亭の中華丼」編である。ちょうど1年前の今頃投稿したものだった。
http://blog.goo.ne.jp/hayapo21/e/76a9885de958d83c24de69da23ffcd4f

北京亭というのは私が小学生の時に母が友人が聞き込んできた茅ヶ崎駅南口に店を構え、10年くらい前に閉店してしまうまでの約30年間、愛してやまなかったラーメン屋である。むろん私の妻も息子甘辛(幼かったが)も大ファンだったが、フェイスブックなどで同郷の人々と今までできなかったような音信が簡単に通じるようになると、意外にも北京亭の存在を懐かしむ人が実に多く、もはや「伝説」とも言われるほどに至った。中華丼については以前書いたように、マイ鍋をふるった私よりもそのレシピを家庭なりにアレンジした妻の作品の方が優れているのは事実だが、ここに来て「せっかくなら人気メニューを一杯復活させようじゃんか」という極秘作戦を考えていたのである。

まずは中華丼に匹敵する人気メニュー「タローメン」である。これまで数十年、多くのラーメン屋を訪れたがこのメニュー名はどこに行っても聞いたことがない。北京亭オリジナルメニューだと思う。小学生の時に母と一緒に入った当初は「ミソラーメン」一辺倒だったのだが、カウンター席に並ぶ多くの客達が頬張る謎の肉野菜卵とじラーメンが気になっていた。ある日、勇気を出して注文したらとてつもなく上手く、あっと言う間に不動のファンになってしまった。私にとっての歴史は中華丼よりもタローメンの方が深いのである。基本のレシピは中華丼と同じだが、異なるのは豆腐が入っているところである。

具として用意するのは、キャベツ、(冬なら白菜主体)、にんじん、玉ねぎ、豚肉少量、にら、豆腐、卵である。北京亭特製のしょう油タレはほぼどのメニューにも登場し様々な味を醸し出す魔法のタレなのだが、家庭ではまだ調合できたことがないので、生ラーメンスープで代用する(半分使って炒め、半分はスープにする)。後は中華スープ、塩、コショウ、かたくり粉を使用する。店では豚肉は生ではなく茹でてある小片を器から鍋にぶち込んでいたから、スープのダシを取った後の肉を細切れにしたものかもしれない。まずこちらは生だから豚肉から簡単に炒め始める。野菜群はボールで一緒にして混ぜ合わせたものをどばーっと鍋にぶち込む。店の場合は強火力のためあっと言う間に火が通ってしまうのか、しょう油タレでちょっと炒めるとすぐにスープを足していたが、IHでは生煮えになるので結構時間をかけて炒めた後に中華スープを足す。ここで塩コショウし、一旦味見するのが確実である。

          

中華丼と異なるはこのあたりでラーメンを製作しなければならないところだ。炒め用に使ったラーメンスープの残り半分を使ってどんぶり張った熱湯に合わせ少なめの麺側スープとする。鍋に豆腐を入れ一煮立ちさせた後、水溶き片栗粉をくわえとろみを付けるのだが、一気に入れて失敗すると復旧が困難なので、少しずつ様子を見ながらやった方がよい。麺側スープと絡まるので少し中華丼ほどシビアではない。次にといた卵を加えかき混ぜる。にらは最後でもこの前でもどちらでもよい。最後におおさじ一杯のごま油をたらして出来上がり。
やはり難しいのは途中で「麺を茹でる」プロセスがあることだ。丼側のスープは半分しかないから、早く茹で上げ過ぎると丼内で固まってしまうし、茹で時間を取り過ぎるとのびてしまう。ちなみに北京亭のおばさんは絶妙にタイミングで麺を茹でていたかというと、意外にいいかげんで、おやじの鍋の具が先に出来上がってしまうと先に丼に盛られた具の上に麺をどさーっとのせ、菜箸でグルグルかきまわすという荒技を繰り出す。これを「常連」は「麺アトもの」と言い、おみくじで「小凶」を引いたくらいの不幸を感じる。

            

タローメンはこれまで何十回と作成を繰り返し、記憶にある味に似たものはほぼ「ノ―ルック」で作れるようになっている。これは先月末に悪天候で外出できず一人飯になった時に製作したもので中々の出来栄えだった。そして次なる復刻は「マーボー丼」である。ミソラーメンと同じブルーの丼で出されるこのメニューはどちらかと言うと女性に人気があったような気がする。調理そのものでは全く辛味を付けることがなく、しかも卵とじスタイルだ。まろやかでお粥感覚でかき込むことができるが、中華丼に比べて野菜のアクセントがないので、少し味が単調で後半個人的には「飽き」がきたものだ。二日酔いの時とか胃が疲れているときには優しい味だった。ちなみにメニューには丼にかける「マーボー丼」と黒い器にマーボー部分とどんぶりご飯が別々に出てくる「マーボーライス」というのがあった。

基本、特製タレ&スープでの味付けだからすぐに再現できると思っていたのだが、3回トライしてどれも失敗。あまり製作プロセスを覚えていなかったのだ。最初のヤツなんか中華丼のすっぽ抜けのような感じだった。別の店で本来の麻婆豆腐(全然味が違う辛いヤツ)を食べて、具材を正確に思い出してみた。中華丼よりも種類が少ない分だけバランスと味付けのごまかしがきかない。2回目は木綿豆腐を使用したのだが、角切りサイズが大きすぎて卵豆腐丼になってしまった。。。水溶き片栗粉によるとろみの付け方やとき卵の混ぜ方も中々難しい。変な味になるとその味がずーっと変化なく続いてしまうのでショックが大きい。これはシンプルな分手強いメニューだな。3回目は水溶き片栗粉の量が多過ぎて、丼内におぞましい「カタマリ」がいくつかできてしまい、塩辛いのか抜けているのかわからない味になってしまった。ここにきて私は妻にヘルプを求めたのである。

この週末、関東は歴史的な大雪に見舞われた。数年前、東京に大雪警報が発令された時、ウッドデッキの雪を集めて小さな「かまくら」を作り、甘辛がその中でカレーライスを食っている写真があるが、今回ははるかにすごい量だ。午前中のうちにエントランスは雪で埋もれ、ウルトラセブン「零下140度の対決」で怪獣ガンダーに破壊された地球防衛軍極東基地のように、赤いライオン号もポインター号も偵察用チャリですら出動不可となった。「材料買ってくるから昼飯、マーボー丼にしないか?」と妻に聞いたら、何と材料は全て買ってあるという。(素晴らしい)しかし彼女も一度も作ったことがないので、北京亭マーボー丼の手順は私が横で指示することになった。

  

雪で家族3人どこにも行けないから3人分のマーボー丼の材料を並べた。材料はにんにく、挽肉、豚小間、絹豆腐、ねぎ、にら、卵である。豚小間は本来は生でなく、例の器にある茹で上がった細切れだ。まずサラダオイルでにんにくを炒め香りを出し、これに挽肉と豚小間を加えて色が変わるまで炒める。これにスープとしょう油タレを加える。3人前とは言えスープが随分多いなー、と思ったが最近ノ―ルックで中華丼を拵える妻の経験に任せた。次にお約束の塩、コショウで味を調える。これに前よりも小さく角切りにした絹豆腐(前回、もめん豆腐ではないと直感した)を加えて十分に熱を通す。本物の中華鍋だとすぐに煮立つのだがIHでは冷たい豆腐を入れると一旦湯温が下がってしまう。

              

鍋が再びぐつぐついいだしたら、水溶き片栗粉をとろみの様子を見ながらかき混ぜながら加える。いい感じにとろみがついてきたらとき卵を加えて静かにかき混ぜる。この辺りで外見は中華丼に似てくる。(実は味も似ている。)最後ににらを加えてゆっくりかき混ぜ余熱で熱を通したらごま油をたらして出来上がり。
うーむ。。。悔しいがこれまでの私の失敗作よりもはるかに上手く北京亭に近い。まろやかで胃に優しくするすると口に運べるのは素晴らしい。ノーマルヒルでこれまで数メートルずつ飛距離を伸ばしていたのに、いきなりK点超えのジャンプを見せられた気分だ。しかしようやくこれでかの名品3メニュー目がほぼ完成だ。
しかし結構試行錯誤してこれでやっと3つ目か・・・実は北京亭きってのセレブメニュー「肉野菜炒めライス」と「ミソラーメン」にトライしたのだが、まだここに掲載するレベルには至っていない。今や幻、伝説ともなった茅ヶ崎北京亭のメニュー完全復刻の道のりはまだ遠い。

                

激太り正月?!

2014-01-06 21:51:27 | 食べ物
2014年の正月を迎えた。例年になく暖かい三が日に土日が加わった長い休みとなった。昨年は息子甘辛が受験生ということもあり、緊張感あふれる正月だったが、今年はその分だらだらと「飲んで食って、笑って泣く」という1週間だった。どちらかと言うと今回は「食」に力を入れた正月だったと思う。何せ年末に極寒の海で(ダイバー抜きで)釣り上げたカワハギ群が健在だったし、妻に頼んですき焼き用の牛肉を注文してもらっておいた。我が家のミニ農園に小夏師匠からいただいたニラと共存共栄している北関東の有名なネギを使用するためである。今年の正月は休みが長く、私達はあまり正月用おせち料理を好まないから、実家の母は孫甘辛の好きなホワイトシチューとおでん鍋を山のようにこしらえた。妻は例年母のリクエスト通り、ローストビーフと豚角煮を作成、富山から毎年送ってもらう私の食べない漬物を加えるとかなりの豪華料理だ。実家ではいつもの通り黒豆やまぐろ&ぶり、ばい貝などが用意されていた。

        

紅白歌合戦は紅組の天然コンビがなかなか飛ばしていたが、やっぱりサブちゃんの卒業記念大会に白組を負かすわけにもいかず、ここ数年の連敗記録を更新してしまった。息子甘辛がこの年末年始ずーっとやっていたLINEではAKB48の大島優子さんが卒業宣言をした時に「林せんせぇ〜、『今じゃないでしょ!』って言ってくれぇ」とのメッセージが飛び交ったらしい。。。ちなみに妻に言わせると我が父子は「女子の好みが似ている」らしいが、AKB48で一番かわいいのは「ぱるる」ということで意見の一致をみている。

元旦は何があっても「爆笑ヒットパレード」で年明け初笑いとしてきたのに、今年は数十年ぶりに後半ちらりとしか見ない年明けとなった。テレ朝の「にっぽん名曲遺産」から目を離せなくなってしまったのである。60年代、70年代の楽曲を中心に1万人にアンケートを行い後世に歌い継ぐべき曲を認定していたのだ。60年代は知らない曲もあったが、70年代とはちょうど初めてレコードというものを買いだした年齢で、その曲が流行った当時起こった出来事が放映され、懐かしく見ていた。

      

1万人のアンケートというのが曲の数や投票数分布からどれくらい信頼度があるかわからないが、「この人はこれよねえ!」と納得できるものと、「この人はこの曲じゃねえか?」と首を傾げるのと両方あった。後で調べると「70年代」というのが効いているようだった。途中からメモを取り始めたのだがHPでちゃんと認定曲を見ると、亡き父の好んだ曲がたくさん入っていた。彼が「3つ選べ」と言われたら間違いなく上げるであろう曲は「喝采」「北国の春」「襟裳岬」である。ちなみに私だったら「なごり雪」「みずいろの手紙」「木綿のハンカチーフ」だ。丁度小中学生くらいの年齢だった私の家に初めてコンポステレオがやってきて、レコードを買って聞いたのが「かもめはかもめ」だが、それまであったボロプレーヤーで聞いていた「青葉城恋唄」が認定されていないのは残念だ。来年(気が早すぎるが)はぜひともに超黄金の「80年代」を扱ってほしいものだ。たぶん録画して永久保存版にするだろう。

    

早朝6時から昼前までの番組だったが、後半は、全国から集まった出場者たちがそれぞれの方言に訳し名曲を熱唱する「全日本なまりうたトーナメント」という企画だった。「いくら名曲って言っても馴染みのない『なまり』で歌われちゃーねえ」と一瞬爆笑ヒットパレードにチャンネルを変えようとしたが、最初の一人目だけ見ていてまたまたテレビにかじりついてしまった・・・おじいちゃんおばあちゃんに協力してもらって、数々の名曲の下りを方言に翻訳し歌い上げるものだが、全国の予選を勝ち抜いてきた歌唱力抜群の選手の「方言」が見事にマッチングし、聞いているだけで泣けてくる歌がいくつもあった。「これ、ちょっとやべえぞ・・・」名曲遺産にも認定された「木綿のハンカチーフ」などの熱唱に目をうるうるさせながら、カワハギをつまみ、ぐい呑み片手に終わりまで見続けた。いやー、久しぶりに正月にいい番組を見た。元日とも思えぬポカポカ陽気で横浜は最高気温15度以上になり、海に入ってもおかしくない天気だった。

2日はここ数年なぜかいつも見ている「箱根駅伝」である。CMになると初笑い寄席と変わりばんこに見ているが、チャンネルを戻した時に走っている選手の周囲を見てパッと「今、どこを走っているか」妻と言い当てる競争をするのが習慣になっている。何せ六郷橋を渡って神奈川に入ると、サッカーの練習送迎に「死ぬほど」走り続けた道路である。「ドレミファドン」の超イントロクイズのように周囲を一瞬見ただけでどこだか分かる時もある。「む、このガードレールは・・・『ラーメン天山』の手前だな」(ちなみに「戸塚中継所」とはあえて言わない・・・)
遊行寺の坂を下り、藤沢警察署を過ぎてしばらく進むと「浜須賀」という交差点でいつも中継がヘリからの映像に移り変わる。カメラ映像は真下の道路からぐわぁーっと引いていき、湘南海岸、そして富士山を映し出す見事なシーンである。そのヘリの爆音が我が家にも聞こえてくる。

元日ほどではないが、この日も最高気温は13度、風もなくテレビの映像を見ていると波も結構あるようだ。正月に海に入ったことはないが「試しに入ってみるか」と今年初の波動エンジン始動するためにポインター号で自宅に向かった。ところが前にも書いたが茅ヶ崎の実家から我が家へのルートは必ず箱根駅伝コースを横切らなければいけないのである。意外と早く実家を出たために最後のランナーがまだ通過しておらず、息子甘辛の通った幼稚園付近でもろに交通規制に引っ掛かり立ち往生となってしまった。しょうがないから近くにバイクを止めて沿道の人に応援旗を一つもらい、何人かの選手に声をかけて応援することとなった。30分くらいして自宅に到着、ウエットスーツに着替えボードを桜クルーザ号に搭載し、スケボーパーク前に繰り出した。波はテレビで見たほどよくはなかったが、20本ほど初乗りして帰宅した。今年は何事も「ノリノリ」で行きたいものだ。

    

この期間は1年でたった1度、「朝から酒を飲み(誰ですか?不思議がってるのは)、お出かけもそこそこに1日中テレビ番組を見て、麻雀に勤しむ時である。1日に1キロの割合で体重は増える。妻のお気に入りらしい「ナイツ」というコンビを笑いながら見ていて、塙が「あまちゃん」の能年玲奈さんのことを「脳年齢7歳」と言った時に紅白のとぼけブリを思い出してあまりのおかしさに雑煮の餅がのどにつっかえそうになっった。3日に我が家の風物詩「お正月だよウルトラマン全員集合!」に行こうとしたが、沿線火災で東海道線がまさかの運転中止・・・最終日に駆け込む羽目となった。我が家にしては豪華絢爛な食卓も5日も連続するとさすがに飽きてきて「洋食食べたくない?」と駅前に見つけたイタリアンで家族そろって食事し、何をするわけでもなかった長い正月休みを終えたのである。まさに激太り!1週間で太ったものは1週間で元に戻すべし!
皆様、明けましておめでとうございます。今年も「超兵器」をどうぞよろしくお願いいたします。