超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

最強寒波の長い1日

2013-02-27 23:37:26 | 出来事
「今年最強の寒波だってよ」スキー場へ向かう準備をする私に妻は気の毒そうに話しかけたが、インターネットのピンポイントで時間別天気をプリントしておこうと予報を見たら、今世紀最強!!!おいおい。。。何でそんな日にスノボデビューが予定されてるんだ?先週も10年ぶりに訪れたのに、目の前10メートルも見えない吹雪で散々な目にあった。まあ、今回はルーキーズも含めてたくさんの仲間がいるし、同じスクールに入ろうとしている初心者?もいるから多少は心強かった。しかし週明けから幹事でスキーヤーのジローくんがインフルエンザでダウン。。。数少ないスキーヤー仲間のはずだった八兵衛も前回のスキーツアーで痛めたところがあるらしく見送り。。。そうなると私がスノーボードをやるとスキーをするのが妻だけになってしまうので、妻も今回はキャンセルすることとなり結局スノボ組だけになってしまった。

先週、吹雪の中のスキーで劣化したゴーグルの隙間から雪が目に入り込み悲惨な思いをした教訓から新品が必ず必要と考え、昔スキーウェアを購入したムラサキスポーツに行ったら何と扱っていない?!駅前に新しくできたBOOK-OFFでスポーツ用品も扱っていると言うので、寄ってみるとスキーが少々、スノボはもうちょっと多いがゴーグルやグローブなどはない・・・ついでに見ようとしたゴルフクラブに至ってはどこにもない。その代わり圧倒的なスペースを占めていたのはサーフボードである。この地方だって今は厳寒の2月だぞ。どういう所なんだこの辺は?!あちこち探してゴーグルはMr.MAXに入っている大型スポーツ店にやっと置いてあった。前回やられたと思う耐寒装備を固め準備を進めた。

翌朝、さすがに出勤タイムよりも早い時間に家を出て、初電から2本目の東海道線で東京へ向かう。いくら何でもこの時間なら座席に座ることはできるが、駅に停車するごとにスノボ客などが増えて行き、横浜ではもう満席になってしまった。日本人とは仕事にも勤勉だが遊びにも熱心なことだ。東京駅はかなりのスノボ客で ごった返しており、先週と同じ「ガーラ湯沢行

」に乗るべく、出発ホームに急いだ。が、しかしどうも様子がおかしい・・・電光掲示盤に「ガーラ湯沢行き」がないのである。確かに待ち合わせ時間は25分ほどあるのだが、次発が仙台行きというのもおかしい。改札に戻って「あのぅー、MAXたにがわ44号は何番線の発車ですか?」いつも改札にいる女性駅員は丁寧に専用時刻表を見ながら、「あーっ!44号は土曜日のみの運転ですね」
げげげーっ!では急いで今入線している各駅停車のガーラ湯沢行きに乗らねば!!!エスカレーターを一個飛ばしで駆け上がり、飛び乗った。

一人だけなので座席は確保することができたが、どうも幸先がよくないな。。。妻が用意してくれた朝御飯の「五目ピラフと唐揚げ」弁当を開けたら、車内アナウンスで
「間もなく発車しますが、お客様にお知らせします。本日、ガーラ湯沢スキー場は強風のため終日営業を中止することになりました。周辺のスキー場に無料送迎バスを運行していますので、前売りチケットをお持ちのお客様はガーラ湯沢駅インフォーメーションへいらしてください」
その日2度目のげげげーっ!このまま行っても意味がないかもしれないが、ここでキャンセルすると当日手数料50%をだまって徴収されてしまう。私は急いで合流予定だったグッチーに電話した。
「おはよう!まだ出発してないよな。あのね、今東京なんだけど、ガーラ湯沢スキー場は強風で営業中止だってさ。マイカー組に急いで連絡を取ってどうするか決めてくれないか?オレは定期券だからとりあえずそちらへ向かうけど、どうとでもするから気にしなくていいよ。中止にしてもOKだよ」

まったく参ったなー。弁当を頬張っていると、グッチーからメールが来た。「まだ確定ではありませんが、石打丸山スキー場に変更する方向です」さすが若者はアグレッシブなものだ。私は完全に「めげ」モードでどうやってキャンセル料をかわすかばかり考えていたが、同行グループが行くというのに自分だけ引き返してはいかにも「ヘタレ」に見えてカッコ悪い。。。
大宮で乗り込んできた男子6人グループはガーラ湯沢スキー場の営業中止アナウンスを聞いて、熱く吠えていた。「こういう時こそ本気根性見せるべきだぜ。冬山なんか好天になるわけねえんだ。かえってチャラボーダーがいなくていいじゃんか」
さすが男だけ6人組みの女性っけのない、いかにも体育会系の男子である。横で今時珍しい肉食系男子群の話を聞いていて、何となく私もその気になってしまった。その昔「タイソンさん」と男3人で出掛けたスキーでは、同じように営業開始から終了まで休みなく滑り続け1日の「最高リフト本数」を目指し「鬼のように」滑りまくったものだ。

最初は中止になったら、途中駅(定期券区間)で下車し、そのままグッチーと打ちっ放し練習場でも行こうかと考えていたのだが、段々自分も熱くなってきたのだ。(オレ一人でも「試しにスクール」というのはありかなー。誰も見てないからボロボロでもわからないし。。。)多少の邪なことも脳裏にあったが、今年のテーマを貫くべく例え私一人になっても初心者スクールでスノボデビューをしてしまおうかと考えていた。そこにグッチーから再びメールが来て「石打丸山で決行です。私もT崎で「たにがわ401号」に乗車します」そうかそうか、強行軍は多いほど心強い。コンディション最悪だがこの悪条件で根性見せるのが必ず次に(ネタにも)つながるのである。
高崎駅を過ぎるあたりまではほとんど雲ひとつない鮮やかな晴天だったのだ。ところが長いトンネルを通り抜けて上毛高原駅へ到着する頃には天候は激変しており、真横からの吹雪でいきなり「やばいかも」と思われた。

先ほどの「熱き男達」も含めて先週と同様、大体の本格スノーボーダーは越後湯沢で下車して行った。終点ガーラ湯沢駅へ到着すると外はもう、すぐ目の前すら見えないほどの猛吹雪、改札の出口では係員に問い合わせる乗客でごった返していた。グッチー、ジュンちゃんと無事合流したが、お互いに苦笑いだ。乗用車組に連絡を取ってみると朝の5時半に出発した猛烈グループは格安のレンタルボードを借りて既にスキー場入りしているという。一寸先も見えない、いつ閉鎖されてもおかしくない状態だという。他の乗用車組は若干悲惨で、高速が通行止めになってしまい、待機しているか別ルートで大渋滞に巻き込まれているかどちらかだった。

グッチーやジュンちゃんは普通に片道切符で来たらしいが、こういう状況なのでこのまま新幹線で帰ったとしても全額払い戻しになるらしい。(帰りは切符なしで乗車)私の「ワンデーGALA」チケットは往復の新幹線とリフト券、レンタルボードも前売りでセット購入していたが、何と全額払い戻ししてもらえるという。紙面を詳しく読むと「周辺スキー場で一本でもリフトが運行していたら旅行継続可と見なす」とか
「当日は当社に帰すべき理由のない限り一旦乗車した券は払い戻さない」とか色々高飛車(まあ、格安って普通そうだが)、インフォメーションセンターでは列ができているものの係員が手際よく「営業中止」の証明印を押して乗客をさばいている。冷たいことを言ったらバーニング・ゴジラのように暴れてやろうかと思っていたら、往復に乗車した券も全て全額払い戻しとはJRも意外に太っ腹なものだ。

   

帰りの始発の新幹線は改札からそのまま乗ってよいということだが、準備の関係で開くまでに1時間近く空いてしまう。乗用車組はこちらの事情を話して引き返してもらうことにした。場内は意外にも先ほど車内にいた熱血グループのような人が多いらしく、果敢にもレンタルスキーを抱えて無料送迎バス乗り場に向かう人の方が多かった。「おみやげ屋でビールでも買ってくるか・・・」まだ時刻にして午前9時前だったが、やることがなくなった我々は缶ビールとつまみを買い込み、端っこのテーブルを陣取ってグビグビ飲み始めたのだった。2本目を空けたときにそろそろ改札の開く時刻となり、帰りのたにがわ号に乗り込んだのだった。発車間際にジュンちゃんが果敢にも追加のビールを走って買いに行き、何とか間に合ったところで列車が動き出して、猛吹雪のガーラ湯沢を後にした。

  

来る時にように長いトンネルを出ると、やはり「晴天」なのである。車内の乗客は皆、吹雪でスノボを諦めて帰ってきた人だったので、大きなどよめきが走った。「なんなんだ?この天気の違いは・・・?!」高崎駅で結構な数の人が乗り込んできた。隣席に座ったおじさんが「ずいぶん乗ってんな。何かあったのかい?」「新潟のスキー場が強風で営業中止になっちゃって・・・」
3本目を空けた私は途中下車するグッチーたちと別れ、東京まで眠り込んでしまった。時間は午前10時過ぎである。東海道線を乗り継いで帰宅したのが丁度昼頃・・・何か朝方の悪い夢でも見たような気分だった。しかしこれで2回連続でスノボデビューはお流れになった。。。何やら縁がないのかなー。

朝早かったから休息がてらもう少し昼寝して、活動再開したのは午後3時頃だ。湘南ゴルフリゾートでまた練習しようかと思ったが、日曜日の午後で混雑していそうだったので、いつものスポーツクラブへ向かった。ビールを飲んで約6時間経過しているが、消費エネルギーと心拍数では無謀とも思える、中級のステップ系クラスをぶっつけ1時間半・・・飲んだ水分は全部外部に放出してしまった。(健康のための運動だが、これは絶対身体に悪い?!)サウナまでゆっくり入ってさすがにバテ気味に帰宅するとちょうどダブルヘッダーの試合を終えたらしい息子甘辛からメールがきていた。「今終わった。いけんじゃね?」相変わらず短すぎて意味不明に見えるが、前日上映が始まった「劇場版とある魔術の禁書目録」のことである。

甘辛やその友人たちで流行っているライトノベルで大人たちにも結構人気がある。文庫本は二十数冊出ているが、私も全巻読破している。雑食系なので本の分野は全然問わないし、甘辛とよく内容を語り合う。夜間上映は中学生は観覧禁止かと思ったが、23時前に終了する上映ならOKということだ。ネットでは時間の関係で行ってみないと席があるか分からない状態だったので、辻堂の109シネマズまで妻に送ってもらい、空席状況を聞いてみた。1日に4回上映されるようだが、最終の回以外は全て満席ということだ。我が父子は21時上映開始の最終の回のチケットをぎりぎり購入し、待っていた妻と3人で食事をして再び映画館へ戻った。この映画が終了したのが22時40分、帰宅したのは23時を回っていた・・・・いやー、さすがに疲れた。日本を今世紀最強寒波が襲った長ーい1日だった。

復刻?!日帰りスキーヤー

2013-02-22 21:06:12 | スポーツ・健康
実は「試しにやってみる」第2弾になる予定だった。スキー場を訪れるのは約10年ぶり、冬スキーに至っては実に20年ぶりである。昔は夜11時くらいになると大きなキャスターバッグをガラガラ転がして東京駅丸の内口とか池袋サンシャインビル周辺に何十台も停車するバスに乗り、翌朝スキー場に到着するスキーツアーを利用したものだ。また自家用車で日帰りスキーなども訪れたが、それこそゴルフ以上に「体力の限界に挑戦」であり、未明に出発して暗くなるまで滑りまくり大渋滞を通過してフラフラになって帰宅した。我が家から友人を拾って日帰りスキーなどという場合、関越道などというのは「地の果て」だった。中途半端に都内の一般道を走ったり、八王子経由でも16号は怒涛のように渋滞しており、高速に乗るまででへとへとになった。

日帰りスキーとしては中央道方面で相模湖から西上するコースが多かった。清里方面だと野辺山やザイラーバレー、少し足を伸ばして諏訪から白樺湖方面だと車山かブランシュたかやまスキー場によく訪れた。あの辺りは中小スキー場が点在し、丸1日滑ってそのまま帰宅するにはちょうどよいところだった。スノーボードも少しずつ普及し始めていたが何と言っても世は「スキー全盛」の「私をスキーに連れてって」時代である。若者は誰も彼もが冬になるとスキー場に押し寄せ、ゲレンデにはユーミンや広瀬香美がかかり、女子は襟にフワフワの毛皮のついた「かわいい」ピンクのスキージャケットを身につけて滑っていた。週末になるとリフト・ゴンドラ待ちは1時間というのもあり、1日券を買うと元が取れない時もあって回数券にするか迷ったものだ。そんな中で妻は私よりもはるかに本格的なスキーヤーで、検定なども持っていた。(デモパンというプロが着るようなウェアで颯爽とかわいくなく滑っていた)

甘辛が生まれて数回スキー場へ「遊びに」行ったきりずーっとご無沙汰だったのだが、実は先月末、職場の同僚やルーキーズ達と1泊二日でスキー&スノボの企画があったのだ。確かに職場近辺からだと湘南からよりは庭先のように近い。行き先は石内丸山スキー場で一部を除いて、北関東の最寄駅から鈍行に揺られること約2時間、山のようにビールを買い込んでのツアーだったらしい。当然、私も声をかけてもらったが、なんと日曜日がたぶん今年災難間となる資格試験の日だった。果敢に前日のみ新幹線日帰りで飛び入り参加するつもりだったが、本職にからむ、かつてないほど手強い試験であったためかなりの試験勉強が必要で、落ちた時の言い訳にしないため、以前から宣言していたスノボデビューは泣く泣く見送りにした。

その日は昨年妻と走った湘南市民マラソンの日でもあり、都合の悪いことにどちらにしても不参加を余儀なくされてしまった。哀れに思ったジローくんは約1ヵ月後に日帰りスキー場ツアーを再び企画してくれたのだ。今回、10年ぶりの日帰りスキーを企てたのはその「日帰りスノボ&スキーツアー」への下ごしらえのためである。私はそこで「試しの第2弾」スノーボードをデビューするつもりだった。一応、同僚には「人生初めて」と申告してあったが、その前週に隠れてレッスンをうける邪なことを考えていたのである。前回スキー場を訪れたのが息子甘辛が5歳くらいの時だったから、妻と二人で行くのは15年ぶりくらいである。

ゴルフ同様、昔のスキーやウェアーを引っ張り出してみたが、ウエアなどやグローブなどもどうにも使えなそうだ。特にスキー板は劣化していて滑走中に破断すると危険そうだから、名残は惜しかったがぜーんぶ燃えない&資源ごみに出し、休日に妻と超久しぶりに「ビクトリア」に足を運んだ。同じ雪山で行うスポーツだと言うのに、昔スキーとスノーボードでは全然ウェアーのスタイルが異なっていたが、今は両方楽しめるようなハイブリッドになっており、「バリバリスキーヤー」のようなウェアーは見られない。軽くて機能的に優れ、ファッション性を見ても(よく分からないが)街中で着て歩いてもおかしくないという。ウェアとグローブ、ソックスを購入しインナーウェアーはむろんユニクロのヒートテック&マイクロフリースを重ねることにした。

ついでにスキーなども見てみたが、以前と全く形状が変わってしまっていた。「カービングスキー」というターンしやすいスキーになっているというのは知っていたが、板の先端の幅がしゃもじのように広く、「えっ?」と思うほど短いのである。我々は標準で身長+15〜20cmくらいの板を使用していた。「板の長さ」がスキーのキャリアとかっこよさを表すバロメーターのようなものでもあった。しかし今は身長-10cmくらいだというのだ。さらに進化したのが「ロッカースキー」というらしい。スキー板を真横から眺めるとビンディングのある真ん中は盛り上がってテールとトップ側で接地しており、踏み込むと水平になってターンするが(キャンバースキーという)、板自体がほぼ水平でターンの際に荷重すると先端が反り返るのが「ロッカースキー」だというのである。ゴルフだけではなくスポーツで使用するあらゆる道具は時代を経てどんどん進化しているようだ。

さて受験が終わってしまった甘辛はサッカーの練習に忙しいために今回は妻と二人で行くことになったのだが、初めて「ガーラ湯沢スキー場」に行ってみることにした。東京から私の通勤する新幹線に乗ること約1時間30分弱、改札を出ると駅がスキーセンターそのものになっていて、着替え、リフト券購入、レンタル用具借り出しなど何でもでき、そのままゴンドラでゲレンデへ一直線だ。最近、早朝の東京駅でスノーボードを背負った若者をたくさん見るようになり羨ましく思っていた。夜通し運転したり、バスやスキー列車(シュプール)に揺られたりせずに行けるのでものすごく楽だ。往復の新幹線とリフト券、いくつかの特典付きで1万円そこそこのツアーもあり、スキー&スノボ人口がまた増加してきているらしい。

朝も暗いうち(さすがに私が出勤するよりも早い時間)に東海道線に乗り、東京駅6時44分のガーラ湯沢行きの「たにがわ」に乗ったが、指定席、自由席とも東京からして満席である。土休日に新幹線など乗らないから勝手がわからなくてかなり早めに出てきたつもりだったが驚きの混雑だった。実はこの大勢の客達は大半が一つ手前の「越後湯沢」で下車してしまい乗り換えて、大きなスキー場に向かうらしい。北関東までは晴天だったのにトンネルを抜けるとホントに雪国だった。細かい雪が斜めに降り続く中、「たにがわ」は終点「ガーラ湯沢駅」に滑り込んだ。ゴンドラの下の方はまだ雪が舞っている程度だが、ゲレンデでは結構吹雪になっていてそれもこれから風が強くなる予報だという。

私は当初、内緒でスノボデビューし、初心者スクールで教えてもらうつもりでいた。しかし二人で来た初めてのスキー場で私一人スノボやってしまっては、妻が一人で滑らなければならないし(全然OKと言っていたが)、悪天候で散り散りになってしまうとコースも分からないので気の毒だ。今回は最新の「ロッカースキー」で再デビューということにした。レンタルで差し出されたスキーは私よりも10cm以上短い「しゃもじ」のような板だった。これが話に聞くロッカースキーか。。。(写真撮るの忘れた)
着替えてゴンドラに乗ると10分程度で中央ゲレンデに到着した。10年ぶりにゲレンデに立つが、結構風が強く吹雪いているなー。あまりコンディションはよくなさそうだ。   

    

防寒はかなり念を入れていたのだが、誤算だったのはゴーグルが見た目使えそうだったので10年前の古いヤツを持ってきてしまったことだ。上側にある薄いスポンジが劣化のために全部剥がれ、スカスカの隙間を形成していたのである。リフトに乗っている間、上から横から吹き荒ぶ雪がこの隙間から入り込み「ゴーグルの中に雪が積もる」という予期しない現象に悩まされた。
さらにロッカースキーというのは初めて使用するが、これまでとかなり勝手が違う。片足荷重や下半身の捻りなどを加えるてエッジをたてたりするとかえって引っ掛かかってターンしてくれない。10本くらい滑って何となく要領のようなものはつかめたが、さらに強風のため前も見えなくなり、スノーボーダーとの衝突が危険なのでほとんど初心者ボーゲンのようなスタイルで滑るようになってしまった。

悪天候のためにギブアップする人達が増えそうだったので、早めにレストハウスに入ることにした。実は前週には息子甘辛が進学先の先輩と一緒にスキーにやってきていて(よく来れるものだ)、「ダブルカツカレー」を食ったというから私は「ダブルカツ丼」で対抗(何で?)することにした。フードコートはかなり混んでおり、二人空き席を見つけるのがやっとだった。私達の隣にいた男子1、女子2の3人組みはこれからどのコースをどうやって滑ろうか話しているようだったが、日本人的な顔立ちなのに完全にネイティブな英語だった。しかし突然に「だからさー」などと日本語にもスイッチする。日本語の話し方を聞いていると知性的にはイマイチなのだが、あれほど自然に(本人も気付いていないかのように)英語と日本語がスイッチするとは、両親のどちらかが英語圏か、英語圏育ち、あるいはよほど長い期間過ごしているかだろう。

  

反対側のカップルは本格的なスキーヤーのようだ。何せ二人ともレーサーのようにごっついブーツを履いており、ウェアも渋い色でグローブなども「ブリザード仕様」のように分厚かった。
「オレ達より少し上でひたすらスキー道を歩んだ人かな」私の隣にいたので女性はまじまじとは見られなかったが妻に言わせると「見たところ女の人は20代くらいだよ」。そのうち男性は鎧のような装備に戻って外に出て行った。(どうも様子見に滑りに行ったらしい)
帰ってきた時の悲惨な姿と言ったら・・・ウェアの隙間には白い雪が多い尽くし、顔は寒さで赤く、睫毛には凍りついた雪が張り付いて、まるで「八甲田山 死の彷徨」だった。。。

窓の外を見るとさっきまではゲレンデで座るスノーボーダが見えていたのだが、レストハウスのすぐ手前でボードを立て掛ける人すら見えないほどの吹雪になっちゃった。しかし果敢にもその男女は装備を固めて外へ繰り出していった。その後間髪入れず「ここ空いてますか?」とダブルカツカレーを持った男性が現れた。席に着くやいなやずーっとスマホを片手に何か打っていた。(連れと連絡取っている?!)ヌルい食べ物がありえない私は「(冷めねえうちに早く食えよ!)」と意味もなくイライラしていた。いい年をしていそうなのだが、いかにもチャラ男っぽく妻の視線は「ワタシ、こういう人ダメ」と物語っていた。しばらくして彼女が現れたが隣りながらすごい美人に見えた。(何もこんな男じゃなくても)なんてこれまた失礼なことを勝手に思っていたら、彼女は「こんなもんでよかったかなー」と言って小さな皿に山盛りに盛ってきたコショウを持ってきたトンコツラーメンにぶちこみ、紅しょうがごと「がわわーっ」とまるで石焼ビビンバのようにかき混ぜ始めた。なるほど・・・・ね。
しばらくして席を立った私を待つ妻に「ここ空く予定ですか?」と聞くカップルがあった。「うーん。当分空かないかも・・・」赤ワインのボトルとグラスを抱えて現れた私を見て彼らは諦めて去っていった。

飲み始めた時点でその日は「このまま上がってもやむなし」と思っていたのだが、ワインを飲んで気が大きくなり(だから酒気帯び運転は厳禁なのだ)、風も少しだけ弱まったようなので、もう少し滑ってそのまま下山コースで行こうということになった。隙間だらけのゴーグルは妻がどこかでセロテープを借りてきて応急閉鎖した。ネックウォーマーを鼻の上まで上げ、ニット帽子とフードの完全防備で10本近く滑り、ゴンドラ駅まで下山したのだった。着替えて新幹線に乗れば1時間半で東京である。天候にさえ恵まれれば素晴らしく手軽でお得感があるパッケージだ。よく見ると行きも本格的なスキー&スノバーは越後湯沢で降りてしまい、GARAまで来るのは手荷物小さい我々やハイヒールの女性などもいた。道具もたぶんレンタルの割合がすごく多い。行き帰りもゆったり飲めるし・・・これからの我々に似合ったスタイルだと思った。次週に持ち越したデビュー戦は同じ場所となったが、どうか天候には恵まれて欲しいものだ。

シミュレーターゴルフ

2013-02-20 21:24:07 | 出来事
「試しにやってみる」第一弾としてスティーブに連れて行ってもらった店でゴルフクラブを衝動買いしてしまい、そのうち3本を自宅に持ち帰った私は約20年前に足を運んだきりの「打ちっ放し練習場」に行く機会を虎視眈々と狙っていたが、やはり何かものすごい重荷を背負わされているような気がして、何かにつけて先延ばしにしていた。母や甘辛と異なり私にとっては中々discomfortとも思えるゾーンに足を踏み入れられないのである。先日、天気のよい休日に妻といつもの海岸を江ノ島方面を散歩していたら、水族館の向いにあるカプリチョーザを通り掛かった。その上に「湘南ゴルフリゾート」という施設があるのは知っていた。江ノ島に湘南海岸、水族館に、種々の(行ったことないけど有名と聞く)グルメ店のひしめく観光地に「室内ゴルフ練習場」なんてあったって「来る人いるわけねえだろ」と冷笑しながらスルーしていた。

  

しかし隣に併設される(こちらがメイン?!)中古用具店はゴルフクラブを買った店と同じチェーンだったし、「シミュレーターゴルフ」というのにも若干興味が沸き、「ちょっと入ってみようぜ」と二人で階段を上ってみた。(一人だったらやはりスルーしていたと思う)
薄暗いホールに入っていくと、一見ボーリング場のレーンが並んでいるようにスクリーンが映し出されている。スポーツクラブなどにも幔幕に向けてボールを打ち放つ室内練習場はあるが、それの素晴らしく高度なものであるらしい。以前、テレビ芸能人のドタバタバラエティでやっていたのを見たことがある。初めて来たことを告げると係の人が親切に案内してくれた。

2Fフロントはトレーニングゾーンでいわゆる打ちっ放しのように打席が並んでいて、マットに置いた本物のボールをスクリーンに向かってバシッと打つと、ヘッドのスピードや回転、角度などを瞬時に計算してスクリーンに打ったボールの軌道が映し出される。飛距離や弾道、落下点はもちろん打点の角度やボールの初速まで細かなデータが記録され、最後に自分のショットのVTRが確認できる優れモノである。実は練習としてではなく、商品(中古品)の試し打ちにも使わせてもらえるそうだ。商品全部は無理だが、練習用に自由に使わせてくれるレンタルクラブがあり、隣りが中古品店なのでそれは様々なクラブを打つことができる。もしどんずば気に入ったクラブがあればあらためてショップで同型の商品を見せてもらえばよい。

3階に行くと、打ちっ放しの打席ではなく、カラオケBOXのような半個室となっていてやはり前方にはスクリーンがあった。なんとここがこの施設の誇る「ラウンドシミュレーター」である。世界の数百以上のゴルフ場の詳細データを再現し(私にとってはあまり意味ないが)、トレーニングゾーンよりもリアルにそしてシビアにラウンドをシミュレートする。落下点が傾斜している場合、次のショットでは足場がそれに合わせて動くのもすごい。1グループだけプレーしていたが、ワイングラスを片手に中々優雅に楽しんでいた。何せ実際に歩かないでもラウンドのような気分が楽しめるし、お酒を飲みながらカラオケBOXのような楽しみ方もできる新たなスタイルだ。ラウンドBOXの反対側には海に面した本物のレストランがあり、食事を摂ることもできる。

散歩の途中ふらりと入っただけだったので何も持っていなかったが、一通り案内されて私は一度試してみたくてうずうずしていた。数日後、家に持ち帰ったクラブ3本を持ち妻に「もう1回付き合って」と頼み込んで一度トレーニングゾーンを経験してみた。どきどきしながら使い方を教えてもらい、購入した時に一発だけ試し打ちした7番アイアンを手に取って何回か素振りした後、「バチョンっ」と振り下ろしたが、何と打ったボールだけスクリーンに当たったが、肝心の映像が続いていかない。シミュレーターがうんともすんとも反応しないのである。天井にぶち当たるような変なコースではないつもりだったが、2回目も不発・・・まさかあまりにもボールの初速があり過ぎて機械が反応できないのか?(そんなわけねえだろ)

3回目にしてようやく、スクリーン内のボールも画面上を飛んで行き、やや左の130Yくらいの目盛あたりに落ちた。すかさずショットの各データが映し出されたがよいのか悪いのかさっぱりわからん・・・距離で行ったら少し足りないくらいだろなー。こんな風だったけな、ああだったかなー、とあれこれ数十発打って、いよいよバカでかいヘッド(今はこれは普通らしい)のドライバーの登場だ。何回か素振りをするがどうも軽い。とりあえず「ドカンっ!」と一発ぶっ放すとすごい音がして後ろで見ていた妻は「おおっー」と声を上げたが、左に大きくひん曲がり距離も200Yそこそこしかない。ほとんど散歩と同じスタイルでクラブだけ持って行ったから、偵察に意味も兼ねて30分程度でほぼ20年ぶりの打ちっ放し(確か数回は途中あったような気がする)を終えた。どうやら普段使わない又は錆付いていた筋肉を酷使したらしくわき腹を中心にあちこちが痛かった。「侍ジャイアンツ」の最終回で米大リーグのホームラン王ジャックスにこれまでの魔球をすべて投げ、使ってなかった筋肉を酷使し過ぎて激痛が走った時のようなものだ。

    

しかしトレーニングゾーンにも「ラウンドモード」があるというのは実に興味深い。マジでグループコンペを開く人達もいるようだから一度お友達を誘って試してみるか。翌週、甘辛の進学祝いにお友達家族が集まってくれる予定だったから、その中のゴルフ好きのお友達を誘い、片瀬江ノ島駅経由で現地集合にした。お友達はこういうところは慣れているのか、店内で試し打ちしたいクラブを一式選び、シミュレーター前にやってきた。試しに1席借り交互に練習してみることにしたのだ。さすがに継続的にレッスンを受けている人は弾道が違うなー。身体の捻りとかクラブの描く軌道とか色々と教わることができたが、さすがの私も一度聞いて全部できるはずがない。私の弾道は右に左に鎌倉水中花火のようにきれいな扇を描いていたことだ。

一通りクラブの練習を終えると、今度はラウンドモードで打って見ることにした。練習用打席なので上の階のラウンドシミュレーターのように足場の傾斜や風などが詳細に再現されるわけではないが、まさしくラウンドしているように打つことができる。1ホールずつ交代で打っていき、パーの2倍以上打ってしまうとギブアップ(つまりそのホールはゲームオーバー)である。クラブの当たり方や打点のインパクトなどで軌道計算しホールの構造と合わせてOBやバンカー、グリーンには傾斜や芝目などもある。パットだけはさすがに要領が違っていたが、それ以外は慣れるとホントに回っているような気分になった。私はドライバーと7番アイアン、ピッチングしか持っておらず、できるだけ買ったばかりのクラブに慣れるためにそれだけ使用していたが、ロングホールでドライバーをチョロった時に試しに「ユーティリティ」という見たこともないウッドとアイアンのあいのこみたいなクラブで打ってみたら実に具合がよくビューンと飛ぶ。

    

たっぷり2時間、時にはVTRを見ながら色々教えてもらい、シミュレーターゴルフを堪能できた。練習場でドカバカ打ってもコーチでもしてもらわない限り、よいのか悪いのかさっぱり分からないがこれなら何となくわかる。いずれレッスンも受けるつもりではあるが、自分で分析しそれなりに試行錯誤できるとは何と理系好きのする装置であることか。まるで私のためにあるような施設である。「今まであんなにバカにしてたのにねー」妻の反応は生冷たい・・・
「オレ、さっきのユーティリティというクラブ一本買ってみようかな」吉野家の牛丼でも生卵を付けるのは「自分へのご褒美」の時だけ、というほど余計な買い物をしない私だが、時折ちょっとした衝動買段をする。つまりこういう時のために普段は余計なモノを買わないのである。

帰って来て宴会に集まりかけていたお友達の家族に「いやー、面白かったよ。オレ、クラブ一本買っちゃった。」お祝い会の最中でも時々ケースから出してきて撫でまわしていた。初めて野球のグローブを買ってもらった子供が枕元に置いて寝るような気分である。翌日は3連休最後の日だったが、月曜日のためにキャンペーン価格で半額になるのを知っていた。一人で乗り込む勇気を起こすのは大変だったが、新しく買ったユーティリティを使用したくてしょうがなかった。たまたま待たずに席に入れたので、練習もそこそこに早速ラウンドモードにして打ってみた。「ほぼ初心者みたいなものなんですが、まさか真横に飛ぶことはないと思うんですがねー」なんて言って奥の個室のような打席に入れてもらったのだ。先日、交代で回っているから要領よく進めることができた。パッティングはかなり甘めの設定らしく(さすがに微妙に再現できないようだ)かなり適当に打っても「ナイスイン!」の声がかかる。ガードバンカーに入ったりグリーンを捉え損ねてこぼれたりすると「おおーうぅ」というギャラリーのため息が流れる。(プロのラウンドの感覚だ)このシミュレーターのよいのは「今のなし!」と何度でも打ち直しができるところである。トレーニングゾーンだから実際のスコアよりは距離感や風の状況から何度も打ち直し、感覚を養う目的もあるのだろう。

ハーフラウンド回って「39」という驚異的なスコアだ。何度も「ナイスパー!」という掛け声を聞いた。もちろん「今のなし!」をフェアウェイやラフ上10回くらい、グリーン上でも10回くらい行ってるから、実際は60回くらい叩いていることになる。衝動買いしたユーティリティも中々具合がよい。1時間半あれば練習もそこそこにテンポよく回れば(「今のなし」をやらなければ)ワンラウンド回ることも可能だ。どうやらしばらくは私のホームグラウンド(って実はないけど)になりそうな気がする。何せ散歩気分でいつでも来れるし、夜の12時まで営業している。レッスンなんかも受けてみてしばらく修行したらいよいよショートコースでも回ってみるか。本コース再デビューの日も近い。。。

母のトライアル

2013-02-16 04:22:44 | スポーツ・健康
先日、70代もかなり後半に差し掛かる母の誕生日祝いを行った。母は田舎育ちの年寄りで10年ほど前に夫を亡くしてから茅ヶ崎の実家に一人住んでいたが、私の自宅も近く毎週のように早朝温泉に行ったり家族で食事を共にすることも結構あったので「孤独」ということはないようだ。忙しくはないが、知人宅の家事を手伝いに行ったり、大正琴を習ったりとそこそこは出かけていた。しかし年齢相応に神経系統が弱り自動車の運転は危険だからと免許を返上したのが昨年の今頃だった。どこがどう悪いというわけではなかったが、スピリチュアルの先生によれば「お母さんの中にエネルギーがちょっともない」と心配し、何回か「気」の注入をしてくれて元気になったこともある。

自分用の自転車を電動アシストと交換してやり、喜んで乗っていたがはやはり自家用車を乗らなくなると行動範囲が格段に狭くなったのをこぼしていた。健康のために出かける時はなるべく歩くようにしていたようだが、一度何かに蹴躓いて顔に怪我をしてからコンディションの悪い時は外に出ないようにしているという。その代わり「レッグマシーン」といういかにもな健康器具をいつの間にか買ってきた。腰幅のスタンスで正面立ちした状態で緩やかに左右に両足をスライドして開いて閉じるを繰り返すマシンである。早朝にTVKのテレホンショッピングなどで「絶対そんなの必要ない」と思われる外国人女性モデルが「しょわー、しょわー」とやっていたのを見たことがある。通販で買ったらしいがよく組み立てられたものだ。普段無駄使いなどしないのに、時々取り憑かれたように衝動買いしてくるのは私も血を引いてしまっている。

そのうちに新聞に入っていた広告を見たらしいが「スポーツクラブに行こうかな」と言い出した。この手のことは他人に誘われないとやらない人だったので「これはいいことだ」と手伝ってやる半面「こんな老人がやっていけるクラブなんてあるんだろか?」と心配でもあった。一つは実家と茅ヶ崎駅の中間くらいにあるスポーツクラブでフットサルコートや室内ゴルフ練習場も併設している。もう一つは国道1号線沿いにあり、あまり大きくないがプールがメインのクラブで確か数年前中学の同窓会で「同級生がスタッフをやっている」と聞いたことがあるクラブだ。最後が辻堂駅前の巨大商業モールの裏に昨年オープンした最新式のスポーツ施設で何と温泉スパ付き!広々としたスタジオで多彩なプログラムがあり、さらに多目的アリーナではバレー、バスケット、バトミントンなどお馴染みのスポーツも会員同士で楽しめるという。友人がオープン特別キャンペーンでずいぶん割安の会費で使用していると聞き、羨ましく思っていた。

私は通勤時の使用駅が一つ東京寄りなので昔通っていたスポーツクラブに再入会した。会社帰りの夕方以降と休日に使用できる会員なので比較的若者向けプログラムしか知らないが、見たところ80歳にも近くなる老人が無理なく運動できるコース(むろんマシンジムやら他にもたくさんあるが)は少ないように見える。その点、辻堂は巨大施設で、ものすごくたくさんの時間帯とメニューがあり「私だったらここがお薦めだな」と思っていた。新聞のチラシを見て最初の「ロ●スポーツ」というクラブへ一度一人で体験に行ってみた(これはすごい!)ところ「今月いっぱいに入会すれば入会金はゼロで特典もあるらしいんだよ」と聞いた。スポーツクラブ選びならベテランの域にいる私は「今時は何かとキャンペーンがあって『入会金』って取らないんだよ。他にもいくつか体験してみたら」

最初に案内してくれたクラブはすごく親切で丁寧だったそうだ。私が「ここはお薦め」と言ったので辻堂の「●コカラ」にも行ってみたそうだ。新しくて素晴らしい施設だったそうだが、費用削減の煽りなのか平日は係員が少なく、ロ●のように付きっ切りでは案内してくれなかったそうだ。マシンの使い方とかわからないことが多いだろうから、老人にはそういうところも結構、選定のポイントになるんだろな。「どうしようかねえ」などとのんびりしてるので背中を押してやるために、ある日竜泉寺の帰りにまずくだんの「ロ●スポーツ」に一緒に行って案内してもらった。割とこじんまりしているが、会員がたくさんいるわけでもなくゆったりした感じがした。プログラムスケジュールをもらったが、大体私の通うジムと同じようなものだ。初心者やお試しのようなもので1週間に1回だけ利用するコースを考えているらしい。見たところまあ、普通だが最初の「親切・丁寧だった」という印象が実は大事だ。

自分の興味もありある日会社帰りの夜に辻堂の●コカラに行って様子だけでも伺ってこようとしたが、なんと定休日。。。隣りの商業施設から大きなガラス越しにランニングマシンで走っている人々が見えるところだが、確かにその日は真っ暗で室内灯も消えているようだった。仕方がないから母がもらってきたというプログラムスケジュールを見ながら80歳近い彼女でもできそうなスタジオプログラムをマーカーペンで印した。「ウォーキング系」「健康体操」「青竹ビクス」「スローヨーガ」、ちょっと無理かなーと思えたが一応仲間入りさせておいたのが「背骨矯正体操」「太極拳」「初心者向けエアロ」あたりである。次にあった時に大体どんなことをするのか、疲れの度合いはどうかなどと簡単に説明してやった。実際に体験していないので保証はできなかったが、私の通うジムでも似たような名前のプログラムがあったから分かった。

「日本舞踊」なんてのもあったが、さすがにどんなことをするのか分からなかった。私はヨーガを薦めたが母は体験で見ただけで無理だと言った。膝が悪くてあまり曲げられないので窮屈な体勢をしていられない、と言うのである。時間があったら辻堂の開いている時に見てきてやろうかと思ったが、いつの間にか最初行ったクラブの会員になってしまっていた。そうかそうか、それは良かった、と最初に何をやったかと聞いたらなんと太極拳!中々面白かったそうだ。その他マシンジムやポールなどを色々教えてもらいながらこなしてきたらしく母の意外な行動力に感心してしまった。今の会員種別は1週間に1回なので決まったプログラムしかできないから、毎日できる会員に変更しようかとかもう言い出している。ぜひ続けて欲しいものだ。

何か新しいことを始めるというのは年を経れば経るほど抵抗の大きいものだ。何かにつけて気が付くと「始められない合理的な理由」を探している。私もまったくその通りで多くのことに挫折してきた。そもそも「踏み出す」だけで多大なエネルギーを費やし、始めた後も何かにつけて「止める理由」を探している。恥ずかしながら「太極拳」がそうなのだ。スピリチュアルヒーリングの先生に薦められ、妻と「体験教室」に行ってみたが、どうもその後続ける気にならず、単身マンションでDVDを見ながら練習はしていた。自宅に戻り元のスポーツクラブに太極拳プログラムがあったので一度行ってみた。先の太極拳教室ではそのうち「演目を披露」するための練習などという本格的な雰囲気についていけず、クラブのプログラムならいけるかと思ったが、独特な非アスリート系の雰囲気にどうしても馴染めないのである。あのゆったりとした動きは自分なりにすごく快感を覚え是非ともに少しずつでもマスターしていきたいのだが。(どうやら母に任せることになりそうだ・・・)

代わりに始めたのが「ピラティス」というヨーガに少し似たエクササイズである。普段使わないインナーマッスルを鍛えたり、体幹をしっかりさせたりというものだ。実はヨーガの教室に行った時、コーチの都合で代行となった人がたまたま「ピラティス」のインストラクターだったのだ。「耳慣れないエクササイズですが、せっかくの機会なので少しやってみましょう。まずは直立して正面の鏡を向いて目をつむり手足を大きく振ってその場で足踏みを50回してみてください。はい、1、2、3、4・・・・」
皆、訳も分からずに掛け声の通り50回その場足踏みをして、目を開けたら驚いた。ほぼ全員が全然違う方向を向いていたり、元いた位置からずいぶん動いてしまったり・・・動かずにいられた人は一人もいなかったのである。「これが身体の歪みです。ピラティスは体幹を鍛え、老廃物を取り除くとともに歪みをなくして骨格や内臓を正常な位置に収める効果がある、リハビリから始まったエクササイズなんです」

ヨーガのように中々厳しい体勢を保持とか言うのはあまりない代わりに、「起き上がって背骨を1個ずつ順番にマットにつけるようにゆっくり元に戻って」とか「背中に一杯空気を入れて腹を引っ込めたまま全部出す」や「お尻の穴にささったペンライトを正面から天井に向けてずらしながら照らす」などというマニアックな注文が多く、中々その通りにできない(当たり前か?!)ことが多かったが、今日に二桁回数を数えるまで続いている。教室にいる人たちがアスリートのような「同じ匂い」がするのである。ヨーガやピラティスのように「呼吸」とか「伸びている」とか「歪みの矯正」など自分なりに論理的な効果が理解できるものはよいが「この動きがどんな効果をもたらすのか?」がはっきりしないものはダメなのかもしれない。

ピラティスを軌道に乗せるだけでも色々重なった偶然と長い月日が必要だったのだが、母はそれこそスポーツクラブ自体も初めてなのに「太極拳」のクラスなど平気で足を運んでいる。最初一番心配したのは「クラブに同年輩の人などいるのかどうか?」だったのだが、実際は88歳の男性までいるらしい。私は正直、新しいところに足を踏み入れるのが苦手だから「試しにやってみる」と自他に宣言して奮い立たせているのだが、母はこういうトライアルは意外にも全然平気らしい。隔世遺伝なのか息子甘辛も結構そういうところがある。はるばる見も知らずの人達とフットサルをやりに来るし、進学先のサッカー部の練習に平気で顔を出しているし、その先輩に誘われ人生2度目というスキーにも挑戦している。息子も私に無いものを持っていてそれはそれで素晴らしいと思うし、この特性は後から身に着けられるものではないようだ。

熱戦!フットサル大会

2013-02-13 04:05:42 | スポーツ・健康
時系列でいうと先週後半からになるが。。。グループ会社や取引先合同で仕事が終わった後、大フットサル大会が開催された。元々サッカー経験者のいっけいや今でも現役のジロー君などマネージャー軍の発案でルーキーズが企画、運用してくれたものだ。ゴルフやらボーリングなど「年寄り向け」のスポーツ大会ならよく聞くが「フットサル」というのは珍しい催しだ。我がシルバー会社残念ながらまともに動けるのは私も含めてわずかばかりのヤングマネージャーどころと、入社1〜5年くらいのルーキーズ軍くらいだが、取引先などは契約社員の技術者も含めてバリバリに現役っぽい選手が多く、総勢60名近くの大会となった。コートは2面、2時間なので試合数は全10試合くらい、5チームの総当り戦とされた。5人チームで1試合10分の割り当てである。

我が方はマネージャーチーム、ルーキーズA、Bの3チームだ。取引先は予定では19名なんていう大所帯もあって複数チーム化を薦めたが、「仕事の関係で最初から全部揃わないと迷惑をかけるから」と2社とも1チームだけのエントリーとなった。我がチームは交代要員も含めて7人構成で名前は「ウルティメイト・フォース7」(むろんウルトラマン由来名)、ぶっちぎりの最高齢である私を筆頭に、エイジパフォーマンスはたぶん最高レベルを誇るジローくん、地味だが経験者の老練さを活かすいっけい、ラガーマンだから玉際の感覚は結構期待できるKYOちゃん、突進に関しては疲れ知らずの予備自衛官ソルジャー、若者の束ね役でフットサルでは「気を使ったプレーが光る」ジュンちゃん、そして何と湘南新宿ラインで湘南から飛び入り参加した息子甘辛である。

本来であれば今週は「入試ウィーク」で併願先やチャレンジ校、本命などの受験日程がずらりと並び、「人生初にして有数の辛い週」であるはずだったのだが、あっさりちゃっかりかわしてしまったので、思わぬ栄華を味わっている甘辛だ。早速進学先のサッカー部練習にも参加し、今のチーム練習とはしごするような生活を送っている。フットサル大会は平日だが終業後の夜7時から開始と聞いたら、「オレもやりてえ」と言い出した。確かにこの時期受験生はとにかく入試準備に忙しく、中には受験で学校に来ない生徒もいる。終了が21時だと帰れなくはないが私も厳しいし、皆と打ち上げやりたいし・・・などと考えていたら妻も差し入れを持って見に来ると言い出し、結局甘辛は翌日学校を休み、3人で駅前のホテルをとって宿泊することにした。(こんなことでいいんだろか?)

普通中学3年くらいって親と一緒に何かやるとか、親の知り合いに挨拶したりするのは極度に嫌う反抗期真っ只中の年頃だと思うのだが、私以外全く見も知らない大人達に混じってフットサルをやりたい、とはよほど好きなのか、自信があるのか、あまり考えていないのか?!メンバも同様、不思議がりながらも大歓迎してくれた。山から下ろしてくる冷たい強い風が厳しいこの地方だが、その日は気温も結構高く風もない素晴らしいコンディションだった。実は前日は積もりはしなかったが、太平洋、内陸ともに大雪注意報で電車も遅れるほどの荒天だったのが私と甘辛が揃うと大抵天気への心配はいらなくなる。いっけいの車にホテルから乗せてもらい、15分くらいでフットサル会場へ。冒頭の挨拶では「日頃の鬱憤を晴らしたい人は思う存分暴れて下さい。『怪我のないように』なんてケチなことは言いません。アクシデント大歓迎、ただし『レコーディング事故ゼロ運動』の一環ですから、誰かが怪我をしてしまうとその部署の記録はパーということになります。ということはですよ。理屈で言えば私が怪我をしてしまうと立場上皆さん全員の記録がパーということになっちゃうのでー、私がボールを持ったらくれぐれも道を開けるように・・・・楽しんで行きましょう」

  

各チームの応援団も集まり、山のような差し入れに囲まれてゲームは始まった。スティーブも差し入れに、設計部門の責任者オノちんは何とVTR撮影係で駆けつけてくれた。そのうち取引先の支店長や部長などそうそうたる面々が顔を出し・・・まるでいつもだったら、後ろのテーブルで大宴会が始まってしまうようなメンバーだったが、さすがに「スポーツを行う会場」なので大人しく暖かい缶コーヒーなどを飲んでいた。差し入れに缶ビールのケースが無かったので、内心ホッとしていたが、もし中に入っていたら間違いなく飲んでしまっていた。私は年齢と立場から言ったら間違いなく「見ているほう」にいるべきなのだが、回遊魚の血がそれを許さず、初戦から全試合フル出場するつもりでいた。我がチームはキーパーがいっけい、後ろが百戦練磨のジローくん、左右が磯辺父子、前がKYOちゃんという布陣だ。

10分間というのはあっという間と思われるが、実に長く感じるものだ。とりあえずピッチに立ち、何となく走ってたまにボールに触るくらいだったら全然楽勝だが、積極的にボールを追いかけ、相手から奪い、甘辛にボールをつなげてさらに自分で点を「取りに行く」ようもんなら、ウルトラマン並みに3分で酸欠状態に陥ってしまう。。。最初は内輪のルーキーズAチームが相手だったが、普段は1、2ゲームはウォームアップとして流すのだが、今回は疲れを知らぬ中学生もいるし皆張り切って初っ端から全開だ。甘辛は開始早々いきなり一人で何人も抜き去ってゴールを決めた。前線のKYOちゃんはラガーマンとして運動量は多いが空回りも多く私が動ける間は専ら甘辛とのコンビで相手ゴールを脅かした。

ある時、敵2人に囲まれた甘辛がふわーっとゴール前へスルーパスしてきた。普段ならとても追わないタイミングだが、ここは一丁親のファイトを見せようと、ぎりぎり追いついてそのまま倒れこみながらゴール左隅に叩き込んだ。観客からは「おおーっ」というどよめきが上がったものだ。ハイタッチしながら「甘辛よ、いくら何でもあのボールにあの位置で追いつけというのは辛えよ。。。」「だって、あのコースしか開いてなかったんだよ」後に「親子連携プレー」と褒められたが、ばっちり決まったのはそれともう1点くらいで、他はことごとく足の上がらなくなった私のミスでパーにしてしまっていた。
後ろの方で眺めていた妻は、スティーブや取引先の支店長らが飲み物片手(ホントにビールじゃないよな)に囃し立てるを聞いたそうだ。「おーっ、あれあれ、右側が磯辺さん。走るなあ、若いなあ。こっち側が倅。さすがに上手いもんだねえ。」(だからオレはどっちかと言うと『そちら側』の人なんだって)

1試合目、2試合目、組合せからルーキーズチームと連続で当たったが、これを撃破し勝ち点6でいかにも「練習やってます」みたいな屈強な若者を揃えた取引先のチームMTだ。我々も経験者をフィールドに集めてがんばったが「気遣い」のキーパー、ジュンちゃんが触れないほど速いシュートに耐えられず負けを喫してしまった。最後の試合の相手は支店長を中心に日本代表のような大円陣を組んで臨んできた。10人以上いるいかにもなメンバーが交代自由のルールを駆使してたたみ掛けるような攻撃を仕掛けてくる。1点先制された後、左の甘辛から中央へ抜けてきたパスを取りそのままゴールへ直進したが、大きな選手に立ちはだかられ、苦し紛れに股抜きで出した右サイドへのパスをジローくんがバッチリ決めて同点。しかし押しに押されて後ろ下がり気味の甘辛から、バテバテで前線から戻れない私に向かって厳しいパスが何本もくるがあと一歩がどうしても出ない。そのうちに追加点を取られ、最後の最後でジローくんのパワープレーから出たクロスボールは足が出ないのでそのまま岡崎ばりのダイビングヘッドを敢行したが、残念ながらキーパー正面。。。腰をさすりさすり戻る私に双方のギャラリーから「ナイスプレー!」と掛け声が上がった。

途中、少しエキサイト仕掛けたシーンもあったが(アクシデント歓迎なんて言っちゃったからねー)、皆楽しく大会を終えることができた。単身マンションのすぐ近くにある「たろう」というネームの居酒屋で我が家族3人と主だったメンバーが集まって打ち上げを行った。こういう場所でも全然平気な甘辛は精神年齢が近い?KYOちゃんと仲良しになって談笑していた。時間hもう21時半をまわっており、自分で降りると言わなかったから皆気を使ってくれたのだろうが、何せ結果的にはフル出場で身体のあちこちが悲鳴を上げている中で日付が変わるまで痛飲したものだ。翌日はよくある「志村けん」のおばあさん歩き状態である。歳をとるとよく筋肉痛が何日かたってから現れると言われるが、私はそう思っていない。速筋をたくさん使用すれば筋肉痛は早く現れ、遅筋であれば遅く現れるだけの話で、年を取ると速筋を使う機会がほとんどなくなるからだ。フットサルなんて速筋ばかり使うに決まってるからその日のうちに始末に終えない筋肉痛が現れるのだ。

こういう機会でもなければ妻も息子もこの地方を訪れることもあるまいし、甘辛は新学期が始まってしまうとそんな暇もつくれないだろう。夕方は塾(新高1コース)があるので、湘南新宿ラインで昼過ぎには帰るという家族とは昼休みに待ち合わせた。少ない時間でどこかに案内しようかと思ったが、昼食は我がセクションのご用達となっている「この地方の田舎うどん」を食わせる「あずまや」という店に連れて行った。以前、来たことがある妻は喜んでいたが、甘辛は注文した冷がけうどんのあまりの歯応えに面喰っていた。味そのものは気に入ったようだが、どうも甘辛の好みからして日本3大うどんの一つが良かったのかもしれない。(あれはこの地方のうどんとは言わない)
正月開催日の「市」には人口の半分以上が夜な夜なやってくるという、「だるまの寺」にお参りし、駅まで送ったところで私の昼休み時間は終わってしまった。
「先に帰ってる。」という妻の言葉で「そうか。オレ、もうここには住んでないんだな」と改めて感じたものだ。

  

試しにやってみる第一弾?!

2013-02-09 06:48:09 | ホビー
チャレンジと言うほどカッコいいものではないから、やはり「トライアル」というのが相応しいか。。。「試しにやってみる」というのをテーマとした今年の第一弾は意外にも約20年ぶりに封印を解いた「ゴルフ」である。普通にゴルフやる人には全然インパクトがないが、この歳(立場という言い方もあるが)北関東の地に丸2年も住んでいて「全くやらない」というのは稀有な存在らしい。この地で観光やスポーツ、グルメ他ありとあらゆるモノに連れ回してくれるスティーブをはじめとするスタッフ陣だが、「ゴルフ」だけは声を掛けられたことがない。「私は休日は『海の人』となるのでゴルフはできない」と初めに宣言しているからである。

若い人はあまりやらないようだが、シルバー会社の我が社にはゴルフ好きの人がたくさんいて、中には年数回の「●●杯」なる大会を楽しみにしていると聞く。この地方は格安なゴルフ場も多く、かつ首都圏から訪れるよりは格段に近いので、プライベートでも今やあまり聞かなくなった接待(親善)でも毎週のように誰かがプレーを楽しんでいる。会社で法人提携しているゴルフ場もあり、いつも必ず予約できて休日でも格安というので幹部も含めてたくさん来ているようだ。最初のうちは初めてお会いする取引先、協力会社など必ずと言ってよいほど「ゴルフしないんですか?」と尋ねられた。むろん会社の元同僚らにも「そんな恵まれた地にいてやらないのお?」と冷やかされもした。

ゴルフというスポーツ(とはあまり見なせないが)を嫌いというわけではもちろんない。何せ学生時代は幽霊に近かったがれっきとしたゴルフ部員だったのである。ここでも「すぐにそこそこできるようになるが、それ以上は上達しない」という私の特性からは外れなかった。社会人になって数年はまだ会社の組織でも平日をつぶしてゴルフ大会を開催する部署が多く、よく予約電話係をさせられた。エライ人も来るので幹事などは中堅管理職あたりが取り仕切っていた。それはそれで良かったのだが、とにかく閉口したのは会場が「地の果て」と思えるほど遠く、とにかく金と労力がやたら費やされたことである。ゴルフ場は大抵、千葉か茨城の奥地、時には埼玉や群馬、栃木という時もある。距離にして大したことはないのに、湘南から向かう時にはどこに行くにも東京を通過するために未明に出発しなければならなかった。

そもそも金もないのに1回行くと数万円、早朝から夜に帰宅するまで運転し通しで「体力の限界に挑戦」みたいなゴルフに一体何の意義があるのか?その後、異動した職場は不思議と「ゴルフに興味がない若年齢層」が中心の職場ばかりだったので、途中遊びでプレイした以外は気が付くと20年近くちゃんとクラブを握っていないことになった。そんな中で初めて「ゴルフの聖地」みたいな地方に勤務することになったから「何をいまさら」と逃げ回っていたのは確かである。誰も彼もが「ゴルフやらないですか?」と歩み寄ってくる、ある意味ちやほやされそうな立ち位置にいて「ゴルフでないとコミュニケーションとれないの?」と昔風のサラリーマンを見ているような気分になってしまった。。

同僚と遊びで行くならよいが、それを知られると色んな方面から誘いがやってくる。微妙なつきあいの世界では「こちらへ行って、こちらへは行かず」という訳にはいかないから、もしやるんだったら「毎週付き合う」覚悟がいるかもしれない。家族に何の恩恵ももたらさないモノに時間と金を割く気のさらさら無かった私は、あっさりとこの嗜みを封印してしまったのである。「ゴルフなんてもっとじじいになってからやりゃーいいじゃんか」実際、すっかりそういう年齢になってしまっているのだが、何故か回遊系には年寄りのスポーツに見えてしまうものだ。
しかしである。私もこの地で勤務して2年半、もうそう長くはいないだろうし、絶大の信頼を持てる頼もしき先達、無類のゴルフ好きなスティーブはそろそろ卒業の時期だ。息子の受験も早々に終わり、サーフィンのシーズンでもない土日に手持ち無沙汰になった私はトライアル第一弾にしてみようかという気になったのだった。

私が赴任したのは2年半前の7月、3年目となる今年7月に転勤すると仮定するとここにいるのがあと半年だ。別に延びても全然差し支えないが・・・今更「ゴルフやりますよ」と言っても、誰かの卒業記念とかイベント絡みで仕事上の意味合いなど全くないだろう。家に帰ってリビングの畳コーナーを開けて、カビに染まったゴルフバックを引っ張り出してきた。うーむ。。。。これは完全に朽ち果てていてとても使い物にならなそうだぞ。何せ20年前に20年使い込んだ叔父から譲り受けた通算40年前のシロモノだ。ドライバーなどホントのウッド(パーシモンという)でできている。パターぐらいいけるかと思ったら、グリップがサイの皮膚のようにひび割れですっぽ抜けるし、アイアンなんて私の腕力だけで真っ二つに折れてしまいそうだ。「だめだこりゃ・・・」@いかりや長介風。

私は一計を案じ、いつものミーティングメンバーにメールした。「今年は●●杯をぜひ開催してもらおうと思っています。自分も準備が進めば少し参戦しようかと思っていますが、先日自宅で昔のクラブを出したら朽ち果てて使い物になりませんでした。皆さんのいらないクラブを1本ずつ集めてくれませんか?人づてに何百人もの輪になれば1セットくらいすぐに集まると思ったのである。一人でも一式集まる期待ができたのはゴルフ暦40年近くにもなるスティーブだったのだが、何と彼は左利きだった。(by麻丘めぐみ)
別に新しく買うことは全然抵抗ないのだが、何十年ぶりの再デビューを「皆から1本ずつもらって作ったクラブ」で飾るというのが何となく粋に見えたのだ。ただそんなことをすると大小入り乱れて意味不明なセットになってしまう。「こーんな短い竿に『世界を釣る』みたいなリールつけるのと一緒よ」というアドバイスまでいただいた。選別役をするつもりだったスティーブは面倒くさくなってきたらしく、「中古でいいのが安く買えますよ。一度行ってみましょう。試し打ちもできるんです」昼休みに「ゴルフパートナー」という中古流通品を扱う、釣りで言うところの「タックルベリー」のような全国チェーンの店に連れて行ってもらった。

ゴルフ用具店などは入ったことがない。どうせ良し悪しなどわからないから(正直、釣り道具もそうなのだが)近くのブックオフあたりで安いクラブセットを見てみようかと思っていたのだが、スティーブの解説があれば変に「やられる」ことはなさそうだ。見たところアイアンは40年前から変わっていないようだ。「あんまり硬くなくてやさしいヤツ探しますよ」と言っていたスティーブが何セットか候補を挙げてくれた。 さらに店員を呼んできて「20年前くらいにやったきりの今のクラブは握ったこともないんです。でもスポーツされてるから、体幹は締まって、バネと腕力はかなりあります」なんて本人でもないのにベラベラこちらの事情を説明し始めてた。店員はスティーブが挙げた候補を見ながら「まあ、この辺がいいでしょうね。今のクラブは性能いいから個人の特徴がどうのというよりは、握ってみてしっくり気に入るヤツでいいんですよ」  

どうせ握ったってわからないから「じゃー、赤いグリップがカッコいいからこれにしよう」一瞬にしてアイアンのセットは決まった。次はドライバーだが、握ってみて驚いた。「こ、こんなにヘッドがでかいのか?!」どう見ても家にあるクラブの倍以上はある。「40年近く前っていったらパーシモン(木製)かメタルウッドですね。今でもこだわる人は使っていますが品はほとんどありません」と店員は遠い目で言った。「これなんか発売当時は8万円以上したんですよ。」とやはりスティーブが何本か取り出した。「ちょっと打ってみたらどうですか?」スティーブは興味深々に目を輝かせた。(そんなにオレが空振りするのを見たいのか?)全部で数万円する用具だから適当に決めるのもよくないと思い、「じゃあ、さっきのアイアンと一緒にちょっとだけ・・・・」7番を取り出して軽く素振りしてみた。

    

「りゃっ」とマットに置いたボール目がけて振り下ろすと、一応ビシっとした音がして前にまっすぐ飛んだ。そういや、こんな感じだったかな。次はヘッドはバカでかいが、フワッと軽いドライバーを2種類、軽くポコンっと当ててみた。「きれいなスイングしてるじゃないすか。こっちの方がいいようですね」全然分からなかったが、スティーブの言う通りのドライバーにした。サンドウェッジとバッグを買って取りあえず一式は揃えたことになる。「まず、会社帰りに打ちっぱなしに通ってー・・・その分だとすぐにもコースに出られますよ。八兵衛よりも筋はいいよ。ゴルフバッグはオレの車に積んどきます?」早くもスティーブはコース再デビューまでのカリキュラムを考えているらしい。指南頂けるのはありがたいが、毎日何百発も打たされそうだし、「少し一人で練習して思い出してからにします」と3本ほど家に持って帰ったのだった。バッグは自分のデスクの後ろに置くと「いかにも」なので普段誰も来ない応接室に鎮座している。全体像写真は行方不明になってしまった。。。

復刻?!北京亭の中華丼

2013-02-05 21:25:16 | 食べ物
約5年近くも前に載せた記事で自分でも書いたのをすっかり忘れていた。訪れてくださった方にコメントいただいて懐かしく思い出したものだ。茅ヶ崎駅南口に10年くらい前にあった「北京亭」である。お友達から「ボリュームがあって美味しい」と教えてもらった母と一緒に暖簾をくぐったのが約40年前、それ以来閉店してしいまうまで30年間で通算800回くらいは通っている。10数席しかないカウンター席に調理するのはおやじさんだけ、奥さんはギョーザと麺を茹でる分担だった。おやじさんが使うのはいかにも使い込んだ中華鍋にお玉のセット、カウンターごしに腕をふるうのをいつも間近で見ていたから、全てのメニューの作り方はプロセスだけは覚えてしまった。10年くらいしかキャリアのない妻に言わせれば「シンプルなラーメンも十分美味しい」のだが、ここの特徴は何を作るにしても大きな鍋で炒め、特製スープで煮込み「じゅわぁぁぁああっ」と麺やご飯に振り返るところだ。

定食モノは●●ライスというメニューである。たぶん一番人気は「たまにら」と皆に愛されていた「たまごにら炒めライス」だ。特製のタレでタマゴと野菜と少量の焼豚片、大量のニラを炒めただけのシンプルなメニューだが入店すると大抵誰かは注文していた。北京亭で最も高級とされた(高額な)のが「肉野菜炒めライス」で、この料理には珍しくピーマンが入る。そして炒めっぱなしではなく、軽くスープでとろみがついていて、舌を焼かんばかりに熱い。そして同じ値段で希少メニュー「ホイコーロライス」という肉野菜味噌炒めのメニューがあった。さらに知っている人は少ないと思われるが鍋で肉しか炒めない「焼肉ライス」というほぼ幻のメニューもあった。こちらは千切りキャベツの上に焼いて特製タレで作ったソースが乗っかっているだけの北京亭的には「邪道」なメニューであり、後半は姿を消してしまった。さらにマーボーとご飯が別々になっているマーボーライス(後述のマーボー丼とは異なる)というのがあり、母が好んで注文した。ギョーザライスはそのまんまのメニューだが、単品ではなく食べ盛りの若者が麺メニューのサイドとして注文することが多かった。

さて麺類になると、ラーメンもチャーシューメンもむろんあって味は大変よいが、頼んでいる人は滅多に見ない。北京亭的には「おやじさんの腕を通らない」のはサイドメニュー扱いなのである。この分野は結構人気が分かれていたように思う。後述する「タローメン」が頭一つリードしていたようだが、肉野菜炒め煮込み(とろみなし)醤油味の「にくそば」、一見ラーメンジローのように山盛りモヤシが乗っているが、特製タレで炒めてしゃきしゃきになっておりアツアツで上で海苔が踊る「ペキンそば」、さらにモヤシ入り野菜炒めにトロミがつき、横浜発祥と言われる超アツアツ(そのままの調子で食うと口内が悲惨なことになる)サンマーメン、私が初期に好んだのは「みそラーメン」、母が好んだのが「タンメン」である。この二つはほぼ同じ具材を使用し途中まで同時に製作されることもあるメニューで、モヤシ入り野菜を炒めて特製スープで煮込み、最後に味噌、塩で味付けする「じゅわぁぁぁああっ」メニューの代表である。何かわかりにくいがラーメン、タローメン、にくそば以外はモヤシが入る。

丼モノにはチャーハン(一応こちらに分類した)とマーボー丼、そして北京亭最強のメニュー、中華丼がある。チャーハンを注文している人はあまりいない(初心者ばかりかもしれない)が、「中華の基本」と言われるだけあって、パラリと香ばしくボリュームもあってかなり高ポイントである。何よりもおやじさんの鍋さばきが素晴らしく中でチャーハンが舞い続け最後はお玉に綺麗に収まるところが見事である。
マーボー丼はひき肉やねぎなどが入るが、珍しいことに全く辛みが付いていない。人気メニューではあるがちょっと具材のバラエティが乏しく、ボリュームがあるので若干疲れるか飽きる傾向があった。
長ーい前置きと紹介になってしまったが、いよいよ中華丼の登場である。たまに豆腐が下に隠されている時があるが、中華丼の具材がラーメンに乗っかったメニューが「タローメン」である。

私は全てのメニューの製造方法を記憶していたし、IHになる前の社宅時代にはマイ中華鍋&お玉を持っていたので、よくおやじさんの製造プロセス通り中華丼を作成して見せた。妻も後半ではあったが時際にカウンターに座って食べ込んでいたので、その味の素晴らしさと私が何をしたいのか、よく理解したのが幸いだった。北京亭にあるような強力な炎は家庭では作れず、特製のタレやスープも自分たちでは再現できない。(後から聞くと鶏がらと貝柱のダシを利かせていたらしい。)妻の探求ではどうも家庭で製作するには若干プロセスを変更した方がよいらしい。今や私が作るよりも原メニューに近いと思われる復刻版?!中華丼をレポートしよう。

まず野菜として用意するのはキャベツ、玉ねぎ、人参、にんにく、にらである。白菜は寒い時だけ入る。肉は豚肉のバラ肉、店では小さな欠片になっていた。店では注文するとこれらを大きなバケツから鷲掴みでボールに入れていたが、並べるとこんな感じだ。

      

おやじさんは無造作に油を引いて肉を足し、特製タレとほぼ同時にじゃっと炒め、すぐに特製スープを入れていた。家庭用IHではすぐに火が通らないので、にんにく、肉、玉ねぎ、人参、キャベツの順にそれなりに時間をかけて炒めなければならない。ちなみに今回はアレンジとして竹輪の輪切りがあったが、むろん本店ではそんなものは入っていない。

      

野菜に火が通って嵩が小さくなってきたら、改めてタレの代わりに醤油かラーメンタレを入れ、一人大きなお玉一杯分くらいのスープを足しこむ。量はこの時できているスープを足しても、粉末と水を別々に足してもあまり結果に変化はないらしい。しばらく煮込んでいる間に砂糖、コショウ、そして(たぶん)化学調味料を少々入れる。店ではすごい音で炒めていたが、その時間の短さから言ってこの料理は基本的には煮込みが主なんじゃないかと思われる。

        

しばらく煮込んで野菜が少ししなっとしてきたら、水溶き片栗粉を投入する。量の加減をうまく説明できないが、一般的な白い中華丼よりも少なめのようだ。よい感じにトロミがついたら最後に溶き卵を入れる。中華よりも少し大目の卵とじとなるのが北京亭の中華丼最大の特徴である。最後にニラをどばーっと投入し火を止めて余熱で火を通したら、仕上げに一人大匙一杯分のごま油を注ぐ。丼に盛ってキザミ海苔を乗せてできあがり。ちなみにタローメンには海苔は乗っていない。時々豆腐が入っているが、同じ製造プロセスなので同時に作る時は豆腐は使わない。麺をゆでるのは奥さんの分担なのだが 、おやじさんの調理の進み具合と必ずしもタイミングをドンピシャ合わせているわけではなく、ウワモノは完成しているのに麺がまだだと、丼ぶりにはウワモノが先に移されてしまい、麺が後から足されてかき混ぜられるという荒業も見せつけられた。

              

茅ヶ崎市民に愛された北京亭・・・私も含めて中華丼とは「タマゴでとじるもの」と思っていた人は多いと思う。一時期だが大喰いコンテストのようなものもやっていて、「すり鉢中華丼」(推定3人前以上」を平らげると色紙に名前を書いて店内に掲載することができた。女子でも食べ盛りの部活帰りなどでは平気で大盛を注文していた。これまでの私の記録はミソラーメンに肉野菜ライスとギョーザ、どれも普通盛りである。作り方はほぼ完璧に記憶しているが、やはりあの味を出すには秘伝とも思える醤油ダレとスープが必要だ。当時、超兵器を持っていたならば間違いなく閉店してしまう前に記録にとどめておいたことだろう。あ、それだったらVTRの方が間違いないかなー。何だか5年前と似たような記事になってしまったが・・・いつか他のメニューについても探究してみようと思う。

          


深く広い言葉の海

2013-02-02 14:07:57 | 書籍
「まじめさんのどこをいいと思われたんですか」「辞書に全力を注いでいるところです」・・・・著書の全てを物語っている部分だと思う。

  

半分は寝ているが、私は長い通勤時間に音楽を聴く習慣がない。電車や街中でイヤホンをして固く外界からの接触を拒み自分ひとり悦に入っているのが、どうもみっともなく見えてしまうのである。ゴジラが襲ってきても全く周囲の異変に気付かずに「いの一番」に踏み潰されてしまう、と思ってしまうのだ。というわけで主に通勤時、私が手放すと死活問題になるモノは本である。私がブラックホールのようにどの分野でも「吸い込み読み」するようになったのはここ10年くらいのことなのだが、直接私に、あるいは単に公表されているだけに関わらず他人が「いいね」と言っている著書を読むのが大好きだ。何故だか最近まで分からなかったが、この本を読んで何となく理解できた。

人がわざわざ他人に薦める本には「外れる」ことがまずもって無いのである。その人が親愛なる人だったらほぼ百発百中である。もちろん人によると思うが、本に限らず「人に何かを薦める」というのは意外に細部にわたって注意が必要なストレスのかかるものだ。自分で面白いと思ったモノを相手も同様に感じるとは当然限らないし、「これのどこが面白いんだろう?」と怪訝な顔をされるかもしれないし、悪くすると「あの人はこんなモノを好んでいるのか」と半ば蔑まれたり呆れられるリスクすらある。自分の低俗さを見透かされてしまう恐れもあるのに、あえて他人にリコメンドするというのは、よほど軽薄な者でなければ「自分の知性を総動員した結果、自信をもって薦められる、ぜひともにこの感動を分かち合いたい」人に向けるものだ。「人から薦められる本というのはかなりの確率で当たる」という法則は、息子のような世代を超えた間でも 成り立つものだ。

逆に世間一般の人が「いいね」と言っている本はあまり期待していない。信頼できるのは最初に言い出した人くらいで、後は何となく流行りものに流されて「よし」としている可能性もあるからである。やはり知人が「いいね」と言っているモノに期待がかかる。さて最近読んだ中では文句なしのNO.1である「舟を編む」という著書は、親愛なるKICKPOP師匠の記事に「面白い」と載っていたものだから、この私が外すわけがなくすぐにAMAZONで入手したのだが、息子甘辛なみに合格率の危うい試験にぶつかることになってしまい(父子で試験勉強しようと思っていたのがあっさりかわされて自分だけになってしまった。)これまで読む時間がなくようやく昨日読み終えたものだ。読み始めると一瞬で終わってしまった。

辞書を編纂する人々の物語である。読んでみてなるほどと思ったが、辞書の編纂には普通何年もかかるという。数千ページを超すページ数に数万を超す見出し語数、主観を交えず万人が理解・納得できる原稿の作成、その元となる用例の採集・・・・改めて考えれば不思議な話ではない。印刷や編集に関わる専門用語は分からぬが、辞書そのものは物語ではなく五十音順に並んだ「言葉の海」だからその原稿はあらゆる方面の「人の叡智」を結集しなければならない。普通の人には中々できない「変人」向けの仕事であるらしい。無論「言葉」に対し一方ならぬ愛着や思い入れがあるのはもちろんだが・・・

この物語の主人公は馬締(まじめ)さんというのだが、趣味はと聞くと「強いて言えば、エスカレーターに乗る人を見ること」と答える。何のことやら分からないだろうが、「電車から降りた客が、わざとゆっくり歩く自分を追い抜いてエスカレーターへ殺到して行くが、乱闘や混乱も起こさずに誰かに操られているかのように二列になって順番に乗る。しかも左側は立ち止まり、右側は歩いて上る列にちゃんと分かれていくのが美しい情景だ」というのである。この本を読みながら何度も「赤ペンがあったら線を引いておこうか」と思う箇所があったのだが、最初の文がこの下りである。「物事を整理するのが好きな人が辞書編集に向く」と言いたいのか、この作者の感性はものすごいなーと思った。

「大渡海」と名付けられたその辞書は、当初から携わっていた定年の老編集者、一緒に監修してきた大学教授、途中で異動させられる先任担当、老編集者が自分の後継者に連れてくる「馬締」、その配偶者、先任担当の異動後数年して着任する女性担当、辞書を構成する特殊な紙を作る担当などの人々が15年にもわたる困難な道のりを乗り越えて、ついに完成の日を迎える。プロジェクトXの世界のようだが、橋でもトンネルでも、新型特効薬の開発だろうが、物理新法則の発見だろうが、人間が何年も何十年も情熱をかけて全力を注ぐ姿には惹きつけられるものだ。物語の展開そのものは何となく見通せてしまうのだが、やはり辞書完成のときはぐーっと熱くなってしまった。私も含めて大多数の人はそういう経験もなく、過ごしてしまうのものだ。約四半世紀会社員をやっていても、強いてあげれば6人で社内基幹システムを立ち上げた時くらいしか、類似と言えるものがない・・・

誰でもそうだと思うが、辞書の編集にまつわる話を聴くと改めて言葉の面白さ、不思議さ、愛らしさのようなものを素直に感じる。息子との物語談話する時も私の単純な癖なのだが、本を読み終わるとその中で「一番好きな人物と下り」を論じる。「舟を編む」を読んで私のお気に入りは途中で異動させられてしまう「西岡」である。最初はあまりいい印象ではない。軽薄なチャラオ君で辞書編纂の本質からは遠いように見える。物事を正面から当たらず「うまく捌く」ことを得意とし、弱い自分を正直に晒すことを決してしない主義だが、時折その片鱗をのぞかせてしまい、たまに親の小言と冷酒のように「後から効く」ようなことをする。(あんまり言ってしまうとネタバレになるから後は読めばわかる) ワンピースで言うと「ウソップ」にあたるキャラである。

「西行」という平安から鎌倉期の歌人・僧を取り上げるところがある。本来の西行法師その人以外にも不死身、遍歴するひと・流れもの、タニシの別名、能の作品である西行桜、風呂敷を斜めに背負う西行背負いなど(本家だってやっと覚えているだけなのに、他のは全然知らぬ!)限られたスペースに全ての意味を載せることはできないとしたらどれを選ぶか・・・「西岡」の考えはこうである。
文脈や響きから何となく推測できるもの、現代人は使わないものは捨てればよい。また本当の流れ者が図書館で何気なく「西行」という項目を見たときに「流れもの」と書いてあったら、「西行さんもオレと同じだったんだな」と心強く思うだろうから、載せるべきだ。それを聞いた「馬締」は西岡を心底辞書編纂に必要な人物だと真剣に言葉にする。ここがこの本で一番好きな「下り」である。これまたあまり言うとネタバレになってしまう)

この話は数年後、辞書を離れた西岡の後任?としてやってくる女性「岸辺」に引き継がれる。この女性は最初ファッション雑誌を担当し、そのあまりにも大きなカルチャーギャップに当惑していたが、だんだん辞書作りにのめり込んでいく。「岸辺」は「愛」という語の②の解釈に異性と表現されていて、同性愛がないのはおかしい、と主張する。日々移ろっていく言葉を、移ろいながらも揺るがぬ言葉の根本の意味を本当に解釈すべきだと。そこで馬締は「昔、西岡さんに同じことを言われたことがある。『その言葉を辞書で引いたひとが、心強く感じるかどうか想像してみろ』と思い出すのである。いくつかの言葉に対して、辞書というのはホントに色々な人の思いや知性が凝縮されているのだとわかるところだ。

読むと「辞書を作るってそうだろうなー」と思い当たるが、辞書自体にはそれまで正直目もくれたことがなかった。国語はもちろん、英語、独語、韓国語が我が家にあるが使い古されることなく、単に物質的に劣化してしまっている。国語辞典は「広辞苑」、漢和辞典は「大辞典」というがこの二つはバイセプストレーニングにしかならないような巨大な辞書だ。小学校を卒業した時に両親と神田の書店街に行き、買い与えられた。「中学へ行ったらこんな漬物石みたいな本を読まねばならないのか」大きな包みを抱えて子供心に驚愕したものだ。その後、父親が大学時代下宿していたという洗足池の近くにあった建物跡?を巡りさらに大きな学校らしき敷地を3人で散歩した。自分は経済学部なのに理系崇拝者のようだった父は「ここに来れればまあ、よしだな」とつぶやいていたが、何のことかさっぱり分からなかった。奇しくも約10年後、再びその地で卒業式を迎えることになるのだが、辞書にまつわる話とはそれくらいしかない。。。

この著書は2012年の本屋大賞第一位(いちばん売りたい本)ということで、帯には架空である「大渡海が欲しい」「言葉への愛」「情熱をかける」などとコメントがあったが、私は真っ先にシェッドでくすぶる我が家の「広辞苑」を明けてみた。最初に引いたのは「編む」という言葉である。「ことばを紡ぐ」というのはよく聞くし、辞書を編むというのも分からないではない。しかし「辞書というのは深く広い言葉の海に乗り出す舟である。その舟を『編む』」という現しかたは素晴らしい。そして途中で出てくるが「言葉とは記憶」「曖昧なまま眠ってしまうものを言語化する」というのはまさしく膝を打った。

考えてみればこのブログも「誰かに見てもらうため」に書いているわけではない。後で読み返すことを想定して日記として書いているわけでもない。自分の文章力を磨くことは意識しているが、今更そんな必要もあまりなく、この誤字脱字ではそもそも磨かれていない?!何となく徒然に思いついたことを言葉として漏れることなく書き留めておきたいだけのようだ。この本を読んで、登場人物や著者には叱られてしまうかもしれないが、何で自分がだらだらこんなに長い文章を書くようになってしまったのか、何となく分かったような気がしたのだった。この記事の読者はわずかだが、誰かにこの本の面白さをパスできればうれしいことだ。