超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

C1グランプリ

2011-02-28 04:43:05 | 出来事
昨年、一昨年とエノシマトレジャーというイベントに息子と参加した。(前述)
毎年2〜3月に行われ、年々規模が大きくなっている。参加者も開催あたり何万人にもなるそうだ。
家から散歩がてら歩いてもいける江ノ島だが、これに参加するたびに全島にわたって歩き周ることになり、かなり体力を消耗するが、知られざる江ノ島を堪能できて実に興味深い。

しかし時期的には一息早いのだが、もうひとつ昨年から始まった人気イベントがある。
それがC1グランプリで、「C」は故郷、茅ヶ崎を表す文字だ。第1回目は気付いたときにはすでに人気があり過ぎて受付終了してしまっていた。
今年も2/28(日)までが開催期間だ。「もうチャンスがない。」ということで、真鶴のミニ旅行帰りにゲリラ的に参加することにしたのだ。

エノシマトレジャーが江ノ島内が海上なのと異なり、C1グランプリは茅ヶ崎北西部一帯が探索範囲になっている。
歩いて回るのはよほどピンポイントで暗号を解かないとまずもって難しい。駅周辺では観光案内所などでレンタサイクルをやってくれる。
我が家は真鶴帰りに直接茅ヶ崎駅まで行き、観光案内所で参加用マップを手にして探索開始だ。
妻が運転し、私と息子が出動して宝箱を探す連携プレーとなった。

   

1.ヒントボックスを探す
参加用マップにある3つの暗号を解読すると、茅ヶ崎市内のどこかに隠されている3つのヒントボックスを発見できる。

2.ヒントを集めて宝箱を探す
ヒントボックスに書かれた3つのヒントを組み合わせると宝箱の隠し場所が特定できる。

3.宝箱を発見!
宝箱を発見できたら、それに書かれた発見を証明する「キーワード」を記入する。

4.発見報告
発見報告所で「キーワード」を報告すると、発見者賞がもらえ、Wチャンスに応募できる。
※残念ながら先着3000名がGETできるオリジナルサザンペンダントは終わってしまっていた。

暗号1、2、3はそれだけでは市外からの来訪者はなかなか難しいので、追加ヒントが駅周辺の色々な店舗に掲載されている。
ところがヒント提供施設を表すMAPが恐ろしくいい加減で、最初のロッテリアを見つけるだけでもずいぶん時間を費やした。
湘南ちがさきや茅ヶ崎北口店にいたっては、いくら歩き回っても場所がわからず断念。。。
追加ヒントなどにこだわらず直接探索することになった。(後で振り返るとこれが想像以上の苦難をもたらすことになる。最近駅前って歩かないからなー)

暗号3はずばり息子甘辛が推理して見せた。妻がナビゲートして現地に急行すると早速ヒントボックスを発見、しかしもちろんこのヒントだけでは何のことかさっぱりわからぬ。しかし立ち上がりは順調だ。(暗号はどの順に解読してもよい)

    

  

暗号2は我々が外で探索している間に妻が運転席で半ば解読した。
「2匹の水龍によって守られた地に1923に出現したカマクラの遺産が眠る遺産の近く、歌の裏にヒントボックスあり」
茅ヶ崎、1923年、カマクラの遺産で検索すればわかるかなーと漠然と考えていたが、妻が2匹の水龍は「小出川」と「千の川」だと推理し、場所を特定して見せた。子供の頃、社会で勉強したことが薄っすら甦った私は「確かあのあたりに●●●があったはずだ」
どっかの空地に廃墟のようにあった記憶だったのだが、今はきれいに整備されて公園のようになっていたため、発見に苦戦したが竜泉寺に行くたびに何となく目にしていたようなので何とかたどり着けた。

  

  

暗号3がどうしてもわからなかった。。。
「エメラルドグリーンの結界で守られた弁天様がヒントボックスのありかを知る」
グリーンの結界と言えば、花壇や松の並木か・・・?!暗号地図の形からして茅ヶ崎中央公園に行ってみたが、弁天様やグリーンの結界らしきものは見当たらず虚しく帰還。。。
このあたりで有名な神社と言えば「鶴嶺八幡宮」だが弁天様なんていたっけかな?たしか参道はまつの並木で緑には覆われているが。大きな神社の中には小さな稲荷とか弁天様があることが多いから多少期待してあたりをくまなく探索したが見当たらず。。。
甘辛が探索エリア内にある神社を地図アプリで検索し、何社か探索したがやはり収穫なし・・・

  

「うーん。父ちゃん、やっぱり追加ヒントをひとつずつチェックしなきゃだめかもなー。」

妻がFM横浜の街角日記からC1レポートを探り出した。(ちょっと反則気味だが・・・)
「茅ヶ崎駅北口から西へ一方通行路を進むと・・・」
私の頭に雷鳴が轟いた。「わかった!甘辛、行くぞ」車を入り口につけてもらい走りだした。

「ここ、さっきさ迷ったところじゃんかよ」甘辛は訝しげだが、「違うんだ。ここを入っていくと確かあるんだ」今はなくなってしまったが、昔私が階段を転げ落ちて頭に怪我をした「大踏切」のすぐそばに神社らしき広場があったのである。
最後に頼りになったのは子供の頃から何となくあった遠い記憶・・・ついに最後の暗号に辿り着いた。。。

   

   

3つの暗号を並べると、なんと宝箱は一度探索した場所だった!国道1号線に出るT字路交差点を曲がるときに運転していた妻が

「なーんだ、ジュエリー石黒って正面にある店じゃん」甘辛が店に貼り出してある追加ヒントを読み上げた。「エメラルドグリーンの結界とは『エメロード茅ヶ崎』のこと」
やられたー!ここを見ておけば一発で気付いたよ!エメロードってショッピングセンターのところだぜ。あの裏に弁天様がいたのだ。
久々に石清水八幡宮に参拝した「仁和寺の法師」になった気分だ。
ちょっと面倒なことになったが、再び先ほど探索した場所へ。無事に「キーワード」を発見することができた。
3人分の応募用紙を書き、発見報告所(茅ヶ崎観光案内所)へ足を運んだ。
サザンペンダントは終わってしまっていたが、かわりに小さなカンペンをGETした。

   

私が甘辛と探索に駆け回っているときに、妻は一緒に手にしてきたエノシマトレジャーの参加用紙で5つもある暗号を解き始めていた。
今回は島内だけでなく周辺にも探索エリアが及ぶようだ。
ある筋からアドバイスされたのだが、事前に調査してある程度場所が特定できたら、グーグルストリートビューを使うとわかりやすいという。。。
なーるへそ。今はそんな武器もあるのだなー。(あれってプライバシー上あまりよい印象がないのだが)
息子がオフのときがあったら、さっそくエノシマトレジャーに挑戦だ。



C1グランプリは今日までだから、答えわかっちゃってもいいよね・・・

真鶴半島へ

2011-02-25 20:17:44 | 旅行お出かけ
約1ヶ月前、昭和の憧れだった「ハトヤ」へ宿泊し伊東へプチ旅行したばかりであったが、ひょんなことから同じ方面に出かけることになった。
今度は熱海、湯河原の手前にある小さな半島、真鶴である。
息子甘辛が土日オフになることは滅多にないのだが、今月は珍しく3週連続で日曜日がオフとなり、かつ前日が午前中の試合で終わる予定となっていたので、またまたゲリラ的に出かけることにした。

前にも書いたが、我が家の小旅行は西方面が多い。私がそれにかこつけて釣りをしようとするし家族皆が何となく海沿いが好きだし、ETCがないので割引の関係ないルートに限られることもある。
ずっと前に伊豆多賀というところのペンションにずいぶん久々に泊まったが、訳ありおトク価格ということもあり「それなり」の経験だった。
今回は妻が色々調査検討し、やはりペンションだが「海の見える部屋と天然温泉の露天風呂、豪華海の幸付きプラン」を探しだしてきた。シーズンではないらしく価格もかなり手頃だ。

真鶴半島って、いくつもある港や磯へは釣りに行くことがあるが、箱根と同様身近すぎてあまり宿泊して旅行ということがない。
ハイキングコースとしては結構手頃な自然道があるらしいが、ちゃんと観光したこともない。
先端に「三ツ石」という神奈川では結構有名な景勝がある。R135号を海沿いに進むとはるか遠くに薄く見える奇岩である。
今でいうパワースポットだろうし、息子甘辛は行ったことがないからここだけ連れて行くか。

横浜戸塚の会場に迎えに行き(今日の相手は湘南ベルマーレと横浜FCジュニアユースだ)結構出番のあった練習試合を見物した後、無料となった新湘南バイパスで一路真鶴へ。
途中、西湘PAで軽食を取ることになった。ラーメン王座決定戦in Highwayで優秀賞という、名物あさり潮騒ラーメンをためしに食ってみた。写真はないが結構有名みたいだよ。
塩味ベースに岩のりの香りがよくアサリのスープがなかなかよい。
おやつ替わりなので、3人で2人前をシェアしたが、アサリ好きの息子はペロリと平らげた。

午後の中途半端な時間なので、西湘出口の石橋のインターで1kmくらい混んでいた。
4時前くらいになってしまったが、ケープ真鶴へ到着し、三ツ石まで歩いてみることにした。
江ノ島岩屋洞窟と一緒でかなり上のほうから階段路を降りて行くことになる。さっきラーメン食ったからメインの夕食までにお腹を空かすいい運動になる。
あまり持ち歩かないのだが、IXY君が修理中なのででかい203号を首から下げて「いかにも」スタイルで階段を降りて行く。
途中ところどころで、先端の三ツ石が見えるぞ。今、ちょうど満潮時で岩までの陸路は海水に覆われてしまっている。。。。



大きな岩は二つしか見えないんだけど、何で三ツ石なんだろか・・・しめ縄が張られている二つの岩は確実にそうなんだが。。。
ちょっと霞んでしまったいるが、伊豆半島や初島などがよく見える。はるか霞んで見えるのはこの前行った「サンハトヤ」ではないか・・・?!



陸路は見えなくなっているが、どういうわけかあそこに立つと小石を投げたくなるようだ。先にいた家族に続いて甘辛も拾った石を投げつけて水きりを始めていた。
かるいぎっくり腰か最近腰が痛いという妻はふーふー言いながら帰りの石段を登り「250段もあるじゃん!」とぶーぶー言っていた。さすが息ひとつ乱さずすいすい上って見せる甘辛とは対照的だった。

小夏さんはご自身のブログで伊豆半島の色々な小鳥をきれいに写し出していたから、真鶴半島にはいないかと、駐車場の周りを息子と歩きまわってみた。
私は全然気がつかなかったが、甘辛が

「父ちゃん、見にくいけど小さい鳥が歩きまわってるぜ。すずめかな?」



地面に溶けてしまって実に見分けにくいが確かに小鳥が歩きまわっている。すずめは両足でぴょんぴょん跳ねて歩くが、この鳥はとことこと歩いている。
また少し大型の鳥も発見した。もう少し散策したいところだが、宿に行く時間なのでケープ真鶴をあとにした。




ペンションは半島の中腹部にあるはずだが、なかなか行きづらいところだ。この小さな半島はすごく起伏が険しくて家を建てるのは大変だろな。

宿泊予定のペンションは旅館も運営しているので夕食が和食風だという。そしてはるか昔に海外出張した旅費清算で思いがけず浮いた小金をつぎこみ注文した特製舟盛り!
魚好きの我が家はこの為に訪れたようなものである。ちなみに息子甘辛は伊勢海老の刺身は初体験、「絶対、全部は食うな!」と厳命しておいた。
それにしても驚くべき量だ。朝獲れの「海の幸」満載の豪華絢爛な食事だった。




結局伊勢海老は初体験の甘辛がほとんど食べてしまったが、実は最も美味だったのは「ホウボウ」の刺身。
あんな弾力感がある刺身を初めて経験した。その他、カワハギも肝付きも素晴らしい。(実はカワハギの肝は妻の大好物なので、大半は譲ってあげた)
サザエは壺焼と刺身のダブル攻撃、真鯛も新鮮そのものだ。(いつかこのサイズを釣ってみたい)
うーむ。生冷酒がす・す・む。。。



客は我が家の他は皆若者グループとカップルで、その昔はペンションのお約束だったテニスを楽しんでいた。
騒がしいかと思ったら、意外と大人しく行儀のよい人たちだった。我が家の豪華舟盛りの写真を撮りにきたときは苦笑いした。
WIIやプレステ2が無料で借りられ、夜は我々が飲んでいる間じゅう甘辛が夢中で遊んでいた。
ペンションの風呂って家族風呂のように狭くて、せいぜいジャグジーくらいしかなく、交代で入るイメージがあったのだが、ここの露天風呂は景色も見事だしこの季節芯から温まる天然温泉だ。



若者離れが進み、ペンションの経営は今大変に厳しいという。HPを見てみると「卒業旅行」として
・肉食系集合!!食べ放題バーベキュー
・刺身付!食いしん坊コース(和が家のプランはたぶんこれ。+6000円で舟盛り)
・肉系食いしん坊洋食コース
それに★女子会(飲み放題付き)「魅惑のガールズトークプラン」、真鶴駅⇔当館のタクシー代還元プランに記念日プランと実に盛り沢山だ。店内にスロットマシンやペンション必携の「サッカーゲーム&黒ひげ危機一髪」、山のようなDVDがあり自由に鑑賞できる。
すごく頑張っている感じがする。リピーターもかなり多いようだ。

翌朝、アジの開きがついた純和風の朝食をがっつり食った後、朝風呂へ。。。
昨晩未明まで息子とミュージックTVを見ていて(桑田圭祐のMUSICMAN購入決定)、疲れきっており、外は寒風吹き荒んでいたため残念ながら釣りは断念した。
我が家はあまり宿泊先周辺で観光しない傾向にあるのか、今回も実は全然真鶴とは関係のないことを敢行することになってしまい、一路西湘バイパスを茅ヶ崎に向かったのである。
しかし魚介家族の我が家をうならせる豪華絢爛の魚料理に家族はみな満足していた。

ブリザード

2011-02-21 04:44:52 | 旅行お出かけ
先日、関係者によって「不可能を可能にする」検討会が開催されてから約2週間、天候は好転したり悪くなったりの連続で何とも判断しにくい状況が続いた。
幅100メートルの谷越えケーブル敷設は何人かが数回、現地に調査に出向き一応の答えを出しつつあったのだ。
しかし、設計を行う者と実際に作業をする者、現場の工事長らに微妙な温度差があるような気がして、多少の不安を感じた私は、最終的にどうしようか決めようというときに、「じゃあ、オレも行く」といよいよ片道2時間かけて現地まで赴くことにしたのである。

現時点での方向性は積雪歩行用「かんじき」を履いて、「人力により通す」というものだ。
結構色んなアイディアを出した割には、芸のない解決案になったものだ。写真で見る限りではよく状況が分らぬが、雪解けとかで条件がよくなったのかな。
しかし総工事長は2回目の打合せ時にはっきり「無理」とは言わなかったが、ほとんど涙目で「一度、現場見に来てくださいよお・・・」と訴えているようだった。
計画管理の親玉、眉毛八の字エイトマンは密かに耳打ちしたものだ。

「ムカちゃん、結構泣いてるみたいですよ。『かんじき履いて背負って行けるじゃんか』と凄む人がいるんですよー」

その男とは初登場で通称「ゼットン」という。宇宙恐竜のようなあだ名だが、ツキノワグマのような体格を持ち、自ら作物を荒らす野生動物狩りまでするというスティーブとは違ったタイプの猛者である。
調査団として現地に飛んだのは私の他、エイトマン、デカさん、ニカウ及び長野出身のアヒル口、これまた初登場のダックくんだった。
そのうちデカさんはゼットンと二度ほど事前調査を実施し、彼の力技のすごさに半ばあきれていた。
「高さ数十メートルの崖」さえも「かんじき」を使えば作業できるはずだ、というらしいのである。

ゼットンが二言目には口にする「かんじき」とは一体何か?聞いたことが無かった私は調べてみると、日本古来の履物のようで「AMAZON」でも売っていたが、イラストを見るとむしろのような着衣で笠をかぶっており、数百年前の猟師のような姿である。(確かにゼットンなら似合うだろな)
「デカさんよお、あんなとこぁ『かんじき』履いてきゃ、行けるよなあ」
デカさんは苦笑いしながら聞いていたそうだ。野生動物でも入れないような雪に埋まった道なき道を2時間近く歩き回って、出てきたらしい。。。

現場のかなり手前にある事務所(通称ベースキャンプ)で総工事長ムカちゃんと詳細を打合せ現地で合流する約束をして一旦別れた。
屋内外で色々な工事が実施されているので、それぞれ内容の確認や安全性チェックなどを行って、運転手のデカさんはある小さな一軒店に車を止めた。時刻はまだ11時を回ったばかりである。
エイトマンが

「『かない亭』って行ったことないですよね。すんごいカツ丼出すんですよ。時間が遅いと入れなくなるし、限定20食くらいだから行きましょ。オレ、何度か来たけどいつも売り切れなんですよ」

     

開店どほぼ同時に店に入る。何と駐車場で待っていた別のグループもあった。店内を見渡すと焼肉用のガステーブルがあるところと、ただのテーブル、そしてソファみたいな席と色々だ。
名物カツ丼はどうやら正式なメニューではなく、言うと出てくるらしい。
初めての私とエイトマン、ダックくんはそのカツ丼、何度か経験したことのあるデカさんとニカウは違うメニューを注文した。
「まいうー」のデブちんが大喜びしそうなカツ丼はこんな感じ。一気呵成に闘わなければやられてしまうと思われる。
カツ丼好きの私は苦もなくゴール。(しかし後で強烈な胃もたれに悩まされることになる・・・)
エイトマンは残り一切れで「オレ、もうダメー。。。。ごめんね、残しちゃって」店の人に謝っていた。

店を後にし、「崖っぷち」の現地へ向かう。有料道路のゲートを通過し、しばらく車を走らせると太陽は少し出ているのに、下から粉雪が舞いあがり始めた。
有名ホテルやスキー場が隣接する温泉街、硫化水素の匂いが結構キツイ。ところどころ危険区域の看板が立っている。
もともと無謀にも「当日に行くことを決め」ヒートテックなど装備を用意していなかった私は吹雪の中半分凍えていた。
デカさんが圧雪しながら進んでいき、「ここから先へ進むと落ちてしまいます。現場はあそこです」と指さした。

な、なんと!ここを向こうの崖まで渡って行けというのか?!今立っているところから向こう側までは200メートル以上あるように見える。
一番下まで降りれるだけ降りた地点間が最短100メートルだそうだ。とてもロッドとリールを振り回せる足場なんかないぞ。。。「釣りキチ三平」の「魚信」さんでも無理だと思う。
ロケットランチャーでもたぶん届かない。この吹雪ではラジコンヘリも飛ばせないだろうし、本物のヘリは着陸地点がない。それで「かんじき」か・・・

     

以前も調査したというデカさんは「天気が良ければいけそうな気にはなるんですよ。でもどうですかねえ」気温はマイナス9度。身体にロープを巻いて固定し下へ降りる技が必要だという。。。
あきらめるには早いが安全第一だからなー。やはり「百聞は一見にしかず」、更なる検討が必要だ。帰りは冷え切った身体を少しでも復活させるため、エイトマンお勧めの天然温泉に寄って行くことになった。これくらいはいいよなー。

     

「私、ここの温泉一番好きなんですよー。美人の湯で有名なところでね。肌はツルツル、まるでオブラートに包まれたような感じがするのよ」

エイトマンは俄然、元気になる。この人はどの温泉に行っても似たようなことを言っている。スタンプカードを何か所も持っているらしい。
県内いたるところにある天然温泉はそれこそ一軒宿のようなところもあるし、町営の新設施設もある。
温泉レポートというわけではないが、「オブラート」というのがよくわかるような、実に滑らかなまとわりつくような水質だ。身体を洗って流したとき、石鹸が落ちないのかツルツルさがずーっと残っているのかわからないくらいだ。
毎日、こんなところに入っていれば健康にはなるよなー。

ようやく身体も芯から温まり、薄暗くなってきて帰路についた。温泉施設を出るときにまたまたエイトマンが「ちょいと行きますか」ぐい呑みを干すしぐさをした。

私は慌てて「いや、いいよ。運転手だっているんだからさ」

「来るとき通った酒屋ですよ。『利き酒』させてくれるんですよ。しかも飲み放題・・・」小さな杯での試飲らしいが、エイトマンは4合瓶一本決めるまで相当量の種類を試してみたという。
若旦那はこれ以上ないくらいの歓迎ぶりで、県内の色んな種類の生酒(こだわりがあるらしい)を次から次に出してきた。

「目につく銘柄があったら言ってください。栓さえ開けてあればどんなヤツでもお出ししますから」

県内にある小さな造り酒屋から数量限定で入荷している「レア物」ばかりだから、銘柄は実際全然わからない。。。「『おまかせコース』でお願いしますよ。」
この時期しか出廻らないという「久保田(千寿)」の原酒を口にした。熱処理していない生酒、水を加えていない原酒、そのお店はそう言った「酒の原点」にこだわりを持っているらしい。

     

一旦オフィスに帰るので、赤い顔して帰るわけにもいかず、適当なところで一番美味しかった「しぼり酒」というのを買い求め、車に乗り込んだ。デカさんは本日総行程200km以上運転したことになる。
巨大カツ丼あり、ブリザードあり、そしてすべすべ温泉に利き酒・・・空気が澄んでいるので高速から見える美しい夜景を眺め、部屋に帰ってさっき買ってきた日本酒をちびちび初めるうちに眠くなり、話題てんこ盛りの1日を終えたのである。



勉強術

2011-02-18 20:28:48 | スポーツ・健康
息子甘辛の期末試験が昨日から3日間の予定で始まっている。単身赴任しているし、いちいち見ていられないが、直前の休日友達と遊び呆けてたいそう叱られていたから少しは真面目にやっているかと思っていた。
先週の3連休は荒天であまり出掛けられなかったから、テスト範囲の勉強を一緒にやっていた。
見ていてどうも彼は集中力が低い、というかエンジン始動までに時間がかかる(途中でよく邪魔が入るのも確かだが)ようだ。

私の試験勉強はどちらかというと短期集中型の「土石流」方式だった。常日頃からコツコツ積み重ねるのは得意でなく、ちょこちょこと小爆発を繰り返し、試験一週間前になるとざーっと雨を降らして溜まった火山灰を土石流のように記憶の棚に押し流すのである。
「勉強」というよりは「作業」に近かった。だから試験範囲の広い「期末試験」には苦戦したものだ。
教科書やプリントを手当たり次第にやっつけ、該当範囲の「難問」(例えば難関校の過去モンなど)に挑戦したりしていた。むろん解けるはずもなく、今考えると、どうにも無駄なことを続けていたものだなー。

勉強部屋がないので、リビングのロングテーブルでプリント類を散らかし放題にして勉強している私達だったが(むろん天気が良かったらこんなゴロゴロはしていない)、ふと学校でもらったらしいプリントを見て笑った。
昨年末にもらったものらしいが、「勘違い勉強術チェックリスト」と「私の勉強の工夫」というものだ。
「次の勉強の考え方について、○か×かで答えなさい。」右側のカッコは彼が書いた答えである。

① 暗記式の勉強はよくない。                 (×)
いきなり問いの「空気読まない」ヤツ・・・どう考えても○と答えてほしそうな問いだが、私は勉強は丸暗記以外にないと思っている。要は記憶の棚に残って後から引き出せるかどうかだけである。1974年ワールドカップ西ドイツ大会の優勝イレブンの名前を今でも淀みなく言うことができる。

② 部活と勉強は両立しない。                 (×)
その昔はガリ勉が蔑まされたり、スポーツとの両立が美談とされた「勉強」だが、今時何かをせずに「勉強のできる」ヤツなど見たことがない。学校って昔からこういうところ進歩がないのかなー。

③ 数学は、成績の上げやすい科目である。           (○)
うーむ。微妙なところだ。甘辛は誰に似たのか問題を丁寧に読み、確実に解くことをせずに、何となく適当にばーっとやってしまうから必ずボーンヘッドがあるが、今のところは皆「ミスを減らす」という意味で使われてるんじゃないか。。。

④ 70点分勉強したら70点とれる。             (○)
これまたうーむ。質問の意味がよくわからぬ。。。。70点分、というのはどういう尺度で「打ち止め」にするんだろか。「おーっと、手(頭)が滑ってやりすぎちゃった・・・これじゃー75点取れちゃうな。」なんてシーンがあるとは思えないんだが。 

⑤ マンガを読むのは国語の力を伸ばす。            (×)
これはどうも期待された通りの答え、「マンガはタメにならない」と言いたいところだろうが、実は甘い!私が今持っている知識のかなりな部分は「マンガ」を原点にしている。これも知らぬ間に丸暗記していたからである。ただし活字を見ながら画像を思い描く能力はつかないと思う。しかし「ひでぶっ」という迫力はマンガならではであって、活字だけ見ても全然威力がない。。。

⑥ 勉強は質より量である。                  (×)
まあ、そうだろねえ。でも「質のよい」勉強法がわかったら誰も苦労しないのだよ。今から考えるといざとなったら量で勝負だったかもなー。

⑦ 漢字の覚え方は工夫すればうまくなる。           (○)
「よエロすん」「いとへんにハムこころ」「おんなのまたちから」なーんて覚えたが、これって工夫と言えるかなー。何かもっと効果的かつエレガントな覚え方があるような気がする。。。

⑧ かっこいいから英語をやるのでは成績は上がらない。     (×)
もしかして甘辛は○と×の使い分けもイマイチ理解していないのかもしれないが・・・まさしくその通り!かっこよくなりたくて、女子にモテたくて勉強するほうが、なまじ中途半端な理由を設けるよりも効果は上がるものである。英語をできるようになる最強の方法は英語圏の人をガールフレンドにすることだと今でも信じている。

⑨ 受験勉強では100点を目標にするとよい。         (○)
何が言いたいのかこれもよく分らぬが、私も○だと思うなー。エコ検定は70点以上が合格だが、始めから75点狙いでは志が低すぎる。やるなら全問正解を目指すべきだろ。高度な技としては「配点」を計算する方法もあるだろうが、武将としては(何でや?)潔くない。

⑩ 勉強は机に向かってやるだけとは限らない。         (○)
息子甘辛はリビングのテーブルでやっているから、既に机に向かっていない。雑音が邪魔じゃないのかな。

英語だけは塾でやっている内容がはるかに進んでいて高度だから、自信はあるようだ。
「オレは英語だけはもはや『神』だぜい!」「お前、『神』という使い方がそもそも間違ってるぞ。『鬼』ならともかく・・・」
覗き込んだ問題集に書いてあった現在進行形の問題「以下の文を否定文にしなさい。」
   We are speaking English now.

「なあ、甘辛よ。この問題おかしくねえか?」

「なんで?notを入れるだけだろ?楽勝じゃんか・・・

私は今の教育問題の真髄を見たような気がした。(何と大袈裟な・・・)「私はウソつきです」と言っているようなものだ。
文法的にはたぶん楽勝なんだろうけどね。
プリントの片側半分にあった「私の勉強の工夫」で甘辛の下手くそな字が書いてあった。
私の勉強の工夫は
        「出かける前に必ず30分〜1時間勉強すること」
                               です。
どうやるのかというと、
        「学校に行く前や、どっかに出かける前にちゃっちゃと終わらせちゃう。したらけっこーらく」

あいつ・・・いずれデウスの雷撃を受ける日がくるだろう。どう考えても「勉強」を舐めている。
塾では国語もたまに、褒められる得点をはじき出すらしい。この前、約束の時間に帰らずに遊んできたからその責任として「二つ以上、100点を取ること」になっている。クリアしなければ、もう友達の家に遊びに行けないのである。
畳コーナーに散らばっている山のような紙屑から一枚のペーパを発見した。いつ書いたのかわからないが・・・

楽しい国語
Q 「あたふた」を使って短文を作りなさい。
A ACあたふた※が壊れてしまった。  ※アダプタ

Q 「もしも〜なら」を使って、短文を作りなさい。
A もしもし、奈良県の人ですか?(これは以前、登場した)

Q 「どんより」を使って、短文を作りなさい。
A うどんより、そばの方が好きだ。 (私もそうだ)

Q 「あたかも」を使って、短文を作りなさい。
A 冷蔵庫に牛乳があたかも※しれない。  ※あったかも

Q 「うってかわって」を使って、短文を作りなさい。
A 彼は麻薬をうって変わってしまった。(原文では「麻」の字が「魔」と間違われている)

Q「まさか〜ろう」を使って、短文を作りなさい。
A まさかりかついだきんたろう。(オールひらがな)

「※」なんていう細かい芸も見せてるな。いつ作成したものだろか?小学校?
この調子では国語で100点は無理だろな。しかしある意味天才的にも思えるぞ。
さすがのオレもここまでは思いつかぬからねー・・・

不思議な現象

2011-02-15 19:26:01 | 出来事
意外と思われるかもしれないが、私は心霊現象、超能力、謎の動物行動その他科学で説明のつかない超常現象についてはすべて信じることにしている。矛盾するようだが「信じるほうが科学的」だと思う。存在しないことを証明できないからである。
ホントにあることだと思っているから気になりだすと怖くて眠れなくもなるのである。

幸いにしてこれまでホントに遭わなかったのか、遭っても気が付かなかったのか、そのような経験をした記憶がない。
不思議な経験と言えるのはただ1回だけで、結構生涯に関わる選択を迫られているときであった。
披露宴をあげた研究室の先輩の2次会で、ビンゴゲームが始まったときに「よし、このビンゴで景品をもらえたら、こうしよう」と半分願をかけたところ、なんと4回連続で数字がヒットし、一度も寄り道せずに1番の景品(ポータブルカラオケ)をGETできたのである。(あのときだけは「神の声」を聞いたような気がした)

私は霊の存在を信じているが、いわゆる霊能、霊感は全くないと思う。妻が結構あるようだ。以前、旅行に行った時の写真に妙なものが写りこみ、除霊してもらったこともあるようだし・・・(すぐに言うと私が怖がるからほとぼりが冷めてからカミングアウトする)息子甘辛も(ホントかどうかわからぬが)自分では「わかる」と言っている。家を建てるときに「オーブ」が写っていたとも聞く。

繰り返しになるが60兆もの細胞が80年も活動するのである。物理的な肉体が無くなっても、何か残っていてもよいような気がするし、生きていてる間に普通の人間では考えられない能力があっても不思議ではない。
気功、ヨーガ、数々の修行なども言い方は異なっても、そういった超自然能力的なものを呼び醒ます側面はあるのだろう。どうも似たような香りがするのである。
たぶんそう考えた方が効果も大きいと思われるのだ。「病は気から」と言うし。。。

そして私本人はまだお目にかかったことがないが、超常現象とも思える能力を持つ方が結構身近に現れたのである。
ジャンルは「ヒーリング」と少し控え目な表現なのだが、なかなか驚くべき能力に思える。
「憑いている、いない」「あるべき位置にある、ない」「いずれ、このようになる、ならない」・・・何となくわかるらしいのである。
簡単に言うと「見通して、エネルギーをくれる」からヒーリングだと言うのだ。
いつか息子甘辛もやってもらったら、手を当てたところがぼーっと暖かくなったというし、妻も調子がよくなったという。
その場に居なくてもおぼろげにわかるようだし、写真だけ見せても何か見通してくれる、と言う。。。
昨年の夏休み、「南の島」へ行くプランが旅行会社の度重なる勝手な変更で取り止めになってしまった。その方は最後までその旅行を心配してくれてたそうだ。(どうもやばかったようだ)
中止になったと報告したとき、「周囲の御加護」とのたまったらしいから・・・
人間ドックではセル完全体を誇っていた私も「入院して治療することになる」と夏の頃から見通していたと聞く。
お友達が「まさか」と思って聞くと、「人間ドックではわからない悪いところもある」という衝撃の話を聞かせ、まさしく昨年末その通りになったのである。
私も先日、いよいよお会いする機会があったのだが、悪天候で中止になってしまった。。。妻とお友達のパパとママが初めて見てもらう予定になっていたが、ヒーリングの先生曰く

「彼(お友達のパパ)を見てあげたかった・・・」

私の例もあるから、こういうこと言われるとビビるよなー。(ぜひ次の機会に)そんな変な話ではない。それくらいのことはあるだろな、と考えている。

またさらに拡大すれば天運やツキ、バイオリズムみたいなものも「あり」だと思う。
お友達のママは「人間のツキの量は一定」というツキ量保存側を提唱し、よく「磯辺さんは使い過ぎ」と警告された。
「自分が送り出したエネルギーは必ず自分の所に戻ってくる」というKICKPOPさんの論も実に見事だ。
ある人は不運を「税金」と言っていた。これまで運に恵まれ過ぎてきた人にはいずれ途方もない「税金」を課される可能性が高い、というのである。
これを避ける有効手段は「前納」すること、つまりちょこちょこと事前に払っておくことだと言うのである。

なるほどねー。「情けは人の為ならず・・・」
今までかなりの強運に恵まれてきたと自分でも思うから、これからは少し善行に励まないといけないな。
ヒーリングの先生が見通したとおり、昨年の年末にかなりの額を「納税」したとは思うんだがなー。。。

カリスマ添乗員

2011-02-13 08:38:19 | 出来事
私が顧問を務める協会の今年度最後のイベントがあった。
著名人を招待してお話をいただく「講演会」である。昨年夏、私が行ったビアパーティの前座講演ではなく、ちゃんとしたホールで90分ばっちり行うものだ。

「磯辺さん、どっちがいいと思います?春日三球さんとカリスマ添乗員が候補なんですけど・・・」

企画はいつもやり手のE子さんだ。私は迷わず「春日三球」と答えた。カリスマ添乗員と言っても全然知らなかったから。。。
ところが女性軍の多い会員の声は圧倒的多数でカリスマ添乗員を支持し、E子さんの超人的な調整により大阪から来ていただくことになったのである。
そのカリスマ添乗員を「平田進也さん」という。

主に関西で活躍しているらしいが、徳光さんの「サンデーネクスト」、テレ東の「ガイアの夜明け」など多数のテレビに出演して、旅行売上7億円を誇る売れっ子添乗員だそうだ。
プロフィールを見るとすごい。京都外国語大学を卒業して日本旅行に入社以来同社の社員(添乗員)として今でも活動し、ファンクラブの会員は2万人以上いるという。
学生時代に「ラブ・アタック」という即席恋愛ゲームのような番組で「かぐや姫」に落されること27回、みじめキャラとしてその頃から異才を発揮していたそうだ。

彼のツアーはとにかくずーっと笑わせてくれるという。バスツアーではガイドからマイクを奪い取り、4時間半喋りっぱなしで退屈させないんだって。
彼のツアーは企画そのものよりも「平田進也と行く」というタイトルだけで即完売になるほど人気だそうだ。
商工会議所や各種団体などの講演が殺到し、本業の添乗員が年150回、出演するテレビが年に何百本。。。まさしく超人だ。E子さん、よく出演交渉してきたな。

私は著名人独特の圧力のようなオーラが苦手で、半分芸能人のような人気者だから楽屋でどうやって持ち上げようか考えあぐねていた。。。
会長、副会長、理事らとともに役員室で色々噂をしていたら、E子さんの案内で講師がやってきた。
なんと、添乗員のようにスーツに名札をつけて名刺を差し出されたのである。

「はじめまして。平田と申します。今日はお呼びいただいてホンマありがとうございます」

おおーっ、生粋の大阪弁だー。しかし何という気さくな方だ。
講演は6時半からだったが、昼過ぎに大阪を出て、東海道、上越新幹線を乗り継ぎ、私も名前を知らなかったローカル線で会場まで足を運んで下さったのだ。考えてみれば旅行会社の人なんだから、どこへでも辿りつくのはヘナチョコさいさいだよな。

「いやあ、びっくりしましたわー。ここの電車、ドア手で開けるんですね。閉めんといたら睨まれるし・・・」

圧倒的に支持するのは50代より上の女性だそうだ。その協会はそういう妙齢の会員が多いから早くも会場は満員に近く埋まっていた。
会長の挨拶、役員の紹介の後、講演が始まったが、久しぶりに時間を忘れて聴き惚れた。
綾小路きみまろのようなノリで笑いあり涙あり、あっと言う間に90分が過ぎてしまった。
とにかくツアーの間じゅう「面白いことを言ってお客様を楽しませる」、そして「来てよかったと思ってもらう」その事のために命を懸けている熱意が伝わってきた。
「団塊の世代の主婦の皆様は必ず、『豊富な埋蔵金』を持っている。しかし宝は墓場までは持っていけない。『生きてて良かった』と思える『生き得』を実感するためにお金はあるのであり、そのために旅行して楽しんでもらいたいのだ。」

場内は割れんばかりの拍手喝さいだった。久々に引き込まれるような講演を聞いた。
控室で雑談を交わしているときも丁寧に同じようなことを言っていた。人前で講演するときと関係ないときに話すことと全然違う人がよくいるが、この人はそういう裏表が全くない。。。さすがに間近で見ると世間の圧力に打たれてきたオーラのようなものはあるが、芸能人でもないのにファンが何万人もいるのがわかるような気がする。

その日はトンボ帰りし、東京に1泊するそうだ。週末だから私は帰宅するため、東京までご一緒することになった。
いやあ、有名人と二人で乗車するなんて緊張するなー。例の「ドアを手で開ける」電車に乗り込み新幹線乗り換え駅へ向かう。ひょんなことがきっかけだが、こんな機会は滅多にないぞ。とにかく気さくに話しかけてくれるひとだった。

「みなかみの先に宝川温泉てのがありましてな。あそこの露天風呂は『世界一』ですわ。あと、法師温泉!ここの一軒宿やけど最高でしたわ!」

「なになに宝川温泉っていうんですか?メモしておこう。法師温泉は猿ヶ京の先にあったとこですね」

後で調べたら宝川温泉とは熊が出るらしい。さすがカリスマ添乗員、日本中の名所を知ってるな。

「講演で『富山』の料亭のこと、おっしゃってましたよね。私、両親が富山出身で・・・」と言いかけたところに

「なんやてー!そら「松月」絶対ご存知のはずや。かんならず行きなはれ!ほれほれこれ見て、この寒ブリ、氷見最高の一品やて。白エビなんか100匹以上使た練り物を串で炙るんですわ。最後なんか鯛がまること汁になって出てきたんやけど、一口か食べられんかった。これだけ出て6000円!ありえないでっしゃろ!ご両親が富山ならなおさら絶対行くべきや!私の名前出せば女将はんがサービスしてくれはります」

ローカル線で乗客がいくらもいないのに、携帯写真を見せてくれ熱く語られた。約束させられるかと思った。この人はホントにこういうのが好きなんだなー。
新幹線の切符は私の予約よりも一本遅い列車らしい。私のは乗り換え時間が3分しかないから、事務局が気を使って余裕をもった乗り換えにしたらしい。。。
まあ、ゆっくりしたいだろーし、とお礼とお別れの挨拶をしようとしたら、

「ほな、私も走りますよ!自由席ならOKでしょ?早く着いた方が楽やし。。。」

なんと私と一緒に乗り換え駅で一緒に走ると言うのである。グリーンじゃないの?
しかもリュックの私と違い、大きなキャスターバックを持ってると言うのに・・・?!
案の定、週末で新幹線は混んでいて、別々の席になってしまった。テレビでも有名な人なのに、なんか悪いことしちゃったなー。
途中駅で隣り合わせになれたので、また色々お話を聞くことができた。

「あれだけ面白い話をずーっと続けられるなんてすごいですねえ。会場は大喜びでしたよ」

「内緒ですよ。もちろん来る途中でネタ帳に色々と考えて書き込んでくるんですよ。ほらっ。でもね、お客さんが喜んでくれてるかどうかは目を見てればわかります。今日はバッチリでよかったですわ」

古●伊知郎さんと飲んだ時に、彼は「今の自分は本当の姿じゃない」としきりにこぼしていたそうだ。王様のように崇められ、ニュースのジャンルごとにコメントを考えるライターが数十人、それが目まぐるしく目の前のカンペで現れる。何が本当の自分の姿か尋ねたら、「プロレスの中継をしている時」と答えたんだって。
なーるへそ!私は思わず膝を打った。そうだろうそうだろう、なんか顔つきが違うもんな。
その後、知り合いと3人でカラオケに行き「天城越え」を唄ったときは、なんと古●伊知郎さんが実況してくれたそうだ。この人はホントにすごいんだな。

「私はねえ、磯辺さん。世の中年配のご婦人の埋蔵金は唸ってますのや。生きてるうちに使わな損や。そして同じ使うなら楽しい思いしてほしい。男はみんなミツバチや。私は女王蜂だけ集めりゃいいねん」

「ローヤルゼリーでっか?」何故か私も大阪弁に・・・

「そうそう!人間、寿命なんてわからへんやろ?親孝行せなあきまへんわ。死んだら半分は国に取られるんでっせ。日本はそれを見込んで借金重ねてるんや」

思わず膝を打った。
東京ではどこに泊まるのか尋ねたら、八重洲口にとっていたホテルをキャンセルし、じゃらんで口コミ一位となった都内のビジネスホテルを取り直したそうだ。ロケーションはなんと永田町、名前を全国町村会館という。口コミを見るとすべての人が絶賛しており、勉強のためにぜひ泊まってみたいと思ったという。。。

「隣町の温泉でゆっくり、というのもありだったんやけどねえ」

多少、名残惜しそうな語り口に「プロ」の精神を見た。久々にすごい人と過ごさせてもらった。
翌早朝、茅ヶ崎の母親といつもの竜泉寺に行ってこの話をしたら、驚くべきことがわかった。平田さんが熱く語っていた「松月」とは、亡き祖母の米寿祝いに数年前訪れた店だったのである。幼い甘辛がただ一人の曾孫であった。
そう言えば「白エビ百匹」のすりおろし団子焼き、食べた記憶が戻ってきた。。。

昭和の匂い

2011-02-11 08:15:01 | ホビー
前回の記事にも書いたが、息子甘辛は最近「昭和」をよく口にする。
伊東プチ旅行のときも「ハトヤ」の字体が昭和っぽい、と彼は感じたらしい。
「さーて、来週のサザエさんは〜」とくるエンディングではいつの間にかTVはリモコンスイッチで付けている。これをずーっと見て育った彼には「チャンネルを回す」と言っても通じない。また電話をかける仕草を指で円を描いてくるくる回しても全然通じない。。。
そう言えば黒電話ってフリルのついたカバーがついていた。また同じ柄のカバーがドアノブとティッシュカバーにもついていた。
確かに昭和の匂いというのはあるようだ。考えてみると私は生まれてこのかた、約半分が昭和、約半分が平成である。一つの大きな時代の区切りの目撃者のような気がする。

小学校の頃、初めて我が家にラジカセがやってきた。当時、ラジオのAM、FM、そして短波放送が入る3バンドというのが憧れの的だった。聞きもしないのに北京放送がはいるラジカセを持っているとヒーローになれた。
残念ながら我が家のは2バンドであったが、スピーカーが3つありそれなりに高機能だった。たしかAIWAというメーカーのものだったと思う。
初めて録音された自分の声を聞いた時には「そもそもこのラジカセは壊れている」と思ったものだ。
テレビの番組をそのまま録音して後で楽しんでいた。「Gメン75」ばかり録っていたが、しーっと静かにしていても台所の洗い物の音などは微妙に入ってしまってた。
(これはその後「イヤホンジャックを使いケーブルで録音する」という技に発展した。

その後やってきたのが「電子レンジ」である。ガスを使わなくてもモノを温められるという神秘的な機能を持っていた。新しモノにすぐには飛びつかないが、それなりに高機能モノを志向した我が家は、当時最新式のものを購入したのだ。それは「テーブルが回るだけでなく上下する」という恐るべき新兵器だった。(回るのはともかく電子レンジの原理からして上下しても意味ないよね)
それでも父親なんかは「うーん。やっぱり温まり方が均等でムラがないぞ」と感動していた。。。

中学に入って、憧れの電化製品が立て続けに導入された。まずはVTRである。
父親がソニー信奉派だったので、ご存じの通り(これまた昭和の遺産?)VTRはベータマックスであった。初めて収録したのは「宇宙海族キャプテンハーロック」である。
最終回まで3話くらい録画したが、それこそテープが擦り切れるほど繰り返し見た。そして毎回撮り続けたドリフターズだ。
技術競争の行方を見抜いていた理系学生の私は数年にわたってVHSの優位性を主張したが、父親に聞き届けられたのは既に自分で買える身分になったときだった。

ほぼ時を同じくして導入されたのがオーディオである。当時は「コンポ」と言い、部屋の4分の一を占領する巨大なインテリアであった。
すごい数の種類があったが、これまたパイオニアの結構新しい機種を導入したのである。
レコードプレーヤーはクォーツ制御のダイレクトドライブという回転数(そもそも死語?)の変化の少ない方式で、全自動トーンアーム(ボタン一つで置いたレコードの端までカートリッジが勝手に移動し自動的に落ちてくる)という夢の機能を持っていた。
ラジオチューナーとプリメインアンプ、カセットデッキとスピーカーのセットで、狭い私の部屋ではいつもボリュームは1とか2で十分響き渡ったのである。

そして電化製品史にはあまり現れないが忘れられないのが「ジューサーミキサー」である。ミキサーは「生ジュース」の売り場で今でも見られ、「世界の料理ショー」でグラハム・カーがよく使用していた。ジューサーミキサーはそれを進化させたもので、高速で回転する大根下し刃により「ギユゥウウウーン」という音とともにあらゆる物質をドロドロの半液体(理科系的には「ゲル」という)を製造できるものである。
朝の食卓によく登場したが、私にとっては悪魔の液体製造機であった。
バナナミルクセーキ(もしかして死語?)はよい。リンゴと人参のジュースもOK。トマトも許せる。しかしキャベツを加えた瞬間に死ぬほどまずくなり、セロリを入れるとほぼ最終兵器となるのである。
今、思うと甘辛の嫌いな(私も嫌い)ブロッコリーだったら世にもおぞましい液体と化したであろうが、「昭和」にブロッコリーはなかったのだ。(我が家だけ?)

私が語れるのは「昭和の後半」である。学校ではこの時期、教室には後ろに石油ストーブがあり「ストーブ委員」が灯油を補給していた。
冬に給食に揚げパンや黒パンが出るとストーブの回りにある鉄柵ごしにいつも焼いて食っていた。
「牛乳係」はいつも給食時にケースを運び、そのケースには常にギリシャ文字Φの形をした栓抜きが紐付いていた。学期最後の「お楽しみ給食」は大抵いつもの牛乳がジュースやコーヒー牛乳になったものだ。

そして昭和の子供に欠かせないのが「秘密基地」である。なんと心躍る響きであろう。。。
私達の秘密基地は東海道線沿いの茅ヶ崎「異人館踏切」という当時は何のことやらさっぱり分からなかった踏切のほぼ真下に実在した。
橋ではなく普通の踏切だが、下部に小川が流れていて背丈の高い草が繁茂し、一見何もない線路脇に見えたのだ。そこに悪友とともに基地を築いた。私は何とその基地で一夜を明かしたことがあるのである。
しばらくしてただの空き地だった線路沿いに「青少年広場」なる柵で囲まれた謎の広場ができ、基地は壊滅してしまった。

行動範囲は極めて低くどこへ行くにもチャリだった。中2のときに女子とグループで鎌倉の源氏山公園にハイキングに行ったときまで、友達同士で市内を出たことはなかったような気がする。
中1の息子はパスモを持って県内中くまなく出かけて回ることを思えば、電車に乗ること自体が結構楽しみだった。
ちなみに友達にサーフィンなどやるヤツはいなかったし、バンドやるヤツは「不良」とされた。。。
私が過ごしたのはそんな「終わりの頃の昭和」である。今、それよりちょっとだけ前からの「昭和」がよく取り上げられているように思う。
「あの頃はよかった」症候群である。確かに何もかもが右肩上がりで街に活気があった。いじめはあったが自殺なんてするヤツぁ一人もいなかった。。。

こうして見ると息子甘辛達の時代はあまり明るい未来がないようにも思えてくるがたぶんそんなことはない。私の持論は「何事も経験しないよりもするほうが優れている。
日本は辺境にあるので、他国と比べて「劣等」であると思われることに異常に拒否反応を示す。ボストンで数か月同じ釜の飯を食ったスウェーデンのワインセラーに言わせると、自分の国のGDPが世界何位かなんて全く興味ないのである。
リケイドの人間としては「技術は1番」であってほしい。経済は何番でもよろしい、というかそんな比較が意味ないくらいに甘辛達は世界へ出るべきなんであろう。

そして昭和よりも圧倒的に優れていると思うことがある。この前受けた「エコ検定」の結果が帰ってきたから言うわけではないが、子供の頃よりも間違いなく近くの「海や川の水」が綺麗になり、魚や鳥が多数帰ってきたことである。昔、滅多に見ることがなかった鬼ヤンマも結構見られる。
大相撲の理事長に似た当時の官房長官が出した「地平かにして天成る」「内平かにして外成る」で始まった平成の時代、次の時代が来たときは平成の匂いってどんな風に言われるんだろか。。。



国語算数理科社会

2011-02-10 10:02:30 | 出来事
我が家には不思議なことに「子供部屋」がない。とにかくだだっぴろいLDKをこさえ、必要になったらまじ切って作ってしまう構想だった。
隅に「子供コーナー」というのがあり、息子が小さいときから(今でも)おもちゃの巣窟のようになっている。
子どもも成長して思春期でも迎えれば、「自分専用室」を欲しがって当然だと思うのだが、今の生活に慣れ親しんでしまったので、今更中途半端に狭くしたくなくなってきた。
本当に必要となったら後から自分用に「秘密基地化」できるように「庭に作ってしまう」案が有力なのだが、何故か当人の甘辛が「別に部屋などいらん」と言うのである。
おかげで定期試験前などリビングの長テーブルでテレビがついたまま勉強しているようだ。(これって役にたってるんか?)

週末に帰宅するとできるだけ時間を作って(放っておくと何もしないから)息子甘辛と「勉強」をするようにしている。
私にとっては「頭の体操」でもあり「何もかもみな懐かしい」学校の教科書であり、ビール片手に覗き込むのも楽しみの一つである。
来週が期末試験と言うから、先週末は試験の出題範囲というのをもらってきたようだ。

国語の試験範囲はあまり意識してもしょうがないか・・・
塾のプリントの端っこに書いてあった問題、「『わざわざ』と『しかも』を使って文章を作りなさい」と言うのを見て、私は考え込んでいた。
以前「もしも~なら」を使って文を作れ、という問題に対して「もしもし、奈良県の人ですか?」とやらかした甘辛よりも面白い答えを見つけなければならない。(なんで?)
「わざわざっと100種類、鹿もおだてりゃ木にのぼる・・・」

甘辛と同じ年齢のとき、国語を習っていたのは愛称「ガンマ」さんという女性教師だった。(別に放射線のように危険だったわけではない)
私がならった中学教師では昨年30年ぶりに再会した担任(これまた国語担当)と並び最も「まとも」な先生だったように思う。
10年前くらいだろか、草野球で母校のグランドを借りその後技術室で打ち上げをしていたときに、ひょんなことで再会した。彼女は担任と違って私のことを意外と覚えていてくれた。

「そう言やあ、あなたは授業を全然聞いてなかったけど、テストだけはそこそこできたわよねえ」

実は国語の授業は苦手だったのだ。「主人公の気持ちを最も表す・・・」と言われても。。。
彼女はテニス部顧問だったが、部活中は人が豹変し「ばっきゃろー、何モタモタしてる!」と怒鳴りまくっていた。

数学は一次関数か。。。高校の同級生の女子は現役で名門大学をパスしたが、文化系であったため早い時期から「理系」科目は捨てていた、と聞いた記憶がある。物理なんか0点とったこともあるし、数学は一次関数すらわからぬ、と言われたのが印象に残っている。
私が中学1年のときに数学を習ったのは担任の男性教師だった。学年主任で成績の良い生徒だけを「えこひいき」するタイプで生徒からも若い教師からも不人気だった。
私は数学だけは割と得意だったので、最初は目を掛けられかけたが、そのうち素行がイマイチ雑なのがばれ、可愛がられはしなかった。
後に教育委員会に昇進?し、数年後教頭になったらしいが、先日お邪魔したギンさん夫婦は悪口言い放題。。。

理科は物質の融解・凝固とか。。。以前、このサイトでも紹介した記憶があるが、「水」という物質の融点がいかに異常に高いか、その分子構造から詳しく教えてやろう。凝固したら体積が大きくなる物質など水の他にないのだ。
息子甘辛は「科学部」なのに理科がどうもダメなようだ。よくわからん・・・
私が習った理科の教師はいつも竹棒を持ってあるく爽やか熱血教師で、生徒にも人気があった。あだなはKEYちゃん、何事にも全力投球、確か卓球部顧問だったと思う。
実は先日ギンさん宅でKEYちゃんが脳梗塞で倒れ一時は危ない状態にまでなった、と聞いた。
「全身が血の塊のような人だったからねえ」回復したと聞いて安心したものだ。
英語は現在進行形か。。。ツイッターで「●●なう」とか流行っていたが、そのうち「□□いんぐ」とか「▽△ed」とか「○○だん」とか出てくるんだろか。やらないから分らないが・・・
息子が塾で習っているテキストは学校よりもはるかに進んでいる。たしかに教科書や学校で渡されるプリントを見ると「幼稚」に見えるなあ。今回は結構自信あるようだ。
中一のときの英語の教師は昔の「塩爺(元財務大臣)」のような妙齢の男性教師。どうにも記憶がないのだ。一度だけおトミさんが英語を代行したことがある。「果物の名前を英語で・・・」と列順にあてられ、私が答えたのは「グレープフルーツ」。こういうことだけは鮮明に記憶があるんだなー。
最近印象に強く残り、息子とよくモノマネするのは東進予備校のCM。。。

「英語なんて言葉なんだ!こんなものやれば誰でもできる!」

社会は「都道府県を調査する」というタイトルで九州と東北が対象になっている。地理的な内容も多く盛り込まれている。
福岡県と接するAの県名を答えなさい。。。甘辛は頭を捻っている・・・なんと、分らぬのか!

「ウルトラマンランドの荒尾がある県だよ。名前なんて言ったっけかな。『今のキミはピカピカに光ってぇ~』の女優もここの大学出たんだがな」最近ちょっとした人の名前がすぐに出てこなくて困る。

「父ちゃんよ。オレ平成生まれだぞ。」最近このフレーズを息子はよく使う。

「山形と言えば・・・ケーシー高峰だろ」(正解はさくらんぼ)

「ぎゃーはっは、ウクレレえいじだろ?でも昭和のことはよくわからん・・・」

私が社会を習ったのは先日お会いしたギンさんである。彼は独特のスタイルで教科書を用いずに自作したプリントのみを使った。ガリ版というヤツである。
試験前の勉強はそのむろんそのプリントを使うのだが、物持ちのよくない私は毎回半分くらいしか保存しておらず、いつも職員室にもらいにいって怒られていた。
ギンさんが茅ヶ崎駅前によく一緒に飲みに行ったというサッカー部顧問「タカちゃん」も社会の教師で、彼もプリントを使っていた。どうも教科書が使いにくかったらしい・・・

ギンさんの家で色々当時中学生だった私達の知らない学校内の必ずしも美しくない「大人の」世界を聞いた。
それでも私は学校へ行くのが好きだった。勉強も結果はともかくとして嫌いではなかった。甘辛ぐらいの年で「なりたいもの」は理論物理学者、その次が教師だったし・・・
だから「学校で出会った人」と長く相手にしてもらえるのかもしれない。
ドリフのコントで一番好きだったのが「国語算数理科社会」

港めぐり

2011-02-07 04:48:32 | 旅行お出かけ
おまけの続きというわけではないが・・・
久々に暖かい週末で、風も穏やかなので正月用の釣りができなかったいつものポイントに向かうことにした。
早朝、いつもの竜泉寺に母親と行った後、竿や道具を準備していると珍しくオフになっていた息子甘辛も来るというので、IXYを持たせたのである。

「港やよい風景に差しかかったらシャッターを押してくれ。使い方わかるべ」私はカメラを息子に渡した。
「オッケー。まかせとけ」

海岸R134号へ出て西へ。。。スタートは箱根駅伝の海岸コースがここで終わる「浜須賀」である。
正面を撮れば交差点の構造がよくわかるのに、助手席から海に向かってシャッターを切るからよくわからない画像になってしまったぞ。



ラチエン通りとのT字路、パシフィックホテル跡(今は分譲マンション)を通り過ぎ、しばらく直進すると茅ヶ崎港である。
東側がサザンビーチ(名前も広さもイマイチね)だ。今日は全くと言っていいほど波がない。。。
毎週の早朝竜泉寺の帰りは母親とこの反対側にあるデニーズで朝食を採るのだ。
朝から結構地元の年寄り夫婦が来ている。ここ景色いいけど種類少ないのよね。



さらに西上し、今は実験無料の新湘南バイパスと合流してつい昨年開通した湘南大橋を渡ると新平塚港が見えてくる。
寒風吹きすさぶ中、つぶやき夫婦と初めて釣りに来たのがこの港だ。
その後、彼らは持ち前の好奇心と人脈を駆使しあっと言う間に本格的な海釣り人になってしまった。。。



橋を渡るとすぐに混み合うルートになるので、並行して走る裏道へ避難する。
花水川を渡り、一旦国道1号線に出てから大磯で再び海岸線に戻ると大磯港だ。ここもすぐ西側が海水浴場になっており、夏は「海の家」の勧誘がものすごい。沖合100メートルくらいに大きな岩があり、茅ヶ崎サザンビーチよりは広い。
ここは助手席からうまく撮れるポイントが少なく、シャッターチャンスを逃してボロ写真



これまた社会実験で無料の西湘バイパスを西上する。すぐに見えてくるのが大磯西のOISO。
二宮を過ぎて料金所を通過、酒匂川を渡ると湯河原・熱海方面と箱根方面に分岐するジャンクションに到達する。
石橋料金所の直前数百メートルで左側に新早川港が見える。
この真下、よく釣れるんだが「立入禁止」で捕まってしまうため残念ながらスルー。。。
(息子ともども連行されてしまっては笑えないからねー)



ここから先のコースはほぼ完全な海沿いで我が家の近くのように防砂林のような障害物がないから実によい景色だ。
私は景色を楽しむドライブだけってしないのだが、ここだけは走るだけで気持ちよい。


一旦山道に入って真鶴駅の真横を通り過ぎ、再び海岸線に戻って新真鶴道路と合流すると湯河原海岸である。
数の年前灼熱の夏休み、この海沿いにある高校のグランドで息子甘辛の新チームデビューの遠征合宿を観光がてら見に行ったことがあるのだが、死ぬほど暑かった。
あまりの暑さに翌日のトーナメントはめげた。

熱海ビーチラインは有料なので135号を進む。妻がOL時代の社内旅行でマル秘必殺技を炸裂させた、というホテル「水葉亭」を経て我が家が既に「顔パス」となっている保養所を過ぎると、熱海港だ。
冬にここで何回か開催される花火大会はそれはそれは美しい。(寒いけど)
大堤防は有料の海釣り施設になっているが、何度かほとんど釣れた記憶がない。。。



サンビーチの中央、「お宮の松」を左に見て熱海後楽園ホテルを過ぎてトンネルを抜けると左後方に錦が浦が見える。
ものすごい断崖絶壁だから自殺の名所とも言われているようだ。
なんかうまく撮れてないなー。



伊豆多賀を過ぎるとポイントである。南熱海マリンホールへ到着だ。結構道路が順調だったから所要約1時間半のコースだ。
甘辛にも手伝わせて釣り座をセットした。普通に運動神経がある子供ならばこんなところのテトラポットはわけなく歩き進むはずだが、万が一ずっこけて落っこちると怪我なしでは済まないから注意点を念入りに教えておく。
思った通りひょいひょいわけなく先端まで進んでいく。
 
2、3投したところで軽くウキが沈み込んだ。おーっ、これは幸先がよい!初っぱなからいいところ見せられるぜ。
と、うまくはいかないもので、よく見たらメジナではない・・・

「ぎゃーはっはっは。父ちゃん、ベラじゃんか!あんまり縁起よくねえんと違うか?」

後ろで見ていた甘辛はゲラゲラ笑っていた。リュックを背負っていたが、PSPも携帯も絶対に出さないよう、きつく申し渡しておいた。落ちたらアウトなのである。
しかしその不幸な予感は見事的中し、リールの破損、根掛かりによるウキの紛失、インナーロッドの絡みなど数々のトラブルに見舞われ、20センチくらいのメジナ1匹で退散することとなった。

色々二人でトライしてみたのだが、そもそもあまり「食い」がよくなかったのだな。
手のひらより小さいサイズのメジナが釣れたとき思わず

「これ、生かして帰って飼うか・・・?」

「死んじゃうだろから、やめとくべ」

うな吉の例もある通り、何かにつけて獲物を飼いたがる甘辛だが、珍しく逃がしてやることにした。私が不在の間、面倒見る自信がなかったのかな。
妻が握ってくれたおにぎりを昼食として頬張り、今まで結構釣れていたが今日はダメだったポイントを後にしたのであった。
さっきはいい写真が撮れなかった錦ヶ浦でも寄ってくか・・・・



初めて足を踏み入れたが、とんでもなく怖ろしいところであった。柵の向こうには地面が無いのである。。。
足がすくむ、というのはこういうことを言う。IXYを持って柵に近づくこともできず、撮影は息子に任せた。数百メートル下の海面は空を反射して美しいのだが。
帰路の間、彼はずーっと寝ていた。だいたい要領は分かったろうから、次にリベンジで来る時には持ち帰らないほど釣るからな・・・

おまけ

昨日、家の真正面にある海岸でロングキャストの練習をした。
隣の人よりは飛んだと思うのだが、竿の調子が柔らかすぎるのか、どうも100メートルには届かない可能性が高い。
やっぱりロケットランチャーかな。。。



先生の家

2011-02-05 09:41:13 | 旅行お出かけ
中学時代の悪友とともに、当時の恩師の家へ遊びに行った。ご夫婦は我が校で職場結婚した後、ご主人は転校して行った。
ご主人は社会、奥さんは英語の教員であったが、どちらも数年前引退された。
我が校は新設間もないところだったからか、新任の教員が多く「金八先生」を見て騒いでいた我々とは10歳くらいの年齢差だった。
それでも当時は10歳上と言ったら、とんでもなく大人で、おじさんおばさんにしか見えなかったのだ。

その年齢差は当時はそれまで重ねた年齢の77%だったが、今や22%にしか過ぎない(当たり前だ!年齢差は変化しないから)し、彼らが我々を教えていた年齢をとうに越してしまったので、どうにも恩師というイメージが薄れ、ただの友人に近いものになってしまう。
私は1年生のときだけご主人に地理を習っただけの縁だったが、悪友とともに不思議と面倒を見てくれ、中学を卒業してからも時々思い出したように遊びに呼んでもらった。もう30年以上のおつきあいになる。

ご主人は中学時代のあだ名から「銀さん」とし、奥さんは旧姓で呼ばれていたが「おトミ」さんと呼ぼう。
こちらも久しぶりだったが、一緒に遊びに行った悪友は元甲子園球児の「ガンさん」と「石橋を叩いても渡らない」硬い銀行員「コウちゃん」である。あとから6つ年下の草野球仲間であるガンさんの弟も登場した。
銀さんは自分でも「楽なことしかしなかった」というお気楽教師で、(多少生徒にバカにされていたようなところもあったが)親しみやすく全般的に人気があった。
一方おトミさんは「ゆうひが丘の総理大臣」に出てきた由美かおるのようなもので、全校のマドンナ的存在だった。
二人の結婚を知り、嘆き悲しんだ男子は少なくないはずだ。。。

何度か引っ越しをされたが、その都度お邪魔していたから、数年に一度は顔を合わせるペースで決して多くはないが、「いつも全然変わらないねえ」というのが合言葉になっていた。
いつもセッティングするガンさんによると前回お邪魔したのが4年前ということだ。母校のすぐそばに今のお宅があるのだが、私は全く忘れてしまっていて一人では行けない。
近所のスーパーで待ち合わせて買い出しし、悪友3人で歩いてお宅を目指した。

「子供の頃、ずいぶん広々とした道だと思ったんだけど、こんなに狭かったんだなー。」

コウちゃんが呟いた。以前より道が狭くなることはまずないから、相対的に「身体」が大きくなった、ということか。。。

「あれれ?!銀さんち壊されてねえか?たしかあの辺なんだけど・・・」

見ると2階建ての家がちょうど解体されているところだった。とうとう借金が払えなくなったのか・・・?!
よく見たら隣の家だった。しかもその家の住人が先客として訪れていたのだ。銀さんは「もうすぐ面白いヤツらが来るから」と引き留めていたらしい。
持ち込んだビールとつまみを並べて、帰ろうとする先客に「まあ、飲んで行きましょうよ。気ぃ使う家じゃないっすから」
ガンさんは初対面の女性にまるで自分ちにいるように笑いながら誘っている。

年齢を重ねると現れる現象かもしれないが、「いきなり身体の具合が悪くなった報告」。。。
銀さんは昨年半年ほど、「慢性ジンマシン」に悩まされ、あの猛暑の夏場はほとんど一歩も家を出ることができなかったそうだ。
それに呼応してコウちゃんの症状はストレートで「上司の直前に出ると、ジンマシンが出て長くいられなくなる」というもの。どちらも精神的なものもかなり要因にあるらしい。
かなり昔に痛風に悩んだことのあるガンさんは「坐骨神経痛」で1か月会社を休んだという。
「ぎゃーはっは。じじいの病気じゃんか・・・!」と笑いながら、「実はオレも・・・」と年末年始の入院劇をカミングアウトした。

「げっ、げげえ!マジで?」

血液、血圧など健康診断系はほとんど完全体を誇っていた私なので、一同目を丸くするとともに「とうとうコイツも?」と凍りついた。。。
しかしいきさつをしゃべると皆、顔に「なるほど」という字を浮かべ、心配する気配すらなくなってしまった。
ちなみに銀さんも私くらいのときに経験があるが、即日入院のみで済んだらしい。
台所で聞き耳をたてていたらしい、おトミさんは突如背後から現れ、

「そうだよねえ。太郎ならそれしかありえないと思ったんだー」

うーむ。これはどう考えたらいいんだろか・・・
当たり前だが近況についての話が一通り済むと、史実は変わらないからいつも同じような話になる。
部活の話、進路の話、事件の話。。。やはり盛り上がるのは「先生」との話題であっても「女子バナ」である、
おトミさんは女子にも人気があったから、当時の裏話をすごくよく知っている。残念ながら習ったことはないが、私のこともよく知っている。
彼女は当時2年生のときに私が憧れていた女子の結婚式に招待されたそうで、ずいぶんたってからその話を聞いて相手はどんな人か尋ねたら「あなたをもう少し小奇麗にした感じの人よ・・・」

昨年の夏「30年の月日」を経て、クラス会が行われたことも話した。私の担任だった女先生もこの夫婦とほぼ同年代だったから、彼らはよく覚えていた。
私はともかく当時は野球、テニスのホープとして校内ではモテモテだった悪友たちは先のクラス会には声が掛からなかったらしく幾分残念がっていた。
そして約30年目にして初めて聞いた、当時の教師間の軋轢・・・・

「オレ、学校が終わって校門で会うとよく『タカちゃん』と駅前に飲みに行ったんだぜ。校長の悪口言い放題・・・」

「タカちゃん」とは歴史を教わった社会の先生で、かつ私のいたサッカー部の顧問。。。およそ、いい加減な銀さんとは正反対の石頭先生だった。
隣の中学校でまだ教鞭をふるっているという英語の○田先生のことを話したら、

「んもうっ、『ワガママあっちゃん』たら、たーいへんだったんだからぁ・・・」
「あの校長最低!教師のこと『兵隊』って呼ぶんだよ。どうにかしてやろうかと思ったわ」

おトミさんは今でも十分マドンナとして通じると思うが、更に過激で辛辣だ。当然のことだが「学校」であっても、一つの職場であって色んな人間関係があったようだ。
今まではどこか「先生は先生」だったが、いつの間にかそんな話も平気でできるような、年齢になったということか・・・
途中から記憶が定かでないのだが、覚えていないほうがよいと思われることも。。。
先生、どうもお世話になりました。

おまけ

集合は午後5時だった。自宅からインターネットを見ていると、なんとこのサイトによく訪れて下さる「スーパーお洒落マダム」の小夏さんが、この地方にいらっしゃったらしい。
あの江ノ島の撮影ポイントはどこだろか・・・天気も良かったし七里ガ浜に向かってIXY君を持って自転車を走らせた。(マダムコースの検証だー)
まずはちょっとした運動がてら稲村ケ崎まで行ってみよう。海沿いを走って大体30分くらいのコースだな。

  

七里ガ浜から見ると、結構江ノ島は小さく見えるんだな。普段とは反対側からの姿となるが似たような形をしているものだ。

  

この辺、海側には歩道がないのね。車が多いから少しおっかないぞ。
「日本中の若者が憧れる・・・」とは光栄だが、ただ「車が混んでるだけの道」でもあるんだなー。
いつかご紹介いただいた店はこれかな。「世界一の朝食」は卵、納豆、ノリだと思うのだが。。。

  

先生宅に一緒に遊びに行ったコウちゃんが通った高校前だ。江ノ電がちょうどこちらへ向かって出てくるところだ。夏だけやけに混むんだよね。

       

あんまり運動にはならなかったな。新江ノ島水族館を過ぎるともうすぐ我が家・・・