超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

大阪へ行く

2010-01-30 12:00:48 | 出来事
久し振りに大阪へ出張することになった。普段は東京での会議になることが多いが、年に1,2回はこちらから出向くのだ。
天気予報を見ると午後から曇りになるが、まずまず上々のようだ。こりゃあ期待できるなー。
東京からは東北や上越、長野新幹線を使っての出張が多いので、モバイルSUICAの私は携帯で特急券の指定まで取ることができしかも安い!

便利なものだが、東海道新幹線はJR東海なので、時間をかけて登録手続きしないと携帯からは予約できない。
みどりの窓口ではもちろん「山側の窓際をお願いします」
駅員は親切に探してくれたが、同じことを考えている人は多いのか、なかなか見つからない。

「二人席の通路側ならまだまだあるんですけど・・・」「ダメです!」
のぞみ号は窓が小さいのだ。窓際でないとあの姿は拝めないのだ。
1本早めて、号車の一番前(つまり前が壁)になってしまったが、何とか手配できた。

昼過ぎに品川駅に着く。今JRはエキナカをどんどん開発し、街っぽくしているようだが、その中でも品川駅は特にすごいと思う。
東京や新宿も駅はでかいが、やはり駅なのだ。ところが品川はデパートの中に駅があるのだ。
レストランが13、スウィートショップだけでも13、その他ベーカリーなどが8店、エスカレーターで2Fに上り服飾雑貨やリラクゼーション、本屋、文房具店などが並ぶ。

駅ビルがデパートになっているのはどこでもある。しかし「改札の中側」にこれだけの百貨店を誇るのはすごいと思う。
ユーハイムの真横の階段を降りると東海道線ホーム、沼津魚がし鮨の横の階段を降りると横須賀線ホームだ。
反対側を歩くと新幹線乗換え口に行きつく。

のぞみ号が到着し、指定席に行くと通路側の席のサラリーマンがパソコンを叩いている。
私の席も色々な資料や付属品で占領されており、ちょっと会釈すると慌ててどかしていた。
すげえ、今の新幹線ってPC用のコンセントや無線LANが使えるんだ。。。(もちろん普通車両よ)

見たところ私よりいくつか上に見えるが、東京から乗って早速仕事してんのか。ご苦労(もとい!仕事熱心)なことだ。。。
私は家から持ってきたおにぎりを頬張り、借りてきたウォークマンでいつものモーツァルトを聞き出した。
しばらくしてスタッフから渡された会議資料でも見るかと、目を通し始めたら2分30秒で赤タイマーが点滅し、3分で撃沈。。。

目が覚めたら三島駅を通過したところだった。やばい、やばい・・・もうすぐ目指すスポットだ!
隣でまだPCを打っている人の怪訝な視線を感じつつも、IXY君を取り出し撮影準備。
たしかものすげえ邪魔な煙突が1本あって、もくもくと白い煙を出してたんだよな。

しかし、しばらく構えても何も見えてこない。昨年以来だから時間を間違えたかな。もうちょっと先か?過ぎちゃったことはないはずだ。
もしかして・・・アレ?
下ーのほうがわずかに稜線らしきものが見えている。あの稜線を延長して想像するに・・・完全に雲で隠れてんじゃんか!
ちょっとだけてっぺんの白いところが見えたりするぞ。とりあえず構えてあとわずかのシャッターチャンスを狙ってボタンに指をかけたら・・・上り列車がドワン!とすれ違ってきた。
残念。。。富士川鉄橋を渡り、新富士の駅を過ぎるともう何も見えなくなっていた。。。

浜松を過ぎると新幹線からは、やたらめったら水路や水溜り、湿地が目にはいるようになる。このあたりは無数の入り組んだ水路になっているように見える。
いつも通過したことしかなく、一度は遊びに訪れたいと思っている浜名湖だ。色んな名物や名勝があるんだろな。
島みたいなのもあるし、競艇場もあるぞ。釣りとかもできるんだろか。

しばらくすると「のぞみ号」は名古屋駅に滑りこんだ。昔名古屋出身の同僚と駅から少しのところにある、最近ちょっと元気がないが、日本を代表する超巨大優良企業の名古屋オフィスを訪問したことがある。
天を衝くような立派な建物だった。たしか「味噌カツ」をごちそうになったものだ。
子供の頃、実物を見たことも乗ったこともないのに、赤い名鉄「パノラマカー」とベージュの近鉄「ビスターカー」のブリキのおもちゃを持っていたんだが、もう無くなっちゃったんだろか。

名古屋駅の近くでは「中日球場」の中も少しだけ見えた記憶がある。「侍ジャイアンツ」で番場蛮のライバルであるドラゴンズの大砲万作が放ったホームランは新幹線の上をも通過した。。。
名古屋駅を出た「のぞみ号」は米原駅を通過した。上越新幹線がまだないころ、両親の故郷富山へ行くときは小田原から「こだま号」で米原まで行き、北陸線の「しらさぎ」という特急に乗り換えたのだ。
「こだま号」は時速200kmしか出さない。ビュッフェに必ずいってスピードメータを見てきた。
子供の頃から風のように通過していく時速240kmの「ひかり号」に憧れていたのだ。。。

さらに速くなった「のぞみ号」は京都駅に到着した。昔はもう少し遠くまで見られたんだが、京都タワーと駅の間に巨大な建物ができてしまい、ほとんど何も見えなくなってしまったな。
10年くらい前に仕事で醍醐というところの事務所に週数回通っていたことがある。
修学旅行で訪れた名所をもう一度心ゆくまで楽しみたいものだ。

そしてN700系「のぞみ号」は新大阪へ。会議を行うビルは環状線に乗り換えて向かうことになる。
到着前に車内の電光掲示板ニュースでは品川~小田原で沿線に火災が発生し架線が切断されたので東海道新幹線は運転を見送る記事が出た。
架線・・・ってたぶん1本でつながってるのに、よく動いてきたものだ。(当たり前か!)

会議は予定とおり6時に終了した。いかにも見え見えの時間設定だが、新幹線の運転再開が5時過ぎ。。。ここは帰らないとまずいかもしれない・・・
新大阪始発の「のぞみ号」は比較的時間とおりに動いているようなので、同僚と指定席をとり4人掛けで飛び乗った。
「この先列車が詰まっているので、徐行運転になります。。。」というアナウンスがあったので、新横浜で降りることにした。

時計は10時を回っている。。。以前に大阪に行ったときも帰りに集中豪雨に遭い、大井川手前で足止めを食らったことがあったな・・・
カンチュウハイを飲んで、姫鮨とかを頬張りながら同僚が
「時間が短くて全部は議論できませんでしたね。近いうちにもう一度来ましょうか?」

「晴れてたらね・・・」

へんないきもの

2010-01-28 22:22:04 | 書籍
以前(成人の日?)紹介したことがある「へんないきもの」についての話題だ。
年末のクリスマス会に呼んでいただいたお友達の家にこの不思議なタイトルの本が並んでいた。
子供向けの本なのかな?と思いながらちょっとパラパラめくってみると、結構専門的なことも書いてあるが実に面白い本であった。

ほとんどが聞いたこともないような奇妙な生物だが、これまた以前に息子甘辛と朝連をやりながら海浜公園で発見したヒモのような奇妙なヤツ(コウガイビル)が載っており、親近感が持てた。
イラストがものすごくリアルで、こんなヤツと遭遇したらビビるだろな、という見た目も性質も怖いモノがメジロ押しだ。
本文は著者の独特なセンスが光り、大人向けのウィットや社会風刺、皮肉っぽい表現も結構見られ中々知的好奇心をくすぐられる。

たまたま図書館で続編を見かけたので借りてきて、面白いから初編も読み、さらに小説版「へんないきもの三千里」も読破した。
子供の頃から普通に「いきもの」には興味があり、ペットも飼ったし虫も捕ってきたが、最近少しずつ虫や小動物が触れなくなってきたことに気付いた。
トンボやバッタなどメジャーなヤツはOKなのだが、コオロギ、スズムシあたりになると既に怪しくなり、最初の押し出しが強烈なカエルや蛾などに至っては逃げ回るていたらくだ。

「オーシャンズ」という映画もあるように、昔から動物ものの番組はコンスタントに生き続け、やはり何となくよく見てきた。
古くは「野生の王国」、「わくわく動物ランド」「動物奇想天外」・・・それほどハマり込んだわけではないが、害がないので見る番組があまりないときのツナギとして親しんできたようだ。
いつの時代も「動物の面白い習性」というのは興味を持たれるらしい。

「へんないきもの」シリーズはそのうちのゲテモノだけを集めたようなものだ。音波兵器を持つエビ、足が85本のタコ、目から血を吹くトカゲなど・・・
本を紹介してもしょうがないが、私がどうも気になったベストスリーは

クマムシ:ぼくとつな名前の超生命体
体長は1.7ミリほどだが、摂氏150度の高熱にも絶対零度にも、真空にも乾燥にも6000気圧もの高圧や人間の致死量をはるかに超える放射線にも耐えることができる不死身の生物だ。
地球が破滅しても宇宙空間を漂い、別の惑星で繁栄できそうだ。

キロネックス:骨なしの悪魔
前にテレビで特集していたのを見たことがある。触手が2メートルもある地球で最も危険な生物と書かれている。刺されると四の五の言う暇なく呼吸困難、意識混濁などに陥るという。生息地のオーストラリア北部には生命の危険があることを表す標識もあると言う。これ自体が好きなわけではないが、この猛毒をものともせずに平らげるのが、ハワイ島で見たウミガメだと言うのが気に入った。

クダクラゲ:(株)深海浮遊事業KK
地球上で一番長大な生物はクジラでもヘビでもなく「クラゲ」だという。何せ体長40メートルにもなるそうだ。
成長の過程で分裂して増える期間があり、それぞれが別々の固体にならずに、融合を繰り返して体を構成する各器官に変身し1匹の生物として振舞うんだって。
まるで怪獣映画のモデルそのものだ。

どれもこれも「変」ではあるが、考えてみれば生物そのものがすべからく奇妙なものだ。
人間は60兆の細胞からできていて奇妙さはかなりなもんだが、それぞれ機能を持つ器官は実に合理的にできており、かなり完成に近いとことろまで進化してるような気がする。(医学知識は無いけど)
惜しむらくは大脳が発達し過ぎたために「余計なこと」を考えるようになったこと。ネオダーウィニズムがホントならこの先ヒト科が何万年も存続するためには、脳を若干退化させる必要があるだろう。

本の中では途中で、「へんな名前のいきもの」も取り上げられている。
「ヨーロッパタヌキブンブク」から「エンカイザンコゲチャヒロコシイタムクゲキノコムシ」
宴会ばかりやっている山に住むこげ茶の浩子が、ムクゲに生えたキノコを敷いて御迎えした虫?!
傑作なのはやはり「ウルトラマンボヤ」・・・群体性のホヤの一種らしい。
姿がそのもの(顔)ズバリで「シュワッ」「アワッ」「デヤッ」や虚ろな顔で「ゾフィゾフィゾフィ・・・」と言うヤツもいそうだ。

最後に読んだ「へんないきもの三千里」は小学生の少女が主人公のかなりリアルな物語だ。
好きな男の子と仲良くなるために究極のおまじないとして調べた「カエルの背中を舐める」暴挙に及んだ「いきもの」の大嫌いなセレブ少女が、生き霊のように身体を抜け出し生物界に放り投げられる物語である。
それはそれは散々な目にあうことになる。サムライアリの奴隷にされたり、ヒトに食われて免疫防衛軍と闘ったり取引したり・・・

色々なところで目にする生命どおしの関わりは「壮絶」の一言につきる。ここではこれまで取り上げられた「へんないきもの」がよってたかって主人公の少女にその生態を見せつけるのだ。
少女の実際の家族が不和で崩壊していく様など、かなりリアルでえぐいが、相当深みのある読み物だ。
単なる生き物賛歌ではない。「生き物の食べ物は生き物」というくだりがズンと重く響く。
うまく言えないが読み終わるとなるほど、このシリーズがすごく売れた理由がわかるような気がする。

このサイトのモデルとなったウルトラセブンの「超兵器R1号」。
地球防衛のために超兵器開発競争に明け暮れる防衛軍を見て、嘆き悲しんだモロボシ・ダンが放った名セリフ
「それは・・・血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ。。。」

そしてダンがうわごとでも言ったこの言葉をキリヤマ体長から聞いた、兵器開発の女性博士は
「参謀、人間という生物はそんなマラソンを続けなければならないほど愚かな生物なのでしょうか?」
「へんないきもの」の代表選手は人間だろうが、自滅しない賢さは持ちたいものだ。

丼物語

2010-01-25 05:55:08 | 食べ物
最近の大手牛丼チェーンの値下げ攻勢は、大いに歓迎である。
牛丼というものが食事のメニューとしてメジャーとなったのは比較的新しいと思うのだが、丼(どんぶり)と名が付くものに我々は色々な思いがあることがわかる。
今でも傾向はあるが、若いときにブッチギリで選んだのはカツ丼だ。(異なる地方の方のために念のために言っておくと卵とじにするヤツ)

ダシが合うのだろうか、特に好むのは何故か「とんかつ屋」ではなく「そば屋」のカツ丼でグリンピースが乗ってるヤツ。。。
たまに近所のおそば屋(うどん屋でもよい)とかに行くと、セット物を素通りできない私は高い確率で「カツ丼&そばセット」を注文する。
親子、卵、ウナ、天など古典的なメニューに加え、カレー、ステーキ、焼き鳥などすこーし邪道感のあるメニューと比較し、牛丼(豚丼)は近所には3つある「●●屋」のモノであるという印象が強い。

年を経るに従って、「肉から魚へ」という自分パラダイムシフトが起こり、鉄火丼やネギトロ丼、海鮮丼あたりがだんだんに幅をきかせるようになり、とどめのマイブームは「生しらす丼」なんだが、このジャンルはどれもそれほど安くない。。。
しかしカツ丼セットはいかにも高カロリー食品で栄養に偏りがあり、魚貝類丼に比べると食った後に多大な罪悪感に苛まれるようになってきた。

狂牛病騒ぎで牛肉を輸入できなくなり、豚丼というメニューを編み出した各店も見事だが、ヘルシーであろうという錯覚も手伝い、いつの間にか「豚丼」のほうを好むようになってしまった。
10年前くらいだったろうか、一度200円台になってから色々な紆余曲折があったようだが、今の時代にまた300円そこそこで食べられるとは正直にすごい企業努力も感じる。

私はなるべく週2度くらいは会社帰りにフィットネスクラブに寄ることにしているが、最近その日は牛丼屋で一杯食ってから行くことが多くなった。
昔はおにぎりやサンドイッチを見学コーナーで食ってから運動に勤しんだのだが、おにぎり2個分で一杯の豚丼は食えるのでそちらのほうに靡いてきたのだ。
「どちらも侘しい食事・・・」と言うなかれ。うまいものを食うときは妥協、骨惜しみはしないが、短時間で腹を満たすのが目的な場合は徹底合理化するのがポリシーだ。

しかし週に2回も牛丼(豚丼)を食うとなると、やはり栄養の偏りが気になるところだ。ホントに大丈夫なんだろか?
友人の後輩は200円代時代だった学生のときに、週に5回牛丼屋に通って栄養失調になったそうだ。
食道にあるパンフには食事で1日30品目を摂取するのがバランスよい栄養を摂る上で奨めている。これがまたよくわからない!

1日30品目?満漢全席じゃあるまいし、そんな食通マニアみたいな食事しているヤツがどこにいるんだろうか?
ちなみに本日の昼食はざるそば大盛にホウレンソウのお浸し。。。あと28品か・・・?
色々ネットで調べてみると、どうもメニュー数=品数ではないらしい。当たり前か!ある健康関連サイトを訪れると「数え方」というのが掲載されていた。

●同じ食品は1日のうち何回食べても1品目とする。
●外食した場合や既製の調理食品などを食べた場合は、素材として使われている食品をわかるだけ数える。
●使われている食品の内容がわからない場合は、全体を1品目とする。
●調味料は、マヨネーズ、ドレッシングを除いては数えない。
●香辛料は数えない。

うーむ。少しはわかってきたが。。。基礎食品というのが、第一群から六群まであるのか。これは食物の種類そのものかな。
それぞれ、魚肉卵大豆群、乳海藻小魚群、緑黄色野菜群、淡食野菜果物群、穀類イモ類群、油脂群だ。
さらにこれらの基礎食品群に栄養素と言われるタンパク質、無機質、ビタミン、糖、脂肪などが何種類かずつ代表で含まれている。
私が主張してきた「分子レベルで見りゃ、どんな食べ物も30種類くらいあるわい!」てな言い訳はどうも違うらしい。。。

しかし品目というのは栄養素という単位ほど細かくなくて、基礎食品というほど大きな枠でもなさそうだ。
例えば、ざるそば大盛とホウレンソウのお浸しだが、メニューで言えば2品だが、ざるそばだけでも蕎麦の他に海苔があり、薬味のネギがあり、わさびにそばつゆがある。(わさびは香辛料か?)
ホウレンソウのお浸しには貧相だが鰹節がかかっていた。私は漬物は食べないので品数を稼げないが普通は2,3品はあるし、その後何か物足りなくて柿ピーを食べたから2品プラスで、昼食としては10品くらいすぐいくことがわかる。

ざっと思い浮かべると、朝食だって普通に摂れば10品くらいの数には昇る。
さらに今晩、仮にフィットネスジムに寄るつもりで駅前の「松屋」の豚丼を夕食とすると・・・
丼が豚肉、玉ねぎ、ゴマ、白米、紅生姜(実は食べない)、味噌汁は味噌、ワカメ、油揚げで全部で8品だ。
なーんだ、生玉子やサラダを付ければ楽勝じゃないか!何か少し違うような気がするが・・・

ずっと前の職場の同僚は大学生のとき一人暮らしをしており、その友人は同様の生活で栄養の偏り、特に野菜が不足しないように毎日10種類以上の野菜成分を含む「野菜ジュース」を欠かさず飲んでいたら、糖尿病になりかけたそうだ。。。
「1日の野菜摂取量を一本で摂れる」という、うたい文句は魅力的だがホントにそうか疑問が残るし、とんだ副作用があったものだ。
たしかに飲みやすくするために相当糖分を使っているような味はする。子供の頃、朝ごはん時にたまに出てきた「ギューウウン」と野菜をすり下ろす機械があって(ジューサーミキサーではない)、リンゴやニンジンまでは何とかなるが、キャベツを下ろすと悲惨な味になり、セロリを入れると拷問かと思った記憶があるから。

話がかなりそれてしまったが、丼というのは何故か心躍るものだ。
当たり前と言えばそうだが、皿に盛った具と別々に食べるときと、丼にして食べるのでは全くと言ってよいほど味が異なる。
丼は特に具と白米を食べる配分が重要だ。息子甘辛などは具だけ先に食べて、ごはんを後から食べているなんていう、我が丼道からは外れた邪道食いだ。
やはり具と白米を交互に食し、それぞれの割合をキープしたまま最後にガバっとかっ込むのが丼道であろう。

そのために若干不自由なのは、牛丼屋が割り箸をやめて再使用可能な練り箸になってしまったこと。
箸の使い方はかなり上手なほうと自負する私でも、正面を向いたまま上品に食べるのは難しくなった。口から行ってよいのは最後にかっ込みだけ、とするのが我が丼道だがかなりつらくなった。女の人も結構大変なんではないか・・・
一部で見た親子丼のように、匙で食べたほうがきれいで食べやすいかもしれないな。

どんぶり業界にはこれからもがんばってもらいたいものだ。
(食った後使うハンカチは慌てていたのでうまく撮れませんでした。。。)

鶴のマーク

2010-01-21 22:03:30 | 出来事
たしか故チー坊のパパは「鶴のマークのおねえちゃんで世界の空をいっぱいにする」のが夢だった・・・
その鶴のマーク(今は違うヤツ)の会社はとうとう潰れてしまったが、おねえちゃん達はいったいどうなってしまうんだろうか。。。
これまたたしか「それでは、日航機によるハワイ旅行を目指して・・・」で第一問目が始まった「アップダウンクイズ」で見事10問正解すると昔のタラップがやってきてスチュワーデスがレイをかけてくれたはずだ。

昨日だが、日本航空が会社更生法を申請して破綻したというニュースを見た。
テレビっ子だった私は日本航空と言えば「スチュワーデス物語」と「アップダウンクイズ」なんだが、あまり飛行機の好きでない私もやはりこの歳になれば100回以上はフライトを経験し、圧倒的にJALが多い。
実は子供のときに最も憧れていたのはシンガポール航空だった。東京12チャンネルでやっていたあの夢のようなコマーシャル(歌も印象的だった)に洗脳されていたためだ。
仕事でチャンギ空港まで飛んだ時に念願かない、民族衣装のような制服のCAにもてなしを受けたが、「やっぱりJALかな」と思ったものだ。。。

初めて飛行機に乗ったのはスチュワーデス物語をやっていたあたりだと思う。北海道への旅行で、学生だった私が最初に座ったのは非常用脱出口の席だった。「緊急時には脱出を手伝ってもらう」とアナウンスされるあの席だ。
離着陸時にスチュワーデスは正面に後ろ向きに座ることになる。あれも目のやり場に困るんだよな。。。
あと数回、脱出口横の席になったことがあるが、3席並んでいるシートの真ん中で両側が「関取り」という冗談か悪夢のような局面で、思わず正面のCAに「申し訳ございません。本日は満席でございまして・・・」と深々と頭を下げられたことが一度だけある。

社会人になって仕事で国内線に搭乗するようになると、たまーに乗る場合は「ビジネスマン」っぽくて颯爽とした気分でいたが、週に2回も3回も使うようになるといい加減いやになってきて出張そのものから逃げ回るようになった。
フライト時間がたかが50分くらいで、最高地点まで気流が安定せずにどんなに時間が足りなそうでも必ず飲み物サービスを持ってくるプロ根性にはいつも感心していた。
ちなみに頼むのはいつも「スープ」。朝便はこれで家から持ち込んだ「おにぎり」を頬張ったものだ。
あのコンソメスープは初めのうちはあんまり人気がなく、コーヒー紅茶やジュースの人ばかりだったように思うが、途中で「うまい」ことに気付いたのか今では普通のスーパーでも売られているようだ。

国内線であればやはり窓際がよい。特に福岡に行くときだけは進行方向左側の翼を外した席を指定する。
たしか福岡行だったと思うのだが、富士山の真上に近いコースを飛び、すり鉢上の休火口を臨むことができ感動したことがあるからだ。
また、夜間に羽田に帰る便も夜景が美しく、コースによってはTDLの花火を見るときがあった。

父親が観覧車にすら乗れない人で、生涯飛行機などに乗らなかったので私も「成人」するまで飛行機に乗る機会はなかった。
ところが息子甘辛となるとその両親がとにかくどこへでも行きたがる人種であることもあり、初体験はなんと1歳!(当人には迷惑な話か?)
その後、わずか10年程度で国際線も含めて数十回にも及んでいる。彼に至ってはJAL以外は乗ったこともない。。。

何度も言うが育ちのよい「お坊っちゃま」では決してないが、味にうるさい彼はリゾッチャで出てきたディズニーの弁当箱に入ったキッズミールは食わず、最近では機内食すらあまり食わなくなった。
私はと言うと結構機内食は楽しみにしていたのだ。まあ、どちらかというと居酒屋のつまみのノリなんだが。
東海岸だったと思うがたった一度だけアップグレードして「ビジネスシート」で往復したことがある。

広々とした座席で食事がコースになっていて、ワインなどはグラスに注ぎに来てくれた。
このときは前の座席からテーブルを倒すのではなく、両サイドからテーブルを引き出し、前で合体させるスタイルだったのだ。
パーサーらしき人がご丁寧にその上に真白なテーブルクロスを敷いてくれて・・・オードブルからゴージャスなディナーの始まりだ。

いちいち注ぎに来てもらうのは悪いので「ボトルのまま置いてって下さい」と頼む私ににっこり笑ってコルク栓をとりに行く女性CA。。。
まったく快適な食事だったが、しばらくして極めてやばいことに気付いた。トイレに立てないのだ!
食前にビールを飲み、フルボトルワインをほぼ空けつつあった私は、そろそろトイレに立ちたくなる時期であった。
しかし目の前には様々な皿やグラスが並び、その下はテーブルクロス。。。エコノミーみたいにプレートごとひょいっと持ち上げてどけられないからどうにも立ち上がれない・・・

どうにも我慢ができなくなった私は、ついに料理の残る皿類を肘掛上の小物置き場へ移動し始めた。むろん全部は置ききれない。
反対側の空いた席の上にも色々乗せ、前のポケットにボトルとグラスを挟みこんでテーブルクロスを片手で持ち上げた。
最後にどこにも置けなかった大き目の皿を口に咥えて立ち上がった私を見て、さっきの女性CAはすっ跳んできた。。。
うーむ。カッコ悪し。。。食事どきにあまりたらふく飲むのはNGだね。

こういうときにもバカにして笑ったりせず、むろん怒りもせずにちゃんと手伝ってくれるのは、さすが教育が行き届いている。
我々にはCAというよりやっぱり「スチュワーデス」なんだが、その憧れの職業につくにはどんな試練があるのか、描かれていたのが「スチュワーデス物語」だ。
ちょうど初めて飛行機に乗ったのが、オンエアされていた頃だからなおさら記憶に強く残っている。

ハマるほど好きだったわけではないが、堀ちえみのドン臭い演技と、ホントはちゃんとした俳優のはずなのに自分もドン臭い演技ワールドにどっぷり入っちゃった風間杜夫、「鶴のマークのおねえちゃん・・・」の故石立鉄男、そして何よりもアレを見てから「必ず」歯で手袋を外す癖がついてしまった片平なぎさ。。。結構個性的だったよな。
ちょっと前に別の番組であの物語を振り返ってトークしていた片平なぎさは、迫真の演技のあまり「あの憎らしさ」から子供に石を投げられたそうだ。
「2時間ドラマの女王」が生まれた瞬間か・・・

昔から世話になった航空会社なだけに、ぜひ再建はがんばってほしい。
年に4回、欧米に出張したときはフライオン何とか言うマイレージとは違うポイントで、一番下だが「クリスタルカード」会員だったんだぜ。
成田の「さくらラウンジ」使い放題だったのに、一度も使わずに閉鎖とかしないでね。

私がいい具合にマイレージを貯め、3人分の無料航空券で毎年のように夏の家族旅行は海外だったんだ。(南の島だけど)
来月末は休暇をとって久々に計画してるんだけどだいじょぶなんだろか。。。
この機会に「初心に戻る」という意味で、ロゴを鶴のマークに戻したらどうだろか。

通過点

2010-01-19 22:17:29 | 少年サッカー
「サッカーでも何でも、続けている限りすべてのことは通過点に過ぎぬ」

先週、息子甘辛のチームは少年サッカー最後の大きな大会となる県大会ブロック予選を迎えた。
この学年から少年団トップのAチームとなり、1年間応援してきた我々にとっても総決算となる。
2年前の同じ時期の低学年の部ではスターともいえる選手を二人擁しながらまさかの初戦敗退。。。

その後学年が上がり、スター選手はJリーグジュニアチームに移ってしまい、戦力的はダウンが否めなかったが甘辛も含み選手達は頑張ってきた。
しかし好不調、気持ちのノリにムラが多く、厳しいメンバの招待杯に優勝してみたり、負けたことのない相手にコロリと負けてしまったり。。。
見ている者をとにかくハラハラさせる応援団泣かせのチームだったかもしれない。終了1分前に同点にされPK負けなんてのも何度も見てきた。

昨年の選手権から、くじ運にはかなり恵まれていたものの、最後までは活かしきれず、「いいところ」までしか行けないジレンマに陥っていた。
昨年の秋季リーグ戦や公式カップなどもインフルの影響もあり、なんとなく本来の大会と違う(例えば人数が足りないとか)コンディションで行われてきた。
そして正月明けの県大会、ブロック予選の相手を見て監督・指導者は正直青くなったらしい。。。

私はその名を知らなかったが、何でも近隣市内でナンバー2を誇る強豪だったらしいのだ。トップはもちろんJリーグのジュニアだ。
市内大会の決勝戦でもいい試合をし、トータル力ではJジュニアと互角に近いチーム力を持つらしい。
仮に勝ったとしても、2回戦から当たるチームも初戦ほどではないが、かなり強いチームなんだって。

県大会は約450チームがエリアと関係なく32ブロックに分かれて予選を戦い、ブロックで優勝すると中央大会に進出できる。
普段試合などしたこともない県下のチームと当たるケースが多いので、強豪といえども勝ち抜くのはかなり難しく、初日で涙を飲むチームが少なくない。
我がチームのブロックはかなり厳しいところで、状況を聞けば聞くほど深刻なようだ。


しかも会場になってしまっているから、なおさら始末が悪い。うっかり初戦敗退でもすると、翌週は応援する自チームがいないので会場設営を手伝うことになる。。。
当人たちはもちろんだが、応援団としてもこれほど虚しい経験はなかなかできまい。
少年サッカー最後の大会で、初戦敗退なんてのはかわいそうだが、半分のチームは1回戦で負けてグランドを去るのだし巡り合わせなのだから仕方がない。

現実的な私は自分のことなら、すぐさま切り替えてしまうのだが、他人だとなかなかそうはいかず、年末からどうもその初日を迎えるのが憂鬱だった。
「負けて悔いのない試合などない。とにかく『これ以上は練習できなかった』と思えるくらいやればあきらめもつくだろ」
インステップの酷使で踵を骨折に近い怪我をしてしまった甘辛と年末年始もできるだけボールを触った。

ドクターストップがかかっているのに、過剰な負荷をかけないように練習試合にも参加し、正月休み明けも日の出の前に朝連でタッチの確認だけはした。
指導者は休みの日は全部熱心に練習や試合にあててくれたが、どこか悲壮感も漂ってきた。
さすがの私も当日が近づくにつれて、ついつい「負ける」ことを意識したフォローっぽいことしか言えなくなってしまった。。。

「サッカーを続けている限り、どこかで『終わり』ということはない」
「どんなチームであろうと、世界一にまでいかない限り、どこかで必ず負ける。それが1回目か4回目かはあまり違いがない」
「次の試合のことは考えないほうがよい。最初の試合がすべてで次はないつもりでいろ。結果はともかく思い切りやれ」

なーんか矛盾してるなー。終わりはないと言ってみたり、次がないと言ってみたり。。。
唯一前日にゲンを担いだのは「ステーキ」に「カツ」とキットカットを用意したこと。
「まあ、健闘を祈る」という乾杯のためだった。

会場には低学年チーム・指導者もスタンドで応援してくれるし、「燃えろイレブン・・・」の団幕も掲げられる。
それらすべてがプレッシャーであり、可能性が高いと言われるだけに「負けた後」寂しそうに団幕を下ろすシーンが脳裏をよぎる。。。

さて、覚悟を決めた?初日、いきなり苦手の朝の第一試合だった。審判と間違うほど背の大きな選手を二人も擁する相手チームに、群がった小兵揃いの我がチームはなんと勝って見せたのだ!
はっきり言って次の試合があることなんか全然考えていなかった。(弁当も注文していなかったし・・・)
逆に相手はまさか初戦で敗退するとは思っていなかったろう。。。ベンチは優勝したようなお祭り状態だった。

大人のような選手をマークして、甘辛はその1試合でもう足が痛くて走れない。。。私は正直「あそこに勝てればもう悔いはないかな」という思いと、「もうひとつだけ勝って次につなげてほしい」という欲張りな思いが半々だった。
はっきり言って次の試合は「やられていた」が何かその日だけは「神のご加護」のようなものを感じた。なんとPK勝ち!

実は年が改まっても、勝利を願ってのお参りのようなことは一切していなかった。
どこで何を祈願してもどうにもならぬことがあると思っていたし、最後くらいは神頼みせず自力で頑張ってほしいこともあった。
ブロックでは次が準決勝なので中央大会進出するには、あと2回勝たねばならないのだが指導者は第1回祝勝会で盛り上がっていたようだ。

そして一昨日、初日よりははるかにリラックスして会場を設営し、駐車場で100円玉を拾ってなーんとなくいい予感がしていたら、準決勝は危なげなく勝利!
そこで低学年チームが一足早く、中央大会進出を決めたという吉報が舞い込んだ。
途中から「足の感覚が半分無くなっていた」という甘辛は肝心の決勝では、得意のインターセプトもできず全然ダメだったが、こうなるとホームチームの強さが出てスタンドからの大応援を得てエースが1点をもぎ取り、後半の長ーい20分ひたすら終了のホイッスルを待ち続け・・・とうとうその時を迎えた。。。

最後の最後でドラマチックにやってくれたものだ。今回限りは「よいこと」はあまり考えていなかった。。。
正月からの少ーし重苦しい気分が吹き飛ぶと同時に、今年はどうも自分に(当人ではなく「自分に」というのが図々しいか?)「風」が吹いているような気がしてきた。
中央大会の初戦はなんと、2年前低学年大会で1回戦負けしたチームだという。。。

ぜひリベンジして行けるところまで行ってほしいが、どこでどうなろうがやはり同じことを言う。
「サッカーでも何でも、続けている限りすべてのことは通過点に過ぎぬ」
しかし今度は「負けた後」のフォローではなく、ホントに次の世界につなげる気持ちでこの言葉を放つことだろう。

おめでとう。

臀肉の嘆

2010-01-15 06:47:26 | 出来事
三国志の格調高い故事とはかけ離れた痛恨事。。。
毎年一度は人間ドックに行くようになってから、週に2、3日は休肝日というものを設けていた。たいてい会社帰りにフィットネスクラブに寄る日が多い。
つい先日に行った人間ドックでは、終わりに予定されている保健師の問診・指導が省略可能と言われるほどの完全体を誇ったが、2週間ほどしてやってきた正式結果通知にはちょこちょこと要注意項目が挙げられていた。

「ドカン!」と足で蹴る筋力測定が無くなり、全身持久力の結果だけであったが結果は良好、「体力満々スポーツマン型」という栄えあるゾーンに★があった。
しかしコメントは微妙で「この体力を維持するために、週3~6日は運動を継続しましょう!」うーむ。週6日だと?。。。
仕事でさえ普通週5日しかないのに、ボディビルダーじゃあるまいし、そこまで磨き上げるつもり全然ないんだけど・・・

勤め先ではノー残業を推奨する曜日が通常は週2日あるので、そのときを運動する日とすることが多い。
波乗りのシーズン(だいたい1年の4分の3)は土日や平日も朝早く海に行くときもあるから、その運動頻度は週5日くらいになることはある。
しかし、先日の成人の日3連休前半は、穏やかに暖かく風もなかったので、なんといつもより3か月も早い「初乗り」ができたのだが、さすがに我が地方でもこの時期に海に入るのは「無謀なヤツ」となってしまうのだ。

昨年末のクリスマス以来、別に来客やお呼ばれが多かったわけでもないのに、普段よりもずいぶん酒量が多かったように思う。
その影響で正月仕事初めの週は身体(特に内蔵)がストライキを主張し、酒も飲まなければ運動もしなかった。。。
その禁酒明け3連休は息子甘辛の最後の県大会ということもあり、合戦前の祝いの酒やら勝利の杯やら、特に本人とは関係なく一人で盛り上がってしまい、連休明けも新年会でスパークする羽目となった。

「週3~6日の運動」というコメントに思い切り呪縛を受けていた私は、半月以上もサボっていることに焦りに焦っていた。
この期間、初乗りはできたし息子と調整の親子練習をやっていたので、まるきりの石像だったわけではないが。。。
昨日はかなり久しぶりにフィットネスクラブに寄った。年末年始と3連休の疲れもあって、あまり厳しいことはやめておこうと思い、「ジョーバデー」にしようと考えたのだ。

暴飲暴食で気になるのはやはりお腹の周りだ。測定すると周囲85cmだからジャストメタボ門をくぐろうとしちゃっている。。。
今日は走ったり、筋力を使うとたぶんへばるから、内蔵脂肪に集中してトレーニングやるべし!
エアロバイクや筋トレマシンはいつもの半分にして、1回15分のジョーバを3回連続、ひたすらくねくねうごめいた。

普段はあまり効いた気がしないのだが、ジョーバをやるようになってから「波待ち」(沖でサーフボードに跨ってプカプカ浮いている状態)のときの転覆が少なくなった。
あの何とも言えないくねくね運動が内蔵脂肪を減らす効果と波で上下しても安定して跨っていられる筋肉バランスを育んだんだろう。
しかし、3回連続45分ともなるとさすがに侮れない。内蔵周りもそうだが、支えている内腿あたりが結構パンパンに張って来る。

爽快に汗を流すようなものではないが、ずずーんと内蔵と腰回りに効き、結構な運動量になったと思う。
昔、試して1週間ほど妙な腹痛に悩まされたEMSという電気刺激で筋肉を揺り動かすものに少し似ている。
その後、軽く汗を流して1時間半ほどでマシン室を出てロッカーに戻り、サウナ&浴室に向かった。

年末年始は風呂に入りに来たようなで、しばらくマシンジムからは離れていたので、腹の周りに肉がついたような気がするな。しかし体重はそれほど変わっていない。
サウナで久々に汗を流して新陳代謝力を復活させなければ。。。
まずかけ湯をして、浴槽に浸かった瞬間、尻から脳天を突き抜けるような激痛が走った!

「目玉が飛び出る痛さ」とはこういうときに使うのだろうか?浴槽にピラニアでもいるのかと思った。。。
「痔にでも発症してしまったか?!」とも思ったが、最初の激痛が和らいで冷静になるとどうも尾てい骨の上あたりだ。
そーと指を這わせてみると、どうも臀部の皮膚がすり剥けてしまってるらしい。どこがどうなってるのかさっぱりわからぬ。

何せ、人間の部位では最も見えにくいところだ。上海雑技団ならともかくどのようにアクロバティックな体位になってみても全然見えぬ。(他の客もいるので、そもそも変な格好はできないのだが。。。)
家に帰って洗面所の鏡に映しても見えない。手鏡を両手に持って、反射に反射を重ねてようやく赤らんでいるところが見えた。まったくこんな珍奇な光景とても人には見せられぬ。
なぜこのようなことになったのか?!おそらくジョーバのやりすぎであろう。数十キロの体重が尻のほぼ一点に集中し、45分間もくねくね動き続ければ尻の皮も剥けるということか・・・

単純な擦過傷の痛みだったが、座るだけでかなりの痛みが走りこれには結構悩まされた。
息子甘辛との朝連を再開したが、走ったり蹴ったりする分にはどうってことはない。椅子に座って体重をかけるとじっとしてられないほど痛む。
手鏡の2重反射方式で患部を確認しバンドエイドを貼ってあるんだが、あんまり効果がないようだ。

今日一日職場の自席では胡坐をかいたり、正座をしたりしてしのぐことになってしまった。
見っとも無いし周りから見れば行儀悪いことこの上ないが、真ん中が空いているドーナツ型のクッションでもないことにはとても耐えられぬ。
文句を言う奴など誰もいないが、何か言いたげな人はいた。「尻の皮が剥けて痛くて座れない」とは言えないからなー。

劉備玄徳の髀肉の嘆ならぬ「臀肉の嘆」とは、故事ならず痛恨事だ。。。

ジョーバのやりすぎで剥けた尻の皮膚とかけて、「民主党はウソつきだ!」という支持者ととく。そのココロは・・・「コウヤクはきかないことになっている」。。。

成人の日

2010-01-13 00:45:19 | 出来事
「初めての成人式で緊張してますが・・・」と長嶋さん張りに言ったかどうか定かではないが、我々の成人式の後は「つぼ八」に流れ込み、地元同級生の乾杯音頭で店内全員のお客さんがお祝いしてくれたのを覚えている。
実家から通学する大学生だった私は、円楽師匠が独演会を催した地元公民館で、地方に行ったり音信不通になっている旧友に会えるのを楽しみにしていたが、バブル期のはしりで仕事に遊びに熱にうなされていたあの時期は、「成人式」のために帰郷するヤツなどあまりおらず、いつものメンバーで酒を飲むくらいだった。
やはり久しぶりに会う女子の晴れ姿を最も期待していたのだが、数えるくらいにしか再会できなかったのが寂しい思い出だ。

学生だった私はスーツなど持っているはずもなく、ジャケットにスラックスという何の変哲もないスタイルだったと思う。
我ながら「エライ」と思うのは、そのジャケットを20年以上たった今でもちゃんと着ていることだ。正確に言うと15年前に一旦着れなくなったが、鉄の意志による徹底した運動療法によって着られるように無理やりした。
トレーニングによって胸板が厚くなった分だけ少し着心地が悪いが、なんと我が社のHPに載っている私は「成人式」で来たジャケットそのものを身に付けているのだ。
ちなみにスラックスは惜しくも台風時の大怪我でダメにしてしまった。。。

息子がウルトラ戦士を覚えるようになってからは、1月の3連休には熊本県の荒尾というところにある「ウルトラマンランド」というところに数回行った。
むろんそれにかこつけた九州旅行という意味もあるのだが、そこでは年に1回その日だけ「星人の日」ということで、普段見られない宇宙人が夢の勢ぞろいする。
息子甘辛は閉園の後、横浜ドリームランドでもやった「しぇぶぅーうーん」を石川さゆりの天城越えばりにやらかし、セブンとマンはバスが荒尾行バスが出発して見えなくなるまで手を振ってくれていた。

さらにその数年前には4日の新年会で冷酒を飲み過ぎて自転車で転倒し、骨折!そのまま一ヶ月入院しているところであった。
准看護師見習いの女の子が晴れ着で挨拶に来てくれた。普段は同じブルーの制服しか見ていないから見違えるようだった。
「写真を撮りましょう」と声をかけてくれたとき、私は足にギブスをしてテレビを見ていたが、彼女らの輝かしい門出の日に、「なんでオレだけ『八甲田山』見てるんだ?」と限りなく虚しかったものだ。

さて、当人とせいぜいその親以外には何の関係もない「成人の日」だが、毎年芸能人と暴れるヤツは必ずテレビで取り上げられ、今朝もズームインでやっていた。
壇上に上がって騒ぐやつ、街なかを練り歩くやつ。。。毎年同じようなところが写るから、故郷に持つ人はそれは恥ずかしい思いをしてるだろな。
マスコミが特別なところばかり、面白おかしく騒ぎ立てるだけでちゃんとした成人達が圧倒的なんだろうが。
バカ騒ぎして悪さをすればちゃーんと逮捕してもらえ、ご丁寧に名前と顔が新聞に(正しくは満20歳以上?)出るんだから、まさしく「成人を実感する」こととなり本望なんじゃないか?

それにしてもよく思うのだが、「成人」と「社会人」というのは微妙だ。
「はたち」が成人で、選挙権がもらえ、酒を飲める代わりに年金を払い、悪いことをすると罪が重い。やばし!知識薄がバレバレだ。
「社会人」は一般的に職業を持つ人?収入があって税金を払っている人あたりか?高校卒業して会社に就職する人はまず「社会人」と呼ぶだろうが、幼い与六を社会人と呼ぶかは微妙だな。

「何歳をもって成人とすべきか?」ネットで見ると、結構色々な意見を見ることができる。
18歳に引き下げるべきだという議論はあちこちでされているし、成人試験を設けるべきという意見もある。
心身的な成長には人それぞれに違いはあるし、「働くこと」についてのシチュエーションも違う。15歳で兄弟を養っている人もいれば、45歳で何もせずに遊んでいる人もいるから簡単な話ではあるまい。

私は?と言うと、はるか20年以上前に「今日から」と言われてしまった者は、何歳が成人かなんてほとんどどうでもよいのである。
18?25?その他?まあ・・・キリのいいところで20歳でいいんじゃないの?ってなところだ。(身もふたもないか・・・)
一つ思うのは平均寿命が80歳として、その4分の1が過ぎたところで「成・・・」と呼ぶのは生物学的には珍しいんじゃないかということ。

クリスマスパーティに招いてくれた仲良しのお友達の家に「へんないきもの」という本があった。
続編だったようだが、それのトップバッターは「ツチボタル」というものだった。(別の機会に紹介予定)
幼虫時代に華麗な「玉スダレ」によって羽虫を誘き寄せ、これを食って旺盛に生き続けた彼らは、蛹を経ると消化器官はおろか口さえ持たない、交尾して卵さえ産めば用済みの、わずか3日で命を閉じる、はかない成虫へとなり果てる。
この成虫は幼虫の獲物にさえもなる。

高等動物ほどそういうことはないのだろうが・・・オーストラリアの洞窟に生息するというこの「ツチボタル」がもし昨日のニュースをテレビで見ていたら。。。

「おい、『人間』という虫は20年で成虫になるんだそうだ。しかしその後60年も生きるみたいだぜ。そんなに長いこと一体成虫は何やってんだべか?」

この問いにちゃんと答えられるのが「成人」というところかな。。。


年のテーマ

2010-01-10 18:14:37 | ヒーロー
毎年恒例でもなんでもないが、半世紀近く生きてきて今年はある「テーマ」が妙な存在感をもって光っている。
来年、このようなことがあるかもわからないが、今年のテーマは・・・

「ひょんなことを活かす」

年のテーマと意気込む割には何か拍子抜けしそうなものなんだが。。。
昨年は近年まれに見るほど、色々なものと出会った年であった。書籍や音楽、映像やその他趣味の世界に加え、それこそ「哲学」と言えるような学問的な事柄や、その辺にいる「鳥」や「魚」、風景なんてものにも新鮮に興味が持てた。
このサイトで記事を書くようになって、センシティビティが高くなったのもそうなんだが・・・

しかし思い返すとこれら新鮮な出会いはすべて「ひょんなこと」から始まっている。
昨年のマイブームを起こした「学びの発動」byU先生も単なる社内機関紙の巻末に記事が載ったのを紹介してもらったことからだし、ナツドク他読んだ書籍のほぼ全てが自ら選んだものではなく「ひょんなこと」をきっかけに選んだものばかりだ。
ウルトラサイダーを知ったのも(これは因果関係ありか・・・)たまたま全然違うニュースからだし、モーツアルト熱は図書館で時間つぶしに読んだマンガ「コブラ」から来ている。

さらにこれまで自分に起こったイベントを中年らしく思い出すと、すべからく「ひょんなこと」から始まっていることばかりなのに気付いた。
サーフィンを始めたのは隣のおばさんのニッコリ笑ったウェット姿を見て雷に打たれた結果だし、ずっと西方にいらっしゃるスーパーグルメ主婦さんがこのしょぼいサイトを訪れて下さるようになったのも、それこそ天文学的確率の「ひょんなこと」である。
そもそも自分日記を始めたこと自体がおおいに「ひょんなこと」なのである。

さらにさらに遡って自分の転機を思い返せば、大学選びもその先の進学、会社選びも「ひょんなこと」だし、海外旅行/出張はたまた留学、そして自分たちの家を建てようという気になったのも押しなべてきっかけは「ひょんなこと」である。
あらゆることが「ひょんなこと」から始まるというのはほぼ法則と言ってもよい。

私は「よい1年、よくない1年」という評価のしかたはあまりせずに、エキサイティングだったかどうかを物差しとすることが多いが、年の功かこの「ひょんなこと」さえ見逃さずにおればかなり退屈しない年が過ごせそうだ。
去年「これって『ドッキリ』だよね?」とやっていたフレーズが、今年は「これって『ひょんなこと』だよね?」と変わるであろう。。。
何か普段とちょっとでも違うことが起きると「これはもしかして私にとって『ひょんなことか?』」と自問自答することとする。

1年のテーマとしては類似品としてありそうなフレーズが次のように多々あると思われるが、似ていて非なるものが多い。

「チャンスをつかむ」・・・これは根本的に違う。リラックス、自然体、バランス、休みなどと言った言葉が装飾として背後に散りばめられる今年のテーマはこのように肩に力の入った向上心丸出しのものではない。

「出会いを大事に」・・・・これも似ているが違う。人や物と出会うのは何かの因果があった結果であって、今年のテーマはその前段に先駆的に横たわるものだからである。

「塞翁が馬」・・・・・・・・・かなりいいセンスしてるが(自分に言ってどうすんねん!)やはり違う。運命は予想することができないというあきらめムードでもなく、きっかけを意識しているからである。

「好奇心旺盛」・・・・・年の割にはそうありたいと思うがやはり違う。自分にとって「奇なるもの」を積極的に「好む」わけではないからである。この言葉から冒険心や起業精神などと言った拡大再生産期のギラギラしたエキスを取り除くと近いかも。。。

「アンテナを高く」・・・・信号をキャッチする、と言う意味では割りと近い。しかし「目をサラのようにして」常に最高感度で受信する準備をしているわけではなく、「些細なことがたまたま響く」ってな感じなので省エネな分だけ違う。

まあ、自分でも何を言っているのかわからなくなってきたが、今年のテーマの持つ意味はこんなところだ。
ただし種蒔きやコマセはなるべく面倒くさがらずに行い、あまり実利や合理的かどうかは考えないことにする。
また、「こうなるといいな」と思うことを「予言」しておくと結構、呪縛のようなパワーを発揮するのでいくつか挙げておくとしよう。

今年は「ひょんなこと」がきっかけで・・・

「テレビの仕事をする」 「秘密基地を建設する」 「新たな趣味にハマる」


2010という響き

2010-01-06 05:32:20 | 出来事
先日、仕事始めでプレゼンテーションルームに集められ、会社の各幹部から念頭の挨拶があった。
始業式の「校長先生のお話」のように整列した我々の前で、新年の抱負を述べるものだ。
時間には間に合ったが、少し皆より遅れて会場に着いた私は当然の報いのようにど真ん中先頭列に立たされた。体操の体系になる前の「基準」となるポジションである。

別に何かしゃべる訳ではないから、立ってりゃあいいんだが、どうも目のやり場に困ったものだ。
むろんセクシーなシーンなどある訳もないが、正直どうでもよい話に対して、そっぽを向くわけにもいかないし、かと言って真剣な眼差しを送るほど仕事熱心でもないし。。。
いちいち肯くほど忠誠心もないし、目を合わせると怖い人多いし・・・こういうときどこを見ていればよいのだろう。

壇の後ろのプレゼン用スクリーンには「2010年 年頭のご挨拶」と大きく映っていた。
結局私は約30分の間、このスクリーンに映った文字をずーっと見ていたのだった。特に目を惹かれたのが「2010」という文字だ。
子供の頃、2010年なんて思いっきり未来の世界だった。「2001年宇宙の旅」の続きの映画がたしか「2010年」だったはずだ。

ちょっと前になるが、朝の特集で「50年前に予測されて、実現したこと、できなかったこと」をやっていた。
私達がほんの子供だった1960年代の少し前ということになる。科学技術庁の「21世紀の階段」とかいう特集だったと思う。
こちらのほうは真面目に科学技術の進歩について予測されており、たしか今ではほとんどが実現または実験段階で成功した例もあるレベルにはなっているようだ。

子供であった私達が「特撮」として未来ではなく当時の設定として受け入れていた身近な技術はウルトラセブンに出てきた「ビデオシーバー」が有名だ。
時計のように腕にセットし、小さな蓋をパチっと開けると裏側がモニターになっていて、今で言うテレビ通話ができるというものだ。
ウルトラ警備隊の超兵器や宇宙ステーションV3も「未来ではなく当時のフィクション」だったのがミソだ。
たぶん当時の我々子供たちは「2010年」と言ったら、キングギドラによって地球を征服しようとしたX星人みたいなスタイルで(男性は皆、黒サングラス)、スーパージェッターの「流星号」みたいなマイカーで移動している絵を描いたものだ。

とにかく「2010」という響きは未来という響きだった。まさかこんな所で突っ立って新年の挨拶を聞いているとは想像だにしなかった。
タイムマシンや瞬間物質移動のような実現不可能とされているものもあれば、クローンなどは遠くないうちに人間でもできそうな気がする。
この際だから2001年、2010年、2061年宇宙の旅シリーズを3本立てで見てみようか・・・

実は映画をちゃんと見たことがないのだが、2001年は木星探査を有人で行っていた。2010年は木星の衛星に生命がおり、人間がエネルギー生命体になっていた。2061年にはハレー彗星観光ツアーがあったはずだ。
今から50年後、宇宙旅行くらいは身近にあってもおかしくないとは思う。
しかし予想を修正して50年後、100年後にX星人のスタイルをして反重力カーで通勤しているかというと、たぶん逆じゃないかと最近思い始めた。

数十年後の子孫を慮って、環境だ温暖化対策だというのは自然を大事にすることであり、併存する道もなくはないけれど、一言で言えば経済活動を縮小することだと思うからだ。
銀河鉄道999に出てくるような超近代化都市よりも、散歩すれば枝つきのみかんやカワセミが見られ(未だ遭遇できず)、テトラからちょっと釣り糸を垂らせば正月用の寒グレがわんさか釣れる環境が残って欲しい。
我が家の真横を通る結構大きな河川もちょっと上流の工場の近くで異臭っぽいものもあったのだが、魚の数や白い大きな鳥も増え、最近では休日に太公望を決めこむ人も結構見られる。(まだ食べる気にはならないので私はやらないが)

人口が自然に減り、市場が成熟しパイが息詰まるところでは、テクノロジーや人的資源を水産業や農業に注ぐべきだ。
たぶんカテゴリーから言うと第三次産業である我が社では本格的にエコ活動を推進することにしている。面白いのはこの活動には2面性があるとハナっからうそぶいていること。
ひとつは「情報システムをうまく使ってコミュニケーションを推進させれば移動しなくてすむ=省エネ、CO2削減」
もうひとつは「しかしこれらのシステムをフル稼働させると電気を食い、CO2放出を増長してしまうから数を減らすべし」
我が社に限った話ではないが、環境の話は「しばらく仕事しないで休め」ということなんじゃないか。。。

子供の頃、X星人のスタイルをして未来都市を飛び回ると夢想していた2010年1月の食卓は上の「写真」のようなものだ。
ちょっと箸をつけてしまったが薄造りのようなのが寒グレ、その真ん中がホタテ、右上がマグロの赤身&中トロ、左上が富山産バイ貝、左下は初めてアンコウ鍋が登場し畳の上でスウェットパンツで魚料理を囲む。
この地味な料理どれをとっても、たとえ100年かかっても人工では作れないものには間違いない。
今さら電気のない生活をするのは厳しいが、自家用車が空を飛べるのと庭に植えた木がみかんを実らせるのとどっちを選ぶ?と気かれたら、家族全員が0.1秒で「みかん」と答えるのは明らかだ。

正月の過ごし方

2010-01-03 19:54:27 | 出来事
2010年がスタートした。
皆様は正月三が日をどのようにお過ごしになっただろうか。。。
我が家はいつもとあまり変わらず、茅ケ崎の実家へ一人住む母親とともに過ごすことになる。

年末に釣ってきた寒グレをきれいに並べ、母の実家富山から送られてきた「かぶら寿司」「昆布ジメ」「バイ貝」、おばあさんがちょっと強引だが味と値段はGOODな魚屋から買ってきた、「マグロ赤身&中トロ」「イクラ」「ホタテ」あたりを並べて何のことははない、地味なご馳走でひたすら飲む。
息子甘辛は少年サッカー最後の年だが、踵の後ろの三角なんとか骨症候群という、スポーツのやり過ぎにありがちな故障を抱えてしまったが、県大会を控え大晦日から元旦、二日も近所のグランドで負担をかけない程度に親子練習だ。(今年が最後かな・・・)

元旦の午後は息子が幼稚園の頃から続けている、新春麻雀大会を繰り広げる。
今年は妻が二日から仕事、三日にはもうサッカーチームの初蹴りだから、そーんなにゆっくりできるわけではない。。。
それでも元旦は1年で唯一「午前から酒を飲む日」なのだ。(誰だ?信じてないのは・・・)

「爆笑ヒットパレード」を筆頭に「新春!なんとか」とか「初笑い東西・・」なーんてヤツを延々と見ている、なんて変哲もない正月だが少ーしずつ変わってきた気がする。。。
「笑う門には福来たる」やはり正月はお笑いだし、いつも見ているレッドカーペットも芸人も大好きなのだが、なぜかごく少数しか覚えられない。。。
実は毎年楽しみにしていた、「正月にしかテレビで見られない」、むかーしからの伝統芸や漫才・落語が今年は少なかったのがイマイチ寂しかった。

実家では「世界遺産」の番組を見たい、という母の好みでなんと我が家で縁のない「BS」を見ることができる。
元日はNHK衛星第二で「オールスター昭和なつかし亭」をずーっと見ることになった。
円楽、三平、志ん生など不滅の師匠や、「グリコがっちり買いましょう」のいとしこいし師匠の漫才に初痺れしていた。

「新春かくし芸大会」はとうとう終わってしまった。アイドルやそのときしか出てこないミスターかくし芸とか、歴史を物語る番組だった。
昔の映像をシリーズ化するだけでもかなり引っ張れるんじゃないか?昨日の「総集編?」ではハナ肇の銅像が出ていなかったな。あと知ってる人はいるだろうか、白黒の無声映画で研ナオコと井上順が主役だった恋愛モノはマジで泣けた。。。

二日は箱根駅伝往路を見る。どちらかと言うと、飲みながらの麻雀や正月ゲームのBGMに近いのだが、夕方は昔なら逸見アナが司会をやっていた「たけし・さんま・タモリのゴルフ」とか必ず見ていたな。
今年はやはりBSで桂枝雀師匠の特集をずーっと見ていた。

この正月二日を過ごして、感じたのはやはり何十年も磨いてきたワザというのは、ハンパなくものすごいということ。。。
歳をとると「笑い」にも値打ちモノを求めるようになるのだろうか・・・レッドカーペットもとんねるずのスポーツ王も面白いのだが、なぜか落語を見るととホッとしたものだ。
「お笑い」のはずなのに、「ちゃっきり娘」のアコーディオンの人が脳溢血で倒れてしまい、復帰したときの舞台には涙が止まらなかった。いとしこいしの弟である喜味こいし師匠が亡き兄と上った漫才のVTRを見て涙するのを見ても泣けてきた。。。

時代の流れだろうから悪くはないのだろうが、「何十年も続く芸」というのはこれから出にくくなるんだろな。
ギリギリでも知ってる我々には実に寂しいことだ。。。
かく言う私もテレ東の10時間番組を延々と見ているときもあったし、そもそも正月、家で過ごすなんて時間の無駄だと思っているときもあった。

今日3日は息子甘辛のサッカー少年団の初蹴りの日だ。グランドで皆で挨拶し、準備運動をした後で親子サッカー、そして駅伝コースの沿道にあるため11時頃は駅伝選手の大応援だ。
地元にいながら箱根駅伝を生で応援するのはわずか4回目、来年は息子が卒団してしまうから見に来るかどうかわからない。。。
選手には箱根駅伝に出場している大学を母校とするパパも結構いて、熱い声援を贈っていた。こういうことのない私には実に羨ましい・・・

子供達は皆、走ってくる選手全員に無邪気に熱い声援を贈っていた。
私の前に乗り出していたブルマン名入りのピステを来た女子大生が、声を枯らして「●●さん!ガンバですよー!まだいけます!」と叫んでいた。
でも走っていたのはK澤大学・・・私はすかさずトントンと肩をつついて

「ねえ。。。君はブルマンなのにK澤応援すんの?」

「同じ区間を走る選手は皆応援することにしてるんです!」

その女性がものすごく輝いて見えた。。。なるほどこれが若さか!これが箱根か!
関東地方の大学しか出られないというのもどうかと思うし、もしかして盛り上がってんのこの辺の人達だけ?と思いながら正月の風物詩にはなってるよな。
ちょっと前、息子甘辛と近くの公園で朝連やってるときに、バードゴルフをやっていた80近いお年寄りに声をかけられた。

きさくにお話をさせてもらったが、なんとその老人!箱根駅伝に4回連続出場したそうだ。。。しかも復路第6区だって。
山の神か?(降りるときは言わないらしいが)ハンパねえ!(会長じゃないよ・・)
正月しか見られない古典芸能に改めて感心し、母校でもない箱根駅伝出場選手に(徳光さんのように)声を枯らし、それでも爆笑ヒットパレードとかくし芸ははずさない・・・

正しい正月の過ごし方について皆と議論したいものだ。
今年のテーマについては、ほぼ決まっている。昨年の恵みを活かしたものだ。。。
年末ジャンボは300円しか当たらなかった。私は常に息子や妻に言っている。「宝くじを買うのは、外れて幸せを確認するためだ」と。
3億円当たったら・・・黙って平穏に家族と一緒に生きる自信がないからだ。。。

本年も皆様に素敵なことがありますように。

超兵器をどうぞよろしくお願いします。