超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

魚貝と親しむ半日

2012-10-28 19:34:30 | 出来事
お出かけ日和だったが、先週に比べると少し霞みの多い1日だった。いつものように母と早朝温泉に出掛け(いつも妻子は寝ている時間)や後、少し時間があったので伊勢原の方にある相模三ノ宮、比々多神社へ参ることにした。朝風呂の後、ちょっとドライブがてらそこらの神社へ詣でることも多いのである。竜泉寺からは車で30分くらい、少しわかりにく場所だがいくつかの名所を訪ねるハイキングコースになっているほど落ち着いた田舎である。県指定の巨大な杉がそびえる中々のパワ-スポットであることがわかる。帰りに弘法山公園という所に寄って行きたかったのだが、入り口がよく分からずにまたの機会にすることにして帰宅した。

    

甘辛はそろそろ受験モードになっているようで、午後から塾で模試の準備だという。帰りの134号から見えた海岸線では驚くほど波がなく湖面のようだった。さしものサーファもあれでは「浮かんでいる」に過ぎず、数もあまり見られない。「ロブスター半額券が今月一杯だよ」と妻が言うので、息子とは塾が終わり次第合流することにした。南の島プチ旅行で「しばらくエビはいいや・・・」と言っていたのだが、1匹数千円もするロブスターを半額で食える機会などもうないかも知れないからなー。我々はウォーキングがてら新江ノ島水族館へ行ってみることにした。いつもの海岸コースを江ノ島に向かって歩き出したが、何十年もこの辺で暮らしている私にとっても滅多にないくらいに波がない。。。見られるのはビーチガードの訓練くらいのものだ。

  

水族館に着くともう4時前だ。閉館まで1時間しかないがこういう時は「年間パスポート」が役に立つ。もう十分元は取っている我が家の必須アイテムである。入り口の先にいきなり「アド街」の「薬丸じるしの新名物」になりそうなベタなアイテムが・・・行くたびに少しずつ色々な特集を組んでいるようだが、今は「古代からの水生物」のようだ。生物は海から生まれたというからな。久々に「生きた化石」と言われるカブトガニやオウム貝を見た。三葉虫の化石はかなりベタな姿をしているが「ホンモノ」らしい。深海の世界やそこに住む生物など興味深い展示がたくさんあったが、時間がないのでどんどん歩き進んだ。

              

大水槽を悠々と泳ぐ相模湾の魚たちは何度見ても飽きないが、超兵器を片手に今回の撮影テーマは「正面から見た魚の顔」。大抵は横から見る姿なのだが、正面から見るといつもとは違った表情が見られるような気がしたからだ。小さな水槽でレンズを向けていたのだが、これが結構難しい。あんまり動きの速くない魚でさえ、正面にまっすぐ向かってくれることは中々ないのである。ピントもあんまり合わないし何故かシャッターが押せない時もあるしかなり苦戦した。(これは研究が必要だ)

          

フグやカサゴ、ハゼの仲間や怖い顔をしたでかい魚などあまり動かない魚やホバリングできる魚しか被写体になれない。しかし確かに真正面から見ると魚って面白い顔をしている。考えてみたら、身体の両サイドに目がついていたら「前」ってどういう風に見えるのだろう。。。
実はウツボやカレイなど面白そうな魚で粘ってみたのだが、どうしても正面から撮ることはできなかった。最後の水槽には(名前を見るのを忘れてしまったが)「この魚は目が前についているので、『じーっと』見つめてくるときがあります」と書いてあった。面白い顔をしているな。

            


人気の「クラゲコーナー」にはたくさんのカップルがいて、スマホを向けて一緒に記念撮影していた。海上にいることの多い私には厄介な存在でしかないが、こうして水槽の向こうに見ると実に神秘的で、妻に言わせるとこのコーナーを考え出した人はすごい、ということだ。
30分近くすいすい歩いているとアナウンスが入り、相模湾大水槽の前でその日最後のショーが開催されるという。先日見た「うおゴコロ」というショーはダイバーが大水槽に潜って仲良しの魚を連れてくるというものだったが、今回は「フィンズ」というネームだった。時間が来るとおにいさんが出てきて、「自分だけのお気に入りの魚の表情を見てみましょう」とアナウンスした。ダイバーが水中カメラを持って「魚の目」になって水槽の中を魚と一緒に泳ぎ回り、好きな魚に接近してどアップの映像をスクリーンに映し出してくれるショーなのだ。

          

最初の映像は「ホンソメワケベラ」、大きな魚のカラダや口の中にある微細なゴミなどをエサにして「掃除」してくれるそうなのだ。その次が何とかいう魚・・・後ろに白く見えるのは卵で、周囲を泳いで卵を守っているのだそうだ。時々尾びれで卵をひらひら揺する仕草を見せるが、卵に新鮮な海水を行きわたらせているそうだ。場内の子供から「エイ」「イワシ」などと色々リクエストがあってその度に水中カメラをもって追いかけ、その水の中の姿をすごくくっきりスクリーンに映し出した。「中々粋な企画だねえ」妻と感心して眺めていた。たぶん出てくるとは思ったが最後のリクエストは「ウツボ」だった。中央の底に横たわる大きな2匹の真正面からどアップ映像に会場は湧き上がった。普段恐ろしい顔をしているが、正面から見ると結構愛嬌のある表情をしているぞ。セサミストリートの「アーニー」に似ているなー。
ショーが終わり、うろうろ歩いていると閉館の時間になったので出口に向かった。

その後、周辺で時間をつぶし、近くのレッドロブスターで塾帰りの甘辛と合流した。オウム貝やずばりアメリカザリガニなどを見てしまった後で、何となく複雑な気がしたが元々半額券を使いにきたのだから、スチームロブスターを注文した。店では調理するロブスターを水槽から取り出し、わざわざ見せてくれるのだ。ちょっとすごい色をしているが、スチームすると真っ赤になって熱々状態で出てくる。係の人が専用の挟みで解体?してくれ、がっつり頬張るのである。
3本目の白ワインを注文し「魚貝と親しんだ」半日を終えたのである。

          

湘南平

2012-10-25 21:35:46 | 旅行お出かけ
週末の早朝、いつもの通り母を迎えに行って竜泉寺に向かった。この建物は天然温泉のスーパー銭湯にしては珍しく上層階(4F)に入浴施設があり、1〜3Fは駐車場になっている。これから寒くなると真っ暗になっていくのだが、朝は6時から営業しており、9時までは「朝風呂タイム」ということで割安になっている。私は家族一朝が早いから、7時前には来場し母と朝ご飯をどこかで摂って帰るのが普通だ。平日の澱んだ疲れが消え、長く充実した週末を過ごすことができる。4Fには屋内外に様々な風呂がある。そのうち「座湯」という風呂は文字通り石製の椅子に腰掛けて背中を流れるお湯と足元のお湯に浸かって外の景色を楽しむようになっている。西向きなので遠くは富士山、箱根の山なども見られる。冬の朝の富士山はそれは見事なものだ。

大磯方面なのだが、だいぶ手前にいくつかの小さな山が点在し、目印のテレビ塔が見える。小さい頃、遠足と言えば必ず決まっていた「湘南平」である。公園は正しくは「高麗山公園」というらしい。幼稚園や小学低学年のバス遠足は大抵ここだったし、昔あった「子供会」のハイキングでは大磯駅から歩いた記憶がある。シンボルのテレビ塔以外に何があるわけでもないのだが、広々とした公園でよく「ドロ警」(ドロ巡とも言う。追う方(警察)と追われる方(ドロボウ)に分かれるテレビの「逃亡者」みたいなものである)で集合時間までずーっと遊んでいた。その日は何となく霞んでいたが雲のない天気のよい日だったので、久々に竜泉寺の帰りに母を連れて湘南平まで車を走らせることにした。橋を渡ってわずか15分程度の道のりである。

134号線を花水川で右折し川に沿って行くとどちらかと言って海側とは反対側からかなり傾斜の急な坂道を登ることになる。一番てっぺんまで行くと駐車場があるが、狭くて台数を置くことができない。私は記憶を辿りながら(看板を注意深く見て)車を進めた。遠足以来、次にこの公園に訪れたのは初めて普通免許を取得した時のドライブだった。最初乗っていたのは叔父が廃車にするところを頼み込んでもらってきた「カローラ30」という1300ccのマニュアル車で「ボローラ」とも冷やかされた年代モノだった。。考えてみればあの急な坂道を軽のような細いタイヤでよく上ったものだ。当時からテレビ塔は入ることができ、夜景の綺麗な場所であった。今回は午前9時過ぎくらいだったので一番上の駐車場も空いていて人もまばらだった。

  

子供の頃通った道と同じように当時は広大なイメージがあったが、今は「そこそこ広い空地」という感じだった。少し土地を拡大して個性的な形をしたレストハウスが新しく建ち、春先は桜が見事に咲き乱れるという。また周辺はかなり鬱蒼とした森林になっており、色々な鳥が鳴いているようで、バードウォッチングにも中々適しているようだ。我が家の周囲ではあまり見ない野鳥もたくさんいる。あんまりうまく撮れないがこの鳥は「ジョウビタキ」というのではなかろうか?(違うかな)他にも「スズメでない」鳥がたくさんいるようだが、中々カメラに収まるところには来てくれない。レストハウスと展望台はまだ開店していなかったので、反対側のテレビ塔に行ってみた。子供の頃同様途中まで上ることができたが、何と落書きの多いことか?!ヤンキー達の溜まり場となっているのかもしれないなー。

    

昔からそうだが、公園側ではない方角(東南北)の眺望は素晴らしい。少し霞んだところはあるが、相模湾は一望でき、はるか(というほど距離はないが)我が家の方角には江ノ島、烏帽子岩が見られる。二つの名所、特に烏帽子岩をこの角度から眺めることができるのはこの公園だけだろう。いつも真横からしか見られないが、、中々みられない貴重な姿である。テレビ塔はさらに上の階にも上れるのだが、落下防止?のため金網が張り巡らされていて、また江ノ島の龍恋の丘をはじめ、最近あちこちで見かけるようになった「恋人の鍵」・・・残念ながらあまり風情のあるものではない。山のある北側に回って見ると、新幹線の通る街並みが一望できその向こう側には大山、そして丹沢山系が見られる。こちらはこちらで味わい深い風景だ。

         

テレビ塔でしばらく眺めていたら、公園の反対側に新しく?できたレストハウスが開店し、展望台に登れるようになったので、そちらへ行ってみた。こちらは南北西の方角がまた素晴らしかった。真鶴半島や薄く伊豆半島、大島など相模湾の西側がぐるーっと一望でき、後ろの山々や富士山なども眺められる。海側は大磯プリンスホテルや大磯港が見え、きらきら光る海面に船が漂っていた。別に何の変哲もない公園だと思っていたのだが、あらためて訪れると360度の眺望といい、そのロケーションからそこから見える眺めが「ただ者ではなく」豊かなところといい、かなりの名所だと思う。さらに野鳥なども(下手すりゃ蛇なんかも)たくさんいそうだからさらに素晴らしい。

       

        

私には詩的才能は皆無に近いのだが「アン・シャーリー」ならば「神に祝福された・・・」などと大袈裟にいいそうな景色で、「輝く湖水」「歓喜の白路」「恋人の小径」「お化けの森」など名前が着けられそうなところがたくさんある。 その「赤毛のアン」だが、先日取り寄せた原版を読み終わった。何せストーリーを知っているから、知らない単語が山のように現れても平気で飛ばし読みができる。当たり前の話かもしれないが、やはり「翻訳」されていない方が自然な感じがする。なるほど日本語訳を見るとどうにも違和感のあるような「くだり」はこんな表現をされていたのか、と改めて小夏師匠の指摘の鋭さを感じたものだ。 さすがに息子にそこまでの「想像力」はないから、「村岡花子さん訳」の本を買ってきて読ませてみた。 多少残念で不思議なことながら彼の感想は「話は面白いが『アン・シャーリー』には興味を感じない」というものだった。「登場した時から『何か持っている』ところが気に入らない」というのである。(確かにいきなり冒頭から「その顔つきからしてなみなみならぬ魂を宿している」と言い切っているからな)なるほどなー。。。彼が好んで読んでいるライトノベルを全て読んでいる(一人で読むより語り合った方が楽しいから)私には何となく分かった。どちらかというと「頼りないヒーロー」がだらしないまま悪戦苦闘して不格好にも目的を果たすところが好きなようである。

      

私自身も甘辛くらいの年頃に「赤毛のアン」を読んだら、今のように共感はしなかったに違いない。それぞれの年頃でそれぞれにおかれた感性のままに何かを感じる著書なんだと思う。湘南平にしてみても、子供の頃に遠足で来たときは「ただの公園」としか思わなかった。いつもと違う広場で遊べること自体に魅力があった。しかし今、この歳で訪れると季節やその優れた眺望を楽しむことができる。修学旅行などで訪れた名所を年齢を経てから訪ねると素晴らしく新鮮に感じる、というのもすごくよくわかる。京都・奈良などはその最たるものだろな。新たな名所巡りもよいが子供の時に訪れて以来年月を経た場所へ行くのもまた楽しからずや、というところだろう。

秋晴れの1日

2012-10-22 04:45:14 | 出来事
丸1日、雲一つない秋晴れの日曜日だった。私の活動というと前夜お友達家族とイタリアンレストランで3時間飲み放題、楽しいひと時と引き換えにどんよりした朝だった。妻は学校の用事で出掛け、息子甘辛は夜を徹しての不思議な勉強会(半分遊びの模様)で完全朝帰りとなりぐーすか寝ていた。こんな日に何もしないでごろごろしていてはバチがあたる。残念ながら波は全くないようだったので、久し振りに超兵器203号を首に下げ近所の川沿いを散歩することにした。今回のターゲットは最近興味を持ち始めた「昆虫」だったのだが、整備はされているものの人工臭の強いハイキングコースなので虫っ子一人いない・・・

その分、川の中は賑やかなようだった。丸々太った鯉は悠々と泳いでいるし、たくさんの魚の群れが見られる。時々キラキラ光るのは石のコケを食っているのか、魚の腹が反射しているのだ。元々かなりの種類の魚が同居する川なのだが、今はボラの季節なのか歩いている間、どの地点にもそれなりの群れがいた。何も彼らが悪いわけではないが、サーフィンしていても波がブレイクする時に大抵真横に通り過ぎるのが見えるし、水面からジャンプして波待ちしている者を驚かせる。港からフカセやサビキで釣れるには釣れるが、泥臭くてとても食えたものではなく、あまり釣り人にも歓迎されない魚だ。

    

20分ほど歩いたところに干潟のようなところがあり、カモやアヒル、白鳥など様々な鳥のいるユートピアなのだが、最近はパックンのようなカメをよく見掛ける。よく見るとこれまた色々な種類のカメがいるのだが、大方縁日のミドリガメがでかくなって川に放したヤツが繁殖したモノが多いのだろう。大きな白い鳥と向き合って・・・・(向こう側にでかい鯉もいる)しっかし緊張感のないヤツらだなー。平和な1日になりそうな気がした。この日は珍しくあまり川沿いに小鳥が見られなかったので、近くの緑化公園で禁断の花(私にとって「花」というのは何やら未知の世界なのだ。なんたって道が極められてるようだからな)でも撮ろうかととことこ入り口に向かった。

      

綺麗な花がたくさんあるのだが、うーむ。。。コスモス以外は全然分からぬ・・・やっぱり私には動くモノの方が被写体としては面白い。水があるところだから、ギンヤンマとかいないかなー。うろうろと歩いていたら何やら三脚を持った人達がバズーカ砲のようなご立派なカメラをもって同じ方角にレンズを向けている。「何がいるのか?」しばらくレンズの先を眺めていたが何やら分からぬ。そのうち「おーっ」と言う低い歓声と「シャララララー」というものすごい高速の連続シャッター音だ。青い稲妻のような光が目に入ったのですぐに分かった。かの鳥が来ているのか・・・私は散歩するとかなりの確率であの青い鳥に出会う。いつもは川沿いなんだが、この公園で見るのは初めてだ。画像サイズを大きいままにして忘れていたので、超拡大しないとアップロードできなかった。。。

          

1時間ほどで一旦帰宅し、今度はチャリで江ノ島フェスタに行ってみることにした。1ヶ月ほどの期間開催されているフェスティバルなんだが、その日はドラゴンボートレース、大道芸大会他いくつかのイベントが予定されていた。ジローくん達を見た後、職場の単身赴任組(東京在住)に「今度、ビーチバレーやらねえか?打ち上げ場所は提供するぞ」と声をかけておいたが、実現するかなー。最近は端っ子のコートは「ビーチテニス」なる新たなスポーツの場として使われているが、この「羽子板とバドミントンとテニスを混ぜたようなスポーツ」はすごく面白そうだ。今度妻とやってみよう、ということになっている。

   

川の河口では大勢の人だかりで、ドラゴンボートレースが準々決勝になっていた。江の島に伝わる「天女と五頭龍伝説」にちなみ龍に模したカヌー型ボートに漕ぎ手と舵取り・ドラを鳴らす艇長10名が乗り込みレースを行う。優勝賞金10万円!直線100mの先に目印のブイがあり折り返して競い合う。しばらく眺めていたが、私は一つの作戦を思い付いた。どうもこのレースのポイントは推力ではなく、折り返し点でのコーナーリングにあるようだ。細長いカヌーのようなボートだから飯店180度はかなりの半径を必要とする。であるならば、漕ぎ手の席を回転式にしておき、折り返し点で「回れ右」をしてスイッチバックすれば速いんじゃないか?

  

久々の江ノ島は「秋祭り」でものすごい人だかりだったが、サミュエルコッキング苑に入らなかったから何も特別の催しを見られるわけでもない。それにして訪れるたびに新しい「名物」が増えていくような気がする。シラスを売りにしたいのは分かるがアイスクリームにカレーだと?これはちょっと「やられる」ような気がするなー。タコせんべいにはいつも長蛇の列ができているが、クラゲせんべいに伊勢海老せんべい・・・徳利がいつの間にかジョッキになってるし。大道芸はちょうど準備をしているところだったようだ。みなとみらいでよく見たが、最近は江ノ島でもやっているんだな。

            

「山二つ」を降りて稚児ヶ淵までは行かずにぐるーっと廻って帰ってきた。西側は何もあるわかでないが、我が家方面の風景が見られる。時計回りに歩いて神社の参道に戻ってくる手前は単なる傾斜地の林なのだが、「んっ?」と大きな木の枝に鳥にしては丸くて大きなモノが動いたような妙な違和感があった。気のせいかな、しばらく凝視していたら、なんとリスだった。。。
あまり可愛らしい顔をしていないが、たぶん台湾リスだろう。江ノ島と言えば「ネコ」と「トンビ」なのだが、リスまでいるとは知らなかった・・・店頭で「水に濡れると模様が浮き出る」傘を売っている「全品1050円」の雑貨屋があり理系ゴコロをくすぐられて買おうかなと手にしてみた。面白そうだからお店に入ってみたのだが、もっと面白そうだったのが「忍者傘」である。妻の呆れた顔と息子の「やられたんじゃねーの?」という冷やかし笑いを思い浮かべながら、気がついたらレジに持って行っていた。。。。

          

日本のハウプトバーンホフ

2012-10-20 09:24:51 | 出来事
昔、研修で巡っていたとき、ドイツでは確かそれぞれの都市で一番大きな駅を「中央駅(ハウプトバーンホフHbf)と呼んでいた。
遠距離通勤を初め、毎朝新幹線に乗り換えている東京駅がいつの間にかリニューアルオープンしていた。もう20年くらい前になってしまうが、職場が大手町のとあるビルで通勤最寄の駅としていた時期も数年あったのである。丸の内北口から今の「OAZO」側に渡る横断歩道はニュースで報道する「道行く会社員」を象徴する映像として、頻繁に撮影が行われ(たぶん1回くらいは映っていたと思う)、何となく「ビジネスの中心」で仕事をしているような気がして誇らしげに感じたものだ。ちなみに内幸町のとあるビル勤務の時は最寄の駅は新橋だったが、あの界隈は「酔っ払いのサラリーマン」の象徴だった。「さんまのからくりテレビ」で安住アナの苦笑いを見ながら苦笑いしていた。(正直あんまり笑えぬ)

田舎に住んでいた割には子供の頃から「東京駅」というのは馴染みあるところだった。近くに大きな百貨店がなかったこともあるが、父親が衣類他身に付けるものを自分で選ぶ時はほぼ必ず「日本橋高島屋」だったので、何かと東京へ出ることが多かったのだ。(北日本出身なのでとりあえずは「東京」と思ったのか?!)茅ヶ崎からは東海道線で1時間コースで、くたびれると帰りはたまにグリーン車使用、買ってもらうお菓子は大抵「森永ハイソフト」、当時戸塚駅は停車しなかった東海道線は次の大船駅でブルートレインなど特急の通過待ちが多く、停車中に車内に漂ってくる大船軒の立ち喰い蕎麦の香りが何とも言えなかった。ちなみに東京駅では「湘南電車」という看板が出ていた。

また同じような年頃、模型は持っていなかったが当時の少年なら誰でも一度は興味を持つ鉄道について、「物知り百科」と言う本を隅々まで読んでいた。それによると日本で一番大きい駅はぶっちぎりで「東京駅」だという。「んなはずねえよ。新幹線入れたって10何番線くらいしかないじゃんか。しかも欠番まであるし・・・」東京駅には11番ホームがないのである。女性が男を振る時に「11番ホームで逢いましょう」と使ったそうだ。ちなみに今は12番、13番もない・・・14番〜19番までは東海道新幹線で、10番ホームとの間に東北など東日本新幹線の20番〜23番が割り込むという変なつくりになっている。昔、東北・上越は上野止まりだったからな。どうも東京駅は「駅の敷地面積」が一番大きいらしい。ちなみに利用客が最も多いのは新宿駅でこれは世界一だそうだ。

東京駅赤レンガ駅舎はさすがに日本の「中央駅」でその姿もいかにも西洋文化に憧れた日本の一歴史を物語る荘厳な建物だった記憶がある。
そう言えば昨年の12月頃に東京駅を降り立ち、昼休みに皇居東御苑を散歩した時に何やら大々的に駅舎を改築していた。単に老朽化したので新しく外装工事でもしているのだろうと思っていたら、まったく姿を変えてしまっていた。。。八重洲口側は近代的な構造となり、丸の内側は駅創建100年を記念して当時の駅舎を復原したものらしい。

  

先日、信濃町の明治記念館を訪れる所用があり、東京から丸の内線に乗り換える際に10月1日に完成したという東京駅丸の内口の回りをうろついた。まず丸の内北口、私が約4年間使用したところである。ドームの内側が今風の液晶パネルでデコレーションされており、たくさんの人が天井の模様や構造を写真に収めていた。よく見るとドーム天井には細やかな鳥や干支の彫刻が見られる。新しくできた「OAZO(オアゾ)」とは色々な意味があるらしいが、「○(丸の内)と○(大手町)の間に『AからZ』まで何でもある」というのがわかりやすい。駅舎は昔に比べると丸みを帯びた趣きのあるヨーロッパルネッサンス風というところか。。。ホントに正直に言うと、昔の三角屋根駅舎の方が馴染み深くて好きだったなー。

        

道路を渡ってぐるーっと廻ってみる。あちこちでたくさんの人が新装東京駅を写真に収めている。その雄姿を全部収めようよ大手門の正面方向に歩いていったが、あまりに壮大で全部の姿がIXY君には入りきらなかった。中央部にはやはり最近オープンしたという「東京ステーションホテル」がある。この豪奢な建物に宿泊するいうのは中々機会はないと思うが、部屋に「髭のある老人の絵画」がないことを祈ろう。NHKの番組で見たが、この赤レンガを当時の建造物の遺跡を元に全く同じ色合いを出そうとしてものすごく苦労したそうだ。レンガだから焼き上がってみないとわからないところがあり、100年前の成分や製法が精密に残っているわけでもなく、ほとんど全てが試行錯誤の産物というところに我が国の職人技の原点を見たような気がする。

          

          

私が毎日使用する「あさま」はたまたま期間限定の「ラッピング列車」になっていた。15周年を記念してご当地の名所名産物がSUICAのペンギンとともにペイントされている。隣のホームには時速300km出すというE5系「はやぶさ」が同じ時間に入線してくる。先日、数年ぶりにお会いしたパートナー企業の経営者と会食したのはこれまた新装「大丸百貨店」の上にあるレストラン「XEX TOKYO」は、日本の「ハウフトバーンホフ」を真上から一望できる素晴らしいところだった。駅周辺をうろついた同日、その後明治記念館のイベントに足を運び、終了後なんと成田空港に向かって南の島に飛び立つのである。

          

同じ日本の「空の玄関」である成田もターミナルが新装オープンし、ニューヨークばりの「2輪車」に乗る警備員が見られた。外国人向けのお土産屋も新しく「テーマパーク」化していたし、搭乗ゲートまでは日本画展などもあって実に興味深かったが、ちょーっとゲテ臭が消しきれないところがあり、日本の鉄道の「アウフトバーンホフ」の威厳にはだいぶ差をつけられているようだった。

              



プチ海外のディナー事情

2012-10-18 23:48:49 | 旅行お出かけ
海外旅行に行くと大抵は食事にも気を配るものだ。というよりむしろそちらの方に全精力を注ぎ込んでいる方も少なくない。日本で料理を出す店はあっても微妙に本場でない、本場のものが口に合うかどうかわからないが、「日本にない何かがあるはずだ」と信じ込んでご当地で名物と言われる料理は必ず食すのが普通だ。ご本家の料理を口にし、本場の味を覚え、ご当地の雰囲気自体を味合うことも旅行の醍醐味だが、どういうわけかあまり「素晴らしかった」印象が少ない。結構色々と口にしているが唸りを上げたのは済州島の「オギョプサル」、ローマの友人宅で頂いた奥さん手製の「トマトソースパスタ」、後はボストンの「スチームロブスター」くらいである。アメリカンステーキハウスなどではどこで食べても美味しいが、逆にどこで食べても「アウトバックステーキ」と似たような味である。

我が家も海外へ行く時はガイドブックで当地のグルメスポットを調べて、一つ二つは必ずディナーをあてる。グアムはアメリカンだからステーキとBBQ、シーフード料理などがメインになる。風土料理としては「チャモロ料理」というのがあり、ヒルトンホテルのすぐそばに「PUROA」という専門店があって妻が目をつけていたが、地元人に人気でいつも行列で混雑しているらしく、ついに来店するには至らなかった。レッドライスやBBQ串、炒め料理などチャモロ風のパックを昼飯に食べたが、甘辛酸っぱいドギツい感じの味でそれほど食指の動くものではない。今回のプチ旅行では「ウォーターパーク遊び」がメインだったので、グルメのほうはかなり蔑ろにされていた。。。。

初日は「ターザウォーターパーク」だったが、当日未明(午前2時過ぎ頃)に部屋へ到着、ピックアップタイムぎりぎりまで寝てそのままパーク入りだから朝飯は抜き、息子も私も「フロースライダー」にむきになってずーっとチャレンジしていたおかげで、昼飯は隣りの売店で買ったミラービールとスパムにぎり。。。閉園案内が3時半と早かったが出てくる頃は腹が減ってふらふらになっていた。気がついたら死ぬほど腹が減っていて「どこでもいいからステーキ食いてえ!」と騒ぐ息子に、タモンエリアのどこにしようか考えていた。時間が中途半端だから予約は要らないだろうが、ガイドにあるような店はそのものか日本で入ったことがある店ばかりなので迷ってしまった。結局今まで何回も通り過ぎたが入ることの無かった「TGIフライデーズ」(意味で言うと「やったー、今日は金曜日だーっ」ってところか・・・)というアメリカンカジュアルなレストランに決定した。理由は「大阪くいだおれ」としか思えないハッピーな紅白しま模様につられたのと、店の雰囲気的にいかにもおおざっぱだが料理のサイズだけはやたらビッグそうなところ(とにかく腹が減っていた)。

息子は即座に、妻もよっぽどお腹が空いていたのか普段はメニュー構成には念入りに考え込むのに息子と同じサーロインステーキを選んだ。「どんなヤツ?」と聞いたら白赤縞々制服のウェイトレスは「ステーキ、チイサイチイサイ、コンナグライシカナイヨ」と両手指をつけて小さな輪っかを作って見せた。少し迷ったような甘辛に「彼らの出す肉が小さかった試しはない!侮ってはいけない」とそのまま注文させた。3人揃って同じものというのも能がないから私は意表を衝いてジャックダニエルバーガーを頼んだ。赤ワインをガブ飲みするつもりだった私はうかつにサイドディッシュなどを頼むと間違いなく食い切れないほど出てきてしまうので、ハンバーガーの付け合せなどをツマミにしようと思ったのである。

      

「ジャックダニエルソース」というバーボン名のソースは妙に甘いクセのある風味であまり好みではなかったが、アメリカンなボリュームはすきっ腹にはぐーっと効いてきて中々よかった。ハンバーガーって基本的には持ち上げて頬張るものだと思うのだが、あういう店で出すメニューは一体どうやって食べるのが本式なのだろか?私はワインのツマミにするつもりだったので、バラバラに分解して肉とバンズを合わせてフォークで食べるというあまり感心されないスタイルになってしまった。4ドルほど足すだけで「ウルティメイト・ジャックダニエルズ・バーガー」というウルトラ好きにはたまらぬネーミングのアップグレード版メニューがあったのだが、写真では私のノーマルタイプに対し、肉が2枚、オニオンリングが2枚という途方も無いボリュームだ。低い壁を隔てて向こう側のゲストが注文していたが、甘辛の顔くらいの大きさがあった。(とても食い切れぬ・・・)

    

不思議なことに我が家は海外を旅行すると「朝食」というのはあまり真面目に取らない。出かけるまでゆっくり寝ていたいのと雰囲気だけでお洒落なホテルの朝食を摂るとびっくりするくらい高額だからである。金銭感覚の麻痺する海外滞在でもこういうところはしっかりしている。朝食と部屋での寝酒はコンビニや近所のスーパーなどで山ほど買い込み、帰国日まで間に合わせてしまうのが普通だ。バドワイザーなんて2ダース買ったって30ドルしない安さである。しかし正直言って「食えたもの」ではない。あにぎり、サンドイッチ類はその日に開けてもパサパサ、一晩おいてしまうとほとんど家畜のエサにも近い。。。カップヌードルも韓国製は1.5ドルなのに「どん兵衛」は4倍近くする!私が新幹線で愛食している「コンビニにぎり」にも意味不明な種類が・・・(いくら何でも彼女がここまで進出しているとは考えられない?!)

  

行きの送迎タクシーで運転手が「すぐ隣りの公園で今日、明日でミクロネシア諸島のフェスティバルがあるよ」と言っていた。1年に1度の祭りの時期らしく、確かに公園内は何やら大きな催しの準備が進められていた。部屋に戻ってちょっと散歩気分で周辺をぶらぶら歩き回ってみることにした。「島の文化」らしく中央のステージではよく見るファイアーショーみたいな踊りで盛り上がっており、模擬店でも各々の島別の工芸品とか伝統衣装などが売られていた。面白かったのは南の島風「金魚すくい」があったことだ。魚はメダカとか金魚、それと熱帯魚みたいなのが混じっている。丸い輪っかにティッシュ紙を張ってすくうところは万国共通なんだろか?少年が盛んにトライしているのを眺めていて、この手の縁日モノは万能を誇る私はやりたくて(又は指導したくて)うずうずしていたが、さすがに部屋に持って帰るわけにもいかないので下手な写真を撮るだけにした。日本の縁日では失敗しても1匹はくれたような気がするのだが、ここでは2ドルも取るくせに失敗すると非情にも手ぶらで帰す。これも成果主義の現れだろう。。。

          

翌日、オンワードウォーターパークでの昼飯は前述通りレッドライスに少し甘ったるいチャモロ風BBQだ。ここでは時間一杯まで(マンタ)で遊び、その後すごいスコールとなってタクシー待ちで結構時間を費やしてしまったため、「フィッシャーマンズ・コーブ」というホテル内のシーフードレストランに予約なしで直接向かった。バラエティに富んだ色々な魚介を「好きな食材を好きな調理法で」というのがキャッチフレーズだった。アマダイみたいな魚やブダイ(たぶん)、ワタリガニ、ロブスター、マヒマヒ、ホタテなど新鮮な食材が店内のディスプレイに並び、外国客は喜んで説明や調理法などを聞きに集まっていたが、我々は片瀬漁港でそもそもホントに獲れたばかりの生きている魚介を見ているし、色合いがドぎつくてよく見ると大味っぽい食材を「Market Price=時価」で注文する気にはならず、甘辛の相変わらずのステーキ以外は皆でシェアできる大皿料理を頼むことにした。

      

息子がどこに行っても必ず注文するクラムチャウダー「アサリの味噌汁と並び「地球最後の日」に食べるメニューだそうだ)はずっしり味が濃く、一皿でお腹が膨れ上がるシロモノだった。私と妻は完全に居酒屋モードで、ワインとチリ・シュリンプ(グアム唐辛子と野菜、パパイヤの炒め)、ガーリック・ボイルドシュリンプ、そして魚介類のトマト味ごった煮鍋(名前忘れた)を注文した。ステーキに「死ぬほど」ついてくるフレンチフライに茹でてはあっても、レモンの汁をキュッと絞ったシュリンプをつまみにしようと思ったのである。レッドロブスターの「シュリンプカクテル」を想像していたのだが、出てきたのは砂場遊び用のバケツほどもある器にぎっしり入ったムキエビだった。。。。

    

ガーリックがくどくもなく、プリプリの歯応えで食欲をそそり、最初の3つ4つは実に美味しく、ワインをぐいぐい飲みながら「これはアタリだねー」と話していた。妻の炒め物(ライス付き)もシュリンプはダブってしまっていたが、ピリ辛で不思議な野菜の食感がありどこか南国風でこれまた最初は美味だった。そして最後に、メニューには2〜3名分と書いてあったが、明らかに5人分はあると思われる巨大鍋が登場した。トマト味のブイヤベースのようでホタテに大海老、ミュール貝、マヒマヒと様々な魚介が素晴らしい味を出しており、ステーキを食いながら息子も「こりゃー美味いなあ」と取り分け用スプーンに手を出していた。

    

ところがである。最初美味しかったガーリックシュリンプも5つ目を超すあたろいから、だんだん飽きてきた(というか味覚が疲労してきた)。最初は3人喜んでつまんでいたのが、急に手が止まってしまいバケツの中は半分以上残っている。妻の南国風ピリ辛炒めもアツアツではよかったが少し冷めてくるとドギツい油が目立ってやはり疲れてきた。ごった煮鍋の魚介は3人で美味しくつついていたが、濃厚なダシが出ているせっかくのスープとホタテが大量に残っていた。何とか炒め物をやっつけ、水についてきたレモン輪切りをバケツ内に降りかけ取り分け皿を殻のヤマにしても中々減らない。。。
そのうち残ってしまったライスに鍋に残ったスープを混ぜてお茶漬けみたいにすると美味しいことに気付き、行儀は悪いと思ったがかまわず鍋を完食。

身体がなんとなく海老臭くなってきたような気がする。このままでは翌日、起きたらカミュの世界のように「変身」して海老になってしまってるかもしれない・・・ほぼ諦めていたところに、こういう時には粘りを発揮する妻が「もう少し・・・ほら、底が見えてきた。あなた3つ、ワタシ2つ、甘辛最後の1つでやっつけられる」最後の力を振り絞ってノルマを達成した。夢にまでこの海老が出てきそうだ。「当分、海老は見たくねえなー」
海外を旅行する時、いつも食事は大きな楽しみだが、大体がその単調な味と想像を絶するボリュームに、残すことの嫌いな我が種族は苦戦を強いられる。何か私の勤務する北関東の「ゲテモノ」系に通じるものがあるのだ。

       

最後の晩、「お前も海外で遊ぶだけでなく何か役に立ってみろ」とレストランの予約を厳命し、何とかそのミッションを果たした息子甘辛は帰国した成田で「今晩は寿司か魚がいいなー」と言って車内で眠りに落ちた。我々も同感だったので朝到着後に我が家の近所の「くら寿司」を直接目指していた。しかし何かむしょうに「生しらす」が食べたくなり、突如「腰越の『しらすや』に行かねえか?」ということになったのである。目を覚ました甘辛も「あれっ?くら寿司じゃないの?」と言いながらも我々の思いつきに賛成し、「おーっ、オレ生シラス丼大盛りね」
別に食べ慣れたモノではないし、単調と言えばこれほど手のかかっていない「魚介」だが、南の島のボイル海老には苦戦してもこいつは楽勝でイケるから不思議なものだ。

        

季節外れの花火の1日

2012-10-15 22:39:50 | 出来事
ようやく灼熱の夏も終わり、どこに出掛けるにも迷うような秋晴れの1日だった。こういう日に限って色々なイベントが重なっていた。横浜大桟橋では海上自衛隊の護衛艦が公開されていたし、鉄道開業140周年を記念してJRのあちこちの駅で様々なイベントが催されていた。ちなみに横浜駅は駅弁フェスタ?!だったかな。赤レンガ倉庫の「オクトーバーフェスト」も今週末までだ。私は先週末、海外プチ旅行で行けなかったからいつもの通り朝から竜泉寺へ母を連れて行った。台風接近の影響か素晴らしい波が来ているようだ。色々野暮用をやっているうちに昼近くになってしまったから、結局妻と久し振りに海辺をウォーキングすることにした。確かその晩に季節外れの「江ノ島花火大会」が予定されていると妻が言っていた。

今まで暑くて暑くてとても外を散歩する気になどならなかったからかなり久々のウォーキングだ。いつもの川沿いを海岸に向かって歩いた。富士山は初冠雪が見られたと聞くがまだまだ白い頭にはなっていない。陽気もいいし川岸では何人もの人が釣り糸を垂れていたので覗いてみたらすごくでかいワタリガニが入っていた。「ボクも小さいヤツ釣ったことあるけど、こんなデカいのもこの川にいるんですねえ」「いやー、これは江ノ島で釣ってきたんだよ。花火大会だから釣り場から追い出されちゃったんだよねー」昨年はうな吉をはじめ様々な魚を釣った家の前の川だが、今年はどういうわけかさっぱり釣れない・・・ウナギの稚魚など全く獲れなかったという・・・

中途半端に台風が接近しててオフショアの風だから実にいい感じの波が立っている。「あとで来るかなー」と考えながら歩いていたら「こんにちはー」と声をかける人がいた。何と北関東のオフィスで同僚となった八兵衛の後任、「ジローくん」である。そう言えば「ビーチバレーしに行くかも・・・」と言ってたな。。。私よりも結構年下なのだが、若いというわけでもない割には先日のフットサルでもかなりの活躍を見せた。月に一度はガチンコの試合を組んでいるという。その上にビーチバレーの仲間がいるのか・・・見た目よりも中々手広く仕掛けているようだな。「ホントにここまで歩いて来れるんですか?」いかにもぷらぷら歩いてきた我々に向かって驚いていた。さすがにメンバーは東京近辺のようだが、同じ会社の隣県の人もやってきた。ビーチバレーもビーチサッカーもよくやりに来たが、最近は硬式テニスのボレー合戦みたいなビーチテニスもやっており、ぜひチャレンジしてみたいところだ。

運動にならぬので、一旦お別れしてイル・キャンティビーチまで歩いた。正面のテラスや海岸エリアは14時以降、花火大会協賛社向けの席で立ち入り禁止となっている。駐車場は全面的に屋台コーナーになっており、ご当地グルメやどこにでも店を出す「佐世保バーガー」など色々あったが残念ながらまだ開店していなかった。弁天橋付近まで歩くと、いつも水上バイクのスタート地点となっている橋のたもとが桟敷席と思われるエリアになっており、たくさんの椅子が並んでいた。あのエリアから花火を眺めたらかなりの迫力だろな。134号線の向かいは、いつ前を通っても長い行列ができている「エッグスンシングス」というパンケーキの店という。ホノルルにある卵料理の専門店らしいぞ。メニューだけ見ると2階の店の方が美味そうに見えるんだがな。
  
      

帰り道の元町ユニオンでいつもの通り缶ビールと焼き立てのパンを買い込み、サーフビレッジまで戻って「ジローくん」達のビーチバレーを眺めながら一杯やっていた。上空はいつもより多くのトンビが旋回している。すぐ近くのビーチ側で(ホントは禁止なはずなんだけど)いかにもな「イマイチ」グループがバーベキューを始めており、これを狙って集合してきたのである。トンビの急襲を避けることなど造作もない我々は周りの心配をよそにむしゃむしゃ惣菜フランスパンを食いながら、むしろ妻がオトリとなって私は超兵器203号を構え、急降下しようとするトンビをとらえていた。結構速い動きなんだが、だいぶ上手く追尾できるようになったぞ。

        

午後になってもいい感じの波が続いていたので一旦帰宅し、ウェットスーツを着込んでサーフビレッジ前の海に出動した。だいぶ崩れてきていたが、沖の方まで行くとなんとか数本綺麗に乗ることができた。後がスープ上の波でテイクオフの練習だ。流れが西に向かっていたのでかなり江ノ島側にいたのだが、ちょうどビーチバレーコートあたりまで流されてきた。1時間ほど入って結構体力を使い果たし、陸地の方を見ると「ジローくん」達は別のゲストに対抗試合を挑まれたらしく、懸命にボールを追いかけている。そろそろ時間だから一声かけて帰ろうと岸辺に上がってきた。ウェットスーツに結構年季の入ったロングボードを抱える私を見て「ジローくん」は「ホントになさってるとは知りませんでした・・・」驚いた様子だった。(コイツ、信じてなかったな。ホントに乗ってみせなければまだ疑い続けるかもしれないな・・・)

帰宅して近所の西友で酒とつまみを再び買い込み、水筒にお気に入りのグレープフルーツ割を作った。妻によると花火大会は18時から開催らしい。秋の開催は日が短いので開始が早く打ち上げ時間も45分と短い。大震災後、一旦中止になったが、そもそも内容は正直ショボイのに大勢の観客が訪れ、夏の風物詩となっていた江ノ島花火大会が季節外れの開催となるまでは「花火大会のあり方検討委員会」で色々と議論があったらしい。青少年の非行、防犯防止の観点や事故の危険性、なども言及され「落ち着いた雰囲気で花火を楽しめる」この時期になったらしい。よく考えたものだと思う。位置づけ的には観光地で特に夏場は何もしなくても人が集まるのだから、一段落ついて人の動きも落ち着いた季節の方がよい。熱海海上花火大会の経験で「冬の花火」が大好きな私は秋のこの季節の開催は大賛成だ。

その昔、この花火大会は小さいながら社宅のベランダから眺めることができた。江ノ島の上が明るくなってドンドンと音が始まると、一番海側に面していた我が家での棟は全室真っ暗になってベランダで眺めていた。上の階のベランダの手すりからぶらぶら動く子供の足が見えたものだ。その後引っ越し、ホントに海の近くになると海岸まで歩いて見るようになった。社宅のお友達家族グループで花火を楽しみ、2次会は我が家で、というコースだった。子供も少し大きくなり中々集まれなくなると、妻と散歩がてら川の河口付近で眺めるようになった。ここ数年は仕事で見に行けなかったから結構久々の見物である。今年はその日3回目となるサーフビレッジで見物することにした。

    

夏よりも空気が澄んでいるから音も響くし花火も鮮やかに見える。江ノ島花火というとショボイイメージが強かったのだが、今年は今まで見た中で最も素晴らしいモノであった。途中から明かりを消したようだが、新江ノ島灯台のライトに薄く江ノ島のシルエットが映り、海岸線の明かりが弧を描いて、色とりどりの尺玉花火のさく裂が海面に反射する。海岸では三脚でカメラを構える人が多かったが、あの光景を記録できるのならわかるような気がする。私も超兵器を携えていたが、いつもながら花火というのはうまく撮れないものだ。しかし花火そのものが夏の茅ヶ崎大会に比べてはるかに近いし、海面で反射する明るさも手伝って、中にはそれらしく見られるものもあった。

      

途中、高度のない所で大きな花火が次々に炸裂し、もしや暴発?!とも心配したがどうやら演出だったようだ。(翌日のニュースで「無事終了」と書いてあったから)たくさんの人が見事な映像をアップしてると思うが、ホントに素晴らしいフィナーレだった。「ジローくん」達も見物していたらしいが、終了後しか会えなかったのが残念だ。帰ってから晩御飯作るのも面倒だからと、駅前のちょっとした洋風居酒屋に席をリザーブしておいた。可哀想に塾の時間と重なって花火を見物できなかった息子甘辛とはその店で合流だ。我々の方が早く着いて待っていてやるつもりだったのだが、思わぬ人の波で中々店に辿りつけなかった。

      

ほぼ約束の時間通りだったのだが、のれんを分けて店に入ると三席ならんだカウンターの真ん中に甘辛が一人座り、ビールジョッキの水と馬刺し、キュウリの一夜漬けを食べていた。中学生の癖に居酒屋で一人このメニューを注文するとは恐ろしく渋いヤツだ・・・花火とは別の話しをしたが、彼にも読ませた「赤毛のアン」の感想は中々興味深かった。(その話題はまた今度)
夏休みにも小規模の花火大会はあったのだが、名物ともなっている本家花火大会をここまでイレギュラーな季節にしかもナイス(死語?)な形で開催するとは、主催者と検討委員会には拍手を送りたい。これほど素晴らしいものならば来年は平日だったら、半日休暇をとって見物に来る価値はあるだろう。

      

南の島のウォーターパーク(OBR編)

2012-10-13 11:56:30 | 旅行お出かけ
南の島のウォーターパーク、2日目は「オンワード・ビーチ・リゾート(OBR)」である。何も1日毎に違うところに行かなくてもよいのに、回遊魚系の我が家はよくこういう計画を立てる。「ターザ」と異なりここを訪れるのは実は2度目になる。5年くらい前だっただろうか、JALがサイパン便を終了してしまいいつものPICが取れなかった時だ。タモン繁華街からは一番離れたところにあり、当時は隣りのシェラトンホテルに宿泊した。歩くと15分くらいあるのだが、丁度中間点にローカルの24時間営業スーパーがあり、バドワイザーを1缶1ドルくらいで部屋に仕入れてきた。「ターザ」に比べると海に面しているからビーチアクティビティもでき、より多彩な遊びを堪能できる。

入場時はあいにくの小雨で少し肌寒かったが次第に暑くなってきた。まずは前日同様、準備運動がてら流れるプールを2周ほど漂う。PICにもあった水中バレー用ネットやバスケットなどもあったが、アトラクションとしてゲストを誘導してまではやらないようだ。PICでは時間になるとリーダになるクラブメイトがその辺で暇そうな大人子供を(半分無理やり)誘ってゲームに巻き込み、国際色豊かなアクティビティとなってものすごく盛り上がるんだが残念だ。無効側には海が見え、バナナボートや様々なアトラクションが望める。さすが海っぺりにあるだけあって、土地は広々としていて開放的な感じがする。

       

流れるプールに囲まれた真ん中にウェーブプールというのがあり、時間によってスイミング用(平坦)、ウェーブ用、 ブギーボード用と波の大きさが変わる。ウォータースライダーは生身スライダー2本と浮き輪用スライダーが2本、少し違う場所にある。やはり生身でスライドするコースはオープンな方は途中で停止してしまい、それほど面白いとは思えないが、真っ暗闇のチューブの方は流量が多く、それなりにスピードが出るので楽しめる。このあたりは「ターザ」と同じ傾向にあるようだ。浮き輪使用のスライダーはチューブ型は一人用、オープン型は一人又は二人用となる。やはりこちらの方がスピードも出て距離も長く何回でも楽しめる。ただ係員が下から見上げているだけでスタート制御をしていないので、自分でぶつからないように間を空けて突入することになる。その昔はパトランプでコントロールしていたようだが、はるか何年も前から稼働していないようだった。こういうところ「自己責任」の国らしさが見られる。

直滑降型のウォータースライダーはなく、怪獣のすべり台やら屋根付き幼児プールなどもあり、一見小さな子供向きのウォーターパークにも見えるのだが、OBRにはここ以外にはどこにも見たことがない恐怖のアトラクション「マンタ」がある。実は前回訪れた時もこの日本未上陸の絶叫スライダーはあった。息子甘辛が小学校の真ん中だったと思うが、あの恐いモノ知らずの彼でさえ一度トライしたら「もう、オレいいや・・・」と逃げ出した。(どうも身体がギリギリ小さく背中を強打したらしいのだが)
送迎タクシーの降車場から見えた時は「過大に恐怖を記憶してたかな」と思うほど大したことがないように見えたが、間近で見るとやはり正気jの沙汰とは思えない。。。超巨大スタイリー(これ知ってる人は同年代?!)にも見える「マンタ」は高さ12m、浮き輪に乗って下が見えないままにほぼ垂直体感で急速落下、反対側まで上り詰めたら今度はバックで急降下・・・・

  

一通り他を遊びまわってマンタに向かったが、さしもの甘辛も昔を思い出したのか「どうしようかなー」と尻込みしだした。妻は早々に離脱、「とにかく一度はやらんとなー」我々は二人乗り用の浮き輪を担いでてっぺんまで階段を昇り始めた。階段の途中から下から見ているよりは「はるかに恐ろしい」ことがありありと感じられた。私が後ろで甘辛が前の方がバランス的にはいいような気がしたが、「オレ、絶対うしろ!」と彼が言い張るので仕方なしに前へ乗った。プールでは身体を入れるための浮き輪だが、輪の中に身体を入れすぎてしまうと、かえって最下部を通過する時にどこかを強打することが多いらしい。「ここよ、ここ!」指さされた二つ輪っかの先端に座った私は渾身の力を込めて持ち手を握り、体を水平に反らした。(怖くて起き上がるとなおさらスピードがついて怖いらしい)
「Are you OK? 3・2・1!バイバァーイ」命綱をつけた係の人はプコプコと私の脇の下を足で踏んで浮き輪をずらして行き・・・・天を仰いだ瞬間。。。

どおぅうおあああぁぁぁ

そうだそうだ!前回もこんな感じだった。下が全く見えない分、心の準備ができないから最初は何が起きたのかわからないのだ。超巨大スタイリーの反対側頂上までほぼ到達すると今度は真っ逆さまに落下する。「やっぱ、こりゃー半端ねえよ・・・」我々はふらふらと出てきたのだった。今度は私が後ろになって滑り落ち、嫌がる妻の腕を引っ張って何度か一緒に落下した。驚くべきことにそこには「3人乗り」の浮き輪もあり、「一度だけ」という約束で妻を説得して3人で滑り落ち、恐怖のアトラクションを後にしたのだった。

    

波のプールに戻ってくると丁度その時間は波を出さない時間帯だったらしいが、何やら奥の方から巨大な円筒形の浮き輪が登場した。こういうヤツ見たことあるぞ。安っぽいお笑い芸能人が罰ゲームとかでやらされるヤツだろ?「面白そうだからやってみようぜ」2番目に並んだ我々は「よーい。。。GO!」の声でただひたすら「ハツカネズミ」のように円筒の中を走りまくった。ものすごく体力を消耗し、ちょっと油断するとすぐに転げて何回転もしてしまう・・・周囲は大笑いの大盛り上がりだったが、お笑い達は単に「笑い」を取るために大げさに転げ回っているだけではなかったことが体感できた。昼になって腹も減っていたが、一旦遊びモードに入ってしまうと食事など「時間の無駄」としか考えない我々はバーベキューランチセットをビールで流し込み、甘辛に至ってはスペアリブ一つつまんだだけでプールに戻ってしまった。。。波のプールには今度はウルトラマンタロウの「ZAT基地」に似た形のバランスボールのお化けに皆で乗り込み「波に揺られて耐える」という甘辛の大好きなアトラクションで盛り上がっていた。(残念ながら人数制限で乗れなかったらしいが・・・)

          

しばらくすると波のプールはブギーボード専用時間帯となり1.2mの波が次々と押し寄せた。専用のボディボードをレンタルしたゲストしか入れないが、屈強で明るい係員が真ん中でサポートしてくれ、初めての人でも簡単にボディボードを楽しめる。特に子供は軽いのでボードに半立ちした状態で波に合わせて押し出してくれ、ちょっと勘のいい子供ならサーフィンばりの「テイクオフ」ができる。甘辛は体重的には限界に近い大きさだったらしく中々立ち上がるところまでは行けなかった。ちなみに係の驚きとともに私もトライしてみたが、こればかりはどうにもならなかった・・・
前日の「ターザ」のフロ―ライダーでは私に遅れを取った息子甘辛もここではさすがに運動神経を炸裂させ、見事なライディングを見せて周囲から喝采を浴びていた。実際にサーフィンはやったことないはずなんだが、かなりさまになっているように見えた。

      

この後、我が家族はビーチに繰り出した。はるか海の向こうではバナナボートを引っ張ったり、パラセイリングなども見える。講習を受けてエリア内であれば水上バイクも乗れるようだ。(これらは全部有料でしかもかなり高額だ)
ビーチセンターでは無料でシュノーケル、シーカヤックを貸してくれ、向こうの無人島まで渡って周辺に潜ると素晴らしい魚の楽園らしい。我々3人は早速カヤックを操って無人島へ向かった。実はグアム島もサイパン島も珊瑚礁の豊富なところでどこでシュノーケリングしても魚が見られるのだ。深さは胸くらいだったが、ホントに「魚の楽園」と言えるほど小さく綺麗な魚がたくさん見られた。スティーブが「死ぬほど」嫌いなヘビが「ひろひろひろ~」っと海底を進むのにはさすがにビビったが・・・

    

めいめい潜って楽しんでいた我々だが、たまたま甘辛と同じ場所で鉢合わせした時に、しきりに海底の白い石を指さしている。ずーっと見つめていたのだが、何のことか分からず「何なんだよ、その石はよー」と顔を水面に出して直接甘辛に聞くと、にやにや笑いながら指さすだけだ。一体何なのか手に取って詳しく見るために掴もうとしたら、突然その石が鮮やかなヒレを開いて動いた。なんと!この石は魚だったのか・・・カサゴ?!他の小さな魚と異なりギリギリ捕まえる直前まではピクリとも動かない。海中で甘辛と目が合ったが明らかに同じことを考えていた。「こりゃー捕まえられるんじゃねーか?」と。「おーい、ちょっとキミの帽子貸してくれよ」日焼け防止に買ったがイマイチ気に入らんと言っていた妻の帽子を半ばむしり取り、我が父子はカサゴの挟み撃ち作戦に出た。。。

このコンビに狙われて逃げ伸びたモノはいないのだが、異国の地で謎っぽい魚を前に触ってもし毒でもあったらという躊躇がかの魚に脱出のチャンスを与えてしまった。意外と素早い動き(魚だから当たり前か!)に最後は手掴みで尻尾を掴んだが逃げられてしまった。しばらくすると今度はダイバーライセンスを持つ妻が「おーっ、ウツボ発見!」と段ボールくらいの岩を指差した。見ると50cmくらいの小さなウツボが穴から出入りしているではないか。。。体は小さいがその凶暴な顔はまさしく牙を剥いたウツボだった。「オレがおびき出すから、父ちゃんは帽子で捕まえてくれ」「オッ、オレ?相手はウツボだぞ。噛まれたらどうすんだよ・・・・」結局その後ウツボは見失ってしまい、30分近く捜索した後岸へ帰還することになったのである。

プールに戻ると閉園まであと1時間ほどになっていた。「何か『マンタ』がオレを呼んでるような気がするぞ・・・一人でずつで滑ろうぜ」恐怖のアトラクションはその日数回しか滑っていなかった。あまりの恐さに日本のように長い列があるわけでもなくいつも閑散としており、誰かがやりだすと見物も兼ねて人が集まるようなところだった。次に来るのはいつになるか(もう機会がないか?)分からなかったから、私も浮き輪を担いで長い階段を上った。二人乗りの浮き輪の真ん中にほぼ寝転ぶ仰向け体勢で落下するから一人で滑るのはさらに恐ろしい。あまりの恐さにどうしても体勢を起こしてしまい、握っていたレバーに力が入り過ぎ、最下点の衝撃で肩にものすごい衝撃が走って感覚が無くなった。。。。
立て続けに3本ほど滑り続け、「オレはもう見てるからいいや・・・」ついに脱落した。

甘辛は集まってきた子供や青年達と飽くことなく遊び続けていたが、下から眺めていると突然「仰向けに頭から落下する」という恐るべき暴挙に出た!まるでサンダーバードの出動シーンだ。普通日本では「規定にない」遊び方は決してさせないのだが、そこは「自己責任の国」で係は笑いながら浮き輪をスタートさせていた。すると並んでいた子供や青年達が次々と同じ格好で絶叫を上げ落下し始めた。「父ちゃんも来いよ!オレ、もうチャンピオンだぜ」
何かあっちこっちが痛くなってきたのだが、もう閉園に近い時間になっておりまずは最後に一本だけ滑ることにした。上に行くと係員のにーちゃんは「前向きは終わりね」といたずらっぽくにっこり笑った。しょうがないから甘辛に頼んで二人乗りの後ろ向きで滑り、最後は3人家族の背面滑走しギャラリーに手を振って恐怖の幕を閉じた。。。
2日目のウォーターパークはどうやら息子甘辛に主役を持って行かれたようだ・・・

        

南の島のウォーターパーク(ターザ編)

2012-10-11 21:48:36 | 旅行お出かけ
10月の連休に休暇を足してもらって、家族でグアム島にプチ旅行した。この時期に出掛けるのはこれまで無かったのだが、息子甘辛の中学サッカーも一段落し学校の秋休み(そんなの昔あったっけ?)もあいまって実現したものである。夏休みの済州島プチ旅行の終盤、甘辛の「名所もいいけどやっぱり何かアクティビティやりてえなー」という一言で妻が「南の島モード」になってしまい、虎視眈々?と機会を狙っていたらしい。9月の中頃になって「こんな凄いツアーが取れてしまったのだが。。。」というメールが妻から届いた。前回の済州島はお盆期間、今回は秋口の連休期間とツアー代金的には最も高い時のはずなのだが、最近の彼女のツアーオーガナイズは神懸り的なところがあって、信じられない格安お得ツアーを構成する。私は仕事を終えて成田に急行し、自家用車で来た妻達と合流して夜出発、連休翌日休暇をもらって朝到着、という4泊5日のゲリラ旅行だった。

今回のテーマはずばり「ウォーターパーク」だ。グアム島は5回目くらいになるが、前回訪れたのは約2年半前の2月末、これもゲリラ的にPIC(パシフィック・アイランド・クラブ)で遊んで以来だ。宿泊はヒルトンだが、1日目中心部にあるウォーターパーク「ターザ」、2日目は位置的には反対側にある「OWR(オンワード・ウォーター・リゾート)」を予定していた。どちらも前売りチケットから送迎バスまで全て妻が手配していた。食事やショッピングなど二の次、どちらも「これでもか!」というほどアクティビティ満載のテーマパークである。体力の限界に挑戦と言ってもよい計画だった。

  

「ターザ」は繁華街から少し山側に上ったところにあり、敷地は少し狭いながら数々の日本にないアトラクションがある。雨季ということもあり天気は曇りがちだったが、11本のスライダーを初めとして多彩なアトラクションがある。入り口から正面に2本見える急角度のウォータースライダーは急な方が高さ20m、最高角度45度・・・恐怖からかあまり人の列はできていなかったが、たまに誰かが滑り落ちるとものすごい水しぶきに周りの人が集まってきた。
我々はまずはリハビリも兼ねて流れるプールを1周だ。やしの木やバナナの木が生い茂るジャングル風の園内をぐるっと回ると繁華街ど真ん中のロケーションということもあり、ほどよい広さというのがわかる。

        

次に試したのはウォータースライダーで生身で滑るコースと浮き輪で滑るコースが2本ずつある。まずノーマルに生身で滑る外がオープンな方に甘辛を筆頭に次々に繰り出した。私も最後に勢いをつけて滑り込んだが、ラッシュガードの摩擦が邪魔したのか途中で何度か停まってしまった。。。次に生身にチューブ式のコースを試したら、こちらは水流が多かったのか中々のスピードでゴールに突入できた。PICの「マットを使用する」ウォータースライダーであらゆる姿勢で「死ぬほど」滑ってきた我々にとっては割りと物足りなく、「まあ・・・こんなもんかね」などと言い合っていた。次に浮き輪を使って大きなチューブに突入する「ブラックホール」と名の付いたコースに入ると、一番手の甘辛がスタートしてしばらくして真っ暗なチューブ内で「ホッホーっ」という歓声があがり、次に妻が突入すると「ギャーっ」という悲鳴が聞こえた。最後の私が滑り出すと真っ暗なコース内にところどころ星のような光が見える演出がされている。へえーっと感心していたら、突如「ドワンっ!」と急降下&急転回で猛スピードに加速した。

    

急に暗いトンネルに入ったから目が慣れるまではところどころにキラキラ光る星しか見えないのである。そこへ急降下急加速だからかなりビビッた。なるほど先に行った二人が上げた歓声(悲鳴)はここか・・・水流が多いのでその後も加速を続け、右に左に転回しながらかなりの速度になった。なーるほど、これはよくできている。何回かこの「ブラックホール」を堪能した。横にある大きなウォータースライダーは主に二人用浮き輪で滑り落ちるタイプで、こちらも右に左にかなりのスピードになり、重さがあるから中々の迫力となった。実は結構重さのある浮き輪を持ってスタート台まで上らなければならないのだが、途中にある「マスターブラスター」というコースに乗ると、水流で浮き輪に乗ったまま押し上げてくれるのである。「上るウォータースライダー」は初めて経験した。

     

次はいよいよ45度の急降下スライダーである。日本にももっとすごいのがあると聞くがいざてっぺんに上るとかなりの迫力だ。初めてと知ると係員はいつもの姿勢(足先をクロスし、両手も胸の前でクロスした「落下姿勢」)をして見せた。恐怖に打ち勝てなかった妻は脱落して下からの撮影班となった。まず甘辛からトライしたのを見ていたところ、スタート地点から数メートルは傾斜の緩やかな「助走遅滞」でそれほどスピードは出ない。その後「うぉぉぉーっ」という声とともに姿が見えなくなり、やがてはるか下に大きなしぶきが見えた。まあ・・・絶叫型のスライダーはほとんど経験がないが、時間にして大したことはなく、甘辛が手を振っているので、私も「エイやっ」と滑りだした。ところがここでも長袖のラッシュガードが災いした・・・なんと落下直前で停止してしまったのである。まさかあと一歩で停まるなんて思っていないからパニックになり、手足をばたばたさせて前へ進みわざわざ自分から奈落の底に「どわーっ」落ちる羽目となった。落下そのものよりもその直前で停止してしまう方がよっぽど恐ろしかった。

    

開園時間が午前10時から午後4時までと、意外に短くスケールもそれほど大きくないどちらかと言えば「小さな子供でも楽しめる」ウォーターワールドだが、ここには他にはサイパンのPICにしかない我々の決して外さないアトラクションがある。ボディボードを使って幅数メートルの「Vの字スロープ」の上から人工的に作られた高速水流の波に乗る「フロースライダー」である。実は大磯ロングビーチにも小さいながらこれに似たアトラクションがある。V字スロープの右上端の突入点から反対側のてっぺんにある幅数メートルの水流発出口に向けてボディボードごと飛び込む。一旦最下点を通過して発出口付近まで勢いで向かうが、水流と重力によって勢いよく押し戻される。この時に重心移動によって水流の抵抗をコントロールできないとそのまま後ろの反対側Vの字スロープを越えて吹き飛ばされてしまう。子供から大人まで様々なゲストがトライしていたが、皆あえなく後ろへ飛ばされるか横へコースアウトしてしまっていた。

そこへ我が父子の登場である。実は5年近く前までは毎年のように夏休みはサイパンのPICを訪れ、30以上もあるアクティビティのうち、ターザのフロースライダーより少し大きい「ポイントブレイク」を飽くことなく続けてきた我々である。最初はさすがに初心者同様で少し狭いコースや水流の強さと抵抗が分からず二人とも撃沈。。。。しかし2回目にして私はすぐにかつての身体さばきを思い出し、最下点から少し後ろに上ったポイントでピタリと静止してみせたら、並んでいたゲストからは「おおーっ」という歓声が上がった。右に左に揺らしてコース取りを確かめ結構長い時間滑って静かにコースアウトした。この時点で私は「イケる」と確信し、妻にカメラで撮影するように頼んだ。次回の必殺技を写真に収めてもらうためだ。次の私の番が来ると、順番待ちの列も流れるプールから眺めているギャラリーもかなりの数になった。

ゲストの何人かは何度も失敗しているうちに、腹ばいで停止できるようになった人がいて、ビキニ姿のお仲間からも喝采を浴びていた。ふ、ふ、ふふふ。キミたち見ていなさいよ。。。
係員に足を押してもらわずに自力で壁を蹴ってスロープに突入した。颯爽と波に乗るはずだったのだが、カッコつけ過ぎて勢い余り、水流噴射口直前まで上り詰めた後反動で反対側のV字スロープの頂上付近まで押し戻されてしまい、慌てふためいて背と足をばたつかせて耐えていると軌道が横にそれコースアウト寸前となってしまった。掟破りなのだが、コース際の壁を左足で小夏師匠ばりに「とうっ」とキックしあたふたしながらようやく中心線付近に静止した。「ふぅーっ」と場内からはため息が出ていたようだった。「やべえ、やべえ、油断するといかんなー。今のナシね」(口に出したが誰にも聞こえるわけもなし)

  

次の瞬間、私は華麗にも「膝立ち」してみせたのである。これには場内から一際大きな「おおーっ」という歓声が上がった。そしてカメラを構える妻に向かって高島忠夫さんばりの「いぇーい」ポーズで決めた。実はここまではPICのポイントブレイクでマスターしていたのである。重心を後ろ目にとって、左右の膝でバランスをとれば意外に簡単にできちゃうのだ。最後に片足立膝スタイルでの回転に挑戦したが、もうちょっとのところで残念ながらクラッシュ。。。スロープの向こう側に弾き飛ばされてしまったが、ギャラリーからは「Oh,Japanese, nice ride!」の拍手が聞こえた。
実はPICでこの技を完成させたのは当時10歳の息子甘辛の方がはるかに早かったのだが、不思議なことにどうも彼は苦戦していた。腹ばいスタイルで静止まで中々いけないのである。これまで15年の人生のうち5年のブランクは中々に大きかったのだろうか?

    

午前中は全くの素人ばかりだったのだが、午後からは地元の玄人ばりの猛者が顔を出し始め、膝立ちなど珍しくもなくなり、片膝スタイルで右に左に優雅にすべったりブレイクダンスのように何回点もしてみせる技が続出した。その中で甘辛は何度も一発で飛ばされながらも少しずつ勘を取り戻し、星一徹ばりにうるさい私のコーチングも成果を出したのか最後はようやく以前軽くこなしていたレベルに達したようだ。実は普段使わない筋肉をさんざん酷使したため、その晩は寝られないほどの筋肉痛に悩まされることになるが、「初めての運動を見よう見まねでそこそこマスターするのだけは早い」私の特性を久々に発揮したところであった。

「ターザ」は3年前の夏休みの旅行計画に組み入れてあったのだが、小学最後のサッカー招待杯が入ってしまった甘辛のせいで、わずか1日で無念のキャンセル(痛恨のキャンセル料●万円)となった。前日(正しくは当日未明)に島に到着して疲れの残るところで丸1日楽しめるちょうどよい規模のウォーターパークだが、逆に言えば1日で十分なところでもあった。少し歩いたところが繁華街で昼飯もろくに食わずに遊んでいた我々はTFIフライデーで早めのディナーをとり、ABCストアで山のように部屋でとるビールや食料を買い込んだ後、DFSギャラリアの周遊バスでホテルに戻ったのであった。(つづく)

  

通学路

2012-10-04 04:52:10 | 出来事
田舎ではもっとすごい話もテレビで見たことがあるが、私の通った小学校は大人になった今でも「こりゃー遠いよなー」とうんざりするほど距離があった。車の多い大通りを避けて細い路地を巧みに動き回るルートで、1年生などにはとても覚えられないコースだった。家から数十メートルのところに昔よくいも掘りをやった畑があり、その一角が集合場所になっていて高学年生が引率する「集団登校」が決められていた。海の近くの学校だったが家からは45分以上かかり、帰りは一人ずつだから迷子にならないのが不思議なくらいだった。浜降祭の前日、東海岸地区の「お菓子をくれる子供神輿」に付いて行ってホントに帰れなくなったこともある。

小学校の帰りはそのまま校庭で遊んでくることもあったが、圧倒的に多かったのが通学ルートにある「ドブ川球場」と呼ばれる広い草っ原である。その名の通り草野球程度はできる平地があって、周囲にはまさしくドブ川が流れていた。清流では決してないが、ザリガニ程度は獲ることができたし、背丈の長い草むら地帯ではキリギリスやバッタなど昆虫獲りもできた。さらに奥地の草深い地帯では「秘密基地」を作り、基地の周囲には「落とし穴」網を張り巡らせていた。正しく多目的広場(なんていうかただの空地なんだが)のハシリと言えよう。

白くてきめ細かく大きな昆虫採集用捕獲網など誰も持っておらず、100円くらいの編みの洗い魚網でドジョウだろうが、トノサマバッタだろうが捕獲していた。オニヤンマは動きが速く柄の長い網では捕まえられない。飛行軌道を後ろから追いかけて野球帽で獲るか、何かに停まった瞬間に後ろからヒュンと羽を指で挟むかである。動態視力と俊敏さは実に養われたが、大体獲れるものはいつも似たような昆虫ばかりでタマムシなど変わった虫を見つけるとヒーローになれた。トカゲやカナヘビ、ありとあらゆる小動物も捕獲した。

      

学校の周囲にも様々なアトラクションがあった。ゴルフ場に忍び込んでボールを拾い集めて焚き火をしたり(外皮が燃えてなくなると長い長いゴム糸付きボールができ面白いのである)、「お化け屋敷」と呼んだ廃墟を探検したり、人んちの庭なのだがかなりの頻度でゴマダラカミキリがいる「ゴマダラの木」によじ登って捜索したりしていた。ちょっと外れるが東海道線の踏み切りの下に流れる用水路のところに出入り口もある本格的な秘密基地を構築したが、ある日本当の浮浪者が住み着いてしまって追い出されたこともあった。

中学校に進むと通学路はそれまでの約半分程度になった。当然フリーの通学路になったので、運動部の悪友の家経由のコースとなり、KICK師匠ゆかり?のU田酒店の真横を通過して通ったのである。部活動に明け暮れ学校帰りに遊んでくることはなくなってしまたったが、買い食い禁止の校則に反し、そのU田酒店のすぐ横の交差点にあるNじまという駄菓子屋にいつも部活帰りに入り浸ってチェリオ片手に10円玉を転がしてコインを出す単純なゲームで飽きもせずに遊んでいた。

新幹線ゲームと呼んだこのゲームは関門が3つあって最初の二つはそれぞれスカ、1倍、3倍のホールがありスカ以外なら次の関門に進める。最後のゴールは×、3倍、5倍のホールがあり、最終関門を突破すると通過したホールの倍数分だけコインが出る。つまり最大45枚のコインがジャラジャラ発出するわけである。腕が悪いと一瞬で最初のホールでスカに沈む。。。私はかなりの確率で第二関門を突破できたが、どうにも最終関門がダメだった。しかしそおはうまくいったもので、最終ホールだけ得意な野球部の悪友がいて、コンビを組んでよく15枚や27枚獲りを演じていた。2度ほど45枚獲りを炸裂させた時は隣りのマシンで遊んでいた小さな子供が「機械が壊れてしまった」と勘違いして恐くて泣き出してしまった。。。

「買い食い禁止」のために学校の周囲に何軒かあった駄菓子屋のは生活指導の教員を中心に「パトロール」が実施されていた。運動部バリバリの我々は付近にちょっとでも教師の姿が見えるとクモの子を散らすようにダッシュで逃げ去り捕まることはまずなかった。現行犯逮捕でなければ翌日出頭命令はないのである。Nじまにも何度か見かけたが、生活指導歴●十年?の社会科の教師が一度変装して現れた時は驚いた。(まるで尾行である)
どこに行くにもチャリだったが正直、中学を卒業するまでは市内どころか今の新●南バイパスよりも海側しか行動範囲がなかった。市の駅伝競技大会に出場する悪友を応援するために市内最北部のH陽中学に行ったときなど「地の果てか?!」と思ったものだ。。。

高校に進学して初めて電車通学というものを経験した。駅までチャリで行って二駅だが電車に乗り、ご丁寧に乗り換えて一駅、そして校門までは徒歩10分くらい・・・大体、故郷の市街地から出たことはなかった私は「なんて遠くにあるんだろう」と辟易していた。電車では距離感や地理感、方向感などまるでわからなかったのである。しかし部活も軌道にのり朝連の準備など新入生の仕事になってくると、電車での通勤が何とも不便でしょうがなくなってきた。乗り換え駅から直接学校へ歩いても大したことがないことに気付き、そしてさらに「なーんだ、チャリで行っても大したことないじゃんか・・・」何せ生涯で最強の体力を誇る時期である。部活が終わってヘトヘトになっても電車で帰るよりはましだった。

ところが我が校は居住する地区ごとに大まかな通学ルートが規定されており、ある一定距離より近くても、遠くても自転車通学は「禁止」だったのである。(事故を防ぎたかったらしいのだが)学校から見れば私は市外に住むので当然自転車通学の許可が下りない。仕方がないから裏の●森公園にみんなチャリを置いていたのだが、それが近所の住民の苦情となり、定期的な一斉検挙があったのである。考えてみればずいぶん乱暴なことをしたものだ。何せ名前など書いてないからホントに子供と公園に遊びに来て停めている主婦や憩いにやってきている人のチャリまで「根こそぎ」撤去回収してしまうのである。摘発されたチャリは臨時の駐輪場に置かれ、長―い鎖で連結されてしまう。体育教官にこってり絞られ、反省文のようなものを書かされてやっと解放されるのである。私を含む一部の識者はとある文化部の顧問と仲良しになり、一斉検挙のある日を内緒で教えてもらって巧みにかわし続けた。私は「水を飲んではいけない」部活がキツくて夏場は「重罪」とされた原付での通学を敢行していた時もある。

方角的に私の学校は実家を出て東へ向かうのだが、朝連などを除けば通学時間など同じようなものだから大通りに出た時に別の市内の高校に通う元クラスメイトなどとチャリですれ違うことがあった。(通った中学が同じ地区なんだから当然か)こういう時や試合に行って元級友と会ったりすると実に嬉し懐かしかったものだ。
とあるサイトでチャリ通学が話題となり、当時は実家の近くを風のようにかすめて市内の高校へ10数分で通っていた級友が多かったそうだ。まじかよ?!オレんちからでもあの学校までほぼずーっと登り坂だぜ。5キロくらいはあるはずだ。今でも近くの霊園まで車で20分以上はかかるのに、運動部でない女子まで記録を更新し続けたそうだ。

私の学校はと言うとGoogleマップで調べると彼らよりも5割増しくらいで遠かったようだ。東海道線沿いをほぼ一直線に東へ走ってバス通りに入るだけだ。ほぼまっ平らなので結構近く感じたが、西風が強く、部活の帰りは本当にめげた・・・
それにしても若い時の脚力というの恐るべき底なしの力だ。息子は中学生なのに私の高校の2倍は距離のある練習会場まで1時間かけて平気で通っている。私だったら行って帰るだけで正体不明のじん麻疹モノなのに、サッカーの練習をやってくるんだからすごい。
これからの季節、ウォーキングにはとてもよい。しかし渋滞の多い海辺のコースで圧倒的に行動範囲が広いのはチャリだ。最近車道を走るロードバイクをよく見るが、「どこへ行くにもチャリだった」昔を思い出して、今シーズンは「サイクリング」(って死語?)で色んなところを攻めようかな。

特撮美術の世界

2012-10-01 05:14:41 | 出来事
9月のとある日曜日、息子甘辛と東京都現代美術館というところに初めて足を運んだ。「MOt」とかいうマークで結構マニアには有名らしい。むろん息子も私も「現代美術」なるものなど、全く縁のないこれまでだった。ただ期間限定で「特撮博物館」という催しがテレビで宣伝されているのを息子が見たのである。この夏ウルフェスとともに我が父子が足を運ぶアトラクションとなっていた。ウルフェス以外にも先日の二子玉川園やデパートなどで「ゴジラ展」などを開催していることはたまにあるが、「美術館」で見るのはさすがに無かった。

      

最寄りの駅は半蔵門線「清澄白河」、深川の下町の方で「東京スカイツリー」の近くにあるらしい。「東京モード学園」イメージの人達で賑わう場所で「特撮」などウケるのだろうか?「現代美術館」らしく奇抜な形をした建物を入って行くと、何と当日入場券を買うまでに20分の列ができていた。来場者は子供もいるが、いわゆるアート系の人々や若い女性などが意外に多く、「特撮ってこんなに人気あったっけ?」と驚くような客層である。当日入場券を買って、入場するまでに4列で並ぶ。中が詰まっているので入場制限をかけているらしい。入り口で詳しい解説を聞ける無線機を貸し出していて、大抵の人が利用していたようだが、1回500円、入場が1400円、結構お高い催しなのだ。

  

「ミニチュアで見る昭和平成の技」というサブタイトルで表題は「エヴァの原点はウルトラマンと巨神兵」、どういうわけかスタジオジブリが製作した最新の特撮短編映画を上映しているらしい。入り口を入ると巨大な映画「モスラ」のポスターが壁一面に描かれていた。その前に子供の背丈ほどもある昔の東京タワーが・・・そう、初代モスラの幼虫は東京タワーをへし折ってそこに繭を作ってしまうのである。子供の頃、(蝋人形館が出来る前)お土産屋にはモスラ幼虫が繭を作ったタワーのカレンダーを売っていた。今、持っていたらかなりプレミアがついたレアアイテムだろう。。。ウルトラシリーズが現れる前後、円谷プロの「ゴジラ」「モスラ」そしてその周辺の「怪獣映画」などは特撮のハシリであった。

  

実在する建物や自動車がひしめく街に海、山、湖など大自然、そしてそこに何故かいつも同じくらいの大きさ(40メートル前後)で出現して破壊を繰り返す怪獣や宇宙からの侵略者。。。私が生まれるはるか以前、初めて大戸島に「ゴジラ」が現れた時、新幹線も東京タワーも無く画面は白黒だった。しかしゴジラが背びれを光らせて放射熱線を吐き出すと、テレビタワーは熱で溶け落ち、高圧送電線を踏み切ると強力な火花が飛び散り、東京駅を発した寝台列車を持ち上げると、架線が切断されるため車内への給電が停止し、車内灯はパチパチっと消えてしまうのである。そして侵略者に立ち向かうために人類の英知を結集して作られた秘密兵器。。。初代ゴジラを倒したのは日本人研究者(芹沢博士)が禁断の兵器として開発した「オキシジェンデストロイヤー」である。

「地球(宇宙)の平和を守るために遣わされた異星人」よりも「人類対ゴジラ」の方が科学的なリアリティがあって興味深いものもある。陸上自衛隊の「74式メーサー殺獣光線車」ってホントにあるものだと思っていた。人類とゴジラの戦いは「科学」と「怪獣」の戦いの歴史でもある。30年ほど前に久々で単体で現れたゴジラを迎え撃った超兵器「スーパーX」は初めて「放射熱線」に耐えうるチタン合金でできていたし、ゴジラを原子炉と見たてこれを制御する「カドミウム弾」を装備していた。核エネルギーをエサとする「抗核エネルギーバクテリア」をゴジラの細胞から培養し、動きを停めようとした戦いもある。またゴジラのヒートアップを停止させるために「超低温レーザー」なる兵器も登場した。いずれも通常の兵器は全く寄せ付けないゴジラに対して生まれた人類の英知である。

怪獣対科学の戦いの歴史は同時に「特撮」の歴史でもあり、ウルトラのゾーンに辿りつくまでに私達は「特撮というのは一種の芸術なのだ」ということが分かってきた。CGの全くない時代に25分の1のミニチュアとして精密に作られたジオラマを中心に雲の動き、波の動き、山の風景などを組み合わせていかに「本物らしく」見せるか。。。実は模型だと分かっていても、いかに臨場感を出し視聴者に「アン・シャーリー」のような想像力を醸し出すか。ゴジラの撮影の時は「尻尾の先だけを動かす専門の係」がいたという。爆発のシーンやビルが崩れるシーンなど、実に細かい所も効果的に職人技を出している。街並みや中心にあるランドマーク、超兵器でないただの兵器は「ゴジラに破壊」される運命にあり、保存することなど微塵も考えられていないから、運よく形を残しているモノでも劣化してボロボロになってしまい大半は捨てられてしまったらしいのである。

さて怪獣映画のゾーンを通過するとお馴染み「ウルトラゾーン」である。映画ものと異なり、週一のテレビ番組での全50回近くの短編ともなると、さすがに特撮レベルは落ちてくるが毎度毎度登場する超兵器メカシリーズは「これ5万円なら買って帰るんだがなー」という模型が山ほどある。一機1万円を超えるEX超合金「ウルトラホークシリーズ」「マットアローシリーズ」の大人買いも完了し、甘辛のシェッドはちょっとした展示館ほどのコレクションを誇るが、やはり「撮影で使われた」という年代モノは格式からして全然違う。。。19年も通い続けているウルフェスで何度もこの手の展示を見てきたが、何度見ても心躍るものがある。しかしながら残念ながら「全ての展示物は撮影禁止」、いかにも「このイベント用に作成しました」という後付けモノでもカメラを向けると怒られる。

「何だかなー。。。勿体ぶるほどのモデルじゃねーのにな。」甘辛もブツブツつぶやいている。まあ「芸術・美術品」として扱っているのなら「著作権」みたいなのはあるだろうからなー。ウルトラゾーンでもモード学園っぽい人達や「ウルギャル」(ウルトラマン好きのギャル・・・そんなのいたっけ?)が熱心に無線の説明に聞き入っていた。我が親子はそんな説明は不要どころか、自分で説明できるくらいのレベルなので展示された超兵器などのディティールを眺めながらサクサクと見学コースを進んでいた。故三船敏郎さんも出演した戦争映画に登場した戦艦やゼロ戦、戦車やセットなどの展示を終えると、もう一度ウルトラ系の映像が流れていた。しかしこれまた写真撮影厳禁のショーウィンドウに並ぶアイテムは見たことあるモノばかり・・・「オレんちにあるヤツばっかじゃんか・・・」息子も愚痴っていた。

その隣にちょっと大きめのシアターがあって、すごい人だかりがしていた。最新の特撮映像を見られるゾーンらしい。上映時間は5分くらいだが、これぞ特撮博物館の誇る「巨神兵東京へ現る」という特殊映像である。合成映像は使っているがCGは一切使っていない。精密に製作されたミニチュア都市のアパートから一人暮らしの6畳から空に浮かぶ巨神兵を写しだすシーンがものすごい。道歩く人、公園で吠える犬こそジオラマなのが分かるが、どう見ても実際の東京に巨大な侵略者が降臨したようにしか見えない。影といい、周囲に漂う火の粉といい全部手作りで演出された特撮効果というのがすごい。映像そのものは単なる破壊と爆発の繰り返しなんだが・・・  

「まあ・・・すげえことはすげえけど、ジオラマは結構見慣れてるしなー。これで1400円だったら怒っちゃうかもなー」やはり「芸術・美術」の世界には中々理解が足りない私達だった。。。最後のブースではようやく撮影フリーのミニチュア都市があった。「巨神兵」撮影に使った25分の1のミニチュア6畳部屋の撮影は並ぶに30分以上かかるらしい。ビル群の中に進入するにもやはり30分は並ばなくてはならない。「ぬいぐるみ着て、ここで戦ってみてえよなー。倒れる時はビルの破壊ありでさー」甘辛は感心して言ったが、全く私も同感だった。ジオラマそのものもよくできていたが、やはり都市モノは「破壊してナンボ」だ。

          

カメラワークによってはCGよりもよっぽどリアルに見える「特撮」の世界は「アート」としても十分に面白い。来館者にやたら若い女性が多いのも「特撮ギャル」の現れだろうか。精密な復元とかリアルな表現というのは苦手の領域なんだが、色々と趣味の世界が広がりそうだ。(特に接近して撮影できるレンズが面白そうだ)
ウルトラの世界は特撮に加えて「ストーリー性」が大事である。特撮ギャルが発展して「ウルギャル」になったら、たくさんのお友達ができて楽しいだろーと思う。
ちなみに「特撮」ではないが、これは私と息子だけが知る「バッタの楽園」で昨日撮った体長約10センチの「トノサマバッタ」である。やはりどんなミニチュアも「本物の昆虫」にはかなわないか・・・?!