超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

うちなーの海と空

2014-08-31 14:52:26 | 旅行お出かけ
アニバーサリー旅行としてオキナワツアーを計画したことを先般書いた。8月の前半は大きな台風が立て続けにやってきて、天候が心配されたがありがたいことにお盆明けの旅行期間中は見事なくらいに晴れ渡り、ミクロネシアンに間違われるほど真っ黒に焼け焦げることになるのである。息子甘辛は前日から茅ヶ崎の実家入りしており、初デート?を控え我々の旅行どころではないらしく、「お土産は現金でいいよ・・・」などと澄ましていた。今回の企画は終えてみればパーフェクトに近いアニバーサリーとなったが、具体的な手配は妻の功績によるところが大きい。航空券は私のマイレージを使用し、中部の東海岸、北西部半島に半分ずつ半分ずつ宿泊し最後の晩は那覇で過ごすというものだ。東京から2時間余りのフライトで那覇空港へ到着。隣の駐機場に巨大ジンベイザメが描かれた機体を見つけ「さすがオキナワだけどピンクというのはねえ」と話していたのだが、妻が「あっちにブルーのヤツがいるよ」

    

移動は旅行中すべてレンタカーを使用し、空港から乗り出した。公共交通機関のあまり発達していないこの地では旅行客の多くは滞在中ずーっとレンタカーを使うらしい。ちょっと田舎でレンタカーなどを使うと、申込み手続きにあたり保険の説明、その他返却の要領や紙面の確認など結構手続きに手間を要し、客が重なるとずいぶん待たされたりするのですが、さすがレンタカー王国?!事務所まで移動するバスの中で申込み用紙記入、免責など必要事項の説明を一斉にアナウンスし、オフィスでは番号札で呼ばれるのを待つだけ・・・所定の確認と支払サインを行うと、外には車が用意されている見事なシステムである。バスには20組以上のグループがあって「これじゃあ、乗り出すまでだいぶ時間かかるかなー」と思っていたのだが、見事なオペレーションによりわずか10分くらいで市内に向かうことができた。

備え付けのナビゲーターの癖に戸惑いながら、いくつか世界遺産とされる名所を観光し、初日宿泊するのは「浜比嘉島」というリゾートだ。本島の中西部にひげのような形でいくつかの島が連なっている一つである。海の中でもないのに「海中道路」という道路を通り、立派な大橋を渡って目的地に到着したのが夕方だった。島にホテルは一つしかなく、田舎じみた港と民家がポツポツとあるだけだ。リゾートホテルは丘の上の結構立派な施設だが、部屋は30ほどしかない隠れ家的リゾートだ。通された部屋からの景色にまずは驚いた。美しい海の眺めとは外国の南の島しか見たことがなかったが、この島はこれまで見たその景色にも劣らない。しかも妙に観光地化された明るさがなく剥きだしの岩や整地されていない砂浜などが目の前にあった。とくにアミューズメントがあるわけではなく、泳ぐというより浸かるというに相応しい小さなプールがあるだけだが、そこからの風景がまた素晴らしく時間を忘れてまったりするにはこの上ないリゾートだ。

          

部屋からの眺めは真東側にあたるので夜になって通路の端まで行き非常口を開けると真南側にこれまで見たことがない見事な「天の川」が現れた。伊豆と菅平で見たことはあるが、これほどはっきりしたのは初めてだ。最初は「これって雲かなー?」と思ったくらいだ。妻は新婚旅行のクイーンズタウンで見た(南半球だが)「降って来るような天の川」しか知らないようで日本でも見られる見事な星の川に驚いていた。これまで何度も都会を離れた南の島での夜空はあったのだが、意外にも期待するほど美しい星空ではないのである。観光地化されているところは深夜でも施設の周囲に煌々と明かりがあり、空気は綺麗なはずなのに光害によって天頂付近の星しか見えないしこのシーズンは雲が多いのである。私は超兵器ポラリエ1号と203号をセットした。残念ながら建物があって北極星を捕まえられないので、精密コンパスと緯度から方角と仰角を合わせ追尾撮影を開始した。真っ暗闇とはいっても防犯用の街灯や駐車場の光が入ってしまうので、露出時間は5分くらいが限界だが、初めて「天の川」を撮影できた。

      

翌朝、東側の窓からは水平線から見事な日の出が見られるというので早めに起きてずーっと海を眺めていた。翌日は部屋の窓から見えるビーチ(にはあまり見えないただの海岸)に行った。今回の旅行はレンタカーでの移動ということもあり、様々なアイテムを持参していた。必ず使用すると思っていたシュノーケリングセットもそうだが、コンデジ用防水ケースも用意し、初の水中撮影にも挑戦したのである。ビーチハウスと境界を表すブイはあるが監視員もなく手付かずの海そのものだった。海の中は予想通り波打ち際から白い魚が泳ぎ回り、海藻や岩のあるところには南国系の様々な魚が見られた。しかし水中メガネ越しの撮影は困難を極めシャッターを押し続けたがちゃんと写っていたのは数枚に1枚という打率の低さだった。天気がよいので太陽光が海底まで届きキラキラ美しいのだが、防水ケースのビニールが曲がって光を反射してしまい、ピントがあっているのか、対象物を捉えているのか、全然分からないのだ。しかし苦戦の末、何とかウマヅラに似たカラフルな魚、ブルーの綺麗な魚の姿を収めた。

             

次なる海は西側の本部半島から見える「瀬底島」である。この旅行で後半、宿泊したホテルから車で20分ほどのところだ。海洋博公園にあるビーチに行く予定だったが、ビーチで熱帯魚が見られるという情報を妻が仕入れ、1日中いくならそちらへ行ってみようということになったのだ。実は以前「封印された日本の離島」という本に載っていたので名前だけは知っていた。開発途上で建設が頓挫した巨大リゾート施設の廃墟があるというのだ。ちょっと薄気味悪い感じもしたが興味もあった。橋を渡り周囲には何もない道路を矢印に従って走ると巨大な建物が見え駐車場が現れた。海岸はきちんと整備されており、ビーチハウスや更衣室、シャワーも完備され浜比嘉島よりもはるかに観光地化されているが、彼方に臨む伊江島も含め風景は素晴らしい。ブイは定置網のような網で囲われているが、潮の満ち引きが大きいので魚は出入り自由であり、シュノーケリングでエサをやる人がいるので自然に様々な魚が居着いているそうだ。腰までしかない水深に岩場がたくさんあり、大きな魚がたくさんいる。ここも撮影しがいのある素晴らしいビーチだ。

      

飽きもせずにずーっと魚を眺めていたのだが、突然妻が「わわーっ」と驚いて立ち上がった。「何かカラフルなウマヅラがぐ突進してきたー!」正面から真っすぐぶつかってきたので最初何が起きたのか分からなかったらしい。「からかわれてんじゃねーの?」と笑っていたが突然足のつま先に何かがぶつかった。「痛えっ!」水中シューズを履いていたので傷は無く岩にでもけ躓いたのかと思ったが、すぐさままた同じ衝撃が・・・何かがかじりついてるぞ?!立ち上がってみるとあのカラフルなウマヅラのようだ。あれはこの辺りではよく見られる魚で、いつも近づくと逃げてしまうのにずいぶん獰猛なヤツだな。取りあえずその場付近からは避難してきた。あとで妻がビーチハウスにあった危険生物の看板で何故あのウマヅラが攻撃してきたか解明してきた。どうも繁殖期(ホントはもっと早い季節のはずだが)には卵を保護するために近寄るものに突進してくる、というのだ。あーびっくりした・・・

          

休憩で上がってきた時にきさくな警備員に色々話を聴けたのだが、別に何か曰くがあって廃墟となっているのではなく単に開発中に親会社が倒産してしまったらしいのだ。ゴルフ場も含む一大リゾート施設となる予定だったらしく、ものすごい巨大な建物だ。360もの部屋を持つ7階建の巨大なホテルだが、6階までで工事は中止、鉄筋が剥き出し状態になっている。できていればビーチを間近に素晴らしい眺めになったろうに無人で佇む建物が少し無残だ。グランドオープンの1年前から教育や準備のために150人もの従業員がいたが色々な形で雇用されており、彼もその一人ということだった。施設はどうにもならぬが、毎年たくさんの人が美しいビーチ目当てにやってくるので、周辺の珊瑚礁の保護も含めてここでお手伝いしているそうだ。この地方にしては珍しくそれなりの駐車料金をとるのもその辺の事情によるものだろう。シュノーケリングしたり海辺を散歩したり、ビーチで遊ぶ小さな子供にプレゼントするための小さな生き物を探したり・・・6時間近くビーチにいたことになるが、まったく時間の過ぎるのを感じない、まるで時が流れないようなひと時だった。

    

本部半島を離れる日、半日だけ海洋博公園の端にある「エメラルド・ビーチ」に立ち寄った。ちゅら海水族館側から順番に子供らが水遊びする「憩いの浜」、眺望の素晴らしい「眺めの浜」、アクティビティ盛んな「遊びの浜」があり、素晴らしく水質のよい人工ビーチだそうだ。監視員がきちんと見張り、海底は掃除係が回遊してゴミなどを拾ってくれている。シュノーケリングは禁止でさすがに海辺で遊ぶモノは持っていなかったので、主に「遊びの浜」で泳いだり周辺を散歩したりまったりしていたが、実は「眺めの浜」は底は人工砂になっておらず、岩場なのでやはり様々な魚を見ることができることが分かった。水泳用ゴーグルでも十分に楽しめヤドカリ拾いなどをしていた。ここも楽しいから那覇に移動するのは夜でもいいかなー、と思っていたら突如隣の妻が「ストップ!」と私の背中をはたいて海底を指差した。「んっ?」と何やら動く黒いものが見えゴーグルを着け「うわーっ」と叫んでしまった。。。何とドギツイ白黒縞模様の「ヘビ」だったのである。「もう、いい加減『帰れ』ってことじゃないの」我々は名残惜しくビーチをあとにした。

      

台風が心配されたのだが、滞在中奇跡的にも毎日が快晴に恵まれ、人生最黒と言えるほど焼け焦げた。しかし移動中、突如として黒い雲が空を覆いフロントガラスの前が見えなくなるほど猛烈なスコールに見舞われた。この辺は南国特有の空なのだろう。しかし浜比嘉島の夜空は実に素晴らしかった。今回は「天の川」の撮影だけだったが、時間や方角、超兵器203号の望遠レンズを駆使すれば我が家周辺では難しい星雲・星団の撮影もできそうだ。またちょっと岩場に行けばシュノーケリングも十分楽しめる。うちなーの海と空は素晴らしい。これから我が家の「南の島」旅行はオキナワが中心になろうかと思う。(つづく)

  


ダウンサイジング

2014-08-21 23:42:27 | スポーツ・健康
もう間もなく私は「人生のハーフタイム」とも言える時期を迎える。子供の頃、いくら走り回っても端っこに行き当たることのなかった近所の公園、迷い込んだら二度と脱出不可能にも思えた街の遊園地、ローラースケートで縦横無尽に滑りまくってもクラクション一つ鳴らされなかったラチエン通り、その広大だった記憶が大人になって久々に訪れると「えっ?ここってこんなに狭かったっけ?!」と不思議に思うのはよくあることだ。しかし一定以上の年齢を重ねると、その逆の現象も起きることに気が付いた。フィールドがやたら広く感じるのである。。。むろんこれは体力的なところが多い。マラソンのようにたらたらと自分のペースを維持して、身体と対話しながら走るようなことが苦手な私はあっちに行ったりこっちに曲がったり、全速でダッシュしたり急にストップしたり、という「アジリティ」を活かす運動ばかりしてきた。

スポーツ少年団では野球を中心にバドミントン、卓球など子供でもできる運動はなんでもしたし、中高生期はサッカーを中心に学校で「対組競技」というのが盛んだったからバレー、バスケなども本気(と書いてマジと読む)で練習した。学生になるとバブルらしくテニス、スキーなどが加わって最後に「おやじのスポーツ」と思っていたゴルフにも「試し」に手を出すことになる。社会人になって身体をフルに動かす機会はめっきり減り、たまのソフトボールくらいしか外を走り回ることはなくなった。やはり「社会人の仕事」というのは厳しいものだ。覚えることはたくさんあるし、怒られること、謝ることなども度々で、さらに「夜の付き合い」なるものも盛んにある。何せ「24時間戦えますか?」というCMが流行った頃だから、何をするにもモーレツ(死語?)だった。人間ドックなどその意味すら知らず、健康診断時に赤マークがいくつも付いてくるのを誇っていたようなところがあった。人生で最も体重量があったのが20代なのである。

20代も後半に差し掛かり、信じ難いことに上司の上司やもっと偉い筋、謎の人事担当あたりから「縁談」なるものを持ちかけられたことが何度かある。まるでべたなサラリーマン物語みたいだがホントにあった話で、これらをきっかけによく言う「結婚を前提とした交際」などになっちゃった場合に、どうも今よりも10キロ以上太った醜い姿では「政略結婚」と言われそうな若者らしい危惧を感じ、ここに至ってかなり我流の「肉体改造計画」に走るのである。独身寮に住む貧乏会社員だから、やることと言ったら帰ってひたすら走るだけ・・・5kmくらい先にスーパー銭湯を発見したので、そこまで走って汗を流し、復路はまた走って帰るという、ボクサーの減量のような世にも危険なダイエットだった。むろん身体によくはないことくらい分かったが、何事も一気呵成に行ってしまう私は自分の性格を考えて「一旦、一気に落としてしまい、その栄光を維持する」能力に賭けたのである。脱水で眩暈がしたり、肌がカサカサになる副作用も乗り越え、数か月でほぼ現在の体重に持ってきてしまった。後は毎日体重計とにらめっこしながらジョギングの数はそこそこに抑え、増えれば減量、減れば休むということで維持に成功した。

結婚して地元近くの社宅に住むことになって、生まれて初めて「スポーツ・ジム」なるものの門を叩いた。当時は妻も正社員で仕事をしており「早く帰った者が夕食を作る」ところがあったが、やはり私の方が遠方勤務だし帰宅時間は遅いことが多い。会社帰りに「家で待っている人」があると、夕飯を一緒に食べ共に晩酌しテレビを見る、なんてことが習慣化し、着替えて「ちょっと走ってくる」という気分には中々ならないから、会社帰りに「カロリー消費」してきてしまう作戦だったのである。最初はマシンジムで黙々とバイクを漕いだり筋トレを行ったりのジムライフだったが、ある日勇気を出してスタジオプログラムのバーベルエクササイズに参加してみた。一人でひさすら上げ下げを繰り返すよりも皆で一緒に音楽に合わせて行う方がはるかに楽しい。そのうち恐る恐るパンチやキックを使うコンバットエクササイズに顔をだし、踏み台を使ったステップエクササイズを経て、ついに男子禁制かと思っていた未踏の「エアロビクス」に辿り着くのである。

だらだら走ったり歩いたりの繰り返しでひたすらカロリー消費と汗を流す運動ばかりしていたが、30代になってエアロビクスのような「有酸素運動」に忘れかけたていたアジリティを思い出しかけてきた。そして息子甘辛が幼い時からサッカーを始め、一緒に練習するため再びピッチに立つことになるのだ。普段はスタンドから応援しているが、たまに練習のお手伝いをしたり、保護者も交じって紅白試合をしたりすると、小学校のグランドとゴールなのに「こんなに広かったっけ?」と戸惑うのだった。合宿の際に大人用グランドで試合をした時など、ゴールラインが地平線に見えた・・・ピッチを広く使って走り回ることなどできず、「ボールのあるところに集まってダンゴになる」という幼稚園生のサッカーになってしまう。今から考えるとフィールドの3次元的な識別能力が著しく衰えたので、平面としてとらえた際に距離が絶望的に遠く見えてしまったのだと思われる。

やはり30代半ば、地元の悪友達で草野球チームを結成し大会にもエントリーするようになった。もう亡くなってしまったのだが中学時代世話になった用務員の方に監督になってもらい、高校野球でならした輩が集まったのだ。私は小学校以来野球からは離れていたが、投げて打つことくらいはできるので「ライパチ」(ライトで8番)で入れてもらった。久しぶりに市営球場の外野に立ったとき、「がっちりいこうぜー」と叫ぶキャッチャーが米粒にしか見えなかった。まるで後楽園のジャンボスタンドから試合を眺めているような絶望的な広さで、ゴロはいいけど外野フライだけは「飛んでくるな」と祈ったものだ。そういう時に限って、バンバン飛んできて右往左往するもので、外野手が目測を誤って打球をバンザイしてしまうほどカッコ悪いものはない・・・

守っていて後ろを振り返ると球場のフェンスなど100メートルくらい先に見え、これを超すホームランを打つヤツなど人間じゃないと思ったものだ。大体イチローのようにフェンス間際まで走ってフライを捕るなんてありえない・・・
やはり普段から慣れていないから立体感覚が麻痺しているのだ。真横から見ると地の果てのように見えるが、高台から見下ろすと大した距離じゃないのである。その証拠に10数試合行ったうちに1回だけインローの直球をマン振りしたら見事に体重が乗り、サザンも凱旋コンサートを行った球場のレフトスタンドにワンバンで叩き込むことになるのである。悪友からは「すげえ、オリエンタルツーベースだ」と冷やかされたものだ。しかし40近くにして一旦チームメイトも仕事上地元から離れるものも多く、メンバが集まらなくなってきたのでそのまま草野球チームは自然消滅のようになってしまった。

この頃が急速にダウンサイジングが進んだ期間であろう。町内対抗やレクリエーション大会などで、ソフトボールはいけるが野球は姿を消した。バレーボールはビーチバレーになってしまったし、サッカーはフットサルに変貌した。むろんどちらもスポーツとして決して楽なものではないのだが、「動く範囲と見える範囲が限られる」ことが大事なのである。年を経るに従い自然世の中への視野は広くなっていくものだが、ことスポーツとなるとグランドやコートが子供の頃遊んでいた公園のように広大なものに感じる、すなわち体力とともに行動視野がダウンサイジングしてしまうのだ。それでも昔とった杵柄、できないことはないが、広大な平野で独りぼっちで走り回るような「すっぽ抜けた」感覚があり、以前のような身体能力フル稼働の実感がなくなって徒労感が先行してしまうのである。

割と近い年代でも野球やサッカー、ラグビーなどもまだまだ正規のサイズで頑張っている知人がいる。体力的に素晴らしいのももちろんだが、彼らは広いグランドを立体的にとらえる能力がまだまだ健在なのだろう。たぶん頻度がモノをいうが、これを維持するのは体力以上に難しいものだと感じる。社宅にいたオトウ(お隣ではない)さん、ジローくん、靭帯断裂してもまだ懲りずに続けているKYOちゃんたちには頑張ってもらいたい。
実は先般書いた「応援する者の心理」で競技スポーツから生涯スポーツに転換するポイントがこの「ダウンサイジング」が進む少し前である。まあ、それもそう悲観したものではない。懐は「アップサイジング」しているはずだからである。人生のハーフタイムを目前にして身体はダウンサイジング、心はアップサイジングというところでよしとしようと思う。

おまけ 湾内では似たような日に夏祭りとともに花火大会が開かれるため、同時にいくつかの催しを見ることができる。写真は茅ヶ崎とたぶん酒匂川。これまでの最多記録は4カ所同時である。
  
  


ゴジラな世界

2014-08-19 22:43:17 | ヒーロー
前回は毎年サンシャイン文化会館で開催される「ウルトラマンフェスティバル」を紹介したが、隣のワールドインポートマートという水族館などがあるビルで「大ゴジラ特撮展」というのが開催されていた。ウルフェスを訪れた私と息子甘辛がこれを見逃すはずはないが、残念ながら部活の時間を考えるとゆっくり見物もできないので息子の方はあきらめたようだった。(何せ17日までの開催だから・・・)
私は別の日にたまたますぐ近くのオフィスビルに所用があったので、帰りに終了1時間前ではあったが飛び込んで何とかこの展示を見物したのだ。ウルトラシリーズと同様、「ゴジラもの」もわが父子とは縁が深いが、息子は分類上1999年からの「ミレニアム」、私は1984年「平成ゴジラシリーズ」からと初代からのつきあいではないのだ。

  

第1作目のゴジラが上映されたのは1954年(昭和29年)で今年で生誕60周年になるという。太平洋戦争後の10年もたたず傷跡もまだ深い日本に、「ジュラ記に生息していた太古の生物が水爆実験で巨大化し」出現した。平成になって改めてDVDを借りて見たが、当時は白黒で東京上陸時にもお馴染みの東京タワーも新幹線も走っていなかったが、ストーリーは60年たった今でも全く色褪せず、この第1作目が史上最高とされる怪獣映画となるのである。昭和になってからのゴジラシリーズは数年またはもっと後になってテレビのロードショーになってからしか見なかった。興味はあったのだが、上映される映画館が近くになかったのである。駅前に東映があったから「東映マンガまつり」は見られたが「東宝チャンピオンまつり」を見に行けるほど行動範囲が広くなかった。

ちょうど私が小学生くらいの時代とともに昭和ゴジラシリーズは一旦幕を閉じてしまう。後から見たものでも正直あまり印象はないのだが、もう一つの怪獣ヒーロー「モスラ」が登場し、人類の味方として健気にも戦った「モスラ対ゴジラ」は名作だと思う。南海のインファント島に住む小美人(演じていたのはザ・ピーナッツ)の例の歌声でモスラ成虫が現れるが卵を守って寿命が尽きる。驚くことに30作品近くあるゴジラシリーズで様々な「最強」と言われる敵が出現するが、ゴジラを完膚なきまでにやっつけた怪獣は「モスラの幼虫」だけなのである。私がこの投稿記事の中で「これ以上ないくらいの衝撃」を比喩して「キングギドラの出現」とよく表現するが、かの宇宙怪獣もゴジラを倒すことはできなかった。昭和のゴジラは「チャンピオンまつり」と称されるように多数の怪獣が現れて戦いあったり、悪者の宇宙怪獣と地球怪獣が変則タッグマッチを行ったりとおよそ科学的なリアリティのあまりない「子供だまし」が多かった。(子供だったけど・・・)ちなみに写真は最近の作品。

      

10年ぶりくらいに「平成vsシリーズ」のゴジラが登場した時は理工系の学生の時だったので、「人間の知恵と怪獣の戦い」がすごく新鮮でしかもそれぞれの作品にメッセージ性が感じられた。1984年の「ゴジラ」には人類史上初のゴジラの放射熱線に耐えうる首都防衛戦闘機「スーパーX」が登場する。ゴジラを原子炉と見立て、制御棒に使われるカドミウム弾によって核分裂を抑え一時的にはその動きを止めることに成功する。この時のテーマは大国の持つ「核兵器」のあり方だと思う。その戦いで採集した自己再生機能を持つ「ゴジラ細胞」を利用し遺伝子合成された抗核エネルギーバクテリアで核反応を制御しようとしたのが「ゴジラvsビオランテ」、陸上自衛隊にはゴジラの熱線を反射させる兵器を搭載した「スーパーXⅡ」が登場する。テーマは「遺伝子操作と人間の驕り」

「ゴジラvsキングギドラ」の時はバブル絶頂、経済繁栄を重ね、金で世界を支配するに至る日本に対し、未来の世界から「近未来に日本はゴジラに壊滅させられる」という歴史を覆すため過去から未来人のチャック・ウィルソンがやってくる話だ。ゴジラとなる恐竜が水爆実験で変異する前に転送されゴジラは消滅するが、代わりに人工的に作られたキングギドラによって日本を攻撃しその国力を消耗させようとするチャックウィルソンの策略だった。バブルの象徴とされた都庁ビルは粉々に破壊される。日本を再び支配しようとするウィルソンは落ち目になった「アメリカ」人という設定で、テーマは「日本の無神経な経済支配に対する警鐘」のようなものだろう。チャック・ウィルソンは「世界の支配者は我々だ!」と言わんとする典型的な(そんな人はいない?!)アメリカ人に見えるが、最後は搭乗機ごとゴジラの目の前に転送され、熱線で吹き飛ばされてしまう。

          

この後の「ゴジラvsモスラ」のテーマはたぶん「環境破壊」、そしてその次の「ゴジラvsメカゴジラ」にはゴジラ被害に対応すべく国連がG対策センター、Gフォースという組織を結成する。メカゴジラは先の作品で23世紀の未来人の作ったメカキングギドラの技術を応用しており、今までゴジラと戦うのが自衛隊だったのに対し、世界の技術の粋を極めた多国籍軍となっているのが特徴的だった。この辺りからこれまで割とクリアだった「その作品で何をメッセージとするか?」が曖昧になってきたが、その次の「ゴジラvsスペースゴジラ」に至っては初めて宇宙空間でゴジラが変異するという話で、バブル崩壊後迷走する日本のようなちょっと意味不明な物語だった。

ゴジラシリーズとしては完全に行き詰まった感があったが、次の「ゴジラvsデストロイヤ」でゴジラが死す、という衝撃によって一旦幕を閉じる。昭和ゴジラシリーズでゴジラをやっつけた怪獣はモスラ幼虫のみと言ったが、何と第1作目に「人間」が東京湾にゴジラを葬り去ったのである。その兵器を「オキシジェン・デストロイヤー」という。開発した平田昭彦演じる隻眼の芹沢博士は敗戦後10年立たない当時、核兵器よりも恐ろしい技術を各国が兵器として使用するのを恐れ、自らの命とともに封印する。デストロイヤは40年前に使用したオキシジェン・デストロイヤーにより古生代の生物が復活したものだ。ゴジラは以前卵から孵化したリトルゴジラと2体存在したが、オリジナルは生息した島の消滅の影響で体内炉心が高温化暴走し始め、死期が近づいていた。ゴジラ冷却用の超低温レーザーとカドミウム弾を装備した自衛隊のスーパーXⅢとともに、モスラ以外人間が作り出したもの同士の戦いだった平成シリーズでの集大成と言える作品だと思う。

息子甘辛が生まれ(たのとは関係ないけど)、ゴジラシリーズは「ミレニアム」と言われるレンジに入った。ウルトラシリーズとともに彼もこの世界に抵抗なく入っていったが、優しい性格だったのか彼が幼い時に好きだったのは、破壊を繰り返すパワフルなゴジラではなく、モスラ(とその幼虫)だった。そのせいかモスラの登場する「大怪獣総攻撃」まではモスラ単独が活躍する映画の方を見に行ったのだ。2001年の大怪獣総攻撃は重い話でゴジラは「太平洋戦争で亡くなった多数の人々の怨念の塊」とされ、これまで現れたゴジラの中で唯一「黒目」がない・・・また伝説の護国三聖獣はバラゴン、モスラ、キングギドラとされ、かの宇宙怪獣が初めて日本人の味方としてゴジラと戦った物語である。幼い甘辛は最初はあまり関心を示さなかったのだが、同時上映されたどう見ても落差のあり過ぎる「とっとこハム太郎」が大好きだったため、ゴジラ映画デビューとなったのである。

3作目となる最新の「ゴジラ×メカゴジラ」は今ではお馴染みのCGがよくできていた。また例のオキシジェン・デストロイヤーで葬られた初代ゴジラの骨格を引き上げて、DNAコンピュータという技術を駆使し、機龍(=メカゴジラ)を完成させるのだ。アブソリュート・ゼロ(絶対零度砲)という究極兵器をもつが、ゴジラの細胞を使用しての稼働だったためゴジラの咆哮に反応して暴走してしまう。またこの次の「東京SOS」ではインファント島の小美人が「新だ生物に手を加えてはならない」とメカゴジラの放棄を警告した。代わりに戦ったモスラ成虫は幼虫を庇って力尽きるが大昔の作品同様、ゴジラはまたしても幼虫の糸に破り去るのである。我が家にはゴジラもモスラもフィギュアがあるが、小物の幼虫がやけに多いのは幼い頃の甘辛がどういう訳か幼虫を好んだからである。

2回に渡って円谷特撮シリーズとなってしまい、興味がない人は全く分からなかったと思うが「ゴジラ」はウルトラシリーズに比べ、「世相を反映する要素」がすごく多い。経済成長や科学の発展、地球環境や社会問題などおよそ日本が抱えてきた(今も抱える)イシューを余すことなく映し出してきた「日本そのものの歩み」とも思える。今回誕生60周年ということで、ハリウッド版ゴジラが上映され話題になっている。前の「GODZILLAはアメリカ軍最強論をアピールするような戦闘機のミサイル2発で倒される恐竜に毛が生えたようなものだったが、今回は日本版の多くを踏襲し、映像がド迫力なのに加え、日本人俳優渡辺謙さんが演じるのが「芹沢博士」というだけにおおいに期待し、息子甘辛と3D版を見に行ったのだ。今回の「GODZILLA」は宿敵のような古代生物も現れる「怪獣映画」でかなり原作への「敬意」のようなものを感じた。感想はたくさんあるが、まだ上映中だからいずれ別の機会に書くことにしよう。

  

光の国へ入国

2014-08-15 08:45:21 | ホビー
今年レジャー化を企てた「ドック健診」、私はほぼ勤続年数、息子甘辛は年の数だけ訪れた「ウルトラマンフェスティバル」は「これ抜きには夏を語れない」行事となっている。甘辛は選手権予選を控え部活に余念がなく、たまにOFFとなっても友達とどこかに遊びに出かける夏休みだが、ウルフェスだけは何があっても行くつもりらしい。熱中症の事故を避けるためか、練習が夕方の4時開始と変更になったので開館と同時に入り、そのまま部活に行くこととなった。「あなたは年中行事みたいなものだから、甘辛が行けなかったらつきあったげるよ」結婚当時のように妻が助け舟を出してくれたが、当分はまだ息子と行くことになりそうだ。毎年、色々な趣向で開催されるイベントだが、今年は「光の国へ入国する」のをコンセプトとしているらしい。

向かいの喫茶店はウルトラシリーズをコンセプトとしたメニューを披露していた。川崎駅近くにできた「怪獣酒場」が円谷ファンなら垂涎ものの怪獣やウルトラ戦士のメニューに類似するもののようだ。最も魅力的なのがツインテールフライ・・・東京に現れたツインテールという個性的な怪獣は実は後から登場するグドンの常食であり、その肉はエビに似ているとされている。このメニューはその店では写真のみだったが、他にタッコングたこ焼き、ガヴァドン餃子などは新メニューとして提供されている。一度試してみたいのは山々だが、版権がかかっているのがむやみに高く、結局ただのたこ焼きや餃子と分かるとがっかりしてしまうので、ツインテールフライは家でそっくりのものを作ってみることにした。

  

入口を入るといきなり「光の国ウルトラ放送局M78」というスタジオが目に入る。日によってはゲストや女子アナが出演するらしいのだが、普段はスパークドールズという最新のウルトラマンシリーズの怪獣漫才に登場するソフビがDJをやっている。テレビ番組では本編と予告編の「ちょいの間」に現れ、あまり有名でもない怪獣たちがマニア しか分からないネタで面白おかしく盛り上がる。TVKで深夜放送のウルトラゾーンと違い子供向けの夕方に放映されているがこの劇場の怪獣トークについて来れるのは町内では私と甘辛くらいのものだろう。円谷プロのすごいのは小さな子供が主役のウルフェスでもマニアな会話には容赦しないところである。我々だけが早口のDJに聞き入って大笑いしている状態だ。

  

ウルトラ放送局を過ぎるとお馴染みの怪獣、宇宙人、ウルトラ戦士のお出迎えだが、今年目を引いたのだが「ウルトラゾーン」でも多数登場した「ウルトラQ」のM1号である。昨年の年末お笑い番組では「ダウンタウン」の浜ちゃんのそっくり人形として現れ、なんとAKB48のヘビーローテーションを踊ってみせたのだ。(確かによく見ると似ているな)
そしてウルトラシリーズに登場したたくさんのウルトラアイテムの陳列だ。ちなみにこのTシャツはもうどこにも売ってはいないレアなウルトラTシャツの夏版である。冬版はウルトラマンの横に三面怪人ダダが登場する。陳列棚の最上段は私の愛して止まないウルトラセブンが帰マンに贈った「ウルトラブレスレット」の変形「ウルトラランス」でヤドカリン退治に使用した。ベムスターを倒した時の原型は3段目にある。これとよく似たのが隣にあるウルトラの父からセブンの息子「ウルトラマンゼロ」にプレゼントした「ウルトラゼロブレスレット」でやはり変形して「ウルトラゼロランス」となる。ウルトラアレイ、ウルトラコンバーター・・・私はこういうアイテムに目がないが、全部説明しているとキリがないのでまた別の機会にする。

      

その隣に「ウルトラの国にあったらいいな」と思うモノを書いて投函するコーナーがあった。私は色々と考えたあげくさっき入口で見たメニューを思い出し、「ツインテールの活造り」と書いておいた。隣の甘辛は何を書いているのか見るとなんと「メイド喫茶」!行ったことはないようだが、サンシャイン通りを歩くといつも看板を持って立っているメイドの印象がこびりついていたようだ。さらに進むと小さな部屋が「光の国の学校」になっていた。国語としてウルトラ語の読み方が面白かった。実は私はウルトラ戦士が使用する「ウルトラサイン」の読み方は独自の研究で概ね解読したのである。たぶんウルトラ語も同じ要領で読み書きできると思うのだが、なんと言ってもPCのユーザ辞書に文字そのものがないからここで紹介しようがない・・・

  

ウルトラトレインは「ナース列車」からレールタイプでない乗り物に変わっており、その奥に「ウルトラ縁日」やクラフトコーナーなどが併設されていたが、さすがにもう何回も遊んでおり、年齢的にも卒業していた。幼い頃に熊本の「ウルトラマンランド」などで大好きだった人形劇「ウルトラP」も歴代のシーンがVTR放映されていた。本編では実に極悪な侵略を行う宇宙人や怪獣たちも親しみのあるぬいぐるみ人形にしてしまうところも円谷プロのすごいところだと思う。ベムスターなんて一度帰マンを倒したことがあるのに、ぬいぐるみになると「ポケモン」に出てきてもおかしくないくらい、可愛らしい表情になる。

  

向かいにずらりと並んだガチャポンを眺めながら甘辛が「ぎゃーはっは。父ちゃん、ツインテールフライがガチャポンになってんぞ。やろうぜ!」ほんとだー。我々はこういう場面で躊躇することがない。1回200円のガチャポンを次々と回したが一番欲しかったツインテールフライはGETできなかった。「ノーバ」がダブったところで一旦頭を冷やすことにした。「レシピも乗ってんぞ、こりゃ面白えや!」甘辛はカプセルに入っている小さな説明書きを読みながら笑った。(よくこんな細かいところに気が付くなー)
しかしどうもこの「3分!簡単!ウルトラクッキングスイング」が今回の一番の掘り出しアイテムだったようだ。説明書きの裏に書かれたレシピはこんな感じ・・・・

03 タッコング焼き「M78星雲のソウルフード!マヨネーズをかけてもGOOD」 調理者:ウルトラマンジャック
材料:タッコング(オイルをよく拭いたもの)1杯、薄力粉、水、卵適量、ソース、青のりお好み
1. 大き目のボウルに薄力粉を入れよく混ぜ、水、溶き卵を適量に入れる
2. たこ屋き器に油を引いて温まったら(1)を入れる
3. (2)が9万度以上に温まったらタッコングを入れて竹串でぐるっと回してよく生地をからめる
4. 表面がかりっとしてきたら、ソースと青のりをかけて出来上がり
  
04 ノーバさんウインナー「お子様のお弁当にぴったり!」 調理者:ウルトラマンレオ
材料:ノーバ1体
1. 肩に乗られて取り憑かれないように注意しながら、ノーバに切れ込みを8つ入れる
2. マントがたこのあしのようにくるりんとなるまでよく焼く
  
06 ウルトラマンコーヒー「ウルトラの母の愛情たっぷりコーヒー」 調理者:ウルトラの母
材料:母なる愛
光の国にある病院「ウルトラクリニック78」で飲めると噂のホットコーヒー。ウルトラの母が淹れるコーヒーは父やタロウはもちろん、宇宙警備隊の隊員たちも大のお気に入り。そのコーヒーを目当てにクリニックに訪れる者もいるほどである。
  
ちなみに説明書の最後にはこんな注意事項が。。。「本商品は食べられません。レシピはM78星雲人のためのものです、地球人には作れませんのでご了承ください」

ふれあいステージでは小さな子供たちを集めてウルトラ戦士がゲームをしたり一緒に踊ったりする。横にはカフェのような店があり、ちょっとしたスペースでブレイクすることができる。昨年まではウルトラヒーローとマーベラスアイスクリームのコラボだったが、今年はどうもクレープ屋とのコラボになったようだ。ゼロのクレープにかぶりつきながら、ぼちぼち子供が集まってきたステージをぼーっと眺めていたが、本物のウルトラPの人形窓からちらちらタコの足のようなものがのぞいているのが見えた。今は時間ではないから係の人の(退屈しのぎ?)いたずらだろう。問題は何が隙間から見えたかである。

    

「ありゃー、『ガイロス』だわな」私も甘辛もほぼ同時に考え付いた。小学生までの子供が知っているとはとても思えない超がつくほどのマイナーな怪獣だ。セブンの「ノンマルトの使者」編に登場した怪獣で、M78星人は地球人のことを「ノンマルト」と呼んでおり地球の先住人ということらしいのだ。今の地球人はノンマルトを海底に追いやり、さらに人類は海底開発を進めて彼らの生活圏を奪おうとしたので海で死んだ少年の姿を借りて警告するとともに、やむなく反撃に転じる物語である。セブンはガイロスを倒し、ノンマルトはどこ知れず姿を消すがどうも「これでよかったのか?!」とやりきれなさ感を残す物語である。ウルトラセブンにはこういう物語がたまに登場する。あの誰も知らないようなマイナー怪獣をのぞかせるとは粋なことを考えるスタッフだ。

一通りのプログラムを見るとちょうどライブステージの時間となった。年々話が充実してくるライブステージは当初は時間になると集合する自由席スタイルだったのだが、絶大な人気を誇り開演のずいぶん前から席どりの列が並び始めたので、全席指定となり入場の際に指定券を同時に発行してもらうスタイルになった。さらに今回からは最前列から10列目くらいは「前売り専用」の有料席となり、日によってはあっという間に売り切れる状況となった。ウルフェスと正月の「全員集合」はウルトラ戦士や今昔の怪獣を惜しげもなく登場させ、ストーリーやセットも素晴らしく充実しているから、人気が高まるのも無理はない。

演出もかなり凝っていて、約30分のステージで何度も「鳥肌」ものの感動がある。ウルトラ戦士登場のシーンを見逃すまいとステージに向けてじーっと目を凝らしているといきなり真後ろにウルトラ兄弟が揃って立っていたりするのである。そして他愛もない話だが、毎度のことながら最も感動に震えるのは絶対絶命のピンチからウルトラ戦士が会場からの「がんばれー!」の声でエネルギーを吸収し復活するところである。これだけはどんな話でも変わらない。「応援する者の心理」にも通ずるが子供の純粋な声援とは何とすごい力を持っていることか。さすがに私も甘辛も大声を張り上げることはないが、場内にこだまする大声援にはいつもウルトラ戦士と同様自分たちにも不思議な力をもらっているような気がしている。

  

大満足のうちに我々はウルトラライブステージを後にした。今回一番の掘り出し物は「ウルトラクッキング」のガチャポンだと思うが、ウルトラデパートではその他に桜ポインター号用のステッカー、ウルトラエコバッグ、ウルトラタオルなどである。一時はビアジョッキの大人買いなどしてしまい持って帰るのに悲惨な思いをしたこともあったが、最近はホントに欲しいアイテムは通販で買うことにしているので、ちょっと目についた小物ばかりである。Tシャツも魅力的な新作が多かったが、もったいないくて着ることは少なく箪笥が溢れるばかりで、妻がいい顔をしないのでよっぽど気に入ったもの以外は勇気をもってスルーしている。ウルトラの国の魅力ある酒をしきりに勧められたが、ちょっと甘そうな感じがしたので今回は取りやめ。。。甘辛は高校生にもなって「コンプリートするのが大事なのだ」と昨年は最新のウルトラ変身アイテムを購入していた が、今年は珍しく何も買わなかった。来年はいよいよ妻に付き合ってもらうことになるかもしれないなー。

        

ドックレジャー化計画(後編)

2014-08-11 19:58:48 | 食べ物
人間ドックレジャー化計画の続き・・・1日目の検査を無事終了して2.5km先の総合ゴルフ施設で様々なアクティビティを堪能した後、夕食の時間が迫り練習場を後にして車に乗ったら、まさかの渋滞・・・?!こんな田舎で混むなんて事故でも起きたのかと思うほどだったが、結局帰宅時間帯で混んでいたようだ。「入浴、夕食は時間厳守で」と言われているので、慌てて部屋に戻ってびっしょりの運動着を着替え、さーっとひとっ風呂浴びて食堂に駆け込んだ。渋滞で予定が狂ってしまい残り時間は30分・・・ほとんどの人は部屋に戻っているか仲間のいる人は酒を片手に和んでいた。私は隅っこのまだ来ていない手付かず膳に案内され、ポツンと一人で見慣れた夕食を摂り始めた。自販機でビールを勝って一人飲み・・・イマイチ侘しいものがあるが、そのもの宴会しに来たわけではないから(もっと色々持ってきたけど・・・)やむを得ぬ。どうせ翌朝腸管洗浄剤で全部出し切ってしまうのと、炎天下でクラブを振って歩き回ったこともありすごく腹が減っていたので、お櫃の米を黙々と平らげていた。

ひと心地ついてペースダウンし2本目のビールを空けてまったりしている時、ふとまだ来ぬ私の正面に用意された御膳を見て驚愕すべきことに気が付き「わわーっ」と心の中で叫んだ。何と無意識のうちに向かいの膳の刺身にまで箸を付けてしまっていたのである。
な、なんということだ。。。まったくの自然体でまぐろと真鯛を一切れずつ食ってしまった。ホントに手が滑ったとしか言いようがない・・・ツマの形を変えて軽くカムフラージュし、刺し身の間隔を均等に並べ替えても何となく違和感は拭えない。時計を見ると食事時間は残り10分、もしかしてもう来ないんじゃないか?(いっそのこと皆食っちゃったらどうだ?)という悪魔の囁きもあったが、翌日の検査でどんなバチが当たるか分からぬから手が出ない。かといって、給仕のおばさんに正直に自白してしまうと「衛生」に関することなので、何か大きな話に発展してしまうかもしれない。私は考え抜いたあげく、自販機で買ったビールのおつりの小銭を200円、トレーの端っこに置いた。意味不明に取られる可能性は高かったが、一切れ100円の罪滅ぼしである。

夕食終了時間の19時まで食堂でまったりし、先ほど汗を流しただけの大浴場に向かった。ちょっと熱めなのが困ったところだが、ゆっくりと温泉に浸かりサウナルームでデトックスした。入浴は21時まで、それ以降は水以外は口にしてはいけないことになっている。風呂から上がってゆっくりセブンイレブンに向かう私に勤務明けらしい看護師が短パンにTシャツという私のスタイルを見て「やっぱり暑いから、浴衣は皆さん着ないんですねえ」と声をかけてきた。部屋着には浴衣が用意され食堂でも過半数は着ているのだが「コンビニに行くから」とはいいにくい。実にきさくなその方は「これから夜寝るまで退屈でしょ?」と笑った。私は思いついて「ここ星空が綺麗だと思って星座の写真撮影の準備してきたんですよ。でも天気がイマイチなんですかねえ」と聞いてみた。「星が綺麗?ふーん、あんまり聞いたことないけど・・・あ、今ここすごい田舎だと思ってたでしょ?実はちょっと行くと結構交通量の多い街中なんですよ。駅の回りには何にもないけどねー」確かに練習場帰りの山道も渋滞していたが、その先の交差点が結構な交通量のようだった。。。風が強く若干の星空は見えたが我が家の周辺とそうは変わらないので、残念ながら超兵器の出動はなさそうだ。

私は看護師に挨拶してそのままセブンイレブンに向かった。過去の忌まわしい思い出からつい店頭を探してしまうのだが、何故か昆虫ゼリーは品切れの様子だったのである。かごの中は氷結の新製品を含む大小4本のストロング缶にあたりめ、柿ピーにパックの砂肝揚げという堂々たる布陣である。以前はチーズとか豆腐、コンニャクと言った腸に残らないモノを選んでいたのだが、これまでの経験で私の「超消化力」をもってすれば例え鉄が入っていても腸管洗浄剤で流しだせるのが分かってきたからである。部屋に戻るとストロング缶2本は「冷凍室」(ここ大事ね)に押しこめ、残り2本からぐびぐびやりだして、1時間ほどで冷やしたヤツも全部飲み干してしまった。普段は寝る前にもうひとっ風呂浴びてからベッドに入るのだが、今回はさすがに間に合わなかった。。。

さて翌日。。。やはり5時に目が覚めて腸管洗浄剤1.8リットルを半ば一気飲みし2日目の検査に備えた。血圧と腹部エコー、そして最後の大物「後ろから前から」内視鏡検査である。全てを要領よく通過し、ドラゴンボールで言えば「セル完全体」であることを確認できたのが何と10時半!この後温泉大浴場を使うことはできるのだが、昼食までは全くやることがない。病院内の未体験ゾーンを探検するわけにもいかないし・・・昼食後は結果を元に医師の診察と保健指導師のアドバイスだが、これがまたうんと待たされる割には毎回ほぼ同じことしか言われないのである。人によっては診察室から30分近く出てこない人もいるのだが、私の場合は待ち合わせ室で待つこと1時間、医師からは「異常なし!来年また会いましょう!」、保健師からは「酒を減らし野菜を食うべし!」と言われるだけなのだ。私は意を決して係の事務員に「あのーう、ちょっと用事ができたので検査が全部終わったら帰っていいですか?」

しばらく待たされて、保健師と思われる人が何枚か資料を持って登場し、今出ている結果について簡単に説明してくれた。2週間後くらいに詳しい結果が郵送されるので、このまま帰っちゃってもそうは心配いらないのである。私はお世話になった御礼を言ってそそくさと赤いライオン号を走らせた。行きとは違うルートで熱函道路を東に向かい、目指すは熱海サンビーチ!ふ、ふ、ふふふ。。。午後はたっぷり海水浴できそうだ。
と、思ったのだが中々そう思惑通りにはいかず、台風接近に伴い海は大荒れでビーチはまさかの遊泳禁止!この分だといつものメジナポイントも危険で近寄れないだろう。人間ドックの健診帰りに釣りに行って波にさらわれたヤツなど聞いたことがない。。。ここに至りドックレジャー化計画は頓挫したのだった。私は一路西湘バイパスを我が家に向かい、サーフボードを持っていつものサーフポイントに出動したのだった。さすがにすごい波だったが、私の手に負えるコンディションではなく、1時間ほど大波に揉まれてビーチで寝そべることになるのである。(懲りないヤツ)

この病院はかなり歴史があり、建物も老朽化が見られて順を追って立て替えているらしい。いつまで人間ドックプログラムが続くのか多少心配はある。今回はあまりよく考えずに「トライアスロン」のようなレジャー化計画だったために頓挫したようだが、赤いライオン号で走って見て、実は国道1号線沿いに魅力あるスポットがたくさああることを見つけた。例えば三島の「伊豆フルーツパーク」では高級マスクメロン狩り&食べ放題、マスクメロンソフトクリーム、季節のふっルーツ大福作り、ジャンボアジフライ付き名物駿河湾御前付きで3500円。。。北条氏康ゆかりの「山中城跡」、「富士箱根ランド」「畑宿弁天山清流公園」「飛竜ノ滝」「生命の星・地球博物館」などがある。むろん箱根の峠を越えてくるのだから、旧道を走れば色々な観光ができる。実はこの7月に異動した職場の厚生プログラムにはこの病院のドックメニューはないらしいのだが、神奈川の事業所が特別な計らいで私の分を入れてくれたらしいのだ。よーくお礼をして来年の分もお願いし、もっと完璧なレジャー化計画をたてることにしよう。

  

ドックレジャー化計画(前編)

2014-08-09 08:48:05 | 出来事
今年で10回目くらいになろうか。。。特に話題があるわけでもないが、今や「人間ドック」と言ったらウルフェスと並び私の「夏の風物詩」として、なくては夏を語れない年中行事なのである。初期の頃こそ色々とやらかしたが、もうベテラン(常連)の領域に入っており、プログラムや終了時間の目安、早目に終わるコツなどすべて頭にインプットされている。残念ながら費用削減のためか、ここ数年で何やかやとメニューが端折られてきており、血圧計を使った精密な体力診断や運動指導(私には無用?!)、歯科検診は姿を消し、未だ発見されたことはないがピロリ菌検査などもオプション化されてしまった。しかし「後ろから前から」の内視鏡検査を初めとして、CTやエコー他検査項目はまだまだ多彩で、しかも温泉大浴場に○○御膳のような食事付きとくるので、企業の福利厚生としては贅を極めていると言える。ただ1回に80名近くの受検者がいるものの、要領よくこなすと割と早目に検査が終了してしまい、入浴はすぐにできるものの食事までの長―い時間は全くやることがなく退屈の嫌いな私には苦痛だった。

周囲に全く何もない最寄の駅からは無料の送迎バスが出ているが、病院の周辺にも多少の飲食店以外にはほとんと何もない。最近は近所にできたスーパー銭湯までシャトルバスを出しているようだ。健診終了時間のちょっと後にピックアップして銭湯で1時間半くらいすると迎えに来てくれる。ドックNOの入ったカードを受付で見せると割引にしてくれるほど手が混んでいる。これまで足を踏み入れたことのない裏口の方面だから、一度だけ試しに行ってみたことがある。珍しいものでも見られるかと散歩がてら歩いてみたが、距離は大したことないものの、単なる田舎で何があるわけでもなかった。2階の展望風呂は正面に富士山が見える中々の景色だが、いつも行く竜泉寺に比べると若干貧弱な施設だ。元々病院にが温泉大浴場があるのに、わざわざ足を伸ばすほどでもないと思え、訪れたのは1回こっきりとなった。

昨年初めて、周辺にゴルフのショートコース&練習場があることを発見し、早速検査終了後に行ってみることにした。ただ電車とバスで病院まで来ているために移動の手段がない。距離は約2.5km、途中までは駅と同じ方角だが、無料の送迎バスに乗ってしまうと駅まで直通になってしまいほとんど距離を稼げない。タクシーで行くほど贅沢する気にならなかった私は持参した運動着に着替え、そのまま歩いて行ってみることにした。真夏の炎天下の15時過ぎに歩くこと約25分、持って行ったペットボトルの水を空にし、2時間たっぷりスイングしたあげく汗びっしょりになってまた25分歩いたところで頭がぼーっとしてきた。これは熱中症か?!人間ドックの宿泊中に外出して運ばれるなど全く洒落にならぬ。。。急いで大浴場に駆けこんで汗を流すとともに十分水風呂で身体を冷やし、かろうじて復活したのである。

今年はこれら10回にもわたる経験を活かし、初めて「赤いライオン号」で伊豆にある病院に行ってみることにした。西湘バイパスから箱根新道を峠に向かうルートは走ったことがあるが、芦ノ湖よりも向こう側は未知の世界である。すごい山道を延々と走るイメージを持っていたが地図で見ると意外にすぐに三島市になって1号線を走ればそう遠くないようだ。朝なので時間が計算しにくいが、いくら早くてもどうということはない。ネットのルート案内よりもかなり余裕を見て、なおかつさらに早く出発した。自家用車だから列車では持っていけないものをたくさん積み込むことができる。私は翌日のスケジュールも計算し思い付く限りの時間つぶしアイテムを車内に持ち込んだ。家に置いて行ったのはサーフボードくらいのものだ。名付けて「ドックレジャー化計画」である。

さて1日目の朝、いつもの通り5時台に目を覚ました私は「こんな早くに出るの?」という顔をした妻を尻目に赤いライオン号を出動させた。ドック初日の朝は糖負荷検査のため、水とお茶以外は口にしてはいけないから、起きて家にいても仕方がないのだ。通勤時間帯と夏休みで134号線は早くも車で混み合ってきており、風も結構強くなっていた。ナビゲータをセットしておいたが、道は途中までずーっと1本道で間違うわけもない。私は新湘南バイパス出口の合流点で突如ハンドルを右に切った。スーパー銭湯「竜泉寺」に立ち寄るためである。そう・・・早く出たのは高濃度炭酸泉で血管を拡張させ血圧を下げるためだった。私にとってこの銭湯は体調を整える万能の湯で、ドック検査の前に万全を期すつもりだった。(こういう発想あまりしないかも)

40分ほどリラックスして竜泉寺を出たら今度は本当に西湘バイパスを西に疾走し、箱根新道から峠の山道に向かったのだ。ここで完全にレジャー化していた赤いライオン号に搭載していたのは、ゴルフバック、超兵器ポラリエ1号&203号セット、ここまでは計画済みだがゲリラで行く機会があった時のためにサーフパンツそしてまさかの波止釣り用ロッド&リールである。2.5km先のゴルフ練習場には小さなショートコースが併設されており、健診終了後、夕食時間までに打ちっ放した後にさーっとラウンドする予定で、超兵器ポラリエ1号で星野撮影、翌日検査終了後は熱函道路で熱海にでてあわよくば海水浴に行くつもりだった。もう完全な夏休みのレジャー満載でそのスタイルだけからは何しに行くのか誰にも分からない状態だった。

予報では山沿いの天気は不安定らしいと聞いていたが、ちょうど箱根峠を越えて下り坂にさしかかった頃にいきなりまさかの土砂降り・・・Vの字になった道路の低い場所では冠水するんじゃないかと思われるくらいに猛烈な大雨となった。その後は得体の知れない濃い霧に包まれ、慣れないカーブ続きの山道を恐る恐る運転する羽目となった。いくら不安定といってもここまで激変するか?!(こんな天気じゃあ、ゴルフも天体撮影も無理だなー。何かバチでも当たったのかな・・・)まだ朝のうちなのにそんなことを考えてハンドルを握っていた。三島の街に降りるといつの間にか雲の切れ間ができ、到着するころには「うそ」のように晴れ渡っていたのだ。(何だったんだ?)

毎年若干ながら健診の細かいプログラムが変わる。今回は受付終了後いきなり「採血」だった。10人くらい並んだBOXで看護師に手際よく採血されていく。私を担当したのは自分にとってはお馴染みの小柄な人だった。何せ初めて受検した時から色々と担当されているからもうベテランのはずである。向こうは覚えていないだろうが、腸管洗浄剤用冷蔵庫でワインを冷やしていたのを翌日のオリエンテーションで「6●番さん、あなたでしょう?」とずばり見抜かれたのである。前夜の飲食についてつまみの種類などをやたら詳しく聞いたのと、翌朝多少赤い顔をしていたので推察したらしい。(うーむ、恐るべし・・・)
「おはようございます」とにこやかに挨拶して針先からは目を背けたが「んっ?全然痛くねえ!素晴らしい腕だ・・・」素直に感嘆すると彼女は「ははは。これはねえ、採る人と採られる人の相性があるんですよ。運が良かったんですねえ」とからから笑っていた。

オリエンテーション後、糖負荷検査のために角砂糖30個分の恐るべきサイダーを飲んで1時間、再び採血の時間となった。健診センターで列に並んでいると10人もいるのに不思議に同じ人に当たった。「おーっ、さっきも採ってもらったんですよ。」と腕を差し出てやはり針先から目を背けた。「おーっ、やっぱり痛くねえ、さすがー!」「だから相性と運なんですって・・・」でも私の絶賛に今度は彼女も満更ではなかったようだ。するすると要領よく検査を済ませ、終わったのは15時前。。。検査着を着替えて外出の準備を済ませ部屋の鍵を受け取るとさっさと駐車場に向かった。35℃にもなろうかという暑さの中でこんなところ30分近く歩いたら確かにやばかった。。。練習場まではわずか5分、最初に1時間半くらい打ちっ放しで身体をほぐしショートコースに乗り込んだ。平日のクソ暑い昼間だし回っている人はほとんどおらず、料金を支払ったら自由に回ってくれ、ということだった。全部で7ホール、トータルで270ヤードあまりの「ショート」というには「ミニ」に近いコースだった。このクラブはアプローチショットやパター練習場、シミュレーションゴルフも完備しており、ゴルフ好きなら1日中いても飽きないところだ。

    

たっぷり汗をかき、時間ぎりぎりまで黙々とクラブを振り続けた。今月末に図らずも社内の「年次対抗ゴルフ大会」とやらに人数合わせで出場することになってしまい、足を引っ張らないように練習が必要だった私にはよい機会だった(あまり意味がないのは承知の上だったが)。仲間うちならともかくゴルフ大会というものは、大勢の出場者がくじ引きでグループを決めるので普段からあまり知らない人とコースを回ることになり、初級者は必要以上にプレッシャーを感じ気を使うものである。ゴルフを通じてコミュニケーションを深めると言うのは笑止だが、日本固有の文化も馬鹿にできない効果も確かにあるのだ。一瞬、ホントに何しにきたのか忘れてしまうようだったが、こうしてドックレジャー化1日目は無事にミッションクリアとなる。(つづく)

オキナワ旅行を計画す

2014-08-06 22:11:31 | 旅行お出かけ
今年は結婚してキリのいい年だから、夏休みは今までになかった大きな旅行しようと話していた。息子甘辛は部活の青春真っ只中で親と旅行に行く年齢でもないから、費用も2人分ですむ。我々が外出している間、弁当やら選択やらあるので、実家の母親に協力を仰ぐことになるがそれはそれでよいらしい。昨年のように秋の親子旅行を企画して御礼とすることにした。先日書いたように最初は海外クルーズを企てたのだ。タキシードを来て「仮面舞踏会」のようなタイタニック(縁起でもない!?)な超豪華セレブクルーズではないが、航空機で母港近くまで行き出港後は周辺各国の要所を巡る魅力的なツアーも結構たくさんあった。しかし欲張り過ぎて毎日「夜出向して朝、次の目有名観光地に上陸」というのを繰り返すまるで夜行バスツアーで、豪華絢爛な客船の施設を堪能したければ「24時間戦えますか」という体力の限界に挑戦みたいなワイルドなものだったので、方向転換を余議なくされた。恐らくこんな詰め込みツアーを企画するのは日本人くらいのものだろう。

有名どころでグランドキャニオン周辺やカナダのオーロラ見学、フランスのモンサンミッシェル、ナスカの地上絵、果てはインファント島(はモスラで正しくはイースター島)まで検討範囲を広げてみたが、ツアーで見るとどうも優雅さがない。。。時間のない日本人向けで効率重視なのは分かるが、詰め込み過ぎるのである。ラスベガスから手配する1泊2日ツアーなど、早朝5時に出発して5時間かけてセドナ、昼過ぎに出発して16時半にグランドキャニオン、いくつか見学して夕日を見て宿泊、翌朝7時に出発して3時間でペイジの町、ロアー・アンテロープ観光、昼食を食べて4時間かけてラスベガスへ戻る。2日間で総走行距離1350kmの豪快ツアーである。行程表を見ると1行しかないが、「ここバスで6時間かかるぞ・・・」1回くらいならまだしも繰り返しとなると体力が持たぬ。仕方がないからシンプルツアー+個人手配のオプションにしてみようと調べてみたのだが、夏休み時期はヤツ当たりしたくなるほどバカ高いのである。

6月とか7月の前半ならリーズナブルなのに、8月になったとたんに軽く価格が倍に跳ね上がる。豪快オプショナルツアーは現地ツアーだから大して変わりはないのだが、日本から渡航して帰ってくるツアーにものすごい価格の落差がある。「休むのも仕事のうち」と結構サプライズな休暇を平気で取得してきた私も異動したてでいきなり長期不在となるわけにもいかない。「この馬鹿げた値段設定を割り切れるかだよねー」という、まったく妻のいうとおりである。最近は企業内でも「アニバーサリー休暇」などを取得させようという動きが活発で、季節的な休暇以外の長期(といっても1週間くらい)休みも追い風になっているから、来年あたり多年勤続で表彰されるタイミングでシーズンを外し大きな旅行は再企画するとし、それ以外は効率は悪いがゲリラ的に単発でいこうではないか、ということになった。

以前から夏場の近場のプチ海外旅行ではどこからか「こんなのよく見つけたなー」というお得ツアーを探し出してくる妻だったが、今年は夏期休暇をお盆休み周辺にせざるを得ないことから「夏場の馬鹿げた値段設定」という黒い霧がどうしてもつきまとい、結局私が前職場でコツコツ貯めた「マイレージ」で航空券を無料にすることになった。ずばーっと長くとってもよかったが、ここは異動したての身分なので少し気を遣い、一応自分の出席する会議などは外したのと、前回の「応援する者・・・」編で書いたように息子甘辛の大会を応援するとしてスケジュールを合わせると5泊くらいの旅程となる。特典航空券というのはものすごくマイレージを消費する景品で二人分ともなるとごくごく近場しか交換できない。色々と検討した結果何と意表をついて国内、旅行地はオキナワとなった。(地中海豪華クルーズに比べて何という落差か?!)

近場の海外などは南の島も含めてかなりの場数を踏んでいる我々だが、オキナワというのは実はあまりこれまで縁がなかった。息子甘辛が満1歳にならぬうちに初のグアム島旅行を夏休みに考えており、その予行演習として人生初の航空機搭乗がオキナワ行きだったのである。私の初フライトが19歳だったことを考えると何と早いデビュー戦かと思うが、当然本人が覚えているわけでもなく単に我々にとってもゲリラ的に行ってみたいだけのプチ旅行だったのだ。確かゴールデンウィーク明けに休暇をつなげて2泊3日くらいで行ったから、かの地のビーチや様々なアクティビティを堪能するわけでもなく、海洋博公園の大きな水族館にバスで行ったくらいであった。その水族館も今や「ちゅら海水族館」という超人気スポットに生まれ変わり、近くに有名なドライブコースもできて世界遺産も色々なところに点在するので、改めて調べてみるとすごく魅力的な土地だったのである。

  

国際通り付近などの同じところに連泊すると移動が効率的でないから、色々とスポットを中心に妻がホテルを探索した結果、最初の2日は本島中部の橋続きのとある離島に泊まることになった。混雑する観光地というよりはぽけーっとのんびりリフレッシュするリゾート地である。空港からは反対側のビーチとなるので移動中に首里城やらその他いくつかある世界遺産を見学して向かうことになろう。島にはホテルのレストランしかないから洋食、郷土料理から選ぶことになるアクティビティはそれなりにあるが、離島ツアーなど「冒険好き男子」にはかなり期待できるのと、それほど賑やかではないので「超兵器ポラリエ1号」を装備していく私には「夢のような星空」撮影を期待できるのである。海の近くで夜空の観察には開けた我が家周辺なんだが、天文ファンの言うところの「光害」という・・・何しろ明る過ぎるのである。(特に夏は・・・)「天の川」というのを今まで何度も見たことがない。最もすごかったのは南半球・・・(確か新婚旅行?!)ニュージーランドのクイーンズタウンの「落ちてくるような」星空である。

次の2日間は有名なオキナワ屈指の有名リゾートである。かの地で最初に観光地化されて知らない人はいないほど有名なビーチ&リゾートエリアだ。私が今回の旅行で必須としている水族館と「こうり」大橋に加え、「サンセット」でも有名なところだそうだ。8月のお盆前後なので超ハイシーズンであり、価格は青天井・・・そもそも部屋そのものが取れないと思っていた。「東側の隠れ家的ペンションでもいいんじゃね?」と私の許容範囲を確認しつつ、妻は西側の絶好のホテルをゲットしてのけた。いつものことだが我が妻ながらこういう時は実に頼りになると思う。キャベジンCM、常盤貴子さんの「たまには妻を褒めとけよー」というセリフを思い出すのである。
いつの間にか「日本人向けツアー」のように詰め込んでしまうようだが、今回の旅行もまた意表をつくことになろう。節目だからと言って遠出ばかりが能じゃないよな。最近、毎週やってくる台風が心配だが、それはそれで話題にしよう。「ここはぜひ!」というのがあったら、ぜひご教授ください。